第九話 西へ向ける旗
西の国境から届いた書状。
レオンハルトは、地図を前に決断を下します。
レオンハルトの前に、二人の名が記された書状が置かれていた。
エーベルハルト・フォン・ゼーラント。
その下に、レナート・フォン・ゼーラント。
マティアスから先に遣わされた使者は、王が読み終えるのを待っていた。
隣に立つユリウスも、口を挟まなかった。
「父親は商会へ戻り、息子に家を継がせたいというのだな」
レオンハルトが尋ねた。
「はい。エーベルハルト伯爵は、船と荷を動かすことで、引き続き領地を支えると申しております」
「息子の考えは」
「領地と兵を預かり、父親が守ってきた商人や船乗り、その家族を守りたいと。マティアス様が直接お確かめになりました」
レオンハルトは、もう一通の報告へ目を移した。
港へ続く街道。
船と船乗り。
兵を迎えるために使える倉と、確かめる必要のある橋。
帰属を望むという言葉だけではなかった。何を差し出し、何を守ってほしいのかが、書き分けられていた。
「商いを捨てて、兵を率いる家になるわけではないか」
「はい」
レオンハルトは書状を机へ置いた。
「その方がよい。父親まで、慣れぬ仕事へ移す必要はない」
ユリウスが頷いた。
レオンハルトは、使者へ目を戻した。
「シガリアの兵は、いつ入る」
「会談の時点で、到着予定まで三十八日ございました」
「ここへ来るまでにも、日が過ぎているな」
「はい」
使者が出発の日と、途中で馬を替えた場所を答えた。
書記官が日数を確かめ、報告の余白へ記す。
レオンハルトは、その数字を見た。
まだ日数はある。
だが、書状を往復させ、諸侯の返事を待ってから動き始めれば、すぐに使い切る。
「地図を」
ユリウスが机へ地図を広げた。
グランヴァルトの西に、シガリア王国がある。
その中央に近い場所を、大きな湖が占めていた。
ゼーラント伯爵領の港は、湖の北東岸に記されている。そこから東へ延びる街道は、国境を越え、グランヴァルトの西部へつながっていた。
レオンハルトは港の印へ指を置いた。
「この家を迎える」
書記官が顔を上げた。
「ゼーラント伯爵家の本領を安堵する。帰属に際しての家督の譲渡を認め、レナートを我が国の伯爵として迎える。条件は、マティアスが取りまとめた内容をもとに整えよ」
「承知いたしました」
「父親の商会も、取り決めに従って商いを続けさせる。船も倉も、こちらへ来た途端に勝手に取り上げられたのでは、話にならん」
書記官のペンが動き出した。
レオンハルトは続けた。
「ただし、帰属を公にするのは、こちらの兵が着いてからだ。そのことも書け」
◇ ◇ ◇
ユリウスは、湖の南側から港へ続く道を見ていた。
「陛下」
「何だ」
「シガリア王は、認めますまい」
「そうだろうな」
「伯爵家だけではございません。東岸の港と、グランヴァルトへ通じる道を失います。取り戻すために兵を向けると考えるべきです」
レオンハルトは頷いた。
ユリウスは王へ向き直った。
「港を得れば、そこを守る戦になります」
「分かっている」
レオンハルトは、父子の名が並ぶ書状を手元へ引き寄せた。
「迎えると決めた以上、守る。旗だけ渡して、父子を敵の前へ置くつもりはない」
使者が姿勢を正した。
王は地図の港から、東へ続く街道を指でたどった。
「まず、この道から兵を入れる。シガリアの将に港を握られる前に、伯爵家と港を守れるだけの兵を着かせろ」
「西部に近い部隊から、先に動かします」
ユリウスが答えた。
「全軍の集結を待たず、先行部隊を出すということでよろしいですか」
「ああ。全員が揃うのを待って、迎える相手を失っては意味がない」
レオンハルトは使者へ顔を向けた。
「マティアスとアレクには、王都へ戻らず、西部で支度を進めるよう伝えよ。伯爵との連絡を保ち、兵を入れる日を合わせさせる」
「承知いたしました」
「先行部隊を着かせるまでは、父子に無理をさせるな。こちらの旗を掲げさせるのも、それからだ」
ユリウスが地図の東側へ、小さな駒を置いた。
国境へ近い城の位置だった。
「ここへ先発の兵と荷を集めます。伯爵領までの案内は、先方が用意するとあります」
「橋の確認も急がせろ。兵を送っても、荷が止まれば長くは守れん」
「はい」
レオンハルトは港の印を見た。
「俺も西へ向かう」
ユリウスが顔を上げた。
「陛下が、直接」
「この港を巡って戦うなら、そこから先も考えねばならん。兵を送って終わりにはせん」
ユリウスは一礼した。
「では、主力の編成を」
◇ ◇ ◇
机の上に、諸侯と王家の部隊を書き出した紙が並んだ。
ユリウスが、遠征へ向けられる兵と、国内へ残す兵を分けていく。
名を呼ばれた書記官が別の帳面を開き、兵数を確かめた。
レオンハルトは、書き出された数字を見比べた。
「西へ向ける兵は、総勢二万四千とする」
部屋の中で、ペンの音が一度止まった。
「鉄砲隊も、その数に含める。兵糧を運ぶ人夫や商会の者は、戦う兵と分けて数えよ」
ユリウスが頷いた。
「鉄砲隊は、アレクの指揮する三千に、諸侯の二千を加えた五千を向けます」
「アレクの隊から出した教官の分は」
「王家の隊から補充を済ませております。三千を揃えられるとの報告です」
「よし」
レオンハルトは、諸侯の名が並ぶ紙へ目を向けた。
火縄銃を渡した時には、まだ教えるための数挺ずつだった。
それが今は、兵を率いて参じよと命じられるところまで来ている。
「諸侯の二千も、数が揃えばよいという話ではない。隊をまとめて動けるか、集結したところで確かめさせろ」
「教官と指揮官の報告を揃えます。フーゴ伯爵にも、他家の隊との連絡を取らせましょう」
「アレクとも話をさせよ。別々に撃つだけでは、五千を集めた意味が薄い」
「承知いたしました」
ユリウスは、鉄砲隊の名簿を脇へ寄せた。
「残る一万九千は、歩兵と騎兵などで編成します。先行部隊も、この二万四千から出します」
「各部隊が国境を越える前に、実際の兵数を確かめて報告しろ」
「はい」
招集先も、地図へ書き込まれていった。
王都ではなかった。
西部へ近い諸侯は、それぞれの領地から指定された城や街道の宿営地へ向かう。王家の兵も、王都へ呼び戻す必要のない者は、そのまま西へ進ませる。
「マティアスには、どの家の兵が、いつ着くかを知らせ続けよ」
レオンハルトが命じた。
「五千来ると聞いていた日に、二千しか来なければ、向こうで組んだ予定が崩れる」
「到着の見込みが変わった部隊から、先に報告させます」
「遅れを隠すなとも伝えろ」
ユリウスが頷いた。
使者へ渡す書状が、次々に分けられていく。
先行部隊への命令。
諸侯への招集。
マティアスへの指示。
レオンハルトは、まだ白い紙の残る机を見た。
「港を守る兵は先に入れる。主力は、その後に続ける。先発を孤立させぬよう、後ろから絶えず兵と荷を送れ」
「承知いたしました」
◇ ◇ ◇
ユリウスは、湖の北東岸へ駒を集めた。
「伯爵領へ入った後ですが、敵が港を奪い返しに来るなら、まずはここで迎えることになります」
港の南には、湖岸に沿って街道が延びていた。
その東側には丘陵が描かれている。
「湖と丘陵の間を北へ進む道です。敵が南方で兵を集めれば、この街道を使うでしょう」
「港町の中では戦いたくないな」
「はい。町の外で迎えられる場所を、マティアスたちに調べさせます」
レオンハルトは、集められた駒を見た。
「初めから軍を割るな。港を奪い返しに来る軍を、まず全軍で退ける。その後に分ける」
ユリウスは頷き、駒の一部を北へ動かした。
「私は北岸を西へ進みます。街道と港を押さえ、敵が北から回り込めぬようにいたします」
「一万を預ける。諸侯の鉄砲隊二千も、お前の軍へつける」
「はい」
「俺はマティアスとアレクを連れ、東岸を南へ進む。一万四千。アレクの三千も、その中だ」
ユリウスが二つの軍を分けて記した。
その手を、レオンハルトが止めた。
「これは、分ける時の数だ。城や街道へ兵を残せば、前へ出る兵は減る」
「後方の守備を引き継ぐ部隊も、順次用意いたします」
「ああ。落とした土地を空けて、先へだけ進むな」
ユリウスは返事をした後、湖の中央へ目を向けた。
「ただ、陸の道を押さえても、それだけでは敵の荷は止まりません」
「船か」
「はい。こちらが街道を塞いでも、対岸から運べます。城へ兵糧を届けるにも、兵を移すにも、湖を使える側が有利です」
レオンハルトは湖を見た。
地図の上では、道のない広い場所だった。
だが、船を持つ者には、そこも道になる。
「だからこそ、船と船乗りを持つ伯爵を迎える意味がある」
「仰せのとおりです」
「まずは港だ。そこを失わずに迎えることから始める」
ユリウスは、北東岸の駒を置き直した。
◇ ◇ ◇
西へ向ける命令がまとまりかけた時、レオンハルトは別の地図を求めた。
旧ロスヴァール領と、その南のカルディア王国が描かれていた。
国境には、前の戦で定め直した線が引かれている。
レオンハルトは、その線を見た。
「アーノルドは、南へ残す」
ユリウスが頷いた。
「配下の鉄砲隊も、守備に就かせます」
「ああ。西へ向ける五千には入れるな」
「含めておりません」
レオンハルトは書記官へ命じた。
「カルディアの兵の動きを確かめさせろ。国境の城からの知らせが遅れぬよう、連絡を整えさせる」
書記官が書き留める。
「異変があれば、配下の兵をすぐに集められるよう備えよ。だが、最初からすべてを国境へ並べ、こちらから騒ぎを大きくする必要はない」
「はい」
「集結させる場所と、そこへ至る道は、アーノルドに決めさせる。あの地を知っている」
レオンハルトは、カルディア側の城へ指を置いた。
「西へ兵を向けても、南を空けたと思わせるな」
ユリウスが王を見た。
「こちらの出兵を知れば、試すように兵を動かすかもしれません」
「その時、慌てて兵を集め始めるようでは困る」
レオンハルトは、書きかけの命令書へ目を向けた。
「アーノルドには、こう伝えよ。南の守りは任せる。敵の動きを見て、必要な兵を動かせ。判断したことは、すぐに知らせろと」
「承知いたしました」
書記官が返事をした。
西へ向かう書状とは別に、南へ送る書状が置かれた。
レオンハルトは、最後にもう一通を命じた。
「アルヴェインにも知らせる。条約どおり、西へ軍を向けることを伝えよ」
「援軍の要請も、なさいますか」
「今は求めん。だが、こちらが何をするかを、他国の噂で聞かせるわけにはいかん」
書記官が新しい紙を取った。
レオンハルトは椅子から立ち、広げられた地図を見渡した。
西には、迎えると決めた港がある。
南には、守らねばならない国境がある。
「それぞれ、急げ」
その一言で、部屋にいた者たちが動き出した。
◇ ◇ ◇
それから数日後。
アルヴェイン大公国の城で、アルベルトはグランヴァルトから届いた書状を読んでいた。
傍らには、重臣たちが控えている。
書状には、シガリア東部のゼーラント伯爵家を迎えることと、西へ軍を向ける方針が記されていた。
カルディア方面の守備は、アーノルドに任せるという。
アルベルトは最後まで読み、机へ置いた。
「西へ向かうか」
重臣の一人が頷いた。
「湖の港を得れば、グランヴァルトはさらに西へ進めます」
「レオンハルトも、それを見ているのだろう」
アルベルトは地図を広げさせた。
グランヴァルトの西には、シガリアがある。
その一方で、旧ロスヴァール領の南にはカルディアが接していた。
アルベルトの目は、そちらで止まった。
「カルディアが、黙って見ているとは限らんな」
「アーノルド伯爵を残すとございます。備えはなさっているようです」
「ああ。だが、守りを置いたから、敵が何もしなくなるわけではない」
重臣が口を閉じた。
アルベルトは地図から顔を上げた。
「兵と馬を整えよ。兵糧も、出せるようにしておけ」
重臣たちが互いを見た。
一人が、書状へ目を向ける。
「援軍の要請は、ございませんが」
「読んだ」
アルベルトは答えた。
「今すぐ国境を越えろと言っているのではない。必要になった時、動ける支度をせよと言っている」
「グランヴァルトへ、お知らせいたしますか」
「支度の段階では、まだ知らせなくてよい。実際に兵を送るなら、その前に話を通す」
重臣は、なお慎重に言葉を選んだ。
「こちらも、兵を動かせば費用がかかります。どの程度まで備えるべきかと」
アルベルトは、その男を見た。
「我々が補給を断たれた時、誰が兵を送ってくれた」
男の背筋が伸びた。
「グランヴァルトにございます」
「その兵が来なければ、前線で何人を失ったと思う」
返事はなかった。
アルベルトは、あの時の街道を思い出していた。
届かなくなった荷。
減っていく兵糧。
補給路を取り戻したグランヴァルトの兵たち。
彼らを迎えた時、アレクの隊には林檎の花の旗が掲げられていた。
「今度はこちらが、求められてから支度を始めるわけにはいかん」
重臣が深く頭を下げた。
「承知いたしました」
「領内の守りまで空けるな。動かせる兵を確かめ、必要な荷を揃えよ。命じてから馬を探すようなことにはするな」
「はい」
重臣たちが退出し始めた。
廊下へ出たところで、担当する者を呼ぶ声が聞こえた。
アルベルトは、もう一度書状を手に取った。
援軍を求める言葉は、確かになかった。
知らせを受け取った以上、同盟国として何ができるかを考える必要があった。
西へ向かう軍の中には、アレクもいるだろう。
だが、エリーゼの夫がいるからだけではない。
自分たちが困った時に兵を送った相手へ、今度は何を返すのか。
国同士の約束を、紙に書いただけで終わらせるつもりはなかった。
アルベルトは書状を畳み、地図のグランヴァルトへ目を戻した。
アルヴェインでも、出陣に備える命令が伝わり始めていた。
お読みいただきありがとうございます。
兵を送り出す者と、守りを託される者。そして、同盟国で備える者。それぞれの立場から動き始める一話となりました。
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