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『知らない世界の知っている物語』 ~剣と知識を授かった平凡な会社員は、異世界の乱世を生き抜く~  作者: 相田 ソウ
第三篇 乱世の潮目

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第三話 三つの旗

西へ向かったアレクたちの前に現れた、グランヴァルト王家の関所。


同じ国の中では、シュヴァルツ伯の旗も別の街道に立っています。


そして、その間を西へ流れていく大量の物資。


アレクたちの目的は変わりません。


マティアス・クレーマーと関係している可能性のある商人を見つけ、彼が何を集め、誰と繋がり、どこへ物を流しているのかを確かめること。


本人の姿はまだ見えません。


それでも、麦や鉄、油、縄、荷車、そして商人たちの名前を追えば、その動いた跡は少しずつ残っています。


第三篇「乱世の潮目」。


今回は、複数の旗が立ち始めた境界で、マティアスへ繋がる最初の糸を探します。

 西へ進んでから半刻ほど。

 街道の先に、昨日偵察から報告を受けた関所が見えてきた。

「……あれか」

 俺は馬上から目を細めた。

 街道を横切るように木製の柵が設けられている。ただし完全に道を塞いでいるわけではなく、中央には荷車が一台ずつ通れるほどの幅が空けられていた。

 その両側には兵士が立っている。

 数は三十人ほどだろう。

 革鎧だけの者もいるが、半数ほどは胸甲を身につけ、槍と盾を持っている。少し離れた場所には簡素な見張り台まで組まれていた。

 昨日までなかったものを急造したというより、数日掛けてきちんと作ったように見える。

 そして何より目立つのが、その上ではためく旗だった。

 濃い緑地に銀色の双頭鳥。

 グランヴァルト王家の旗。

「本当に王家直属なんですね」

「ああ」

 隣を進むゲオルクが答えた。

「レオンハルト殿下の旗ではない?」

「違う。王族だから似た意匠は使うが、第一王弟直属の軍旗とは分けられている」

「なるほど」

 俺には、まだこの世界の紋章や軍旗を完全には見分けられない。

 第一篇の頃なら旗が違うと言われても、それが何を意味するのかまで深く考えなかったと思う。

 だが今は違う。

 同じグランヴァルトの中で、王家とレオンハルトとシュヴァルツ伯がそれぞれ動いている。

 旗が違えば、それは誰の命令で動いているかが違うということでもある。

「止まれ!」

 関所から声が飛んだ。

 先頭の騎士が手を上げる。

「全騎停止!」

 パカッ、パカッと続いていた馬蹄の音が、前から順番に止まっていく。

 こちらは四十騎。

 関所側にも少し緊張が走ったように見えた。

 五人ほどの兵士がこちらへ歩いてくる。

 先頭にいる男は四十歳前後だろう。

 背丈はそれほど高くないが肩幅が広い。短く刈られた焦げ茶色の髪には少し白いものが混じり、右の眉から頬へ細い傷が走っている。

 他の兵士より上等な胸甲を着け、腰には長剣を下げていた。

「所属と目的を」

 男が言った。

 アルベルトが一歩だけ馬を進める。

「アルヴェイン大公、アルベルト・ヴァレンシュタイン」

 男の表情が僅かに変わった。

 すぐに右拳を胸へ当てる。

「失礼いたしました。グランヴァルト王家西部街道監察隊、隊長ヴィルヘルム・ナーゲルであります」

「ナーゲル隊長か」

「はっ」

「この関所はいつ設けられた?」

 ヴィルヘルムが一瞬だけ黙る。

「お答えする前に、殿下方の目的を確認させていただいてもよろしいでしょうか」

「慎重だな」

「任務ですので」

「グランヴァルト国内の情勢確認と、西方商人との面会だ」

「軍事行動ではないと?」

 アルベルトが周囲を見渡した。

「四十騎で何を攻める」

「それでも四十騎です」

「確かにな」

 アルベルトは特に気分を害した様子もない。

 むしろ少し楽しそうに見える。

「それで、通行は?」

「現在、王国側の許可なく一定数以上の武装集団を西へ通すことを禁じられております」

「私もか?」

「大公殿下であっても例外ではありません」

 後ろにいる騎士たちの間に小さなざわめきが走った。

 だが、アルベルトは変わらない。

「理由は?」

「国内治安維持のため、とだけ申し上げます」

「誰の命令だ?」

「王都です」

「国王陛下直々か?」

「そこまでは私の立場から申し上げられません」

 答えない。

 いや、知らされていない可能性もある。

 俺は二人の会話を聞きながら関所の方へ目を向けた。

 俺たちが止められている間にも、商人の荷車は検査を受けている。

 一台が柵の前へ進む。

「積み荷は?」

「麦です」

「行き先は?」

「ベルグハーフェン」

「売却先は?」

「ヴェラー商会です」

 俺の意識が一気にそちらへ向いた。

「……ヴェラー」

 小さく呟く。

 ゲオルクがこちらを見る。

「どうした?」

「昨日聞いた名前です」

「誰だ?」

「油と縄を買っていた仲買商。ハンス・ヴェラー」

 第二話。

 街道で会った商人が言っていた。

 以前は毛皮や葡萄酒を扱っていたが、最近になって食糧や軍用になりそうな品まで買い始めた男。

 そして今回、俺たちが会おうとしている商人でもある。

「同一人物か?」

「まだ分かりません」

「名字が同じだけの可能性もあるか」

「はい」

 だからこそ、確かめる必要がある。

 関所兵が麦袋を一つ開き、中を確認する。

「数量は?」

「二十四袋です」

「証書を」

 商人が紙を渡す。

 兵士が確認し、帳面へ何かを書き込んだ。

「通れ」

 柵が開く。

 荷車が西へ進んでいく。

 次の荷車が前へ出た。

「積み荷は?」

「鉄の棒材です」

「数量」

「十二束」

「行き先」

「西南街道を通ってベルグハーフェンへ」

「売却先は?」

 商人が答える。

「クレーマー商会指定倉庫です」

 今度は俺だけではなかった。

 アルベルトも。

 ゲオルクも。

 同時にそちらを見た。

「クレーマー……」

 俺が小さく呟く。

「聞こえている」

 アルベルトが言った。

「マティアス?」

「名字だけで決めるな」

「はい」

 そう答えた直後。

 関所兵の声が強くなる。

「証書を」

 商人が紙を差し出す。

 兵士が読む。

 眉を寄せた。

「これは古い」

「昨日発行されたものです!」

「三日前から鉄材については書式が変わった」

「そんな! こちらは三日かけて来たんですよ!」

「規則だ。戻って取り直せ」

「麦は通したじゃないですか!」

「鉄とは扱いが違う」

「なぜです!」

「軍需転用できるからだ」

 商人の顔が歪む。

 しかし関所兵は譲らない。

 俺はそのやり取りを見ながら少し考えた。

「……全部を止めているわけじゃない」

「何がだ?」

 アルベルトが聞いた。

「西へ向かう物です」

「ああ」

「麦は通した。でも鉄は許可が厳しい」

「それが?」

「関所を作った目的が、単純に西へ物を入れないことではないということです」

 ヴィルヘルムがこちらを見る。

「少年」

「はい?」

「麦をすべて止めれば、街に住む人間まで飢える」

「ああ……」

「鉄は一日止めても、人は飢えん」

「それに鉄なら武器にもなる」

「そういうことだ」

 俺は関所を見る。

「じゃあ麦は?」

「何だ?」

「止めない代わりに、行き先と量と売却先を聞いてますよね」

 ヴィルヘルムの目が僅かに細くなる。

「見ていたのか」

「ずっと」

「変わった少年だな」

「よく言われます」

「麦を止めていないのは、民間の流通を完全には止めないためだ」

「でも記録は取る」

「ああ」

「誰が、どれくらい集めているか分かるように?」

 ヴィルヘルムは答えなかった。

 でも。

 表情が僅かに変わった。

 それで十分だった。

 アルベルトが口を開く。

「ナーゲル隊長」

「はっ」

「王都は物資の行き先を調べているな?」

「任務内容についてはお答えできません」

「そうか」

 アルベルトが笑った。

「何も答えておらんのに、随分満足そうですな」

「答えないことも答えの一つだ」

「厄介なお方だ」

「よく言われる」

 俺はゲオルクを見る。

「似てきました?」

「誰にだ」

「殿下に」

「やめておけ」

「ですよね」

 アルベルトから視線が飛んできたので、俺は口を閉じた。


 ◇ ◇ ◇


 結局、その場で俺たちの通行許可は下りなかった。

「大公殿下の身分確認と通行目的を王都へ送ります」

「何日掛かる?」

「早ければ明日。遅ければ三日ほど」

「三日も待っていられん」

「規則です」

「融通が利かんな」

「褒め言葉として受け取ります」

「気に入った」

「光栄です」

 何だかアルベルトとヴィルヘルムは妙に相性が良さそうだった。

「殿下」

「何だ」

「通れないならどうします?」

「待つ」

「本当に?」

「ああ」

「昨日まで急いでたのに」

「急いでいるからといって、他国の王家の関所を破るわけにはいかん」

「それはそうですけど」

「それに」

 アルベルトが関所を見る。

「ここでも目的に近づける」

「目的?」

「お前は何を聞いていた」

 思い出す。

「ハンス・ヴェラー」

「ああ」

「麦の売却先に出た」

「そうだ」

「クレーマー商会も」

「ああ」

 アルベルトが関所を指した。

「我々が会おうとしている男が、本当にマティアスと関係しているのなら、ここを通る荷から何か見えてくるかもしれん」

「なるほど」

 面会できないからといって、何もせず待つ必要はない。

「ゲオルク」

「はっ」

「十騎残せ」

「関所を見張りますか?」

「言い方が悪い。邪魔にならない場所から荷車を見るだけだ」

「承知しました」

「アレク」

「はい」

「お前も残れ」

「やっぱり」

「嫌か?」

「もう慣れました」

「成長したな」

「そこ褒めるところです?」

 アルベルトは残りの騎士たちを連れ、昨日泊まった宿場へ戻っていった。

 俺はゲオルクと十人の騎士とともに、関所から少し離れた場所に残った。


 ◇ ◇ ◇


 昼を過ぎる頃には、俺の持っている紙はかなり埋まっていた。

「麦を積んだ荷車は十二台」

 俺が読み上げる。

「塩が三台」

 隣の騎士が答える。

「干し肉が二台」

「油が四台」

「縄は二台」

「馬用の飼料が五台」

「鉄材は?」

「一台。ただし通行拒否」

 俺は紙へ書き込む。

「行き先は?」

「ベルグハーフェンが七台」

「西南街道方面が六台」

「北西は?」

「二台」

「残りは売却先不明です」

 ゲオルクが腕を組む。

「偏っているな」

「はい」

 第一話でアルベルトが言っていた。

 物の流れが北西と西南へ二つに分かれている。

 だが、この関所を通る荷物に限れば、西南へ向かう物の方が明らかに多い。

「北西側は別の街道を使ってる?」

「可能性は高い」

「昨日確認したシュヴァルツ伯の関所が北街道にある」

「ああ」

「じゃあ北西への物資は、そっちへ流れてるかもしれない」

「そう考えるのが自然だな」

 俺は地図を広げた。

「ベルグハーフェンって、どんなところです?」

「交易都市だ」

「ヴァイスブルクより大きい?」

「ああ。何より河港がある」

「川?」

 俺の指が止まった。

「ここですか?」

「そうだ」

 ゲオルクが地図上の青い線を指す。

「南へ流れ、西へ向かう支流とも繋がっている」

「船で荷物を運べる?」

「当然だ」

「荷車より?」

「一度に運べる量なら比べものにならん」

「……なるほど」

 陸路ばかり見ていた。

 荷車が大量に西へ向かうから、ずっと街道の先だけを考えていた。

 でも。

 ベルグハーフェンで船へ積み替えれば、そこから先は川を使える。

「西南へ集めてる理由って、川?」

「可能性はあるな」

「マティアスについて聞いた話」

「西部と南部の商人を繋いでいる、か」

「はい」

 少しずつ繋がってくる。

 ただし。

「それでも、まだ何のためかは分からない」

「そうだ」

 食糧。

 油。

 縄。

 飼料。

 鉄。

 どれも軍で使える。

 しかし大都市の備蓄にも使えるし、商売でも需要はある。

「本人を見ないと分からないな」

 俺が呟く。

「随分気になるようだな」

「まあ」

「なぜだ?」

 ゲオルクに聞かれ、少し考えた。

「分からないからです」

「何が?」

「マティアスが」

「それでは答えになっていない」

「ですよね」

 どう説明すればいい。

 前世で知る秀吉に似ている気がする。

 でも同じではない。

 そんな話はできない。

「前に会った時」

 俺は言葉を探した。

「普通の商人みたいに見えたんです」

「普通だったか?」

「……普通ではなかったかも」

「どっちだ」

「何というか」

 思い出す。

 マティアスは相手を怒鳴って動かしていたわけではない。

 地位を振りかざしたわけでもない。

 相手の話を聞く。

 相手が何を欲しがっているかを見る。

 そして、相手が自分から動きたくなるような話をする。

「俺たちは、基本的に命令で人を動かすでしょう?」

「殿下はな」

「マティアスは違う」

「どう違う?」

「相手が自分から動きたくなるようにする感じ」

「……」

「商人なら普通なのかもしれないけど」

 ゲオルクが少し黙った。

「それが出来る人間は多くない」

「やっぱり?」

「ああ」

 ゲオルクが地図を見る。

「兵を持たずに人を動かせるなら、それはそれで大きな力だ」

「ですよね」

「だから殿下も調べている」

「俺だけじゃない?」

「当然だ」

「良かった」

「何がだ」

「俺だけ変な人を気にしてるのかと思って」

「お前も十分変だ」

「最近みんなそれ言うなぁ」

 その時、関所から声が聞こえた。

「次!」

 俺は紙を持ち直した。

 まだ見るものはある。


 ◇ ◇ ◇


 午後。

 何十台目か分からない荷車が関所へ近づいてきた時、俺は少し違和感を覚えた。

 今までの荷車とは積み荷が違う。

 荷台に載っているのは麦袋でも樽でもない。

 木箱が四つ。

 大きさはそれほどでもないが、縄でしっかり固定されている。

 御者の隣には二十代後半ほどの若い商人が座っていた。

「止まれ!」

 兵士が荷車を止める。

「積み荷は?」

「書類です」

「書類?」

 俺も思わずそちらを見る。

「商業証書、倉庫証券、契約書です」

「行き先」

「ベルグハーフェン」

「届け先」

 若い商人が僅かに間を置いた。

「クレーマー商会」

 まただ。

 ゲオルクも気づいている。

「中を確認する」

「それは困ります」

「なぜだ?」

「取引先の契約内容が含まれておりますので」

「規則だ」

「王都商務局の封印があります」

 若い商人が別の紙を差し出す。

 兵士の顔が変わった。

「隊長!」

 ヴィルヘルムが呼ばれる。

 紙を確認する。

「……通せ」

「確認しないのですか?」

 部下が聞く。

「王都商務局の封印付きだ。免検対象になっている」

「はっ」

 柵が開く。

 荷車が動き始める。

 俺は迷った。

 でも。

「待ってください!」

 声が出た。

 ゲオルクが俺を見る。

「アレク?」

「少しだけです」

 若い商人もこちらを見る。

 俺は荷車へ近づいた。

「一つ聞いていいですか?」

「何でしょう」

「クレーマー商会って」

 少し間を置く。

「マティアス・クレーマーと関係があります?」

「……」

 一瞬だけ。

 若い商人の表情が変わった。

 警戒。

 わずかだが分かった。

「お知り合いですか?」

「一度会ったことがあります」

「お名前を伺っても?」

「アレク・ハルトマン」

 今度は明確だった。

 驚いた。

「俺を知ってる?」

「いえ」

「でも今、知ってる顔しましたよ」

「知っている顔?」

「あ」

 またやった。

「すみません」

 若い商人は少し困ったように笑った。

「マティアス様から、お名前だけは伺っております」

「俺の?」

「はい」

「何て言ってました?」

「それは……」

「アレク」

 後ろからゲオルクの声。

「はい?」

「相手を困らせるな」

「……はい」

 でも気になる。

「じゃあ最後に一つだけ」

 若い商人を見る。

「マティアスは今どこにいます?」

 男は俺を見た。

 少し迷ってから首を横へ振る。

「ベルグハーフェンにはおられません」

「じゃあ?」

「私から申し上げることはできません」

「そうですか」

「ただ」

「?」

「アレク・ハルトマン殿に会うことがあれば」

 若い商人が少し笑った。

「『まだ断るか、聞いてみたい』と以前おっしゃっていました」

「……」

 俺は固まった。

 嫌な予感がする。

 ゆっくりゲオルクを見る。

 ゲオルクもこちらを見ている。

「何を断った?」

「……」

「アレク」

「あとで話します」

「今話せ」

「荷車が待ってます」

 若い商人が苦笑した。

「では、私はこれで」

「はい」

 荷車が西へ進んでいく。

 ガラガラガラ……。

 俺はその後ろ姿を見る。

「まだ断るか……」

 以前。

 マティアスから誘われた。

 自分のところへ来ないか。

 そんな意味のことを言われた。

 俺は断った。

 アルベルトの小姓だった。

 ヴァイスブルクへ来たばかりだった。

 何より、マティアスという男をほとんど知らなかった。

 だから断った。

 それなのに。

「覚えてたのか」

 しかも。

 まだ断るか。

 つまり、また聞くつもりなのだろうか。

「アレク」

「はい」

「説明」

 ゲオルクの声が低い。

 逃げられない。

「マティアスに誘われました」

「何を」

「仕える気はないかって」

「……」

 ゲオルクの表情が変わった。

「いつだ?」

「前に会った時」

「なぜ報告しなかった」

「断ったので」

「そういう問題ではない」

「ですよね……」

「殿下は知っているのか?」

「近くにいたから知ってると思ってました」

「思ってましたではない」

「はい……」

 ゲオルクが大きく息を吐く。

「お前は時々、本当に」

「何です?」

「怖いもの知らずなのか、何も考えていないのか分からんな」

「考えてますよ!」

「その結果がこれか」

「……」

 言い返せない。

「帰ったら殿下に報告する」

「はい」

「怒られるぞ」

「やっぱり?」

「たぶんな」

「嫌だなぁ」

 でも。

 マティアスが俺の名前を覚えていた。

 断ったことも。

 なぜだろう。

 ほんの少しだけ。

 嬉しいと思ってしまった。


 ◇ ◇ ◇


 夕方。

 宿場へ戻ると、アルベルトは既に俺たちの報告を待っていた。

「アレク」

「はい」

「座れ」

 声がいつもより少し低い。

「怒ってます?」

「まだだ」

「これから?」

「内容次第だ」

「帰っていいですか?」

「座れ」

「はい」

 俺は素直に椅子へ座った。

 部屋にいるのはアルベルトとゲオルク、それから俺だけだった。

「マティアスに仕官を誘われたそうだな」

「はい」

「いつだ?」

 俺は以前マティアスと会った時のことを説明した。

 話をしたこと。

 誘われたこと。

 その場で断ったこと。

 アルベルトは最後まで口を挟まずに聞いていた。

「なぜ断った?」

「殿下の小姓なので」

「それだけか?」

「ヴァイスブルクへ来たばかりだったし」

「他には?」

「よく知らない人だったから」

 俺は正直に答えた。

「知らない人に、仕えないかって言われても困るでしょう」

 アルベルトが少し笑った。

「それはそうだ」

「……あれ?」

「何だ」

「怒らないんです?」

「なぜ怒る」

「他の人に誘われたから」

「お前は私の奴隷ではない」

「……」

 少し意外だった。

「ただし」

「はい」

「報告はしろ」

「すみません」

「次からな」

「はい」

 アルベルトが椅子へ背を預ける。

「それで」

「何です?」

「次にまた誘われたらどうする?」

「……」

 すぐには答えられなかった。

 以前なら迷わず断ると言っていたと思う。

 でも今は違う。

 マティアス本人はここにいない。

 それでも、俺たちが西へ進むほど名前が増えている。

 市場で。

 商人の噂で。

 物資の売却先で。

 倉庫で。

 契約書で。

 本人がいないのに、その動きだけがあちこちに残っている。

「分かりません」

 俺は答えた。

 アルベルトが俺を見る。

「ほう」

「まだ」

「まだ?」

「本人をもっと見ないと」

 口にしてから気づく。

 今日、若い商人が言った言葉と同じだ。

 まだ。

「仕えたいのか?」

「そこまでは思ってません」

「なら何だ」

「気になるんです」

「何が?」

「何をしてるのか」

 俺は今日見たものを説明した。

 ヴェラー商会へ向かう麦。

 クレーマー商会指定倉庫へ運ばれようとしていた鉄材。

 ベルグハーフェンに集まる物資。

 河港。

 そこから南や西へ伸びる水運。

 そして、王都商務局の封印が付いた書類。

「マティアスは、ただ物を買ってるだけじゃない気がします」

「なぜ?」

「商人同士を繋いでる」

「ああ」

「倉庫も押さえてる」

「そう見えるな」

「川も使ってるかもしれない」

「ああ」

「それに、王都の商務局とも繋がってる?」

「そこはまだ分からん」

「でも王都の封印が付いた書類がクレーマー商会へ行った」

「そうだな」

 アルベルトの表情も少し真剣になる。

「殿下」

「何だ」

「商人一人で、ここまで出来ます?」

「出来る者もいる」

「マティアスは?」

「それを見に来た」

 結局、そこへ戻る。

「……」

「アレク」

「はい」

「お前は、あの男を誰かに似ていると思っているな」

 心臓が少し跳ねた。

「何で?」

「顔に出ている」

「またそれ」

「誰だ?」

 言えない。

 豊臣秀吉。

 前世の人物。

「昔読んだ物語に出てきた人です」

「どんな男だ?」

 少し考える。

「最初は身分が低い」

「ほう」

「でも人との付き合い方が上手くて、人を使うのも上手い」

「悪口に聞こえるぞ」

「違います」

 言い方が悪かった。

「人が何を欲しいか見つけるのが上手いんです。それに戦うだけじゃなく、城を造ったり、物を集めたり、交渉したり」

「それで?」

「最後は」

 天下人。

 その言葉をこの世界で使っても意味が違う。

「国で一番大きな力を持つところまで行きます」

 アルベルトの目が少し細くなる。

「マティアスもそこまで行くと?」

「分かりません」

「似ているだけ?」

「はい」

「違うところもある?」

「いっぱいあります」

「なら別人だ」

「そうなんですけど」

「それでも気になる?」

「はい」

 アルベルトが少し笑う。

「なら見ろ」

「またそれ」

「お前が知っている物語の男ではない」

「……」

「マティアス・クレーマーを見ろ」

 その言葉は、妙に腑に落ちた。

 前世の歴史を知っている。

 でも。

 ここは日本ではない。

 マティアスも豊臣秀吉ではない。

「分かりました」

 俺は頷いた。


 ◇ ◇ ◇


 その時。

 扉が叩かれた。

「入れ」

 騎士が入ってくる。

「殿下!」

「報告」

「王家関所より使者です」

「通行許可か?」

「それが」

 騎士が少し迷った。

「王都から回答が届きました」

「早いな」

「はい」

「内容は?」

「アルヴェイン大公殿下一行の通行を許可。ただし護衛は二十騎まで」

「……」

「さらに」

「何だ」

「ベルグハーフェンより西への移動を禁ずるとのことです」

 アルベルトの表情が変わった。

「誰の署名だ」

「国王陛下ではありません」

「では?」

「宰相府です」

「名は?」

 騎士が書状を見る。

「グスタフ・フォン・ライゼンベルク」

 アルベルトが黙る。

 俺には初めて聞く名前だった。

「誰です?」

「グランヴァルト王国宰相だ」

「かなり偉い?」

「国王に次いで、国政へ大きく口を出せる者の一人だ」

「……」

 その宰相が。

 他国の大公であるアルベルトの行動範囲まで指定している。

「殿下」

「何だ」

「王都も、かなり警戒してる?」

「ああ」

 アルベルトが地図を広げる。

 王都。

 レオンハルト。

 シュヴァルツ伯。

 そして、各地を流れる物資。

「最初に思ってたより、ずっと複雑ですね」

「今さらか」

「だって」

 俺は地図を見る。

「シュヴァルツ伯が兵を集めている」

「ああ」

「レオンハルト殿下も動いている」

「ああ」

「王都は関所を作って、物資の行き先まで見ている」

「ああ」

「その間をマティアスが動いてる」

「そう見えるな」

「……誰が誰と戦うんです?」

「分からん」

「またそれ」

「分からんから来た」

「それもそうか」

 しばらく地図を見る。

 そしてアルベルトが地図を畳もうとして、手を止めた。

「明日、関所を越える」

「二十騎で?」

「ああ」

「残りは?」

「ここで待たせる」

「それで」

 俺は地図を見る。

「商人に会いに行くんですよね」

「ああ」

 アルベルトが指を置く。

 王家の関所。

 その先。

 境界に近い交易地。

「最初の目的は変わらん」

「マティアスと関係がある可能性がある男」

「そうだ」

「名前は?」

「ハンス・ヴェラー」

 俺は顔を上げた。

「昨日、油と縄を買ってたって聞いた人?」

「ああ」

「今日も名前が出ました」

「麦の売却先としてな」

「同じ人?」

「それを確かめる」

 俺は地図を見る。

 昨日聞いた名前。

 今日も出た名前。

 偶然かもしれない。

 同じ姓の別人かもしれない。

 でも。

「ヴェラーがマティアスと繋がってたら?」

「聞く」

「何を?」

「まず、何を頼まれているのか」

「物資?」

「ああ」

「誰に売ってるか」

「ああ」

「どこへ運んでるか」

「ああ」

「マティアスがどこにいるかも?」

「聞けるならな」

「素直に教えてくれます?」

「それを考えるのがお前の仕事だ」

「俺?」

「お前はマティアス本人と話したことがある」

「一回だけです」

「十分だ」

「何が十分なんです?」

「奴がどんな話し方をするか、何を見て人を動かすか、お前は少し知っている」

「……」

「私は大公だ。私が聞けば、相手は警戒する」

「俺なら?」

「十五歳の小姓だ」

「最近それ便利に使われてません?」

「便利だからな」

「認めた」

 アルベルトが少し笑った。

「だが、冗談だけではない」

 表情が戻る。

「ヴェラーがマティアスの命令で動いているなら、本人について何か知っている可能性がある」

「はい」

「逆に、ただ商売で繋がっているだけなら」

「マティアスがどうやって商人を動かしてるか分かる?」

「そうだ」

 俺は今日見たものを思い出す。

 麦も鉄も油も縄も飼料も、西へ向かっている。

 そしてクレーマー商会へ向かう書類まであった。

「目的は、マティアスを探すことじゃない?」

「探すことだけではない」

「じゃあ」

「マティアスが何を集め、誰と繋がり、どこへ流しているかを知る」

「……」

「本人がどこにいるかは、その次だ」

 なるほど。

 マティアス本人に会えなくても、周りを見れば何をしているのかは少し見える。

「殿下」

「何だ」

「ヴェラーが何も話さなかったら?」

「別の商人を当たる」

「それでも駄目なら?」

「倉庫を見る」

「それでも?」

「荷車を見る」

「それでも?」

「川を見る」

「……全部見るんですね」

「最初からそう言っている」

 アルベルトが地図を指で叩く。

「人は嘘をつく」

「はい」

「商人も嘘をつく」

「はい」

「だが、何千袋もの麦や何十台もの荷車を全部消すことはできん」

「物は残る」

「動いた跡もな」

 俺は少し笑った。

「第二篇でやってたことと同じですね」

「何がだ?」

「帳簿だけじゃなくて、実際の倉庫を見る」

「そうだな」

「言ってることと現実が合ってるかを見る」

「そういうことだ」

 戦の話なのに、やっていることは少しだけ倉庫管理に似ている。

「明日」

 アルベルトが言った。

「関所を越えたら、まずヴェラーを探す」

「はい」

「会えたら、お前も話せ」

「何を聞けばいいです?」

「それは今夜考えろ」

「また宿題?」

「お前は何を知りたい」

 すぐには答えず、考える。

 マティアスは誰に仕えているのか。

 何のために物資を集めているのか。

 レオンハルト。

 シュヴァルツ伯。

 王都。

 そのどこに立っているのか。

 そして。

「何で、あれだけ人と物を動かせるのか」

 俺は言った。

 アルベルトが少し目を細める。

「そこか」

「はい」

「なら聞いてみろ」

「本人じゃなくて商人に?」

「本人を見る前に、周囲の人間が奴をどう見ているか知るのも悪くない」

「……」

 確かに。

「アレク」

「はい」

「明日は観光ではない」

「分かってます」

「商人一人との面会だが、そこから何が出るか分からん」

「はい」

「だから聞け。見ろ。比べろ」

「……」

「分からなければ?」

「分からないって言います」

 アルベルトが笑った。

「よし」

「それ、最近褒められるところなんです?」

「少なくとも、知ったふりをするよりはましだ」

「ハインリヒ様にも言われそうだな」

「言うだろうな」

 アルベルトは地図を畳んだ。

「明日、ヴェラーに会う」

「はい」

「そこからだ」

 俺は頷いた。

 レオンハルト。

 シュヴァルツ伯。

 王都。

 そしてマティアス。

 今はまだ、それぞれの動きがどう繋がっているのか分からない。

 でも。

 ハンス・ヴェラー。

 その一人の商人が、最初の糸になるかもしれない。

 明日。

 俺たちは、その糸を掴みに行く。

今回は、グランヴァルト王家の関所を前に、アレクたちが西へ流れる物資をさらに詳しく追っていきました。


麦は通る。

鉄は厳しく止められる。

食糧についても、誰が、どこへ、どれだけ運ぶのかが記録されている。


王家側もまた、単純に道を封鎖しているのではなく、国内で誰が物資を集めているのかを探ろうとしていることが見え始めています。


そして、アレクたちが探していた名前も現れました。


ハンス・ヴェラー。


第二話では油や縄を買い集めている仲買商として名前が出ていましたが、今回は麦の売却先として再び登場しました。


さらに、クレーマー商会の指定倉庫へ向かう鉄や、王都商務局の封印が付いた書類まで確認されています。


まだ、それぞれが本当に一つの動きなのかは分かりません。


だからこそ、アレクたちは決めつけずに、実際にハンス・ヴェラーへ会いに行くことになります。


また今回、マティアスが以前アレクへ仕官を持ち掛けていたことをアルベルトが知ることになりました。


一度は迷わず断ったアレク。


しかし今は、同じことを聞かれてもすぐには答えられません。


仕えたいと決めたわけではない。


ただ、マティアス・クレーマーという男が何をしているのか、自分の目でもっと見てみたい。


その小さな変化が、今後のアレクにとって大きな意味を持っていくことになります。


王家。

レオンハルト。

シュヴァルツ伯。

そして、まだ自分の旗を持たないマティアス。


複数の思惑が絡み始める中、次にアレクたちが会うのは一人の商人です。


ハンス・ヴェラーは、マティアスへ繋がる糸なのか。


次回、その糸を実際に辿っていきます。

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