第二十一話 城壁の向こうの煙
王命を受け、国境の先へ進むアレクたち。
かつてアーノルドが通った道を、今はグランヴァルトの旗が進みます。
北の街道から、重い車輪の音が近づいてきた。
城門の兵が道を空ける。
馬に曳かれた大砲が、一門ずつ城内へ入ってきた。その後ろには弾薬箱を積んだ荷車が続き、護衛の歩兵が列を整えていた。
アレクは中庭で出迎えた。
三門とも、無事に届いている。
王家から派遣された指導役が、そばへ来て一礼した。
「遅くなりました」
「道中、問題はありませんでしたか」
「一度、荷車を止めて車輪を確かめましたが、修理は済んでおります。砲にも異常はございません」
「ありがとうございます。まずは兵を休ませてください」
指導役が頷き、砲兵たちへ声をかけた。
馬を外す者と、荷を確かめる者が動き始める。
婚礼の日には、経験者の指示を受けるだけで精いっぱいだった兵もいた。今は自分の持ち場へ進み、次に何をするかを確かめている。
アレクは、一門のそばへ寄った。
砲身には、輸送の間についた土埃が残っていた。
城の庭で祝いを告げた大砲だった。
今度は、閉ざされた門へ向けることになる。
「揃ったか」
後ろから、マティアスの声がした。
アレクは振り返った。
「はい。三門とも、使えます」
「ならば、出立の支度を進める」
マティアスの隣には、アーノルドがいた。
南へ出した斥候の報告を携えている。
「敵は城へ兵を入れております。門も閉じました」
「街道には」
「こちらの進軍を止める部隊は、見つかっておりません」
マティアスは頷いた。
「城を頼るつもりか」
アーノルドは、三門の大砲へ目を向けた。
「以前と同じように守れると思っているのでしょう」
アレクは砲身から手を離した。
その考えを変えさせる役目が、自分にはあった。
◇ ◇ ◇
翌朝、グランヴァルト軍は南へ動き出した。
戦闘可能な兵六千三百九十四人に、大砲を護衛してきた二百人が加わっていた。
そのうち千人は、国境の城と橋、捕虜の警備に残す。
南へ進む戦闘部隊は、五千五百九十四人となった。
三門の大砲には砲兵と輸送要員がつき、兵糧や弾薬を運ぶ荷車も続いていた。
捕虜の後送は、すでに始めている。
負傷者は城で手当てを受け、動かせる者から北へ移すことになっていた。
アレクは馬上から石橋を見た。
取り払われていた柵の一部が、すでに組み直されている。
橋を守る兵が、進んでいく味方へ道を空けた。
川の南へ出る。
この先は、先の取り決めでカルディアの領有が認められた土地だった。
先頭を行くアーノルドが、街道の分かれ道で兵を止めた。
「右は村へ入る道だ。軍は、このまま南へ進む」
案内を受けた騎兵が先へ出た。
アーノルドは、道端に立つ古い石標を見ていた。
刻まれた文字の一部は、削られている。
以前、この道を通った時には残っていたものだった。
「変わっておりますか」
そばへ来たアレクが尋ねた。
「少しずつは」
アーノルドは答えた。
「だが、道も川も同じです。城も、そう変わってはいないでしょう」
そう言って、南へ顔を向けた。
その先で、城壁が兵を待っていた。
◇ ◇ ◇
城は、低い丘の裾に広がる町の奥にあった。
城下を通る街道から、上り道が門へ続いている。
城壁の手前には建物のない空間があり、町の家々と城は、道と空き地を隔てていた。
アーノルドは、その地形をマティアスへ示した。
「町を通らずとも、東から城門の前へ出られます」
畑の脇を抜ける道が、城へ向かっている。
マティアスは、家々の並ぶ方を見た。
戸が閉ざされていた。
窓の隙間から、こちらを窺う顔がある。
「城下へ勝手に入るな。食糧も、命令なく持ち出させるな」
命令が伝わる。
グランヴァルト軍は町の外で隊を整え、城へ向けて兵を進めた。
城壁には、カルディアの旗が立っていた。
弓兵が並び、その間には槍を持つ兵の姿も見える。
捕虜の証言と斥候の報告では、城に入った兵は二千人ほどだった。
元からいた守備兵に、野戦から退いた兵が加わっている。
敗れた軍のすべてが、ここへ集まったわけではない。ほかの部隊は、さらに南へ退いていた。
マティアスは使者を呼んだ。
「降伏開城を求める。武器を置く者の命は保障する」
「承知しました」
「住民を巻き込むなと、守将へ伝えろ」
使者が一礼し、城へ向かった。
白い布を掲げた従者が続く。
城壁の弓兵は、すぐには弓を下ろさなかった。
使者が門の前で名乗る。
しばらくして、小さな通用口が開いた。
マティアスは、使者が中へ入るところを見届けた。
「大砲を進めろ。返答を待つ間に、こちらの支度を済ませる」
アレクは頷いた。
「はい」
◇ ◇ ◇
カルディアの守将は、広間で使者の言葉を聞いた。
降伏すれば、兵の命は取らない。
住民や城下へも危害を加えない。
その言葉が終わると、守将は卓へ置いた手を握った。
「この城を明け渡せと申すか」
「グランヴァルト王陛下の命を受け、開城を求めております」
「ここはカルディアの城だ」
使者は姿勢を変えなかった。
「先の取り決めを破り、我が国へ兵を向けられたのは、そちらです」
守将の眉が動いた。
部屋の端には、野戦から逃れてきた隊長もいた。
腕を吊り、青白い顔で立っている。
「野では負けた」
守将は言った。
「だが、ここには城壁がある」
グランヴァルト軍が城へ来たことは、すでに南へ知らせていた。
援軍が来るまで持ちこたえればよい。
門を閉じ、城壁から矢を射かければ、野原で戦う時とは違う。
使者は、もう一度尋ねた。
「開城には応じられない、というお返事でよろしいのですね」
「そう伝えよ」
守将は答えた。
「この城が欲しければ、取ってみるがよい」
使者が深く一礼した。
退出した後、腕を吊った隊長が口を開いた。
「あの軍には、大砲もあると聞いております」
「見張りからも聞いた。三門だそうだな」
守将は椅子から立った。
「門の支えを増やせ。城壁の兵を持ち場へ戻せ」
隊長は、言いかけた言葉を飲み込んだ。
守将は広間を出ていった。
◇ ◇ ◇
使者が戻った時、三門の大砲は城門へ向けて据えられていた。
アレクはマティアスのもとへ戻り、返答を聞いた。
「拒んだか」
マティアスが言った。
「はい。抗戦するとのことです」
「分かった。下がって休め」
使者が退く。
マティアスはアレクへ向き直った。
「門を開けろ」
「承知しました」
アレクは砲兵たちのもとへ戻った。
城壁には、弓兵が見える。
こちらへ向かって矢が飛んでくることもあったが、大砲の置かれた場所までは届いていなかった。
アレクは砲身へ手を添えた。
目の前に、弾道が現れる。
城門へ向かう線だった。
だが、そのままでは門の脇へ逸れる。
アレクは指導役へ向き直り、狙いを伝えた。
砲兵たちが、指示を受けて位置を直す。
もう一度、砲身へ触れた。
今度は門へ届いている。
アレクは、残る二門も確かめた。
同じ門へ向けていても、それぞれに置かれた場所が違う。
一門ずつ、目で見える線を確かめる。
「これでお願いします」
指導役が頷いた。
砲兵たちは、口数が少なかった。
婚礼の日とは違う。
城壁の上に、こちらを殺そうとする兵がいる。
アレクは、その顔を見た。
「教わったとおりに。一つずつ、確かめてください」
「はい」
返事があった。
指導役が兵の仕事を確認し、最後にアレクへ合図を送る。
アレクは城門へ目を向けた。
厚い板と鉄の補強で閉ざされた門だった。
その上で、カルディア兵が弓を構えている。
「撃て!」
一門目が火を放った。
轟音が響く。
門へ何かが叩きつけられたように、木片が散った。
城壁の兵が、一斉に下を見た。
続く一発が、門を大きく揺らした。
内側で支えていた木が折れたのか、片側が斜めに沈む。
三門目の砲撃が響いた。
裂けた板が内側へ吹き飛び、門の向こうが見えた。
そこにいた兵が、慌てて奥へ退く。
城壁から怒鳴り声が上がった。
アレクは、煙の向こうを見据えた。
門は、もう閉じていなかった。
◇ ◇ ◇
守将は、城壁の階段を下りようとしていた。
一発目の音を聞き、門へ向かっていたところだった。
二発目で足を止める。
三発目の後、門番の兵が走ってきた。
「門が破られました!」
守将は、その兵を見た。
「何だと」
「支えも折れました。外から、兵が……」
声が途切れた。
城壁の上で、別の音が重なっていた。
火槍の音だった。
弓を構えていた兵が身を伏せる。
門の上から矢を射ようとした者も、石の陰へ隠れていた。
守将は階段を駆け下りた。
中庭の向こうに、破れた門が見える。
外に、盾が並んでいた。
グランヴァルト兵が、すでに迫っていた。
「門へ集まれ!」
守将が叫んだ。
「中へ入れるな!」
槍兵が走る。
だが、門の脇には壊れた木材が散乱し、倒れた兵もいた。
持ち場へ向かう者と、門から逃れてくる者がぶつかった。
その間に、最初の盾が門を越えた。
◇ ◇ ◇
アレクは、大砲のそばから戦場を見ていた。
突入を任された歩兵八百人が、隊を組んで門へ向かっている。
後ろには、交代と増援に備える歩兵が続いていた。
鉄砲隊は城外に残り、城壁の守備兵を牽制していた。
だが、味方が門へ近づけば、その方向へ撃ち続けることはできない。
「門の上への射撃を止めてください」
アレクは伝令へ命じた。
「味方が入ります」
伝令が走る。
ギルベルトと隊長たちが合図を送り、門周辺への射撃が止まった。
城壁の別の場所を見張る兵は、持ち場を変えない。
敵が矢を射ようと身を出せば、それを抑える。
アレクは門を見た。
味方の盾が中へ入り、その後ろから槍が続いていく。
門の内側で、激しくぶつかる音がした。
歩兵の隊長が叫んでいた。
「止まるな! 後ろへ道を空けろ!」
負傷した兵が、仲間に引かれて外へ出てきた。
腿から血が流れている。
別の兵は、自分で歩いていたが、片腕が下がっていた。
アレクは唇を結んだ。
門は破った。
だが、その先を進むのは兵たちだった。
◇ ◇ ◇
中庭で、カルディア兵の槍が盾へ突き当たった。
グランヴァルトの歩兵が受け止める。
後ろから続いた兵が脇へ出て、敵の槍を押し退けた。
中庭の右手に、住民らしい者たちが固まっていた。
子どもを抱いた女がいる。
城下から逃げ込んだのか、荷を抱えた老人もいた。
「武器のない者には手を出すな!」
グランヴァルトの隊長が叫んだ。
「壁際へ寄れ! そこを動くな!」
兵が盾を向けたまま、その前を通り過ぎる。
中庭の奥では、守将が剣を抜いていた。
周りに残った兵を集め、建物の前へ並べる。
「退くな! ここを守れ!」
その声を聞き、カルディア兵が槍を構え直した。
グランヴァルトの隊長が前へ出る。
「門は破った! 武器を置け!」
守将は答えず、兵へ進めと命じた。
槍が盾の隙間へ入り、グランヴァルト兵が倒れた。
隣の兵が敵を押し返そうとしたが、その肩へ剣が振り下ろされた。
隊長の顔が険しくなった。
「抵抗する者を討て!」
味方の歩兵が前へ出た。
盾がぶつかる。
守将は近づいた兵へ斬りつけ、その盾を弾いた。
だが、横から突き出された槍を避けきれなかった。
身体が傾く。
それでも剣を振ろうとしたところへ、別の兵が踏み込んだ。
守将が倒れた。
剣が石畳を打ち、手から離れる。
そばにいたカルディア兵が、その姿を見下ろした。
「守将は討ち取った! 武器を捨てろ!」
グランヴァルトの隊長が叫んだ。
一人の兵が、槍を放した。
その後ろでも、盾が下ろされる。
建物の入口へ逃げようとした兵は、追ってきた味方の隊に囲まれ、剣を地面へ置いた。
中庭の戦いが、ようやく収まり始めた。
◇ ◇ ◇
門を破ってから、長い時間は経っていなかった。
城壁に立っていたカルディアの旗が下ろされる。
代わって、グランヴァルトの旗が掲げられた。
城外でそれを見た兵たちから、声が上がった。
マティアスは、戻ってきた伝令の報告を聞いていた。
「守将を討ち取りました。中庭と城壁は押さえております。建物の中を、順に確かめています」
「降伏した兵は」
「武器を集め、一か所へ移しております」
「住民と分けろ。負傷者の手当ても急がせよ」
伝令が頷いた。
マティアスはアーノルドへ顔を向けた。
「外へ逃れた兵の動きを確かめてくれ。南から別の部隊が来るかもしれん」
「承知しました」
アーノルドが騎兵へ指示を出す。
マティアスは、アレクを伴って城へ入った。
破れた門の前では、兵が木材を退けていた。
荷車を通すための道を作っている。
アレクは、門の脇に残った蝶番を見た。
厚い板が裂け、鉄の補強も曲がっていた。
その内側には、味方の負傷兵が座っている。
大砲で短くできた戦いでも、傷つく者がいなくなるわけではなかった。
アレクは足を止めず、中庭へ進んだ。
◇ ◇ ◇
城内の確認が終わると、住民たちが外へ案内された。
城下に家のある者は、兵に付き添われて帰される。
城で働いていた者たちは、町の広場へ移された。
捕虜は武器から離された場所へ集められ、負傷者には別の建物が用意された。
マティアスは、その報告を一つずつ聞いた。
「中庭に残っている者は」
「片づけに当たる兵だけです」
「建物の中は」
「見回りました。隠れていた者も、外へ出しております」
マティアスは頷いた。
中庭の端に、壊れた門の木材が積まれている。
折れた荷車や、使えなくなった木の盾も集められていた。
「燃やせる木材を、建物から離れた場所へ集めろ」
そばの隊長が顔を上げた。
「処分なさるのですか」
「ああ。ただし、建物は焼くな。火を見張る兵をつけ、消火の備えをさせろ」
「承知しました」
「城下の見張りも続けよ。騒ぎに紛れて、勝手をする者を出すな」
隊長が去った。
アレクは、積まれた木材へ目を向けた。
門を修復するには、壊れた木材を片づけなければならない。
使えない物を処分することも、不自然ではなかった。
だが、マティアスの視線は、木材ではなく南の城壁へ向いていた。
「城を焼いたと思われるのではありませんか」
アレクが尋ねた。
マティアスは、こちらを見た。
「そう見えるだろうな」
「では……」
「使える城まで失う必要はない。だが、向こうに中を確かめさせる必要もない」
アレクは南を見た。
城壁の向こうには、カルディアへ続く道がある。
まだ、こちらを窺っている敵兵もいるだろう。
その者たちに見えるのは、グランヴァルトの旗と、城内から立ち上る煙だった。
アーノルドが、二人のそばへ戻ってきた。
「南の丘に、敵の騎兵が残っております。こちらへ近づく様子はありません」
「追い払う必要はない」
マティアスが答えた。
「見ているなら、見せておけ」
◇ ◇ ◇
カルディアの先遣隊を率いていた将は、南の丘で馬を止めていた。
残った騎兵と、野戦から退いた歩兵をまとめ直していたところだった。
城へ援軍を入れるべきか。
さらに南へ退き、次の城で兵を集めるべきか。
迷っている間に、大砲の音が聞こえた。
それから、まだ半日も経っていない。
城壁の旗が変わっていた。
「落ちたのか……」
将は呟いた。
部下も、同じ方を見ている。
やがて、城壁の内側から煙が上がった。
細い煙ではなかった。
風に流されながら、城の屋根を覆い始めている。
「火が出ております」
部下が言った。
将は答えられなかった。
野戦で兵を失った。
橋を越えて退き、今度は城まで失った。
その城から、煙が上がっている。
建物が燃えているのか、中庭で何かを焼いているのか。
ここからでは、確かめられなかった。
だが、城門の前に並ぶグランヴァルト兵へ近づき、尋ねることなどできない。
「……グランヴァルトを怒らせたのだ」
将の口から、言葉が漏れた。
部下が顔を向ける。
「閣下」
「陛下へ知らせる」
将は手綱を握り直した。
「残った兵を南へ戻せ。道でばらばらにするな。次の城へ集めろ」
「ご自身で、王都へ向かわれるのですか」
「ああ」
将は、煙の上がる城を見た。
伝令に任せるだけでは、この敗北の重さが陛下へ十分に伝わらないかもしれなかった。
あの鉄砲隊を見た。
橋の北岸が崩れるところも見た。
城壁に守られた城でさえ、わずかな時間しか持ちこたえられなかった。
今度は、自分が王の前で話さなければならない。
将は馬首を南へ向けた。
背後では、煙がなおも上がっていた。
◇ ◇ ◇
中庭では、兵たちが火の周りを見張っていた。
燃えているのは、集められた木材だった。
建物の屋根へ火が移っている様子はない。
城下にも、煙を見て外へ出てきた者がいたが、見張りの兵が城での作業だと伝えていた。
アレクは、城壁の上から町を見下ろした。
家々は残っている。
道を歩く者も、少しずつ増え始めていた。
背後から、マティアスが上がってきた。
「大砲隊は」
「片づけを進めています。砲に異常はありません」
「兵の様子も見てやれ。初めての実戦だった者がいる」
「はい」
アレクは頷いた。
マティアスは南へ目を向けた。
「これ以上の進軍は、いったん止める」
アーノルドも階段を上がってきた。
その言葉を聞き、マティアスを見る。
「次の城へは、向かわれませんか」
「今すぐにはな」
マティアスは答えた。
「ここを押さえ、門を直す。街道の見張りと補給は続ける。向こうが返事を寄越すまで、ただ休んで待つつもりはない」
アレクは、その横顔を見た。
戦いを終えるために止まるのではない。
進める軍を、ここへ置いておく。
カルディアの王に、その意味を考えさせるのだ。
「使者を送るのですね」
「ああ」
マティアスは頷いた。
「城を一つ失って、何を守るべきか分かればよいがな」
◇ ◇ ◇
城の広間には、まだ戦いの跡が残っていた。
倒れていた椅子が起こされ、卓の上が片づけられる。
マティアスはそこへ地図を広げ、書記を呼んだ。
アレクとアーノルドも同席していた。
書記が筆を用意する。
マティアスは、カルディア王へ送る文面を口にした。
「先の取り決めを破り、我が国へ兵を向けたのはカルディアである。我が国だけが、貴国の領有を認めた約束に縛られる理由はない」
筆が紙を走る。
「すでに一城を落とした。次の城へ進む用意もある」
アレクは地図へ目を落とした。
南の街道の先に、別の城が記されている。
マティアスは続けた。
「ただし、貴国が侵攻の責任を認め、領地の割譲と賠償に応じるならば、ここで兵を止めることはできる」
書記が顔を上げた。
「割譲を求める領地は」
「先のロスヴァールとの戦で、カルディアが得た地域だ。境界は別紙に記す。新たな国境を認め、再び我が国へ兵を向けぬと誓約させる」
「賠償については、いかがいたしますか」
「今回の出兵と損害に対するものとする。額と支払いの条件は、回答を受けて詰める」
マティアスはアーノルドへ目を向けた。
「道と土地の確認を頼む。境界を曖昧にして、後で争わせるわけにはいかん」
「承知しました」
アーノルドが答えた。
書記が、最後の文を待っている。
マティアスは、静かに言った。
「次の返答が届くまで、我が軍が待ち続けると思わぬことだ」
筆が止まった。
部屋の外から、木材を運ぶ兵の声が聞こえた。
マティアスは書き上がった文面を受け取り、初めから読み直した。
城を焼いたとは、どこにも書かれていなかった。
落としたとだけ、記されている。
アレクは、その紙を見ていた。
城門を破るために、大砲が働いた。
その勝利を交渉へつなげ、カルディアの王を動かすのは、マティアスの仕事だった。
「講和の条件がまとまれば、陛下へお伺いを立てる」
マティアスが言った。
「こちらで勝手に、国境を決めることはしない」
アレクは頷いた。
王命を受けて戦い、その先の返答を引き出す。
どこまでを自分で決め、何を王へ委ねるのか。
主君は、その線を見失っていなかった。
◇ ◇ ◇
使者は、夕刻前に城を出た。
修復の始まった門を抜け、南の街道へ向かう。
従者と護衛が、その後ろへ続いた。
アレクは城壁から見送っていた。
中庭の火は小さくなり、兵たちが消火を進めている。
煙の向こうにも、城の建物は残っていた。
この落城の知らせも、やがてカルディアの王へ届くだろう。
あの将が、王へ何を伝えるのかは分からない。
だが、グランヴァルトの使者が持つ書状には、求めるものがはっきりと記されている。
領地。
賠償。
そして、新たな国境を守るという誓約。
アレクは、遠ざかる使者から城内へ目を戻した。
兵たちは、次の命令に備えて動いていた。
この城で止まるのか。
さらに南へ進むのか。
今度は、カルディアの王が答える番だった。
第二十一話を読んでいただき、ありがとうございました。
アレクとマティアス、それぞれの役目と働きを楽しんでいただけたなら嬉しいです。
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