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『知らない世界で、前世の知識が武器になる』 ~剣と銃で乱世を生き抜く転生領主の成り上がり~  作者: 相田 ソウ
第二篇 乱世に蒔く種

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第一話 東より来たる

東部国境へ迫る、レオンハルト率いる一万五千のグランヴァルト軍。

侵攻の目的も分からないまま、アルベルトとアレクはその軍勢を迎えるためエルデン砦へ向かいます。


 夜明けを告げる鐘が鳴るより早く、アルヴェインブルクの城内は動き始めていた。

 兵舎から武装した兵が出て、東門と城壁へ向かう。倉庫では矢束や干し肉、小麦を詰めた袋が荷車へ積み込まれ、馬小屋からは次々と軍馬が引き出されていた。

 東部国境から届いた急報によれば、グランヴァルト王国内に一万二千を超える軍勢が集まっている。

 その報告が届いたのは昨夜だった。

 だが、夜が明ける前に届いた二通目の書状には、既に異なる数字が記されていた。

「一万五千……」

 城壁の上から慌ただしく動く兵たちを見下ろしながら、アレクは小さく呟いた。

 一晩で三千人も増えている。

 もちろん、本当に一晩で三千人が集まったわけではない。最初の斥候が把握できていなかった部隊が、続けて野営地へ到着したのだろう。

 それでも、一万五千という数字は重かった。

 ヴァイスブルクで見た軍勢よりも、はるかに多い。

 一万五千人の兵だけではない。軍馬、荷車、御者、馬丁、鍛冶職人、従者まで含めれば、実際に動いている人間の数はさらに増える。

 兵たちが一日食べる穀物だけでも、どれほどの量になるのか。

 前世で歴史を読んでいた時は、一万や二万という数字を何度も目にした。だが、紙に書かれた数字と、実際に食べ、眠り、歩く人間の集団はまるで違う。

「アレク」

 下からゲオルクの声が届いた。

「アルベルト様がお呼びだ。軍議を始める」

「すぐ行きます」

 アレクは東の空から目を離し、城壁の階段へ向かった。

 急いで下りながら、昨夜アルベルトから命じられた言葉を思い出す。

 眠れなくても横になれ。

 そう言った本人も、ほとんど眠っていないはずだ。

 執務室へ入ると、既に十人以上が集まっていた。

 アルベルトとゲオルクのほか、軍務官、財務官、東部の地理に詳しい騎士や文官たちが、長机を囲んでいる。

 机の中央には、アルヴェイン大公国の東部からグランヴァルト王国西部までを描いた地図が広げられていた。

「来たか」

「はい」

「そこへ座れ」

 アルベルトが、自分の斜め後ろに用意された椅子を示した。

 普段の軍議であれば、小姓のアレクは壁際に控える。意見を求められた時だけ口を開き、必要な書類や地図を渡すのが役目だった。

 今日は最初から座らせるつもりらしい。

「俺もですか?」

「途中で余計なことを言うなら、最初から話を聞かせておいた方がましだ」

「余計なことを言う前提なんですね」

「言わない自信があるのか」

「ありません」

「なら座れ」

 アレクが椅子へ腰を下ろすと、ゲオルクが地図の東側へ駒を置いた。

「新たな報告です。グランヴァルト軍は、現在までに確認できただけで約一万五千。歩兵がおよそ一万、騎兵が二千、弩兵とその他の兵が三千ほどです」

「さらに増える可能性は」

 アルベルトが尋ねた。

「ございます。東から複数の軍列が向かっているとの報告があります。ただし、すべてがレオンハルト軍へ合流するとは限りません」

「攻城兵器は」

「大型の投石機や破城槌は、今のところ確認されておりません。攻城用の梯子を積んでいる可能性はありますが、斥候が見た荷車の多くは食料や武具、天幕を運んでいたそうです」

 軍務官が地図上の街道を指でなぞった。

「このまま西へ進めば、二日ほどで国境へ到着します」

「こちらが急ぎ集められる兵は」

「大公都と周辺領地から六千ほどです。一週間あれば九千。二週間あれば、各地の守備を残して一万二千前後を集められます」

「二週間も待ってくれる相手ではないな」

「はい」

 グランヴァルト軍が本気でアルヴェインへ侵攻するなら、こちらの動員が完了する前に東部の城を包囲できる。

 数だけを見れば、状況は明らかに不利だった。

「東部にある城と砦は」

 アルベルトが尋ねる。

「エルデン砦に八百。ほかの二城を合わせて約千五百です」

「城壁と兵糧は」

「昨夜の命令を受け、確認を始めております。エルデン砦は半年ほどの籠城に耐えられますが、周辺から避難民が入れば短くなります」

「井戸は」

「二本ございます。どちらも使用可能です」

「一万五千に包囲された場合は?」

「援軍なしでは長く持ちません」

 軍務官の答えに、部屋が静まった。

 アルベルトはグランヴァルト軍を示す駒を見つめた。

「アレク」

「はい」

「お前はどう見る」

「また俺ですか?」

「昨日、攻城兵器がないことを気にしていただろう」

「今も気になります」

「理由は」

 アレクは地図へ目を落とした。

 グランヴァルト領からアルヴェインブルクへ至るまでには、国境の砦を含めて三つの防衛拠点がある。

 一万五千の兵がいれば、梯子を掛けて力ずくで攻めることはできるかもしれない。しかし、それでは相応の損害が出る。

「アルヴェインを攻めることだけが目的なら、最初から投石機や破城槌を用意すると思います」

「後から運ばせる可能性はある」

 騎士の一人が言った。

「はい。だから、攻めてこないとは言えません」

「では、何が言いたい」

「侵攻だと決めつけるのも危険だということです」

 アレクは自分の考えを整理しながら続けた。

「軍を見せてこちらを脅す。国境近くで軍事演習をする。グランヴァルト国内の誰かへ、レオンハルト殿下が一万五千を集められると示す。ほかにも目的があるかもしれません」

「ほかとは」

「アルヴェインを通って、別の場所へ向かう、とか」

 ゲオルクが首を振った。

「この位置から北へ進めば山岳地帯へ入る。南へ向かうにも遠回りだ。西へ進む限り、アルヴェインを意識していることは間違いない」

「では、俺の考えは外れですか」

「通過するだけなら、先に使者を送るのが普通だ」

 ゲオルクはそう答えた後、地図の東側へ視線を戻した。

「だが、レオンハルト殿下が普通の手順を守る方なら、これほど警戒する必要もない」

「それは、どういう方なんです?」

 昨夜の急報で名前を聞いてから、アレクはレオンハルトについて考え続けていた。

 グランヴァルトの第一王弟。

 自分を支持する諸侯の兵を集め、国王の命令とは別に大軍を動かすこともできる人物。

「軍を率いれば強い」

 アルベルトが答えた。

「政治でも、自分に必要な者を選ぶのが早い。生まれや身分より、役に立つかどうかを見る」

「随分高く評価しているんですね」

「高く評価していることと、会いたいと思うことは別だ」

「仲が悪いんですか?」

「向こうは友人だと言っている」

「では、友人では?」

「私は認めていない」

「それは仲が悪いのではなく、アルベルト様が一方的に嫌っているだけでは」

「お前はどちらの味方だ」

「まだ会ったこともない人の味方はしません」

「なら余計なことを言うな」

 アルベルトが不機嫌そうに答えると、張り詰めていた部屋の空気がわずかに緩んだ。

 だが、次の報告が届くと、その空気はすぐに消えた。

「失礼いたします!」

 騎士が執務室へ入り、片膝をつく。

「東部より新たな報告です。グランヴァルト軍が野営地を引き払い、西へ進み始めました」

「国境までの距離は」

「先頭部隊は、あと一日半ほどです」

「国境を越えたか」

「まだ越えておりません」

 アルベルトは椅子から立ち上がった。

「ゲオルク」

「はい」

「東部諸城へ改めて命令を送れ。守備を固めろ。ただし、こちらから国境へ兵を進めるな。斥候にも越境を禁じる」

「承知しました」

「大公都で集めた兵のうち、すぐ動かせる二千を出す。私が率いてエルデン砦へ向かう」

 財務官が顔を上げた。

「アルベルト様ご自身が?」

「相手の総大将はレオンハルトだ。家臣だけを送れば、こちらが恐れていると受け取る」

「ですが、危険です」

「だから軍を連れていく」

 アルベルトは地図を巻き始めた。

「大公都の守りはゲオルクに任せる。残りの兵の動員も続けろ。西と北の警戒を解くな」

「アルベルト様」

 ゲオルクが口を挟む。

「私が大公都へ残るのであれば、東部で誰が補佐を」

「軍務官を連れていく。それに、アレクもいる」

「俺ですか?」

「お前は私の小姓だろう」

「大公の小姓は、一万五千の軍を見に行く仕事なんですか?」

「今日からそうなった」

「勝手に仕事を増やさないでください」

「荷をまとめろ。昼には発つ」

「断れる雰囲気ではありませんね」

「分かってきたではないか」

 戦いたいわけではない。

 できることなら、城の安全な場所から報告を待ちたい。

 それでも、一万五千の軍勢を自分の目で確かめたいという気持ちが、アレクの中にないわけでもなかった。

 恐怖と好奇心のどちらが強いのか、自分でも分からない。

 ただ、一つだけは分かっていた。

 アルベルトが東部へ向かう以上、小姓である自分が残ることはできない。


 ◇ ◇ ◇


 三日後、アルベルトの一行はエルデン砦へ入った。

 東部国境から馬で半日ほどの場所に築かれた、小規模な城塞である。

 砦の守備兵は約八百人。アルベルトが大公都から連れてきた二千人と、周辺の領主から集めた兵を合わせても、総数は四千三百ほどだった。

 グランヴァルト軍のおよそ三分の一である。

 砦の外では、到着した兵が柵を補強し、浅い堀を掘っていた。城内では矢や石が運ばれ、井戸の周囲には水を汲むための桶が並べられている。

 まだ戦は始まっていない。

 だからこそ、誰もが敵の最初の動きを待ちながら、できる限りの備えを進めていた。

「東の丘へ行くぞ」

 到着して間もなく、アルベルトが言った。

「斥候の報告を待つのでは?」

「距離と数は報告で分かる。軍の様子は自分で見る」

 アルベルトは護衛三十騎を連れ、砦の東にある丘へ向かった。

 アレクも馬で後に続く。

 丘の頂上へ近づくにつれ、低い音が聞こえ始めた。

 最初は風が木々を揺らす音かと思った。

 だが、周囲の木はそれほど大きく揺れていない。

 音は東から届いていた。

 幾千もの足音。車輪の軋み。軍馬の蹄。兵たちの声。

 そのすべてが混ざり、遠雷のような響きとなって大地を伝ってくる。

 丘の頂上へ出たアレクは、目の前に広がる光景を見て息を呑んだ。

 遠くの平原を、黒い帯が埋めている。

 槍を担いだ歩兵の列が、街道を西へ進んでいた。

 その左右には騎兵が配置され、後方には弩や矢束を積んだ荷車が続いている。飼葉を載せた馬車、天幕を運ぶ荷車、予備の武具を積んだ一団まで、軍列は途切れることなく東の地平へ伸びていた。

 昼近くにもかかわらず、遠くには炊事の煙がいくつも立っている。先に到着した部隊が休息地を整え、後続を迎える準備をしているのだろう。

 軍列の中央には、ひときわ大きな旗があった。

 黒い布の上に、金の獅子が描かれている。

「あれが、レオンハルト殿下の旗ですか」

「ああ」

 アルベルトは目を細めて軍列を見ていた。

「昨日の報告より増えていませんか?」

「後ろまで見えん。今見えているだけで判断するな」

「それでも、多いですね」

「怖いか」

「怖いです」

「なら正常だ」

 一万五千という数字を知った時も、その多さは理解していたつもりだった。

 だが、実物を目にすると、数字から受ける印象とはまるで違う。

 これほどの数が敵として向かってくれば、自分一人の剣でできることなど何もない。

 アルベルトが昨夜語った言葉の意味が、改めて分かった。

 一人の剣は、一人分の力にしかならない。

 その時、グランヴァルト軍の一部が動きを変えた。

 角笛が鳴り、先頭の兵が速度を落とす。続いて、少し離れた場所に立つ旗が順番に上がった。

 前の部隊が止まるより先に、後方の軍列も歩みを緩めていく。

 数千人の兵が、前方で混乱を起こすことなく停止した。

「列が乱れない……」

「見ていたか」

「はい。前が止まる前に、後ろへ命令が届いています」

「レオンハルトは、軍を一万五千の塊として動かしていない。千、五百、百と分け、それぞれに指揮官を置いている」

「それは、ほかの軍も同じでは?」

「形だけならな」

 アルベルトは軍列の間を行き来する騎馬兵を示した。

「多くの貴族軍は寄せ集めだ。領主が自分の家臣を連れ、その家臣がさらに自分の兵を連れてくる。総大将が命じても、末端へ届くまでに時間が掛かる。途中で命令の意味が変わることもある」

「レオンハルト殿下の軍は違う?」

「少なくとも、今見えている兵はな。旗と角笛、伝令を使い、部隊ごとに動く時刻と場所を決めている」

 アレクは黒地に金の獅子の旗を見た。

 大軍を集めるだけなら、広い領地と権力があればできるかもしれない。

 しかし、それを飢えさせず、混乱させず、同じ方向へ進ませるには、数とは別の力が必要になる。

「敵になれば、あれが向かってくる」

 アルベルトの声が低くなる。

「今は、まだ敵ではありませんよね」

「まだな」

「味方でもない?」

「当然だ」

「では、何なんです?」

「国境の向こうにいる、武装した一万五千だ。それ以上でも、それ以下でもない」

 アルベルトは馬首を返した。

「戻るぞ。砦へ着くまでに、さらに動くかもしれん」

 帰路につくアレクは、何度も東を振り返った。

 黒獅子の軍は動きを止めていた。

 だが、後退する様子もない。

 国境から姿が見える位置へ、堂々と軍を置いている。

 その光景を見ながら、アレクは一つの考えを抱いた。

 レオンハルトは、軍勢を隠す気がない。

 むしろ、アルヴェイン側に見せるため、あの場所まで進めたのではないか。

 戦が始まる前から、既に交渉は始まっているのかもしれなかった。


 ◇ ◇ ◇


 翌朝になっても、グランヴァルト軍は国境を越えなかった。

 先頭部隊は国境から半日も掛からない位置に野営し、黒地に金の獅子の旗をアルヴェイン側へ見せている。

 エルデン砦の軍議では、意見が分かれた。

「こちらから使者を出し、目的を確認すべきです」

「それでは、我々が恐れていると受け取られる」

「目的も分からず待ち続けるつもりか」

「こちらが兵を国境へ進めれば、それこそ開戦の口実を与える」

 アルベルトは黙って意見を聞いていた。

 アレクは地図と、窓から見える東の空を交互に見た。

「アレク」

「はい」

「昨日から、何を考えている」

「見せているのだと思います」

「何を」

「軍をです」

 集まった者たちの視線がアレクへ向いた。

「本当に攻め込むつもりなら、森や丘を使って、できるだけ近づくまで兵数を隠す方法もあります。でも、レオンハルト殿下は街道を使い、大きな旗まで掲げて、こちらから見える場所に止まりました」

「威圧が目的か」

 軍務官が尋ねた。

「それもあると思います。でも、何かを要求するつもりなら、先に一万五千を見せておいた方が、話を有利に進められます」

「何を要求する」

「それは分かりません」

 アレクが正直に答えると、アルベルトがわずかに口元を緩めた。

「昨日より慎重になったな」

「エルンストさんに、分からないことを当たったように言うなと教えられました」

「良いことを教わったではないか」

「アルベルト様も、もっと教えてください」

「今教えている。相手が何を言ってくるか、黙って待て」

「待つのも教えのうちですか?」

「お前には必要だ」

 その直後、砦の外で兵の声が上がった。

「グランヴァルト軍より使者!」

 軍議室の空気が変わる。

 アルベルトはアレクへ一度視線を向けた。

「待つのは終わりだ」

「早かったですね」

「通せ」

 しばらくして、黒い外套をまとった使者が護衛二人と共に入室した。

 使者は武器を預け、アルベルトの前で片膝をつく。

「アルヴェイン大公、アルベルト・ヴァレンシュタイン様へ、我が主レオンハルト・フォン・グランヴァルト殿下より書状をお預かりしております」

 差し出された書状をアレクが受け取り、アルベルトへ渡した。

 封蝋には金の獅子が刻まれている。

 アルベルトは封を切り、短い文面へ目を通した。

「何と書かれている」

 軍務官が尋ねる。

「レオンハルト本人が来るそうだ」

 室内が静まり返った。

「軍を率いてですか?」

「護衛五十騎だけだ。残りの兵は、今の場所から動かさないと書いてある」

「危険です」

 騎士の一人がすぐに反対した。

「砦へ入れた後、外の軍が動くかもしれません」

「そのために斥候を置いている」

「会談を断るべきです」

「断ったら、一万五千が帰ると思うか」

「それは……」

「向こうが総大将を五十騎だけで寄越すと言っている。話くらいは聞く」

 アルベルトは書状を畳んだ。

「使者へ伝えろ。明朝、エルデン砦で会う。護衛は五十まで。砦へ入る前に長槍と弩は預けさせる。帯剣は許す」

「承知いたしました」

 使者が一礼する。

 男が退室した後、アルベルトはアレクを見た。

「明日、お前も同席しろ」

「俺もですか?」

「レオンハルトは、お前の名を知っている」

「それが不安なんです」

「今さら隠しても遅い」

「エドゥアルト様にも同じようなことを言われました」

「なら慣れろ」

「簡単に言わないでください」

 レオンハルトが何を求め、なぜアレクを知りたがっているのか。

 それを考えるほど、不安は大きくなった。


 ◇ ◇ ◇


 翌朝、エルデン砦の東門前へ五十騎が現れた。

 先頭に掲げられているのは、黒地に金の獅子の旗である。

 その下を進む黒馬の上に、一人の男がいた。

 三十歳前後に見える。

 肩に触れるほどの黒髪と鋭い目を持ち、黒い外套の下には装飾を抑えた胸甲を身につけていた。

 王族らしい華美な衣装ではない。

 それでも、護衛の誰よりも先に目を引いた。

 門前で武器の確認を受けている間も、男は砦の城壁、門の厚さ、周囲の兵の配置へ視線を動かしている。

「相変わらずだな」

 城壁からその姿を見ていたアルベルトが呟いた。

「何がです?」

「人の城へ来て、最初に守りを調べるところだ」

「友人なんですよね?」

「向こうが勝手に言っているだけだ」

 確認を終えた一行が砦へ入る。

 アレクがアルベルトと共に広間で待っていると、やがて扉が開いた。

「久しいな、アルベルト」

 レオンハルトは旧友へ会いに来たような口調で言った。

「一万五千を連れていなければ、もう少し歓迎した」

「歓迎する気など最初からないだろう」

「分かっているなら、先に使者を寄越せ」

「先に頼めば、お前は理由を並べて断る」

「軍を見せて脅せば承知すると思ったか」

「少なくとも、会う気にはなった」

 アルベルトは否定しなかった。

 二人の言葉には遠慮がない。

 だが、親しいだけでも、険悪なだけでもなかった。

 互いの性格を知り、相手がどこまで本気なのか測っている。

 レオンハルトの視線がアルベルトの後ろへ移った。

「アレク・ハルトマン」

 名前を呼ばれ、アレクは姿勢を正した。

「はい」

「ヴァイスブルクでは、随分と働いたそうだな」

「周りの方に助けられました」

「自分の働きを小さく言うのか」

「事実です。俺一人で戦ったわけではありません」

 レオンハルトはアレクの腰にある剣と、まだ成長しきっていない体を見た。

「十五歳と聞いた」

「はい」

「アルベルトが小姓に置いた理由が、少し分かった」

「数言話しただけで分かるのか」

 アルベルトが尋ねる。

「全部は分からん。だから連れていく」

「何の話だ」

「今から話す」

 レオンハルトは用意された席へ座った。

 それまで浮かんでいた笑みが薄くなる。

「一万五千は、アルヴェインを攻めるために集めた軍ではない」

「なら、なぜ国境へ進めた」

「お前の領内を通るためだ」

 アルベルトの目が細くなった。

「どこへ行く」

「西だ」

 指はアルヴェインを横断する街道に沿って西へ進み、グランヴァルト王国西端のシュヴァルツ伯領で止まった。

  

「シュヴァルツ伯領へ入る」

 アレクは思わず地図を覗き込んだ。

 シュヴァルツ伯は現在、ベルン伯爵と領地を争っている。

「何のために」

「戦うためだ」

「理由を聞いている」

「兄である国王レオポルト二世の命令だ。シュヴァルツ伯の兵が、グランヴァルトの商隊を襲った」

「伯は認めたのか」

「否定している。だが、生き残った護衛の証言と、奪われた積荷が流れた先は確かめた」

「商隊一つのために、一万五千を動かしたんですか?」

 アレクが尋ねると、レオンハルトの視線が向けられた。

「商隊一つ、とはどういう意味だ」

 声は穏やかだった。

 だが、先ほどまでとは空気が違う。

「商人だから、兵より軽い命だと思うか」

「いいえ。ただ、一万五千を動かすには大きな理由が必要だと思いました」

「なら覚えておけ。我が国の旗の下で商う者を殺しても何も起きないと思われれば、次の商隊も襲われる」

 交易路が危険になれば、商人は通らなくなる。

 物が届かず、税も減り、必要な時に兵糧や武器を集められなくなる。

 襲われた一つの商隊だけの問題ではない。

「それに、理由はもう一つある」

 レオンハルトはシュヴァルツ伯領の隣にあるベルン伯爵領を示した。

「シュヴァルツ伯とベルン伯爵が、休戦を探っている」

「つい数日前まで争っていた二人が?」

「互いに別の敵を抱えたからだ。シュヴァルツ伯は私の軍が来ることを知った。ベルン伯爵は、お前に敗れて東側が不安定になっている」

 レオンハルトがアルベルトを見る。

「二人が話をまとめれば、シュヴァルツ伯は私へ備え、ベルン伯爵は再びアルヴェインへ兵を向ける」

「情報源は」

「言わん」

「なら、信用しろとも言うな」

「お前の間者にも確かめさせればいい。ただし、確かめ終えるまで私の軍が国境で待つとは思うな」

 アルベルトとレオンハルトの視線がぶつかる。

 レオンハルトがシュヴァルツ伯を攻めれば、ベルン伯爵は北西への備えを解けない。

 アルヴェインにとって利益があることは確かだった。

 だが、そのためには一万五千の外国兵を領内へ入れなければならない。

「アルベルト様」

 アレクが声を上げた。

「何だ」

「危険です」

「何がだ」

 尋ねたのはレオンハルトだった。

「一万五千の外国軍が、アルヴェインの中へ入ることです」

「私は攻めるつもりがないと言った」

「今は、ですよね」

 広間の空気が張り詰めた。

 グランヴァルト側の騎士がアレクを睨む。

 レオンハルトは怒らず、続きを待っていた。

「軍がアルヴェインの中央まで進んだ後で、命令を変えることもできます。レオンハルト殿下が変えなくても、別の指揮官が村から食料を奪ったり、住民と争ったりするかもしれません」

「私の兵が命令を破ると?」

「一万五千人全員が、一度も間違わず命令を守ると言い切れますか」

 レオンハルトの口元に、わずかな笑みが浮かんだ。

「言い切らん」

「認めるんですか?」

「一万五千もいれば、命令を聞かん馬鹿が一人もいない方がおかしい。だから、違反した者を罰する」

「起きてから罰しても、奪われた物や死んだ人は戻りません」

「では、どうする」

「俺に決める権利はありません」

「意見を聞いている」

 アレクはアルベルトへ視線を向けた。

 アルベルトは止めなかった。

「一度に全軍を入れない方がいいと思います」

「続けろ」

「軍を分けます。一つ目の部隊が指定した場所まで進んでから、次を入れる。行軍する街道と宿営地も、アルヴェイン側が決めます」

「食料は」

「軍が持ってきたものを使うか、アルヴェインが指定した場所で買う。兵が勝手に村へ入ることは禁止します」

「違反した者は」

「アルヴェイン側へ引き渡してもらいます。ここはアルヴェインです」

 レオンハルトは答えず、アルベルトを見た。

「お前の小姓は、私より先に条件を出すらしい」

「それを決めるのは私だ」

 アルベルトは地図へ三つの駒を置いた。

「軍を五千ずつに分けろ。一度に我が領内へ入れるのは五千までだ。先発の五千が指定地点を越えた後、次の五千を入れる」

「三つに分ければ、敵に襲われた時に各個撃破される」

「それが嫌なら、別の道を探せ」

「分かった。続けろ」

「行軍路と宿営地はこちらが指定する。村と畑へ無断で入ることは禁止だ。食料と飼葉は指定した場所で購入しろ。略奪、暴力、放火を行った者は、身分に関係なくこちらへ引き渡せ」

「よい」

「まだある。軍列の前後と側面へ、我が兵を置く」

「護衛か」

「監視だ」

「正直だな」

「一万五千を約束だけで信用するほど、私はお前を信じていない」

 レオンハルトが笑った。

「お前らしい」

「最後に、お前自身は私と行動しろ」

 笑みを残したまま、レオンハルトの目が鋭くなった。

「私を人質にするつもりか」

「そう受け取るなら、領内へ入るな」

 広間が静まった。

 総大将がアルベルトの近くにいれば、グランヴァルト軍が突然敵対する危険は小さくなる。

 一方で、アルベルトがレオンハルトを害すれば、一万五千の軍勢が直ちに敵となる。

 互いが相手を縛る条件だった。

「よいだろう」

 レオンハルトは迷わず答えた。

「すべて受け入れる」

「返事が早いですね」

 アレクが言うと、レオンハルトが顔を向けた。

「考えていなかった条件ではない」

「最初から?」

「アルベルトなら、この程度は要求する」

「なら、先に書状へ書いておけばよかったでしょう」

「それでは、お前の意見を聞けなかった」

「俺のために一万五千を連れてきたわけではありませんよね?」

「当然だ。ただ、ついでに面白いものを見られた」

 レオンハルトは席を立った。

「明朝、先発の五千を動かす。道はどこだ」

 アルベルトが地図上の街道を指した。

「この道を使え。最初の宿営地はこちらで用意する」

「では、私もそこへ向かう」

「今夜は砦に泊まれ。軍へ戻らせると思うか」

「歓迎してくれるのか」

「監視しやすい場所へ置くだけだ」

「それで十分だ」

 二人の会話を聞きながら、アレクは地図へ並ぶ三つの駒を見た。

 交渉は成立した。

 だが、それはグランヴァルトが味方になったという意味ではない。

 敵ではない軍へ道を貸し、約束を守るか監視する。

 一つ間違えれば、アルヴェインの中央で戦が始まる取り決めだった。


 ◇ ◇ ◇


 会談後、アレクはグランヴァルト側へ割り当てる客室を確認し、寝具と食事の数を文官へ伝えた。

 中庭へ出る頃には、日が西へ傾いていた。

 馬を繋ぐ兵、荷を運ぶ従者、増えた警備の配置を確かめる騎士が行き交っている。

 壁際に立ち、ようやく息をついた時だった。

「あなたが、アレク・ハルトマン?」

 聞き慣れない少女の声に振り返る。

 同じ年頃に見える少女が、少し離れた場所に立っていた。

 淡い金色の髪は肩より長く、濃紺の外套の下には旅装を身につけている。華美ではないが、布地も仕立ても一般の領民が着る物とは違った。

「そうですけど、あなたは?」

 少女の後ろに控えている侍女と護衛を見て、アレクは言葉を改めた。

「失礼しました。どちらの方でしょうか」

「エリーゼ・フォン・ヴァレンシュタインです」

「ヴァレンシュタイン?」

 アレクは聞き返した。

 少女の姓は、アルベルトと同じだった。

「アルベルト様とは、どのようなご関係ですか?」

「叔父です」

「叔父?」

「私の父は、亡くなった先代大公世子です」

 アルベルトの兄は、リーデン平原の戦いで弟を逃がすために命を落としている。

 つまり、目の前の少女は、その兄の娘だった。

 アレクは慌てて頭を下げた。

「申し訳ありません。アルベルト様の姪御様とは知らず」

「顔を上げてください。知らなかったのなら仕方ありません」

 エリーゼは、頭を上げたアレクを見つめた。

「それに、私もあなたの顔を知りませんでした」

「でも、名前は知っていたんですよね?」

「叔父から聞きました。ヴァイスブルクで働いた十五歳の少年を、小姓にしたと」

「何をしたかまで?」

「夜襲に気づいたことや、兵を集めたことは」

「それだけならいいです」

「ほかにも何かあるのですか?」

「アルベルト様は、余計なことまで話しそうなので」

「叔父を何だと思っているのです?」

「人を困らせて楽しむ方です」

 エリーゼが目を丸くした後、小さく笑った。

「否定できません」

「姪御様でも、そう思うんですね」

「エリーゼで構いません。叔父が小姓に選んだ方から、いつまでも姪御様と呼ばれるのは落ち着きません」

「では、エリーゼ様」

「様もなくて構いません」

「それは怒られます」

「誰に?」

「アルベルト様と、後ろの護衛の方に」

 エリーゼの後ろにいた騎士は表情を変えなかったが、視線だけがわずかに鋭くなった。

「やはり、エリーゼ様と呼びます」

「意外と身分を気にするのですね」

「命は大切ですから」

 エリーゼはもう一度笑った。

 その表情には、年相応の柔らかさがあった。

「エリーゼ様は、どうしてこの砦に?」

「東部にあるヴァレンシュタイン家の館へ滞在していました。グランヴァルト軍が近づいたため、昨日ここへ避難したのです」

「大公都へ戻らなかったんですか?」

「東へ向かう道には軍が集まっています。少人数で移動するより、守りのある砦にいた方がよいと判断されました」

 今となっては、砦のすぐ近くに一万五千の軍勢がいる。

 だが、街道上でその軍と出会うよりは、城壁の内側にいた方が安全だろう。

「それで、俺を探していたんですか?」

「少し聞きたいことがありました」

 エリーゼは一度、周囲を確かめた。

「叔父は、きちんと休んでいますか?」

「アルベルト様ですか?」

「ほかに誰がいるのです」

「昨夜は、俺に寝ろと言った後、ご自分も寝ようとはしたそうです」

「寝ようとはした?」

「俺もアルベルト様も眠れなくて、城壁で会いました」

「やはり、休んでいないのですね」

 エリーゼの顔に心配が浮かぶ。

「でも、今朝も俺より元気でした。東部へ来る間も、馬を替えるたびに報告を読んでいました」

「それは元気とは言いません」

「そうですね」

「食事は?」

「俺と同じ物を食べています。移動中も抜いてはいません」

「本当ですか?」

「俺が見ていた範囲では」

 エリーゼは少しだけ安堵したようだった。

 大公の姪として落ち着いて振る舞っていても、叔父を心配する普通の少女なのだと分かる。

「叔父は、自分のことをあまり書かないのです」

「手紙を送っているんですか?」

「時々届きます。でも、領地や戦のことばかりです」

「アルベルト様らしいですね」

「あなたのことは書いていました」

「俺のことは書くんですか?」

「変わった小姓を拾った、と」

「拾った物みたいに言わないでほしい」

「楽しそうでした」

 意外な言葉に、アレクは返事を止めた。

「叔父が誰かの話を、あれほど楽しそうにするのは珍しいのです。だから、どのような人なのか気になっていました」

「会ってみて、どうでした?」

 エリーゼはすぐに答えず、アレクを見た。

「思っていたより普通です」

「悪かったですね」

「悪いとは言っていません」

「変わった小姓だと聞いていたのでしょう?」

「変わってはいます」

「会ったばかりなのに?」

「大公へ、外国軍を五千ずつ通すよう意見する小姓は、普通ではありません」

「会談を聞いていたんですか?」

「全部ではありません。叔父から聞きました」

 いつの間に話したのかと、アレクは砦の建物を振り返った。

「やはり余計なことまで話していますね」

「褒めていましたよ」

「本当ですか?」

「危険へ気づくのは早いが、自分から危険へ近づく癖がある、と」

「それは褒めていません」

「叔父にしては、かなり褒めています」

 エリーゼが楽しそうに笑う。

 アレクもつられて笑った。

 レオンハルトとの会談では、気を抜けなかった。

 一万五千の軍を領内へ入れる条件を考え、その条件が破られた時のことまで考え続けていた。

 ようやく、少しだけ肩の力が抜けた気がした。

「叔父をお願いします」

 エリーゼが改めて言った。

「俺がアルベルト様を守るのは難しいと思います」

「剣の話ではありません」

「では?」

「無理をしている時に、止めてください」

「俺の言うことを聞くでしょうか」

「聞かなくても言ってください。叔父の周りには、命令へ従う人が多いですから」

 アレクは、少しだけ考えてから頷いた。

「分かりました。止まるかどうかは分かりませんが、言うだけなら」

「ありがとうございます」

「ただ、エリーゼ様も期待しすぎないでください」

「なぜです?」

「今日だけで、俺も何度か無理をさせられています」

「では、互いに止める必要がありますね」

「俺までですか?」

「叔父から聞いたとおりなら」

 会ったばかりの少女にまで心配されるほど、自分は危険へ近づいているのだろうか。

 アレクには自覚がなかった。

 少なくとも、レオンハルトの軍へ近づきたいと言った覚えはない。

 それでも、明日からは一万五千の軍と共にアルヴェイン国内を進むことになる。

 エリーゼと別れた後、アレクは東の城壁へ上がった。

 日が沈みかけた平原には、グランヴァルト軍の野営地が広がっている。

 無数の焚き火が灯り、その中央で黒地に金の獅子の旗が夜風に揺れていた。


 ◇ ◇ ◇


 翌朝、アルヴェインとグランヴァルトの国境に並べられた石柱の前で、両軍の騎士が合意した条件を読み上げた。

 行軍する街道。

 休息と宿営を認める場所。

 食料と飼葉を購入する場所。

 村や畑への無断立ち入りの禁止。

 略奪や暴力を行った者の引き渡し。

 そして、一度にアルヴェイン領内へ入る兵は五千までとすること。

 レオンハルトが黒馬の上から右手を上げた。

 角笛が鳴り、第一陣の先頭部隊が動き始める。

 槍を担いだ歩兵が、国境を示す石柱の間を通過した。

 続いて弩兵、騎兵、荷車が進む。

 黒地に金の獅子を描いた旗が、アルヴェインの街道へ入った。

 アルヴェイン兵は道の両側へ分かれ、歓迎の声を上げることなく、その軍列を見守っている。

 軍列の前にはアルヴェインの騎兵。

 側面にも一定の間隔で監視役が並び、最後尾にも別の部隊が付く。

「随分と厳重だな」

 レオンハルトが言った。

「不満なら、今から引き返してもよい」

 隣を進むアルベルトが答える。

「いや。お前が約束どおり警戒してくれた方が、こちらも兵を抑えやすい」

「初めから、それを狙っていたのか」

「私の兵が問題を起こした時、お前なら遠慮なく捕らえる。それを知っていれば、指揮官も命令を徹底する」

「人の国を軍規の道具に使うな」

「使えるものは使う」

「やはり通すべきではなかったかもしれんな」

 二人の少し後ろを進みながら、アレクは長く続く軍列を見た。

 昨日まで、この一万五千は敵になるかもしれない軍だった。

 今も味方になったわけではない。

 ただ条件を定め、同じ街道を進むことを認めただけだ。

 一人の兵が命令を破り、村人と争えば、両軍の関係は簡単に崩れる。

 反対に、すべての兵が約束を守り、シュヴァルツ伯領まで通過すれば、ベルン伯爵が再びアルヴェインへ向けられる兵は減る。

 剣を交える前から、戦の形は変わっていく。

 アレクは先頭近くで揺れる黒獅子の旗を見上げた。

 レオンハルトが前世で知る誰かに似ているのか、まだ分からない。

 この世界の歴史がどこへ進むのかも分からない。

 今、分かっていることは一つだけだった。

 東から来た黒獅子の軍が、アルヴェインの中へ入った。

 そしてアレクもまた、その軍勢と共に西へ進もうとしていた。


第一話を読んでいただき、ありがとうございました。

アルヴェインへ現れた黒獅子の軍。その目的は侵攻ではなく、シュヴァルツ伯を討つための領内通過でした。

レオンハルト、そしてエリーゼと出会ったアレクは、一万五千の異国軍と共に西へ向かいます。次回は、外国の大軍を自国領へ通す難しさと、その途上で起きる問題を描きます。


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