第二話 流れの向かう先
市場で見え始めた、西へ向かう物の流れ。
麦。
塩。
飼料。
鉄。
革。
そして荷車。
それらが何のために集められているのか、まだ答えは出ていません。
だからアレクたちは、帳簿の数字だけではなく、自分たちの目で確かめるために西へ向かいます。
街道を行き交う荷車。
値上がりする馬。
厳しくなった関所。
そして商人たちの間で広がる噂。
戦が始まる前から、すでに多くのものが動き始めています。
第三篇「乱世の潮目」。
今回は、その流れの向かう先を追っていきます。
翌朝。
俺は机に向かい、昨夜届いたエリーゼの手紙をもう一度読んでいた。
『ヴァイスブルクへ戻って、また仕事ばかりしていませんか』
「……してるな」
机の上には、昨日までに集めた市場の記録が積まれている。
麦。
塩。
干し肉。
飼料。
鉄。
革。
布。
荷車。
どれも西へ流れる量が増えていた。
そしてアルベルトからは、早ければ五日以内に西へ向かうと言われている。
どう考えても、しばらく落ち着いて仕事をする状況ではない。
「何て返そう」
紙を一枚取り出す。
こういう手紙を書くのは慣れていない。
前世でも、仕事のメールならいくらでも書いた。
『お世話になっております』
『承知いたしました』
『ご確認よろしくお願いいたします』
そんな文章なら考えなくても出てくる。
でも。
「エリーゼへ、か」
仕事じゃない手紙となると、急に難しくなる。
俺は羽根ペンを持った。
『エリーゼへ。
林檎は全部食べました。美味しかったです。』
「……」
固い。
消す。
『エリーゼへ。
林檎は途中で全部食べた。ありがとう。』
「こっちか」
続ける。
『ヴァイスブルクへ帰ってから仕事ばかりしている、というのは否定できません。』
「これ、自分で書く必要ある?」
少し考えたが、そのままにした。
『アルヴェインブルクでは、知らないものをたくさん見ました。中央倉庫も、市場も、領政会議も面白かったです。でも、一番分かったのは、自分が知らないことが思っていたより多いということでした。』
そこで手を止める。
エリーゼが聞きたいと言っていたのは、叔父であるアルベルトから聞いた話ではなく、俺自身が何を感じたのかだ。
「だったら……」
少し考えて続きを書いた。
『ヴァイスブルクへ戻ってから、西で物の動きがおかしくなっています。近いうちに、殿下と西へ向かうことになるかもしれません。』
書いてから、少し迷った。
これは書いていいのだろうか。
軍事機密というほど具体的なことは書いていない。
エリーゼは大公家の人間でもある。
それでも、出発日や人数までは書かない方がいいだろう。
『だから、次にアルヴェインブルクへ行くのがいつになるかは、まだ分かりません。でも、約束は覚えています。来る理由も楽しみにしています。』
最後。
『アレク』
「……これでいいか」
読み返す。
変ではない。
たぶん。
俺は紙を折り、封をした。
その時、扉が叩かれた。
「アレク」
「はい」
「入るぞ」
ゲオルクだった。
「ちょうど良かった」
「何がだ?」
「これ、アルヴェインブルク行きの便に乗せてもらえます?」
手紙を渡す。
ゲオルクが封を見る。
「エリーゼ様へ?」
「はい」
「そうか」
「何です、その顔」
「何も」
「絶対何かあるでしょう」
「何もない」
「殿下と同じ顔するのやめてください」
ゲオルクが少し笑った。
「それより準備しろ」
「もう?」
「ああ」
「五日以内って言ってませんでした?」
「五日後に出るとは言っていない」
「……嫌な言い方だ」
「今日の昼に決まった」
「いつ出発です?」
「明朝」
「早い!」
「だから準備しろと言っている」
「どこまで行くんです?」
「西方」
「それは知ってます」
「詳しいことは軍議で聞け」
「また軍議?」
「今回は出発前の確認だ」
ゲオルクが部屋を出ようとする。
「ゲオルク様」
「何だ」
「戦ですか?」
足が止まった。
「まだ違う」
「まだ?」
「我々は戦いに行くわけではない」
「じゃあ何を?」
「見に行く」
昨日アルベルトが言ったのと同じだった。
「ただし」
ゲオルクが俺を見る。
「剣は持っていけ」
「……」
「西は落ち着いていない」
「分かりました」
扉が閉まる。
俺は壁に立て掛けてある剣を見る。
昨日も握った。
久しぶりに。
そして今日。
本当に持って行くことになるらしい。
「まだ戦じゃない、か」
それがいつまで続くのかは、誰にも分からない。
◇ ◇ ◇
午後。
軍議室へ入ると、昨日より人数は少なかった。
アルベルト。
ゲオルク。
オットー男爵。
ヨハン。
そして俺。
「アレク」
「はい」
「座れ」
地図が広げられている。
昨日と同じ西方の地図だ。
だが、駒の数が増えていた。
ヴァイスブルク。
ベルン領。
その先に広がるグランヴァルト方面。
北西。
西。
南西。
それぞれの街道沿いに、小さな駒が置かれている。
「昨日の続きですか?」
「ああ」
アルベルトが一つの駒を動かした。
「情報が増えた」
「何が分かりました?」
「まず、シュヴァルツ伯だ」
地図の北西。
「兵の招集は確実。規模は少なくとも二千」
「二千……」
「まだ増える可能性がある」
「目的は?」
「不明」
次。
アルベルトの指が中央寄りへ移る。
「レオンハルト側も動いている」
「兵?」
「兵と物資だ」
「どのくらい?」
「こちらは正確な数が掴めていない」
「何で?」
「集め方が違う」
「違う?」
「シュヴァルツは領内の諸侯へ召集を掛けている。だから兵がどこへ集まっているか見れば、大まかな数が分かる」
「レオンハルトは?」
「複数の城と町へ分散させている」
「……集めてない?」
「まだな」
俺は地図を見る。
シュヴァルツ伯は軍を一か所へ集めつつある。
レオンハルトは分散。
「どっちが戦うつもりなんです?」
「両方かもしれん」
「分からない?」
「分からない」
アルベルトが俺を見る。
「嫌か?」
「最近、分からないことばっかりですね」
「乱世だからな」
「便利な言葉だなぁ」
オットーが少し笑った。
「次に」
アルベルトが南西側へ指を移す。
「マティアス・クレーマー」
俺は自然と地図へ視線を向けた。
「見つかったんですか?」
「本人の居場所ではない」
「じゃあ?」
「奴と関係がある商人が見つかった」
「どこで?」
「西方の交易都市だ」
アルベルトが地図上の街道を指す。
「ここ」
ヴァイスブルクから西へ伸びる街道。
ベルン領のさらに向こうへ続いている。
「我々は明日、ここまで進む」
「グランヴァルトへ入るんですか?」
「まだ入らん」
「じゃあ?」
「境界近くで商人と会う」
「マティアスの?」
「関係している可能性がある男だ」
「何を聞くんです?」
「それは会ってからだ」
「……」
嫌な予感がする。
「何だ」
「俺も会うんですよね」
「当然だ」
「何で?」
「お前がマティアスと話したことがあるからだ」
「殿下も話してたでしょう」
「私は大公だ」
「便利だな、その身分」
「そう思うならなってみるか?」
「絶対嫌です」
ヨハンが咳払いをした。
「殿下」
「何だ」
「本題を」
「分かっている」
アルベルトが地図へ戻る。
「人数は絞る」
「何人です?」
「騎兵四十」
「少ない」
「軍ではないからな」
「護衛?」
「ああ」
「オットー男爵は?」
「私はヴァイスブルクへ残ります」
オットーが答えた。
「城を空にするわけにはいかん」
「なるほど」
「ゲオルクは同行」
「はい」
「アレクも」
「やっぱり」
「ヨハンは残る」
「当然です」
ヨハンが即答した。
「財務室を空にするわけには参りません」
「少しくらい空けても」
「駄目です」
「ですよね」
アルベルトが俺を見る。
「その代わり」
ヨハンが書類を一冊取り出した。
「これを持って行ってください」
「何です?」
「ここ一か月の西方取引記録をまとめたものです」
「全部?」
「全部ではありません。必要と思われるものだけです」
俺は受け取った。
思ったより厚い。
「これ必要?」
「あなたが調べたのでは?」
「そうですけど」
「なら使ってください」
「重いなぁ」
「知識には重さがあります」
「絶対今考えたでしょう」
「何のことでしょう」
ヨハンの顔が少しだけ笑っている。
「それから」
アルベルトが言った。
「今回は戦わん」
「はい」
「こちらからはな」
「……」
意味が少し遅れて入ってきた。
「向こうから来たら?」
「戦う」
「ですよね」
「だから四十騎だ」
俺は地図を見る。
まだ戦ではない。
外交。
偵察。
情報収集。
でも、剣を持って行く。
騎兵も四十。
平和な旅行ではない。
「目的は三つ」
アルベルトが指を一本立てた。
「第一に、西方で動いている物資の行き先を確かめる」
二本目。
「第二に、レオンハルトとシュヴァルツの動きを見る」
三本目。
「第三に、マティアスが何をしているのかを知る」
俺は三つ目だけ妙に気になった。
「本人に会います?」
「会えるならな」
「会えなかったら?」
「情報だけ持ち帰る」
「無理に探さない?」
「そのために軍を連れて行くつもりはない」
「……」
アルベルトは大公だ。
その人が四十騎で西へ出る。
それだけでも十分危険に思える。
「殿下」
「何だ」
「自分で行く必要あります?」
「ある」
「誰かに任せるとか」
「私が見たい」
「何を?」
「潮目だ」
「潮目?」
アルベルトは地図を眺める。
「戦が起きてから、どちらにつくか考えるのでは遅い」
「……」
「兵がぶつかる前に、人が動き、金が動き、物が動く」
昨日俺が考えたことと似ている。
「その流れを見て」
アルベルトの指がグランヴァルトを横切った。
「次に誰が動くのかを読む」
「それで、誰が大きくなるかを見る?」
「ああ」
「もし」
俺は聞いた。
「その人がアルヴェインにとって危険だったら?」
「潰せるなら潰す」
即答だった。
「味方にできそうなら?」
「手を組む」
「どっちでもなかったら?」
「利用する」
「……怖いなぁ」
「政治だ」
戦場とは別の怖さがある。
「アレク」
「はい」
「お前も見ろ」
「俺も?」
「これから先、剣だけ見ていても生き残れん」
俺は黙る。
第一篇。
戦場。
第二篇。
内政。
そして第三篇。
その二つの外側。
政治。
人の思惑。
「分かると思います?」
「分からん」
「え?」
「だから見ろ」
「またそれですか」
「分からないから見るのだ」
「……」
確かに。
俺は少し笑った。
「分かりました」
「よし」
アルベルトが地図を畳む。
「明朝出る」
「はい」
「寝ておけ」
「殿下もですよ」
「努力する」
「エリーゼに言いますよ」
アルベルトの動きが止まった。
「何をだ」
「ちゃんと寝てるか心配してましたから」
「……」
「効いた」
「アレク」
「はい」
「余計なことを書くな」
「もう返事書きました」
「何を書いた」
「秘密です」
「見せろ」
「嫌です」
オットーが笑いを堪え、ゲオルクは露骨に横を向いた。
「軍議終わり!」
俺は立ち上がる。
「待て」
「準備がありますので!」
そのまま逃げた。
◇ ◇ ◇
翌朝。
まだ空が薄暗いうちから、西門前には四十騎が集まっていた。
ガチャ……。
ガチャガチャ……。
鎧と剣が擦れる。
馬が鼻を鳴らし、白い息を吐いている。
俺も馬に荷物を括り付けていた。
「重い」
「何がだ?」
ゲオルク。
「ヨハンさんの帳簿」
「捨てるなよ」
「捨てませんよ」
「なら問題ない」
「尻も痛くなるし」
「まだ乗ってもいない」
「未来が見える」
「便利な能力だな」
「嫌な未来だけです」
少し離れたところではアルベルトが騎士たちへ指示を出している。
「全員聞け!」
声が飛ぶ。
四十騎が静かになる。
「今回は戦ではない!」
アルベルトが全員を見渡す。
「こちらから剣を抜くな。街道では商人、旅人、村人の通行を優先させろ」
「はっ!」
「徴発は禁止。必要な物は金を払って買え」
「はっ!」
「勝手に村へ入るな。勝手に酒を飲むな。勝手に女を追うな」
何人かが苦笑した。
「笑った奴は特に守れ」
「はっ!」
アルベルトが俺を見る。
「アレク」
「はい?」
「お前もだ」
「何で俺?」
「念のため」
「必要ないでしょう!」
騎士たちが笑う。
アルベルトも笑った。
「出るぞ!」
西門が開く。
ギギギギ……。
外には街道が伸びている。
西へ。
ベルン領の向こう。
さらにその先。
グランヴァルトへ繋がる道。
「全騎、前進!」
パカッ。
パカッ。
馬が動き始めた。
俺は一度だけ振り返る。
ヴァイスブルクの城壁。
見慣れた西門。
トーマスが壁の上から手を振っている。
「気をつけろよー!」
「分かってる!」
「死ぬなよー!」
「縁起でもないこと言うな!」
声が遠くなる。
俺たちは西へ向かった。
◇ ◇ ◇
最初の半日は、何も起こらなかった。
街道を進む。
村を通る。
荷車とすれ違う。
時々休む。
また進む。
「平和ですね」
俺が言う。
「そう見えるか?」
アルベルトが聞いた。
「少なくとも兵はいません」
「兵だけが異変ではない」
「また何かあります?」
「見ろ」
アルベルトが前を指す。
街道脇。
数台の荷車が止まっている。
商人らしい男たちが車輪を確認していた。
「壊れた?」
「違う」
近づく。
一人の商人がこちらに気づき、慌てて頭を下げた。
「大公殿下!」
「楽にしろ」
アルベルトが馬を止める。
「何をしている」
「順番を待っております」
「順番?」
俺が聞く。
商人が少し困った顔をした。
「この先の橋でございます」
「橋?」
「荷車が多すぎまして」
俺とアルベルトが顔を見合わせる。
「どのくらい待ってるんです?」
「半刻ほど」
「いつからこうなった?」
「ここ数日です」
「何が増えた?」
「荷車です」
「それは見れば分かる」
俺が言うと、アルベルトが横目で見る。
自分が普段言っていることだと気づいたのだろう。
「積み荷は?」
俺が聞く。
「多いのは麦、干し肉、塩ですね。馬の餌を積んだ車も見ました」
やはり。
「行き先は?」
「西です」
「どこまで?」
「そこまでは」
商人が首を振る。
「あなたは?」
「私は東へ戻るところでございます」
「何を運んだんです?」
「油と縄を」
「誰に売った?」
「西方の仲買商でございます」
「名前は?」
商人が少し警戒する。
当然だ。
俺は大公の隣にいるとはいえ、知らない少年だ。
アルベルトが口を開く。
「答えられる範囲でいい」
「……ハンス・ヴェラーという男です」
「知ってる?」
俺がアルベルトを見る。
「知らん」
「俺も」
「お前に聞いていない」
「ですよね」
商人が少し笑った。
「その人、最近よく買ってるんですか?」
「はい。以前は毛皮や葡萄酒を扱う男だったのですが、このところ食糧や軍用になりそうな品まで買い集めております」
「自分で?」
「いえ」
「誰かの注文?」
「そのようです」
「誰?」
「そこまでは分かりません」
また。
分からない。
でも。
何かはある。
「ありがとうございました」
俺が言う。
商人が頭を下げる。
アルベルトはしばらく荷車を見ていた。
「アレク」
「はい」
「何が見える」
「昨日と同じです」
「それだけか?」
考える。
荷車。
橋。
渋滞。
待ち時間。
「橋が足りない?」
「違う」
「いや、足りてはないでしょう」
「そういう意味ではない」
アルベルトが笑う。
「もう一度見ろ」
荷車。
全部西へ。
いや。
違う。
「空の荷車が東へ戻ってくる」
「そうだ」
橋の向こうから来る荷車。
積み荷が少ない。
「西へ行く時は満載」
「ああ」
「帰りは空」
「何を意味する?」
俺は少し考える。
「西で売れてる」
「それだけか?」
「……戻す物がない?」
「なぜだ」
「西から東へ流れる商品が減ってる?」
「そういうことだ」
俺は橋を見る。
西へ物が吸い込まれている。
その反対側。
西から来る商品が減っている。
「西側で物を外へ出さなくなってる?」
「可能性がある」
「自分たちで使うため?」
「あるいは」
アルベルトが言う。
「売るなと言われている」
「誰に?」
「それを探しに行く」
少し背筋が寒くなった。
市場で見た数字より、実際の街道の方が分かりやすい。
物が西へ向かっている。
しかも、一方通行に近い。
「戦争の準備……」
「まだ言い切るな」
「はい」
また注意された。
でも。
その可能性は確実に高くなっている。
◇ ◇ ◇
昼過ぎ。
街道沿いの小さな宿場で休んだ。
宿場といっても、宿屋が三軒、厩舎、鍛冶場、小さな市場がある程度の場所だ。
それでも今日は人が多かった。
荷車。
商人。
馬。
御者。
明らかに普段より混雑している。
「馬が高い」
俺は厩舎の前で呟いた。
「何が?」
ゲオルク。
「値段」
売買用の馬に札が掛かっている。
「分かるのか?」
「ヴァイスブルクより高い」
「場所が違う」
「それでも」
俺は馬を見る。
立派な軍馬ではない。
農耕馬。
荷役馬。
荷車を引くための馬。
その値段が上がっている。
「聞いてみる?」
「好きだな」
「仕事です」
「便利な言葉を覚えたな」
「ヨハンさんから」
厩舎の男へ声を掛ける。
「最近、馬高くないです?」
「ああ?」
男は四十歳くらい。
日に焼けた顔。
太い腕。
俺を上から下まで見た。
「坊主、馬買うのか?」
「坊主……」
十五歳。
この世界では成人。
でも見た目は若い。
「買わないです」
「なら何だ」
「最近の値段が気になって」
「変な奴だな」
「よく言われます」
ゲオルクが後ろで笑った。
「上がってるんですか?」
「ああ。上がってる」
「何で?」
「買う奴が多いからだ」
「誰が?」
「知らん」
「軍?」
「さあな」
男が肩を竦める。
「だが荷馬は片っ端から売れる。西へ行く商人が買っていく」
「西から来る人は?」
「少ない」
「どのくらい?」
「一月前の半分くらいじゃねえか」
「商人が?」
「ああ」
「何で?」
「関所だよ」
「関所?」
初めて聞く話だった。
「西側の関所が厳しくなった」
「いつから?」
「十日くらい前だ」
「何を調べるんです?」
「荷物。行き先。誰に売るのか。武器を持ってないか。色々だ」
「西へ入る時だけ?」
「出る時もだ」
「出る時も?」
「ああ」
「商品を持ち出すのも?」
「場所によっては止められるらしい」
俺はゲオルクを見る。
表情が変わっている。
「殿下に報告を」
「ああ」
男へ礼を言い、アルベルトのところへ戻る。
「関所?」
アルベルトが聞く。
「はい。西側で検問が厳しくなってるらしいです」
「場所は?」
「複数みたいです」
「誰の領内だ」
「そこまでは」
俺が答えると、アルベルトはすぐ騎士を呼んだ。
「二騎出せ」
「はっ」
「この先の街道を確認。関所の位置と旗を見ろ。無理に近づくな」
「はっ!」
二騎が走り出す。
ドドドッ。
「これ」
俺は聞く。
「やっぱり戦の準備ですか?」
「可能性は高い」
「商品を外へ出さない」
「ああ」
「中へは入れる」
「ああ」
「……溜めてる」
「そう見えるな」
兵糧。
馬。
鉄。
革。
布。
油。
縄。
西へ。
西へ。
西へ。
まるで巨大な穴へ物が吸い込まれているようだ。
「誰が?」
俺は呟く。
「そこだ」
アルベルトも同じ場所を見ている。
「シュヴァルツか」
「レオンハルトか」
「マティアスか」
「あるいは」
「全部」
昨日と同じ答え。
「本当に面倒ですね」
「だから見に来た」
アルベルトが笑う。
でも目は笑っていなかった。
◇ ◇ ◇
夕方。
俺たちは街道沿いの宿場へ泊まることになった。
四十騎全員が一つの宿へ入ることはできないので、三軒へ分かれる。
俺はアルベルト、ゲオルク、護衛十人ほどと一番大きな宿へ入った。
一階は食堂。
今日は商人でいっぱいだった。
酒。
肉。
パン。
声。
皿が鳴る。
俺たちは奥の席へ座った。
「目立ちますね」
「仕方ない」
アルベルト。
「大公家の紋章隠せば?」
「それで襲われた時はどうする」
「なるほど」
堂々としていた方が逆に安全な場合もあるのだろう。
食事が来る。
固いパン。
肉の煮込み。
豆。
「美味しい」
「腹が減っているだけだ」
ゲオルク。
「それもあります」
食べながら周囲の会話が耳に入る。
「また値が上がった」
「塩か?」
「いや、馬だ」
「西じゃもっと高いらしいぞ」
「鉄もだ」
「儲かるな」
「今のうちだけだろ」
「戦になるって話もある」
「どことどこが?」
「知らん」
「知らないのに言うな」
「シュヴァルツ様が兵を集めてるって」
「第一王弟殿下もだろ」
「王都が黙ってるのが怖い」
俺の手が止まる。
アルベルトも聞いている。
商人たちはこちらを気にしていない。
酒が入っているから声も大きい。
「レオンハルト様が先に動くらしい」
「誰が言った」
「西から来た奴」
「俺はシュヴァルツ伯が王都へ行くって聞いたぞ」
「違う。兵を王都へ向けるんだ」
「それじゃ反乱じゃねえか」
「だから戦になるんだろ」
「マティアスって商人が全部仕切ってるって話もあるぞ」
俺は思わずそちらを見た。
アルベルトが小さく言う。
「見るな」
「でも」
「聞け」
「はい」
商人たちの会話は続く。
「マティアスは商人じゃねえ」
「じゃあ何だ」
「知らん」
「知らねえのかよ」
笑い声。
「でも、あいつが通った後は馬も食い物も全部なくなるって」
「高く買うからだろ」
「だったら俺も売りたいね」
「どこにいるんだ?」
「南だって聞いた」
「北だろ」
「西だ」
「全部違うじゃねえか!」
また笑い。
俺は煮込みを食べながら考える。
噂。
全然一致しない。
レオンハルトが攻める。
シュヴァルツが攻める。
王都へ向かう。
マティアスが南。
北。
西。
「役に立たない?」
俺が小声で聞く。
「いや」
アルベルト。
「役に立つ」
「こんなバラバラなのに?」
「同じ名前が何度も出る」
「……」
レオンハルト。
シュヴァルツ。
マティアス。
「噂の内容は信用できなくても」
「名前が広がっていること自体は事実?」
「そうだ」
なるほど。
「マティアスって、そんなに有名だったんですか?」
「以前はここまでではなかった」
「じゃあ」
「この短期間で名が広がった」
「何をしたんだろう」
「明日聞く」
「商人に?」
「ああ」
アルベルトが酒へ口をつける。
「アレク」
「はい」
「覚えておけ」
「何を?」
「噂は事実ではない」
「はい」
「だが、人が何を信じ始めているかは分かる」
「……」
「そして人間は、事実だけでは動かん」
噂。
恐怖。
期待。
儲け話。
「戦場でも?」
「特に戦場でだ」
第一篇を思い出す。
援軍が来ると思わせた煙。
偽の伝令。
敵を動かすための情報。
「噂も戦になる」
「なる」
「面倒ですね」
「何度目だ」
「この世界に来てからずっとです」
アルベルトが笑った。
◇ ◇ ◇
夜。
部屋へ戻る。
俺とゲオルクは同室だった。
「殿下は?」
「隣だ」
「寝ます?」
「たぶんな」
「怪しい」
俺は荷物からヨハンの帳簿を出した。
「まだ見るのか?」
「少しだけ」
「朝にしろ」
「忘れる前に」
今日聞いたことを書く。
橋の混雑。
西へ向かう満載の荷車。
東へ戻る空荷の車。
荷馬の値上がり。
関所の強化。
商品の持ち出し制限。
宿で聞いた噂。
文章にして残す。
単なる印象ではなく。
後から比べられるように。
「……」
「何だ?」
ゲオルクが聞く。
「前より情報多くないです?」
「何がだ」
「戦が始まる前なのに」
第一篇。
俺は何も知らなかった。
敵が来て。
鐘が鳴って。
城壁へ上がって。
その時初めて戦が始まると知った。
でも今は。
戦が始まる前から。
麦が動く。
馬が動く。
商人が動く。
噂が動く。
「戦って、始まる前の方が長いのかな」
ゲオルクが少し考える。
「場合による」
「でも」
「何が言いたい」
「剣を抜く前に、もう戦ってるのかもしれない」
「……」
ゲオルクが俺を見る。
「殿下みたいなことを言うようになったな」
「嫌だなぁ」
「なぜだ」
「性格まで似そうで」
隣の部屋から。
「聞こえているぞ!」
アルベルトの声。
「……」
俺とゲオルクが顔を見合わせる。
「寝てない」
「寝てないな」
「殿下! エリーゼに言いますよ!」
「余計なことをするな!」
ゲオルクが声を殺して笑った。
「もう寝ます」
「ああ」
帳簿を閉じる。
灯りを落とす。
布団へ入る。
でも。
なかなか眠れなかった。
マティアス。
宿の商人たちまで、その名前を知っていた。
数日前まで。
俺が気にしていただけの男。
でも今は。
商人が噂し。
アルベルトが調べ。
兵糧の動きに名前が出ている。
「何してるんだよ……」
答えは。
西にある。
俺たちは。
その流れを追っている。
◇ ◇ ◇
翌朝。
宿を出ようとした時だった。
ドドドドッ!
街道から馬蹄の音。
一騎。
昨日出した偵察騎だった。
「殿下!」
馬が宿前で止まる。
「報告!」
アルベルトが出てくる。
「言え」
「西方街道! 約二里先に臨時関所を確認!」
「旗は?」
騎士が息を整える。
「グランヴァルト王家旗!」
俺の表情が変わる。
アルベルトも目を細めた。
「レオンハルトか?」
「いいえ!」
騎士が首を振る。
「王家の正規旗です!」
「……」
周囲が静かになる。
「王都直轄?」
ゲオルクが言う。
「その可能性が高いかと!」
アルベルトが地図を開く。
「もう一つの関所は?」
「北街道にはシュヴァルツ伯旗を確認!」
「二つ……」
俺が呟く。
同じグランヴァルト。
でも違う旗。
王家。
シュヴァルツ伯。
「南は?」
「未確認です」
アルベルトがしばらく地図を見る。
「殿下」
俺が聞く。
「何だ」
「これ、どういうことです?」
「分からん」
「また」
「ああ」
アルベルトが顔を上げる。
だが、その表情は少し楽しそうだった。
「だから面白い」
「俺は面白くないです」
「行くぞ」
「関所へ?」
「ああ」
「王家の?」
「まずそちらだ」
「通してくれます?」
「それを確かめる」
アルベルトが馬へ乗る。
「全騎、準備!」
ガチャガチャッ。
騎士たちが一斉に動き始める。
俺も馬へ乗る。
西を見る。
昨日より。
さらに一歩。
グランヴァルトへ近づく。
兵はまだぶつかっていない。
誰も戦を始めたとは言っていない。
でも。
道には関所ができ。
商品は止められ。
軍需物資は集まり。
兵は招集されている。
そして。
複数の旗が立ち始めた。
潮目が。
少しずつ。
見え始めている。
「アレク!」
「はい!」
「行くぞ!」
「今行きます!」
馬腹を蹴る。
ドドッ。
四十騎が西へ動き出す。
この先。
グランヴァルトで何が起きているのか。
まだ。
俺たちは何も知らなかった。
今回は、アレクたちが実際に西へ向かいながら、第一話で見つけた「物の動き」を確かめていきました。
帳簿の数字だけでは分からなかったことも、街道へ出れば見えてきます。
西へ向かう荷車は満載なのに、東へ戻る荷車は空に近い。
荷役用の馬は値上がりし、関所では荷物の確認が厳しくなり、商品を持ち出すことまで制限され始めている。
一つ一つなら別の理由で説明できるかもしれません。
けれど、それらが同じ時期に重なれば、偶然とは考えにくくなっていきます。
そして商人たちの間では、すでにレオンハルト、シュヴァルツ伯、マティアスの名前が飛び交っていました。
噂の内容そのものが正しいとは限りません。
それでも、「誰の名前が人々の口に上るようになったのか」は、それ自体が一つの情報です。
第二篇までのアレクは、制度や物流を「人々の暮らしを支えるもの」として見てきました。
第三篇では、それがそのまま戦や政治を読む手掛かりになっていきます。
そして最後に現れた、グランヴァルト王家の関所とシュヴァルツ伯の関所。
同じ国の中に、別々の旗が立ち始めました。
まだ兵はぶつかっていません。
けれど、乱世の潮目は確実に変わり始めています。
次回、その境界でアレクたちが何を見ることになるのか。
物の流れの先にいる者たちが、少しずつ姿を現し始めます。




