第八話 港を渡す相手
国境近くの宿で、初めて顔を合わせる者たち。
それぞれの思いを胸に、話し合いが始まります。
王の使者を送り出してから三日後、ゼーラント伯爵の城へ続報が届いた。
駐留する部隊は、四十日後を目安に到着する。
港に近い宿舎と、兵糧を収める倉を用意せよ。
エーベルハルトは書状を読み終えると、机の向かいに立つレナートへ渡した。
「四十日後……」
レナートが顔を上げた。
「受け入れの支度が整ってからではなかったのですか」
「こちらの返事を待つつもりは、初めからなかったのだろう」
エーベルハルトは、もう一通の書状へ目を向けた。
ベルントが持ち帰った、マティアスからの返書だった。
国境近くで会いたいという願いは、受け入れられている。
会談は明後日。
場所は、商会が街道沿いに持つ宿に決まっていた。
「予定どおり、侯爵に会う」
エーベルハルトが言った。
「明日は倉と宿舎を見て回る。王の兵を迎えるのだから、領主が確かめても不思議ではあるまい」
「そのまま、国境の宿へ向かうのですね」
「ああ」
レナートは王の書状を机へ戻した。
四十日後には、自分たちの港へ別の将が入る。
船を出すにも、その男へ伺いを立てることになるのかもしれなかった。
「港の兵には、普段どおりに務めさせます」
「頼む。こちらが留守の間に、商人と王の役人が揉めぬようにもな」
「はい」
エーベルハルトは椅子を引き、立ち上がった。
窓の外には、荷を積み終えた船が見えた。
帆を整える船乗りが、岸へ何かを叫んでいる。
明日も、その次の日も、同じように船が出ていく。
その営みを守れるかどうかを、これから会う男と話さねばならなかった。
◇ ◇ ◇
国境へ向かう街道は、荷車がすれ違えるほどの幅があった。
アレクは馬上から、道の脇へ目を向けた。
車輪の跡が深く残っている場所はあるが、大きく崩れてはいない。坂も、荷を引く馬が登れる程度だった。
先ほど越えた国境から、商人の往来は絶えていなかった。
エーベルハルトの使いの者が先導し、その後ろをマティアスとアレクが進んでいる。従う護衛は少人数に抑えられていた。
後方を確かめたマティアスが、アレクへ声をかけた。
「道はどうだ」
「今のところ、荷車を通すのに困る場所はありません。先ほどの橋だけは、重い荷を通す前に確かめた方がよさそうです」
「港までは、まだ先だ。伯爵から聞いておこう」
「はい」
アレクは前を向いた。
道沿いに、二階建ての宿が見えてきた。
広い庭には荷車を止める場所があり、脇には厩が並んでいる。商人が馬を休ませ、翌朝また出発するための宿なのだろう。
今日は庭に人が少なかった。
入口の前に、二人の男が立っていた。
一人は、落ち着いた色の上着を着た中年の男だった。その隣には、まだ若い男がいる。
マティアスが馬を止めると、中年の男が進み出た。
「遠路、お越しいただきありがとうございます。エーベルハルト・フォン・ゼーラントにございます」
「マティアス・フォン・クレーマーだ。こちらこそ、場所を整えてもらった」
二人が挨拶を交わす。
エーベルハルトは隣の若者へ目を向けた。
「息子のレナートです」
「レナート・フォン・ゼーラントにございます」
若者が深く礼をした。
マティアスは頷き、アレクを示した。
「アレク・フォン・ハルトマン伯爵だ。私のもとで鉄砲隊を預かっている」
アレクは馬を降り、二人へ礼をした。
「アレク・フォン・ハルトマンです。本日はよろしくお願いいたします」
レナートの視線が、アレクへ向いた。
レナートは、アレクの名に聞き覚えがあるようだった。
エーベルハルトも一度アレクを見たが、すぐに宿の入口を示した。
「どうぞ、中へ。話のできる部屋を用意しております」
◇ ◇ ◇
部屋には、大きな机が一つ置かれていた。
窓は閉じられ、廊下にはエーベルハルトの従者が控えている。
ベルントが扉を閉めると、外の物音が遠くなった。
席に着いたマティアスは、机に広げられた地図を見た。
「これが、港までの街道か」
「はい。この宿から西へ進み、川を渡れば、湖へ下る道になります」
エーベルハルトが指でたどった。
「荷車は、どの程度通っている」
「日によって違いますが、穀物の出荷が重なる時には、朝から列が続きます。港へ運ぶ荷もあれば、船で届いた品を東へ送ることもございます」
「船は何隻ある」
「商会の持ち船と、借りている船を分けてお話しした方がよろしいでしょう」
「頼む。伯爵の一存で動かせる船が、何隻あるかを知りたい」
エーベルハルトはベルントへ目を向けた。
用意していた書付が、机へ置かれる。
船の大小と、普段運んでいる荷。出港している船が戻る予定も書かれていた。
マティアスは、それを一つずつ確かめた。
「この船は、戻ってすぐに使えるのか」
「荷を下ろし、船体に傷みがないか確かめてからになります。戻ったその日に、また満載で出せるとはお約束できません」
「船乗りを休ませる必要もあるな」
「はい」
エーベルハルトの返事が、少しだけ早くなった。
マティアスは書付を置いた。
「港を使うと言っても、船が並んでいればよいわけではない。そこは、先に聞いておきたかった」
「……そのようにお尋ねいただけるとは、思っておりませんでした」
「何隻出せとだけ命じる方がよかったか」
「いいえ」
エーベルハルトは首を振った。
「今は、そればかりでございます」
ベルントが目を伏せた。
エーベルハルトは机へ両手を置き、マティアスを見た。
「侯爵閣下なら、お分かりになると思っておりました。ですが、それだけで領民の命を預けるわけには参りません」
部屋が静まった。
アレクは、エーベルハルトの顔を見た。
相手の機嫌をうかがうための言葉ではなかった。
ここへ来る前から、伝えると決めていたのだろう。
マティアスは頷いた。
「当然だ。私も、商人だったというだけで伯爵を信用するわけではない」
「はい」
「書状だけでは分からぬことを、今日は確かめよう」
エーベルハルトは、深く頷いた。
◇ ◇ ◇
納める税や、戦時に担う輸送の話を終えたところで、エーベルハルトは一度言葉を切った。
「もう一つ、お伝えしたいことがございます」
「聞こう」
「グランヴァルトへの帰属が認められるのであれば、家督を息子へ譲りたく存じます」
マティアスの視線が、レナートへ移った。
「伯爵は、どうする」
「商会の経営へ戻ります。船と荷を動かし、領地を支えるつもりです」
「領地を離れるわけではないのだな」
「はい」
マティアスはレナートへ向き直った。
「父上から爵位を受け取り、何を引き受けるつもりだ」
レナートは背筋を伸ばした。
「領地を治め、必要な時には兵を率います」
「それだけか」
レナートは、すぐには答えなかった。
隣に座る父へ一度目を向け、それからマティアスを見た。
「港で働く者も、船に乗る者も、その家族も、私が守ることになります」
マティアスは黙って聞いた。
「父は、商人との約束を守るために、自分の倉から荷を出しました。そのおかげで、今も港へ来る船があります。私が家を継いでも、その働きを無駄にはしたくありません」
「王の命令と、商人との約束が食い違ったらどうする」
レナートの指が、膝の上でわずかに動いた。
「まず、何を求められているのかを確かめます。その上で、できることと、できないことをお伝えします」
「それでも、求められるかもしれんぞ」
「はい。ですが、できないことを引き受ければ、王にも商人にも嘘をつくことになります」
エーベルハルトは口を挟まなかった。
息子の答えを、隣で聞いていた。
マティアスはしばらくレナートを見た後、頷いた。
「その考えは、陛下にも伝えよう」
「ありがとうございます」
「ただし、爵位と領地を認めるのは陛下だ。私の一存で、今ここで約束はできん」
「承知しております」
レナートが礼をした。
顔を上げた時、アレクと目が合った。
「ハルトマン伯爵は、初めから兵を率いておられたのですか」
「いいえ。最初は、自分のことで精いっぱいでした」
アレクが答えると、レナートは少し驚いた顔をした。
「そうなのですか」
「今も、隊長や周りの者に助けてもらっています。私だけで、すべてを決められるわけではありません」
レナートは、わずかに肩の力を抜いた。
マティアスが二人を見た。
「助けを借りることと、任せきりにすることは違う。その区別がついていればよい」
「はい」
二人の返事が重なった。
エーベルハルトの口元が、少しだけ緩んだ。
◇ ◇ ◇
ベルントが水を注ぎ直した後、エーベルハルトは懐から書状を取り出した。
王の封が施されていたものだった。
「こちらを、ご覧いただきたく存じます」
マティアスが受け取る。
読み終えると、アレクにも渡した。
港へ将と兵を入れること。
船の出入りと、軍用物資の管理を委ねること。
別の書状には、到着までの日数が記されていた。
「四十日後か」
「続報が届いてから、すでに二日が過ぎております」
エーベルハルトが答えた。
「私がこちらへ従うと告げれば、あの兵は守備隊ではなくなります」
アレクは書状から顔を上げた。
「グランヴァルトの兵が来るまで、この港を持ちこたえられるとは申し上げられません」
エーベルハルトの声は、落ち着いていた。
だが、机に置かれた手は動かなかった。
「城と港の兵だけでは、守り切れぬのか」
マティアスが尋ねた。
「城へ兵を集めれば、港と倉が空きます。港へ残せば、城の守りが薄くなる。村から兵を呼ぶにも、時間が必要です」
「王の兵を入れてからでは」
「船を出すにも、荷を運ぶにも、許しを求めることになるでしょう。こちらが兵を集める前に、止められます」
マティアスは地図へ目を落とした。
国境から港へ、一本の街道が続いている。
その先に、湖があった。
「旗を替えろと言い、後は耐えろでは、迎えるとは言えんな」
エーベルハルトが顔を上げた。
マティアスは続けた。
「帰属を公にする時と、こちらの兵を入れる時は、合わせねばならん」
「では、兵を」
「陛下の御命令が要る。今ここで、いつ何人送るとまでは言えん」
期待だけを持たせるような答えではなかった。
エーベルハルトも、頷いて続きを待った。
「だが、命令が下ってから道を調べていては遅い。今のうちに、迎える支度を詰めておこう」
マティアスはアレクへ顔を向けた。
「先ほどの橋の話を」
「はい」
アレクは地図の上で、渡ってきた川を示した。
「この橋は、普段から荷車が通っています。ただ、兵や重い荷車を続けて渡らせる前に、傷みがないか確かめておきたいです」
「職人を向かわせます」
レナートが答えた。
「港の方からも、材を運べます」
「橋を塞ぐような作業は避けてください。商人が通れなくなると、かえって目立ちます」
「分かりました」
アレクは、その先の道へ指を移した。
「ここから港までに、荷車が一台ずつしか通れない場所はありますか」
「湖へ下る途中に、道の狭い所がございます」
ベルントが身を乗り出した。
「崖沿いではありません。片側に水路があり、向かいから車が来れば、手前で待たせております」
「そこに案内の者が必要です。兵の列と荷車が、途中でぶつからないようにしたいので」
エーベルハルトがベルントへ頷いた。
書付に、用意することが増えていく。
兵を休ませる場所。
馬へ水を与えられる所。
港へ入るまでに、兵糧を置ける倉。
マティアスは、使えるという倉や土地についても、誰が所有しているのかを確かめた。
「この倉は、伯爵の商会のものか」
「はい。ただし、今は他の商人から預かった荷が入っております」
「勝手に動かすわけにはいかんな」
「隣の倉へ移す許しを取ります。費用は、私の商会で持ちましょう」
「それも書き残しておいてくれ。何を借り、何を負担してもらったか、後で分からなくなっては困る」
ベルントがペンを動かした。
エーベルハルトは、その手元を見ていた。
荷を出せとだけ命じられる時には、こんな書付は残らなかった。
何を求められ、何を用意するか。
今は、それを同じ机で確かめていた。
◇ ◇ ◇
窓の外が少し暗くなった頃、話はようやく一区切りついた。
ベルントが書付を読み上げ、エーベルハルトとレナートが内容を確かめる。
マティアスも内容を確かめ、曖昧な箇所は書き直させた。
帰属の受け入れも、家督の継承も、まだ王の承認を得ていない。
兵の到着日も、ここでは定められない。
そのことを曖昧にしないまま、願い出る内容が整えられた。
エーベルハルトは、差し出された紙へ目を通した。
読み終えると、レナートへ渡す。
息子が最後まで確かめるのを待ってから、マティアスを見た。
「領地と領民をお守りいただけるのであれば、グランヴァルト国王陛下への帰属を願い出ます」
マティアスは、正面からその言葉を受けた。
「陛下へ届けよう」
「息子のことも、お願いいたします」
レナートが姿勢を正した。
「私からも、お願い申し上げます」
エーベルハルトが署名した。
続いて、レナートがペンを取る。
父の名の下へ、自分の名を書いた。
アレクは、その様子を見ていた。
署名をしたからといって、明日から安全になるわけではない。
王の兵は、今も港へ向かう支度をしている。
それでも、父子は選んだ。
マティアスは書状を受け取り、丁寧に畳んだ。
「陛下の御返答が届くまで、帰属の話は伏せておけ」
「承知いたしました」
「港の警備も、急には変えるな。兵を迎える準備は、普段の荷運びに支障が出ぬ範囲で進めてほしい」
「はい」
エーベルハルトは頷いた。
「王の兵の動きが分かり次第、知らせます」
「頼む。予定が早まった時は、特に急いでくれ」
ベルントが深く礼をした。
◇ ◇ ◇
宿の庭へ出ると、馬はすでに用意されていた。
護衛たちが、それぞれの持ち場から集まってくる。
マティアスが従者へ短く命じ、王へ先行して知らせる者を出した。
蹄の音が、東へ向かって遠ざかっていった。
レナートは、アレクのそばへ来た。
「橋と街道は、私が確かめます」
「お願いいたします」
「案内の者も、道をよく知る者を選びます」
アレクは頷いた。
「兵が迷わずに進めれば、それだけ早く港へ着けます」
レナートは、東へ続く道を見た。
商人の荷車を迎えてきた道だった。
そこを、今度は兵が進んでくる。
「次にお会いする時は、港までご案内できるようにしておきます」
「はい」
アレクは答えた。
少し離れた場所で、エーベルハルトがマティアスへ礼をしていた。
「本日は、ありがとうございました」
「まだ、礼を言われるところまでは済んでおらん」
「それでも、直接お話しできてよかったと思っております」
マティアスは伯爵を見た。
それから、宿の前を通る街道へ目を向けた。
「陛下が受け入れをお決めになれば、この道を王の兵が通る」
エーベルハルトとレナートが、その先を見た。
「その支度を頼む」
父子は揃って頭を下げた。
マティアスが馬へ乗る。
アレクも続き、二人へ一礼した。
宿を離れると、馬の歩みが速くなった。
シガリア王の兵が港へ入るまで、残された日は多くない。
アレクは、先を行くマティアスの背を見た。
その懐には、父子が名を記した書状が収められている。
国境へ続く街道を、護衛たちの蹄が鳴らした。
お読みいただきありがとうございます。
商いで領地を支えてきた父と、その領地を継ごうとする息子。二人の決断を、マティアスが受け止める会談となりました。
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