第二十七話 隣に立つ旗
アレクの城を、一人の伯爵が訪れます。
手紙から始まった交流が、対面の場へと移ります。
ヴァルテン伯爵の一行が城へ到着したのは、朝の仕事が一段落した頃だった。
アレクは玄関の外へ出て、馬を下りた男を迎えた。
フーゴ・フォン・ヴァルテン伯爵。
書状から思い描いていたよりも肩幅が広く、差し出された手には、剣を握ってきた者らしい硬さがあった。
「お招きいただき、感謝する。フーゴ・フォン・ヴァルテンだ」
「アレク・フォン・ハルトマンです。遠いところを、ありがとうございます」
フーゴは、間近で見るアレクの若さに、一瞬だけ目を見張った。
だが、すぐに穏やかな笑みを浮かべる。
「手紙では伝えきれなかったが、よい教官を送ってもらった。こちらの者も、毎日学んでいる」
「教官からも報告が来ています。伯爵様が教育を支えてくださっていると」
「教えを請うておきながら、教える者を困らせては話にならんからな」
フーゴの後ろに控えていた男が、わずかに顎を引いた。
年配の隊長だった。
その反応に気づき、フーゴが振り返る。
「この者も連れてきた。私の歩兵を長く預かっている。今日は、自分の目で貴殿の隊を見たいそうだ」
「お目にかかれて光栄です」
隊長が深く礼をした。
アレクも礼を返す。
「ギルベルトもおります。訓練をご覧いただいた後、ぜひお話をお聞かせください」
「こちらこそ、学ばせていただきます」
隊長の返事を聞き、フーゴが頷いた。
城内へ案内する途中、伯爵は窓の外へ目を向けた。
城外の訓練場から、兵の声が届いていた。
「もう始まっているのか」
「はい。少しお休みになってから、ご案内しようと思っていましたが」
「構わぬなら、先に見せてもらいたい」
答えは早かった。
アレクは笑みを浮かべた。
「では、参りましょう」
◇ ◇ ◇
訓練場では、火縄銃を持った兵が列を作っていた。
この日、フーゴたちに見てもらうのは、従来の火縄銃を使う三百人だった。
騎馬鉄砲隊の新しい銃を披露するための場ではない。これから各家で育てる鉄砲隊が、どのように動くのかを見てもらう。
ギルベルトが近づき、礼をした。
アレクが二人を引き合わせると、フーゴは兵の列へ目を向けた。
「普段どおりで頼む。我々のために、形を変える必要はない」
「承知いたしました」
ギルベルトが持ち場へ戻った。
命令が伝えられ、兵が動き始める。
列の間を指揮官が歩き、遅れた者へ短く声をかける。間隔を確かめた兵が位置を直すと、隣の兵もそれに合わせて立つ場所を調整した。
フーゴは、黙って見ていた。
やがて射撃の準備が整い、合図が上がる。
号令に続いて、一斉射撃の音が響いた。
煙が流れる。
兵たちは立ち尽くさず、次の命令に従って動いた。
フーゴのそばにいた隊長が、その動きを追っていた。最初の一斉射撃よりも、その後に兵が交代する動きを熱心に見ていた。
アレクは、少し離れた場所に立つギルベルトへ声をかけた。
「ここまで。次は、移動の訓練へ」
「承知いたしました」
ギルベルトから各隊へ命令が伝わった。
射撃を終えた兵の状態を確かめてから、隊が移動を始める。
アレクは、その場を動かなかった。
フーゴは兵とアレクを見比べた。
「貴殿が、一人ずつ動かしているわけではないのだな」
「はい。私がすべての兵へ直接指示することはできませんので」
「指示を受けた者が、自分の預かる兵を動かす。その者たちも、よく育っている」
「最初から、こう動けたわけではありません。ギルベルトや隊長たちに、随分と助けてもらっています」
フーゴが頷いた。
兵の列の端で、一人の動きが遅れた。
近くの指揮官が気づき、止まるように声をかける。周囲も足を止め、位置を確かめてから動き直した。
アレクが駆け寄ることはなかった。
フーゴは、その様子を見て言った。
「間違いが起きぬことより、起きた時に直せることが大事か」
「私の指示を待っている間に、隊全体が崩れてしまうこともありますから」
隣の隊長が、小さく息を吐いた。
「我々が教わっているのは、銃の扱いだけではないのですね」
「はい」
アレクは答えた。
隊長は、もう一度兵の列へ目を向けた。
「帰ったら、指揮を任せる者の選び方から見直します」
フーゴは、その言葉に何も付け足さなかった。
ただ、一度頷いた。
◇ ◇ ◇
訓練の見学を終えた後、フーゴたちは城の一室へ案内された。
机には、周辺の地形を記した地図が広げられていた。
フーゴが腰を下ろし、アレクは向かいへ座る。ギルベルトと古参の隊長も、机を囲んだ。
「手紙に書かれていたことを、もう少し伺いたいと思っていました」
アレクが言った。
「私たちの隊と、同じ戦場へ立つ時のことです」
「ああ」
フーゴは頷き、地図へ目を落とした。
「銃を受け取れば、我が家にも鉄砲隊ができる。だが、それを貴殿の隣へ並べるだけでよいのかと思ってな」
「隣へ、ですか」
「同じ場所に立ち、同じ敵を撃つ。それなら、貴殿が一つの隊として率いた方が早いのではないか」
アレクは、すぐには答えなかった。
フーゴは続けた。
「もちろん、私の兵をすぐに貴殿の隊と同じように動かせるとは思っていない。今日見て、その差も分かった」
「教育を続ければ、できることは増えていきます」
「そうだろう。だからこそ、その先も考えておきたい」
フーゴは、机の端に置かれた駒を指した。
「使ってもよいか」
「どうぞ」
伯爵は二つの駒を取り、少し離して置いた。
「以前、私が歩兵を率いていた時のことだ」
そう前置きして、一つの駒へ指を添える。
「正面の敵を押し返していた。こちらの兵も、勝てると思っていた。私も、そこへ気を取られていた」
もう一つの駒を、横へ動かした。
「別の隊が回ってきていると知らせを受けた時には、向きを変える余裕がなくなっていた」
古参の隊長が、黙って目を伏せた。
「逃げ道を残すために、兵を置いた。その者たちを、全員は連れて帰れなかった」
フーゴの指が止まった。
アレクは、地図の上の二つの駒を見た。
「正面の敵だけなら、耐えられたのですね」
「ああ。だが、兵は目の前の敵を見ている。そこへ、別の方角からも来た。どちらへ向けばよいか迷う者が出た」
フーゴは顔を上げた。
「私は、同じ負け方を二度するつもりはない。だが、守る側として覚えておくだけでよいのかとも思った」
アレクは、手元の駒を取った。
フーゴの置いた駒から少し離れた場所へ置く。
「私たちの隊が別々の場所にいれば、敵は一方だけを見ているわけにはいきません」
「そうだ」
「ただ、場所を変えればよいわけではありませんね」
アレクは二つの駒を見た。
「味方がどこにいるか分からなければ、こちらの射撃が味方を危険にさらすこともあります」
フーゴが頷いた。
「私の隊が遅れれば、貴殿の隊だけが敵を引き受けることにもなる」
「逆もあります」
アレクは答えた。
自分の隊なら必ず予定どおりに動けるとは、言えなかった。
街道が塞がることも、報告が遅れることもある。離れて動く以上、相手の様子が目で見えるとは限らない。
ギルベルトが口を開いた。
「同じ合図でも、各家で受け取り方が違えば、動きが揃いません」
古参の隊長も頷く。
「こちらが前進を伝えたつもりでも、相手に待機の合図だと受け取られては困る」
フーゴは、アレクを見た。
「やはり、一度並べてみなければ分からんな」
「はい。別々に動いても、同じ戦いができるようにしたいですね」
アレクは言い、地図の上の駒を見た。
敵から逃れるために、自分たちの位置を変える。
これまでも、そうして戦ってきた。
だが、今は、自分とは別の者が率いる鉄砲隊を置いて考えている。
その隊を率いる者が、目の前に座っていた。
「私からも、一つ伺ってよいですか」
「何だ」
「鉄砲隊のそばに歩兵を置く時、率いる側として何が分かっていれば動きやすいでしょうか」
フーゴは、少し笑った。
「それなら、私にも話せることがある」
伯爵が、別の駒を手に取った。
アレクは椅子を寄せた。
◇ ◇ ◇
昼食の用意が整ったとオスカーが知らせに来た時も、四人は机を囲んでいた。
地図の上には、初めより多くの駒が置かれている。
アレクは話を止め、窓の方を見た。
「もう、そのような時刻ですか」
「はい。お食事の支度が整っております」
オスカーは、いつもと変わらぬ声で答えた。
フーゴが椅子から立ち上がる。
「すまぬ。こちらから話を持ちかけておいて、長居をした」
「私も、いろいろ伺いたくなってしまいました」
「続きは、食べながらにしよう」
フーゴが言い、古参の隊長も地図から目を離した。
食堂へ移ると、温かな料理が運ばれてきた。
食卓に着いたフーゴが、アレクへ尋ねた。
「普段から、あのように話し込むのか」
「相手にもよりますが、気づくと時間が過ぎていることはあります」
「城の者に、働きすぎだと止められることはないか」
アレクは返事をしようとして、少し間を置いた。
そばに控えるオスカーが、静かにこちらを見ていた。
フーゴが笑った。
「あるのだな」
「……時々です」
「私も同じだ。あと一つだけと言っているうちに、日が暮れる」
「伯爵様もですか」
「ああ。私の場合は、家宰に書類を持っていかれる」
アレクも笑った。
「こちらでは、食事を先に済ませるよう言われます」
「それは従った方がよい。温かいうちに食べた方が、料理も旨い」
言いながら、フーゴは匙を取った。
アレクも、それに倣った。
しばらくは、領地の話になった。
道の傷みを直す時期。雨が続いた時の荷車。畑から人を集める時に、村とどのように話をつけるか。
フーゴは、失敗した話も隠さなかった。
「兵を出す日を決めてから、村の者に言われたことがある。その日に人を取られれば、刈り入れが終わらぬとな」
「それで、どうなさったのですか」
「最初は、数日くらいと思った。だが、その数日で雨が来た」
伯爵は苦笑した。
「後になって、何のためにあれほど頼まれたのか分かった」
アレクは頷いた。
自分も、領主になったからといって、土地のことをすべて知っているわけではない。
村人や、長く働いてきた者へ尋ねて、初めて分かることがある。
「私も、教えてもらってばかりです」
「ならば、遠慮なく聞けばよい。聞かずに損をさせてから謝るより、よほどよい」
フーゴはそう言って、水を飲んだ。
話しているうちに、アレクは、相手の年齢や爵位を意識することが少なくなっていた。
分からないことを尋ねれば、フーゴは答える。
自分に分かることを話せば、今度はフーゴが耳を傾ける。
先ほどの地図の前と、同じだった。
◇ ◇ ◇
出立の支度が整う頃には、日が西へ傾き始めていた。
玄関前で、フーゴはアレクへ向き直った。
「今日は、来てよかった」
「私も、お話しできてよかったです」
「隊が基礎を身につけたら、今度は兵を連れて来たい」
フーゴは言った。
「貴殿の隊と並べ、どこまでできるか確かめたい。こちらの都合だけで決められる話ではないが」
「私も、マティアス様へご相談します」
アレクは答えた。
「伯爵様からも、ユリウス様へお話しいただけますか。双方の了承を得た上で、日程を決めましょう」
「ああ。戻り次第、申し上げる」
フーゴが頷いた。
アレクは、隣に控える古参の隊長にも声をかけた。
「今日は、ありがとうございました」
「こちらこそ。帰りましたら、教官とも話し合います」
隊長は、訓練場の方へ目を向けた。
もう兵の列はない。
それでも、見てきた動きを思い返しているようだった。
「次に伺う時は、こちらの兵も見ていただけるようにいたします」
「楽しみにしています」
アレクが答えると、隊長は深く礼をした。
フーゴが手を差し出す。
アレクは、その手を握った。
「では、次は兵を連れて」
「はい。お待ちしています。私たちも、学ばせていただきます」
伯爵は笑い、馬へ向かった。
従者が手綱を渡す。フーゴは鞍へ上がると、最後にもう一度アレクへ頷いた。
一行が門へ進んでいく。
アレクは、その姿が城外へ出るまで見送った。
◇ ◇ ◇
部屋へ戻ると、地図はまだ机の上に広げられていた。
オスカーが片づけるか尋ねたが、アレクは首を振った。
「少し、このままにしておいてください」
「かしこまりました」
扉が閉じられた後、アレクは椅子へ座った。
自分の隊を示す駒がある。
そのそばには、フーゴが置いた別の駒が残っていた。
アレクは、それを手に取った。
これまで、諸侯の鉄砲隊について知る手がかりは、報告書に記された人数や教育の進み具合だった。
誰に何挺を送り、誰が教えるのか。
それを確かめることが、自分の仕事だった。
だが、今は、その隊を率いる男の顔が浮かぶ。
自分の失敗を隠さず話し、分からないことを尋ね、こちらの問いにも答えてくれた。
同じ戦場に立つ時には、あの人と力を合わせたい。
そう思える相手だった。
アレクは駒を、地図の上へ戻した。
自分の隊と、少し離れた場所へ。
まだ、二つの隊がともに動いたわけではない。
まずは、訓練からだった。
アレクは紙を引き寄せ、マティアスへの報告を書き始めた。
銃を届けた先に、共に戦う仲間ができた。
そのことを、最初に伝えたかった。
第二十七話をお読みいただき、ありがとうございました。
互いの経験に耳を傾けるアレクとフーゴ。二人のやり取りを楽しんでいただけたなら嬉しいです。
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