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『知らない世界の知っている物語』 ~剣と知識を授かった平凡な会社員は、異世界の乱世を生き抜く~  作者: 相田 ソウ
第二篇 乱世に蒔く種

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第八話 知らない男のやり方

戦後のヴァイスブルクで始まった復興。


倉庫の整理から、今度は市場へ。

物価の上昇に悩む街を前に、アレクは前世では当たり前だった知識を使い、小さな実験を始める。


知っていることが、そのまま正解になるとは限らない。

この世界の人々と考え、試し、失敗しながら形にしていく。


そして西方では、アレクよりさらに大きな規模で「人と物」を動かす男がいた。


マティアス・クレーマー。

知らないはずの男のやり方が、少しずつアレクの知る歴史と重なり始める。

 戦が終わって五日が経った。

 ヴァイスブルクの城壁では、今日も朝から槌の音が響いている。

 カン、カン、カン……。

 石工たちが砲撃で崩れた部分を削り、新しい石を組み直していた。西門では大工たちが折れた梁を取り外し、その横では鍛冶職人が新しい鉄具を打っている。

 戦の傷跡は、まだ街の至るところに残っている。

 それでも少しずつ、本当に少しずつではあるが、ヴァイスブルクは日常を取り戻し始めていた。

「三十七」

「何が?」

「昨日から数えた回数」

「何の?」

「お前がため息をついた回数」

「……暇なの?」

 俺は机の向こうに座っているトーマスを見た。

「暇じゃない。お前のせいでこれをやらされてるんだ」

 トーマスの前には木札が山ほど積まれている。札には数字と簡単な記号が書かれていた。

「俺のせいじゃないよ」

「お前が余計なことを言ったからだろ。倉庫を整理しようとか、帳簿の書き方を揃えようとか」

「便利になるだろ?」

「そのために、俺たちが倉庫の中身を全部数えてるんだぞ!」

「仕事なんだから仕方ない」

「お前も数えろ!」

「数えてるよ!」

 俺は目の前の紙を指で叩いた。

「槍百二十三本。うち、そのまま使えるものが八十九――じゃないな。これ、修理可能も混ざってる」

「ほら、お前も間違えてるじゃないか」

「うるさいな。昨日まで倉庫ごとに分類方法が違ったせいだよ」

 俺は改めて札を見直した。

「使えるもの六十一。手入れか簡単な修理で使えるもの二十八。廃棄予定三十四」

「俺の方は革鎧七十六」

「状態は?」

「知らん」

「書けよ!」

「面倒くさい!」

「後でヨハンさんに見つかったら、俺は助けないからな」

「……」

 トーマスの表情が固まった。

 しばらくして、急に真面目な顔で革鎧を確認し始める。

「状態良好四十一。手入れ後使用可能二十二。廃棄十三」

「急に真面目になったな」

「あの爺さん、怖いんだよ」

「それは分かる」

 財務官ヨハン・クラウゼ。

 初めて会った時は、ただ金を出したがらない頑固な老人だと思っていた。

 だが今は少し違う。

 金に関して恐ろしく細かいのは変わらないが、一度必要だと判断したことには俺より容赦がない。

 数日前、俺が倉庫ごとに違う帳簿の形式を統一したらどうかと提案した。

 その結果、なぜか提案した俺自身まで倉庫整理に巻き込まれている。

「アレク殿」

「うわっ!」

 突然背後から声を掛けられ、俺は思わず肩を跳ねさせた。

 振り返ると、そのヨハンが立っていた。

「何です、その反応は」

「いや、ちょうどヨハンさんの話をしていたので」

「悪口ですか?」

「違います」

「本当に?」

「半分」

「殿下の真似をしないでください」

「最近みんなにそれ言われるな……」

 ヨハンは俺たちの前に並べられた札を確認した。

「進み具合は?」

「三番倉庫は終わりました」

「早いですな」

「トーマスが頑張ったので」

「俺!?」

 突然名前を出されたトーマスが俺を見る。

「ほう」

 ヨハンがトーマスへ視線を移した。

「なかなか優秀ですな」

「え?」

 トーマスの顔がわずかに緩んだ。

「では、その調子で四番倉庫もお願いします」

「えっ」

「お願いします」

「……はい」

 ヨハンは満足そうに頷いた。

 俺はそのやり取りを見ながら感心する。

 この爺さん、人を使うのが上手い。

 褒めてから仕事を増やした。

 前世の会社にも、こういう上司がいたような気がする。

「それで、アレク殿はこちらへ」

「何です?」

「市場を見に行きます」

「市場?」

「はい」

「どうして?」

 ヨハンが呆れたように俺を見る。

「あなたが言ったのでしょう。『戦後に物の値段がどうなっているのか、調べた方がいい』と」

「……言った気がする」

「言いました」

「よく覚えてますね」

「財務官ですから」

「怖いな」

「行きますよ」

「はい」

 俺は椅子から立ち上がった。

 すると背後からトーマスが叫ぶ。

「俺は!?」

「四番倉庫だって」

「ずるいぞ、アレク!」

「頑張れ!」

「覚えてろ!」


 ◇ ◇ ◇


 ヴァイスブルクの市場は、戦の前と比べて明らかに人が少なかった。

 店そのものは開いている。

 野菜、肉、魚、布、塩、酒、鉄製品。

 一通りの物は並んでいるが、一軒一軒の品数が少ない。

「麦はいくらです?」

 ヨハンが一軒の商人へ尋ねた。

「一袋九十六デナーです」

「戦前は?」

「七十八でした」

「随分上がったな」

「仕方ありませんよ。西から来る商人が減っていますから」

 商人が肩をすくめた。

「ベルンとの戦もありましたし、その前にはグランヴァルトの大軍も通ったでしょう。街道を怖がって荷を出さない商人が多いんです」

「塩は?」

「もっと上がってますよ」

「どれくらいだ」

「戦前の三割増しくらいです」

 ヨハンが眉を寄せた。

 俺は市場を見回す。

 人が少ない。

 品物も少ない。

 だが、食べ物も塩も生活には必要だから、買いたい人間がいなくなるわけではない。

 売る物が減っているのに、欲しい人の数は大きく変わらない。

 なら、値段が上がる。

 前世で経済を専門的に勉強したわけじゃない。それでも、そのくらいなら分かる。

「値段を決めたら駄目なんですか?」

 俺が言うと、ヨハンがすぐこちらを見た。

「何の値段をです?」

「例えば、麦はこれ以上高く売っちゃ駄目だって決めるとか」

「できます」

「できるんだ」

「ええ。ただし、商人が来なくなるでしょうな」

「……やっぱり?」

「遠くから危険な街道を通り、護衛を雇って荷を運ぶ。その苦労をしても高く売れないのなら、別の街で売ればいい」

「そうなりますよね」

「商人がさらに減れば、物も減る」

「結局もっと困る」

「そういうことです」

「じゃあ駄目だな」

「駄目です」

「即答ですね」

 俺はもう一度市場を見る。

 値段を無理やり下げても、売る人間がいなくなれば意味がない。

 なら、逆に売る人間を増やせばいい。

「商人を増やしたら?」

「どうやってです?」

「この街へ来たくなるようにする」

「具体的には?」

 ヨハンに聞かれ、俺は市場の入口へ目を向けた。

 荷車が門を通り、商人が市場へ入ってくる。

「街へ入る時に税ってあります?」

「通行税があります」

「市場で物を売る時にも?」

「市場税があります」

「泊まれば宿代もかかる」

「当然です」

「危ない道なら護衛も雇う」

「そうでしょうな」

「だったら」

 俺はヨハンを見る。

「期間限定で、市場税を少し下げてみたらどうです?」

 ヨハンはすぐには答えなかった。

「この街へ来るのにかかる金が少し減れば、他の街よりヴァイスブルクへ来ようと思う商人が増えるかもしれない」

「一人の商人から取れる税は減ります」

「でも商人そのものが増えれば?」

「増える保証は?」

「ないです」

「税を元へ戻した途端、商人がいなくなる可能性もあります」

「それもありますね」

 やはりヨハンはすぐに穴を見つける。

 だが、それなら。

「試してみません?」

「試す?」

「一か月だけ」

「……」

「駄目だったら元に戻す」

 ヨハンの目が少し変わった。

「どの税を下げます?」

「全部やったら?」

「私が許しません」

「ですよね」

「市場税だけなら……」

 ヨハンはしばらく考えた。

「可能かもしれません」

「本当ですか?」

「ただし条件があります」

「何です?」

「実際に商人が増えたのか調べること。税を下げたのに商人が増えなければ、ただ収入を減らしただけです」

「それなら数えればいい」

「誰が?」

「……」

 嫌な予感がした。

 ヨハンが笑う。

「言い出した方が」

「俺?」

「当然でしょう」

「また仕事が増えた!」

「嫌ならやめますか?」

「……」

 俺は市場を見る。

 戦前より高くなった麦。

 品数の少ない店。

 ここでやめれば何も変わらない。

「やります」

「そう言うと思いました」

「最初から俺にやらせるつもりだったでしょう」

「何のことでしょうな」

 しらばっくれるヨハンを見ながら、俺は小さくため息をついた。


 ◇ ◇ ◇


 翌日。

 アルベルトの執務室には、俺とヨハンのほかにゲオルクと市場を管理する役人が集まっていた。

「市場税を下げたい?」

「一か月だけです」

 アルベルトが椅子にもたれながら俺を見る。

「理由は?」

「商人を呼ぶためです」

「詳しく」

 俺は前日に考えたことを説明した。

 戦後のヴァイスブルクでは物資が不足している。

 街道を危険と判断した商人が減り、その結果として麦や塩などの価格が上がっている。

「値段を無理に抑えるより、売る人を増やして品物そのものを増やした方がいいと思います」

「そのために市場税を下げる」

「はい」

「減った税収は?」

「商人が増えれば、全体では補えるかもしれません」

「かもしれない?」

「保証はできません」

「随分正直だな」

「嘘ついても仕方ないでしょう」

 アルベルトはヨハンを見る。

「お前はどう思う?」

「試す価値はあると考えます」

「珍しいな」

「何がです?」

「お前が税を下げる話に賛成するとは」

「永続的に下げるわけではありません。一か月だけです」

「駄目なら戻す?」

「その予定です」

「よし。やれ」

 アルベルトがあっさり言った。

「早い!」

 思わず声が出る。

「何だ」

「もう少し考えるかと思った」

「考えた」

「いつ?」

「今」

「短すぎません?」

「一か月試して失敗したら、国が滅びるのか?」

「滅びないと思いますけど」

「なら試せ」

「……はい」

 本当に決断が早い。

「ただし」

 アルベルトが俺を見る。

「失敗した場合、なぜ失敗したのかまで確認しろ」

「え?」

「ヨハン」

「はい」

「こいつに一か月、市場へ来た商人の数と主要物資の価格を記録させろ」

「承知しました」

「ちょっと待って!」

「自分で言い出したことだろ」

「ここまでやるとは思ってなかったんですよ!」

「知識は使って終わりではない。結果まで見ろ」

「……はい」

 嫌だけど正論だった。

「それなら」

 ゲオルクが口を開く。

「商人の数だけでなく、どの方角から来たのかも記録した方がいい」

「どうしてです?」

「街道ごとの安全状況が分かる。西からだけ商人が減っているならベルン方面の影響が大きい。南からも減っているなら、別の原因を考えなければならん」

「なるほど。じゃあ出身地も」

「荷物の種類も記録してください」

 今度は市場役人だった。

「種類も?」

「麦商人ばかり十人増えても、塩が不足したままなら市場全体が改善したとは言えません」

「……」

 仕事がどんどん増えていく。

「アレク」

 アルベルトが楽しそうにこちらを見る。

「何です?」

「顔が嫌そうだぞ」

「仕事が増え続けてるんですよ!」

「良かったな」

「どこが!」

 ヨハンが静かに口を挟む。

「思いつきだけで周囲の仕事を増やす人間が、実際にどれほど手間がかかるのか知る良い機会です」

「ヨハンさん、絶対楽しんでますよね?」

「半分」

「そこまで殿下の真似をしなくていい!」


 ◇ ◇ ◇


 市場税の減免は、その日のうちに布告された。

 期間は一か月。

 ヴァイスブルク市場へ商品を持ち込んだ商人について、市場税を通常の三分の二とする。

 ただし、大公家が軍需物資として直接買い上げる場合は対象外とされた。

 最初の三日間、目立った変化はなかった。

「ほら」

 記録表を見たヨハンが言う。

「まだ三日ですよ!」

「私は何も言っていません」

「顔が言ってる」

「最近、殿下に似てきましたな」

「嫌だな……」

 五日目には南から商人が二組増えた。

「増えました」

「偶然かもしれません」

「分かってます」

 七日目。

 麦を積んだ荷車が四台。

 塩商人が一人。

 布を扱う商人が三人。

「明らかに増えてきてません?」

「まだ判断は早いです」

「少しくらい喜んでも」

「財務官ですから」

「関係ある?」

「あります」

 そして十日ほど経つと、変化ははっきり見えるようになった。

 市場に並ぶ麦が増え、塩の値段も少しずつ下がり始めた。

 商人が増えたことで、同じ商品を扱う店同士が競争するようになったからだ。

「九十二」

 俺は記録を見ながら呟く。

「何がです?」

「麦一袋。九十六デナーだったのが九十二まで下がった」

「まだ戦前の七十八より高いです」

「でも下がった」

「そうですな」

「……勝った?」

「何にです?」

「いや、何となく」

 不思議だった。

 剣を振っていない。

 敵を一人も倒していない。

 でも市場に食べ物が増え、少しだけ安く買えるようになった。

 それだけなのに、戦場で敵を退けた時とは違う嬉しさがあった。

「アレク殿」

「はい?」

「調子に乗らないように」

「まだ何も言ってません」

「顔に出ています」

「最近みんな俺の顔を読みすぎじゃない?」

「あと二十日あります。その間に商人が減る可能性もある。西の街道が再び危険になれば、値段も上がるでしょう」

「はい」

「ですから、結果を見るまでは成功だと思わないことです」

「……分かりました」

 前にも似た言葉を聞いた。

 戦場でアルベルトに言われた。

『勝った時ほど、止まることを覚えろ』

 戦と内政はまったく別物だと思っていたが、結果が出るまで気を抜けないところは似ているのかもしれない。

「分かりました」

「よろしい」


 ◇ ◇ ◇


 その日の午後、市場で別の問題が起きた。

「不公平だ!」

 大声が聞こえ、俺はヨハンと一緒に人だかりへ向かった。

「どうしたんです?」

「この男ですよ!」

 一人の商人が隣の店を指す。

「同じ『麦一袋』なのに、こいつの袋はうちより小さい! それなのに同じ九十二デナーで売っている!」

「何?」

 並べられた袋を比べる。

 確かに大きさが違う。

「量が違うんですか?」

「当たり前だ!」

 指を差された商人が反論する。

「うちの地方では、これが一袋なんだ!」

「ここはヴァイスブルクだぞ!」

「そんなもの知るか!」

「……」

 これは考えていなかった。

 俺たちは麦一袋の値段を記録している。

 でも、その「一袋」の量が商人ごとに違うなら、価格を比較しても意味がない。

「ヨハンさん」

「聞いております」

「こういうことって普通なんですか?」

「珍しくありません。地域によって重さも容量も違います」

「やっぱり……」

 前世ならキログラムもリットルも場所によって変わらない。

 だが、この世界では違う。

「統一したら?」

 俺が言うと、ヨハンがすぐに返した。

「簡単に言いますな」

「ですよね」

「アルヴェイン全土で統一するとなれば、相当な手間がかかります」

「じゃあ、ヴァイスブルクだけ」

「何を基準にするのです?」

「今ここで使っている一袋を――」

「なぜ、それが正しいのです?」

「……」

 言われてみればその通りだ。

 ヴァイスブルクで使っている一袋が正しいという根拠はない。

「だったら……市場専用の升みたいなものを作る?」

「マス?」

「ああ、えっと」

 俺は両手で四角を作るような仕草をした。

「決まった大きさの木箱を一つ作るんです。麦は袋の大きさじゃなく、その箱何杯分かで売る」

「袋ではなく、中身の量を揃える?」

「そうです」

「秤ではいけませんか?」

「重さでもいいと思います。でも、全部の商人が同じ精度の秤を持っているとは限らないでしょう?」

「確かに」

「だったら市場に基準になる容器を置いて、それで量る」

 話を聞いていた市場役人も近づいてきた。

「それなら、商人がどの地方の袋を使っていても関係ありませんな」

「そういうことです」

「しかし」

 ヨハンがすぐに問題点を指摘する。

「木箱も職人によって微妙に大きさが変わります」

「じゃあ、本物を一つだけ役所で保管する」

「本物?」

「基準になる箱です。市場で使う箱は全部、それと比べて同じ大きさにする」

「なるほど……」

 ヨハンが腕を組んだ。

「できなくはありません」

「本当に?」

「ただし、まず対象を絞るべきでしょう」

「どうして?」

「麦と豆では同じ量でも価値が違う。それに湿った麦と乾いた麦では品質も違います」

「ああ……」

 言われれば、問題はいくらでも出てくる。

「難しいな」

「当たり前です」

 ヨハンが少し笑った。

「ですが、市場で用いる基準容器を定めるという案そのものは悪くありません」

「やります?」

「まず麦だけで試しましょう」

「また試す?」

「ええ」

 俺も笑った。

「最近そのやり方好きですね」

「誰かのせいです」

「俺?」

「半分」

「またそれ!」


 ◇ ◇ ◇


 一週間後。

 ヴァイスブルク市場の入口には、一つの木箱が置かれていた。

 側面にはアルヴェイン大公家の焼印が押され、市場役人が管理している。

 麦を売る場合は、原則としてこの基準容器何杯分なのかを明らかにして値段を付けることになった。

 最初は商人から不満が出た。

「面倒だ」

「今まで通り袋で売ればいい」

「いちいち量り直していたら時間がかかる」

 当然の反応だと思う。

 新しい方法を始めれば、今まで必要なかった手間が増える。

 だが、買う側からは好評だった。

「これなら分かりやすい」

「前より誤魔化されにくい」

 そして何日かすると、一部の商人にも利点が見え始めた。

 量がはっきりしていれば、客は安心して買える。

 信用される店には人が集まる。

「満足?」

 市場の端からその様子を眺めていると、隣から声を掛けられた。

 エリーゼだった。

「何で分かった?」

「顔」

「また?」

「最近、分かりやすいわよ」

「そんなに?」

「ええ」

 エリーゼは市場の入口に置かれた木箱を見る。

「あれ、アレクが考えたんでしょう?」

「俺だけじゃないよ。俺が思いついたのを、ヨハンさんと市場の役人が実際に使える形にしてくれた」

「でも最初に言ったのはアレクでしょう?」

「そうだけど」

「なら、少しくらい誇ってもいいんじゃない?」

「……」

 前世なら、こんなことは大した発想じゃない。

 規格を揃える。

 同じ単位で量る。

 当たり前だった。

「俺は知っていただけなんだよ」

「どういう意味?」

「本当に一から自分で考えたわけじゃない。昔どこかで見たやり方を思い出しただけ」

 もちろん、どこで見たのかまでは言えない。

 エリーゼは少し首を傾けた。

「でも、使わなかったら知らないのと同じじゃない?」

「……」

 思わずエリーゼを見る。

「何?」

「いや」

 神から言われた言葉を思い出した。

『知識は道具だ』

 持っているだけでは意味がない。

 使って初めて何かが変わる。

「エリーゼって、たまにすごくいいこと言うな」

「たまにって何よ!」

「あ」

「失礼ね!」

「ごめん」

「もう!」

 頬を少し膨らませる姿を見て、俺は思わず笑った。

「何よ」

「いや、何でもない」

「絶対何か思ったでしょう」

「思ってないって」

「嘘!」

「アレク!」

 そこへゲオルクの声が飛んできた。

「殿下がお呼びだ!」

「また!?」

 エリーゼが笑う。

「人気者ね」

「最近ずっと働いてる気がする」

「働きなさい」

「冷たいな」

「早く行かないと叔父様が自分で来るわよ」

「それは嫌だ」

「聞こえているぞ」

「……」

 背後から聞き覚えのある声がした。

 ゆっくり振り返る。

 アルベルトが立っていた。

「殿下、いつから?」

「『それは嫌だ』からだ」

「一番聞かれたくないところ!」

「来い」

「はい……」


 ◇ ◇ ◇


 城館の執務室。

 アルベルトの机の上には、一通の書状が置かれていた。

「これは?」

「グランヴァルトからだ」

「レオンハルト殿下?」

「正確には、その軍から届いた報告だ」

 俺は少し身を乗り出した。

「西の戦?」

「それもある」

 ゲオルクが書状を開いた。

「シュヴァルツ伯軍はハイゼン北方より撤退。その後、グランヴァルト軍がハイゼンを占領しました」

「シュヴァルツ伯は?」

「西へ退却中」

「レオンハルト殿下は追ってる?」

「本人が追撃部隊を率いている」

「……元気だな、あの人」

「一万を超える兵を動かして、まだ走り回るのだからな」

 アルベルトも少し呆れたようだった。

「それで、本題はこちらです」

 ゲオルクがもう一枚の紙を取り出す。

「グランヴァルト軍から、アルヴェイン商人に対する通商許可の要請が来ています」

「通商?」

「現在、グランヴァルト軍が押さえているハイゼンで市場を開くそうだ」

「戦場の近くで?」

「ああ」

「誰が考えたんです?」

 何となく嫌な予感がした。

 ゲオルクが紙に書かれた名前を読む。

「マティアス・クレーマー」

「……また、その人か」

 第七話で初めて聞いた名前。

 兵站、調略、築城。

 元行商人からレオンハルトに取り立てられた男。

「何をするんです?」

「単なる軍用市場ではないらしい。民間の商人を広く集めるつもりだ」

「戦場なのに?」

「だからこそだろう」

 アルベルトが言う。

「軍が集まれば物が必要になる。食料、酒、衣服、馬の飼料、鉄、木材。必要な物はいくらでもある」

「でも、危険なところへ商人が来るかな」

「それについても書いてある」

 ゲオルクが続ける。

「市場周辺の治安はグランヴァルト軍が保証。略奪した兵は軍法で処罰。商人からの無断徴発も禁止するそうです」

「そこまで?」

「さらに市場税を三十日間免除」

「……え?」

 俺は思わず書状を見た。

 俺がヴァイスブルクで始めたのは、市場税を三分の二へ下げることだった。

 向こうは完全に免除する。

「他には?」

「軍用物資については、一定の価格でグランヴァルト軍が買い取ることを保証する」

「つまり、持っていって売れ残っても軍が買う?」

「そういうことだろう」

「護衛も?」

「街道の一部区間については軍の護衛を付けるそうだ」

「……」

 俺は黙って書状を見た。

 単純に、すごいと思った。

 俺がヴァイスブルクでやったのは、税を少し下げて商人を呼び込めないか試すことだった。

 マティアスはそれをもっと先まで進めている。

 税をなくす。

 治安を保証する。

 売れ残りを買い取る。

 街道では護衛まで付ける。

「何だ、これ……」

「何がだ?」

 アルベルトが聞く。

「いや、この人、本当に元行商人なんですよね?」

「報告ではそうなっている」

「だったら……分かってるんだ」

「何を?」

「商人が何を怖がるのか」

 俺は自分でも整理するように話し始めた。

「危険な場所へ荷物を運ぶだけでも怖い。でも、一番困るのは苦労して運んだのに売れないことだと思うんです」

「それを軍の買い取り保証で消す?」

「はい。しかも税がない。一定区間は護衛まで付く。それなら危険な戦場の近くでも、行ってみようと思う商人が出る」

 ゲオルクが頷く。

「確かにな」

「それだけじゃない」

 話しているうちに、もう一つ気づいた。

「商人が食料や道具を持ってきてくれるなら、グランヴァルト軍自身が全部運ばなくてもよくなる」

 アルベルトの目が少し変わった。

「続けろ」

「もちろん最低限の兵糧は必要です。でも、現地で食料や馬の飼料、服、道具を買えるなら、最初から持っていく荷物を減らせる」

「荷駄隊が軽くなるか」

 ゲオルクが呟く。

「全部なくせるわけじゃないけど、少なくはできます」

 アルベルトはもう一度書状を見る。

「マティアス・クレーマー。面白い男だな」

「……はい」

 胸の奥に妙な感覚があった。

 俺の知らない男だ。

 なのに、やろうとしていることは理解できる。

 それどころか、俺が考えたことをもっと大きな規模で使っている。

 俺は税を下げ、商人が増えるか試している。

 向こうは市場そのものを軍の兵站に組み込もうとしている。

「アレク」

「はい?」

「さっきから妙な顔をしているぞ」

「考えてました」

「何をだ」

「俺だったら、ここまで考えられたかなって」

 アルベルトが少し笑った。

「珍しいな」

「何が?」

「お前が他人に負けたような顔をしている」

「負けたっていうか……」

 少し悔しい。

 でも、それ以上に興味があった。

 どんな人間なら、こういうことを思いつく?

 そして、それを軍の中で実際に通せる?

「……会ってみたい」

 気づけば口にしていた。

「マティアスに?」

 ゲオルクが聞く。

「はい。どんな人なのか、一度話してみたいです」

「なら会えばいい」

 アルベルトがあっさり言った。

「え?」

「いずれ機会があればな」

「今じゃない?」

「当たり前だ。向こうはまだ戦場だぞ」

「ですよね」

「それに」

 アルベルトは少しだけ真剣な顔で俺を見る。

「お前は今、アルヴェインの人間だ」

「……はい」

「忘れるな」

「分かってます」

 レオンハルトと別れた時の言葉を思い出す。

『自分がどこに立つ人間なのか。それだけは忘れるな』

 俺はアルヴェインにいる。

 アルベルトの小姓だ。

 その立場が変わったわけではない。

 それでも。

 マティアス・クレーマー。

 その名前は、妙に頭から離れなくなっていた。


 ◇ ◇ ◇


 数日後。

 俺はヴァイスブルク市場の入口で、商人の記録を取っていた。

「次」

「南方リューデンからです」

「荷物は?」

「塩と干し魚」

「荷車は?」

「三台」

「はい」

 紙へ書き込む。

「次は?」

「東部から麦です」

「量もお願いします」

 記録を続けていると、市場役人が俺のところへやって来た。

「アレク殿」

「何です?」

「西から商人が来ています」

「ベルン側?」

「いえ。もっと西です」

「もっと西?」

 顔を上げると、大きな荷車が六台、門を通ってくるところだった。

 護衛は十人ほど。

 その先頭を四十歳くらいの商人が歩いている。

「どこから来たんです?」

「ハイゼンですよ」

「ハイゼン?」

「ええ」

「今、グランヴァルト軍がいるところですよね」

「そうです」

「荷物は?」

「鉄製品と塩。それから少し布を」

「向こうでは売らなかったんですか?」

「売りましたよ。半分は」

「半分?」

「あちらの市場はよく売れますからね。軍の買い取り価格も悪くありません」

「だったら全部売った方が儲かるんじゃ?」

 俺が聞くと、商人は少し笑った。

「それがね。あの市場を仕切ってる御仁が、『全部ここで売るな』と言うんですよ」

「何で?」

「商人なら一つの市場だけに頼るな。帰り道でも稼げ、と」

「……」

 俺は思わず商人を見る。

「誰が言ったんです?」

「マティアス様ですよ」

「……やっぱり」

「ご存じで?」

「名前だけです」

「変な人ですよ」

「どう変なんです?」

「貴族でもないのに、貴族より偉そうです」

「それ大丈夫なんですか?」

「さあ」

 商人が楽しそうに笑った。

「でもね、あの人は商人の話を聞くんですよ」

「商人の?」

「ええ。軍人なら普通、『これを何個持ってこい』でしょう?」

「まあ、そうでしょうね」

「あの人は違う。最初に『お前なら何を安定して運べる?』と聞いてくる」

「……」

「私が塩なら切らさず運べると言ったら、『なら塩を頼む』と。それで量と日数を一緒に決めるんです」

 俺は黙って話を聞いた。

「市場にも毎日出てますよ」

「本人が?」

「ええ。店を見て、値段を聞いて、売れ残りを確認する。商人同士が揉めていれば話を聞くし、兵士が商人に威張ったら、その兵士を蹴飛ばす」

「蹴飛ばす?」

「本当に蹴ります」

「……すごい人だな」

「怖いというより、面白い人ですよ」

 商人は笑った。

 俺もつられて少し笑う。

「会ってみたいな」

「なら、そのうち会えるんじゃないですか?」

「え?」

「マティアス様、そのうちヴァイスブルクへ来るって話してましたよ」

「ここへ?」

「ええ」

「何のために?」

「商売ですよ」

 商人は当然のように答えた。

「グランヴァルト軍がさらに西へ進むなら、その後ろへ物を流す道が必要になるでしょう。アルヴェインを通って東側とも商売したいらしいです」

「本人が市場を見に来るんですか?」

「そう聞いてます」

「いつ?」

「さあ」

 商人が肩をすくめる。

「明日かもしれないし、十日後かもしれない。本人もまだ決めてないんじゃないですか」

「そんな人なの?」

「そんな人です」

 商人は笑いながら荷車の方へ戻っていった。

 俺はその背中を見送りながら、マティアスについて聞いた話を頭の中で整理する。

 貴族ではない。

 元行商人。

 商人の話を聞く。

 兵站に強い。

 調略もする。

 短期間で砦を築く。

 人を動かすのが上手い。

 そして、レオンハルトに見いだされて取り立てられた。

 そこまで考えた時、また前世で知る一人の男が頭に浮かんだ。

 豊臣秀吉。

「……まさかな」

 俺は小さく呟いた。

 似ているところはある。

 でも、違うところも多い。

 秀吉の出自についてはいくつも説があるが、少なくとも俺の知る歴史と、この男の経歴が完全に一致しているわけではない。

 そもそもレオンハルトだって、俺が知る織田信長そのものではない。

 性格も立場も経歴も違う。

 ここは日本ではない。

 俺が知っている戦国時代そのものでもない。

 だから、決めつけるな。

 人間を、自分が知っている歴史へ無理やり当てはめるな。

 俺は何度も自分に言い聞かせた。

 それでも。

 マティアス・クレーマー。

 知らない名前の男なのに、どうしても気になる。

 そして今度は、その男の方からヴァイスブルクへ来るかもしれないという。

「……どんな人なんだろうな」

 俺は西へ続く街道を眺めた。

 その先にいる知らない男との距離が、少しずつ近づいている。

 この時の俺はまだ、それが自分の人生を大きく変える出会いへつながっていくことを知らなかった。

今回は、戦場ではなく市場がアレクの舞台となりました。


市場税を下げて商人を呼び、物資を増やす。

さらに、地域ごとに異なる「一袋」の量を揃えるため、基準となる容器を作る。


アレクの知識だけで完成したものではありません。

ヨハンや市場役人たちが問題点を指摘し、この世界で実際に使える方法へ変えていくことで、少しずつ形になっていきます。


そして、そのアレクが思わず「自分より先を行っている」と感じた男。


マティアス・クレーマー。


市場税の免除、治安の保証、軍による買い取り、街道の護衛。

商人を集めるだけでなく、それを軍の兵站そのものへ利用する発想。


さらに商人たちの話から、その人物像も少しずつ見えてきました。


知らない名前。

違う出自。

違う経歴。


それでもアレクの頭には、一人の人物が浮かびます。


まだ確信はありません。

むしろ、今は決めつけないことの方が重要です。


ですが、遠く西にいたはずのマティアスは、少しずつヴァイスブルクへ近づいています。


二人が実際に顔を合わせる時も、そう遠くはありません。

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