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『知らない世界の知っている物語』 ~剣と知識を授かった平凡な会社員は、異世界の乱世を生き抜く~  作者: 相田 ソウ
第三篇 乱世の潮目

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32/63

第一話 西から届く兆し

第二篇でヴァイスブルクに蒔いた、小さな種。


市場を見て、帳簿を読み、倉庫を調べ、橋を架ける。


戦場とは離れた場所で学んできたことが、今度は思わぬ形でアレクの目に映ることになります。


西から増え始めた荷車。

上がり始めた麦の値段。

大量に買われていく食糧や飼料。


まだ、戦は始まっていません。


けれど、人が動くより先に、物は動き始めます。


レオンハルト。

シュヴァルツ伯。

そして、マティアス・クレーマー。


第二篇で一度遠ざかった乱世が、再びアレクのもとへ近づき始めます。

 アルヴェインブルクからヴァイスブルクへ戻って、十日ほどが過ぎた。

「三十二、三十三、三十四……」

「アレク」

「三十五……何?」

「何をしてるんだ?」

「数えてる」

「それは見れば分かるよ」

 トーマスが呆れたような顔をした。

 俺たちはヴァイスブルクの市場にいた。

 朝から人が多い。

 商人の声が飛び交い、荷車が通り、道の端では農民たちが籠に入れた野菜を並べている。

 俺が見ているのは、その中でも西門から入ってくる荷車だった。

「四十一……」

「何台まで数えるの?」

「分からない」

「じゃあ何のために数えてるんだよ」

「昨日より多い気がしたから」

「気のせいじゃない?」

「だから数えてる」

「……」

 トーマスが俺を見る。

「アルヴェインブルクに行ってから、もっと変になった?」

「酷いな」

「前は荷車の数なんか数えてなかっただろ」

「前から見てたよ」

「そこまでじゃなかった」

 そうだっただろうか。

 自分では分からない。

 ただ、アルヴェインブルクへ行ってから、物の流れを見る癖が少し強くなった気はする。

 大公都の中央倉庫。

 市場。

 取引証明所。

 あれだけ大量の物が動く場所を見たからだろう。

「四十七……」

 もう一台。

 西門から荷車が入ってきた。

 荷台には麻袋が山積みになっている。

「麦?」

 トーマスが言う。

「たぶん」

「いいじゃないか。食べ物が増えるんだから」

「うん」

 俺は荷車を見る。

 問題はそこではなかった。

「でも、何で西から?」

「何でって?」

「最近、麦は東と南から入ってくる方が多かったよね」

「そうなの?」

「市場の記録だと」

「記録まで見たの?」

「ヨハンさんに見せてもらった」

「好きだねぇ」

「好きでやってるんじゃない」

「昨日も帳簿見てたじゃん」

「仕事」

「夜まで?」

「……仕事」

「怪しい」

 俺は無視した。

 西から来る荷車が増えている。

 それだけなら、おかしいとは言えない。

 豊作だったのかもしれない。

 商人が仕入れ先を変えただけかもしれない。

 新しい街道を使い始めた可能性もある。

 理由はいくらでも考えられる。

 だから、一つだけでは何も分からない。

 でも。

「トーマス」

「何?」

「昨日、パンいくらだった?」

「知らないよ」

「一昨日は?」

「もっと知らない」

「市場来てるのに?」

「パン買う時に値段覚えてないよ」

「……」

「何、その顔」

「いや」

 普通はそうだ。

 俺の方がおかしい。

「昨日より高い?」

 近くのパン屋を見る。

 店の前に出されている小さな札。

 文字。

 値段。

「少し」

「じゃあ麦が足りない?」

「分からない」

「またそれ?」

「分からないものは分からないよ」

 荷車は増えている。

 なのに麦の値段も少し上がっている。

 普通なら供給が増えれば値段は下がりやすい。

 もちろん、そんな単純ではない。

 持ち込まれる量以上に需要が増えれば、値段は上がる。

「誰か大量に買ってる?」

「誰が?」

「それを知りたい」

 俺がそう言った時だった。

「アレク殿」

 後ろから低い声がした。

 振り返る。

「ヨハンさん」

 ヴァイスブルクの財務官、ヨハン・ケストナーが立っていた。

 いつものように書類を抱えている。

「ちょうど良かった」

「嫌な予感しかしません」

「俺もです」

 トーマスが言う。

「なぜトーマス殿まで?」

「アレクが変なこと始めたので」

「変なこと?」

「西から入る荷車を数えてます」

 ヨハンが俺を見る。

「なぜ?」

「昨日より多い気がしたので」

「それで?」

「麦の値段が上がってる」

 ヨハンの表情が少し変わった。

「お気づきでしたか」

「やっぱり?」

「こちらへ」

「どこに?」

「財務室です」

「……」

「アレク殿」

「はい」

「仕事です」

「ですよね」

 トーマスが笑う。

「頑張って」

「お前も来い」

「何で!?」

「荷車数えるの手伝ってた」

「勝手に巻き込まないでよ!」

「一人より二人」

「そういう問題じゃない!」

 結局、トーマスも一緒に城へ戻ることになった。


 ◇ ◇ ◇


 財務室。

 机の上へ、何冊もの帳簿が置かれた。

「多いなぁ……」

「まだ一部です」

「帰っていい?」

「駄目です」

「ですよね」

 ヨハンが一冊を開く。

「これは?」

「市場の穀物取引記録です」

「いつから?」

「過去四十日」

 俺はページを見る。

 日付。

 商人。

 入荷量。

 売却量。

 価格。

 完璧ではない。

 記載漏れもあるだろう。

 市場外で直接売買された分までは分からない。

 それでも傾向を見るには使える。

「ここ」

 ヨハンが指を置く。

「十日前くらいから?」

「はい」

 麦の価格が少しずつ上がっている。

 急騰ではない。

 最初は本当に僅かだ。

 しかし五日前から上がり方が少し大きくなっていた。

「入荷量は?」

「増えております」

「やっぱり」

 変だ。

「売れてる量も増えてる?」

「そこです」

 別の記録。

 市場へ入った量。

 市場で売れた量。

「合わない」

「ええ」

 第二篇で何度も見た。

 帳簿と現実の差。

 だが今回は理由が少し違う。

「市場を通ってない?」

「可能性があります」

「直接取引?」

「それもあります」

 ヨハンが別の紙を出す。

「商人組合からの報告です」

 俺は読む。

「大量注文……」

「西方の商人からです」

「麦、干し肉、塩……」

 さらに。

「馬用の飼料?」

「はい」

 俺の手が止まった。

 人間だけではない。

 馬。

 大量の食糧。

 しかも短期間。

「どのくらい?」

「正確には分かりません」

「分からない?」

「注文が複数の商人へ分散されています」

「一人が買ってるんじゃない?」

「名義は違います」

 ヨハンが俺を見る。

「ですが」

「同じところへ流れてる?」

「私もそう考えています」

 俺は椅子へ深く座った。

「誰?」

「それが分かれば苦労しません」

「ですよね」

 西。

 ベルン伯爵領。

 さらにその向こう。

 グランヴァルト。

 レオンハルト・フォン・グランヴァルト。

 シュヴァルツ伯。

 そして。

 マティアス・クレーマー。

 名前が頭に浮かぶ。

「戦?」

 トーマスが小さな声で言った。

 俺とヨハンが見る。

「何?」

「いや……」

 トーマスが少し不安そうになる。

「食べ物をいっぱい集めて、馬の餌も集めてるなら」

 言葉が続く。

「軍隊じゃないの?」

 俺は答えなかった。

 答えられなかった。

 でも。

 同じことを考えている。

「ヨハンさん」

「はい」

「殿下は?」

「既に報告しております」

「何て?」

「確認中です」

「確認?」

「軍事情報は財務官の仕事ではありません」

「ああ」

「だからこそ、確定していないことを私が勝手に決めるべきではない」

「……」

 ヨハンらしい。

 でも正しい。

「ただ」

「はい」

「何か起きていると思いますか?」

 ヨハンが少し黙った。

「思います」

「ですよね」

「しかし」

「分からない」

「はい」

 それでいい。

 今あるのは兆候だけだ。

 食料が動いている。

 価格が変わっている。

 荷車が増えた。

 だから戦争。

 そんな簡単に決めつけるべきではない。

「他に見るものは?」

「他?」

「食料以外」

 考える。

 軍隊が動くなら何が必要か。

 武器。

 防具。

 矢。

 馬。

 靴。

 布。

 酒。

 薪。

 荷車。

「鉄は?」

 ヨハンの眉が動く。

「鉄?」

「釘とか武器の材料とか」

「確認しましょう」

「革」

「革?」

「靴。馬具。荷車にも使う」

「なるほど」

「布も」

「なぜ?」

「兵の服とか、袋とか」

 前世の軍隊とは違う。

 この世界では兵士が装備の多くを自前で用意することもある。

 それでも大軍が動くなら、何かしら需要は増えるはずだ。

「それから荷車」

「荷車そのものですか?」

「はい」

 兵站。

 第二篇で散々考えた。

 大軍ほど食う。

 食えば運ばなければならない。

 歩兵一万人が強いと言っても、食糧がなければ数日で動けなくなる。

 馬が増えればさらに重い。

 前世の戦国時代でも、大軍を動かす能力は兵数だけでは決まらなかった。

 兵糧。

 街道。

 河川。

 荷駄。

 徴発。

 それを揃えられる者が長く戦える。

「調べられます?」

「市場記録だけでは足りません」

「商人に聞く?」

「それが早いでしょう」

「俺も行きます」

「駄目です」

「何で?」

「あなたは午後、殿下のところへ行ってください」

「呼ばれてる?」

「今から呼ばれます」

「今から?」

 コンコン。

 扉が叩かれた。

「失礼します!」

 兵士。

「アレク・ハルトマン殿!」

「……はい」

「大公殿下がお呼びです!」

 ヨハンを見る。

「知ってたでしょう」

「ええ」

「先に言ってくださいよ」

「今、言いました」

「ずるいなぁ」

「仕事です」

「それ言えば何でも許されると思ってません?」

「かなり」

 ヨハンが少し笑った。


 ◇ ◇ ◇


 軍議室へ入る。

 中にはアルベルトがいた。

 ゲオルク。

 オットー男爵。

 それから数人の騎士と文官。

 机の中央には地図が広げられている。

「来たか」

「はい」

 俺は地図を見る。

 アルヴェイン。

 ベルン伯爵領。

 その先。

 グランヴァルト。

 空気が少し重い。

「座れ」

「はい」

 俺が席へ着く。

 アルベルトが一枚の報告書を置いた。

「今日未明、偵察から戻った」

「どこの?」

「西方」

 指が地図を滑る。

「ベルン領を越えた先」

 グランヴァルト方面。

「何がありました?」

「兵が動いている」

 やはり。

「誰の?」

「まだ断定できん」

 アルベルトが続ける。

「だが少なくとも三つの動きが確認されている」

 指。

 一つ。

「シュヴァルツ伯領で兵の招集」

 二つ。

「レオンハルト・フォン・グランヴァルトの勢力圏でも兵と物資が動いている」

 三つ。

「そして」

 少し離れた街道。

「複数の商人が大量の兵糧を買い集めている」

「……マティアス?」

 思わず名前が出た。

 アルベルトが俺を見る。

「なぜそう思った?」

「いや」

「答えろ」

「前に会った時」

 思い出す。

 マティアス・クレーマー。

 兵士ではない。

 少なくとも最初に見た印象はそうだった。

 だが、人を見る目。

 商人との付き合い。

 物資を見る時の視線。

 何より、人や物を動かすことへの感覚が普通ではなかった。

「物を集めるのが得意そうだったから」

「それだけか?」

「それだけです」

「なら断定するな」

「はい」

 その通りだ。

 似ているから。

 やりそうだから。

 それだけで決めてはいけない。

「ただし」

 アルベルトが一枚の紙を出した。

「名前は出ている」

「え?」

 報告書。

 商人からの聞き取り。

 その中に。

 マティアス・クレーマー。

「……」

 俺は思わず身を乗り出した。

「直接買ってる?」

「違う」

「じゃあ?」

「商人の仲介をしている」

「仲介?」

「誰と誰を?」

「まだ分からん」

 ゲオルクが答えた。

「ただ、グランヴァルト西部と南部の商人を繋いでいるという話がある」

「何のために?」

「それを調べている」

 アルベルトが俺を見る。

「どう思う?」

「分かりません」

 以前なら、そこで終わっていたかもしれない。

 でも。

「ただ」

「何だ」

「気になることがあります」

 アルベルトの目が少し変わる。

「言え」

「西からヴァイスブルクへ入ってくる麦が増えてます」

「ほう」

「なのに値段も上がってる」

 ヨハンと見た内容を説明する。

 麦。

 干し肉。

 塩。

 飼料。

 複数の商人への大量注文。

「誰かが大量に買ってると思います」

 オットー男爵が地図を見る。

「軍のためか?」

「分かりません」

「またか」

「でも」

 俺は地図を見る。

「もし軍なら、食べ物だけじゃないと思います」

「続けろ」

「鉄、革、布、荷車。そういう物も動くはずです」

「なぜ荷車だ」

 騎士の一人が聞く。

「食べ物を運ぶからです」

「現地で徴発すればいい」

「できます」

「なら」

「でも、いつでも欲しい場所に食べ物があるとは限らない」

 俺は地図を指す。

「それに」

 街道。

 村。

 山。

 川。

「何千人も集めたら、一日で食べる量も大きくなる」

「どの程度だ」

「兵の人数によります」

「仮に五千」

 アルベルト。

「五千……」

 簡単に考える。

 一人一日一キロなら五トン。

 実際は穀物だけではない。

 馬もいる。

 荷役人もいる。

 でも、この世界でキログラムと言っても通じない。

「一人が一日に食べる麦を少なめに見ても、五千人なら毎日かなりの量です。十日なら、その十倍」

「当たり前だ」

「はい。でも」

 俺は続ける。

「五千人を集めたことより、五千人を何日食わせられるかの方が気になります」

 軍議室が少し静かになる。

「兵が多い方が強い」

「普通はそうだ」

「でも食べ物がなくなったら?」

「戦えん」

 オットー。

「だから」

 地図を見る。

「今、大量に物を集めてる人がいるなら」

 そこが。

「誰が本気で長く戦うつもりなのか、分かるかもしれない」

 アルベルトが俺を見る。

 少しだけ口元が上がった。

「第二篇で覚えたことか?」

「何です?」

「物を見ることだ」

「ああ」

「市場と倉庫を見続けた成果だな」

「たぶん」

「使えそうか?」

 オットーが聞く。

 アルベルトはすぐには答えなかった。

「確かめる」

「どうやって?」

「商人だ」

「商人?」

「軍より早く物の動きを知る者がいる」

 なるほど。

 戦場の偵察だけではない。

 商人。

 馬商。

 鍛冶屋。

 宿屋。

 運送をする者。

 軍が動けば、その前から何かが変わる。

「アレク」

「はい」

「明日から市場で聞き込みを――」

「やります」

「最後まで聞け」

「すみません」

「お前だけではない」

「え?」

「ヨハンの部下を付ける」

「財務官の?」

「市場記録を読める者が必要だ」

「確かに」

「それから、結果を毎日報告しろ」

「殿下に?」

「ああ」

「軍事の話なのに?」

「お前が見ているのは軍ではない」

「物」

「そうだ」

 アルベルトが地図を見る。

「軍の動きはこちらで見る」

「はい」

「お前は物の動きを見ろ」

「分かりました」

 俺は頷いた。

 変な気分だった。

 第一篇。

 ヴァイスブルクの戦い。

 あの頃は、戦場で何が起きているのか理解するだけで精一杯だった。

 敵の配置。

 兵数。

 騎兵。

 槍。

 城壁。

 それしか見えていなかった。

 第二篇では市場と橋と倉庫を見た。

 そして今。

 その二つが繋がり始めている。

「殿下」

「何だ」

「これ」

「何だ?」

「戦争なんですか?」

 軍議室が少し静かになる。

 アルベルトは地図を見た。

「まだ分からん」

「でも」

「兵は動いている」

「はい」

「物も動いている」

「はい」

「なら」

 アルベルトの指がグランヴァルトへ触れる。

「戦わずに終わる可能性は、日に日に小さくなっている」

 俺は地図を見た。

 レオンハルト。

 シュヴァルツ伯。

 マティアス。

 三つの名前。

 いや。

 たぶん、もっと多くの人間が動いている。

 その一人一人に目的がある。

 俺にはまだ見えない。

「何が起きてるんだ……」

 誰に聞かせるでもなく呟いた。


 ◇ ◇ ◇


 翌日から、俺は市場を歩き回った。

 いつもの市場だ。

 でも見るものが変わった。

「鉄?」

 鍛冶屋の親方が首を傾げる。

「最近、値段上がってません?」

「ああ。少しな」

「何で?」

「仕入れが悪い」

「どこから?」

「西」

 やはり。

「革は?」

 革商人。

「高くなったよ」

「いつから?」

「半月くらい前だな」

「誰か大量に買ってる?」

「馬具屋が買ってるって話は聞いた」

「どこの?」

「知らん」

 次。

 布。

「粗い麻布が足りない?」

「兵の服に使うような物だ」

「誰が?」

「商人がまとめて買っていった」

「名前は?」

「覚えてない」

 次。

 荷車。

「注文?」

「増えた」

「何台?」

「十台以上」

「普段は?」

「一月に二、三台作れば多い」

「急に?」

「ああ」

「誰が買った?」

「西の商人」

「名前は?」

「……何だったかな」

 全部。

 少しずつ。

 繋がる。

 でも。

 まだ決められない。

 俺は城へ戻り、紙へ書いた。

『麦――価格上昇、入荷増加』

『干し肉――大口注文あり』

『塩――西方商人の購入増加』

『馬用飼料――大量注文』

『鉄――価格上昇』

『革――馬具向け需要増加』

『粗布――大量購入』

『荷車――通常以上の注文』

 トーマスが横から覗く。

「戦争だよ」

「まだ分からない」

「これだけあって?」

「別々の理由かもしれない」

「本当に?」

「たぶん違うと思う」

「じゃあ」

「でも証拠はない」

 紙を見る。

 前世なら。

 何だっただろう。

 先行指標。

 需要の急増。

 市場データ。

 そういう言葉があった。

 でも。

 ここではそんな名前はどうでもいい。

「何かが起きる前に」

 俺は呟く。

「物が先に動く」

「?」

「兵士が戦場へ行く前に、食べ物を集める。武器を直す。馬具を作る。荷車を用意する」

「うん」

「だから」

 戦場を見るより先に。

「市場を見れば、戦が近いって分かることもある」

 トーマスが俺を見る。

「市場で戦争が分かるの?」

「たぶん」

「すごいな」

「俺がすごいんじゃないよ」

「でも気づいた」

「第二篇でずっと市場を見てたから」

「……」

「無駄じゃなかったんだな」

 自分で言ってから。

 少し嬉しくなった。

 橋。

 帳簿。

 市場。

 倉庫。

 戦争とは関係ないと思っていた。

 でも違った。

 国を動かすものは全部、どこかで繋がっている。


 ◇ ◇ ◇


 その夜。

 アルベルトへ報告する。

「ほぼ間違いないな」

 アルベルトが紙を見る。

「軍需?」

「ああ」

「誰の?」

「まだ分からん」

「レオンハルト?」

「可能性はある」

「シュヴァルツ伯?」

「ある」

「マティアス?」

「ある」

「全部?」

「それもある」

「面倒ですね」

「乱世だからな」

 アルベルトが地図へ視線を落とす。

「だが一つ分かった」

「何が?」

「かなりの規模だ」

「やっぱり?」

「これだけの物資が必要になる軍勢だ」

 アルベルトの指が街道を辿る。

「そして」

「?」

「一か所ではない」

「え?」

「物の流れが二つに分かれている」

 俺は地図へ近づく。

「どこ?」

「北西と西南」

「二つの軍?」

「可能性がある」

「レオンハルトとシュヴァルツ?」

「まだ名前を当てるな」

「はい」

 また言われた。

 でも必要だ。

 思い込みは危ない。

「殿下」

「何だ」

「マティアスは?」

「何が聞きたい」

「どっちにいるんです?」

「それを知りたいのは私もだ」

 アルベルトが椅子へ座る。

「アレク」

「はい」

「以前、あの男に会った時、どう思った?」

 マティアス。

 思い出す。

「変な人」

「お前が言うか」

「殿下まで」

「他には?」

 少し考える。

「人を見るのが上手い」

「ほう」

「商人と話してる時、相手が何を欲しがってるか先に分かってるみたいでした」

「他」

「物の値段より」

 思い出す。

「その物を誰が欲しがるかを見てた」

「……」

「俺とはちょっと違う」

「どう違う?」

「俺は麦を見たら、いくらとか、何袋とか、どこから来たとか考える」

「奴は?」

「この麦を誰に売れば、一番動くかを考えてる感じ」

 アルベルトが黙った。

「違います?」

「いや」

 少し笑う。

「面白い見方だ」

「褒めてます?」

「たぶん」

「エリーゼと同じこと言うなぁ」

「何?」

「何でもありません」

 危ない。

 アルベルトが少し目を細める。

「アレク」

「はい?」

「エリーゼと何を話した」

「今関係ないでしょう!」

「そうか」

「絶対楽しんでる」

 アルベルトが笑った。

 だが、すぐに表情が戻る。

「マティアスについては情報を集めている」

「はい」

「近いうちに動く」

「誰が?」

「私たちだ」

「……」

 俺はアルベルトを見る。

「西へ?」

「ああ」

「戦うんですか?」

「まだ決めていない」

「じゃあ?」

「見る」

「何を?」

「全部だ」

 アルベルトが地図を指す。

「レオンハルト」

 次。

「シュヴァルツ」

 そして。

「マティアス」

 俺は三つの場所を見る。

「アレク」

「はい」

「準備しておけ」

「いつ出ます?」

「早ければ五日以内」

「また馬?」

「嫌か?」

「尻が痛くなるので」

「慣れろ」

「最近は馬に乗らなくて済んでたのに」

「残念だったな」

「全然残念じゃないです」

 アルベルトが笑う。

「今回は戦場へ行くとは限らん」

「本当ですか?」

「ああ」

「じゃあ何しに?」

「乱世がどう動くか見に行く」

「……」

「そして」

 アルベルトの指がグランヴァルトへ伸びる。

「誰が次に大きくなるのかを見る」

 その言葉に。

 俺の胸が僅かに動いた。

 誰が大きくなる。

 その言い方。

 前世。

 戦国時代。

 群雄。

 大名。

 その中から少しずつ抜け出していった者たち。

 織田信長。

 豊臣秀吉。

 徳川家康。

 でも。

 ここは日本ではない。

 同じ歴史にはならない。

 分かっている。

 それなのに。

 マティアス・クレーマー。

 あの男を思い出すと。

 どうしても。

「……似てるんだよな」

「何が?」

「いや」

「言え」

「まだ分からないので」

「そうか」

 アルベルトは追及しなかった。

 その時。

 コンコン。

 扉が叩かれた。

「入れ」

 兵士が入る。

「殿下」

「何だ」

「アルヴェインブルクより書状です」

「誰から?」

「エリーゼ様より」

「……」

 アルベルト。

 俺。

 兵士。

 一瞬。

 沈黙。

「誰宛だ」

「アレク・ハルトマン殿へ」

「……」

 嫌な予感。

 アルベルトがゆっくり俺を見る。

「アレク」

「はい」

「エリーゼと何を話した?」

「だから何もしてませんって!」

「書状が来ているぞ」

「手紙くらい送るでしょう!」

「私には来ていない」

「知らないですよ!」

 兵士が笑いを堪えている。

「殿下、先に仕事してください!」

「これも重要だ」

「絶対違う!」

 俺は兵士から書状を受け取った。

 封蝋。

 ヴァレンシュタイン家の印。

「読むのか?」

「自分の部屋で読みます」

「ここで読め」

「嫌です」

「なぜ」

「殿下がいるから」

「私は大公だぞ」

「だからです!」

 アルベルトが声を上げて笑った。

 俺は書状を持って部屋を出る。

 まったく。

 何なんだ。

 でも。

 少しだけ。

 口元が緩んでいることに気づいた。


 ◇ ◇ ◇


 自室へ戻り、椅子へ座った。

 封を開く。

 中には一枚の紙。

 エリーゼの字。

『アレクへ。

 ヴァイスブルクへ戻って、また仕事ばかりしていませんか。

 叔父様から聞く前に、あなた自身からアルヴェインブルクで何を見たのか聞きたいと思っています。

 次に来た時には、前に話した「来る理由」も用意しておきます。

 それから、林檎は途中で全部食べましたか?

 エリーゼ』

「……」

 短い。

 でも。

 何となくエリーゼらしい。

「仕事ばかりって」

 俺は机を見る。

 市場の記録。

 荷車の記録。

 麦。

 鉄。

 革。

 布。

「……してるな」

 否定できない。

 少し笑った。

 返事は明日にしよう。

 そう思って、手紙を机の端へ置いた。

 窓の外。

 ヴァイスブルクの夜。

 市場の灯り。

 西門。

 その向こうには街道が続いている。

 ベルン領。

 さらにその先。

 グランヴァルト。

 今。

 そこで何かが動き始めている。

 兵。

 食糧。

 商人。

 領主。

 王族。

 そして。

 マティアス・クレーマー。

「誰なんだろうな」

 秀吉なのか。

 違うのか。

 そもそも、そういう見方をすること自体が間違っているのかもしれない。

 前世の歴史は。

 答えではない。

 似たものを見つけるための手掛かりに過ぎない。

 この世界には、この世界の人間がいる。

 俺はそれを何度も学んだ。

「だから」

 自分で見ればいい。

 レオンハルトも。

 シュヴァルツ伯も。

 マティアスも。

 そして。

 これから起きる戦も。

 俺は机の上に置かれた地図を見る。

 第二篇では。

 橋を架けた。

 市場を整えた。

 帳簿を見た。

 種を蒔いた。

 その小さな種が芽を出し始めたところで。

 また。

 乱世の方から俺を呼びに来た。

「五日か」

 剣を見る。

 最近は帳簿ばかり触っていた手で、柄を握る。

 重さ。

 懐かしい。

 そして。

 少し怖い。

「また始まるのかな」

 答える者はいない。

 でも。

 西では既に、物が動いている。

 人も動いている。

 なら。

 戦が始まる時は。

 俺が思っているより、ずっと近いのかもしれない。

第三篇、開幕です。


第一篇では戦場そのものを見ていたアレク。


第二篇では、市場や物流、倉庫、帳簿といった、戦とは一見関係のないものを見てきました。


そして第三篇では、その二つが繋がり始めます。


兵を動かすなら、食べさせなければならない。

馬を使うなら、飼料が必要になる。

物資を運ぶなら、荷車がいる。

武器や馬具を整えるなら、鉄や革も必要になる。


軍勢が姿を現すより前に、市場ではすでに戦の準備が始まっている。


今回アレクが見つけたのは、そんな小さな兆しでした。


もちろん、物価が上がったから戦争だと即断できるわけではありません。


だからこそアレクは、「分からない」と認めながら、その中で気になるものを一つずつ拾っていきます。


第二篇で学んだことが無駄ではなかったと、アレク自身が初めて実感する回でもありました。


そして西では、レオンハルト・フォン・グランヴァルト、シュヴァルツ伯、マティアス・クレーマーを中心に、複数の思惑が動き始めています。


その中でも、アレクがどうしても気になってしまうマティアスという男。


前世で知る誰かに似ているようで、まだ何者なのかは分からない。


答えを歴史の中に探すのではなく、自分の目で確かめる。


第三篇では、そんなアレクの変化も描いていきます。


そして最後には、エリーゼから届いた一通の手紙。


乱世が近づく中でも、戦や政治だけではなく、アレクが築いてきた人との繋がりも続いていきます。


西では、すでに兵より先に物が動き始めています。


次に動くのは、誰なのか。


第三篇の物語が、ここから本格的に始まります。

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