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『知らない世界で、前世の知識が武器になる』 ~剣と銃で乱世を生き抜く転生領主の成り上がり~  作者: 相田 ソウ
第三篇 乱世の潮目

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第一話 西から届く兆し

アルヴェインブルクからヴァイスブルクへ戻ったアレクは、市場を行き交う荷車と麦の値上がりに違和感を覚えます。まだ戦は始まっていません。しかし西では、兵より先に物資が動き始めていました。

 アルヴェインブルクからヴァイスブルクへ戻って、十日ほどが過ぎた。

 朝の市場には、荷車の車輪が石畳を転がる音と、商人たちの呼び声が絶え間なく響いていた。東門や南門から運び込まれた野菜、麦、干し肉、塩などが露店や倉庫へ運ばれ、店を開く者たちが忙しく行き交っている。

 戦が終わった直後には空いていた店先にも品物が戻り、人の流れだけを見れば、町は以前の暮らしを取り戻しつつあるように見えた。

 しかし、アレクが見ていたのは露店ではなかった。

「四十二台目」

 西門へ向かう荷車を目で追いながら、アレクが呟いた。

 荷台には麻袋が積み上げられ、その上から雨除けの布が掛けられている。車輪が石畳の窪みへ落ちるたび、御者が手綱を引き、荷崩れを起こしていないか振り返っていた。

「まだ数えるのか?」

 隣に立つトーマスが、呆れたように尋ねた。

「もう少し」

「何台になったら終わるんだ?」

「昨日より多いか確かめられたら」

「昨日は何台だった?」

「同じ刻限までに三十六台」

「覚えていたのか……」

「門番が残した記録にも書いてある」

「自分で数えたうえに、記録まで確認したのか?」

 トーマスは、理解できないものを見るようにアレクを見た。

「アルヴェインブルクへ行ってから、前より変になってないか?」

「酷い言い方だな」

「以前は、道端に立って荷車を数えたりしてなかっただろ」

「以前から見てはいたよ」

「ここまでじゃなかった」

 否定しようとしたアレクだったが、アルヴェインブルクで見たものを思い出して口を閉じた。

 大公都の中央倉庫には、軍用、救荒用、城内消費用に分けられた大量の物資が保管されていた。市場には各地から荷が集まり、取引証明所では、それらが誰から誰へ渡ったのかが記録されていた。

 ヴァイスブルクへ戻ってからも、荷車を見れば、どこから来て、どこへ向かうのかを考えるようになっている。

 その癖が以前からあったものなのか、大公都で強くなったものなのかは、アレク自身にも分からなかった。

「四十三台目」

 新たな荷車が市場を抜け、西門へ向かう。

「また麦かな」

 トーマスが荷台を見上げた。

「たぶん。袋の形と積み方が同じだから」

「食べ物が増えるなら、いいことじゃないか」

「町に残るならね」

「残らないのか?」

「あの荷車は西門へ向かってる」

 ヴァイスブルクへ入ってきた荷ではない。市場や倉庫で積み直され、これから西へ出ていく荷だった。

 西門の外にはベルン伯爵領へ続く街道があり、さらに進めばグランヴァルト方面へ至る。第二次ヴァイスブルクの戦いが終わってから、街道を通る商人は少しずつ戻っていた。

 交易が再開した結果だと言われれば、それまでである。

 だが、西へ向かう荷車は昨日より多く、その荷台には食料が目立った。

「東門と南門から入った荷が、西門から出ていってるんだよ」

「商人なんだから、買った物を別の町へ運ぶだろ」

「うん。それ自体はおかしくない」

「じゃあ、何が気になるんだ?」

 アレクは市場の一角にあるパン屋を示した。

 焼き上がった黒パンが木棚へ並び、その横には値段を記した小さな札が置かれている。

「あのパン、十日前より少し高くなってる」

「そうなのか?」

「気づいてなかった?」

「食べたかったら買うし、高かったら少し小さい物にする。前の値段まで覚えてないよ」

「それが普通なんだろうな」

「今、馬鹿にした?」

「してない」

 アレクはもう一度、西門へ向かう荷車を見た。

 東や南から入る麦の量は増えている。それにもかかわらず、町で売られるパンの値段も上がっていた。

 入ってくる量以上に、買い求める者が増えているのだとすれば説明はつく。西へ向かう荷車が増えたこととも結びつく。

 もちろん、まだ断定はできない。

 豊作になった地域から仕入れ先を変えただけかもしれない。街道が安全になり、止まっていた取引がまとめて再開した可能性もある。麦の質が変わり、値段が上がったとも考えられる。

 一つの変化だけなら、理由はいくらでもあった。

「アレク殿」

 背後から低い声が掛かった。

 振り返ると、書類を抱えたヨハン・ケストナーが立っている。

「ヨハンさん。ちょうど聞きたいことがありました」

「その言葉を聞くと、仕事が増える予感がします」

「俺も同じことを思いました」

 トーマスが答えると、ヨハンが視線を向けた。

「なぜトーマス殿までいるのです?」

「アレクが西門へ向かう荷車を数え始めたので、付き合わされています」

「昨日より多い気がしたんです」

 アレクが説明すると、ヨハンの表情が僅かに変わった。

「何を積んでいるかも見ましたか?」

「麦が多いと思います。干し肉や塩らしい荷もありました。ただ、布を掛けている荷車までは分かりません」

「こちらへ来てください」

「どこへ?」

「財務室です」

「やっぱり仕事になるんですね」

「アレク殿が仕事にしたのです」

 ヨハンはそう答えると、城へ向かって歩き始めた。

 アレクも後に続く。

 トーマスだけは、その場に残ろうとした。

「頑張れ」

「トーマスも来て」

「何でだよ」

「途中まで一緒に数えてただろ」

「俺は横で見ていただけだ」

「二人の方が、見落としを確認できます」

 ヨハンにまで言われ、トーマスは諦めたように二人の後を追った。


 ◇ ◇ ◇


 財務室の机には、過去四十日分の市場記録が並べられていた。

 市場へ入った穀物の量、売り手となった商人、取引された量、価格、市場税として納められた金額。記載方法が揃えられたことで、以前より数字を比べやすくなっている。

 すべての取引が記録されているわけではない。

 市場の外で直接売買された品や、役人へ届け出ずに運ばれた荷もある。それでも、町全体で起きている変化を知る手掛かりにはなった。

「麦の入荷量は、十日前から増えています」

 ヨハンが一冊の帳簿を開いた。

「東部と南部から来た商人が中心です。西方から入る麦は、むしろ減っています」

「それなのに、値段は上がってる」

「急騰というほどではありません。ですが、五日前から上がり方が大きくなりました」

 アレクは、日付ごとに並べられた数字を追った。

 麦が不足しているだけなら、入荷量が増えれば値上がりは緩やかになるはずだった。ところが、実際には入ってくる麦も、価格も、同時に上がっている。

「入ってきた麦は、誰が買っているんですか?」

「市場内で記録された売却量だけでは、入荷量と合いません」

 ヨハンが別の帳簿を示した。

 市場で一般の客や町の商人へ売られた量より、門を通って入った麦の方が明らかに多い。通常なら倉庫に在庫として残るが、倉庫番から提出された記録にも、それほどの増加はなかった。

「市場へ入った後、帳簿に残る前にまとめて買われている?」

「その可能性があります。市場を通さず、倉庫や荷車の上で取引を終えているのでしょう」

「市場税は?」

「大口取引として別に納められています。取引自体を隠しているわけではありません」

 ヨハンが商人組合から届いた報告を広げる。

 そこには、麦、干し肉、塩、豆、馬用の飼料など、複数の大口注文が記されていた。

 依頼を受けた商人は一人ではない。少なくとも七つの名義に分かれている。注文された日も、受け渡し場所も少しずつ異なっていた。

「これだけ分かれていたら、別々の注文に見えますね」

「実際に別の者が買っている可能性もあります」

「でも、運ぶ方角は同じ?」

「現在確認できている荷は、ほとんどが西門を出ています」

 アレクが市場で見ていた荷車と一致する。

「買い手は西方の商人ですか?」

「名義上はそうなっています。しかし、最終的に誰へ渡すのかまでは分かりません」

「どこかで、また売るかもしれない」

「商人は品物を一度しか売らないとは限りませんから」

 注文者の名前だけ追っても、本当の買い手へたどり着けるとは限らない。小さな商会が品を買い、それを別の商会へ売り、最後に領主や軍が受け取ることもある。

 誰が何を買ったかではなく、最終的にどこへ集まっているかを確かめる必要があった。

「馬の飼料まで増えているのは気になります」

 アレクが報告書の一行を指した。

「人が食べる物だけではありませんね」

「遠くへ荷を運ぶなら、荷馬車の馬にも必要だろ」

 トーマスが言った。

「それもある」

「ほかには?」

「騎兵」

 アレクの答えに、トーマスの顔から笑みが消えた。

「軍が買ってるのか?」

「まだ分からない」

「食べ物と馬の餌を、これだけ集めてるんだろ?」

「大きな商隊を動かすためかもしれないし、冬へ備えているのかもしれない。西のどこかで不作になった可能性もある」

「でも、アレクも軍かもしれないと思ってるんだよな」

「思ってる。だから確かめたい」

 アレクは食料以外に必要となる物を考えた。

 兵を集めれば、食べさせるだけでは足りない。壊れた武器や馬具を直し、矢を補充し、荷を運ぶ道具を用意しなければならない。野営が長引けば、衣服や靴も傷む。

「鉄の取引は調べられますか?」

「武器の材料としてですか?」

「武器だけではありません。荷車の軸や車輪を補強する金具、馬の蹄鉄、釘にも使います」

 ヨハンが新しい紙へ書き留める。

「革もです。馬具や靴に使う。粗い布も、服や袋、天幕に必要になります」

「縄と木材も要るんじゃないか?」

 トーマスが口を挟んだ。

「荷車を増やすなら必要だな」

「俺も役に立った?」

「珍しく」

「もう手伝わないぞ」

「今のは冗談だよ」

「顔が笑ってない」

 二人のやり取りを聞き流しながら、ヨハンは調べる品を書き加えた。

「市場の帳簿だけでは分かりません。鉄なら鍛冶屋、革なら革商人、荷車なら車大工へ聞く必要があります」

「商人組合にも聞きます」

「あなた一人で回るつもりですか?」

「その方が早いでしょう」

「一人ですべて聞けば遅くなります。私の部下と市場役人を使います」

 アレクは返事を止めた。

 以前なら、自分で一軒ずつ回ることを最初に考えていた。だが、調べる対象は多く、同じ日のうちに聞かなければ、情報の時期もずれてしまう。

「では、品ごとに分けましょう。俺は荷車と鉄を見ます」

「決める前に、アルベルト殿下へ報告してください」

「もう報告しているんですよね?」

「市場の価格と大口注文については」

「だから、俺が荷車を見ていた時に驚かなかったんですか」

「気づいていない相手へ、先に答えを教える必要はありません」

「アルベルト様に似てきてません?」

「長く仕えておりますので」

 ヨハンが僅かに笑った直後、財務室の扉が叩かれた。

「失礼します。アレク・ハルトマン殿、大公殿下がお呼びです」

 入ってきた兵士が告げる。

「これも知っていました?」

「呼ばれるだろうとは思っていました」

「先に言ってくださいよ」

「今、使者が伝えました」

 ヨハンは帳簿を閉じた。

「市場の記録はこちらでまとめます。アレク殿は、見たものと考えたことを殿下へ報告してください」

「分かりました」

 アレクが立ち上がると、トーマスも席を離れようとした。

「トーマス殿」

「はい?」

「荷車と粗布について、気づいたことを書記へ伝えてから帰ってください」

「俺もまだ仕事があるんですか?」

「一人より二人の方が、見落としを確認できるのでしょう?」

 先ほど自分が使った言葉を返され、トーマスはアレクを睨んだ。

 アレクは視線を逸らし、そのまま財務室を出た。


 ◇ ◇ ◇


 軍議室にはアルベルト、ゲオルク、ヴァイス男爵のほか、数人の騎士と文官が集まっていた。

 中央の長机には、アルヴェイン大公国西部からベルン伯爵領、その先にあるグランヴァルト西部までを描いた地図が広げられている。

「来たか」

「はい」

「座れ」

 アレクが空いている席へ着くと、アルベルトは地図の上へ三つの駒を置いた。

「今日未明、西方へ出していた斥候が戻った」

「何が分かったのですか?」

「少なくとも三つの動きがある」

 アルベルトが最初の駒を指す。

「シュヴァルツ伯領で兵の招集が始まっている。領内の複数の城から、武装した兵が本城方面へ向かった」

 二つ目の駒は、そこから少し離れた場所へ置かれていた。

「レオンハルトの勢力圏でも、兵と物資が動いている。数も目的も確定していないが、単なる城の守備交代ではないだろう」

「また戦うつもりでしょうか」

「分からん。互いに兵を見せ、交渉を有利にするだけかもしれない」

 アレクは三つ目の駒を見た。

 それは城ではなく、複数の街道が交わる場所に置かれている。

「こちらは?」

「複数の商人が、食料と飼料を買い集めている」

「マティアスですか?」

 名前が自然に口から出た。

 軍議室にいる者たちの視線が集まる。

「なぜ、そう思う」

 アルベルトが尋ねた。

「以前会った時、人と物を動かすことに慣れているように見えました。これだけ多くの商人が同じ時期に動くなら、誰かが間に入っているのではないかと」

「それだけか?」

「はい」

「なら、マティアスが動かしたと断定するな」

「分かっています」

 似た動きだから、あの男が関わっているはずだ。

 そう決めてしまえば、別の者が動かしている可能性を見落とす。アレクが口にしたのは推測であり、確認できた事実ではなかった。

「ただし、商人から聞き取った報告には、マティアス・クレーマーの名が出ている」

 アルベルトが一枚の紙を差し出した。

 アレクは思わず身を乗り出した。

「直接、食料を買ったのですか?」

「いや。グランヴァルト西部と南部の商人を仲介しているらしい」

「誰へ売るために?」

「それを調べている」

 答えたのはゲオルクだった。

「本人が買い手ではないのなら、商人をいくら追っても目的までは分からないかもしれん。クレーマー商会が普段の取引を広げているだけという可能性も残っている」

「ヴァイスブルクでは、普段とは違う動きが出ています」

 アレクは市場で見た荷車と、ヨハンと確認した帳簿について説明した。

 東や南から入る麦が増えていること。

 それ以上の勢いで、西へ向かう大口注文が増えていること。

 市場内の売却量と入荷量が一致せず、大量の食料が市場の外で取引されていること。

 人の食料だけでなく、馬の飼料まで買われていること。

「軍が買い集めていると思うか?」

 ヴァイス男爵が尋ねた。

「可能性は高いと思います。ただ、食料だけでは決められません」

「ほかに何を見る」

「鉄、革、粗布、縄、木材、荷車、それに荷役用の馬です。軍が長く動くなら、食料を運ぶための物も必要になります」

「現地で徴発すればよい」

 騎士の一人が言った。

「それもできます」

「なら、荷車を増やすとは限らないのではないか」

「行軍先に必要な量の食料があるとは限りません。徴発に頼りすぎれば、軍が通った土地では次の収穫や住民の暮らしまで壊れます」

 アレクは地図上の街道へ目を向けた。

「五千人の兵を十日動かすだけでも、大量の食料が必要です。騎兵や荷馬が加われば飼料はさらに増えます。何日戦うつもりなのかによっては、百台を超える荷車が必要になるかもしれません」

「兵を集めるだけなら、領主の命令でできる」

 アルベルトが言った。

「ですが、集めた兵を食べさせ続けるには、前もって物を動かさなければなりません」

「つまり、集まった兵の数だけではなく、集めている物資を見れば、どれほど長く戦うつもりかも分かると?」

「正確な日数までは分かりません。ただ、数日だけ兵を見せるつもりなのか、何か月も戦うつもりなのか、その違いは出ると思います」

 アルベルトはすぐには答えず、地図上の三つの駒を見つめた。

 ヴァイス男爵が腕を組む。

「我々の斥候は兵を数えていた。食料を運ぶ荷車も見てはいるが、その中身や売買までは調べていない」

「斥候に商人の帳簿までは読めません」

「商人には敵軍の配置は分からん」

「だから、両方を見る必要があります」

 アレクの答えに、アルベルトの口元が僅かに上がった。

「アルヴェインブルクへ連れていった意味はあったようだな」

「連れていかれた時は、倉庫や帳簿を見ることが戦につながるとは思っていませんでした」

「今は?」

「つながっていると思います」

「なら、確かめろ」

 アルベルトは、アレクの前へ新しい紙を置いた。

「兵の招集と配置はこちらで調べる。お前はヨハンと協力し、物の流れを追え」

「俺がですか?」

「自分から鉄や革まで調べると言ったのではなかったか」

「言いました」

「なら、最後までやれ」

「ヨハンさんの部下と市場役人にも手伝ってもらいます」

「好きに使え。必要なら商人組合へも私の名で協力を命じる」

「命令にするのですか?」

「話して協力する者には頼めばよい。軍のために買い集めていることを隠そうとする者まで、頼むだけで帳簿を見せると思うか?」

「思いません」

「拒む者がいれば報告しろ。お前が勝手に倉へ入るな」

「そこまではしません」

「本当か?」

「たぶん」

「その返事では信用できんな」

 ゲオルクが低い声で口を挟んだ。

「私の部下を一人付けます。商人や職人から聞き取るだけなら問題ありませんが、不審な倉や荷車を見つけても一人で追わせません」

「俺も剣を持っています」

「市場の中で剣を抜くつもりか?」

「抜きません」

「なら護衛は必要だ」

 アレクは反論を諦めた。

「調べた結果は、毎日報告しろ」

 アルベルトが続ける。

「ヨハンさんへですか?」

「ヨハンにも、私にもだ」

「軍事の話まで財務官へ?」

「お前が調べるのは敵軍ではない。市場と物資だ。帳簿をまとめるのはヨハンの仕事になる」

 軍の動きは騎士と斥候が調べ、物の動きは財務官と市場役人が調べる。その二つを最後に合わせることで、片方だけでは見えなかったものが見えるかもしれない。

「分かりました」

 アレクは紙を受け取った。

 最初にヴァイスブルクの戦場へ立った時には、敵の兵数、槍、騎兵、城壁ばかりを見ていた。

 それから市場、倉庫、帳簿、橋を見た。

 別々の仕事だと思っていたものが、今、一枚の地図の上でつながろうとしている。

「アルベルト様」

「何だ」

「これは、戦になるのでしょうか」

 アルベルトは地図へ視線を戻した。

「まだ分からん」

「兵は動いています」

「ああ」

「物も動いています」

「ああ」

「それでも、まだですか?」

「動いているからこそ、どこへ向かうのかを確かめる」

 アルベルトは、レオンハルトとシュヴァルツ伯の勢力圏を示す駒へ順番に触れた。

「兵を集め、物資を積み上げたところで、条件が整えば戦わずに話をまとめることもある。逆に、誰も望んでいなくても、小さな衝突から戦が始まることもある」

「では、今は」

「戦わずに終わる可能性が、少しずつ小さくなっているところだ」

 軍議室が静かになった。

 まだ開戦を知らせる使者は来ていない。

 国境を越えた軍があるわけでもない。

 しかし、その準備だけは、人目につかない場所で進んでいる。

「何が起きているのでしょう」

「それを知るために、お前も使う」

 アルベルトの答えに、アレクは地図を見つめた。


 ◇ ◇ ◇


 翌朝から、アレクたちは役割を分けて市場と工房を回った。

 ヨハンの部下は商人組合と穀物倉庫を調べ、市場役人は門の記録から西へ向かった荷車の数を拾い出す。トーマスには粗布と縄を扱う店を任せた。

 アレクはゲオルクの部下を伴い、最初に鍛冶屋を訪ねた。

 炉の前では二人の職人が槌を振るい、赤く熱した鉄を打っている。壁際には鍬や鎌のほか、荷車用の金具と馬の蹄鉄が並んでいた。

「最近、鉄の値段が上がっていますか?」

 作業を止めた親方が、汗を拭いながら頷いた。

「半月ほど前から少しずつな。今は以前より一割ほど高い」

「仕入れ先が鉄を出さなくなったのですか?」

「出さないわけじゃない。買い手が増えたんだ。西へ持っていけば、もっと高く売れるらしい」

「何がよく売れています?」

「蹄鉄と釘だ。剣や槍も注文はあるが、作れる鍛冶屋が限られる。釘や金具なら、村の鍛冶屋でも作れるからな」

「誰が買っています?」

「仲買人だ。何人も来た」

「同じ商会ですか?」

「印は違った。だが、求める大きさと納期はよく似ていた」

 別々の商人が偶然同じ品を求めた可能性はある。しかし、規格と納期まで近いのであれば、背後に同じ注文者がいることも考えられた。

 アレクは親方の許可を得て、注文書の内容を控えた。

 次に訪れた革商人の店では、馬具に使える厚い革が品薄になっていた。

「鞍そのものではなく、革だけを買うのですか?」

「鞍職人へ直接運ぶそうだ。帯革や手綱に使う細長い革も売れる」

「靴用は?」

「そちらも増えている。上等な物ではない。兵や人足が履く丈夫な物だ」

 布を扱う店では、華やかな染物ではなく、袋や衣服に使う粗い麻布がまとめて買われていた。

 車大工の工房へ向かうと、敷地には作りかけの荷車が十台以上並んでいた。

「普段から、これだけ作っているのですか?」

「まさか。一月に二、三台仕上げれば多い方だ」

 車大工は、削りかけの車軸を示した。

「今は十六台の注文が入っている。ほかの工房にも回しているが、それでも間に合わん」

「誰からの注文です?」

「三つの商会だ」

「行き先は?」

「全部西だ。ただし、同じ場所かは知らん」

「車輪の大きさも同じですか?」

「街道用だから似てはいる。だが、こちらは荷台を広く、別の注文は替えの車軸を二本積めと言われた」

 荷車だけではなかった。

 牽引する馬や牛、御者、修理用の材木、予備の縄まで必要になる。完成した十六台を動かすだけでも、車大工だけでは用意できない。

「荷役用の馬は、どこから集めるのですか?」

「注文した商会が持ってくる。だが、最近は馬の値も上がっていると聞いた」

「どのくらいです?」

「馬商に聞け。俺が買う頃には、さらに上がっているだろうよ」

 話を聞き終えたアレクは、工房の外に並ぶ車輪を見た。

 食料。

 飼料。

 鉄。

 革。

 粗布。

 荷車。

 どれも単独なら、交易が活発になったためと説明できる。

 だが、同じ時期に、同じ方角へ、軍が必要とする物ばかりが動いている。

 偶然が重なっただけだと考える方が難しくなっていた。

 夕方、財務室へ戻ると、ヨハンの部下たちも聞き取りを終えていた。

 トーマスは机へ紙を置くなり、椅子へ座り込んだ。

「もう、戦の準備で間違いないだろ」

「どうだった?」

「粗布は西の商人が買ってる。縄も増えてた。しかも、荷を縛る細い縄だけじゃなく、馬や荷車に使う太い縄だ」

「買い手は?」

「四人。名前は違う。でも、二人は同じ宿に泊まってた」

 ヨハンの部下が門の記録を広げる。

 西門から出た荷車は、十日前より明らかに増えていた。荷を積んで西へ向かう車が多い一方、東へ戻る車の多くは空に近い。

「西で物が必要とされている」

 ヨハンが記録を見ながら言った。

「それも、一つの町が普段使う量ではありません」

「軍需と考えますか?」

「可能性は高いでしょう」

「誰の軍です?」

「そこまでは、この帳簿では分かりません」

 ヨハンは地図を机へ広げた。

「ただし、品物の受け渡し場所を調べると、流れが二つに分かれています」

 北西へ向かう街道。

 西南へ向かう街道。

 買い集められた物資の一部はベルン伯爵領を抜けた後に北へ向かい、別の一部は南寄りの道へ運ばれている。

「二つの軍が集めている?」

 トーマスが尋ねた。

「その可能性があります」

「レオンハルト殿下とシュヴァルツ伯?」

「名前を当てるのは、アルベルト様へ報告してからだ」

 アレクはそう答えたが、頭に浮かんでいる名は同じだった。

 レオンハルト。

 シュヴァルツ伯。

 そして、その間で商人を仲介しているマティアス。

 誰がどちらの物資を集め、何を目的としているのか。

 まだ答えは出ていなかった。


 ◇ ◇ ◇


 日が落ちる前に、アレクとヨハンは調査結果をアルベルトへ報告した。

「二つに分かれているか」

 アルベルトは地図を見たまま、しばらく動かなかった。

「はい。すべての荷を追えたわけではありませんが、少なくとも一か所へ集まっているわけではありません」

「兵の動きとも重なる」

 ゲオルクが別の報告書を置いた。

「北西ではレオンハルトに近い領主たちが兵を動かしています。西南ではシュヴァルツ伯領へ入る兵が増えております」

「では、双方が戦の準備を?」

 アレクが尋ねる。

「そう考えるのが自然だ」

「マティアスは、どちらにいるのでしょう」

「それを知りたいのは私も同じだ」

 アルベルトは椅子へ座り、指先で机を一度叩いた。

「以前、あの男と会った時、お前はどう見た」

「人を見るのが上手いと思いました」

「ほかには?」

「品物そのものより、その品物を誰へ渡せば人が動くかを見ていました」

「お前とは違うか」

「俺は麦を見れば、量や値段、どこから来たかを考えます。マティアス様は、その麦を誰に売れば次の取引へつながるかまで考えているように見えました」

「短い間によく見ていたな」

「誘われましたから」

「今でも、あの男のところへ行きたいと思うか?」

 突然の問いに、アレクは返事を止めた。

 マティアスのもとへ行けば、今までとは違うものを学べる。その気持ちは、最初に誘われた時から消えていない。

 だが、現在のアレクはアルベルトの小姓だった。ヴァイスブルクにも、途中で投げ出せない仕事が残っている。

「今すぐ、という意味なら行きません」

「今すぐでなければ?」

「分かりません」

「正直だな」

「分からないことを、分かったように言うなと教えられました」

「誰に?」

「アルベルト様にです」

「なら仕方ない」

 アルベルトは僅かに笑ったが、すぐに地図へ視線を戻した。

「マティアスについては、こちらでも情報を集める。ただ、書状と報告だけでは限界がある」

「どうするのですか?」

「西へ行く」

 アレクはアルベルトを見た。

「誰が?」

「私たちだ」

「俺もですか?」

「お前が調べた物資の行き先を、お前だけ見ずに終わらせるつもりか?」

「いつ出発します?」

「早ければ五日以内だ」

「戦うためですか?」

「まだ参戦は決めていない」

「では、何をしに?」

「見るためだ」

 アルベルトが地図上の駒を順番に示す。

「レオンハルトが何を求めているのか。シュヴァルツ伯がどれほどの兵を集めているのか。マティアスが誰と誰を結びつけているのか。それを確かめる」

「危険では?」

「だから兵を連れていく」

「また馬ですよね」

「嫌なら荷車に乗るか?」

「荷物と一緒は嫌です」

「なら慣れろ」

 アルベルトが楽しそうに言った時、扉が叩かれた。

「入れ」

 兵士が一通の書状を持って入室する。

「アルヴェインブルクより、書状が届きました」

「誰からだ」

「エリーゼ様からです」

 アルベルトが手を差し出しかけたが、兵士はその場で僅かに迷った。

「どうした」

「宛先が、アレク・ハルトマン殿となっております」

 アルベルトの手が止まる。

 アレクは嫌な予感を覚えた。

「アレク」

「はい」

「エリーゼと何を話した?」

「大公都で市場を一緒に歩いただけです」

「私には書状が来ていない」

「俺に言われても困ります」

 兵士が笑いを堪えていることに気づき、アレクは咳払いをした。

「その書状を頂けますか」

 受け取った封蝋には、ヴァレンシュタイン家の印が押されていた。

「ここで読め」

「自分の部屋で読みます」

「なぜだ」

「アルベルト様がいるからです」

「私はエリーゼの叔父だぞ」

「だから嫌なんです」

 アルベルトは声を上げて笑った。

「仕事の報告は終わりましたよね?」

「ああ。明日も同じ調査を続けろ。出発の準備も始めておけ」

「分かりました」

 アレクは書状を持って軍議室を出た。

 背後からアルベルトとゲオルクが何か話す声が聞こえたが、振り返らなかった。


 ◇ ◇ ◇


 自室へ戻ったアレクは椅子へ腰を下ろし、封蝋を割った。

 中には一枚の紙が入っている。

『アレクへ。

 ヴァイスブルクへ戻って、また仕事ばかりしていませんか。

 叔父様から聞く前に、あなた自身からアルヴェインブルクで何を見たのか聞きたいと思っています。

 次に来た時には、前に話した「来る理由」も用意しておきます。

 それから、林檎は途中で全部食べましたか?

 エリーゼ』

 短い手紙だった。

 アレクは最初の一文を読み直した後、机の上を見た。

 市場から持ち帰った記録、荷車の注文を控えた紙、鉄や革の値上がりを書いた報告書が積まれている。

「仕事ばかり、か」

 否定はできなかった。

 大公都で見た中央倉庫や市場について書けば、手紙一枚では足りない。ヴァイスブルクへ戻ってから何をしていたのかも伝えたい。

 西へ向かうことまで書いてよいのかは、アルベルトへ確認する必要がある。

 返事は明日の朝に書こうと決め、手紙を机の端へ置いた。

 窓の外には、夜のヴァイスブルクが広がっている。

 市場の店じまいは終わり、残っている灯りも少ない。西門は既に閉ざされていたが、その向こうにはベルン伯爵領へ続く街道が伸びている。

 昼間に見送った荷車は、今頃どこまで進んでいるのだろう。

 麦、干し肉、塩、飼料、鉄、革、粗布、荷車。

 人が戦場へ集まる前に、それらは既に動き始めていた。

 前世の歴史でも、大軍が突然現れたわけではない。兵糧を集め、武具を整え、同盟相手や商人と話をつけ、兵が歩く道を決めた後に、ようやく軍勢が動く。

 歴史書には、何万の軍がどこで戦ったと短く記される。

 だが、その数字が動くまでには、数え切れないほどの人と物が関わっている。

 マティアス・クレーマー。

 アレクは、ヴァイスブルクで出会った商人を思い出した。

 初めて会った時から、前世の歴史に登場するある人物と似たものを感じていた。

 商人に近い立場から始まり、人と物を結びつけ、戦場の外側から大きな力を作っていく男。

 しかし、マティアスがその人物と同じ道を歩む保証はない。

 ここは日本の戦国時代ではなく、マティアスも前世の歴史に書かれた人物ではなかった。

 前世の記憶は未来を教える答えではない。

 目の前で起きていることから、何を見るべきかを考える手掛かりにすぎなかった。

 アレクは壁際に置かれた剣へ手を伸ばした。

 最近は帳簿や報告書ばかりを扱っていた手に、柄の硬い感触が戻ってくる。

 市場と倉庫で過ごしている間、戦場がなくなったわけではない。

 見えない場所で次の戦いが近づいていただけなのかもしれない。

「五日以内か」

 西へ向かえば、レオンハルトと再び会う可能性がある。

 シュヴァルツ伯の軍を見ることになるかもしれない。

 マティアスが何をしようとしているのかも、自分の目で確かめられる。

 好奇心はあった。

 それ以上に、何が起きるか分からない怖さも残っている。

 アレクは剣から手を離し、机の上の地図へ視線を戻した。

 ヴァイスブルクで市場を整え、帳簿を比べ、倉庫を調べ、橋を架けた。

 戦場とは離れた仕事だと思っていた経験が、今度は戦の兆しを見つけるために役立っている。

 人が動くより先に、物が動く。

 その流れの先で何が待っているのかを、まだアレクは知らない。

 ただ、西で起きている変化が、遠くの出来事ではなくなったことだけは確かだった。

第一話を読んでいただき、ありがとうございました。

第三篇「乱世の潮目」が始まりました。市場に現れた小さな異変を手掛かりに、アレクたちは西方で起きつつある変化を探ります。

次回、アレクはアルベルトとともに、二つに分かれた物資の流れを追います。


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