第十一話 橋を架ける
傷んだ南橋を架け替える計画が、いよいよ動き始めます。
しかし川底を調べれば、想定していなかった問題が見つかりました。
アレクは職人や農民たちの力を借りながら、計画を実際の形へ変えていきます。
ヴァイスブルクの城を出たアレクとトーマスは、南東へ伸びるリューデン街道を歩いていた。
町の門から遠ざかるにつれて、道の両側に建物が少なくなり、代わりに麦を刈り終えた畑が広がっていく。道には町へ向かう荷車の跡が何本も刻まれ、ところどころで乾いた土が深く抉れていた。
「橋を見るだけなら、俺まで来る必要はなかったんじゃないか」
隣を歩くトーマスが不満を漏らす。
「護衛なんだろ」
「そうだが、お前が出歩くたびについていくとは聞いていない」
「置いていったら怒るくせに」
「当たり前だ。何かあった時に俺が怒られる」
「俺の心配じゃないのか」
「半分はな」
「残りの半分は?」
「自分の心配だ」
アレクは呆れた顔を向けたが、トーマスは平然としていた。
二人がしばらく進むと、街道の先に川が見えてきた。
川幅は二十メートルほどで、両岸を古い木造橋がつないでいる。すでに職人頭と数人の大工が橋の周囲を調べていた。ヨハンとヴァイス男爵も先に到着している。
橋の手前には、麦を積んだ二台の荷車が止まっていた。
一台が橋を渡り終えるまで、もう一台は動かない。橋の上で擦れ違える幅がないだけでなく、同時に二台の重さを掛けることを避けているらしい。
荷車が通るたび、床板が鈍い音を立てた。
「思っていたより酷いな」
トーマスの顔から軽口が消えた。
「ああ」
市場の布商人から聞いた時には、古い橋の一部が傷んでいる程度だと考えていた。しかし、近くで見ると橋脚の一本がわずかに傾き、欄干にも継ぎ足した跡がいくつもある。
「来ましたな」
ヨハンがアレクたちへ振り返った。
「どうですか」
「それを今、職人たちが調べています」
職人頭は橋の下へ入り、橋脚と横木の接合部を細い鉄棒で突いていた。やがて外へ出てくると、手についた木屑を払う。
「床板だけなら、悪いところを取り替えれば使える」
「橋脚は?」
ヴァイス男爵が尋ねた。
「こっちの二本が駄目だ。見えるところより中が傷んでいる。春の増水をもう一度受ければ、傾きが大きくなるかもしれん」
「補強はできないのか」
「できる。ただし、二年持つか三年持つかは分からん」
「それでは、また同じ金が掛かりますね」
アレクは橋脚へ目を向けた。
「架け替える場合は?」
「橋脚から全部だ。今より重い荷車を通すなら、橋の幅も少し広げたほうがいい」
「荷車が二台並べるくらい?」
「そこまで広げれば、必要な木材も費用も大きく増える」
職人頭は橋の端を足で踏んだ。
「重い荷車が一台通っても、脇を人が歩ける幅。それなら今より多くの荷を運べる」
アレクがヨハンを見ると、財務官は持参した板へ数字を書き始めていた。
「もう計算しているんですか」
「必要になるでしょう」
「まだ架け替えると決まっていませんよ」
「アレク殿の顔を見れば、どうなるか分かります」
「どんな顔です?」
「面倒な仕事を見つけた顔です」
トーマスが横で頷いた。
「俺もそう思う」
「二人とも、俺を何だと思ってるんだ」
反論しながらも、アレクは古い橋から目を離せなかった。
ここを通る荷車は、今後さらに増える可能性がある。床板だけを取り替えても、橋脚が壊れれば費やした金と人手が無駄になる。最悪の場合、橋とともに人や荷車が川へ落ちる。
「架け替える前提で、必要なものを出してもらえますか」
「そう言うと思った」
職人頭が苦笑する。
「ただし、俺たちだけでは決められん。石工と林務官、それから木材を運ぶ村とも話す必要がある」
「商人組合もです」
ヨハンが書き加えた。
「なぜです?」
「橋を広くし、重い荷車を通せるようにするなら、利益を得る者にも費用を負担してもらいます」
「払ってくれますかね」
「それを話すのが、あなたの仕事です」
「ヨハンさんも一緒ですよね」
「当然です。あなた一人に任せれば、商人へ有利な条件を渡しすぎる恐れがあります」
「信用がない」
「経験がないと言っているのです」
「言い方を変えただけでは?」
ヨハンは答えず、職人頭から必要な木材の種類を聞き始めた。
三日後、ヴァイスブルク城の一室へ関係者が集められた。
アルベルトの代理としてヴァイス男爵が席に着き、その隣にはヨハンとアレクが並んでいる。向かいには商人組合の代表者二人、周辺三村の村長、林務官、職人頭が座っていた。
職人頭の調査では、古い橋を補修するだけなら費用を抑えられる。しかし、傷んだ橋脚を残すため、数年後には再び大きな修理が必要になる可能性が高い。
橋脚から架け替え、今より幅を広げる案は高くつくものの、重い荷車を安全に通せる。
「大公家だけで費用を負担することはできません」
ヨハンが最初に釘を刺した。
「橋は大公家の土地にあるのでは?」
商人組合の代表者が尋ねる。
「大公家の土地にありますが、最も大きな利益を得るのは、この道を使って荷を運ぶ商人です」
「周辺の村も使います」
「承知しています。ですから、大公家にも村にも負担を求めます」
ヨハンは卓上の紙を三つに区切った。
「大公家が費用の三分の一を負担します。直轄林から必要な木材も出しましょう」
「残りの三分の二を、商人だけで出せと?」
「いいえ。商人組合には三分の一を求めます」
「残りは村ですか」
三人の村長が不安そうな顔をした。
「現金ではなく、人足を出してもらいます」
アレクが答えた。
「石や木材の運搬、川岸の整地、工事に携わる者の食事などです。ただし、畑仕事を止めてまで出せとは言いません」
「いつから工事を始めるおつもりです?」
「収穫が終わった村から、順番に人を出してもらうのはどうでしょう」
三人の村長は小声で相談した。
今年の収穫はすでに大半が終わっている。あと十日ほど待てば、人足を出せる村が二つあるという。残る一村は、さらに数日遅れる。
「協力した村には、直轄林から採取できる薪を今年に限って増やします」
林務官がアレクへ目を向けた。
「増やせる量には限りがあります」
「分かっています。森を傷めない範囲で決めてください」
「それならば可能です」
村側の負担については見通しが立った。
だが、商人組合の代表者は、まだ納得していなかった。
「三分の一を支払ったとして、我々には何が認められますか」
「今より重い荷車を通せるようになります」
「それだけでしょうか」
「同じ人数と馬で、多くの荷を運べるようになります。橋の手前で、前の荷車が渡り終えるまで長く待つことも減るはずです」
「完成後に、橋の通行税を新たに設けることは?」
商人が警戒しているのはそこだった。
費用を出して橋を造り、その後で通行税まで取られれば二重の負担になる。
「何年間なら、安心して金を出せますか」
アレクが尋ねた。
「少なくとも五年」
「長すぎます」
ヨハンが即座に退ける。
「では四年」
「三年です」
「橋の費用を負担するのはこちらですぞ」
「大公家も村も負担します」
「四年。その間は新たな橋銭を設けないと書面へ残していただきたい」
ヨハンはヴァイス男爵へ目を向けた。
男爵が頷く。
「四年でよい。ただし、戦や洪水によって大規模な修復が必要になった場合は、改めて協議する」
「承知しました」
商人組合は三分の一を負担することになった。
さらに、収穫を待つことで遅れた工期を取り戻すため、職人を増やす費用の一部も商人組合が出す。その代わり、完成後四年間は新しい通行税を設けない。
話し合いの内容が書面へまとめられ、それぞれが印を押した。
「これで橋を架けられますね」
アレクが安堵すると、職人頭が首を振った。
「まだ木を切ってもいない」
「分かっています。言ってみただけです」
「橋は紙の上では完成しないぞ」
「それも分かっています」
「どうだかな」
集まった者たちの間に、小さな笑いが生まれた。
十日後、南橋の架け替え工事が始まった。
古い橋は荷車を通せる状態で残し、その少し下流へ新しい橋を造る。完成後に古い橋を解体する計画だった。
川岸では、大工と人足が太い縄を引いている。馬が歩くたびに滑車が回り、切り出された木材が少しずつ持ち上がった。
「止めろ! そのまま支えろ!」
職人頭の号令が飛ぶ。
十数人の男たちが綱を張ったまま足を踏ん張り、別の職人が木材の下へ支えを入れる。石工たちは少し離れた場所で石の表面を削り、橋台へ使える形に整えていた。
一つの橋を造るために、大工だけが働いているのではない。
木を選び、切る者がいる。川辺まで運ぶ者がいる。縄や杭を用意する者がいる。石を割る者もいれば、人足のために食事を作る者もいる。
アレクは以前の世界で、造りかけの橋を遠くから見たことはあった。しかし、誰がどの作業を担い、一本の木材を動かすために何人が必要になるのかまで考えたことはなかった。
「アレク殿」
後ろからヨハンに呼ばれた。
「はい」
「感心しているところを申し訳ありませんが、あちらに積まれた木材の数を確認してください」
「俺がですか」
「そのために来てもらいました」
「工事の様子を学ぶためでは?」
「数を確認することも工事の一部です」
逃げられそうになかった。
アレクが木材置き場へ向かうと、すでにトーマスが板材を数えていた。
「何で俺まで」
「護衛だろ」
「護衛が板を数えるのか」
「俺に聞くな。ヨハンさんに言ってくれ」
「言えるわけがないだろ」
「俺には言えるのに?」
「お前は怖くない」
「それは褒めてないよな」
二人は木材の山を左右に分かれて数え始めた。
長い材木には用途を示す印がつけられ、短い板材は十枚ずつ縄でまとめられている。数えるだけなら簡単だと思ったが、運び出す者や新たに置く者が行き来するため、目を離すとすぐに分からなくなる。
「三十八、三十九、四十……」
「おい。それはさっき数えたぞ」
「印は?」
「反対側にある」
「見えないよ」
「最初からだな」
「嘘だろ」
「俺は知らん」
「少しは手伝え」
アレクが再び数え始めたところで、川のほうから鋭い声が響いた。
「作業を止めろ!」
職人たちの動きが止まり、人足が引いていた縄がゆっくりと地面へ下ろされる。
職人頭は川へ入り、長い棒を川底へ突き刺していた。棒は水面から三分の一ほど残したところで止まったが、隣へ移すとさらに深く沈んだ。
「何があったんですか」
駆け寄ったアレクが尋ねる。
「橋脚を立てる場所の一つが柔らかすぎる」
「調べた場所では?」
「川岸から棒を入れた時は、ここまで深い泥が溜まっているとは分からなかった」
職人頭は棒を引き抜き、先端についた黒い泥を見せた。
「古い流れが土を削り、その上へ泥が溜まったんだろう。このまま柱を立てれば、重い荷車が通るたびに沈む可能性がある」
「別の場所へ柱を立てられませんか」
「それを調べる」
「どれくらい掛かります?」
「二日か三日だ」
「では、その間は」
「橋脚以外の仕事を進める。だが、結果によっては橋の位置そのものを変える」
工事が始まったばかりで、もう計画どおりに進まなくなった。
だが、安全に関わる問題を見つけた職人が作業を止めたことを、アレクは責められなかった。予定を守るためにそのまま進め、完成後に橋が傾けば、もっと大きな損失になる。
その日の午後、川辺に張られた天幕へ関係者が集まった。
職人頭が簡単な図を広げ、泥の深かった場所へ印をつける。
「現在の位置で橋脚を据えるなら、もっと深くまで杭を打つか、川の流れを変えて石の土台を造る必要がある」
「できますか」
ヴァイス男爵が尋ねた。
「できる。だが、川をせき止める準備だけで相当な時間が掛かる。冬までの完成は難しい」
「春の雪解けに間に合わないのは困ります」
三村の村長の一人が言った。
冬の間に積もった雪が解ければ、川の水量は大きく増える。その時まで古い橋を使い続けるのは危険だった。
「では、固い川底へ橋脚を移す案は?」
「今の場所から下流へ十二歩ほど移せば、固い場所がある」
「それなら、そこへ造ればよいのではありませんか」
アレクが言うと、職人頭は図の上へ別の線を引いた。
「現在の街道へ真っ直ぐつなぐなら、橋を斜めに架けることになる。橋が三歩ほど長くなり、用意した木材では足りん」
「追加費用は?」
ヨハンがすぐに尋ねた。
「木材だけなら八十デナーほどだ。加工と運搬、人足を含めれば百二十は要る」
橋全体の費用から見れば、工事を止めるほどの額ではない。しかし、予想外の支出を簡単に認めれば、今後も同じように費用が膨らんでいく。
「ほかの方法はないのですか」
アレクが図を覗き込む。
「橋を長くするのではなく、街道のほうを曲げる」
職人頭は、橋を真っ直ぐ架けた先から現在の街道へ向けて線を引いた。
「橋は固い場所へ短く架ける。その代わり、手前の道をこちらへ寄せる」
「それなら木材は?」
「今ある分で足りる」
「追加費用は」
「道を整えるために五十から六十デナーほどだろう」
橋を長くする案の半分ほどで済む。
ヨハンの表情は明らかに三つ目の案へ傾いていた。
アレクも図を見ながら、橋と街道のつながりを考えた。
「この曲がり方で、荷車は通れますか」
「道を造るのだから通れる」
「短い荷車なら通れても、長い荷車は橋の入口で曲がりきれないかもしれません」
職人頭の指が止まった。
「長い荷車ほど、曲がる時に外側へ大きく膨らみます。橋の欄干や道の端にぶつかりませんか」
以前の世界でも、長い車両は狭い角を曲がる時に大きな場所を必要としていた。荷車も前輪の向きを変えられる範囲や、馬の動きを考えれば同じはずだった。
職人頭は図を見つめ、近くにいた大工を呼ぶ。
「一番長い荷車を持ってこい。縄で橋の位置を示して、実際に曲がらせる」
「今からですか」
「図だけ見て分からんものは、動かすほうが早い」
人足が地面へ杭を打ち、縄で橋の入口と欄干の位置を示した。その間を、木材運搬用の長い荷車に通らせる。
最初の線では、荷車の後輪が街道の端から大きく外れた。橋へ入る直前で向きを変えようとすると、馬を扱う者も何度も手綱を引かなければならない。
「これでは駄目だな」
職人頭はあっさり認めた。
「もっと手前から緩やかに曲げる」
新たな線を引き直し、もう一度荷車を動かす。
今度は余裕を持って橋の入口まで進むことができた。
「この形なら通せる」
「費用も、最初の案ほどは増えませんか」
「ああ。ただし」
職人頭が街道脇へ視線を向けた。
緩やかに曲げた道の先には、一枚の畑がある。
「畑の端を使うことになる」
その畑を耕していたのは、近くの村に住む四十代の農民だった。
アレクはヴァイス男爵と村長を伴い、工事を一度止めて事情を説明した。
「畑を道にしたいということですか」
「全部ではありません。橋へ続く道を曲げるために、こちらの端を使わせてもらいたいんです」
アレクが必要な範囲を示すと、農民の顔が曇った。
「端でも畑は畑です。そこから毎年麦が取れる」
「土地に見合う金は大公家から支払います」
「売りません」
即答だった。
ヴァイス男爵が口を開こうとしたが、アレクは視線で制した。
「理由を聞いてもいいですか」
「父親から受け継いだ畑です。俺が子供の時から家族で耕してきた。金をもらったからといって、同じものが手に入るわけではない」
農民にとって畑は、売れば終わる品物ではない。毎年の収穫を生み、子供へ残せる生活の土台だった。
大公家が命じれば、土地を取り上げることはできるのかもしれない。
しかし、商人たちから先に話を聞いてほしいと言われたばかりだった。橋を使う大勢のためだとしても、一人の暮らしを無視してよい理由にはならない。
「別の畑と交換することはできますか」
アレクは村長へ尋ねた。
「村の東に、大公家が持つ牧草地があります」
「広さは?」
「道に使う畑よりは広いです。土も悪くありません」
農民の表情が少し動いた。
「すぐに麦を作れる土地ですか」
「今は牧草地ですから、耕し直す必要があります」
「それでは、来年の収穫は減る」
「新しい畑を整える人手も用意します」
アレクが答えたが、農民はすぐには頷かなかった。
「家族と相談させてください」
「もちろんです」
「三日、待ってもらえますか」
「分かりました。その間は別の作業を進めます」
農民が意外そうにアレクを見る。
「工事を急いでいるのでは?」
「急いでいます。でも、三日で橋が逃げるわけではありません」
ヴァイス男爵が隣で小さく笑った。
「何ですか」
「いや。ヨハン殿に似てきたと思っただけだ」
「それは褒められているんですか」
「半分はな」
「最近、その答えが流行っているんですか」
三日後、農民は土地の交換を受け入れた。
ただし、新しい土地を耕しても初年度から同じ量の麦を収穫できるとは限らない。そのため、交換した畑に掛かる最初の一年の地租を半額にすることになった。
大公家は畑の開墾に必要な人足も一部負担する。代わりに、農民は橋へ続く道のために古い畑の端を譲る。
「一年全部を免除してほしいのですが」
農民が最後に交渉すると、ヨハンは首を振った。
「半額です。開墾する人足も大公家から出します」
「来年、十分に収穫できなければ?」
「その時は実際の収穫量を確認したうえで、改めて相談しましょう」
「分かりました」
農民が印を押し、交換が決まった。
「慣れていますね」
アレクがヨハンへ言う。
「何年この仕事をしていると思っているのです」
「俺と比べるのが間違いでした」
「ようやく分かりましたか」
街道の位置が決まり、工事は再び進み始めた。
だが、橋脚へ使う石の運搬と、新しい進入路の整備を同時に始めたことで、今度は人足が不足した。
「三村から来る人数は、約束どおりですよね」
アレクが職人頭へ確認する。
「人数は足りている。仕事が増えたんだ」
「増えたのは、道を曲げたからですか」
「それだけじゃない。固い地面まで掘り下げた分、運び出す土も増えた。石を運ぶ者を道へ回せば、橋脚の作業が遅れる」
「職人を増やす費用は、商人組合が出してくれます」
「必要なのは職人だけじゃない。土や石を運ぶ者だ」
ヨハンが手元の書類を確認する。
「戦の後、仕事を失った者が町に残っています」
「城壁の修理をしていた人たちですか」
「それもいます。荷役の仕事を失った者や、仕えていた家を失った従者もいます」
「雇えますか」
「日当を払えば。ただし、橋の予算には限りがあります」
アレクは川辺で働く人足を見た。
人を増やせば、工事は早く進むかもしれない。しかし、人数を増やした分だけ日当と食事が必要になる。
「予定より早く終わったら、浮いた日数分の金が残りますよね」
「理屈の上では」
「その一部を追加で払うのはどうですか。早く終われば、その分だけ多く受け取れるようにするんです」
「速さだけで金を払うのは駄目だ」
職人頭が口を挟んだ。
「なぜです?」
「急いで土を埋め、見えないところで手を抜く者が出る。道が沈んでも、金を受け取った後なら知らん顔をするだろう」
「では、職人頭が確認して、問題がなかった場合だけなら?」
「橋脚や梁を素人へ触らせないことも条件だ」
「新しく雇う人たちには、石運びや土運び、道の整備を任せます。橋そのものは職人だけで造ってください」
「それならいい」
ヨハンはその場で追加報酬に使える上限を計算した。
予定された工期より早く終わり、職人頭の検査で問題がなければ、人足へ一定の追加報酬を支払う。早く終わらせるために人を増やしすぎても利益がなくなるよう、雇える人数にも上限を設けた。
翌日から、町で仕事を探していた者たちが現場へ加わった。
石を載せたそりを引く者、掘り出した土を運ぶ者、新しい道へ砂利を広げる者。担当する仕事を分けたことで、職人たちは橋脚や梁の加工に集中できるようになった。
それでも、工事が何事もなく進んだわけではない。
運んできた木材の一本に深い割れが見つかり、別の材木と交換した。雨が二日続いた時には、川の水量が増え、橋脚周辺の作業を止めた。縄が切れて石が落ちかけた時には、職人頭が全員を集め、結び方と摩耗の確認をやり直した。
新しい問題が見つかるたび、アレクは職人へ尋ねた。
自分に分からないことを、分かったように扱わない。費用が増えるならヨハンへ相談し、人手が必要なら村長や町の役人へ頼む。作業方法については職人の判断を優先し、それでも荷車を使う者の立場から気づいたことがあれば伝えた。
以前の世界の知識が役に立つ場面もあった。
だが、それだけで橋を造ることはできなかった。
この土地の川を知る者、木の性質を知る者、石を積む者、荷車を扱う者。それぞれが持つ知識と経験が合わさって、初めて一つの橋になる。
工事を始めて二十七日後、最後の床板が梁の上へ固定された。
古い橋を渡っていた荷車は止められ、職人頭が新しい橋を端から端まで歩く。欄干、床板、梁、橋脚を順番に調べ、最後に進入路の締まり具合を確かめた。
「通していい」
その一言に、現場から歓声が上がった。
最初に橋を渡ったのは、麦袋を積んだ荷車だった。
御者が慎重に馬を進める。車輪が新しい床板の上を転がり、低い音を響かせた。橋は揺れたが、以前のような不安定な軋みは聞こえない。
荷車が橋の中央に差しかかった時、反対側から歩いてきた村人が端へ寄った。人一人が余裕を持って通れる幅が残っている。
やがて荷車が向こう岸へ着くと、待っていた者たちから再び声が上がった。
完成を祝うためにアルベルトも現場を訪れていた。
盛大な式典は行われなかったが、アルベルトは職人と人足のために酒樽を二つ用意していた。夕方に仕事を終えてから、皆へ振る舞われることになっている。
「酒樽だけですか」
アレクが尋ねると、アルベルトが怪訝そうな顔をした。
「何が不満だ」
「もう少し、橋の完成を祝うものかと思っていました」
「橋を一本造るたびに式典を開けば、その費用でもう一つ橋が直せる」
「最近、ヨハンさんに似てきましたね」
「財務を預かる者の苦労が分かってきた」
「ヨハンさんが聞いたら喜びます」
「それはない」
アルベルトはそう言って、新しい橋へ足を踏み入れた。
アレクも隣に並ぶ。
「どうだ」
「何がですか」
「自分が関わった橋だ」
「俺が造ったわけではありません。造ったのは職人たちです」
「それは見れば分かる」
「なら、どうして聞くんです?」
「お前が布商人の訴えを聞かなければ、少なくとも今この時期に架け替えることはなかった。金を出す者と人を出す者を集め、工事を始めるきっかけを作ったのもお前だ」
アレクは足元へ目を落とした。
新しい床板には、荷車の車輪が通ったばかりの跡が残っている。
「嬉しいです」
「そうか」
「はい。俺一人で造ったわけではないからこそ、余計に」
大勢の人が関わり、それぞれの都合を話し合い、問題が起きるたびに別の答えを探した。最初に考えていたとおりの橋ではない。それでも、実際に人と荷車が渡れるものが残った。
「なら、覚えておけ」
アルベルトがゆっくりと橋を歩きながら言った。
「道を直し、橋を架け、市場を守り、畑を増やす。領民の争いを裁き、暮らしが続くようにする。それもすべて国を治める仕事だ」
「戦うことだけではない?」
「むしろ戦をしていない時のほうが長い」
「そうであってほしいです」
「俺もだ」
アレクは隣を歩くアルベルトを見た。
「意外そうな顔をするな」
「アルベルト様は、戦場で楽しそうに見える時があるので」
「勝てることと、好きなことは別だ。誰が好き好んで、大量の金と兵糧を使い、人を死なせる」
「そうですよね」
「俺を何だと思っていた」
「戦が得意な人です」
「間違ってはいない」
アルベルトの答えに、アレクは小さく笑った。
橋が完成して三日後、ヨハンから最終的な費用を見せられた。
「見たくないという顔をしていますな」
「顔だけで分かりますか」
「分かります。読みなさい」
アレクは差し出された帳簿を受け取った。
職人の給金、石材費、縄や杭の購入費、人足の食費、交換した畑の開墾費、追加報酬。数字を順番に追っていくと、最初の予算より少ないことに気づく。
「二十七デナー余っています」
「現金支出だけを見れば、そうなります」
「追加報酬も払ったんですよね」
「支払い済みです。村側が予定より多く石材運搬を担い、新しく雇った人足を道の工事へ集中させたことで、無駄な待ち時間を減らせました」
「では、上手くいったと考えていいですか」
「直轄林から出した木材を忘れなければ」
喜びかけたアレクの手が止まった。
「帳簿には、木材の費用が入っていませんね」
「金を支払って買ったものではありませんからな」
「でも、木材も大公家の財産です」
「そのとおりです。それに、薪の採取量を増やした分もあります」
「現金を使っていないから、無料というわけではない」
「ようやく分かってきましたな」
アレクは帳簿を最初から見直した。
工事のために使ったのは金だけではない。木材も、人足も、村へ与えた権利も、すべて別のことに使えたものだった。
「それでも、悪くはなかったんですよね」
「総合的に見れば、悪くありません」
「ヨハンさんがそう言うなら、かなり良かったと思っていいですか」
「調子に乗らなければ」
「少しくらい褒めてくれてもいいでしょう」
「知らないことを知らないと言い、職人の判断を聞けたことは評価します」
思っていたより率直な言葉だった。
「本当に褒められた」
「大げさですな」
「ヨハンさんに褒められることなんて、ほとんどないので」
「褒めれば、すぐそのようになるからです」
「もう少し喜ばせてくださいよ」
ヨハンは呆れた顔をしたが、口元にはわずかな笑みが浮かんでいた。
同じ日の午後、西方から新たな報告が届いた。
軍議室にはアルベルト、ゲオルク、ヨハン、ヴァイス男爵、アレクが集まった。
「レオンハルト殿下の軍ですか」
「ああ」
ゲオルクが地図の上へ三本の線を引いた。
「ハイゼンから西へ向かう主要街道三本で、補修が始まった。シュヴァルツ伯が退いた後の地域へ、物資を安定して運ぶためだ」
「三本を同時に?」
「使える職人や人足を地域ごとに分けたらしい」
南橋一つを架け直すだけでも、大勢の人間を集める必要があった。三本の街道を同時に整えるとなれば、動く人と金は比べものにならない。
「クレーマー商会は?」
アレクが尋ねると、アルベルトが呆れたように見る。
「やはり最初に聞くのは、そこか」
「気になるので」
「街道の補修と並行して、村から食料や飼料を買い集めている」
ゲオルクは報告書をめくった。
「ただし、軍が必要な量を一方的に供出させる方法ではない。村ごとに、何をどれだけ出せるか申告させ、合意した量を一定の価格で買い取っている」
「契約した後は?」
「決められた期限と品質を守らせる。その代わり、軍も約束した価格を変えない」
ヴァイスブルクを訪れた時、マティアスは商人たちへ、何を持ってこいとは命じなかった。代わりに、何なら持ってこられるのかを聞いた。
今度は同じ考え方を、商人だけでなく村との取引へ使っている。
「参加したいという村は多いのですか」
「予想より多いそうだ」
「軍に持っていかれるより、最初から売ったほうがいいからですね」
アルベルトが頷いた。
「それだけではない。村側も、いつまでに何をどれだけ出せばよいか分かる。約束を守れば金も入る」
「先が分かれば動ける」
アレクは、商人組合との話し合いを思い出した。
市場税がいつまで同じなのか。それが分かるだけでも、商人は倉庫や荷車へ金を使える。マティアスはさらに広い土地で、同じように人が動ける条件を作っていた。
「悔しいか」
アルベルトが尋ねる。
「少しは」
「正直だな」
「俺は橋一つに二十七日掛かりました。マティアス様は三本の街道と、いくつもの村を同時に動かしています」
「比べる相手を間違えている」
「どういう意味ですか」
「あの男は、昨日今日になって商いを始めたわけではない。商人や職人とのつながりを作り、荷車を集め、信用を積み上げてきた。その経験があるから、複数の仕事を同時に動かせる」
「俺には、それがない」
「今はな」
アルベルトは地図上のヴァイスブルクを指した。
「お前は橋一つを通して、川底を調べる必要があることを知った。畑を道へ変えるなら、そこを耕す者と話さなければならないことも知った。人足へ早く働けと言うだけでは、手を抜く危険があることも知った」
「はい」
「それを飛ばして、いきなり三本の街道を動かせると思うな。人には順番がある」
アレクは地図を眺めた。
規模の違いに焦るばかりで、自分が得たものを見ていなかった。
「マティアス様と同じことをする必要はない?」
「真似られるところは真似ればいい。ただし、あの男と同じ人間になる必要はない」
「では、俺は何をすればいいんでしょう」
「自分で探せ」
「そこは教えてくれないんですか」
「俺が決めれば、お前の道ではなくなる」
アルベルトはそれ以上答えなかった。
その日の夜、アレクは一人で城壁の上に立っていた。
昼間の熱を残した石壁へ、冷たい風が吹きつける。ヴァイスブルクの町には家々の明かりが点々と灯り、その向こうには南橋へ続く街道が暗く伸びていた。
「こんなところにいたのですね」
声に振り返ると、エリーゼが階段を上ってきた。少し離れた場所には侍女が付き添っている。
「探していたの?」
「叔父上が呼んでいるかもしれないと思っただけです」
「それなら、先にアルベルト様へ確認するだろ」
「細かいことは気にしないでください」
エリーゼはアレクの隣へ立ち、町を見下ろした。
「橋を見てきました」
「どうだった?」
「橋でした」
「感想はそれだけ?」
アレクが顔を向けると、エリーゼは堪えきれないように笑った。
「冗談です。以前より広くて、立派な橋でした」
「俺が造ったわけではないけど」
「叔父上から聞きました。アレクは誰かに褒められると、すぐに自分がしたことではないと言うそうですね」
「本当のことだから」
「職人たちが造ったことは、誰にも分かっています。それでも、最初に動く人がいなければ、今も古い橋を使っていたかもしれません」
「エリーゼまでアルベルト様と同じことを言うんだな」
「叔父上の姪ですから」
少し得意そうな顔をするエリーゼに、アレクは笑った。
「ありがとう」
「どういたしまして」
二人の間を冷たい風が通り抜けた。
しばらく黙って町を眺めた後、エリーゼが小さな声で尋ねる。
「マティアスという方に、もう一度誘われたらどうするのですか」
突然の問いに、アレクはすぐに答えられなかった。
「どうして、それを?」
「叔父上が、アレクはあの方の仕事ばかり気にしていると言っていました」
「アルベルト様は余計なことを言うな」
「それで、どうするのです?」
エリーゼは町を見たまま尋ねていた。
今ここを離れるつもりはない。
市場税の仕組みも、羊毛の取引も始まったばかりだ。南橋は完成したが、その橋を通って商いがどう変わるのかも見届けたい。アルベルトとヨハンから学ばなければならないことも、まだいくらでもある。
「今は行かないよ」
「今は?」
エリーゼは、アレクが付け加えた言葉を聞き逃さなかった。
先のことまで分からないと言えば、不安にさせるかもしれない。
それでも、ここから離れることは絶対にないと約束することもできなかった。マティアスの仕事をもっと近くで見たいという思いが、自分の中にある。
「将来のことまでは、まだ決められない」
「……そうですか」
「でも、何も言わずにいなくなったりはしない」
エリーゼがアレクを見る。
「本当ですか」
「ああ。もし、いつかここを離れることになっても、エリーゼには先に話す」
「叔父上よりも?」
「それは困る。アルベルト様には先に話さないと怒られる」
「では、同じ時にしてください」
「分かった」
「約束ですよ」
「約束する」
エリーゼはしばらくアレクの顔を見てから、ようやく微笑んだ。
南橋は、川に隔てられていた二つの岸をつないでいる。
完成した橋の上を、これから何台もの荷車が通り、人々が行き来する。今日まで遠かった場所が、少しだけ近くなる。
アレクが今いる場所と、マティアスがいる西方も、街道でつながっている。
その道を進むのか、それとも別の場所へ向かうのか、まだ決める必要はない。
ただ、いつか選ぶ時が来る。
その時には誰かに決められるのではなく、自分の意思で渡る橋を選ばなければならないと、アレクは夜の町を見ながら考えていた。
第十一話を読んでいただき、ありがとうございました。
一本の橋を架けるためにも、木材や石、費用だけでなく、職人の技術、村の事情、農民の生活まで考える必要がありました。アレクは自分の知識だけで答えを出そうとせず、それぞれの分野を知る人々へ任せることを学びます。
完成した南橋は人と品物を運ぶだけでなく、アレクがいつか自分の意思で進む道を選ぶことにもつながっていきます。
少しでも面白い、続きが気になると思ってくださったら、ページ下部にある【ブックマークに追加】や【★★★★★】での評価で応援していただけると、執筆の励みになります!




