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『知らない世界の知っている物語』 ~剣と知識を授かった平凡な会社員は、異世界の乱世を生き抜く~  作者: 相田 ソウ
第二篇 乱世に蒔く種

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第十話 正しいだけでは動かない

市場税を下げ、商人を呼び戻す。

基準となる容器を作り、取引を分かりやすくする。

ハイゼンとの間には、新たな商いの道も生まれ始めた。


少しずつ成果が見え始めた、アレクたちの試み。


しかし、一つのことが良くなれば、すべての人が喜ぶとは限らないのが現実。


買う者にとっての利益が、売る者にとっては損失になることもある。

新しい商人が増えれば、以前から商っていた者には新たな競争相手となる。


正しいと思うだけでは、人は動かない。


今度アレクが向き合うのは、敵ではなく――それぞれの立場と利害だ。

 マティアス・クレーマーがヴァイスブルクを去ってから七日が経った。

 俺の生活は、以前より忙しくなっていた。

 理由は簡単だ。

「また増えてる……」

 俺は机の上に積まれた紙を見て、思わず頭を抱えた。

 市場税の減免を始めて一か月。

 ハイゼンとの間で始めた羊毛の先約取引。

 市場で使い始めた麦の基準容器。

 倉庫帳簿の統一。

 戦後復興の支払い。

 どれも始めた当初より大きな仕事になっていた。

「何を今さら驚いているのです?」

 向かいに座るヨハンが平然と言う。

「最初はこんなに仕事なかったでしょう」

「制度というものは、始めれば管理が必要になります」

「知ってたなら教えてくださいよ」

「教えました」

「いつ?」

「何度も」

「……そうだっけ?」

「都合の悪い話だけ忘れる癖がありますな」

「そんな癖ないですよ」

「では、こちらを」

 ヨハンが一枚の紙を俺の前へ置いた。

「何です?」

「市場税減免の最終集計です」

「終わった?」

「一か月経ちましたからな」

 俺は急いで紙を手に取った。

 数字を見る。

 戦後直後と比べ、市場へ入った商人は約五割増加。

 戦前と比較しても、ほぼ同じ水準まで戻っている。

 麦の価格は戦後直後より約一割四分低下。

 塩は約一割。

 布はほぼ変化なし。

 そして市場税収。

「……戦前より多い?」

「一割弱ですが」

「税率を三分の二にしたのに?」

「商人と取引量が増えました」

「やった!」

「アレク殿」

「何です?」

「まだあります」

「今くらい喜ばせてくださいよ」

「喜ぶのは全部読んでからにしなさい」

「はい……」

 続きを見る。

 確かに良い話ばかりではなかった。

「通行税?」

「はい」

 ヨハンが別の数字を指した。

「市場へ来る商人が増えたため、城門で徴収する通行税は増えました。しかし問題はこちらです」

「西街道?」

「ええ」

 ハイゼン方面から来る商人は増えている。

 だが、途中にあるいくつかの関所で徴収される税について不満が出始めていた。

「一回の移動で三回取られる?」

「正確には二回から三回です。商人が利用する経路によって違います」

「何でそんなことになってるんです?」

「領主が違うからです」

「ああ……」

 なるほど。

 アルヴェイン大公国内だからといって、全てがアルベルトの直轄地ではない。

 街道の途中には小領主の土地もある。

 それぞれが自分の領地を通る商人から通行税を取っている。

「これ、商人嫌がりません?」

「嫌がっております」

「減らせない?」

「誰の税を?」

「……」

 ヨハンが俺を見る。

「ヴァイスブルクの市場税は大公家が決められる。大公家直轄の関所なら殿下が決められる。しかし他の領主が持つ徴税権を、こちらの都合で取り上げることはできません」

「ですよね」

 頭では分かる。

 でも面倒だ。

「じゃあ話し合う?」

「既に話し合いを求める書状を出しています」

「早い」

「あなたと違って私は仕事をしておりますので」

「俺もしてます!」

「冗談です」

「ヨハンさん、最近ちょっと性格悪くなってません?」

「元からです」

「認めるんだ……」

 その時だった。

 扉が開く。

「失礼します」

 入ってきたのはゲオルクだった。

 その表情を見るだけで、あまり良い話ではないことが分かる。

「どうしました?」

「殿下がお呼びだ」

「また?」

「ああ」

「今度は何です?」

「商人が怒っている」

「……俺に?」

「半分はな」

「最近その言い方流行ってるんですか?」

 ゲオルクは答えず、ヨハンを見る。

「財務官殿もお願いします」

「承知しました」

 ヨハンが立ち上がる。

「誰が怒ってるんです?」

 俺も立ちながら聞く。

「ヴァイスブルク商人組合だ」

「商人組合?」

「ああ」

「俺、何かした?」

「それを今から聞く」

 嫌な予感しかしなかった。


 ◇ ◇ ◇


 アルベルトの執務室には、既に三人の商人がいた。

 全員五十歳前後。

 服装を見るだけでも、普通の行商人とは違うことが分かる。

 上質な布。

 指には銀の指輪。

 一人は金の飾りまで付けている。

「来たか」

 アルベルトが俺を見る。

「はい」

「座れ」

「はい」

 俺とヨハンが席へ着く。

 三人の商人がこちらを見る。

 そのうち中央の男が口を開いた。

「この少年が?」

「そうだ」

「……」

 何だろう。

 すごく嫌な見られ方をしている。

「アレク・ハルトマンです」

「存じております」

 声が冷たい。

「ヴァイスブルク商人組合長、ベネディクト・ローゼンです」

「よろしくお願いします」

「こちらこそ」

 絶対よろしくない。

 アルベルトが机を指で叩いた。

「それで、ベネディクト。もう一度話せ」

「では」

 ベネディクトが俺を見る。

「最近、この街では商人に関する制度が次々と変更されております」

「市場税のこと?」

「それだけではありません」

 指が一つ立つ。

「市場税の減免」

 二つ目。

「麦の基準容器」

 三つ目。

「ハイゼン商人との先約取引」

「はい」

「それらについて、我々は十分な相談を受けておりません」

「……」

 俺はヨハンを見る。

 ヨハンは何も言わない。

「でも、市場役人とは相談しましたよ」

「市場役人は役人です。我々商人ではない」

「……」

「我々は何十年もこの街で商いをしております」

 ベネディクトの声は荒くない。

 むしろ落ち着いている。

 だから余計に重かった。

「そこへ突然、新しい方法を使えと言われる」

「強制したわけじゃ」

「基準容器は?」

「……」

「市場で麦を扱う場合、使用を事実上義務付けた」

「それは」

「買う者には便利でしょう」

「はい」

「しかし商人には作業が増えた」

「……」

 確かに。

「それにハイゼンとの取引です」

「何か問題が?」

「あります」

 ベネディクトの隣に座る商人が口を開く。

「西から大量の羊毛が入れば、現在羊毛を扱っている商人の利益が減ります」

「でも安くなるなら」

 そこまで言って、止まった。

 商人がこちらを見る。

「誰にとって良いのです?」

「……」

「買う者には良いでしょう。しかし売る者には?」

「……」

「我々にも家族がおります。雇っている者もいる。店も倉庫も維持しなければならない」

 何も言えない。

 俺は「物が増えれば値段が下がる」と喜んでいた。

 でも値段が下がって困る人間もいる。

 当たり前だ。

 なのに、考えていなかった。

「市場税を下げたことで、外から来る商人も増えました」

 ベネディクトが続ける。

「この街の商人には、新しい競争相手です」

「……」

「大公家は外から来る者だけを優遇するおつもりですかな?」

「待て」

 アルベルトが初めて口を挟んだ。

「市場税の減免は、ヴァイスブルク商人にも適用されている」

「存じております」

「なら外だけを優遇しているわけではない」

「制度上は」

 ベネディクトが言う。

「しかし我々は元からここで商っていた。外から来た者だけが新たに利益を得るのです」

「……」

 難しい。

 すごく難しい。

 俺は良くしたつもりだった。

 市場に物が増えた。

 値段も下がった。

 税収も戻った。

 成功だと思った。

 でも。

「アレク」

 アルベルトが俺を見る。

「どう思う」

「……」

 来た。

「正直に?」

「ああ」

「考えてませんでした」

「何を?」

「元からここにいた商人がどう思うか」

 ベネディクトが少しだけ眉を上げる。

「俺は品物が増えることと、買う人のことばかり見てた」

「……」

「商人が増えるならいいと思ってた。でも元から商売してる人からしたら、客を取られる可能性がある」

 俺は商人たちを見る。

「すみません」

 頭を下げた。

 部屋が少し静かになった。

「アレク殿」

 ベネディクトの声。

「はい」

「頭を下げていただきたいわけではありません」

「……」

「我々も、市場へ物が戻ったこと自体には反対していない」

「じゃあ」

「話を聞いてほしいのです」

「話?」

「決める前に」

 その言葉が胸に刺さった。

 マティアス。

 思い出す。

『何を持ってこい』ではなく、『何なら持ってこられる』と聞く。

 あの男は先に聞いていた。

 商人に。

 俺は。

 自分で考えて。

 良いと思って。

 制度を作った。

「……」

 ちょっと悔しい。

 でも。

 認めないといけない。

「分かりました」

 俺は顔を上げる。

「聞かせてください」

「何を?」

「何が一番困ってるか」

 三人の商人が互いを見る。

 ベネディクトが少しだけ姿勢を変えた。

「では、率直に申し上げます」

「はい」

「一番困っているのは、外から商人が来ることではありません」

「違うんですか?」

「商売です。競争相手が増えることくらいあります」

「じゃあ」

「先が読めないことです」

「……」

 第九話。

 俺が商人たちに言った。

『分からないものを一つ減らす』

「市場税は来月どうなる?」

「……」

「基準容器は麦だけなのか。他の商品にも広がるのか」

「……」

「ハイゼンとの取引は羊毛だけか。それとも皮革や酒にも広げるのか」

「……」

「それが分からなければ、我々も倉庫を借りるべきか、荷車を増やすべきか、人を雇うべきか決められない」

「……」

 なるほど。

 制度の内容そのものより。

 急に変わること。

 それが怖い。

「だったら」

 俺は考える。

「先に予定を出したら?」

「予定?」

「例えば、三か月」

 俺はヨハンを見る。

「できます?」

「何をです」

「これから三か月は、制度を大きく変えない」

「……」

「市場税も、何日に見直すか先に決める」

「なるほど」

「基準容器を他の商品に使うなら、いきなり始めない。試す前に商人組合と話す」

 ベネディクトが黙って聞いている。

「ハイゼンとの新しい取引も」

 俺は考えながら続けた。

「何をどれくらい増やす予定なのか、分かる範囲で知らせる」

「全て公開するのですか?」

「全部は無理でしょうけど」

 軍需に関わる物もある。

 外交上、言えないこともある。

「商売に必要な範囲だけ」

「……」

 ヨハンが口を開いた。

「月に一度、市場役人と商人組合の代表を集めるという手もあります」

「何をするんです?」

「市場の状況を確認する。物価、入ってきた商人の数、商品量。それから今後予定している変更を伝える」

「それいい」

「私の案です」

「分かってますよ」

 ベネディクトがヨハンを見る。

「我々からも意見を?」

「当然でしょう」

 ヨハンが答える。

「聞くだけ聞きます」

「聞くだけ?」

「決定権まで渡す気はありません」

「……相変わらずですな、財務官殿」

「お互い様でしょう」

 二人。

 知り合い?

「昔からの知り合いですか?」

「二十五年ほど」

 ベネディクトが答える。

「そんな長いの!?」

「この男がまだ髪を黒くしていた頃からです」

「余計なことを言わないでください」

「ヨハンさんにも黒髪の時代あったんだ」

「アレク殿?」

「何でもないです」

 少し空気が軽くなった。

 でも。

 一つ残っている。

「羊毛を扱ってる人は?」

 俺が聞く。

「値段が下がって困るって」

「それについては」

 ベネディクトが答える。

「我々から提案があります」

「何です?」

「ハイゼンから入る羊毛を、全て市場へ直接流さないでいただきたい」

「じゃあどこへ?」

「この街の商会を通す」

「……」

 それだと。

 今度は商人組合が間に入って利益を取る?

 俺が黙っていると、ベネディクトが気づいた。

「我々だけが儲けようとしていると思いましたかな?」

「……ちょっと」

「正直でよろしい」

「すみません」

「当然、手数料は取ります」

「やっぱり」

「しかし代わりに倉庫を提供し、品質を確認し、東へ売る商人も手配する」

「……」

 そこまでやる?

「ハイゼン側の商人は?」

「ヴァイスブルクに着けば、まとめて我々へ売れる」

「個別に店を探さなくていい?」

「そうです」

「それなら」

 俺は考える。

 マティアスがやっていたことと似ている。

 商人の仕事を奪うのではない。

 今ある商人の機能を使う。

「マティアスだったら」

 思わず口に出る。

「何です?」

「いや」

 俺は少し笑った。

「たぶん、使える人がいるなら使うと思って」

 ベネディクトが不思議そうな顔をする。

「誰の話です?」

「グランヴァルトの変な人です」

「変な人?」

「すごく変です」

 アルベルトが笑った。

「お前が言うな」

「殿下まで!」


 ◇ ◇ ◇


 その日の午後。

 会議はさらに続いた。

 結局、いくつかのことが決まった。

 市場税は、今後三か月間は現在の三分の二を維持する。

 その後、商人の数と税収を見て改めて判断する。

 基準容器については当面、麦だけ。

 他の商品へ広げる場合は、一か月前までに市場へ告知する。

 ハイゼンから入る羊毛については、一部をヴァイスブルク商人組合がまとめて買い取り、東方への販売を担当する。

 ただし、組合を通さず直接売る商人も禁止しない。

 そして月に一度。

 大公家の役人、財務官、市場役人、商人組合の代表で市場の状況を確認する。

「……疲れた」

 俺は椅子へ深くもたれた。

「戦より?」

 アルベルトが聞く。

「種類が違います」

「どちらが嫌だ」

「戦」

 即答した。

「なら働け」

「そういう話?」

「そういう話だ」

 ベネディクトたちは既に帰っている。

 残っているのはアルベルト、ヨハン、ゲオルク、そして俺だけだった。

「殿下」

「何だ」

「俺、間違ってました?」

「何が」

「市場税を下げたこと」

「結果だけ見れば悪くない」

「基準容器は?」

「便利だ」

「ハイゼンとの取引も?」

「利益はある」

「じゃあ」

「アレク」

 ヨハンが口を挟んだ。

「正しいことと、受け入れられることは別です」

「……」

「制度として正しい。計算上も利益がある。しかし、それで不利益を受ける者が一人もいないとは限らない」

「はい」

「その者たちを全て無視すれば?」

「反対する」

「それだけならまだ良い」

 アルベルトが続ける。

「妨害する」

「……」

「隠れて別の道を使う。税をごまかす。役人を買収する。場合によっては他国へ逃げる」

「そこまで?」

「自分の生活がかかっていればな」

「……」

 戦場では敵が見える。

 旗がある。

 鎧を着ている。

 武器を持っている。

 でも政治や内政では違う。

 味方だと思っている人間とも利害がぶつかる。

「じゃあ」

 俺は聞いた。

「全員が納得するまで何もしない方がいい?」

「それも違う」

 アルベルトは即答した。

「そんなことをしていれば何も決まらん」

「……」

「必要なら反対されてもやる」

「でも」

「その前に、なぜ反対しているのかを知れ」

「……」

「利益を守りたいだけなのか。本当に困るのか。面子なのか。誤解なのか。それによって対応は違う」

 俺は少し考えた。

「反対する人を全部敵だと思うな?」

「そういうことだ」

 アルベルトが頷いた。

「戦場より面倒でしょう?」

「ようやく分かったか」

「戦場も十分面倒ですよ」

「なら両方覚えろ」

「無茶だなぁ」

「十五だろ」

「十五だからですよ!」

 ヨハンが小さく笑う。

「若いうちに苦労すると良いですぞ」

「それ、苦労させる側が言う言葉じゃないから!」


 ◇ ◇ ◇


 数日後。

 俺は市場の一角にいた。

 新しく始める月例会議の前に、商人たちから直接話を聞いてみようと思ったからだ。

 最初に話したのは麦商人。

「基準箱?」

「はい。面倒です?」

「最初はな」

「今は?」

「慣れた」

「良かった」

「ただし」

「何?」

「箱が足りん」

「……」

 また問題。

「市場役人に言いました?」

「二日前に」

「まだ来ない?」

「ああ」

「分かりました」

 書く。

 次は塩商人。

「市場税は?」

「今のままがいい」

「理由は?」

「そりゃ安い方がいい」

「ですよね」

 次。

 布商人。

「税より道だな」

「道?」

「南の橋が壊れかけてる」

「どこ?」

「リューデン街道だ」

「荷車は?」

「一台ずつなら渡れる。でも怖い」

「……」

 書く。

 次。

 羊毛商人。

「ハイゼンから羊毛が入ることについては?」

「嫌だ」

「やっぱり?」

「ああ」

「でも組合がまとめて買うことになった」

「それでも値段は下がる」

「ですよね」

「ただ」

 商人が少し笑う。

「量は増える」

「?」

「俺は今まで羊毛を買って東へ売ってた」

「はい」

「安く大量に入るなら、今度は洗って選別してから売る」

「……」

「その方が高く売れる」

「あ」

 俺は少し驚く。

 変化に合わせて。

 商人も考える。

「それ、自分で考えたんですか?」

「商人だからな」

「……」

 当たり前みたいに言う。

 俺はまた一つ、勘違いしていたのかもしれない。

 この世界の人間は、俺が教えなければ何も考えないわけじゃない。

 むしろ。

 自分の仕事については。

 俺よりずっと詳しい。

「アレク殿?」

「何だ?」

「いや」

 商人を見る。

「俺が余計なこと言わなくても大丈夫そうだなって」

「当たり前だ」

「ですよね」

 笑われた。


 ◇ ◇ ◇


 夕方。

 ヨハンの執務室。

「橋?」

「はい」

 俺は昼間にまとめた紙を渡した。

「リューデン街道の南橋。布商人が危ないって」

「知っています」

「知ってるの!?」

「修繕要望は三か月前から出ています」

「直さないんです?」

「金がありません」

「またそれ!」

「事実です」

「でも」

 俺は机へ身を乗り出す。

「橋が壊れたら商人来なくなるでしょう」

「分かっています」

「市場税も減る」

「分かっています」

「だったら」

「アレク殿」

 ヨハンが俺を見る。

「何です?」

「金を出してください」

「俺が!?」

「必要なのは分かりました。では財源を」

「それ財務官の仕事でしょう!」

「良い機会です」

「絶対遊んでる!」

 でも。

 考える。

 橋。

 修理。

 金。

「いくらです?」

「全面的に架け替えれば千二百デナー前後。補修だけなら四百から五百」

「全然違う」

「ただし補修なら二年程度で再び大規模な修繕が必要になる可能性があります」

「……」

 会社。

 似たような話あったな。

 安く直す。

 でもすぐ壊れる。

 高いけど長く使える。

「通る商人から少し取る?」

「橋銭ですか」

「今も?」

「ありません」

「じゃあ新しく取ったら」

「商人を呼ぶために税を下げた直後ですが?」

「……駄目だ」

 自分で言っておいて矛盾してる。

「他に」

 考える。

 商人。

 橋を使う。

 でも使うのは商人だけじゃない。

 村人。

 農民。

 軍。

「商人組合に一部出してもらう?」

「なぜ出すと思うのです?」

「一番使うから」

「それだけでは払わないでしょう」

「代わりに」

 何か。

 相手の利益。

「橋を直したら」

「はい」

「荷車を今より重くできる?」

「……」

 ヨハンの目が少し変わった。

「現在は橋が弱いため、重量制限があります」

「それをなくせる?」

「架け替えれば」

「じゃあ」

 俺は言った。

「商人組合に『橋の修理費を出してください』じゃなくて、『金を出してくれたら、もっと荷物を積める橋にします』って言う」

「……」

「それなら得になる?」

 ヨハンは少し考える。

「可能性はあります」

「本当?」

「荷車一台あたりの積載量が増えれば、同じ人数と馬でより多く運べます」

「なら」

「ただし商人組合だけに出させるのは難しいでしょう」

「じゃあ大公家も出す」

「いくら?」

「半分」

「簡単に言いますな」

「じゃあ三分の一」

「なぜ減ったのです?」

「財務官が怖いから」

「正しい判断です」

 俺は笑う。

「それと」

「まだあるのですか?」

「近くの村にも聞く」

「金を?」

「労働」

「……」

「石を運ぶとか木材を切るとか。それなら現金を減らせません?」

「できます」

「ただし?」

「当然、ただ働きさせれば反発します」

「ですよね」

「代わりに何を出す?」

「……」

 考える。

「橋を直したあと、村人の通行は無料」

「今も無料です」

「意味ない!」

「よく考えなさい」

 何か。

 村。

 橋。

 市場。

「市場税」

「農民には市場税を課していません」

「くそっ」

「言葉が悪い」

「すみません」

 ヨハン。

 少し楽しそう。

 絶対遊んでる。

「じゃあ」

 考える。

「大公家の直轄林から、村が使う薪を一年だけ増やす?」

「……」

「橋の工事で木も使うし」

「悪くありません」

「本当?」

「ただし林務官との相談が必要です」

「また人増える……」

「政治とはそういうものです」

「面倒」

「今さらですな」

「でも」

 俺は笑った。

「ちょっと分かってきたかも」

「何がです?」

「お願いするんじゃなくて」

「……」

「相手が得する理由を作る」

 マティアス。

 また思い出す。

 商人に荷物を運べと命令するんじゃない。

 運びたくなる理由を作る。

「なるほど」

 ヨハンが少し笑う。

「ようやく入口ですな」

「入口?」

「ええ」

「まだ?」

「まだです」

「先長いなぁ……」


 ◇ ◇ ◇


 橋の話は、その三日後に正式な会議になった。

 大公家。

 ヴァイスブルク商人組合。

 周辺三村の村長。

 林務官。

 オットー。

 ヨハン。

 そして俺。

「また俺?」

「言い出したでしょう」

 ヨハンに言われる。

「最近それで全部片づけてません?」

「便利ですからな」

 交渉は簡単ではなかった。

「商人組合が三分の一」

 ベネディクトが言う。

「大公家も三分の一」

「残りは?」

「村側で」

 三人の村長が同時に顔をしかめた。

「無理です」

「現金ではなく労役です」

 俺が説明する。

「石運び、木材運搬、それと工事中の職人の食事を一部」

「畑仕事があります」

「時期は?」

「今からなら刈り入れ前です」

「じゃあ」

 俺はオットーを見る。

「工事始めるの少し待てます?」

「待てるが、その分完成も遅れる」

「いつなら村の人が出せます?」

 村長。

「収穫後なら」

「じゃあ着工は収穫後」

「ただ」

 別の村長が言う。

「冬までに終わらねば困ります」

「何で?」

「雪解けで川が増水します」

「……」

 知らなかった。

 また。

 俺が知らないこの土地の事情。

 オットーが言う。

「職人を増やせば間に合う」

「金が増えますな」

 ヨハン。

「どれくらい?」

「一割ほど」

「……」

 全員。

 考える。

「なら」

 ベネディクト。

「商人組合が、その一割を追加しましょう」

「本当に?」

 俺。

 聞く。

「ただし条件があります」

「何です?」

「完成後五年間、橋を通る商人へ新たな通行税を設定しないこと」

 ヨハンが即座に答える。

「三年」

「五年」

「四年」

「……」

「四年で」

「承知」

「決まるの早いな」

 俺が呟く。

 ベネディクトが笑う。

「商売ですから」

 マティアスと同じこと言う。

 結局。

 大公家が費用の三分の一。

 商人組合が三分の一と追加費用。

 三村は収穫後に一定数の人員を出す。

 直轄林から木材を提供。

 代わりに協力した三村については、その年の薪採取量を増やす。

 橋は全面的に架け替え、従来より重い荷車が通れる幅と強度にする。

「……決まった」

 俺は疲れ切っていた。

「一人では絶対無理だな」

 ヨハンが隣で言う。

「当たり前です」

「最初のあなたなら、一人で考えようとしたでしょう」

「……」

 そうかもしれない。

 知識を持っている。

 なら自分が答えを出さなければならない。

 どこかでそう思っていた。

 でも違う。

 俺は橋の作り方を知らない。

 木材の値段も知らない。

 村の農作業の時期も知らない。

 川がいつ増水するかも知らない。

 俺が知っているのは、ほんの一部だ。

「使える人を使う」

「何です?」

「いや」

 俺は少し笑った。

「知ってる人に聞けばいいんだなって」

「ようやく気づきましたか」

「遅い?」

「少々」

「ひどいな」

「ですが」

 ヨハンが小さく笑う。

「悪くありません」


 ◇ ◇ ◇


 その夜。

 城館の食堂。

 俺は夕食を食べながら、完全に机へ突っ伏していた。

「疲れてるわね」

 エリーゼが向かいへ座る。

「疲れた」

「今日は戦ってないでしょう?」

「戦より疲れたかもしれない」

「何したの?」

「橋」

「橋?」

「橋を直す話」

「それだけ?」

「それだけって言うな」

 俺は顔を上げる。

「金は誰が出す。人は誰が出す。いつ工事する。誰が木を出す。工事したら誰が得する。税はどうする。全部話すんだぞ」

「……」

 エリーゼが少し笑う。

「何?」

「叔父様みたい」

「どこが!?」

「最近、話してることが」

「嫌だ」

「何でよ」

「俺、十五だぞ」

「大人でしょう?」

「そうだけど」

「ならいいじゃない」

 エリーゼはパンを小さくちぎる。

「それに」

「何?」

「楽しそうよ」

「俺が?」

「ええ」

「疲れたって言ってるのに?」

「戦から帰ってきた時とは違う」

「……」

 そう。

 疲れている。

 面倒だった。

 でも。

 嫌じゃない。

「橋ができたら」

 俺は言う。

「商人がもっと荷物運べる」

「ええ」

「村の人も使う」

「ええ」

「何年も残る」

「そうね」

「……」

 戦。

 勝っても。

 何人も死ぬ。

 橋。

 作れば。

 何年も人が使う。

「こっちの方がいいな」

「何が?」

「何でもない」

 俺はパンを齧った。

「変なの」

「最近言われ慣れてきた」

「それは困るわね」

「何で?」

「もっと言っても効かなくなるもの」

「言う前提なの!?」


 ◇ ◇ ◇


 翌朝。

 アルベルトの執務室に、西方から新たな報告が届いた。

「シュヴァルツ伯が?」

 俺は思わず聞き返す。

「ああ」

 ゲオルクが地図上の駒を動かした。

「本拠へ撤退した」

 ハイゼンからさらに西。

 シュヴァルツ伯の領地深くへ。

「レオンハルト殿下は?」

「追撃を止めた」

「止めた?」

 意外だった。

 あの人なら、そのまま追い続けるかと思った。

「理由は?」

「城がある」

 アルベルトが答える。

「シュヴァルツ伯の本拠は堅い。大軍を連れて力攻めする場所ではない」

「じゃあ包囲?」

「おそらくな」

 ゲオルクが報告書を読む。

「グランヴァルト軍はハイゼンおよび周辺地域の確保を優先。街道と補給拠点の整備を開始したとのことです」

「マティアス?」

「名前がある」

「やっぱり」

 ゲオルクが少し笑う。

「マティアス・クレーマー、兵站補佐より兵站奉行へ昇格」

「奉行?」

「グランヴァルト側の呼称だ。複数の兵站担当者を統括する立場らしい」

「……もう出世した」

 ついこの前。

 本人が言っていた。

『上へ行く』

『できることが増えるから』

 本当に。

 もう一段上がった。

「それだけではない」

「まだ?」

「レオンハルト殿下より、ハイゼン周辺の道路、橋、市場、宿営地整備について裁量を与えられたそうだ」

「……」

 俺。

 橋一つ。

 決めるだけで。

 あれだけ苦労した。

 向こう。

 地域全部?

「どうした?」

 アルベルトが聞く。

「いや」

 ちょっと。

 悔しい。

 でも。

 笑ってしまう。

「やっぱり速いなって」

「マティアスが?」

「はい」

 俺は地図を見る。

 ハイゼン。

 そこから西へ伸びる街道。

 マティアスは今、その道を作っている。

 俺はヴァイスブルクで橋を一つ直そうとしている。

 規模は全然違う。

 でも。

 やっていることは少し似ている。

「アレク」

「はい」

「行きたくなったか?」

 アルベルトが突然聞いた。

「……」

 一瞬。

 意味が分からなかった。

「グランヴァルトへ」

「……」

 マティアスから誘われたこと。

 知っている。

 当然か。

「少し」

 正直に答えた。

 アルベルトは怒らなかった。

「そうか」

「怒らないんですか?」

「なぜ怒る」

「だって俺、殿下の小姓ですよ」

「ああ」

「他国の人のところに行ってみたいって」

「思うだけなら自由だ」

「……」

「それに」

 アルベルトは地図を見る。

「私も見てみたい」

「何を?」

「マティアスが何を作るのか」

「……」

「戦で土地を取る奴はいくらでもいる」

「はい」

「取った土地をどう変えるかで、その人間の本当の価値が分かる」

「……」

 その言葉。

 覚えておこうと思った。

「ただし」

 アルベルトがこちらを見る。

「お前はまだ行かん」

「分かってますよ」

「まず橋を作れ」

「そこ!?」

「自分で始めたんだろ」

「はい……」

「市場も最後まで見ろ」

「はい」

「倉庫も」

「ヨハンさんがいるでしょう」

「逃げるな」

「はい」

 仕事。

 山ほど。

 でも。

 少し。

 楽しい。

「殿下」

「何だ」

「俺」

 言いかける。

 自分が。

 これから。

 何をしたいのか。

 まだ。

 分からない。

 剣。

 戦。

 内政。

 商売。

 橋。

 全部。

 繋がっている気がする。

「……いや、何でもないです」

「そうか」

 アルベルトはそれ以上聞かなかった。

 俺は窓の外を見た。

 ヴァイスブルクの街。

 市場。

 その向こうには、これから架け直す橋へ続く街道がある。

 さらに西にはハイゼン。

 もっと西にはレオンハルト。

 そしてマティアス。

 知らない世界。

 知らない人々。

 なのに。

 ところどころ。

 俺の知っている物語と重なる。

 ただ、その物語を知っているからといって。

 目の前の人間が、俺の知る歴史通りに動くわけじゃない。

 制度だって同じだ。

 俺にとって正しいことが、この世界の全員にとって正しいとは限らない。

 だから聞く。

 考える。

 試す。

 間違えたら直す。

 たぶん。

 それしかない。

 そして遠く西では。

 マティアス・クレーマーもまた、自分のやり方で道を作り始めていた。

今回は、アレクが「良い制度を考えること」と「それを人々に受け入れてもらうこと」は別なのだと知るお話でした。


市場に商品が増え、物価が下がり、税収も回復する。

数字だけを見れば成功です。


けれど、その変化によって利益を失う商人もいる。

先が見えなければ、新たな投資に踏み切れない者もいる。


反対する人間がいるからといって、その人が間違っているとは限りません。


なぜ反対するのか。

何を失うのか。

何を得られれば協力してくれるのか。


アレクは少しずつ、知識だけではなく「人を動かす方法」を学び始めています。


そして、一つの橋を架け直すためにも、財務官、商人、村人、職人、役人と、多くの人間の力が必要でした。


一人で答えを出すのではなく、知っている者に聞き、それぞれが得られる形を探していく。


剣以外の場所でも、アレクはまだ成長の途中です。


その一方で西方では、マティアスがさらに大きな仕事を任され始めました。


橋一つから学び始めたアレク。

街道と地域そのものを動かし始めたマティアス。


今はまだ大きく違う二人の立場と経験。


その差を知ることもまた、いつかアレク自身が進む道を選ぶための一歩になっていきます。

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