第一話 東より来たる
第一篇「乱世黎明」から物語は第二篇へ。
東の大国グランヴァルトで集結した、一万を超える軍勢。
その先頭には、後に「黒獅子公」と呼ばれる男がいた。
アルベルトの小姓となったアレクは、より大きな戦乱と、新たな人々との出会いへ踏み込んでいく。
第二篇「黒獅子胎動」、開幕です。
鐘が鳴った。
ゴォン――。
ゴォン――。
ゴォン――。
まだ朝日も昇りきっていないアルヴェインブルクに、低い鐘の音が響き渡る。
城壁の上。
ガチャ、ガチャ。
兵士たちが走る。
「急げ!」
「東門の守備を増やせ!」
「弩兵は城壁へ!」
「槍を運べ!」
ザッ、ザッ、ザッ!
数十人の兵士が隊列を組み、石畳を駆けていく。
馬小屋から次々と軍馬が引き出される。
ヒヒィィン!
ガラガラガラ……。
荷車には矢束。
樽。
干し肉。
小麦。
城の中が、昨日までとは別の場所になっていた。
「……一万二千」
俺は城壁の上から東を見る。
もちろん、ここから敵軍が見えるわけじゃない。
グランヴァルトとの国境までは、かなり距離がある。
それでも、その向こうに一万を超える兵士がいる。
そう考えるだけで、昨日までとは景色が違って見えた。
「怖い?」
隣にいた若い兵士が聞いてきた。
「怖いですよ」
「ヴァイスブルクであれだけ戦った奴でも?」
「戦ったから怖いんです」
「……なるほどな」
兵士が苦笑する。
ヴァイスブルク。
俺が初めて本当の戦争を経験した場所。
敵兵を斬った。
人が死んだ。
血の臭い。
叫び声。
今でも覚えている。
あれでも数千人規模だった。
一万二千。
さらに増えているという。
「……見てみたい気持ちもあるけど」
「何を?」
「一万人の軍隊」
「変な奴だな」
「自分でもそう思います」
歴史の本。
ゲーム。
映画。
一万。
二万。
五万。
数字としてなら何度も見た。
でも、実際の一万人は全然違う。
百人でも動けば音がする。
千人なら地面が震える。
一万人なら、どうなる?
「アレク!」
下から声が飛んだ。
「殿下がお呼びだ!」
「また!?」
「すぐ来いとのことだ!」
「朝飯は!?」
「知らん!」
「昨日も食べ損ねたんだけど!」
兵士が笑う。
「大公の小姓も大変だな」
「代わります?」
「嫌だ」
「即答かよ」
俺は階段へ向かった。
そして、まだ知らなかった。
今日、俺が初めて、この世界の歴史を大きく動かす男と顔を合わせることになるなんて。
◇ ◇ ◇
執務室。
バン!
「アレク・ハルトマン、来ました!」
「遅い」
「走ってきました!」
「もっと速く走れ」
「無茶言わないでください!」
アルベルト。
いつもの机。
でも、いつもより人が多い。
ゲオルク。
ローゼン伯爵。
軍務官。
財務官。
騎士。
文官。
十人以上。
机の中央には地図が広げられている。
「座れ」
「俺も?」
「今日はな」
珍しい。
小姓なら普通は壁際だ。
でも、今日は椅子が用意されている。
「……嫌な予感しかしない」
「奇遇だな」
「殿下も?」
「ああ」
「何でそんな嬉しそうなんです?」
「面白くなってきた」
「俺は全然面白くないです」
座る。
「まず」
ゲオルクが駒を置く。
コトッ。
「グランヴァルト軍。昨日の報告では一万二千」
「現在」
もう一つ。
コトッ。
「一万五千まで増加」
「……」
昨日より三千増えた。
「編成は?」
アルベルトが聞く。
「歩兵およそ一万。騎兵二千。弩兵その他三千」
「攻城兵器は?」
「確認されておりません」
「……」
そこが気になる。
「攻城兵器がない?」
「ああ」
ゲオルクが頷く。
「少なくとも斥候からは報告されていない」
「なら……本当にアルヴェインを攻めるつもりなんですか?」
ローゼン伯爵が俺を見る。
「なぜそう思う」
「城を攻めるなら、グランヴァルトからアルヴェインブルクまで途中に砦がありますよね」
「三つある」
「そこを落とさないといけない」
「そうだ」
「だったら梯子だけでも攻められますけど、最初から攻城戦を考えてるなら、もっと準備してくるんじゃないですか?」
軍務官が頷く。
「私も同意見です」
「だが」
別の騎士が口を開く。
「後から運ばせる可能性もある」
「もちろんあります」
俺は答える。
「だから攻めてこないとは言えない。でも、一万五千を集めた理由が侵攻だと決めつけるのも危ないと思います」
アルベルトが俺を見る。
「では何だ」
「……分かりません」
「おい」
「分からないものは分からないですよ」
「正直でよろしい」
「褒めてます?」
「半分」
また半分。
「考えられるのは、威圧、軍事演習、他国への牽制、国内の誰かに見せるため。あるいは……アルヴェインじゃない場所へ行く途中」
ゲオルクが首を振る。
「最後は考えにくい」
「なぜ?」
「位置だ」
地図を指す。
「この平原から西へ進めばアルヴェイン。北へ行けば山岳地帯。南なら大きく迂回する必要がある」
「なるほど」
「つまり」
ローゼン伯爵が言う。
「こちらを意識していることだけは間違いない」
「はい」
アルベルトが椅子にもたれる。
「面倒だな」
「殿下」
財務官。
「戦となれば」
「分かっている」
「動員可能兵力は?」
「急ぎ集めて六千。一週間あれば九千。二週間なら一万二千程度」
「……」
グランヴァルトは、もう一万五千。
しかも、これは国全体の兵力じゃない。
国境に集めた兵だけだ。
「正面から戦いたくないな……」
思わず口に出た。
「珍しく意見が合うな」
「殿下も?」
「ああ」
「勝てない?」
「勝てる」
「……」
「ただし」
アルベルトは地図を見る。
「勝った後に国が残らん」
「……」
意味は分かる。
総力戦。
勝っても、兵、金、食料を失う。
西ではベルン。
北にはノルディア。
南も不安定。
一戦で全部使い果たしたら、次に食われる。
「戦わない方がいい」
「そういうことだ」
その時。
コンコン。
「入れ」
扉が開く。
「殿下」
騎士が入る。
「東部国境より新たな報告です」
「言え」
「グランヴァルト軍、動きました」
全員が地図を見る。
「どちらへ」
「西です」
空気が変わる。
「国境は?」
「まだ越えておりません」
「距離」
「国境まで一日半」
アルベルトが立つ。
「ゲオルク」
「はっ」
「東部諸城へ動員命令。ただし、こちらから国境へ近づくな。守備に徹しろ」
「承知!」
「ローゼン」
「はい」
「西は任せる。ベルンが妙な動きをしたらすぐ知らせろ」
「御意」
「財務官」
「はい」
「金を出せ」
「……」
「何だその顔は」
「殿下。金は井戸から湧きません」
「知っている」
「では」
「湧かせろ」
「無茶をおっしゃらないでください!」
この状況で笑いそうになった。
「アレク」
「はい」
「お前は」
「……」
嫌だ。
「私と来い」
「どこへ?」
「東だ」
「……え?」
「国境へ行く」
「ちょっと待ってください」
「待たん」
「一万五千いるんですよね?」
「ああ」
「敵が?」
「まだ敵とは決まっていない」
「でも!」
「だから行く」
アルベルトは地図を見る。
「何を考えているのか、見なければならん」
「大公本人が?」
「ああ」
「危険すぎません?」
「だから」
アルベルトが俺を見る。
「お前も来い」
「何で俺まで危険になるんです!?」
部屋の何人かが笑った。
◇ ◇ ◇
三日後。
東部。
俺たちは国境から半日の場所にある、小さな城塞へ入った。
エルデン砦。
兵、約八百。
そこへアルベルトが連れてきた二千。
周辺から集まった兵、千五百。
合計、四千三百ほど。
ザッ、ザッ、ザッ。
ガチャ。
ガチャガチャ……。
城外では兵士たちが野営地を作っている。
杭。
柵。
堀。
天幕。
馬防柵。
ヴァイスブルクとは違う。
まだ戦は始まっていない。
だからこそ、準備が怖い。
「アレク!」
「はい!」
「東側の丘へ行くぞ!」
「斥候?」
「ああ」
「俺も?」
「嫌か?」
「嫌です」
「来い」
「聞く意味あります?」
「ない」
「……」
馬に乗る。
パカラッ。
パカラッ。
騎兵三十。
丘へ向かう。
そして頂上。
「……」
俺は言葉を失った。
遠くの平原が黒い。
最初はそう見えた。
でも違う。
人だ。
何千。
何万。
槍。
旗。
馬。
天幕。
煙。
延々と続いている。
「……あれが」
「ああ」
アルベルト。
「グランヴァルト軍だ」
風。
旗。
バサバサバサッ!
遠いのに聞こえる。
ザァァァァ……。
何だ、この音。
風?
違う。
一万を超える人間が動く音。
ガチャ。
ガチャ。
ザッ。
ザッ。
馬。
兵。
荷車。
全部が混ざる。
低い。
地鳴りみたいな音。
「……すげぇ」
怖い。
なのに目が離せない。
歴史。
俺が好きだったもの。
戦国時代。
大軍。
合戦。
その本物。
「アレク」
「はい」
「見ろ」
「どこを?」
「旗」
アルベルトが指す。
中央。
大きな旗。
黒。
銀。
獅子。
「黒獅子……」
「グランヴァルト王家の傍流。第一王弟の旗だ」
「第一王弟?」
「ああ」
「レオンハルト・フォン・グランヴァルト」
名前。
初めて聞いた。
「どんな人です?」
「……」
アルベルトが少し嫌そうな顔をする。
「面倒な男だ」
「知り合い?」
「何度か会った」
「仲悪い?」
「悪い」
「即答ですか…」
「向こうは友人だと言う」
「じゃあ友人では?」
「私は認めていない」
「……」
何だ、その関係。
「強いのですか?」
「何が」
「戦です」
「強い」
「政治は」
「強い」
「頭は」
「良い」
「……弱点は?」
「性格」
「それは弱点なんです?」
「周囲にとってはな」
「なるほど」
その時。
グランヴァルト軍が動く。
ドン。
ドン。
ドン。
低い太鼓。
続いて。
ザッ!
一列の兵が前へ。
ザッ!
次。
ザッ!
次。
「……」
俺は息を止める。
一万五千。
その一部が隊列を組み直している。
何百本もの槍が一斉に傾く。
ガチャァァン!
金属音。
そして前進。
ドドドドド……。
地面が震える。
馬が落ち着かない。
ヒヒィン!
「落ち着け!」
手綱を握る。
「殿下」
「何だ」
「あれ、こっちに来てません?」
「ああ」
「帰りましょうよ!」
「まだ国境を越えていない」
「越えてからじゃ遅い!」
アルベルトが笑う。
「怖いか?」
「怖いって言ってるでしょう!」
「なら正常だ」
「……」
この人、本当にどういう神経してるんだ。
でも、アルベルトの目は笑っていない。
敵軍をずっと見ている。
「殿下」
「何だ」
「戦う?」
「分からん」
「……」
「だから見る」
◇ ◇ ◇
翌朝。
グランヴァルト軍は止まった。
国境を越えていない。
距離、約五キロ。
近い。
「挑発か?」
「攻める気ならもう来るだろう」
「では何を」
エルデン砦。
軍議。
意見が割れる。
「こちらから使者を」
「弱腰に見える!」
「なら兵を出すか?」
「それこそ開戦になる!」
ガヤガヤ。
俺は地図を見る。
「……」
変だ。
昨日からずっと何かが引っかかる。
グランヴァルト。
一万五千。
でも、攻城兵器なし。
国境を越えない。
見える位置に堂々と軍を並べる。
「……見せてる?」
俺が呟く。
「何だ」
アルベルト。
「俺たちに見せてるんじゃないですか?」
「何を」
「軍」
「……」
「隠す気がない。むしろ、見ろって言ってる」
ローゼン伯爵代理が言う。
「威圧か」
「それもあると思います。でも……」
何だ。
何かもう一つ。
考える。
その時。
「使者!」
外から兵士の声。
「グランヴァルト軍より使者!」
全員が止まる。
「来たか」
アルベルトが立つ。
「通せ」
◇ ◇ ◇
使者。
男一人。
護衛二人。
黒。
銀。
獅子。
「アルヴェイン大公、アルベルト・ヴァレンシュタイン殿下。我が主、レオンハルト・フォン・グランヴァルト殿下より書状をお預かりしております」
アルベルトが受け取る。
開く。
読む。
「……」
眉が動く。
「殿下?」
ゲオルク。
「何と」
アルベルトが書状を机に置く。
「本人が来る」
「……は?」
「レオンハルトが明日、ここへ来るそうだ」
全員が沈黙する。
「軍を率いて?」
「いや。護衛五十のみ」
「危険です!」
騎士が叫ぶ。
「罠かもしれません!」
「大軍を国境に置いたまま本人が来るなど!」
「殿下!」
アルベルトが手を上げる。
静まる。
「目的は」
ゲオルク。
「書いてない」
「では断るべきです」
「いや」
アルベルトが笑う。
「会う」
「殿下!」
「向こうが一万五千を後ろに置いて、五十で来ると言っている」
アルベルトは書状を指で叩く。
「なら、話くらい聞いてやる」
俺には嫌な予感しかしなかった。
「アレク」
「……はい」
「明日、お前も同席しろ」
「やっぱり」
「何だ」
「そうなると思いました」
「嫌か?」
「嫌です」
「来い」
「だから聞く意味ないでしょう!」
◇ ◇ ◇
翌日。
エルデン砦。
正門。
ギィィィィ……。
重い門が開く。
橋の向こう。
騎兵五十。
ゆっくり来る。
パカラッ。
パカラッ。
パカラッ。
黒い外套。
銀の胸甲。
黒獅子の旗。
そして中央。
一人の男。
「……」
俺は城壁の上からその男を見る。
三十歳前後。
黒髪。
肩ほどまで伸びている。
細身。
でも弱そうには見えない。
むしろ馬に乗っているだけなのに、妙な圧がある。
近づく。
顔が見える。
整っている。
鋭い目。
それなのに笑っている。
「……あれが」
「レオンハルトだ」
アルベルト。
「第一王弟?」
「ああ」
「殿下」
「何だ」
「王弟が一万五千率いて勝手に動けるんですか?」
「普通は無理だ」
「普通は?」
「あいつは普通ではない」
「……」
男の馬が門前で止まる。
こちらを見上げる。
そして笑う。
「アルベルト! 久しいな!」
アルベルトの顔が露骨に嫌そうになる。
「帰れ!」
「……え?」
俺は思わず声を漏らした。
レオンハルトが笑う。
「相変わらず冷たい男だ!」
「一万五千連れて遊びに来る馬鹿がどこにいる!」
「ここにいる!」
「帰れ!」
「嫌だ!」
「……」
俺はゲオルクを見る。
「いつもこんな感じなんですか?」
「……私も初めて見る」
「え?」
「殿下がここまで露骨に嫌そうな顔をするのは」
「……」
すごいな。
レオンハルト。
「門を開けろ!」
アルベルト。
「よろしいのですか?」
「開けなければ、あいつは門前で一日中喋るぞ」
「……」
どういう人だ。
◇ ◇ ◇
会談。
大広間。
アルベルトとレオンハルトが向かい合う。
俺はアルベルトの後ろ。
ゲオルク。
騎士。
文官。
グランヴァルト側には側近数名。
「で」
アルベルト。
「何の用だ」
「久しぶりに会った友人へ挨拶を」
「帰れ」
「酷いな」
「友人になった覚えはない」
「私はある」
「お前の記憶など知らん」
レオンハルトは笑う。
この人、変だ。
王族。
第一王弟。
大軍を率いる。
なのに堅苦しさがない。
でも、怖い。
笑ってるのに目はずっと周囲を見ている。
人。
配置。
扉。
窓。
護衛。
全部を観察している。
「それで」
アルベルト。
「一万五千。何だあれは」
「あれ?」
「とぼけるな」
「兵だ」
「見れば分かる」
「なら聞くな」
「……」
アルベルトが額を押さえる。
「アレク」
「はい?」
「こいつと話していると頭が痛くなる」
「俺に言われても」
その時。
レオンハルトの目が俺で止まった。
「……」
「?」
「お前か」
「……何がです?」
「アレク・ハルトマン」
背筋がゾクッとする。
「知ってるんですか?」
「知っている」
「ヴァイスブルク。面白いことをしたそうだな」
「……」
俺はアルベルトを見る。
「殿下」
「何だ」
「俺の名前、広まりすぎじゃないですか?」
「諦めろ」
「嫌ですよ」
レオンハルトが笑う。
「十五歳。素性不明。突然現れ、戦場で働き、アルベルトに気に入られた」
「……」
一歩近づく。
「面白い」
「殿下」
グランヴァルト側の側近が止める。
「近づきすぎです」
「構わん」
「しかし」
「この少年が私を殺せると思うか?」
「……」
俺は困る。
「アレク」
「はい」
「私を殺せるか?」
「……今ですか?」
「今だ」
「無理です」
「なぜ」
「護衛がいる」
「いなければ?」
「殿下がいます」
「アルベルト?」
「はい」
「止めると思うか?」
「……たぶん」
アルベルト。
「止めん」
「え!?」
「やれるならやれ」
「友人でしょう!?」
「私は認めていない」
「はははは!」
レオンハルトが笑う。
「気に入った!」
「何が!?」
「お前も、アルベルトも!」
「……」
駄目だ。
この人、疲れる。
でも、少し引っかかる。
この感じ。
人や身分を気にしない。
面白いものが好き。
常識をあまり気にしない。
決断が早い。
「……」
誰かが頭に浮かぶ。
でも違う。
まだ分からない。
「さて」
レオンハルトが席へ戻る。
「本題だ」
空気が変わった。
笑顔が消える。
全員が分かる。
今までが遊び。
ここからが本当の話。
「一万五千」
アルベルト。
「アルヴェインを攻めるためではない」
「なら何だ」
「通る」
「……」
「どこを」
「アルヴェインを」
沈黙。
「……は?」
俺の声が漏れた。
レオンハルトが地図を広げる。
「グランヴァルトから西へ」
指がアルヴェインを通る。
その先。
ヴァルデン。
「ヴァルデンへ行く」
「……」
アルベルトの目が細くなる。
「何のために」
「戦だ」
「誰と」
レオンハルトの指が地図の西へ進む。
一つの名前で止まる。
「シュヴァルツ伯」
「……!」
俺が昨日まで何度も見た名前。
ベルン家へ侵攻した男。
「なぜ」
アルベルト。
「シュヴァルツとお前が戦う」
「正確には私ではない。我が兄、グランヴァルト大公レオポルト二世の命だ」
「……」
「シュヴァルツ伯が我が国の商隊を襲った」
「積荷を奪い、護衛を殺した」
「伯は否定している。だが証拠はある」
「それで一万五千?」
俺は思わず聞く。
「商人の仇に?」
レオンハルトが俺を見る。
「商人だから何だ」
「……」
「我が国の民だ」
「我が旗の下で商う者を殺し、何も起きないと思わせれば次も殺される」
「だから、殺した者には」
笑う。
「国ごと後悔させる」
「……」
ゾクッとする。
何だ、この人。
やっぱり誰かに。
「それで」
アルベルト。
「我が国を通せと」
「ああ」
「断る」
「そう言うと思った」
「なら帰れ」
「だから」
レオンハルトが笑う。
「土産を持ってきた」
「土産?」
「ヴァイスブルク」
俺が顔を上げる。
「ベルンはまた攻めるぞ」
「……何?」
「フリードリヒ・ベルン」
「シュヴァルツと戦っているはずでは?」
俺が聞く。
「だからだ」
レオンハルト。
「二正面を嫌う。なら、どちらかと一時的に手を結ぶ」
「……」
俺の頭が動く。
シュヴァルツ。
西。
アルヴェイン。
東。
ベルンは挟まれている。
「まさか」
「ベルン伯爵はアルヴェインと休戦したい?」
「逆だ」
「え?」
レオンハルトが笑う。
「シュヴァルツと話をつける」
「……!」
「その後、全軍を東へ向ける」
「アルヴェインへ」
部屋がざわめく。
「情報源は」
アルベルト。
「言うと思うか?」
「思わん」
「なら聞くな」
「……」
「だが、私の軍を通せ」
レオンハルトが続ける。
「そうすれば、シュヴァルツはベルンと話をつける暇がなくなる」
「私が西から叩く」
「ベルンは西へ兵を残さざるを得ない」
「結果、アルヴェインは助かる」
「……」
俺は地図を見る。
確かに理屈は通っている。
でも。
「殿下」
俺はアルベルトを見る。
「駄目です」
全員が俺を見る。
「理由は」
アルベルト。
「一万五千です」
「……」
「一万五千の外国軍を国内に入れる」
「もし」
グランヴァルト軍を示す駒をアルヴェイン中央へ置く。
コトッ。
「途中で気が変わったら?」
沈黙。
レオンハルトが俺を見る。
「俺たちは自分から国の中に敵を入れることになる」
レオンハルトの口元が少し上がる。
「なるほど」
「アレク・ハルトマン」
「はい」
「お前、やはり面白いな」
「褒めても通しませんよ」
「お前に決定権はない」
「……そうでした」
アルベルトが笑う。
でも、すぐ真顔に戻る。
「条件がある」
「聞こう」
「軍を三つに分けろ」
「……」
「一度に我が領内へ入る兵は五千まで」
「次の五千は先行部隊が指定地点を越えてから」
「最後の五千も同じ」
「さらに行軍路はこちらが指定する」
「略奪禁止」
「村への立ち入り禁止」
「食料は購入」
「違反者はアルヴェイン法で裁く」
「……」
レオンハルトは黙って聞いている。
「それだけか」
「まだある」
「言え」
「お前本人が私と同行しろ」
「……」
「一万五千を国内へ入れる」
「なら、その総大将を私の目の届くところに置く」
なるほど。
人質。
言葉にはしない。
でも実質そういうことだ。
「面白い」
レオンハルトが笑う。
「いいだろう」
「……即答?」
俺が聞く。
「いいんですか?」
「ああ」
「怖くない?」
「何が」
「殿下が裏切ったら」
「アルベルトが?」
「ああ」
「しない」
「何で分かるんです?」
「こいつは」
レオンハルトがアルベルトを見る。
「そういう男だからだ」
「……」
アルベルトは何も言わない。
この二人。
何なんだ。
仲悪い。
でも、妙に互いを知っている。
「決まりだ」
レオンハルトが立つ。
「明朝、第一陣五千。アルヴェイン領へ入る」
「待て」
アルベルト。
「何だ」
「まだ許可したとは言っていない」
「条件を出しただろう」
「交渉中だ」
「条件は飲んだ」
「なら成立だ」
「お前な……!」
「ははは!」
笑う。
そしてレオンハルトが俺の横を通る。
止まる。
「アレク」
「はい」
「お前も来るのだろう?」
「……どこへ」
「西だ」
「私はシュヴァルツを叩く」
「アルベルトも来る」
「なら、お前も来る」
「俺の予定を勝手に決めないでください」
「嫌か?」
「嫌です」
「そうか」
「では来い」
「殿下と同じこと言ってる!」
アルベルトが後ろから言う。
「諦めろ」
「何で!?」
二人が笑う。
「……」
最悪だ。
面倒な人間が一人増えた。
でも、俺はまだ気づいていなかった。
この瞬間。
俺の人生を大きく変える二人の男が、同じ場所にいたことに。
◇ ◇ ◇
会談後。
夕方。
俺は砦の中庭で壁にもたれていた。
「はぁ……疲れた」
「まだ何もしてないじゃない」
「……?」
女の声。
振り返る。
そこに一人の少女がいた。
俺と同じくらい。
十五?
十六?
淡い金色の髪。
肩より少し下。
旅装。
濃紺の外套。
でも布は上等だ。
一目で普通の家の子じゃないと分かる。
「誰?」
「それはこちらの台詞よ」
少女が俺を見る。
頭から足まで。
「……」
「何?」
「あなたがアレク・ハルトマン?」
「……また?」
「何が?」
「何でみんな俺を知ってるんだよ」
「有名だからでしょう」
「嬉しくない」
「変な人」
「初対面で失礼だな」
「あなたもね」
「……」
何だ、この子。
「それで、君は?」
少女が少し姿勢を正す。
さっきまで普通の少女だった。
でも、一瞬で変わった。
背筋を伸ばす。
顎を少し上げる。
落ち着いた声。
「エリーゼ・フォン・ヴァレンシュタイン」
「……」
ヴァレンシュタイン。
「え?」
「聞こえなかった?」
「いや……ヴァレンシュタイン?」
「ええ」
「殿下と同じ?」
「そうね」
「……」
嫌な予感。
「アルベルト殿下と、どういう関係?」
少女が少し笑う。
「叔父よ」
「……叔父?」
「ええ」
つまり、アルベルトの姪。
「……貴族?」
「一応」
「一応?」
「正確には」
少女が俺を見る。
「亡くなった先代大公世子、フリードリヒ・ヴァレンシュタインの娘」
「……」
言葉が止まる。
アルベルトの兄。
リーデン平原。
アルベルトを逃がして死んだ。
その娘。
「……」
「何?」
「いや……知らなかった」
「でしょうね」
エリーゼが少し寂しそうに笑う。
でも、すぐ消える。
「それで、あなた。叔父様の小姓なんでしょう?」
「はい」
「なら一つ教えて」
「何を?」
「叔父様」
少し声が小さくなる。
「ちゃんと寝てる?」
「……」
俺は思わず笑う。
「何がおかしいの?」
「いや、姪なんだなって」
「当たり前でしょう!」
顔が少し赤くなる。
「笑わないで!」
「ごめんごめん」
「もう!」
大人っぽく見えた。
でも今は少しだけ十五歳に見えた。
「寝てますよ」
「本当?」
「たぶん」
「たぶん?」
「仕事してる時は俺より元気です」
「……そう」
ほっとしたように顔が緩む。
その瞬間。
やっぱり普通の女の子に見えた。
「良かった」
「心配だった?」
「……別に」
「今すごい安心した顔してたけど」
「してない」
「してた」
「してません!」
「はいはい」
「その言い方やめて!」
エリーゼが頬を膨らませる。
「……」
俺は笑う。
「何よ」
「いや、大公家の人でもそういう顔するんだなって」
「……どういう意味?」
「普通」
「……」
少女は少し黙る。
「あなた、本当に変な人ね」
「今日二回目」
「何回でも言うわ」
「そうですか」
「それと」
「?」
「私に敬語、使わなくていいわ」
「え?」
「叔父様が、あなたはそういう人間だって言ってたから」
「殿下が?」
「『身分を気にしない馬鹿がいる』って」
「……」
「あの人、俺のこと何だと思ってるんだ」
エリーゼがクスッと笑う。
初めて見せる、年相応の柔らかい笑顔。
「叔父様、あなたの話をするとき楽しそうよ」
「……」
少し嬉しい。
でも言わない。
「そう?」
「ええ。珍しいくらい」
エリーゼが俺を見る。
「だから少し、会ってみたかった」
「俺に?」
「ええ」
「……」
風が髪を揺らす。
「でも」
エリーゼが少し首を傾ける。
「思っていたより普通ね」
「悪かったな!」
また笑う。
俺も笑った。
この時。
俺は知らなかった。
エリーゼ・フォン・ヴァレンシュタイン。
この少女との出会いもまた、レオンハルトとの出会いとは全く違う形で、俺の人生を長く、大きく変えていくことになる。
◇ ◇ ◇
翌朝。
東部平原。
ドン――!
太鼓が鳴る。
ドン――!
もう一度。
「全軍! 前進――!」
声が響く。
ザッ!
槍が一斉に上がる。
ガチャァァァン!
五千の兵が動く。
ザッ。
ザッ。
ザッ。
やがて音が重なる。
ドドドドドドド……。
地面が震える。
アルヴェイン兵は道の両側で警戒している。
その中央。
黒獅子旗。
グランヴァルト軍が国境を越える。
俺は馬上から見る。
「……本当に入ってきた」
「ああ」
アルベルトが隣にいる。
「殿下」
「何だ」
「大丈夫ですよね?」
「知らん」
「知らん!?」
「未来が分かるなら苦労しない」
「……」
未来。
その言葉が胸に引っかかる。
俺は知っている。
日本の歴史なら。
でも、この世界は知らない。
なのに、また似ている。
強国。
異端の王族。
常識を嫌う。
商人を守る。
決断が早い。
身分にこだわらない。
大軍を動かし、敵国へ向かう。
「……レオンハルト」
前を見る。
黒い馬。
男。
その背中。
「まさかな」
頭に一人浮かぶ。
織田信長。
でも違う。
信長は王弟じゃない。
こんな経歴でもない。
性格も、俺が知っている人物像とはかなり違う。
何より。
ここは日本じゃない。
「……違う」
まだ決めるな。
俺は俺自身へ言い聞かせる。
人間を、知っている歴史へ無理やり当てはめるな。
だけど。
黒獅子の旗を見ながら。
胸の奥には昨日までよりずっと大きな違和感が生まれていた。
そして軍列は、さらに西へ進む。
ザッ。
ザッ。
ザッ。
ドドドドド……。
これが、後に大陸の歴史を変えることになる長い戦いの始まりだった。
俺はその先頭近くで、まだ何も知らずに馬を進めていた。
第二篇、最初の一話。
一万五千の軍勢を率いて現れた「黒獅子公」レオンハルト。
アレクはその言動に、まだ確信には至らないものの、前世で知るある人物の面影を感じ始めます。
そしてもう一つ。
アルベルトの姪、エリーゼとの新たな出会い。
戦、外交、人間関係。
アレクを取り巻く世界は、第一篇よりもさらに大きく動き始めました。
黒獅子の軍勢が向かう先で、何が待っているのか。
第二篇の物語は、ここから本格的に動き出します。




