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『知らない世界の知っている物語』 ~剣と知識を授かった平凡な会社員は、異世界の乱世を生き抜く~  作者: 相田 ソウ
第二篇 乱世に蒔く種

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第四話 第二次ヴァイスブルクの戦い(上)

動かなかったベルン軍が、ついに国境を越える。


一度戦った相手だからこそ、互いの戦い方を知っている。

アルベルトは城へ籠もらず、地形を利用してベルン軍を迎え撃つ。


しかし、フリードリヒもまた前回の敗北から学んでいた。


同じ場所で始まる、二度目の戦い。

だが、その戦い方はもう同じではない。

 夜明け前。

 ヴァイスブルク西方の平原には、まだ薄い霧が残っていた。

 城壁の上から西を見ても、遠くの景色まではよく見えない。

 だが、姿が見えなくても分かる。

 ベルン軍は来る。

 昨日まで国境付近に留まっていた軍勢が、ついにアルヴェイン領内へ入ったという報告が届いていた。

 俺たちはグランヴァルト軍を監視するためにこの地へ来たはずだった。

 グランヴァルト軍がアルヴェイン領内を通過する以上、何か問題を起こさないよう監視する。それが本来の役目だ。

 共闘するためではない。

 まして、ベルン伯爵領へ攻め込むためでもない。

 ところが、その状況を利用するようにベルン伯爵フリードリヒが動いた。

 前回、ヴァイスブルクを巡って戦った相手。

 そして俺たちが退けた相手が、今度は自ら国境を越えてきた。

「見えるか?」

 隣に立つトーマスが目を細めて西を見ている。

「霧しか見えない」

「俺もだ」

「じゃあ聞かないでよ」

「お前なら何か見えるかと思って」

「俺の目を何だと思ってるんだ」

「変なもの」

「ひどいな」

 そんなやり取りをしながらも、俺たちの声は自然と小さくなっていた。

 城壁の下では、既に兵士たちが動いている。

 ガチャ、ガチャ……。

 鎧の金具が擦れ、槍の石突が地面を叩く。

 荷車が石畳を進むたび、ゴトゴトと鈍い音が響いた。

 まだ戦いは始まっていない。

 それでも城全体が、これから来る戦いへ向けて目を覚ましつつあった。

「アレク!」

 下からゲオルクの声が飛んでくる。

「軍議だ!」

「今行きます!」

 俺は城壁を離れた。

「トーマス」

「ん?」

「準備しておいて」

「分かってる」

 階段へ向かおうとした俺の背中に、トーマスが声をかけた。

「アレク」

「何?」

「また勝手に前へ出るなよ」

「……」

「その顔は何だ」

「いや、最近みんな同じこと言うなと思って」

「言われる理由を考えろ」

「はいはい」

「返事が軽い!」

 トーマスの声を背中で聞きながら、俺は階段を駆け下りた。


 ◇ ◇ ◇


 城館の軍議室には、大きな地図が広げられていた。

 アルベルト、ゲオルク、オットーをはじめ、ヴァイスブルク周辺の部隊を率いる指揮官たちが集まっている。

 俺が入ると、アルベルトは一度こちらを見ただけで話を続けた。

「もう一度確認する。ベルン軍は?」

 斥候隊長が答える。

「夜明け前の時点で国境を越えました。主力は中央街道を東進中。兵数はおよそ四千です」

「砲は?」

「四門を確認しております」

 四千。

 前回より明らかに多い。

 俺は地図へ目を落とした。

 ヴァイスブルクの西には中央街道が伸びている。

 その北には低い丘陵が連なり、南側には森と緩やかな起伏のある土地が広がっている。

 正面からヴァイスブルクを目指すなら、中央街道が最も早い。

「こちらは?」

「城内に千三百。城外へ出せる兵がおよそ二千です」

 ゲオルクが答えた。

「全部で三千三百か」

「はい。ただし、城を空にするわけにはいきません」

「当然だ」

 アルベルトは地図上の駒を動かした。

「野戦に出すのは二千。城内の兵は動かさん」

 オットーが尋ねる。

「城へ籠もらないのですか?」

「籠もれば、奴の思う壺だ」

「フリードリヒの?」

「ああ」

 アルベルトは中央街道を指した。

「奴には砲がある。こちらが城へ籠もれば、時間をかけて城壁を削ればいい」

「ですが野戦なら、兵数はこちらが不利です」

「だから正面からまともには戦わん」

 アルベルトの指が北側の丘陵へ移る。

「ここを使う」

 俺も地図を覗き込んだ。

 前回の戦いでも利用した土地だ。

 中央街道から北へ外れると、小さな丘がいくつも連なっている。

 大軍が一度に展開するには狭い。

「敵を中央街道へ誘導する?」

 俺が聞く。

 アルベルトが頷いた。

「北側の丘へ弓兵四百。南側の林には槍兵六百を伏せる。中央には私が歩兵八百を置く」

「残り二百は?」

「予備だ」

 ゲオルクが地図を見ながら確認する。

「中央で敵を受け、北から矢を浴びせる。敵が北へ兵を向ければ、南の六百で側面を突く」

「そうだ」

 前回と似ている。

 ただし、まったく同じではない。

 アルベルトは敵を狭い場所へ誘い込み、数の優位を消そうとしている。

「でも……」

 俺は地図を見た。

「フリードリヒも、この地形を知ってますよね」

 軍議室が少し静かになる。

「知っている」

 アルベルトは即答した。

「前にここで戦っているから?」

「ああ」

「だったら、この配置も予想されるんじゃ」

「されるだろうな」

「……え?」

 思わずアルベルトを見る。

「分かっててやるんですか?」

「ああ」

「何で?」

「相手が知っていることと、対処できることは同じではない」

「……」

「フリードリヒはこの地形を知っている。私が利用することも考えるだろう。だからこそ、奴がどう対処するかを見る」

「それって……」

 俺は少し考えた。

「こっちの策を見せて、向こうの策を引き出す?」

 アルベルトが笑った。

「半分正解だ」

「また半分」

「残り半分は自分で考えろ」

「それ好きですね」

 ゲオルクが咳払いした。

「軍議中だぞ」

「すみません」

 アルベルトは何事もなかったように続ける。

「大事なのは、敵を倒すことではない」

「では?」

「フリードリヒが何を狙っているかを知ることだ」

 俺は地図を見る。

 ベルン軍四千。

 こちらは城外二千。

 兵数だけなら倍近い差がある。

 無理に決戦する必要はない。

「不利なら退く?」

「ああ」

「城まで?」

「場合によってはな」

「……」

 アルベルトの口調は軽い。

 だが、最初から退路まで考えている。

 勝つことだけを考えているわけではない。

 負け方まで考えている。

 前の俺なら、それを弱気だと思ったかもしれない。

 今は違う。

 戦場で一番危険なのは、勝つことしか考えていない指揮官なのかもしれない。

「配置につけ」

 アルベルトが命じた。

「昼までには来るぞ」


 ◇ ◇ ◇


 朝。

 霧が晴れ始めた頃、西の地平線に黒い線が現れた。

「敵軍確認!」

 見張りの声が響く。

 俺は丘の上から西を見た。

 最初は線にしか見えなかった。

 それが少しずつ形を持つ。

 旗。

 槍。

 人。

 馬。

 そして砲を引く荷馬。

 ザッ。

 ザッ。

 ザッ。

 数千人の足音が重なり、遠くから低い地鳴りとなって届いてくる。

 ドドドドド……。

「……多いな」

 隣のトーマスが呟いた。

「四千だって」

「数字で聞くのと見るのは違うな」

「うん」

 俺も同じことを思っていた。

 前方に槍兵。

 その後ろに弓兵。

 中央付近には砲兵。

 左右には騎兵。

 きちんと隊列を組んでいる。

 前回の戦いで敗れた軍には見えない。

「止まった」

 ベルン軍はヴァイスブルクからかなり離れた地点で進軍を止めた。

 ブオォォォ――!

 低い角笛が鳴る。

 ザザザザッ!

 兵が動く。

 隊列が横へ広がり始めた。

「展開してる」

「ああ」

 ゲオルクが目を細める。

「中央街道をそのまま来ない?」

 俺が聞くと、ゲオルクはすぐには答えなかった。

 ベルン軍の先頭が三つに分かれ始める。

 中央。

 北。

 南。

「……読まれているな」

「やっぱり?」

「ああ」

 北へおよそ八百。

 南へおよそ七百。

 中央には二千以上。

 残りは後方。

 アルベルトが作った左右からの挟撃を、最初から警戒している。

「殿下に報告!」

「はっ!」

 伝令が走る。

 俺はベルン軍の動きを見続けた。

 敵は知っている。

 俺たちがどこにいるのか。

 少なくとも、だいたいは。

「前回の戦いを覚えてるんだ」

「当たり前だ」

 ゲオルクが答える。

「負けた側ほど、自分がなぜ負けたかを考える」

「……」

 その言葉が妙に残った。


 ◇ ◇ ◇


 ベルン軍本陣。

 フリードリヒは馬上から丘陵地を眺めていた。

「北側の丘に動きがあります」

 副官のコンラートが報告する。

「数は?」

「正確には不明。ですが、数百はいるかと」

「弓兵だ」

「やはり?」

「ああ」

 フリードリヒは迷わなかった。

「アルベルトなら、あそこへ置く」

「南の林にも斥候が入りました」

「戻ったか?」

「二騎のうち一騎のみ」

「なら、いるな」

「兵を向けますか?」

「既に向けている」

 フリードリヒの視線の先では、北へ八百、南へ七百の兵が動いていた。

「中央は?」

「二千二百」

「十分だ」

「正面から押しますか?」

「いや」

 フリードリヒは首を振る。

「アルベルトは、我々が中央を押すと思っている」

「では?」

「北を潰す」

「北?」

「ああ」

「しかし、北は丘陵です。兵を動かしにくい」

「だからだ」

 コンラートが黙る。

「奴は北を安全だと思っている。高所に弓兵を置き、こちらが中央へ入ったところを射るつもりだろう」

「……」

「なら、中央へ入る前に弓兵を潰せばいい」

「北へ八百を?」

「足りん」

 フリードリヒが命じる。

「中央から六百を北へ回せ」

「合計千四百?」

「ああ」

「中央が薄くなります」

「構わん」

「アルベルトが攻めてきたら?」

 フリードリヒが笑った。

「来ればいい」

「……」

「奴の二千が、こちらの中央千六百へ向かって丘を下りる。その瞬間、砲を撃ち込める」

 コンラートの表情が変わった。

「なるほど」

「アルベルトは地形を使う」

 フリードリヒは静かに続ける。

「ならば私は、その地形から奴を引きずり出す」


 ◇ ◇ ◇


「敵北翼、増えます!」

 伝令が駆け込んできた。

「数は?」

 アルベルトが聞く。

「中央から六百が移動! 北へ向かう敵兵は千四百ほど!」

 俺は思わず北を見た。

「こっちは四百ですよね?」

「ああ」

「まずくない?」

「まずいな」

「軽い!」

 アルベルトは地図から目を離さない。

「北の弓兵を下げますか?」

 ゲオルクが尋ねる。

「まだだ」

「しかし千四百が向かっています」

「丘へ上がれば隊列は崩れる」

「それでも三倍以上です」

「分かっている」

 アルベルトは北側の丘を見た。

「敵が登り始めるまで待つ」

 俺も見る。

 ベルン軍が丘へ近づいている。

 ザッ!

 ザッ!

 ザッ!

 斜面へ入った。

 横に広がっていた隊列が、地形に合わせて崩れ始める。

「今だ」

 アルベルトが手を上げた。

「北側弓兵! 射撃開始!」

 旗が振られる。

「構え――!」

 ギリギリギリ……。

 四百の弓が一斉に引かれる。

「放て!」

 ヒュン!

 ヒュヒュヒュヒュヒュン!

 空が矢で埋まる。

 ベルン兵の上へ落ちる。

「盾!」

 ガガガガガッ!

「ぐあっ!」

「うっ!」

 何人かが倒れる。

「第二射!」

 ギリギリ……。

「放て!」

 ヒュヒュヒュン!

 また矢。

 だが、ベルン軍は止まらない。

「前へ!」

「盾を上げろ!」

「間隔を詰めろ!」

 ザッ!

 ザッ!

 ザッ!

 盾を頭上へ掲げながら登ってくる。

「……止まらない」

 俺が呟く。

「止まらんだろうな」

 アルベルトの表情が険しくなる。

 敵は損害を覚悟している。

 千四百という数で押し切るつもりだ。

「第三射!」

 ヒュン!

 また矢が飛ぶ。

 それでも距離は縮まる。

「北隊、後退準備!」

 アルベルトが命じた。

「まだ撃て! 敵が五十歩まで来たら退け!」

「はっ!」

 北側では弓兵たちが必死に射続ける。

 だがベルン軍は、盾を並べながら確実に斜面を上がっていった。


 ◇ ◇ ◇


「北が押されています!」

「敵、間もなく丘上へ!」

 報告が続く。

 ゲオルクがアルベルトを見る。

「殿下」

「ああ」

 アルベルトは南側の林へ視線を向けた。

「南の六百を動かす」

 俺は地図を見る。

「北を助ける?」

「違う」

「え?」

「敵中央が六百減った」

「……」

 そこで分かった。

「中央を叩く?」

「ああ」

 ベルン軍中央は千六百ほど。

 こちらは中央八百に、南へ伏せていた六百を合わせれば千四百。

 予備二百まで使えば千六百。

 数は並ぶ。

「北を囮にするんですか?」

「北が崩れる前に中央を破る」

「でも、フリードリヒはそれを……」

 言いかけて止まった。

 敵中央後方。

 四門の砲。

「……待ってる?」

「おそらくな」

 アルベルトも気づいている。

「じゃあ行かない方が」

「行かなければ北が潰れる」

「……」

 選ばされている。

 北を助ければ、こちらの配置が崩れる。

 中央へ出れば砲撃を受ける。

 何もしなければ北の四百が千四百に飲み込まれる。

「これがフリードリヒの狙い……」

「ああ」

 アルベルトが小さく笑った。

「前より上手くなったな、あいつ」

「褒めてる場合ですか?」

「敵を正しく評価しない奴から死ぬ」

 そう言うと、アルベルトは剣を抜いた。

「南隊六百、中央へ! 予備二百も出せ!」

「本当に行くんですか?」

「ああ」

「砲が待ってますよ」

「分かっている」

「じゃあ――」

「アレク」

 アルベルトが俺を見る。

「敵がこちらを読んでいるなら、その読みより速く動く」

「……」

「砲が撃つ前に距離を詰める」

「無茶じゃない?」

「無茶と無謀は違う」

「違いは?」

「成功したら無茶だ」

「それ結果論ですよね!?」

 アルベルトが笑った。

「全軍、前進!」


 ブオォォォ――!


 角笛が響いた。

 南の森から六百の兵が飛び出す。

 ザザザザザッ!

 中央の八百も前進を開始。

 予備二百がその後ろへ続く。

 合計千六百。

「走れ!」

「敵に撃たせるな!」

「前へ――!」

「オオオオオオッ!」

 ドドドドドドドド!

 大勢の足音が重なり、地面が震える。

 鎧が激しく擦れ合う。

 ガチャガチャガチャ!

 俺も走る。

「アレク!」

 ゲオルクが叫ぶ。

「前へ出すぎるな!」

「分かってます!」

「分かってる奴はもう少し後ろにいる!」

「これでも下がってます!」

 敵中央が見える。

 槍兵がこちらへ向きを変える。

「敵接近!」

「槍、前へ!」

 ガチャァァン!

 長い槍が一斉に下がる。

 その後ろ。

 砲兵が動いた。

「砲!」

 俺が叫ぶ。

「装填してる!」

「走れ!」

 アルベルトの声が飛ぶ。

「止まるな!」

 砲兵が火を近づける。

 ジュッ。

「撃て――!」

 ドォン――!!

 腹の底まで震える音。

 続いて三門。

 ドォン!

 ドォン!

 ドォン!

「散れ――!」

 ヒュゥゥゥン!

 砲弾が飛んでくる。

 ズドォォン!

 土が爆ぜた。

「うわあああっ!」

「ぐっ!」

 兵が吹き飛ぶ。

 土煙。

 悲鳴。

 それでも止まれない。

「前へ!」

「距離を詰めろ!」

 ドドドドド!

 二百歩。

 百五十。

 百。

「弓兵!」

 ベルン軍の後方から矢が飛ぶ。

 ヒュヒュヒュヒュン!

「盾!」

 ガガガガッ!

「止まるな!」

 五十歩。

 三十。

 二十。

「槍――!」

 両軍が槍を下げる。

「突撃!」

「オオオオオオオッ!」

 ガァァァァン!!

 兵と兵が激突した。


 ◇ ◇ ◇


 ガン!

 ガキン!

 ガチャァン!

 槍が絡み、盾がぶつかり、剣が鎧を叩く。

「押せ!」

「下がるな!」

「列を崩すな!」

 目の前にベルン兵。

 槍が来る。

 俺は身体をずらした。

 ヒュッ!

 穂先が頬の横を抜ける。

 一歩踏み込む。

 剣を振る。

 ガキン!

 敵が受ける。

「くっ!」

 押し返す。

 敵の体勢が崩れたところへ肩をぶつける。

「うわっ!」

 倒れた。

「前!」

 トーマスの声。

 別の槍。

 俺は剣で払う。

 ガァン!

「助かった!」

「だから前に出るなって言っただろ!」

「向こうから来たんだよ!」

「知らん!」

 そんなことを言っている間にも、戦線は動いている。

 こちらの千六百がベルン中央を押していた。

 敵も同数程度。

 だが、中央から北へ六百を回した直後だったため、隊列の組み直しが完全ではない。

「押してる!」

 俺が叫ぶ。

 ゲオルクがすぐ否定する。

「まだだ!」

「でも!」

「敵が下がりすぎている!」

「……え?」

 見る。

 確かにベルン中央が少しずつ後退している。

 こちらが押しているように見える。

 だが、崩れてはいない。

 規則正しく。

 一歩。

 また一歩。

「誘われてる?」

「止まれ!」

 ゲオルクが叫んだ。

「前進を止めろ!」

 だが、大軍はすぐには止まれない。

 前列は敵と戦っている。

 後列は前へ押している。

「止まれ!」

「押すな!」

「前列を止めろ!」

 混乱が生まれる。

 その時。

 ベルン軍中央が左右へ割れた。

「……!」

 その向こう。

 四門の砲。

 こちらを向いている。

「まずい!」

 俺の背筋が凍った。

「伏せろ――!」

 ドォン――!!

 ドォン!

 ドォン!

 ドォン!

 轟音。

 真正面から砲弾が飛び込んできた。

 ズドォォン!

「うわああああっ!」

 人が吹き飛ぶ。

 隊列に穴が開く。

「下がるな!」

「陣形を!」

 ベルン兵が反転する。

「前へ!」

「押し返せ!」

 今度は向こうが来る。

「くそっ!」

 完全に読まれた。

 北を攻める。

 こちらが中央へ出る。

 砲撃。

 そして反撃。

 全部。

 最初から。


 ◇ ◇ ◇


 丘の上。

「北隊、後退!」

 アルヴェイン弓兵四百が下がり始める。

「走れ!」

「弓は捨てるな!」

「負傷者を運べ!」

 その後ろからベルン兵が迫る。

「追え!」

「丘を取れ!」

 ザッ!

 ザッ!

 ザッ!

 ベルン軍が丘上へ到達する。

 だが、そこから中央を見ると状況が変わっていた。

 中央ではアルヴェイン軍とベルン軍が激突している。

「中央へ行きますか?」

 ベルン北翼の指揮官が尋ねる。

「いや」

「しかし」

「命令は丘の確保だ」

「……」

「ここを取れば、奴らは北を使えん」

「はっ」

 ベルン軍は追撃しなかった。

 丘を確保し、その場で陣形を整え始める。

 それもまた、フリードリヒの命令だった。


 ◇ ◇ ◇


「後退!」

 アルベルトの声が戦場に響く。

「中央、順次下がれ!」

「負傷者を先に!」

「槍隊、殿を務めろ!」

 ブオォォォ――!

 角笛。

 俺たちは下がり始めた。

 ベルン軍は追ってくる。

 だが深追いはしない。

「追撃が弱い」

 俺は息を切らしながら言った。

「追う必要がないんだ」

 ゲオルクが答える。

「どういうこと?」

「見ろ」

 振り返る。

 北の丘。

 ベルン軍の旗。

 中央街道。

 ベルン本隊。

 俺たちは南東へ後退している。

「……取られた」

「ああ」

 中央街道と北側丘陵。

 二つともベルン軍が押さえた。

「じゃあ、負けた?」

「今日の戦いだけならな」

 ゲオルクは悔しそうに答えた。

 俺は唇を噛んだ。


 ◇ ◇ ◇


 夕方。

 ベルン軍本陣。

「北側丘陵、確保しました」

「中央街道もこちらの支配下です」

「敵軍は南東へ後退。追撃は停止しております」

 報告を聞いたフリードリヒは静かに地図を見ていた。

 コンラートが笑う。

「勝ちましたな」

「今日のところはな」

「損害は?」

「およそ百八十。負傷者三百弱」

「アルヴェイン側は?」

「正確には不明ですが、同程度か、それ以上かと」

「……」

 フリードリヒは地図上のヴァイスブルクを見る。

「砲を前へ出しますか?」

「まだいい」

「城を攻めないのですか?」

「攻めん」

 コンラートが意外そうな顔をした。

「中央街道を取りました。北側丘陵もこちらのものです。今ならヴァイスブルクを――」

「だから攻めん」

「……?」

 フリードリヒは地図の上で指を北東へ滑らせた。

「アルベルトは、私がヴァイスブルクを欲しがっていると思っている」

「違うのですか?」

「欲しいさ」

 フリードリヒは笑った。

「だが、城は逃げん」

「……」

「先に、奴が城を守るために必要なものを奪う」

 指が止まる。

 ラーデン街道。

「別働隊は?」

「予定通り、日没後に出発できます」

「兵数は一千」

「はい」

「指揮官は?」

「ディートリヒ・フォン・ハーゲン」

「十分だ」

 フリードリヒは命じた。

「夜のうちに北東へ回せ」

「目的は?」

「ラーデン街道の遮断」

「……」

 コンラートが地図を見る。

 ヴァイスブルクとアルヴェインブルクを結ぶ重要な補給路。

「なるほど」

「城を攻めれば、アルベルトは城を守る」

「はい」

「ならば城を攻めずに道を切る」

「……」

「奴は選ばなければならなくなる」

「ヴァイスブルクか」

「補給路か」

 フリードリヒは静かに笑った。

「そうだ」

「もし街道を取り返しに来れば?」

「その分、こちらの正面から兵が減る」

「来なければ?」

「ヴァイスブルクが孤立する」

「……」

「どちらでもいい」

 フリードリヒは地図から顔を上げた。

「アルベルトに選ばせろ」


 ◇ ◇ ◇


 同じ頃。

 ヴァイスブルク南側の丘陵地。

 アルヴェイン軍は新たな陣地を作っていた。

 パチッ。

 パチパチ……。

 焚き火の音が響く。

 昼間まで聞こえていた剣戟も、砲声もない。

 その静けさが逆に不気味だった。

 俺は地面に座りながら、包帯を巻かれている兵士たちを見ていた。

「戦死六十三」

 ゲオルクが報告書を読む。

「負傷百四十余。重傷者についてはヴァイスブルクへ移送します」

 アルベルトは黙って聞いている。

「北側弓兵の損害が最も大きいです」

「そうか」

「……」

 軍議の空気は重かった。

 俺は地図を見る。

「殿下」

「何だ」

「フリードリヒ、何で追ってこなかったんです?」

「必要がないからだ」

「ゲオルクさんにも同じこと言われました」

「なら聞くな」

「でも……」

 俺は地図を指した。

「中央街道を取った。北の丘も取った。それなら、そのままヴァイスブルクへ行けばいい」

「ああ」

「なのに行かない」

「そうだ」

「何で?」

 アルベルトは答えなかった。

 俺自身に考えさせようとしている。

「……砲がある」

「ああ」

「城を攻められる」

「ああ」

「兵も向こうの方が多い」

「ああ」

「なのに攻めない」

「そうだ」

「……」

 分からない。

 いや。

 何かがおかしい。

「もしかして」

 俺は地図を見る。

「ヴァイスブルクが目的じゃない?」

 アルベルトが初めてこちらを見た。

「本当に欲しいのがヴァイスブルクとは限らん」

「じゃあ何を?」

「それを考えろ」

「また?」

「お前は考えるのが仕事だろう」

「いつから?」

「今決めた」

「勝手だなあ……」

 だが、アルベルトは笑わなかった。

「アレク」

「はい」

「今日、私はフリードリヒに負けた」

「……」

「こちらの配置を読まれ、その上から策を重ねられた」

「はい」

「前回と同じ相手だと思うな」

「……」

「人は学ぶ」

 アルベルトは地図上のベルン軍を見た。

「負けた者ほどな」

 朝、ゲオルクが言っていた言葉と似ていた。

「フリードリヒは前回の敗北から学んだ」

「はい」

「なら次はこちらの番だ」

 アルベルトが立ち上がる。

「今日、奴が何をしたかではない」

「……」

「明日、何をするつもりなのかを考えろ」

 俺は地図へ目を落とした。

 ヴァイスブルク。

 中央街道。

 北側丘陵。

 ベルン軍。

 俺たち。

 何度見ても、答えは書いていない。

 当たり前だ。

 地図に人間の考えまでは載っていない。

 フリードリヒは何を欲しがっている?

 なぜヴァイスブルクを攻めない?

 今日の勝利だけが目的なら、もう十分なはずだ。

 それでも奴は止まっている。

 何かを待っている。

 あるいは――。

 もう何かを動かしている。

「……」

 俺は北東へ目を向けた。

 その時はまだ、その違和感の正体までは分からなかった。


 ◇ ◇ ◇


 日没後。

 ベルン軍陣地の北側。

 松明の数を最小限に抑えた兵士たちが、静かに集まっていた。

 千人。

 先頭に立つ男が馬へ跨がる。

 ディートリヒ・フォン・ハーゲン。

「準備は?」

「整いました」

「荷車は?」

「必要最低限のみ」

「よし」

 ディートリヒは暗い北東の森を見る。

「出るぞ」

「はっ」

「声を出すな。旗も畳め」

「夜明けまでに森を抜ける」

「目的地は――」

 副官が地図を確認する。

「ラーデン街道」

「ああ」

 ディートリヒは馬を進めた。

 パカッ。

 その後ろを兵士たちが歩き始める。

 ザッ。

 ザッ。

 ザッ。

 千人の足音。

 それでも、昼間の進軍とは比べものにならないほど静かだった。

 彼らはヴァイスブルクへ向かわない。

 戦場から離れるように北東へ進んでいく。

 その先にあるのは、一本の街道。

 そして。

 アレクがこの世界で初めて暮らした村。

 ラーデンだった。

アルベルトが仕掛けた罠を読み、さらにその上から策を返したフリードリヒ。


第二次ヴァイスブルクの戦い、その初日はアルヴェイン側の後退で終わった。


しかし、ベルン軍はヴァイスブルクを目前にしながら進軍を止める。


フリードリヒが狙っていたのは、城そのものではなかった。


その頃、密かに動き出していた別働隊一千。


その進路の先には、アレクがこの世界で最初に暮らした場所――ラーデン村がある…

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