第三話 戦場へ
戦の知らせを受け、アレクは自ら戦場へ向かうことを決める。
村人との別れ、初めての装備、兵としての行軍。
歴史の知識としてしか知らなかった「戦争」が、少しずつ現実へと変わっていく。
そしてその夜、遠くの空が赤く染まる――。
戦争へ行くことになった。
異世界へ転生して四日目の朝にしては、あまりにも重い予定だった。
「……本当に行くのか」
教会の小さな食堂で、マルセルが俺を睨んでいる。
「行くのかって言われても、昨日の命令では十五歳以上でしょう?」
「お前はこの村の人間ではない」
「そうですけど」
「名簿にも載っていない。黙っていれば分からん」
「それ、神父が言っていいんですか?」
「神は若者を戦場へ送るためにおられるのではない」
「……」
俺はパンをちぎる手を止めた。
昨日、ヴァイス男爵から届いた命令。
十五歳以上、四十歳以下の戦闘可能な男子を集める。
もっとも、その全員を連れていくわけではないらしい。
各村には人口や耕作地に応じた人数が割り当てられ、その人数を村側で選ぶ。
ラーデン村に課された人数は十二人。
三百人ほどの村から十二人。
少なく見えるかもしれない。
だが農村から働き盛りの男を十二人抜くというのは、数字以上に重い。
しかも戦争が長引けば追加徴集もある。
「逃げることもできるってことですか」
「少なくとも今ならな」
マルセルが言った。
「ここから東へ二日も歩けば、ヴァイス男爵領の外だ。さらに進めば大きな街もある。お前には家族も土地もない。逃げようと思えば逃げられる」
「……」
「アレク。お前はここの人間ではない」
「だから戦う必要もない?」
「そうだ」
俺はパンを見つめた。
正直に言えば、魅力的な提案だった。
戦争になど行きたくない。
昨日木剣を握って、自分に剣の才能があることは分かった。
だが剣が強いことと、戦場で死なないことは全く別だ。
剣豪だろうが、背中から矢を射られれば死ぬ。
火槍――おそらく銃に近い武器で撃たれても死ぬ。
腹を壊しても、傷が化膿しても死ぬ。
戦国時代について知れば知るほど、「剣が強ければ戦場で無双できる」などという考えからは遠ざかる。
そもそも戦場は、一対一の剣術大会ではない。
「……でも」
「何だ?」
「逃げた後、どうするんです?」
「働けばいい」
「どこで?」
「街へ行けば仕事くらいある」
「身元不明の十五歳を雇ってくれます?」
「それは……」
「金もないです」
「教会から多少は持たせる」
「いつまでも?」
マルセルが黙った。
俺は小さく笑った。
「俺、この世界のこと何も知らないんですよ」
「だからこそ、戦場へ行くべきではない」
「逆です」
「逆?」
「何も持ってないから、何かを手に入れないと生きていけない」
言ってから、自分でも随分と現実的なことを言っていると思った。
前世でも同じだった。
会社を辞めたいと思ったことは何度もある。
だが辞めた後どうするのか。
家賃は?
食費は?
次の仕事は?
結局、生活というものは理想だけでは成り立たない。
異世界でも同じらしい。
「それに」
「まだあるのか」
「昨日の兵士が言ってました。手柄を立てれば給金が出るって」
マルセルが露骨に嫌そうな顔をした。
「もうそんな話を聞いたのか」
「トーマスから」
「あの馬鹿者……」
「本人はかなりやる気ですよ」
「だから馬鹿者なんだ」
俺は少し笑った。
「戦争で一旗揚げようなんて考えてません」
「なら、なぜ行く?」
「見ておきたいんです」
「何を?」
「この世界の戦争を」
マルセルが眉を寄せた。
「見世物ではないぞ」
「分かっています」
俺は答えた。
「だからです」
前世で俺は戦国時代を知っていた。
いや、知っているつもりだった。
桶狭間。
川中島。
姉川。
長篠。
中国攻め。
山崎。
賤ヶ岳。
小牧・長久手。
戦国好きなら何度も目にする名前だ。
兵力。
布陣。
勝敗。
武将。
そういうものはいくらでも覚えている。
だが――実際の戦場を俺は知らない。
「この先、この世界で生きるなら、戦争がどういうものなのか知らないままではいられないと思うんです」
「……十五歳の言うことではないな」
「記憶喪失になる前は老けてたのかもしれません」
「ふざけるな」
「すみません」
マルセルは長く息を吐いた。
「死ぬなよ」
「努力します」
「努力ではなく、死ぬな」
「……はい」
「逃げても恥ではない」
「はい」
「武器を捨ててもいい」
「はい」
「危なくなったら死んだふりでもしろ」
「神父ですよね?」
「死ぬよりましだ」
思わず笑った。
だがマルセルは笑わなかった。
「帰ってこい、アレク」
その一言だけは、冗談ではなかった。
「……はい」
俺は頷いた。
◇ ◇ ◇
村の中央広場には、すでに男たちが集まっていた。
選ばれた十二人。
最年少は俺と同じ十五歳。最年長は三十七歳。
トーマスもいる。
「遅いぞ!」
「まだ集合時間前だろ」
「戦場では早く動いた奴が生き残るんだ」
「誰に聞いた?」
「親父」
「お父さん、戦争に?」
「三回行ってる」
「生きて帰ってきた?」
「二回な」
「……三回目は?」
トーマスの表情が少し変わった。
「帰ってこなかった」
「……ごめん」
「何で謝るんだよ」
トーマスは笑った。
「だから俺が行く」
「だから?」
「親父ができなかったことをする」
「何を?」
「騎士になる」
俺はトーマスを見た。
「本気?」
「当たり前だ」
「農民から騎士になれるの?」
「なれる」
「簡単に?」
「簡単だったら、もうなってる」
「それもそうか」
トーマスは胸を張った。
「敵を倒して、手柄を立てて、騎士様に認めてもらう。それで従士になって、いつか騎士になる」
「なるほど」
「アレクは?」
「俺?」
「何になりたい?」
答えに困った。
「……生きて帰りたい」
「夢がないな」
「初陣前に死ぬ前提で夢を語れるお前がおかしい」
「死なねえよ」
「何で?」
「俺は強いからな」
「昨日、俺に二回負けたけど」
「それを言うな!」
周りから笑い声が上がった。
昨日一緒に訓練していた若者たちだった。
「トーマス、また負けたのか?」
「二回だ」
「言うなって!」
「アレクってそんなに強いのか?」
「強いというか……気持ち悪い」
「ひどいな」
「だってお前、初めて木剣持ったみたいな顔してたじゃねえか」
「……」
鋭い。
「記憶を失う前に習ってたんじゃない?」
一人が言った。
俺はそれに乗ることにした。
「たぶん、それだと思う」
「身体が覚えてるってやつか」
「そうそう。それ」
「便利な記憶喪失だな」
本当に便利だ。
「全員、静かにしろ!」
怒鳴り声が響いた。
広場にいた男たちが一斉に口を閉じる。
馬に乗った男が三人。
中央の一人だけ装備が違う。
三十代後半くらい。
短く切った黒髪。
胸当て。
腰には長剣。
派手さはないが、装備の手入れが行き届いている。
男は馬から降りた。
「私はヴァイス男爵家騎士、ゲオルク・バウマンだ」
騎士。
俺は自然と男の身体を見る。
昨日の若者たちとは違う。
立っているだけで分かる。
強い。
「今回、ラーデン村から徴集された者は十二名。名前を呼ぶ。返事をしろ」
一人ずつ名前が呼ばれる。
「トーマス・ベッカー」
「はい!」
「アレク・ハルトマン」
「はい」
ゲオルクが顔を上げた。
「ハルトマン?」
「はい」
「この村にそんな家があったか?」
来た。
「三日前に村の外で倒れていたそうです」
マルセルが横から答えた。
「記憶を失っております」
「素性不明か」
ゲオルクの目が俺を見る。
「年齢は?」
「十五です」
「武器は?」
「……ありません」
「使えるものは?」
少し迷った。
「剣を、少し」
後ろからトーマスが小声で言った。
「少し?」
「黙ってろ」
ゲオルクが眉を寄せた。
「剣か。農民が?」
「身体が覚えているようで」
「見せてみろ」
「今ですか?」
「今だ」
一本の木剣が投げられた。
受け取る。
ゲオルクが同行していた兵士に顎をしゃくった。
「ハンス」
「はい」
「相手をしろ」
兵士が木剣を持つ。
俺より明らかに大きい。
「寸止めでいい」
ゲオルクが言った。
「始めろ」
ハンスが構えた。
昨日とは違う。
ちゃんと訓練されている。
剣先がぶれない。
「行くぞ、坊主」
「お願いします」
踏み込んでくる。
速い。
だが――見える。
最初の斬撃を受け流す。
木剣と木剣がぶつかる。
重い。
真正面から受けたら負ける。
だから力で争わない。
二撃目。
半歩下がる。
三撃目。
右。
読める。
ハンスの肩が動く。
俺は先に踏み込んだ。
「なっ――」
剣先を喉元で止める。
静寂。
「……」
ハンスが俺を見る。
俺もハンスを見る。
「終わりだ」
ゲオルクの声。
剣を下ろす。
「すみません」
「なぜ謝る」
「何となく」
ハンスはしばらく俺を睨んでいたが、やがて笑った。
「やるな、坊主」
「ありがとうございます」
「気に入らんが」
「どっちですか」
周囲から小さな笑いが起きた。
ゲオルクだけは笑っていない。
「アレク」
「はい」
「誰に習った?」
「覚えていません」
「……そうだったな」
ゲオルクは俺の手を見る。
「農具を握ってきた手ではない」
心臓が跳ねた。
「剣士の手でもない」
「……」
「妙な奴だ」
俺もそう思います。
とは言えなかった。
「まあいい。お前には剣を持たせる」
「剣を?」
「剣を使える者に槍を持たせる理由もない」
そこで俺は少し引っかかった。
「待ってください」
「何だ?」
「俺だけ剣なんですか?」
「そうだ」
「槍の方がよくないですか?」
ゲオルクが眉を上げた。
「なぜだ?」
「集団戦なら、剣より槍の方が間合いを取れます。それに俺は実戦経験がありません」
周囲が静かになる。
「剣が使えるなら剣でいいだろ」
「一対一ならそうかもしれません。でも戦場では違うと思います」
「ほう」
「俺が剣で敵一人に勝てても、横から槍で突かれたら終わりです。だったら最初は他の人と同じ武器を使って、隊列の中で戦った方が生き残れる」
ゲオルクが俺をじっと見た。
「お前、本当に十五か?」
「たぶん」
「たぶん?」
「記憶がないので」
また便利な言葉を使った。
ゲオルクは鼻で笑った。
「好きにしろ。槍を持て」
「ありがとうございます」
「ただし剣も持っていけ」
「両方?」
「使えるものは使え。それが戦場だ」
その言葉は覚えておこうと思った。
◇ ◇ ◇
装備の支給が始まった。
槍。
短剣。
革の胸当て。
簡素な兜。
水袋。
毛布。
木椀。
数日分の乾燥したパン。
それだけだった。
「……鎧は?」
俺が聞くと、トーマスが自分の革鎧を叩いた。
「これが鎧だろ」
「いや、もっとこう……鉄の」
「騎士じゃあるまいし」
「ですよね」
分かってはいた。
全員に金属製の防具を支給できるほど豊かな軍隊ではない。
日本の戦国時代でも、雑兵すべてが立派な具足を身につけていたわけではない。
装備には大きな差があった。
自弁が基本となる場合もあれば、領主側から貸与される場合もある。
時代や地域、身分によって事情は異なる。
何より、軍隊を作るには金がかかる。
槍一本。
兜一つ。
食料一日分。
それが千人なら千倍。
一万人なら一万倍。
戦争というのは、英雄が始めるかもしれない。
だが実際に動かしているのは、金と食料と人間だ。
「アレク」
「ん?」
「また難しい顔してるぞ」
「考えてた」
「何を?」
「戦争って金かかるなって」
「当たり前だろ」
「トーマスでも知ってるのか」
「馬鹿にしてる?」
「ちょっとだけ」
「お前な!」
笑いながら避ける。
その時、広場の端が目に入った。
家族との別れ。
妻に抱きしめられている男。
泣く子供。
無言で息子の肩を叩く父親。
そしてトーマスの母親らしい女性が立っている。
「トーマス」
「ん?」
「あれ」
トーマスの顔が固まった。
「……行ってくる」
「うん」
彼は母親のところへ向かった。
俺は少し離れた。
聞くつもりはなかった。
それでも声は聞こえた。
「絶対に帰ってきなさい」
「分かってる」
「お父さんみたいなことはしないで」
「……」
「手柄なんていらない」
「母ちゃん」
「逃げてもいいから」
「分かったって」
「本当に?」
「帰ってくるよ」
トーマスは笑った。
「騎士になって帰ってくる」
母親は笑わなかった。
ただ息子を抱きしめた。
俺は視線を逸らした。
歴史書には書かれない場面だ。
出陣兵力、何千。
戦死者、何百。
数字の裏側には、こういう人間がいる。
「アレク」
今度は後ろから呼ばれた。
マルセルだった。
「これを持っていけ」
小さな袋を渡された。
「何です?」
「薬草と布だ」
「ありがとうございます」
「それから」
もう一つ。
小さな木製の飾り。
「これは?」
「旅の守りだ」
「神様の?」
「そうだ」
「……俺、神様にはあまりいい印象ないんですけど」
「何?」
「何でもありません」
俺は受け取った。
「帰ってきます」
「約束しろ」
「はい」
「言葉にしろ」
俺は少し笑った。
「必ず帰ってきます」
「よし」
マルセルが俺の頭を軽く叩いた。
「行ってこい」
「行ってきます」
その瞬間。
少しだけ、胸が痛くなった。
この世界に来て、まだ四日。
なのに「帰る場所」ができていた。
◇ ◇ ◇
正午前。
俺たちはラーデン村を出た。
十二人の徴集兵。
ゲオルクたち三人。
合わせて十五人。
目的地はヴァイス男爵家の居城、ヴァイスブルク。
徒歩で一日半。
「意外と歩くな」
「まだ一時間だぞ」
トーマスが呆れた。
「会社員はこんなに歩かないんだよ」
「かいしゃいん?」
「……前に聞いた言葉」
「記憶戻ってきてるじゃん」
「部分的に」
「便利だな」
「俺もそう思う」
街道を歩く。
俺は周囲を観察していた。
先頭にゲオルク。
徴集兵が続く。
最後尾に兵士二人。
行軍速度はそれほど速くない。
だが荷物を背負って何時間も歩けば疲れる。
これが軍隊になると桁が違う。
千人。
一万人。
数万人。
戦国時代の大軍勢が一日に進める距離は、道路状況や天候、荷駄、地形で大きく変わる。
軍勢は人間だけではない。
馬。
荷車。
兵糧。
武器。
火薬。
予備装備。
場合によっては商人や職人までついてくる。
だから「大軍ほど強い」と単純には言えない。
大軍になればなるほど、食わせるのが難しくなる。
秀吉が後に大軍を遠隔地へ動かせた背景には、戦闘指揮だけでなく兵站や輸送、動員の仕組みがあった。
中国大返しが有名なのも、単に「兵士が頑張って走った」からではない。
情報伝達、経路、補給、軍の統制。
そういう条件が揃って初めて大軍は動く。
「……兵站だな」
「へいたん?」
隣を歩いていたトーマスが聞いた。
「兵士を戦わせるために必要なもの全部」
「武器?」
「それも。食料とか、道とか、荷物を運ぶ人とか」
「そんなの当たり前じゃないか」
「そうなんだよ」
「何が?」
「当たり前だから重要なんだ」
「?」
トーマスが首を傾げる。
「腹減ってる兵士は戦えないだろ?」
「そりゃそうだ」
「武器が壊れたら?」
「困る」
「雨で道が使えなくなったら?」
「進めない」
「じゃあ敵と戦う前に、食料がなくなったら?」
「負ける」
「そういうこと」
「……お前、変なこと考えるな」
「褒め言葉として受け取っとく」
前を歩いていたゲオルクが振り返った。
「今の話、誰に教わった?」
「え?」
「兵を食わせる話だ」
「……覚えてません」
「また記憶か」
「便利でしょう?」
「気に入らんな」
「すみません」
「だが間違ってはいない」
ゲオルクは前を向いた。
「覚えておけ。戦場で最初に死ぬのは、敵を舐めた奴だ」
「はい」
「次に死ぬのは、自分を強いと思っている奴」
「はい」
「その次は?」
俺は考えた。
「腹を空かせた奴?」
ゲオルクが少し笑った。
「悪くない」
トーマスが俺を見る。
「騎士様に褒められたぞ」
「まだ何もしてない」
「俺も何か言えばよかった」
「『腹が減りました』とか?」
「それ今言おうと思ってた」
「やめとけ」
◇ ◇ ◇
夕暮れ。
俺たちは街道沿いの小さな野営地に入った。
屋根などない。
火を焚き、毛布を敷くだけ。
「宿じゃないの?」
俺が聞くと、ハンスが笑った。
「十五人なら泊まれる宿もある」
「じゃあ何で?」
「金がかかる」
「……なるほど」
「兵士に贅沢させる領主はいない」
現実的だった。
火を囲む。
乾燥したパンを湯でふやかし、豆と一緒に煮る。
味は薄い。
「……塩欲しい」
「贅沢言うな」
トーマスが食べている。
「これ毎日?」
「戦ならもっと酷いこともある」
ハンスが答えた。
「兵糧が届かなければ?」
「食わない」
「現地で買うとか」
「金があればな」
「奪う?」
ハンスが俺を見た。
「敵地なら」
「……村から?」
「他に何がある」
分かっていた。
それでも実際に聞くと重い。
「嫌か?」
「好きにはなれません」
「なら早く戦を終わらせることだ」
「俺にそんな権限ないですよ」
「いつか持つかもしれんぞ」
「まさか」
ハンスが笑った。
「剣だけなら騎士様より強かったりしてな」
「聞こえているぞ」
少し離れたところからゲオルクの声。
「すみません!」
「お前が謝るな!」
笑いが起きた。
俺も笑った。
不思議だった。
明日には戦場へ近づくというのに。
人間は笑える。
怖くないわけではない。
きっと皆、怖い。
だからこそ笑うのかもしれない。
夜が深くなる。
俺は毛布にくるまり、空を見た。
星が多い。
東京では見たことがないほど。
「眠れないのか?」
声がした。
ゲオルクだった。
「少し」
「怖いか?」
「……はい」
正直に答えた。
「意外だな」
「何がです?」
「昼間の口ぶりでは、もっと肝が据わっているかと思った」
「怖いですよ」
「剣が使えるのに?」
「剣が使えても死ぬでしょう」
「その通りだ」
ゲオルクが隣に座った。
「騎士様も怖いんですか?」
「当たり前だ」
「何回くらい戦場に?」
「十二回」
「……多い」
「小競り合いを入れればもっとだ」
「慣れます?」
「何に?」
「人を殺すことに」
ゲオルクはしばらく答えなかった。
「慣れる」
「……そうですか」
「だが、慣れた自分を好きになるな」
俺は彼を見る。
ゲオルクは火を見ていた。
「最初に人を殺した日の顔を忘れるな」
「敵の?」
「自分のだ」
「……」
「人を殺して何も感じなくなったら、戦が終わっても戦場から帰れなくなる」
その言葉の意味を、俺はまだ完全には理解できなかった。
「騎士様」
「何だ」
「何で俺にそんな話を?」
「十五だからだ」
「……」
「十五の子供を戦場へ連れていく大人には、それくらい話す義務がある」
俺は何も言えなくなった。
「寝ろ」
「はい」
「明日は城へ着く」
「そこから戦場へ?」
「おそらくな」
「敵はどれくらい?」
「分からん」
「分からない?」
「戦場では、敵の数なんて大抵分からん」
ゲオルクが立ち上がる。
「だから偵察する。情報を集める。考える」
そして俺を見る。
「剣より先に頭を使え、アレク」
「……はい」
ゲオルクは去った。
俺はもう一度、空を見る。
剣より先に頭を使え。
それは俺が前世の歴史から学んだことと同じだった。
名将と呼ばれる人間ほど、戦場で剣を振るうだけではない。
情報を集める。
兵を食わせる。
味方をまとめる。
敵を騙す。
戦う場所を選ぶ。
そして、可能なら戦う前に勝つ。
「……俺にできるかな」
返事はない。
ただ焚き火が小さく爆ぜた。
俺は目を閉じた。
その時だった。
「騎士様!」
見張りの兵士の声。
全員が起き上がる。
ゲオルクが剣を取る。
「どうした!」
「西です!」
俺も立ち上がった。
遠く。
夜の山の向こう。
赤い光が見える。
一つではない。
二つ。
三つ。
炎。
「……村が燃えてる?」
トーマスが呟いた。
ゲオルクの表情が変わる。
「ベルン軍か」
「こんなところまで?」
ハンスが尋ねる。
「本隊ではない。先遣隊か、略奪隊だろう」
俺は炎を見る。
さっきまで考えていたことが、一瞬で現実になった。
敵地から食料を奪う。
家畜を奪う。
村を焼く。
歴史の本なら数文字だ。
今、目の前で村が燃えている。
「全員、装備を持て!」
ゲオルクが叫ぶ。
「ここを離れる!」
男たちが動き出す。
俺も槍を握った。
手が震える。
昨日、木剣を握った時とは違う。
これは訓練ではない。
「アレク!」
トーマスが呼ぶ。
「行くぞ!」
「ああ!」
答える。
心臓がうるさい。
怖い。
逃げたい。
それでも足を動かす。
俺はもう一度、燃える村を見た。
そして初めて理解した。
俺は戦場へ向かっているのではない。
もう――。
戦場の方から、俺たちのところへ来ているのだ。
戦場へ向かう道の中で、アレクは兵として戦うことの現実を少しずつ知っていく。
武器、兵糧、行軍、そして戦場へ向かう者たちの想い。
しかし、戦はアレクが準備を整えるまで待ってはくれない。
夜空を赤く染める炎。
歴史の中で何度も読んできた「略奪」が、ついに目の前の現実となる。
次話、アレクは初めて本物の敵と向き合う。




