第二十二話 王の誤算
戦場から届く知らせを、カルディアの王はどう受け止めるのか。
それぞれの立場から、次の決断を描きます。
カルディア王国の王都へ、馬を乗り継いできた将が戻った。
外套には街道の土埃がこびりついていた。城門を通った後も屋敷には戻らず、王城へ向かう。
国境から帰還したと告げると、待機を命じられた。
廊下で待つ間、将は一度だけ目を閉じた。
城壁の向こうに立ち上っていた煙が、まだ目に浮かんだ。
やがて扉が開き、謁見の間へ通された。
玉座の前まで進み、膝をつく。
「城は守れているのか」
王は、挨拶が終わるのも待たずに尋ねた。
将は頭を下げたまま答えた。
「落ちました」
衣擦れの音が止まった。
左右に控える重臣たちの視線が、将へ集まる。
「いつのことだ」
「グランヴァルト軍が城へ寄せた、その日のうちに」
「その日のうちだと?」
王の声が高くなった。
「門を閉じ、兵を入れていたはずだ」
「はい」
「守将は何をしていた」
「降伏を拒み、抗戦したと聞いております。城内へ入った敵兵と戦い、討たれました」
王は玉座の肘掛けを握った。
野戦の敗北は、すでに知らされていた。
だからこそ、退いた兵を城へ集めさせた。城壁を頼りに敵を止め、その間に諸侯の兵を揃えるつもりだった。
半日も持たないとは、考えていなかった。
「何を使われた」
「大砲です。門を破られました」
「こちらにも大砲がある。門を砲撃されたくらいで、なぜ城が落ちる」
将は顔を上げた。
「ロスヴァールの城門を破ったという砲です。噂だけではございませんでした」
王は口を閉じた。
かつては、隣国の敗報として聞いていた話だった。
グランヴァルトの軍が城を落とすたび、カルディアにとっても都合がよいと思っていた。ロスヴァールが西へ兵を割けば、長く争ってきた国境で優位に立てる。
実際に、城と領地を得た。
その砲が、今は自国の門を破っていた。
「城はどうなった」
少し間を置き、王が尋ねた。
「グランヴァルトの旗が上がりました。その後、城壁の内側から煙が上がるのを確認しております」
「焼かれたというのか」
「城内までは確認できておりません。ただ、煙は城壁を越える高さまで上がっておりました」
重臣の一人が、隣の者へ顔を向けた。
将は言葉を続けた。
「城下町から火が出た様子はございません。煙が上がっていたのは、城の中です」
王は玉座から身を乗り出した。
「取った城を焼くつもりか」
誰も答えなかった。
将にも、そこまでは分からなかった。
分かるのは、城が落ち、その内側から煙が上がったことだけだった。
だが、グランヴァルトが城を残すつもりさえないのだとすれば、この先に待つものは領地の奪い合いだけでは済まない。
「……グランヴァルトを怒らせました」
将が言った。
王の目が細くなる。
「それを言うために戻ったのか」
「次の城も、同じように守れるとは申し上げられません」
将は、再び頭を下げた。
「そのことを、お伝えするために戻りました」
◇ ◇ ◇
王は、諸侯からさらに兵を集めるよう命じた。
だが、命を受けた重臣は、すぐには下がらなかった。
「何だ」
「兵を集めるには、時が必要でございます」
「それは承知している」
「敗走した兵の所在も、まだ確かめきれておりません。各地へ戻った者を呼び集め、負傷した者を除いて、戦える人数を数え直さなければなりません」
「残っている兵を出せ」
重臣は一度、唇を結んだ。
「次の城へ集めるのであれば、その周辺の守りを薄くすることになります」
「城が落ちてからでは遅い」
「仰せのとおりです。しかし、兵を集めた城を敵が避けた場合、街道と周囲の町を守る兵が足りなくなります」
王の指が、肘掛けを叩いた。
帰還した将は、膝をついたまま黙っていた。
自分も同じことを考えていた。
一つの城へ兵を詰め込めば、それで国境が守れるわけではない。敵には騎兵があり、隊列を保って進む大勢の火槍兵がいる。
街道を押さえられれば、集めた兵の食事さえ難しくなる。
王は将を見た。
「敵は、それほど多くの火槍を揃えていたのか」
「三千挺と報告しております」
「数を見誤ったのではないか」
「隊を分け、列を揃えて撃ってきました。こちらが退いた後も、まだ撃てる兵が残っておりました」
将は、喉の渇きを覚えた。
報告するたび、あの戦場へ戻されるようだった。
「火槍の数だけではございません。歩兵も騎兵も、それぞれの役目を崩しませんでした。こちらが崩れた時も、奪い合うように追ってはこなかったのです」
重臣たちが黙って聞いていた。
「兵を集め直すだけで、次は勝てるとは申し上げられません」
「では、領地を渡せというのか」
王が声を荒らげた。
将は答えられなかった。
その時、入口に控えていた侍従へ、一人の男が何事かを告げた。
侍従の顔が強張る。
王の前へ進み、深く頭を下げた。
「グランヴァルトより、使者が参っております」
◇ ◇ ◇
使者は、供の者とともに謁見の間へ入った。
王へ礼をした後、封のされた書状を差し出す。
「国境の軍を率いるマティアス様より、お届けするよう命じられました」
書状を受け取った重臣が、封を確かめた。
王が頷く。
広げられた紙から、声が読み上げられた。
「先の取り決めを破り、我が国へ兵を向けたのはカルディアである。我が国だけが、貴国の領有を認めた約束に縛られる理由はない」
王の表情が険しくなった。
読み上げる声が続く。
「すでに一城を落とした。次の城へ進む用意もある。ただし、貴国が侵攻の責任を認め、領地の割譲と賠償に応じるならば、ここで兵を止めることはできる」
続く要求を聞き、重臣の何人かが顔を上げた。
求められているのは、奪われた城だけではなかった。
その城に属する領地に加え、隣接する土地の一部と、かつてロスヴァールへ兵を進めるために築いた砦。それらを結ぶ街道と沿道の土地も、引き渡すよう求められていた。
隣の城と城下町は、カルディアに残る。
だが、要求を受け入れれば、再びこの方面へ兵を出すための足場を失うことになる。
「城だけでは足りず、砦と街道まで寄越せというのか」
王が言った。
読み上げていた重臣が、声を止める。
使者は姿勢を変えなかった。
「これ以上の城を失う前に、お決めいただきたいとのことです」
「脅しているのか」
「次の城へ進む用意があると、お伝えしております」
王は使者を睨んだ。
使者は、視線を逸らさなかった。
左右に立つ兵が槍を持ち直したが、王は手を上げて制した。
「マティアスは、自分の一存で国境を変えるつもりか」
「レオンハルト陛下の命を受け、軍を進めております。講和の条件は、陛下の裁可を仰ぐことになります」
使者の答えを聞き、王は背もたれへ身を戻した。
軍を率いる者が、功を求めて勝手に踏み込んできたのではない。
レオンハルトが命じた報復だった。
王は、途中で止まっていた書状へ目を向けた。
「最後まで読め」
重臣が頷いた。
「次の返答が届くまで、我が軍が待ち続けると思わぬことだ」
読み終えた紙が、わずかに揺れた。
◇ ◇ ◇
使者を下がらせた後も、謁見の間には重苦しい空気が残った。
「要求をそのまま飲めば、先の戦で得た領地の一部に加え、国境へ兵を出すための砦と街道を失います」
一人の重臣が言った。
別の重臣が答える。
「拒めば、それで済まないかもしれぬ」
「だからといって、城を一つ失っただけで」
「その城が、一日も持たずに落ちたのだ」
言葉が途切れた。
王は、二人を止めなかった。
どちらの言い分も分かっていた。
手に入れた領地を削られ、砦と街道まで失えば、何のために兵と金を使ったのかと問われる。守りきれずにさらに城を失えば、その責任も自分へ返ってくる。
王は、書状の置かれた台を見た。
国境へ兵を集め、送り出すための足場を奪われる。
相手に先手を取らせないために、グランヴァルトの国境の城を取ろうとしたのだった。
あの城を握られたままでは、こちらへ兵を入れられる。そう考え、先に動いた。
結果として、恐れていたとおりに敵が入ってきた。
「交渉する」
王が言った。
重臣たちが口を閉じる。
「奪われた城については、やむを得ぬ。だが、砦と街道まで渡せば、次はこちらが攻め込まれる。割譲する土地を減らせ。賠償についても、要求のまま払うとは答えるな」
「承知いたしました」
進み出た重臣へ、王は言葉を重ねた。
「これ以上の進軍を止めるのだ」
重臣は深く頭を下げた。
先ほどまでの、兵を集めろという命令とは違っていた。
◇ ◇ ◇
数日後、カルディアの交渉使節が、グランヴァルト軍の占領する城へ到着した。
アレクは、マティアスとともに中庭で迎えた。
門の脇には、修復に使う木材が積まれている。壊れた扉は運び出され、通路に残っていた破片も片づけられていた。
使節の一人が、馬を降りてから城を見上げた。
壁を見て、屋根へ目を移し、さらに奥へ視線を向ける。
アレクは、その目が何を探しているのか分かった。
城は残っていた。
黒く焼けた木片が中庭の一角に寄せられているが、火はすでに消されていた。煙の出ていた場所には、燃え残りと灰があるだけだった。
「何か、気になることでもあるか」
マティアスが尋ねた。
使節は振り返った。
「いえ。城内の様子を、確かめておりました」
「話をする部屋は使える。こちらだ」
マティアスが歩き出す。
使節は、もう一度だけ中庭を見た。
その先には大砲が三門、並んでいた。
砲兵が仕事を進め、その近くで荷車へ物資が積まれている。休ませていた馬も、順に引き出されていた。
城が残っているからといって、安心できる光景ではなかった。
大砲を次の戦場へ運ぶ支度が、進められていた。
アレクは使節の後ろから歩いた。
城を焼かれたと思って来たのだろう。
しかし、目の前にあるのは、城を使い始めたグランヴァルト軍だった。
◇ ◇ ◇
部屋の中央に置かれた机には、地図が広げられていた。
マティアスの隣へアーノルドが立つ。
アレクは、その少し後ろに控えた。
挨拶を終えると、カルディアの使節は王から預かった書状を差し出した。
マティアスが目を通す。
読み終えても、表情は変わらなかった。
「侵攻の責任を認めるということでよいな」
「両国の間に、これ以上の戦を起こさぬために参りました」
「それは聞いた。こちらへ兵を向け、取り決めを破ったことを認めるかと尋ねている」
使節は、わずかに口を結んだ。
「……その点については、認めるよう申しつかっております」
「ならば、先へ進めよう」
マティアスは書状を置いた。
使節が地図へ手を伸ばす。
「占領された城と、その領地の割譲については承知いたしました。ただし、こちらの砦と街道までは」
「その砦は、ロスヴァールへ兵を進めるために築いたものだな」
マティアスが尋ねた。
使節が答える前に、アーノルドが頷いた。
「はい。兵と物資を集め、国境へ送り出すための砦です」
「今度は我が国へ兵を向けるために使える。残しておくわけにはいかん」
使節は地図へ目を落とした。
「ですが、この街道を失えば、隣の城から国境へ兵を出すにも支障がございます」
「そのために求めている」
マティアスは答えた。
「隣の城まで明け渡せとは言っていない。だが、再びこちらへ攻め込むための足場は渡してもらう」
アレクは、マティアスの横顔を見た。
怒鳴ってはいなかった。
だが、相手の言葉に合わせて要求を弱める気もなかった。
アーノルドが地図の街道を指でたどった。
「この城の領地から砦まで、街道と沿道の土地を含めて引き渡していただく。途中にカルディア領が挟まる境界では、認められません」
「隣の城下町まで含めるおつもりですか」
「いいえ。こちらの城と城下町は、貴国に残ります」
アーノルドは地図の上で境界を示した。
砦と街道を押さえ、占領した城の領地から途切れずにつながる範囲だった。
使節は、示された線を確かめてから手を引いた。
アーノルドは、地図の端へ置かれていた書付を開いた。
そこには、引き渡しの対象となる城と砦、村や街道の名が並んでいた。
「境界について、分からぬ場所があれば今ここで確かめていただきたい。後から、そこは含まれていないと言われても困ります」
使節は書付へ目を落とした。
アーノルドは、相手が読み終わるのを待った。
かつて自分が守っていた国の、南の国境だった。
曖昧な地名だけで済ませるつもりはなかった。
◇ ◇ ◇
賠償の話へ移ると、使節は再び難色を示した。
「領地を失えば、その分の税も入りません。多額の金を直ちに用意せよと言われましても」
「支払いの時期と方法は聞く」
マティアスが答えた。
使節が顔を上げる。
「金が揃わぬから払わない、という話は認めん。だが、どう支払うかは話せる」
「分けて納めることも、お認めいただけるのでしょうか」
「額と期限を決め、陛下へお諮りする。こちらの要求を受ける意思があるなら、その案を出せ」
使節は、供の者へ目を向けた。
持参した紙が机へ置かれる。
先ほどまで領地を指していた手が、今度は支払いの時期を示した。
マティアスは話を聞き、必要なことだけを尋ねた。
何を、いつまでに、どこへ納めるのか。
約束した支払いが滞った場合、どうするのか。
書記が書き留め、使節が言い直し、アーノルドが引き渡しの街道を確かめる。
アレクは、そのやり取りを黙って聞いていた。
すべてを拒めば、話は進まない。
だが、譲ってはならないところまで譲れば、戦場で勝った意味がなくなる。
マティアスは、その区別をつけていた。
やがて、使節が両手を机から離した。
「この条件を、陛下へ持ち帰らせていただきます」
「返答を待つ間も、こちらは備えを続ける」
「どうか、その間の進軍は」
「そちらが兵を動かさず、決めた期日までに返答するなら、こちらも待つ」
使節は深く頭を下げた。
「必ず、お伝えいたします」
マティアスは、まとめられた書付を確かめた。
「勘違いはするな。まだ講和が成立したわけではない。そちらの王の受諾を得た上で、レオンハルト陛下の裁可を仰ぐ」
「承知しております」
使節の声からは、初めに残っていた強さが消えていた。
◇ ◇ ◇
使節が城を出た後、アレクは地図を見ていた。
占領した城から、割譲を求める砦へ街道が続いている。その先にある城は、カルディアへ残すことになっていた。
「隣の城は、残すのですね」
「ああ。そこまで取れば、守る兵も必要になる」
マティアスが答えた。
「今回は、再び攻め込むための足場を奪う。砦と街道を押さえれば、向こうも同じようには兵を出せなくなる」
アレクは、地図の道を目で追った。
取る土地を増やすことだけが、勝利ではない。
どこを押さえれば、次の侵攻を防げるのか。マティアスは、そこまで考えていた。
「次の城を攻めずに済むなら、その方がよい。勝ったからといって、兵を使い潰すことはない」
「はい」
「ただし、支度は続けろ。こちらが動けぬと分かれば、返事を引き延ばす者も出る」
「承知しました」
アレクが答えると、マティアスは書記へ書状の用意を命じた。
レオンハルトへ、落城と交渉の経過を知らせるためだった。
アーノルドは、引き渡しの対象となる土地の書付を添える。
アレクも部屋を出た。
中庭では、大砲隊の兵が指導役へ報告をしていた。
門の向こうには、鉄砲隊のいる宿営地が見える。
兵たちは、まだここを離れない。
次の命令が南へ進むものになるのか、それとも帰還の支度になるのか。
それを決める返答を、今は待つことになった。
◇ ◇ ◇
カルディア王は、戻った使節の報告を聞いていた。
差し出された書付には、引き渡す城と砦、街道や周辺の土地が記されている。
砦と街道を残すという案は、受け入れられていなかった。
「何も減らせなかったのか」
「領地については、譲る考えはないとのことでした。賠償の支払いについては、協議した案をレオンハルト王へ諮ると」
王は書付を台へ置いた。
「城は」
「残っております」
王が顔を上げた。
「焼けていなかったのか」
「門は破られておりましたが、建物は使われております。私どもも、城内の一室へ通されました」
王は帰還した将へ目を向けた。
将は、壁際で頭を下げた。
「煙を見たのは、確かでございます」
「中庭には、焼けた木材と灰がございました」
使節が続けた。
「ですが、それ以上に申し上げなければならぬことがございます」
王は使節へ視線を戻した。
「敵は、あの城で次の進軍に備えておりました。門の修復を始め、物資を運び込み、大砲を動かす支度も進めております」
王は黙った。
城が焼けていなかったと聞いても、安堵はできなかった。
敵は怒りに任せて壊し、去ろうとしているのではない。
自分たちの城を、次の城へ進むために使っていた。
「返答の期日を過ぎれば、軍を進めると申しております」
使節の言葉が、広間に響いた。
王は、壁に掛けられた地図を見た。
先の戦で獲得した土地には、自国の色が塗られている。
城を得た時には、重臣たちが祝いを述べた。
ロスヴァールが失った土地を前に、今度こそ長年の争いに決着がついたと思った。
その一部と、兵を送り出すための砦や街道を失う。
だが、条件を飲めば、隣の城と残る領地は守れる。
拒めば、その城まで戦場になる。
「兵を集めれば、止められるのか」
王が尋ねた。
誰も、すぐには答えなかった。
やがて将が一歩進み、膝をついた。
「必ず止められるとは、申し上げられません」
王は目を閉じた。
勝てると言わせても、城は守れない。
その言葉を待っているだけでは、敵の支度が進むばかりだった。
長い沈黙の後、王は目を開いた。
「……その条件で、講和を求めよ」
使節が深く頭を下げた。
書記が進み出て、王の返書を用意し始める。
王の視線は、最後まで地図から動かなかった。
第二十二話をお読みいただき、ありがとうございました。
戦場での勝利を、その先の交渉へつなげるマティアスの働きはいかがでしたでしょうか。
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