第四話 旗を持たない男
王家の関所を越えた先で、アレクたちはようやく目的の人物へ辿り着きます。
ハンス・ヴェラー。
マティアス・クレーマーと関係している可能性が高い、西方の有力商人です。
これまで見えていたのは、麦や鉄、油、縄、飼料といった「動いている物」ばかりでした。
今回は、その流れを実際に作っている側の人間から話を聞くことになります。
マティアスは何をしているのか。
なぜ商人たちは彼のもとで動くのか。
そして、誰のために大量の物資が集められているのか。
まだ答えは見えません。
ですが、旗を持たない一人の男が、兵とは違う方法で人と物を動かしていることだけは、少しずつ見え始めています。
第三篇「乱世の潮目」。
今回は、その力の正体を一歩だけ覗いていきます。
翌朝。
宿を出た俺たちは、再びグランヴァルト王家の関所へ向かった。
昨日まで四十騎だった一行は、今日は二十騎だけになっている。
残りの二十騎は宿場へ残した。
先頭にはアルベルト。
その少し後ろにゲオルク。
俺もそこから離れないように馬を進めていた。
「本当に二十騎だけなんですね」
「許可されたのが二十騎だからな」
アルベルトが答える。
「大公なのに」
「他国では大公だから何でも許されるわけではない」
「殿下でも?」
「当然だ」
「少し意外」
「お前は私を何だと思っている」
「言えば大体通る人」
「間違ってはいない」
「やっぱり」
アルベルトが笑う。
関所が近づいてきた。
昨日と同じように荷車が並び、兵士たちが積み荷を確認している。
ただ、今日は俺たちを見る兵士たちの空気が少し違った。
昨日のうちに許可が届いているからだろう。
「アルヴェイン大公殿下!」
兵士が声を上げた。
関所の奥からヴィルヘルム・ナーゲルが歩いてくる。
「お待ちしておりました」
「待たせたのはそちらだろう」
「規則です」
「昨日も聞いた」
「本日も同じです」
「本当に融通が利かんな」
「昨日は褒めていただきました」
「そうだったな」
この二人、やっぱり相性が悪くない気がする。
ヴィルヘルムが俺たちの騎数を確認する。
「二十騎。確かに」
「数えるのか」
「当然です」
「一騎くらい見逃せ」
「嫌です」
「真面目だな」
「職務ですので」
ヴィルヘルムは部下から一枚の書状を受け取った。
「こちらが通行許可証です。ベルグハーフェンまでの移動が認められております」
「その先は禁止」
「はい」
「理由は?」
「私には分かりません」
「本当に?」
「今度は本当に知りません」
アルベルトが少し笑う。
「分かった」
許可証を受け取る。
「もう一つ」
ヴィルヘルムが俺たちを見る。
「西へ進まれるのであれば、一つだけ忠告を」
「何だ」
「兵を見ても近づかれませんよう」
俺は思わずヴィルヘルムを見る。
「兵?」
「どこの?」
アルベルトが聞く。
「それが分からないから申し上げています」
「……」
「王国軍だけではありません。領主軍、傭兵、商人の護衛、さらには所属を明示しない武装集団まで街道を動いております」
「そんなに?」
俺が聞いた。
ヴィルヘルムがこちらを見る。
「ここ数日で急に増えた」
「戦ってるんですか?」
「まだ大きな衝突は確認されていない」
「まだ」
「そうだ」
また、その言葉だった。
まだ戦ではない。
まだ兵はぶつかっていない。
まだ誰も敵だと決まっていない。
でも。
それがいつまで続くのかは分からない。
「分かった」
アルベルトが言う。
「余計な争いは避ける」
「お願いいたします」
ヴィルヘルムが一歩退く。
「開門!」
兵士たちが柵を動かす。
ギギギ……。
道が開いた。
「行くぞ」
アルベルトが馬を進める。
俺たちも続いた。
関所を越える。
ただそれだけのことなのに。
何となく空気が変わった気がした。
ここから先はグランヴァルト。
同じ街道。
同じ草原。
同じ空。
それでも。
俺たちは確実に、乱世の中心へ近づいていた。
◇ ◇ ◇
関所を越えてからしばらくは、昨日までと大きな違いはなかった。
街道には荷車が多い。
西へ向かう車の多くは荷物を満載している。
一方、東へ戻る荷車は空に近いものが多かった。
それも昨日確認した通りだ。
ただ、一つ違うことがあった。
「兵がいる」
俺が言った。
「ああ」
ゲオルクが答える。
街道の脇。
二十人ほどの武装集団が休んでいる。
槍。
盾。
弓。
鎧は統一されていない。
「どこの兵?」
「分からん」
「旗がない」
「だから分からん」
傭兵だろうか。
俺たちを見る。
こちらも見る。
でも。
互いに何もしない。
そのまま通り過ぎる。
「怖いですね」
「何がだ?」
「誰が敵か分からない」
「今は誰も敵ではない」
アルベルトが前から言う。
「でも」
「剣を抜けば敵になる」
「……」
「だから抜くな」
「はい」
簡単に聞こえる。
だが、一人が間違えれば。
二十人。
四十人。
百人。
もっと多くの人間が戦うことになるかもしれない。
「戦争って」
俺は呟く。
「始めるのは簡単なのかもしれない」
「終わらせるよりはな」
アルベルトが答えた。
その言葉が妙に重かった。
◇ ◇ ◇
昼前。
街道沿いの小さな町へ入った。
石壁で囲まれているような都市ではない。
街道を中心に商店、宿屋、倉庫、工房が広がっている。
ただ、宿場というにはかなり大きかった。
「ここですか?」
「ああ」
アルベルトが答える。
「ヴェラーの店はこの町にある」
「ベルグハーフェンじゃない?」
「本店はここだ」
「じゃあ昨日の麦は?」
「ベルグハーフェンの支店か倉庫へ送られたのだろう」
「なるほど」
俺たちは町へ入った。
大公家の旗が目立つ。
当然、周囲から見られる。
「やっぱり目立ちますね」
「今さら隠せん」
「殿下だけ普通の服に着替えるとか」
「二十騎を連れた普通の男がいるか」
「いないですね」
確かに。
町の中央付近へ進む。
商店の数が増える。
毛皮。
酒。
油。
穀物。
縄。
道具。
馬具。
街道沿いの交易地らしく、様々な物が売られている。
「どこ?」
「もうすぐだ」
案内をしている騎士が前方を指した。
「あそこです」
三階建ての大きな建物。
石造りの一階と木造の二、三階。
正面には看板。
俺にはまだ読み慣れない字体だが。
「ヴェラー商会」
「ああ」
建物の横には大きな倉庫まである。
「思ったより大きい」
「何を想像していた」
「小さな店」
「西方でも名の知られた商人だ」
「先に言ってくださいよ」
「聞かなかった」
まただ。
俺たちが店の前へ止まると、当然中が騒がしくなった。
大公が二十騎を連れて商会へ来たのだから無理もない。
「誰が行く?」
俺が聞く。
「まず私だ」
「ですよね」
「ゲオルク」
「はっ」
「五人だけ連れて来い。残りは外で待たせろ」
「承知しました」
アルベルトが馬から降りる。
俺も降りようとする。
「アレク」
「はい」
「来い」
「分かってます」
「逃げると思った」
「昨日、宿題まで出されたのに?」
「考えたか」
「一応」
「なら使え」
俺は少し息を吐いた。
ハンス・ヴェラー。
マティアスへ繋がるかもしれない男。
今日。
ようやく会う。
◇ ◇ ◇
商会へ入ると、一階には何人もの使用人がいた。
帳簿を書く者。
商人と話す者。
荷札を確認する者。
忙しそうに動いていた人たちが、アルベルトを見るなり次々と動きを止める。
「アルヴェイン大公殿下?」
「そうだ」
「少々お待ちください!」
一人が慌てて奥へ走っていく。
「驚いてますね」
俺が小声で言う。
「普通は驚く」
「事前に連絡してないんですか?」
「した」
「じゃあ何で?」
「今日来るとは言っていない」
「それを事前連絡って言います?」
「来る可能性は伝えた」
「殿下らしいなぁ」
少しして。
階段から一人の男が下りてきた。
五十歳前後。
背は俺より少し高い程度だが、身体には厚みがある。
腹が出ているというほどではないが、商人らしい豊かな体格だった。
髪は黒に近い焦げ茶色で、こめかみにはかなり白いものが混じっている。
鼻の下には短く整えられた髭。
服は深い茶色。
派手な装飾はない。
だが布は明らかに上等だ。
指には太い銀の指輪が一つ。
そして。
目。
笑っている。
でも。
俺たちを細かく見ている。
「アルヴェイン大公殿下」
男が深く頭を下げる。
「このような場所まで、ようこそお越しくださいました」
「ハンス・ヴェラーか」
「はい。ヴェラー商会を預かっております、ハンス・ヴェラーでございます」
同じ。
昨日、一昨日から何度も聞いてきた名前。
「話がある」
「承知しております」
「どこで?」
「二階に応接室がございます」
「案内しろ」
「こちらへ」
俺たちは階段を上がった。
◇ ◇ ◇
応接室。
大きな机。
椅子。
壁には交易路の地図が掛かっている。
さらに別の壁には船の絵。
棚には帳簿。
商人の部屋だ。
「お掛けください」
アルベルトが中央。
俺は少し後ろへ座ろうとした。
「アレク」
「はい?」
「隣へ」
「俺も?」
「話すのだろう」
「……はい」
アルベルトの隣へ座る。
ゲオルクは後方。
ハンスが俺を見る。
「あなたが」
「?」
「いえ」
「知ってるんですか?」
「お名前は」
「また?」
「アレク」
アルベルトが低い声を出す。
「はい」
今は遊んでいる場合ではない。
ハンスが少し笑う。
「マティアス殿から伺ったことがあります」
いきなり。
名前が出た。
俺とアルベルトの視線が同時にハンスへ向く。
「やはり知っているのか」
アルベルト。
「はい」
「どの程度」
「難しいご質問ですな」
「商売上の付き合いか」
「それもございます」
「それ以外は」
「……」
ハンスはすぐには答えなかった。
「殿下」
「何だ」
「私ども商人には、商人なりの信用というものがございます」
「顧客の情報は売れない?」
「はい」
「私相手でも?」
「大公殿下だからこそです」
アルベルトが少し笑った。
「なるほど」
怒っていない。
むしろ。
やっぱり楽しそうだ。
「なら聞き方を変える」
「どうぞ」
「最近、何を買っている」
「随分広い質問ですな」
「麦」
ハンスは黙る。
「油」
アルベルトが続ける。
「縄」
さらに。
「塩。干し肉。飼料」
「……」
「昨日、鉄もクレーマー商会指定倉庫へ向かっていた」
ハンスの目がほんの少し動いた。
「知っているか?」
「存じております」
「誰のためだ」
「申し上げられません」
「マティアスか?」
「申し上げられません」
固い。
アルベルトが俺を見る。
「アレク」
「え?」
「交代」
「いきなり?」
「昨日考えただろう」
「そうですけど」
俺はハンスを見る。
どうする。
アルベルトと同じことを聞いても答えない。
なら。
「ヴェラーさん」
「はい」
「俺たちが来るって知ってました?」
「可能性は聞いておりました」
「誰から?」
「それもお答えできません」
「じゃあ」
少し考える。
「マティアスから?」
ハンスが笑った。
「同じ質問では?」
「ですね」
駄目だ。
でも。
急ぐ必要はない。
昨日アルベルトが言った。
聞け。
見ろ。
比べろ。
「最近、儲かってます?」
ハンスの眉が僅かに動いた。
「……商人へ随分直接的なことを聞かれますな」
「駄目?」
「いいえ」
「で?」
「悪くはありません」
「物が売れるから?」
「それもございます」
「じゃあ、マティアスと取引するのは儲かる?」
ハンスが俺を見る。
「なぜそう思われます?」
否定しなかった。
「一昨日、商人から聞きました。以前は毛皮や葡萄酒を扱っていたのに、最近は食糧とか油とか縄まで大量に買ってるって」
「よく調べておられる」
「昨日はヴェラー商会へ麦が行った」
「はい」
「普通なら」
俺は少し考える。
「そんなに急に商売変えます?」
「利益があるなら変えます」
「やっぱり儲かる?」
「商人ですから」
笑う。
でも。
これで少し分かった。
「マティアスに命令されたわけじゃない?」
ハンスの笑顔がほんの少しだけ変わった。
「なぜ?」
「命令されて嫌々やってる人の顔じゃないから」
アルベルトがこちらを見る。
ゲオルクも。
ハンスは数秒黙った。
「面白い少年ですな」
「よく言われます」
「マティアス殿が気にされる理由が少し分かりました」
「俺のこと何て言ってるんです?」
「それは本人へお聞きください」
「皆それ言うなぁ」
「アレク」
「はい」
アルベルトに止められた。
戻る。
聞きたいこと。
「じゃあ」
俺は続ける。
「マティアスは、ヴェラーさんに何をくれたんです?」
「何を?」
「利益が出る仕組み」
ハンスの目が変わった。
「命令じゃないなら」
俺は机を見る。
「ヴェラーさんが自分でやりたいと思う理由がある」
麦。
油。
縄。
飼料。
今まで扱っていなかったものまで仕入れる。
それには。
売れるという確信が必要だ。
「買い手?」
俺が聞く。
「……」
「マティアスが、買ってくれる相手を用意した?」
ハンスが少し笑った。
「半分正解です」
「半分?」
「買い手だけではありません」
「じゃあ?」
ハンスは少し考えた。
それから。
「これは私自身の商売についての話としてお聞きください」
「はい」
「マティアス殿の秘密ではなく?」
アルベルトが聞く。
「私が何を理由に取引しているか、です」
「いいだろう」
ハンスが俺を見る。
「道です」
「道?」
「正確には、道と倉庫と船です」
「……」
「例えば、ここから麦を百袋ベルグハーフェンへ運ぶとします」
「はい」
「荷車が要る。馬が要る。御者が要る。途中で宿も使う。盗賊の危険もある」
「はい」
「そして到着しても、すぐ売れるとは限らない」
「倉庫が必要」
「その通り」
ハンスが少し笑う。
「私は以前、それを全部自分で手配しておりました」
「今は?」
「必要なところへ頼めばよい」
「誰に?」
「クレーマー商会へ」
俺は思わずアルベルトを見る。
アルベルトは黙っている。
「運んでくれる?」
「運送業者を紹介してくれます」
「倉庫も?」
「空きのある倉庫を手配してくれる」
「船も?」
「河船の持ち主と繋いでくれる」
「護衛は?」
「必要なら傭兵を手配する」
「……」
俺は少しずつ理解する。
マティアス本人が全部持っているわけではない。
運送屋。
倉庫。
船主。
傭兵。
それぞれ別の人間。
でも。
「繋いでる」
「はい」
「全部」
「そうです」
ハンスが頷いた。
「だから私は、以前なら手を出さなかった商品も扱える」
「毛皮商人が麦を買える」
「売り先さえ見つかれば」
「売り先も?」
「紹介されることがあります」
「……」
前世。
頭の中に色々な言葉が浮かぶ。
物流。
仲介。
商社。
プラットフォーム。
でも。
どれも完全には違う。
マティアスは新しいものを発明したわけではない。
馬車も。
倉庫も。
船も。
商人も。
昔からある。
ただ。
それを繋いでいる。
「殿下」
「何だ」
「これ」
「ああ」
アルベルトも分かっている。
「マティアス自身は、全部持ってない」
「そうだろうな」
「なのに」
実際には。
マティアスを通せば。
物が動く。
「自分の物みたいに使える」
「少し違う」
ハンスが言った。
「え?」
「使わせてもらっているのではありません」
「じゃあ?」
「我々が使いたいから使うのです」
「……」
「そこが重要です」
俺は黙った。
「マティアス殿は命令しません」
ハンスが続ける。
「こうすれば利益が出る。こうすれば余っている倉庫が使える。この船は帰りが空だから安く使える。この町では塩が不足している」
「情報?」
「それを教えてくれる」
「ただで?」
「まさか」
ハンスが笑う。
「手数料を取られます」
「やっぱり」
「かなり抜け目なく」
「マティアスらしいな」
アルベルトが小さく笑った。
「でも」
俺は言う。
「皆、得する?」
「少なくとも、得をすると思うから使う」
「失敗も?」
「当然あります」
「それでも?」
「自分一人で何も知らずに商売するよりはましです」
「……」
すごい。
何がすごいのか。
少しずつ分かってきた。
マティアスは大量の物資を持っているから人を動かせるわけじゃない。
兵を持っているからでもない。
「人が、自分から動く」
俺が呟く。
「何です?」
ハンスが聞く。
「前に会った時と同じだと思って」
「何がです?」
「マティアスって、命令するんじゃなくて」
少し考える。
「相手に、動いた方が得だって思わせる」
ハンスが笑った。
「それはかなり近いと思います」
やっぱり。
ゲオルクと話したこと。
間違っていなかった。
◇ ◇ ◇
「では」
アルベルトが口を開く。
「なぜ今、軍需物資がこれほど動いている?」
空気が変わった。
ハンスの笑みが少し薄くなる。
「商売です」
「それだけか」
「商人にとっては」
「誰が買っている」
「申し上げられません」
「レオンハルトか」
「……」
「シュヴァルツか」
「……」
「王都か」
「……」
「全部か?」
ハンスは沈黙した。
アルベルトも待つ。
俺も。
しばらくして。
「殿下」
ハンスが言った。
「一つ、お聞きしても?」
「何だ」
「今、この国で」
机の上へ手を置く。
「誰が戦を始めたとお考えです?」
「まだ誰も」
「その通りです」
「だが兵は集まっている」
「はい」
「物資も」
「はい」
「なら準備している者はいる」
「それも、その通りです」
「誰だ」
「皆です」
「……」
俺はハンスを見る。
「皆?」
「王都も」
ハンスが言う。
「第一王弟殿下も」
「レオンハルト」
「シュヴァルツ伯も」
そして。
「それ以外の領主も」
「そんなに?」
「戦になるかもしれない」
ハンスが俺を見る。
「そう思えば、備蓄するでしょう?」
「食べ物を?」
「食糧だけではありません。武器を直す。馬を買う。城壁を補修する。傭兵を雇う」
「でも」
「誰が最初に攻めるか分からない」
「はい」
「だから全員が準備する」
「そうです」
嫌な流れだ。
一人が準備する。
隣が見る。
攻められるかもしれないと思う。
そちらも準備する。
それを見た最初の側が。
もっと兵を集める。
「止まらなくなる」
俺が言った。
「何がです?」
「準備」
「……」
「相手が兵を集めたから、自分も集める。自分が集めたら、相手はもっと集める」
ハンスが頷いた。
「商人にはありがたい時もあります」
「売れるから?」
「はい」
「でも」
俺は少し嫌な気分になる。
「本当に戦になったら?」
「商人も死にます」
ハンスの答えは早かった。
「街道が閉じる。橋が落ちる。倉庫が焼かれる。金を持っていても商品が届かない」
「……」
「だから」
ハンスが少し真剣な顔になる。
「我々の多くは、戦になる前に売ります」
「だから物が動く」
「そうです」
また繋がった。
第一話。
俺が見たのは。
戦の準備だけじゃない。
戦を恐れた商人たちの動きも混ざっていた。
「殿下」
「何だ」
「俺たち」
少し考える。
「物の流れを見れば誰が戦う気か分かるって思ってましたよね」
「ああ」
「でも」
ハンスの話を聞いて。
「戦いたい人が買ってるとは限らない」
「戦に備えたい者も買う」
「戦になる前に売りたい商人も動く」
「ああ」
「……もっと難しくなった」
アルベルトが笑う。
「良かったな」
「何がです?」
「一つ賢くなった」
「問題は増えましたけど」
「それが知るということだ」
「嫌な言い方だなぁ」
でも。
確かに。
分からなかったことが一つ分かった。
その結果。
もっと分からないことが増えた。
◇ ◇ ◇
「ヴェラー殿」
アルベルトが続ける。
「マティアスはこの状況をどう見ている」
「本人へお聞きください」
「居場所を教えろ」
「それは出来ません」
「なぜ」
「約束です」
「誰との?」
ハンスは笑った。
「それを答えれば同じでしょう」
「強いな」
「商人は信用を失えば終わりです」
アルベルトが少し考える。
「では」
「はい」
「レオンハルトとの関係は」
ハンスの顔がほんの少し固くなる。
今までで一番分かりやすかった。
俺も気づいた。
アルベルトも当然気づく。
「あるな?」
「……」
「答えなくていい」
「殿下」
「顔で十分だ」
俺は思わずアルベルトを見る。
「殿下もそれやるんです?」
「お前を見て覚えた」
「人のせいにしないでください」
ハンスが少し笑った。
「しかし」
アルベルトの目はハンスから離れない。
「マティアスはレオンハルトのために物資を集めている?」
「申し上げられません」
「直接の家臣ではない?」
「申し上げられません」
「シュヴァルツとも取引している?」
「申し上げられません」
「王都とも?」
「申し上げられません」
「全部同じか」
「はい」
アルベルトが椅子へ背を預ける。
「アレク」
「はい」
「どう見る」
「え、今?」
「今だからだ」
ハンス本人の前で?
嫌だ。
でも。
考える。
「分かりません」
「その先」
「……マティアスは」
ハンスを見る。
「一人だけのために動いてない?」
ハンスの表情は変わらない。
「理由は?」
アルベルト。
「もしレオンハルト殿下だけのために全部集めてるなら」
王都の商務局。
王都封印の書類。
関所。
「王都と取引してるのが少し変」
「敵同士とは決まっていない」
「はい」
「他」
「シュヴァルツ伯側にも商人はいるはず」
「当然だ」
「マティアスは商人を繋いでる」
「それで?」
「誰か一人だけに売ったら」
少し考える。
「他の商人が使わなくなる?」
ハンスの眉が僅かに動いた。
「なぜ」
「例えば俺がシュヴァルツ伯の商人だったとして」
「うん」
「クレーマー商会を使えば、全部レオンハルト殿下に情報が行くと思ったら?」
「使わんな」
「だから」
マティアスが本当に商人を広く繋ぎたいなら。
「簡単に一人の側には立てない」
アルベルトが少し笑う。
「悪くない」
「合ってます?」
「分からん」
「ですよね」
「本人に聞け」
「場所教えてもらえないんですよ」
ハンスが口元を押さえて笑っている。
「何です?」
「いえ」
「何か違います?」
「私からは何も」
「ずるいなぁ」
でも。
ハンスが否定しなかった。
それだけは覚えておく。
◇ ◇ ◇
面会は一刻近く続いた。
すべてを聞き出せたわけではない。
むしろ。
聞けなかったことの方が多い。
マティアスの居場所。
誰と正式に手を組んでいるのか。
大量の物資が最終的にどこへ向かっているのか。
何一つ確定していない。
それでも。
来る前よりは。
少しだけ見えるようになった。
「本日はありがとうございました」
ハンスが立ち上がる。
「まだ聞きたいことはある」
アルベルト。
「またお越しください」
「逃げるか?」
「商売がございますので」
「仕方ない」
俺も立つ。
「ヴェラーさん」
「はい」
「最後に一個いいです?」
「どうぞ」
「マティアスって」
何を聞こう。
昨日考えた。
一番知りたいこと。
「何で、そんなに皆から信用されてるんです?」
ハンスが少し考えた。
「信用されている、と言い切れるかは分かりません」
「違う?」
「商人は相手を完全に信用などしません」
「じゃあ?」
「損をさせないと思われている」
「……」
「少し違いますな」
ハンスが考え直す。
「損をしても、次に取り返す道を持ってくる男だと思われている」
「次に?」
「商売ですから、必ず成功するわけではありません」
「はい」
「荷が腐ることもある。船が沈むこともある。相場が変わることもある」
「うん」
「その時、普通ならそれで関係が切れる」
「マティアスは?」
「次を持ってくる」
「……」
「『今回は駄目だった。なら次はこれをやろう』とな」
俺は黙る。
「失敗を隠さない?」
「隠しても商人には分かります」
「じゃあ」
「失敗した時に逃げない」
ハンスが言った。
「私はそこを評価しております」
「……」
失敗した時。
次を考える。
第二篇。
俺自身。
市場で。
橋で。
帳簿で。
何度も失敗した。
そのたび。
直した。
「似てる?」
思わず呟いた。
「何がです?」
「いや」
でも。
また一つ。
前世で知る男を思い出してしまう。
人たらし。
失敗しても次。
相手を利用するだけでなく。
利益も渡す。
でも。
まだ。
同じじゃない。
「ありがとうございました」
俺は頭を下げた。
ハンスも笑って頭を下げた。
「次にお会いする時には」
「?」
「マティアス殿本人に聞けるとよろしいですな」
「どこにいるか教えてくれたら」
「それは出来ません」
「ですよね」
最後まで固かった。
◇ ◇ ◇
商会を出る。
外では騎士たちが待っていた。
馬へ乗る。
「どうだった?」
ゲオルクが聞く。
「分からないこと増えました」
「それは良かった」
「殿下と同じこと言わないでください」
「何か分かったか?」
「はい」
俺はヴェラー商会の倉庫を見る。
人が荷物を運んでいる。
荷車。
商人。
帳簿。
「マティアスは」
少し考える。
「物を持ってるんじゃなくて、物を動かせる」
「同じでは?」
「違います」
「どう違う」
「自分の倉庫じゃなくても使える」
船も。
馬も。
商人も。
「皆が自分から貸したり、使ったりしたくなるようにしてる」
「利益を出させる?」
「はい」
「なるほど」
ゲオルクも商会を見る。
「兵を持つより安いかもしれんな」
「え?」
「兵百人を養うには金が掛かる」
「ああ」
「だが商人百人が、自分の金で勝手に動いてくれるなら?」
「……」
「そっちの方が大きい」
「場合によってはな」
アルベルトが会話へ入ってきた。
「でも」
俺は言う。
「命令できない」
「そうだ」
「嫌になったら離れる」
「そうだ」
「だから利益を出し続けないといけない」
「そういうことだ」
「……簡単じゃない」
「簡単なら皆やる」
バルドゥルにも言われた言葉。
簡単なら、とうに誰かがやっている。
「殿下」
「何だ」
「マティアスって」
前を見る。
「思ってたよりすごい人かもしれません」
「今さらか」
「殿下は知ってた?」
「だから見に来た」
「またそれ」
アルベルトが笑った。
◇ ◇ ◇
俺たちは町の宿へ向かった。
今日はここで一泊し、明日ベルグハーフェンへ進む予定だった。
だが。
宿へ入る直前。
「殿下!」
後方から騎士が走ってきた。
「報告!」
「何だ」
「東の関所より使者が!」
「通せ」
少しして。
一騎。
見覚えのある兵士が現れた。
ヴィルヘルムの部下だ。
「アルベルト大公殿下!」
「何があった」
「北街道です!」
「北?」
「シュヴァルツ伯軍が動きました!」
周囲の空気が変わる。
「数」
「確認できただけで約二千五百!」
「方向は」
「南東!」
アルベルトの表情が変わった。
「南東?」
俺も地図を頭に浮かべる。
シュヴァルツ伯領。
北西。
そこから南東。
「王都?」
俺が聞く。
「まだ断定できません!」
兵士が答える。
「ですが」
「何だ」
「シュヴァルツ伯自身の旗を確認したとのことです!」
本人。
二千五百。
移動。
「殿下」
「地図を出せ」
ゲオルクがすぐに地図を広げる。
アルベルトが道を追う。
「この道なら」
指。
南東。
「王都へ行ける」
「はい」
「レオンハルト側にも?」
俺が聞く。
「途中で分かれる」
「じゃあ」
「まだ分からん」
また。
でも。
今までとは違う。
兵が。
本当に動いた。
「ベルグハーフェンへ行きます?」
俺が聞く。
アルベルトは地図を見る。
しばらく。
何も言わない。
「行く」
「予定通り?」
「ああ」
「シュヴァルツ伯は?」
「今追っても何も分からん」
「でも」
「だからこそ」
アルベルトの指がベルグハーフェンへ置かれる。
「物を見る」
「物?」
「二千五百が動いた」
「あ」
「なら」
俺も気づく。
「食べる」
「そうだ」
「補給が必要」
「そうだ」
「どこから?」
「それを見に行く」
俺は地図を見る。
北西。
シュヴァルツ軍。
南西。
ベルグハーフェン。
河港。
クレーマー商会。
そして。
大量の物資。
「繋がってる?」
「分からん」
「でも確かめられる?」
「ああ」
アルベルトが地図を畳む。
「予定変更はなしだ」
「明日、ベルグハーフェン」
「そうだ」
「そこで?」
「倉庫」
「船」
「荷車」
「商人」
「全部見る」
昨日と同じ。
人は嘘をつく。
商人も嘘をつく。
だが。
何千人分もの食糧は。
消せない。
どこかを通る。
どこかに置く。
誰かが運ぶ。
「アレク」
「はい」
「明日は今日以上によく見ろ」
「分かりました」
俺は頷いた。
今日。
俺たちはハンス・ヴェラーから一つの糸を掴んだ。
マティアスは、兵を持っているから人を動かせるのではない。
金だけで動かしているわけでもない。
商人。
倉庫。
船。
荷車。
それぞれの利益を繋ぎ。
人が自分から動く流れを作る。
そして。
その流れの先で。
今度は本物の軍隊が動き始めた。
シュヴァルツ伯。
二千五百。
南東へ。
まだ。
戦は始まっていない。
でも。
昨日より確実に。
潮目は変わっている。
そして俺たちは明日。
その流れが集まる場所。
ベルグハーフェンへ向かう。
今回は、アレクたちの西行きの目的だったハンス・ヴェラーとの面会を描きました。
そこで見えてきたのは、マティアスが単純に大量の物資を買い集めているだけではないということです。
荷車を持つ者。
倉庫を持つ者。
船を持つ者。
護衛を請け負う者。
商品を売りたい商人。
そして、それを必要としている買い手。
マティアス自身がその全てを所有しているわけではありません。
それでも、それぞれを繋ぎ、利益が生まれる道を示すことで、人々が自分から動く流れを作っている。
アレクが以前から感じていた「命令ではなく、相手が自分から動きたくなるようにする」というマティアスの特徴が、今回は商売の形でも見えてきました。
ただし、その仕組みが誰のために使われているのかは、まだ分かりません。
レオンハルトなのか。
シュヴァルツ伯なのか。
王都なのか。
あるいは、そのどれか一つではないのか。
さらに今回、アレクは一つ思い込みを修正することになりました。
物資が動いているからといって、それを買っている者全員が戦を望んでいるとは限りません。
攻めるために備える者もいれば、攻められることを恐れて備える者もいる。
そして商人は、戦が始まる前だからこそ商品を動かそうとする。
同じ「物の動き」でも、その理由は一つではありません。
だからこそ、アレクはさらに見て、聞いて、比べる必要があります。
そして物語の最後。
ついにシュヴァルツ伯本人の旗を掲げた二千五百の兵が動き始めました。
まだ戦は始まっていません。
けれど、これまで噂や帳簿の中にしかなかった軍勢が、実際に街道を進み始めています。
次にアレクたちが向かうのは、河港を持つ交易都市ベルグハーフェン。
そこへ集まる倉庫、船、荷車、商人たちを見れば、動き始めた軍勢を誰が支えているのか、その一端が見えるかもしれません。
乱世の潮目は、少しずつ大きな流れへ変わり始めています。




