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『知らない世界で、前世の知識が武器になる』 ~剣と銃で乱世を生き抜く転生領主の成り上がり~  作者: 相田 ソウ
第二篇 乱世に蒔く種

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第三話 動かない敵

国境近くへ集結したベルン伯爵軍は、四千を超えても攻めてきません。

動かない敵を前に、アレクたちは兵を戦わせずに相手を拘束する戦略と、その背後にある狙いを探ります。

 夜明け前の街道を、松明の列が西へ進んでいた。

 先頭を行く騎兵が掲げる灯りは、朝靄の向こうへ細く続いている。その後ろを槍兵と弓兵が進み、食料や飼葉を積んだ荷車が軋んだ音を立てながら追っていた。

 アルベルトがヴァイスブルクへ連れていくことのできた兵は千二百人。

 つい先ほどまでグランヴァルト軍の通過を監視していた兵のうち、すぐに進路を変えられる者を集めた数だった。

 残りの兵は、通過した軍が残していった問題がないか確かめる者、エルデン砦の守備へ戻る者、東部の村々を巡回する者に分かれている。

 すべてを西へ連れていくことはできなかった。

 アレクは馬上から後ろを振り返った。

 兵たちの顔には、昨日までの疲労が残っている。

 外国軍一万五千人を監視しながら領内を歩き、その軍を西部国境の外へ送り出したばかりだった。本来なら一日くらい休ませたいところだが、ベルン伯爵軍約四千人が西部国境へ集まっているとの報告を受けた以上、そうも言っていられない。

「馬を急がせすぎるな! 前の隊との間隔を保て!」

 街道を進むゲオルクの声が、まだ暗い空気の中へ響いた。

 急ぐ必要はある。

 だが、兵と馬をヴァイスブルクへ到着する前に疲れさせては意味がない。

 先行する騎兵は次の休息場所へ向かい、井戸と飼葉を確保している。軍列は普段より長く歩き、休む時間を短くしていたが、休息そのものをなくしてはいなかった。

 アルベルトは何度も軍列の前後へ伝令を送り、遅れている部隊がないかを確かめていた。

「ベルン伯爵は、俺たちが東へ行った時を狙ったのでしょうか」

 アレクが尋ねると、隣を進むアルベルトは前を向いたまま答えた。

「まだ分からん」

「ですが、時期が重なりすぎています」

「グランヴァルト軍が東部国境へ現れた時から兵を集めていたのなら、重なったのではなく、合わせた可能性はある」

「やはり、俺たちが東へ動くのを待っていたんですね」

「可能性があると言った」

「同じことでは?」

「違う。確かめていないことを事実に変えるな」

 アレクは返事を飲み込んだ。

 ベルン伯爵は以前、ヴァイスブルクへ攻め込んできた。

 アルヴェイン軍に敗れはしたものの、追撃されて軍が崩壊する前に退いている。兵を失いながらも、次の戦いへ使えるだけの力は残していた。

 そのベルン伯爵が、再び四千人を国境へ集めた。

 前の敗北から、それほど長い月日は経っていない。

「それでも、同じ場所を攻めるつもりなら、俺たちが東にいる間に国境を越えた方がよかったのではありませんか」

「そうだな」

「報告では、まだ越えていないんですよね」

「ああ」

「では、何を待っているのでしょう」

「それを調べるために、今からヴァイスブルクへ行く」

「アルベルト様にも分からないことがあるんですね」

「あるに決まっている」

「もう少し悔しそうに言いませんか」

「分からないことを分かったふりで補う方が恥だ。知らないなら調べればよい」

 アルベルトはそう言うと、前方の軍列へ目を向けた。

 街道脇で一人の兵が足を止め、革靴の紐を結び直している。その横には同じ班の兵が残り、置いていかれないよう待っていた。

「急がせすぎれば、ヴァイスブルクへ着いた時に使い物にならん。次の休息地で後方の兵を先に休ませろ」

「承知しました」

 近くにいた伝令が馬を返し、軍列の後方へ走っていった。

 急ぎながらも、急がせすぎない。

 言葉にすれば簡単だが、千二百人の疲れ方を揃えることはできない。前を進む者は道の状態がよく見えるが、後ろの者は踏み荒らされた道を歩かなければならない。荷車の速度も、兵の足並みも、それぞれ違っている。

 グランヴァルト軍一万五千人を通した経験がなければ、アレクは先頭の速さだけを見て、軍全体が同じように進んでいると思ったかもしれない。

「アルベルト様」

「今度は何だ」

「俺たちは、グランヴァルト軍を通したから西へ戻ることになったのでしょうか」

 アルベルトがアレクを見る。

「なぜそう思う」

「時期が重なっています。それに、ベルン伯爵から見れば、アルヴェインとグランヴァルトが協力したように見えるかもしれません」

「先ほどは、我々が東へ動いた隙を狙ったと言ったな」

「両方かもしれません」

「他には」

「まだ思いつきません」

「なら、二つだけで決めるな。ベルン伯爵が兵を集めた理由と、集めた兵を動かさない理由が同じとも限らん」

「兵を集めてから、事情が変わった可能性もあるということですか」

「あるいは、最初から攻めるつもりがない可能性もある」

 四千人もの兵を集めながら、攻めるつもりがない。

 アレクはその言葉を考えながら、薄明るくなり始めた西の空を見た。

 敵が剣を抜いていないからといって、何もしていないとは限らない。

 アルヴェインはすでに千二百人を西へ向けている。

 ベルン伯爵軍は、国境の向こうにいるだけでアルベルトを動かしたのだ。

 だが、なぜ動かす必要があるのか。

 その答えはまだ見えなかった。

 ◇ ◇ ◇

 アレクたちがヴァイスブルクへ到着したのは、翌日の昼を過ぎた頃だった。

 城門の上にはアルヴェインの深紅の旗が掲げられ、その中央で金の龍が風を受けている。

 見張りの兵が一行に気づくと、城壁の上で角笛が鳴らされた。

 固く閉ざされていた門が開く。

 先頭のアルベルトが門をくぐると、ヴァイス男爵が配下の騎士たちを従えて出迎えた。

「お待ちしておりました、アルベルト殿下」

「状況は」

 アルベルトは馬から下りる前に尋ねた。

「昨夜から敵の位置に大きな変化はありません。確認できた兵は約四千二百人。国境から西へ一里ほど離れた場所に陣取っています」

「越境した兵は」

「斥候と思われる騎兵が国境付近まで近づくことはありますが、まとまった兵は一人も越えておりません」

「こちらの村に被害はないか」

「今のところは。ただし、西側の畑へ出ることを恐れている村人が増えています。家畜を城の近くへ移した者もおります」

「分かった。軍議は一刻後に始める。それまで兵を休ませろ」

「はっ」

 アルベルトが馬を降りる。

 アレクも鞍から下りたが、一日半近く馬に乗っていたため、地面へ足を着けた途端に膝が強張った。

「アレク」

 聞き覚えのある声に振り向くと、城内からトーマスが駆けてきた。

「本当に来たのか」

「来たくて来たわけではないけどな」

「何だ、その歩き方は」

「ずっと馬に乗っていたんだよ」

「馬で来たのに疲れたのか?」

「乗っているだけでも疲れる。代わってみれば分かる」

「馬を持っていない」

「なら分からないままでいい」

 トーマスは笑いかけたが、すぐに西門の方へ目を向けた。

「また戦になるのか」

「まだ分からない」

「四千人もいるんだぞ」

「いるだけで、まだ国境は越えていない」

「越えてからでは遅いだろう」

「だから俺たちが来たんだ」

 アレクが答えると、トーマスは城門から入ってくる兵の列を見た。

「これで全部か?」

「ひとまず千二百人。周辺からも集めると思う」

「前より少ないな」

「敵も前より少ない」

「だから大丈夫なのか?」

「大丈夫にするために、これから相手が何を考えているか調べる」

「お前が?」

「俺だけじゃない」

 アレクが答えたところで、ゲオルクから名を呼ばれた。

「話は後だ。荷物を置いたら軍議へ来い」

「俺も出るんですか?」

「殿下がお前にも来るよう命じた」

「到着したばかりですよ」

「殿下も到着したばかりだ」

「アルベルト様を基準にしないでください」

「文句は本人に言え」

 トーマスが気の毒そうな顔をする。

「大公殿下の小姓は大変なんだな」

「今頃気づいたのか」

「羨ましいと思っていた」

「代わるか?」

「遠慮する」

 即座に断られ、アレクは肩を落とした。

 前にこの城へ来た時、ヴァイスブルクは戦いを終えたばかりだった。

 壊された西門には新しい木材が使われ、城壁の傷も石と漆喰で塞がれている。しかし、修復を終えていない場所には足場が残り、その横で兵たちが新たな木材を運んでいた。

 城壁の上へ矢束が運ばれ、投石に使う石が籠へ積まれている。

 井戸の前では水樽が並べられ、倉の入口では文官が運び込まれた袋の数を記録していた。

 敵が国境を越えていなくても、城の中はすでに戦時へ戻っている。

 兵だけではない。

 荷車を引いてきた農民の表情も硬い。城へ食料を運べば、村に残せる量は減る。戦いが起きれば畑へ出られず、収穫が遅れるかもしれない。

 ベルン伯爵軍はまだ一人もアルヴェイン兵を傷つけていない。

 それでも、四千人が国境近くにいるだけで、人と物が動き、領民の暮らしが変わっていた。

 アレクは馬の手綱を従者へ渡し、軍議が開かれる城館へ向かった。

 ◇ ◇ ◇

 軍議の部屋には、西部国境周辺の地図が広げられていた。

 アルベルト、ヴァイス男爵、ゲオルクのほか、周辺を守る騎士と、敵情を調べてきた斥候隊の指揮官が席についている。

 アレクはアルベルトの後ろへ立った。

「敵の位置を」

 アルベルトが命じる。

 ヴァイス男爵が国境の西側へ駒を置いた。

「ベルン伯爵軍の本隊はここです。昨日の夕刻までに確認できた兵は約四千二百人。歩兵が多く、騎兵は五百人に満たないと思われます」

「増援は」

「小規模な部隊が西と南から到着しています。ただし、今朝以降は目立った増加がありません」

「陣地の様子は」

 斥候隊の指揮官が答える。

「浅い堀を二重に掘り、その内側へ木の柵を築いております。東側には土を盛り、弓兵を並べられる場所を作っています。後方には木製の見張り台が三つ。陣地は川と低い丘の間にあり、北側から大きく回り込むことは困難です」

「守りを固めているのか」

「はい。少なくとも、すぐに陣を払う様子はありません」

「攻城兵器は」

「大型の投石機や破城槌は確認できません。組み立て前の部品を隠している可能性はありますが、運搬に使う大きな荷車も見つかっておりません」

「梯子は」

「陣地内に木材はあります。ただし、大半は柵と櫓に使われています。攻城用の梯子を大量に作っている様子はありません」

 アレクは地図上の駒を見た。

 四千二百人もの兵を集め、堀と柵を作っている。

 しかし、その守りはヴァイスブルクを攻めるためのものではなく、自分たちの陣地を守るためのものだ。

「兵糧はどれくらいある」

 アルベルトが尋ねた。

「確認できただけでも、十日分はあるかと。陣地の西側から毎日荷車が入っています」

「毎日?」

「数は多くありません。一日に十台から二十台ほどです」

「何を積んでいる」

「穀物、干し肉、飼葉。それから、柵に使う木材と思われます」

「荷車はどこから来る」

「西へ三里ほど離れた町を経由しています。ただ、その先までは追えておりません。敵の騎兵が街道を巡回しております」

「補給路を守る兵がいるということか」

「はい」

 アルベルトは地図を見たまま黙った。

 四千二百人を十日以上留めるには、大量の食料が必要になる。

 一人が一日に食べる量だけではない。軍馬や荷車を引く馬にも飼葉と水が要る。堀を掘り、柵を作る者は、ただ待機する兵より腹が減る。

 それでもベルン伯爵は兵糧を運び続けている。

「攻めてくる軍には見えません」

 アレクが口にすると、部屋にいた数人が振り向いた。

 アルベルトだけは地図を見たままだった。

「理由は」

「ヴァイスブルクを攻めるなら、自分たちの陣地をここまで固めるより、梯子や破城槌を用意するはずです。国境を越えた後の道も調べなければなりません」

「斥候は出している」

「ですが、攻めるための道を探すというより、こちらの兵数を確かめているように見えます」

「それだけか」

 アレクは駒の置かれた場所とヴァイスブルクを見比べた。

 敵陣から城までは距離がある。

 出撃すれば、敵は堀と柵の中で待ち構えることができる。反対に、こちらが城から出なければ、敵は国境の向こうに居続ける。

「ベルン伯爵は、こちらから攻めてきてもらいたいのでしょうか」

「なぜそう思う」

「守りやすい場所に陣地を作っています。俺たちが国境を越えて攻めれば、ベルン伯爵は堀と柵を使って戦えます。それに、先に国境を越えたのはこちらになります」

 ヴァイス男爵が頷く。

「我々が先に攻めれば、ベルン伯爵は自領を守ったと主張できます」

「では、放っておけばいいと思うか」

 アルベルトが問いかける。

「それは……」

 アレクはすぐに答えられなかった。

 国境を越えていない敵を、こちらから攻める必要はない。

 しかし、放置して兵を引き上げた直後に、ベルン伯爵軍が動くかもしれない。四千二百人が一斉に国境を越えれば、ヴァイスブルクの守備兵だけでは防ぎきれない可能性がある。

「放ってはおけません」

「なぜだ」

「敵がいつ動くか分からないからです」

「だから、どうなる」

 アルベルトは答えを求めている。

 アレクは地図の上に置かれた駒を見つめた。

 ベルン伯爵軍の駒は一つ。

 対して、ヴァイスブルクには千二百人を連れてきたアルベルトの駒が置かれている。周辺から集まる兵を示す小さな駒も増え始めていた。

 敵は動いていない。

 だが、アルヴェイン側の駒は次々と動かされている。

「こちらの兵を、ヴァイスブルクへ縛りつけています」

 アレクが答えると、アルベルトが顔を上げた。

「続けろ」

「ベルン伯爵軍が国境近くにいる限り、守備兵を減らせません。周辺の騎士も、自分の領地へ帰しにくくなります。もし別の場所で兵が必要になっても、ここから送れない」

「ベルン伯爵は、一度も剣を抜かずに我々の兵を使えなくしているということか」

 ゲオルクが尋ねた。

「はい。四千二百人がそこにいるだけで、俺たちは千二百人を東から戻しました。これから周辺の兵も集めるなら、動かされる人数はもっと増えます」

「敵より少ない兵だけ置けばよいのではないか」

 一人の騎士が口を挟んだ。

「城壁があります。千人を置けば、四千人の攻撃を防ぐことはできるでしょう」

「短い間なら、です」

 アレクが答える。

「何が違う」

「ベルン伯爵軍には、今も西から兵糧が運ばれています。こちらが千人だけを残し、他の兵を帰したと分かれば、さらに兵を増やすかもしれません。攻城兵器を後から持ってくることもできます」

「なら、我々も兵糧を集めればよい」

「集める食料は、周辺の村から持ってくることになります」

 騎士が黙る。

 倉に蓄えがあっても、無限ではない。

 城内の兵が増えれば、それだけ早く減る。補うために村から穀物や肉を集めれば、今度は領民が冬を越すための蓄えを失う。

「戦っていないのに、兵と食料を使わされる」

 アレクが呟く。

「それが狙いの一つだろう」

 アルベルトが言った。

「一つ、ですか」

「ベルン伯爵がただ我々の兵糧を減らしたいだけなら、自領の兵糧まで使って四千人を置く必要はない。奴も同じだけ、あるいはそれ以上の負担をしている」

「では、ほかに目的がある」

「ああ。アルヴェイン軍を西部へ縛りつけることで、利益を得る者がいる」

 アレクは地図のさらに西へ目を向けた。

 そこには、レオンハルトの軍が向かっている。

 そして、その先にはシュヴァルツ伯の勢力圏があった。

「レオンハルト殿下ですか」

「殿下を助けるためにベルン伯爵が我々を止めている、と言いたいのか?」

「違います。俺たちがレオンハルト殿下へ加勢するのを防ごうとしている」

 アルベルトは否定しなかった。

 ヴァイス男爵が地図の東側を指す。

「グランヴァルト軍一万五千人は、アルヴェイン領を横断して西へ進みました。この事実だけが伝われば、周辺の諸侯は殿下とレオンハルト殿下が協力したと考えるでしょう」

「俺たちは通行を認めただけです」

「その内情を、ベルン伯爵がどこまで知っている?」

 アルベルトに問われ、アレクは口を閉じた。

 レオンハルトは、王命を受けてシュヴァルツ伯を攻めるためにアルヴェイン領の通行を求めた。

 アルベルトは軍を三つに分け、通行する道と休息場所を指定し、村への立ち入りを禁じた。前後と側面にはアルヴェイン兵を置き、約束が守られているか監視した。

 双方が互いを完全に信用したから通したのではない。

 軍を通すことで生じる危険を、決め事と監視によって抑えただけだ。

 だが、遠くから見れば、一万五千人もの軍勢がアルヴェイン領を無事に通過したという結果しか分からない。

「何らかの密約があると思われても、おかしくありません」

「そういうことだ」

「違うと知らせますか?」

「誰に、どうやって知らせる」

「ベルン伯爵へ使者を送るとか」

「我々はレオンハルトへ加勢しないと伝えるのか」

「はい」

「信じると思うか?」

 アレクは答えに詰まった。

 もし立場が逆なら、アレクも疑う。

 加勢するつもりがある者でも、今は加勢しないと答えるはずだ。言葉だけで疑いを消すことはできない。

「それに、必要以上のことを教える理由もない」

 アルベルトは続けた。

「我々が何をするか分からないから、ベルン伯爵は四千二百人をここへ置いている。こちらから手の内を明かせば、奴はその兵を別の場所へ使える」

「では、このまま疑わせておくのですか」

「疑いを消すことと、戦いを避けることは同じではない。相手にこちらの意図をすべて知らせれば安全になるとも限らん」

「ですが、このままでは俺たちも動けません」

「だから、奴の狙いと、いつまでここにいるつもりなのかを調べる」

 アルベルトは斥候隊の指揮官へ目を向けた。

「敵陣へ出入りする荷車を記録しろ。一日の台数、荷の種類、どの道から来たか。兵の増減も毎朝と毎夕に分けて報告させろ」

「承知しました」

「陣地を広げている場所も調べろ。特に南側だ。見えている陣地とは別に兵を隠している可能性がある」

「斥候を増やします」

「増やしすぎるな。敵もこちらを見ている。数を増やせば、こちらが慌てていると知らせることになる」

「では、今いる者を交代させながら調査いたします」

「そうしろ」

 続いて、アルベルトはヴァイス男爵へ向き直った。

「周辺から何人集められる」

「二日で八百。さらに三日あれば、千五百ほど。ただし、収穫期が近い村もあります。長く留めれば畑へ影響が出ます」

「すべてを呼ぶな。最初の八百で止めろ」

「敵は四千二百です」

「こちらには城壁がある。私が連れてきた千二百と、お前の守備兵を合わせれば、すぐに城が落ちることはない」

「ですが、敵が増えた場合は」

「増えてから追加を呼ぶ。集められるという理由だけで兵を集めれば、ベルン伯爵が何もせずとも領内の畑から人が消える」

 ヴァイス男爵はしばらく考えた後、頭を下げた。

「承知しました」

「城壁の警戒も交代で行わせろ。昼夜を問わず全員を立たせる必要はない」

「敵が夜襲を掛けてくる可能性があります」

「見張りを減らせとは言っていない。休む者と備える者を分けろ。全員を眠らせずにいれば、敵が動く前にこちらが疲れる」

「はっ」

 敵が動かないからこそ、待つ側は終わりを決められない。

 今日来るかもしれない。

 明日かもしれない。

 一度も来ないかもしれない。

 そのすべてへ備え続ければ、兵も領民も先に疲れてしまう。

「アレク」

「はい」

「倉へ行け」

「今からですか?」

「兵糧の残量を確かめろ。何日分あるかだけでなく、普段の守備兵が食べる分と、今回増えた兵が食べる分を分けて計算させろ」

「俺が計算するんですか」

「倉を管理する文官がいる。お前は数字が何を示しているか考えろ」

「分かりました」

「それから、周辺の村へ出した食料の命令も確認しろ。必要以上に集めている者がいれば止めさせろ」

「はい」

 アレクが部屋を出ようとすると、背後からアルベルトの声がした。

「返事は一度でよい」

 まだ一度しか返事をしていない。

 振り返ると、アルベルトはすでに地図へ目を戻していた。

 アレクは何も言わずに軍議の部屋を出た。

 ◇ ◇ ◇

 ヴァイスブルクの兵糧倉には、穀物袋が天井近くまで積まれていた。

 干した豆、塩漬け肉、干し魚、馬へ与える飼葉。入口の近くでは、二人の文官が運び込まれた物の種類と量を帳簿へ記している。

「大公殿下から、現在の兵糧を確認するよう命じられました」

 アレクが告げると、倉を管理する文官は積み上げられた帳簿の一冊を開いた。

「城内にいる者だけなら、二十七日ほど持ちます」

「今日到着した千二百人を含めてですか?」

「含めておりません」

「周辺から来る八百人も加えた場合は」

「十五日を下回るでしょう。馬の飼葉を含めれば、さらに短くなります」

「ベルン伯爵軍が十五日以上動かなかったら?」

「村から追加で集めるしかありません」

「すでに、どれくらい集めていますか」

「昨日から荷車二十七台分です。明日も三十台ほど届く予定です」

「村に残す分は確認しましたか?」

 文官の視線が帳簿へ落ちる。

「定められた量を納めるよう命じています」

「その量を出しても、村人が冬まで食べられるかを聞いています」

「村ごとの蓄えまでは、まだ」

「確認してください」

「ですが、敵がいるのです。集められる時に集めなければ、籠城になった場合に不足します」

「全部集めてしまえば、籠城にならなくても村で不足します」

「兵糧を集めず、城が落ちれば村も守れません」

「だから、城へ必要な量と村に残す量を調べるんです。どちらか一方だけを守る話ではありません」

 文官は不満そうだったが、反論はしなかった。

 アレクは帳簿を受け取り、城内の人数を確かめた。

 もともとの守備兵。

 アルベルトが連れてきた千二百人。

 これから到着する周辺の兵。

 騎士、従者、文官、荷運びをする者、負傷者の手当てをする者。

 戦場で剣を持たない者も、同じように食事を必要とする。

 前回の戦いでは、敵が城門へ迫っていた。

 どれほどの兵糧が必要かを考える前に、目の前の敵を退けなければならなかった。

 今回は違う。

 敵は攻めてこない。

 だからこそ、一日ごとに減る穀物と飼葉の量が問題になる。

「一日に使う量を、兵と馬で分けられますか」

「できます」

「今日から毎日、朝に残量を記録してください。新しく入った量と、使った量も別にします」

「すでに帳簿には記録しています」

「一つの帳簿に全部ですか?」

「はい」

「では、今回増えた兵に使った分だけ、別の紙にも書いてください」

「二度書くのですか」

「いつまで兵を置けるのか、すぐに分かるようにしたいんです。今の帳簿では、昨日より袋が減ったことは分かっても、増えた兵が一日にどれくらい食べたか探すのに時間が掛かります」

 文官は帳簿を何枚かめくった。

 確かに、入ってきた食料と出した食料は日付順に記されている。しかし、どの部隊へ渡したかは備考として小さく書かれているだけだった。

「簡単な表で構いません。兵千二百人、馬の数、その日に使った穀物と飼葉。周辺の兵が到着したら、それも分けてください」

「数字が合わなかった場合は」

「合わなかったことも残してください。盗まれたのか、量り間違えたのか、配る時にこぼしたのかを調べます」

「仕事が増えます」

「俺も増えました」

 アレクが答えると、近くにいた若い書記が思わず笑いそうになり、慌てて顔を伏せた。

 倉を管理する文官は溜息をついた。

「承知しました。今日の分から分けます」

「お願いします。それから、村ごとの蓄えを調べる者を出してください。城へ運ぶ量を増やすかどうかは、その報告を見てから決めます」

 アレクは倉を出ると、城壁へ向かった。

 西門の上では、兵が敵陣を監視している。

 城壁から見えるのは、畑と森、その先に続く街道だけだった。ベルン伯爵軍の陣地はさらに遠く、肉眼では旗さえ見えない。

 それでも、見張りの兵は西を見続けている。

「何か動きはありましたか?」

「敵の斥候が二騎、国境近くまで来た。こちらを見て、すぐに戻った」

「毎日来るんですか?」

「昨日は三度だ。今朝はこれで二度目になる」

「こちらの兵が増えたか確かめているんですね」

「おそらくな」

 アレクは眼下の城内を見た。

 到着した千二百人が休息を取っている。その脇では、周辺から来た兵の受け入れ場所が作られていた。

 この様子を敵の斥候が見れば、アルベルトが兵を集めていると分かる。

 反対に、こちらの斥候もベルン伯爵軍の荷車や兵数を調べている。

 互いに相手の姿を見ながら、その背後にある意図を探っていた。

「剣を抜かない戦いもあるんだな」

 アレクが呟く。

「何か言ったか?」

「いいえ」

 敵を倒した数では、勝敗を測れない。

 どちらが先に疲れるか。

 どちらが先に兵糧を失うか。

 どちらが相手の意図を読み違えるか。

 戦闘が起きていなくても、すでに争いは始まっている。

 ◇ ◇ ◇

 翌朝、最初の報告が軍議の部屋へ集められた。

 ベルン伯爵軍へ入った荷車は十四台。

 うち九台は食料、三台は飼葉、二台は木材らしい。

 新たに到着した兵は百人に満たず、反対に陣地から西へ戻った者もいるため、全体の人数は前日とほとんど変わっていない。

 陣地の南側では新しい堀が掘られているが、東へ進む準備は見られなかった。

「長くいるつもりですね」

 アレクが言う。

「十日分の兵糧があるから十日で帰るとは限らん。毎日補給が続くなら、一月でも居座れる」

 アルベルトが報告書を机へ置いた。

「こちらの兵糧は」

「今の人数なら十五日前後です。ただし、周辺の村から無理なく集められる量を加えれば、二十日以上は持たせられます」

「無理なく、とは誰が決めた」

「村ごとの人数と、次の収穫までに必要な量を確認しています。昨日の命令で予定されていた三十台分のうち、八台は村の蓄えが少ないため止めました」

「不足する分は」

「東側の町から買います。少し遠くなりますが、街道は使えます」

「値段は」

「村から集めるより高くなります」

「その金はどこから出す」

「大公家の軍費です」

「簡単に言うな」

「では、兵を減らしますか?」

 アルベルトがアレクを見る。

「選ばせているつもりか」

「必要な兵を置くなら、食料を買うためのお金も必要です。村から安く集めれば、その分を領民が負担することになります」

「分かっている」

 アルベルトは近くの文官へ、東側の町で買える穀物の量と値段を調べるよう命じた。

「すべて買うとは限らん。だが、どれだけ必要になるかは先に把握しておけ」

「承知しました」

 命令を受けた文官が退出する。

「俺も行った方がいいですか?」

「行きたいのか」

「行きたくはありません」

「なら、ここにいろ」

「珍しく希望を聞いてくれましたね」

「次の仕事があるからだ」

 アルベルトは地図の上に二通の書状を置いた。

「ベルン伯爵へ使者を送る」

「何を伝えるのですか?」

「国境へ兵を集めた理由を尋ねる。アルヴェインへ敵意がないなら、軍を退くよう求める」

「素直に答えるでしょうか」

「答えそのものより、どう答えるかを見る」

「返事を断るか、理由を作るか」

「使者を何日待たせるかもだ」

 すぐに答えれば、あらかじめ返答を用意していた可能性がある。

 長く待たせれば、誰かと相談しているのかもしれない。

 軍を集めた理由を説明しても、その内容と実際の陣地の様子が一致するとは限らない。

「もう一通は?」

「レオンハルトへ送る」

「加勢するのですか?」

「違う。ベルン伯爵軍が国境へ集まり、我々が西へ拘束されている事実を知らせる」

「レオンハルト殿下なら、ベルン伯爵の狙いを知っているかもしれません」

「知っていても、すべてを話すとは限らん」

「アルベルト様は、レオンハルト殿下を信用していないんですか?」

「信用することと、任せきることは別だ」

 グランヴァルト軍を領内へ通した時にも、同じことがあった。

 約束を交わしても監視を置く。

 互いに利益が一致していても、その利益がいつまで同じなのかを確かめ続ける。

「もし、レオンハルト殿下が俺たちに加勢してほしいと言ったら?」

「その時に考える」

「今は決めない?」

「ベルン伯爵がそれを恐れているなら、先に決めてやる必要はない」

 アルベルトは封をした二通の書状を、それぞれ別の使者へ渡した。

 一人は国境を越えてベルン伯爵軍へ。

 もう一人は西へ進んだレオンハルト軍を追う。

 どちらの使者が先に返ってくるかは分からない。

 敵が動くのが先かもしれない。

 待つ間にも、兵糧は減り続ける。

 アレクは地図の上で向かい合う二つの駒を見た。

 動かない敵と向き合うには、こちらもただ止まっていればよいわけではなかった。

 ◇ ◇ ◇

 国境の西側では、濃紫の旗が風に揺れていた。

 その下に広がるベルン伯爵軍の陣地では、今日も兵たちが堀を深くし、伐り出した木を柵へ組み込んでいる。

 土を掘る音と、杭を打ち込む槌の音が絶え間なく続いていた。

 中央の天幕では、ベルン伯爵が地図を見下ろしている。

「アルベルトはヴァイスブルクへ入りました」

 副官から報告を受けても、ベルン伯爵は驚かなかった。

「兵は」

「東から連れてきたのは千二百ほど。周辺からも集まり始めています」

「予定どおりだ」

「我々を攻める様子はありません」

「先に国境を越えれば、こちらが有利になると分かっているのだろう」

「いつまで待ちますか」

「必要な間は」

 ベルン伯爵は地図の上に置かれた深紅の駒を見た。

 アルベルトが西部国境にいる。

 それだけでよい。

 アルヴェイン軍がレオンハルトのもとへ向かわなければ、四千二百人をここへ置く意味はある。

「シュヴァルツ伯からの返答は」

「まだ届いておりません」

「遅いな」

「レオンハルトの軍勢が、予想より早く進んでおります。シュヴァルツ伯も対応に追われているのでしょう」

「早すぎる」

 ベルン伯爵は地図の北西側へ目を向けた。

 レオンハルトが率いる一万五千人は、予定していたより早くアルヴェイン領を通過した。

 アルベルトが通行を拒むか、条件を巡って時間を使うと考えていたのだ。

 だが、二人は短い会談で条件を定め、軍を三つに分けて通した。

「アルベルトとレオンハルトは、本当に手を結んだのでしょうか」

「分からん」

「通行を認めたのは事実です」

「事実が一つあるからといって、その理由まで一つとは限らない。アルベルトがレオンハルトへ加勢するつもりなら、通過した軍と共に西へ向かったはずだ」

「我々の動きを警戒し、残った可能性もあります」

「だから、ここにいる」

 ベルン伯爵は、アルヴェイン側の駒の前に自軍の駒を置いた。

「アルベルトがレオンハルトと手を結んでいるなら、我々はその軍を東に留める。手を結んでいないなら、アルベルトにそう見える行動を取らせ続ける」

「そう見える行動、ですか」

「グランヴァルト軍を通した直後、アルベルトは我々に備えて兵を西へ集めた。外から見れば、レオンハルトの背後を守っているようにも見える」

「ですが、我々が原因です」

「その内情を、シュヴァルツ伯がどこまで知っている?」

 副官が口を閉じる。

 アルヴェインとグランヴァルトが接近した。

 その疑いが強くなれば、シュヴァルツ伯は単独でレオンハルトを迎え撃つことを避けるはずだ。

 ベルン伯爵との協力を拒み続ける余裕もなくなる。

「レオンハルトが迫れば、シュヴァルツ伯は決めなければならん」

「我々と手を結ぶと?」

「少なくとも、話を聞く気にはなる」

「拒まれた場合は」

「アルベルトをここに留めたまま、別の条件を出す」

 ベルン伯爵の狙いは、ヴァイスブルクではなかった。

 城を攻めれば兵を失う。

 再び敗れれば、前回守った軍まで失いかねない。

 だが、国境の外に陣地を築くだけなら、アルベルトは簡単には攻めてこない。

 戦わずにアルヴェイン軍を留め、その間に北西の情勢を動かす。

「アルベルトから使者が来ました」

 天幕の外から兵が告げた。

「何の使者だ」

「国境へ軍を集めた理由を尋ね、敵意がないなら撤退するよう求めております」

 副官がベルン伯爵を見る。

「どう返しますか」

「使者を待たせろ」

「どれほど」

「明日の昼までだ」

「すぐに返事をしないのですか」

「急いで答えれば、こちらが退く理由を探していると思われる」

 ベルン伯爵は椅子へ腰を下ろした。

「国境の安定を守るための軍であり、アルヴェインを攻める意図はないと答える」

「撤退については」

「周辺の情勢が落ち着けば退く、とだけ伝えろ」

「情勢とは何かを聞かれます」

「その問いへ答える必要はない」

 副官が頭を下げ、天幕を出ていく。

 ベルン伯爵は再び地図へ目を落とした。

 東では、アルベルトが自分の動きを探っている。

 北西では、レオンハルトがシュヴァルツ伯へ近づいている。

 そしてシュヴァルツ伯は、まだどちらへ動くかを決めていない。

 兵を進めるだけが戦ではない。

 相手が動けない場所へ、自分の兵を置く。

 相手が選ばなければならない時を待つ。

 濃紫の旗の下で、ベルン伯爵軍は今日も国境を越えなかった。

 ◇ ◇ ◇

 日が沈む頃、アレクはヴァイスブルクの西門に立っていた。

 交代する兵が城壁へ上がり、昼から見張っていた者たちが階段を下りていく。

 倉では、その日に使った兵糧の量が新しい帳簿へ記録されている。東の町へ向かう商人には、穀物の値段と在庫を調べるよう依頼した。

 周辺から集める兵は八百人で止められ、それ以上の動員命令は保留された。

 ベルン伯爵軍は、今日も動かなかった。

 国境を越えた兵はいない。

 矢も飛んでこない。

 城壁からは、敵の陣地すら見えなかった。

 それでも、アルベルトは東から千二百人を連れてきた。

 周辺の村から八百人が集められ、城の倉へ食料が運ばれている。西側の畑へ行くことを恐れた村人は、仕事を止めている。

 遠くにいる四千二百人が、ヴァイスブルクの一日を変えていた。

「敵は何もしていないのに」

 アレクが呟く。

「何もしていないように見えるだけだ」

 いつの間にか隣へ来ていたアルベルトが答えた。

「四千二百人を集め、兵糧を運び、陣地を作っています」

「それだけではない」

「俺たちをここへ動かした」

「ああ」

「戦わずに勝つというのは、こういうことですか?」

「まだ誰も勝っていない」

 アルベルトは夕闇の向こうにある国境を見た。

「ベルン伯爵は我々をここへ縛ろうとしている。だが、奴も四千二百人と兵糧を使っている。どちらが先に相手の意図を読み、必要な場所へ兵を動かせるかで結果が変わる」

「待っているだけでは駄目なんですね」

「敵が動かないからといって、考えることまで止めるな」

「はい」

 西の空から光が消えていく。

 敵の姿は見えない。

 だが、その存在は、城壁の上にも、兵糧倉にも、周辺の村にもあった。

 ただ一つ確かなのは、アルヴェインの兵を西へ向かわせるだけの力を、動かない四千人がすでに持っているということだった。

第三話を読んでいただき、ありがとうございました。

国境を越えなくても、軍はそこにいるだけで敵の兵力や兵糧を拘束できます。アレクは、剣を交えずに進む戦いがあることを知りました。

アルヴェイン軍を西へ縛るベルン伯爵と、その間に動き始める西方の情勢。次回、それぞれの思惑を乗せた使者と交渉が、新たな動きをもたらします。


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