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『知らない世界で、前世の知識が武器になる』 ~剣と銃で乱世を生き抜く転生領主の成り上がり~  作者: 相田 ソウ
第二篇 乱世に蒔く種

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第二話 黒獅子の軍

アルヴェイン領内を西へ進む、レオンハルト率いる黒獅子の軍。

一万五千の外国兵を通すなか、アレクは約束を決めるだけでは防げない問題と向き合います。


 朝靄の残る街道を、黒地に金の獅子を描いた旗が西へ進んでいた。

 その下には、槍を担いだ歩兵が列を作っている。弩兵、騎兵、荷車が後へ続き、さらにその両側をアルヴェインの騎兵が一定の間隔を保ちながら進んでいた。

 先発したグランヴァルト兵は五千人。

 エルデン砦の外に並べられた石柱を越え、一万五千の外国軍のうち、最初の一団がアルヴェイン領内へ入った。

 アレクは馬上から後ろを振り返った。

 先頭が既に遠くまで進んでいるにもかかわらず、軍列の最後尾はまだ国境付近にある。

 歩く兵だけではない。食料や飼葉を積んだ荷車、予備の武具を運ぶ馬車、鍛冶道具を載せた荷車まで続いていた。

 一万五千という数字の大きさは、前日に丘から軍勢を見た時にも感じている。

 しかし、同じ街道を進むようになると、別の重さが見えてきた。

 一人ずつが水を飲み、食事を取り、眠る場所を必要とする。馬にも水と飼葉が要る。車輪が壊れれば荷車は止まり、その後ろを進む兵まで詰まる。

 紙に書けば一万五千という一つの数字だが、実際には一万五千の人間と、それを支える数え切れないほどの物が動いていた。

「まだ最後尾が見えませんね」

 アレクが言うと、隣を進むアルベルトは前を向いたまま答えた。

「先発の五千だけで、これだ」

「残り一万人も通すんですよね」

「今さら何を言っている」

「決めた時より多く感じるんです」

「兵の数は増えていない」

「見え方の問題です」

「なら、よく見ておけ。一万五千を通すと口で言うのは簡単でも、実際に通すにはこれだけの手間が掛かる」

 アルベルトの視線の先では、アルヴェインの騎兵がグランヴァルト軍の先頭を誘導していた。

 軍列が通る道も、休息する場所も、前日の会談で決められている。

 グランヴァルト軍は勝手に脇道へ入れない。兵が村へ近づくことも許されていない。食料と飼葉を買う場合は、アルヴェイン側が指定した場所を使う。

 軍列の前後と側面にいるアルヴェイン兵は、護衛ではない。

 約束が守られているか確かめる監視役だった。

「アレク」

 背後から声を掛けられ、アレクは馬を止めた。

 エルデン砦の門前に、エリーゼが立っていた。

 淡い金色の髪を朝風に揺らし、隣には侍女と護衛の騎士が控えている。

「先に行っていてください」

 アレクが告げると、アルベルトは一度だけ姪へ目を向けた。

「遅れるな」

「はい」

 アルベルトと護衛たちが先へ進み、アレクは馬首を返して門前へ近づいた。

「見送りに来てくれたんですか?」

「叔父が出るのですから、見送るのは当然です」

「俺はついでですか」

「そう聞こえましたか?」

 エリーゼが小さく首を傾げる。

 どのように答えても困らされそうな気がして、アレクは曖昧に笑った。

「エリーゼ様は、ここに残るんですよね」

「ええ。軍が通り過ぎるまでは、この砦から動かない方がよいと言われました。その後は東部の館へ戻ります」

「その方が安全だと思います」

「分かっています。私は兵でも、小姓でもありませんから」

「少し不満そうですね」

「不満ではありません。ただ、皆が忙しくしている時に、自分だけ待っているのは落ち着かないのです」

 アレクにも、その気持ちは少し分かった。

 何かが起きていると分かっているのに、詳しい事情を知らされず、安全な場所にいるよう命じられる。危険を避けられる安心より、何もできない焦りの方が強くなることもある。

「待つことも必要だと、アルベルト様に教えられました」

「叔父が、そのようなことを?」

「昨日、黙って相手の使者を待てと言われました」

「叔父自身は、待つのが苦手です」

「そうなんですか?」

「私には待てと言いますが、自分は待っている間にも別の仕事を始めます」

「それは想像できます」

 エリーゼの口元に笑みが浮かんだ。

「だから、叔父をお願いします」

「止めても聞かないと思いますよ」

「聞かなくても言ってください」

「努力します」

「それから……」

 エリーゼは言葉を切り、先へ進んだアルベルトたちを見た。

「あなたも、無理をしないでください」

「俺もですか?」

「昨日会ったばかりですが、叔父が心配する理由は少し分かりました」

「俺は無理をしていません」

「そう思っている人ほど、周りから見ると危ないのです」

「アルベルト様と同じことを言われていますね」

「叔父よりは素直に聞いてください」

 エリーゼの表情から笑みが消えた。

「必ず戻ってきてください」

 その声は、大公家の令嬢が小姓へ命じるものではなかった。

 同じ年頃の少女が、これから外国軍と共に進む少年を心配している。

 アレクは少しだけ姿勢を正した。

「戻ります。俺たちは戦いに行くわけではありませんから」

「戦わなくても、危険はあるのでしょう?」

「あります」

「では、気をつけて」

「はい」

 短く答え、アレクは馬を西へ向けた。

 少し進んでから振り返ると、エリーゼはまだ砦の門前に立っていた。

 アレクが片手を上げる。

 エリーゼも胸元まで手を上げ、小さく振った。

 それを見届けてから、アレクは馬を走らせた。


 ◇ ◇ ◇


 昼前、街道の幅が狭くなる場所で、最初の遅れが生じた。

 先頭に近い荷車の車輪が道端の柔らかい土へ沈み込み、傾いた荷台から飼葉の束が落ちた。

 御者と兵がすぐに駆け寄り、荷車を道の外へ動かそうとする。しかし、荷は重く、車輪は簡単には抜けない。

 後続の兵が歩みを緩めた。

 前方から旗による合図が送られ、伝令の騎馬が軍列の脇を走っていく。

 それでも、数百人の兵と何十台もの荷車がすぐに止まれるわけではない。

 後ろから来た兵が前の兵へ近づき、槍の穂先が触れそうになる。馬車を引く馬が落ち着きを失い、御者が必死に手綱を引いた。

「右側を空けろ!」

「歩兵は左へ寄れ!」

「後続の荷車を止めろ!」

 指揮官たちの声が飛ぶ。

 アルヴェインの騎兵も、街道脇にいた村人を離れさせた。

 アレクは馬を道の外へ寄せ、荷車が引き出される様子を見守った。

 十数人が綱を掛け、別の馬を繋ぐ。掛け声に合わせて引くと、沈んでいた車輪が泥を跳ね上げながら道へ戻った。

 荷台から落ちた飼葉を積み直し、壊れた車軸がないか確かめる。

 軍列が再び動き始めるまで、四半刻近く掛かった。

「荷車一台で、これだけ止まるんですね」

「道が一本しかないからだ」

 アルベルトが答えた。

「横へ広がれる平原なら、後続を脇へ通せる。狭い街道では前が止まれば後ろも止まる」

「敵がいなくても、軍は動かなくなる」

「雨が降り、道が崩れれば、さらに時間が掛かる」

「それでもレオンハルト殿下は、予定どおり進ませるつもりですか」

「本人に聞け」

 アルベルトの視線の先では、レオンハルトが荷車を引き出した兵と話していた。

 声までは聞こえない。

 だが、壊れた箇所を指差し、後ろから来た補給隊の指揮官へ何かを命じている。

 しばらくすると、荷車の一台から板と縄が下ろされ、道端の柔らかい場所へ敷かれた。後続の車輪が同じ場所へ沈むのを防ぐつもりらしい。

 レオンハルトがこちらへ戻ってくる。

「半刻遅れる」

「四半刻では?」

 アレクが尋ねると、レオンハルトは軍列の後方を見た。

「前が動き始めても、後ろの遅れはすぐには戻らん。次の休息を少し短くする」

「兵は納得しますか?」

「納得させるのが指揮官の役目だ」

「休息を削れば、疲れませんか」

「削りすぎればな。だから半刻すべてを一度に取り戻そうとはしない」

 次の休息を少し短くし、その次の行軍をわずかに延ばす。宿営地への到着が遅くなりすぎない範囲で、失った時間を分けて取り戻すという。

「一度遅れただけで、後の予定まで全部変わるんですね」

「五千人が動いている。先頭だけ早く歩かせても意味はない」

 レオンハルトはそう答え、アレクを見た。

「お前ならどうする」

「俺ですか?」

「昨日は一万五千を三つに分けろと言っただろう。今日は荷車が一台止まった。次は何を言う」

 試されている。

 アレクは街道と、周囲に広がる畑を見た。

 道幅を広げることはすぐにはできない。荷車を減らせば、一台当たりの荷が増えるか、運べる物が減る。

「予備の縄や板を、もう少し前の荷車にも積みます」

「理由は」

「今は後ろの補給隊から持ってきました。前の方にあれば、取りに戻る時間を減らせます」

「それだけか」

「車輪が沈みそうな場所を、先に進む兵に探させます。見つけたら印を置くか、板を敷く。壊れてから直すより早いです」

 レオンハルトがわずかに笑った。

「アルベルト」

「何だ」

「お前の小姓を一日借りるぞ」

「断る」

「まだ何もさせていない」

「だから断る」

「本人に聞けばよい」

 二人の視線がアレクへ向いた。

「俺はアルベルト様の小姓です」

「聞いたか」

 アルベルトが満足そうに言った。

「だが、案は使う」

 レオンハルトは近くの伝令を呼び、軍列の先へ送った。

「俺の案だけ持っていきましたね」

「考えたことは、使われて初めて意味がある」

「俺を借りる必要はなかったのでは?」

「お前がどこまでついてくるか確かめただけだ」

「人を試さないでください」

「アルベルトも同じことをしているだろう」

「同じ人が二人に増えると困るんです」

 アレクが答えると、レオンハルトは声を上げて笑った。

 隣のアルベルトは、迷惑そうに眉を寄せていた。


 ◇ ◇ ◇


 問題が起きたのは、その日の午後だった。

 先発部隊は街道沿いに設けられた休息地で足を止めた。

 広い牧草地の一部を借り、兵が部隊ごとに腰を下ろす。軍馬は街道から離れた場所へ集められ、荷駄隊から水と食料が配られていた。

 アルヴェイン側が用意した水樽も並べられている。

 だが、すべての部隊へ同時に水が届くわけではない。

 先ほど荷車が止まった影響で、給水用の樽を積んだ馬車の到着も遅れていた。

 アレクはゲオルクと共に、休息地の外周を見回っていた。

「村に近づく兵がいないか、よく見ろ」

「はい」

「軍列から離れた者を見つけても、一人で捕らえようとするな。まず近くの兵へ知らせろ」

「俺も剣を持っています」

「五千人の中で剣を一本持っていることに、どれほどの意味がある」

「少しくらいは役に立ちます」

「役に立つことと、勝手に動いてよいことは別だ」

「分かっています」

「本当か?」

「たぶん」

「その返事を聞いて安心できると思うか」

 ゲオルクが呆れたように言った直後、街道の先から怒鳴り声が聞こえた。

 二人は同時に顔を向けた。

 休息地から少し離れた小さな村。その入口近くにある井戸の周囲へ、数人の村人が集まっている。

 その前には、グランヴァルト兵が三人いた。

「行くぞ」

 ゲオルクが馬を走らせる。

 アレクも続いた。

 近づくにつれ、言い争う声がはっきり聞こえてくる。

「水くらい使わせろ!」

「軍の兵を村へ入れるなと言われている!」

「こっちは朝から歩いているんだぞ!」

「俺たちに言われても知らん! 水なら軍が用意しているだろう!」

「その水が来ていないから、ここまで来たんだ!」

 兵の一人が井戸へ近づこうとし、村人が前へ立つ。

「退け」

「駄目だ」

「退けと言っている!」

 兵が村人の胸元を掴んだ。

 周囲にいた村人たちが農具を握る。鋤や木の棒で武装したところで、鎧を身につけた兵には敵わない。

 それでも、家族が使う井戸を守るために退こうとはしなかった。

「手を離してください!」

 アレクが馬上から叫んだ。

 三人の兵が振り返る。

「何だ、お前は」

「アルヴェイン大公付きの小姓、アレク・ハルトマンです。村への立ち入りは禁止されています。すぐに街道へ戻ってください」

「小姓だと?」

 村人を掴んでいる兵が、アレクの若さを見て鼻で笑った。

「子供に命令される覚えはない」

「俺の年齢は関係ありません。これはアルベルト様とレオンハルト殿下が決めた条件です」

「水を飲むなという条件か」

「指定された場所で受け取ってください」

「来ないから、ここにいると言っている!」

 男が村人を突き放した。

 倒れかけた村人を、後ろにいた者が支える。

 それを見た周囲の村人が一斉に声を上げた。

 別のグランヴァルト兵が剣の柄へ手を置く。

 アレクは腰の剣へ手を伸ばさなかった。

 ここで自分まで剣を抜けば、後から見た者にはどちらが先に抜いたのか分からなくなる。

「剣から手を離してください」

「黙れ」

「抜けば、ただの命令違反では済みません」

「脅すのか」

「起きることを言っています」

 兵の指が柄へ掛かったまま動かない。

 街道の向こうには、休息中のグランヴァルト兵が何千人もいる。こちらへ向かってくるアルヴェイン兵の姿も見えた。

 どちらか一人が剣を抜けば、その瞬間だけを見た兵が仲間を守るために武器を構える。

 その次に来た者も、事情を知らないまま味方へ加わる。

 井戸一つを巡る争いが、両軍の衝突へ変わる可能性があった。

「手を離せ」

 低い声が響いた。

 いつの間にか追いついていたアルベルトが、馬上から三人を見下ろしている。

 その後ろでは、ゲオルクと十数人のアルヴェイン兵が槍を構えていた。

「ここはアルヴェインだ。剣を抜けば、敵対行為と見なす」

 三人の顔から血の気が引いた。

 剣へ手を掛けていた兵が、ゆっくり指を離す。

 だが、緊張は解けなかった。

 グランヴァルト軍の方角からも騎馬が近づいている。

「何をしている!」

 部隊長らしい騎士が馬から飛び降りた。

 三人の兵を見た後、井戸と村人たちへ視線を移す。

「村へ入るなと命じたはずだ」

「水が届かなかったのです」

「命令を破ってよい理由になると思うか」

「しかし、我々は朝から――」

「命じたはずだ」

 騎士の声が鋭くなる。

 兵は口を閉じた。

 騎士はアルベルトへ向き直り、頭を下げた。

「申し訳ございません。三人は連れ戻し、軍規に従って処分いたします」

「こちらへ引き渡せ」

 アルベルトが告げると、騎士が顔を上げた。

「我が軍の兵です」

「我が領内で、我が民へ手を上げた」

「負傷はしておりません」

「負傷しなければ許されるという条件だったか?」

「……いいえ」

「領内で略奪、暴力、放火を行った者は、身分に関係なくアルヴェイン側へ引き渡す。レオンハルトとそう決めた」

 騎士はすぐには答えなかった。

 自軍の兵を外国へ引き渡す。

 指揮官にとって、簡単に受け入れられることではない。

 だが、この条件を認めなければ、グランヴァルト軍一万五千はアルヴェインを通過できなかった。

「確認の使者を出すことをお許しください」

「よい。ただし、三人はここから動かすな」

「承知しました」

 騎士が部下へ命じ、三人の武器を預からせる。

 使者が馬を走らせてから、返事が届くまでに大した時間は掛からなかった。

 戻ってきた使者は、騎士の前で馬を下りた。

「レオンハルト殿下より、約定どおり三名をアルヴェイン側へ引き渡せとのご命令です」

 騎士は一度だけ目を閉じた。

「分かった」

 三人の兵がアルヴェイン側へ渡される。

 縄を掛けられた兵の一人が不満そうな顔を見せたが、騎士に睨まれると何も言わなかった。

「この者たちは、どうなるのですか?」

 アレクがゲオルクへ尋ねた。

「事情を調べる。命令違反だけでなく、村人を脅し、手を上げたことについても裁きを受ける」

「死罪にはなりませんよね」

「誰も死んでおらず、物も奪っていない。だが、何もなかったことにもできん」

 ゲオルクは胸元を掴まれた村人へ近づいた。

「怪我は」

「ありません。服が少し破れただけです」

「後で役人に詳しく話してくれ。畑仕事を止めた時間と、破れた服についても記録する」

「服までですか?」

「弁償させる」

 村人は戸惑いながら頷いた。

 アレクは井戸の周囲を見た。

 水が欲しかった兵。

 村への立ち入りを止めた住民。

 どちらも、最初から争うためにここへ来たわけではない。

 給水が予定どおり届いていれば、三人は村へ入らなかったかもしれない。

 それでも、命令を破って人へ手を上げた責任は消えない。

 一つの失敗が次の失敗を呼び、あと少しで武器が抜かれるところまで進んだ。

「これが、一万五千を国へ入れるということだ」

 アルベルトがアレクへ言った。

「一人が命令を破れば、戦になるかもしれない」

「ああ」

「約束を決めただけでは足りないんですね」

「守らせなければ、何も決めていないのと同じだ」

 アルベルトは井戸から街道へ目を向けた。

「戻るぞ。レオンハルトにも話を聞く」

「はい」

 アレクは馬へ乗る前に、村人たちへ頭を下げた。

「怖い思いをさせて、申し訳ありませんでした」

「あなたが謝ることでは」

「領内を通すと決めた側の一人です」

 決定したのはアルベルトであり、アレクに軍を通す権限はない。

 それでも、五千ずつに分けることや、通行路を決めることを提案したのは自分だった。

 村人から見れば、誰がどの条件を考えたかなど関係ない。

 外国兵が村の井戸まで来たという事実だけが残る。

 アレクは、破れた服を押さえる村人の姿を目に焼きつけてから、馬へ乗った。


 ◇ ◇ ◇


 レオンハルトは、休息地の中央で報告を待っていた。

 アルベルトから経緯を聞いても、三人を引き渡したことへ異議を唱えなかった。

「村へ入った三人だけでなく、給水を遅らせた部隊についても調べる」

「庇わないのか」

 アルベルトが尋ねる。

「何を庇う。命令を破ったのは事実だ」

「兵は水が届かなかったと言っていた」

「だから給水を遅らせた理由も調べる。だが、水が遅れたことと村人へ手を上げたことは別だ」

 レオンハルトは近くにいた補給隊の指揮官を呼んだ。

「残っている水樽の数は」

「二十三です。空になったものは、指定された場所で補充しております」

「次の休息地までに必要な量は」

「不足はありません。ただし、後発部隊へ回す分を含めますと、補充を急がせる必要があります」

「給水用の荷車を軍列の中央だけに置くな。前後へ分けろ。一台が止まっても、別の荷車から運べるようにしろ」

「承知しました」

「次の休息地へ、空樽を先に送れ。アルヴェイン側が認めた井戸で補充し、兵が到着する前に並べておけ」

「はっ」

 指揮官が離れると、レオンハルトはアレクを見た。

「何か言いたそうだな」

「村人へ、グランヴァルト軍から説明した方がいいと思います」

「謝罪か」

「それもです。兵を引き渡しただけでは、村人にはその後が分かりません」

「続けろ」

「破れた服や仕事を止めた分を弁償すると、ゲオルク様は伝えていました。誰が、いつ支払うかまで決めた方がいいです」

「アルヴェイン側が支払い、後で私へ請求すればよい」

 アルベルトが言うと、レオンハルトは首を振った。

「私の兵が起こしたことだ。こちらから支払う」

「お前の商隊を襲った者を討つための軍だろう」

「ああ」

「その軍が、通過する村で問題を起こした」

 レオンハルトの目が細くなる。

「商人を襲った者を討つための軍が、道中の村から物を奪えば、何のために西へ向かうのか分からなくなる」

 水は奪われていない。

 井戸も壊されていない。

 だが、それはアルヴェイン兵が間に合ったからだ。

「村へは、私の名で謝罪する。破れた服と仕事を止めた分も払う。今後、同じことを起こした者は、アルヴェインへ引き渡す前に自軍の名誉まで傷つけたと理解させろ」

「兵全員に伝えるのですか?」

「各部隊の指揮官を集める。指揮官から兵へ伝えさせる」

「一万五千人へ命令を行き渡らせるのも大変ですね」

「そのために軍を分け、指揮官を置いている」

 レオンハルトは近くに控えていた書記へ命令を伝えた。

 休息時間は、予定より長くなる。

 だが、遅れを恐れて問題を曖昧にすれば、次の村でさらに大きな衝突が起きるかもしれない。

「アレク」

 アルベルトが呼ぶ。

「はい」

「同じことを起こさないために、こちらができることは」

「こちらも、ですか?」

「グランヴァルト兵が命令を守るかどうかは、レオンハルトの責任だ。だが、我々にも通行を認めた責任がある」

 アレクは休息地の周囲を見回した。

 兵は予定より長く足を止めている。

 次の宿営地までには、街道沿いに三つの村があったはずだ。

「軍が来る前に、村へ通過時刻を知らせます」

「知らせて、どうする」

「村人が街道へ出ないようにする。家畜も遠ざけてもらいます。それから、指定された休息地には水樽を先に運びます」

「誰が運ぶ」

「グランヴァルト軍の給水隊と、近くの村から雇った人です。井戸の水を使うなら、汲む人にも代金を払います」

 レオンハルトが口を挟む。

「村人を軍の中へ入れるつもりか」

「兵が到着する前に運び終えます。難しい場所では、アルヴェイン兵が間に入ります」

「食料と飼葉は」

「売る場所を一つに決めます。兵が直接家へ行かなくていいように、村長や商人に集めてもらいます」

「値段でもめるぞ」

「先に決めます」

「誰が決める」

「アルヴェイン側の役人と、グランヴァルト側の補給担当です。量と値段を書き残して、受け取った側と渡した側の両方に札を残します」

「字を読めない者もいる」

「同じ印を二つの木札に刻みます。一つを村へ、一つを補給担当へ渡す。あとで帳簿と合わせれば、どこで何を買ったか確かめられます」

 前世の領収書のようにはいかない。

 紙は高価であり、村人の全員が文字を読めるわけでもない。

 それでも、同じ印を付けた木札なら、受け取った品と支払いを結びつけられる。

「考えるのは早いな」

 レオンハルトが言った。

「使えるかどうかは、やってみないと分かりません」

「なら、やれ」

 アルベルトが即座に命じた。

「俺がですか?」

「考えた者が、実際に使えるか確かめろ」

「小姓の仕事ですか?」

「今日からそうなった」

「昨日も同じようなことを言いませんでしたか?」

「便利な言葉だからな」

 アルベルトはゲオルクへ向き直った。

「騎兵二十を連れ、軍列より先へ出ろ。アレクも連れていけ。街道沿いの村へ通過時刻を知らせ、井戸と家畜を守る準備をさせろ」

「承知しました」

「やっぱり俺も行くんですね」

「エルデン砦へ戻りたいなら、今すぐ走れ」

「戻る前に捕まえますよね?」

「当然だ」

 アレクは諦めて馬へ向かった。

 歩き出したところで、レオンハルトから声を掛けられる。

「アレク」

「何ですか?」

「札の案は、こちらの補給担当にも教えておけ」

「使うんですか?」

「役に立つものならな」

「失敗したら?」

「直せ」

 簡単に言われ、アレクは溜息をついた。

 だが、何もせずに次の衝突を待つよりはよい。

 井戸の前で剣へ手を掛けた兵の姿を思い出す。

 次も止められるとは限らなかった。


 ◇ ◇ ◇


 アレクたちは軍列より先へ進み、街道沿いの村を一つずつ回った。

「グランヴァルト軍の先発部隊が、日が傾く前に通過します。村人は街道へ出ないでください」

 ゲオルクが村長へ伝える。

「兵が村へ入ることはありますか?」

「禁止している。もし勝手に入った者がいれば、自分たちで追い払おうとせず、街道にいるアルヴェイン兵へ知らせろ」

「畑は」

「街道から離れている畑は普段どおりでよい。ただし、子供を軍列へ近づけるな」

「分かりました」

 アレクは村の井戸と広場を確認した。

 軍へ売る予定の食料は、広場の端へ集められている。黒パン、干した豆、玉葱、塩漬け肉。家ごとに少量ずつ持ち寄った物だった。

「飼葉はどれくらいありますか?」

「荷車で六台分ほどです」

「全部売っても、村の馬と牛の分は残りますか?」

「それは……」

 村長の返事が止まる。

 高く売れるからと飼葉をすべて手放せば、軍が去った後に村の家畜が困る。

「村で使う分を先に残してください。売るのは余った分だけです」

「ですが、役人からはできるだけ集めるようにと」

 ゲオルクが眉を寄せた。

「誰から言われた」

「昨日来た文官です」

「名は」

 村長が答えると、ゲオルクは従者に書き留めさせた。

「あとで確認する。軍へ売るために村の暮らしを壊してはならん」

 別の場所では、水を運ぶ人手を募った。

 井戸から樽へ水を入れ、軍が休む予定の草地まで荷車で運ぶ。働いた者には、グランヴァルト側から銅貨を支払わせる。

 アレクが考えた二枚の木札は、村の木工職人に作らせた。

 一枚の板を割り、割れ目が合う二つの札にする。両方へ同じ印を刻み、片方を村長、もう片方をグランヴァルト軍の補給担当へ渡す。

「これなら、別の札とは合いません」

 アレクが割れ目を重ねて見せると、ゲオルクが頷いた。

「細かな数は帳簿へ書き、支払いの確認に札を使うか」

「はい。村長が文字を読めなくても、同じ形かどうかは分かります」

「一度でうまくいくと思うな。札をなくす者もいれば、数をごまかす者も出る」

「分かっています」

「ならよい」

 次の村へ向かう頃には、日が西へ傾き始めていた。

 アレクは馬上で硬いパンをかじった。

 昼食を取る暇がなく、ゲオルクから渡されたものだった。

「これが働きながら食べるということですか」

「食べられるだけありがたいと思え」

「アルベルト様と似たことを言いますね」

「長く仕えているからな」

「俺も、いずれ似るんでしょうか」

「既に似ているところはある」

「どこがです?」

「仕事を増やすところだ」

「俺は増やされている側ですよ」

「お前が札など考えなければ、村を回る仕事も増えなかった」

「問題が起きたから考えたんです」

「殿下も同じことを言う」

 アレクは言い返そうとして、やめた。

 自分から仕事を増やしているつもりはない。

 ただ、問題に気づけば、どうすればよいか考えてしまう。

 その結果、実際に確かめろと命じられ、別の仕事が増えている。

 アルベルトが楽しそうに仕事を押しつける理由が、少し分かった気がした。

 先回りした村々では、大きな問題は起きなかった。

 軍列が到着する前に子供と家畜は街道から離され、水樽も休息地へ並べられた。

 兵は部隊ごとに水を受け取り、指定された広場で食料を買った。

 村人と兵が直接値段を言い争うこともない。

 もちろん、すべてが滞りなく進んだわけではなかった。

 水を汲む桶が足りず、予定より時間が掛かった村がある。

 集めた飼葉の量と帳簿の数字が合わない場所もあった。

 木札を受け取った村長が、何のための札か分からなくなり、家へ持ち帰ろうとしたこともある。

 そのたびに、アレクとゲオルクは説明し、役人へ記録を直させた。

 小さな問題ばかりだった。

 だが、その小さな問題を放置しなかったことで、井戸の前で起きたような衝突は繰り返されなかった。

 夜、最初の宿営地へ戻ると、グランヴァルト軍の天幕が草地を埋めていた。

 軍列の中央では、黒地に金の獅子の旗が夜風に揺れている。

 その周囲に無数の焚き火が灯り、鍋から湯気が上がっていた。

 アレクは焚き火の数を見ながら馬を下りた。

「一日だけで疲れました」

「あと二つの部隊が残っている」

 アルベルトが言う。

「聞きたくありませんでした」

「明日は中軍が東部国境へ入る。先発はさらに西へ進む」

「俺たちは?」

「先発と共に進む。後ろの監視は別の部隊へ任せる」

「レオンハルト殿下も一緒ですよね」

「私の目が届く場所に置くという条件だからな」

 少し離れた場所では、レオンハルトが各部隊の報告を聞いていた。

 井戸で問題を起こした三人の所属、給水が遅れた理由、翌日の水と食料、故障した荷車の状態。一つずつ確認し、必要な命令を出している。

「敵ではないから、剣を向けない」

 アルベルトが不意に言った。

「味方ではないから、背中を預けない、ですよね」

「覚えていたか」

「昨日聞いたばかりです」

「今日、その意味が分かっただろう」

 アレクは頷いた。

 グランヴァルトの兵は、アルヴェインを攻めに来たわけではない。

 それでも、命令を破った三人が村へ入っただけで、両軍が武器を構えかけた。

「通行を許しただけでも、外から見れば味方になったように見えますか?」

「見えるだろうな」

「実際は、こんなに警戒しているのに」

「外にいる者から、我々が何を考えているかは見えん。見えるのは、グランヴァルト軍がアルヴェイン領内を通ったという事実だけだ」

「その誤解を利用する人もいますよね」

「当然だ」

 アルベルトは西へ目を向けた。

「だから、自分が何をしたかだけでなく、相手からどう見えるかを考えろ」

 黒獅子の軍を通したことが、ベルン伯爵や周辺の領主にどのように見えるのか。

 アレクにはまだ分からなかった。

 ただ、この一万五千がアルヴェインを横断したという噂は、軍列よりも速く周辺へ広がるはずだった。


 ◇ ◇ ◇


 三日後、グランヴァルト軍の先頭はアルヴェイン西部国境へ到着した。

 街道脇に、両国の境を示す石柱が並んでいる。

 川も城壁もない。

 だが、その石柱を越えればグランヴァルト王国西部であり、シュヴァルツ伯領へ続く道へ入る。

 先発五千が国境を越えた後も、アルベルトはその場を離れなかった。

 中軍が到着し、同じように石柱の間を抜ける。

 最後に後発部隊と荷駄隊が近づいてきた。

 何台もの荷車を見送りながら、アレクは長く息を吐いた。

「ようやく終わりますね」

「最後の一兵が出るまでは終わっていない」

「分かっています」

「なら、気を抜くな」

 後発部隊の歩兵が石柱を越え、続いて騎兵が進む。

 最後尾には、故障した荷車や行軍中に疲れた兵を集めた一団がいた。

 アルヴェイン兵が人数と荷車を確認する。

 やがて最後の荷車が国境を越えた。

「報告します!」

 確認を終えた騎士が馬を走らせてくる。

「グランヴァルト軍一万五千、全軍がアルヴェイン領から退出しました!」

「途中で残った者は」

「負傷者を含め、一人もおりません」

「よし」

 アルベルトの肩から、わずかに力が抜けた。

 表情は変わらない。

 それでも、数日間ずっと近くにいたアレクには、緊張が解けたことが分かった。

「安心したんですね」

「当然だ」

「最初から通すと決めていたように見えました」

「通すことと、信用することは別だ」

「レオンハルト殿下は、約束を守りました」

「ああ。だから次に話す時は、今回のことを考慮する」

「味方になりますか?」

「話を飛ばすな」

 アルベルトに額を軽く叩かれ、アレクは頭を押さえた。

 国境の向こうでは、レオンハルトが黒馬を止めて待っていた。

 アルベルトが石柱の手前まで進む。

 二人は国境を挟んで向かい合った。

「世話になったな」

 レオンハルトが言った。

「二度と一万五千も連れてくるな」

「次は二万かもしれん」

「通さん」

「その時に考えればよい」

「今決めた。通さん」

 レオンハルトは笑い、アレクへ視線を向けた。

「アレク」

「はい」

「まだ私と来る気はないか」

「ありません」

「答えが早いな」

「俺はアルベルト様の小姓です。勝手についていくことはできません」

「許可があれば来るのか」

「そういう意味ではありません」

「では、どういう意味だ」

「俺がいる場所は、ここです」

 今のアレクが仕えているのはアルベルトだった。

 レオンハルトの戦い方には興味がある。

 一万五千を率いる男が、シュヴァルツ伯を相手にどのような戦をするのか見てみたいという気持ちもあった。

 しかし、興味があるからといって、自分が仕える者と国を置いていく理由にはならない。

 レオンハルトはしばらくアレクを見た後、満足そうに頷いた。

「自分がどこに立つ者なのか分かっているなら、それでよい」

「試したんですか?」

「半分だ」

「アルベルト様と同じ言い方をしないでください」

「便利な言葉だな」

「真似をするな」

 アルベルトが不機嫌そうに言った。

 レオンハルトはそれを聞いて、さらに笑った。

「アレク。次に会う時まで生きていろ」

「レオンハルト殿下も」

「私は死なん」

「なぜ言い切れるんです?」

「死ぬつもりがないからだ」

「敵も同じことを考えていると思います」

「なら、どちらの考えが正しいか戦場で決める」

 レオンハルトは黒馬の手綱を引いた。

 周囲に響く声で命令を下す。

「全軍、前進!」

 角笛が鳴った。

 黒地に金の獅子の旗が上がり、止まっていた軍列が再び動き始める。

 レオンハルトはもう振り返らなかった。

 先ほどまでアルベルトやアレクと話していた男ではなく、一万五千を率いる将として、軍の先頭へ戻っていく。

 黒い軍列が西へ伸びる。

 これから先は、レオンハルトとシュヴァルツ伯の戦場だった。

 アルヴェイン兵は国境を越えない。

 アレクたちの役目は、黒獅子の軍を勝たせることではなく、自国領を問題なく通過させることだった。

「帰るぞ」

 アルベルトが馬首を返した。

「アルヴェインブルクへですか?」

「その前に、近くの砦で一晩休む。明朝、ヴァイスブルクへ向かう」

「西を確認するんですか」

「ああ。レオンハルトがシュヴァルツ伯領へ入れば、ベルン伯爵も何か動く」

 アレクは遠ざかる黒獅子の旗を見た。

 レオンハルトの戦は、アルヴェインの戦ではない。

 だが、その結果がアルヴェインへ影響しないわけではなかった。


 ◇ ◇ ◇


 その夜、アレクたちは西部国境に近い砦へ入った。

 久しぶりに、周囲にグランヴァルト兵のいない夜だった。

 数日前までなら普通だった静けさが、妙に落ち着かない。

 アレクは城壁の上から西を見た。

 黒獅子の軍は、既に遠くまで進んでいる。焚き火の光も、旗も見えない。

 あれほど長かった軍列が消えると、初めから何もいなかったようだった。

「気になるか」

 後ろから声がした。

 振り返ると、アルベルトが階段を上がってくる。

「少しだけ」

「行きたかったのか」

「戦に参加したくはありません。でも、レオンハルト殿下がどんな戦い方をするのかは見てみたかったです」

「同じことだと言われるぞ」

「違います。知りたいことと、巻き込まれたいことは別です」

「お前の場合、知ろうとして自分から巻き込まれる」

 エリーゼにも似たことを言われた。

 アレクは反論せず、西へ向き直った。

「レオンハルト殿下は、強いんですよね」

「ああ」

「シュヴァルツ伯に勝ちますか」

「分からん」

「アルベルト様でも?」

「兵数も地形も、シュヴァルツ伯がどのように備えているかも分からん。それで勝敗を断言する方がおかしい」

「そうですよね」

「ただ、レオンハルトは勝つために一万五千を動かした。遊びに行ったわけではない」

 その時、遠くから馬の蹄が聞こえた。

 一騎だけではない。

 二騎の馬が、夜の街道を砦へ向かって走ってくる。

「門を開けろ!」

 城壁の下で兵が叫んだ。

「ヴァイスブルクより急報!」

 アルベルトの表情が変わった。

 二人はすぐに階段を下りた。

 門を抜けた騎兵は泥と汗にまみれていた。馬から下りると、その場で片膝をつく。

「報告します。ベルン伯爵軍が西部国境付近へ集結しております」

「数は」

「現在確認できているだけで約四千。周辺からさらに兵が集まっています」

「国境を越えたか」

「まだ越えておりません」

「攻城兵器は」

「確認されておりません。国境の西側で陣地を築いているとのことです」

「陣地?」

 アレクが思わず聞き返す。

 アルヴェインへ攻め込む軍が、国境を越えずに防御陣地を作っている。

 すぐにヴァイスブルクを攻めるつもりなら、奇妙な動きだった。

「ヴァイス男爵は」

「守備兵を城内へ集め、周辺の村へ避難の準備を命じております。アルベルト様のご指示を仰ぎたいとのことです」

 アルベルトは迷わなかった。

「夜明けと共に出る。グランヴァルト軍の監視に同行した兵のうち、すぐ動ける者を集めろ」

「約千二百です」

 ゲオルクが答えた。

「その全員を連れていく。残りは予定どおり各地へ戻せ。東部へも、グランヴァルト軍が領外へ出たことを知らせろ」

「承知しました」

「兵には今夜のうちに食事を取らせ、馬を休ませろ。出発前に二日分の食料を配る」

 命令を受けた者たちが一斉に動き始める。

 静かだった砦が、瞬く間に慌ただしくなった。

 アレクは西の地図を覗き込んだ。

 シュヴァルツ伯領へ向かったレオンハルト。

 そのシュヴァルツ伯と休戦を探っていたベルン伯爵。

 黒獅子の軍が動けば、ベルン伯爵も動く。

 レオンハルトが話していたとおりだった。

「アルベルト様」

「何だ」

「ベルン伯爵は、ヴァイスブルクを攻めるつもりでしょうか」

「まだ分からん」

「でも、四千も集めています」

「兵を集めたことと、攻めることは同じではない」

 アルベルトは地図上の国境へ指を置いた。

「だから、自分の目で確かめる」

「俺も行くんですよね」

「聞く必要があるか?」

「ありません」

「分かってきたではないか」

 アレクは小さく息を吐いた。

 一万五千の外国軍を領外へ送り出し、ようやく役目が終わったと思った。

 だが、西から届いた知らせは、休む時間を与えてくれなかった。

 黒獅子の軍を国外へ送り出した直後、今度はベルン伯爵の四千が国境へ現れた。

 攻めてくるのか。

 別の狙いがあるのか。

 答えは、まだ分からない。

 ただ一つ確かなのは、アルヴェインの兵を西へ向かわせるだけの力を、動かない四千人が既に持っているということだった。


第二話を読んでいただき、ありがとうございました。

井戸を巡る小さな争いは、大軍の通行が一歩間違えば両軍の衝突へ変わる危うさを示しました。

黒獅子の軍を無事に送り出した直後、今度はベルン伯爵軍が西部国境へ集結します。次回、戦わずにアルヴェイン軍を動かす「動かない敵」の狙いを探ります。


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