第十九話 三千挺が並ぶ戦場
国境の城を目指し、行軍を続けるアレクたち。
その間も、川を挟んで対峙する両軍は動いていました。
橋の向こうから、再び太鼓の音が響いた。
盾を前へ出したカルディア兵が、石橋へ踏み込んでくる。
北岸の柵を守るグランヴァルト兵は、槍を握り直した。
「まだ出るな。柵の後ろで受けろ」
アーノルドの命令を、隊長が繰り返す。
橋を渡ってくる兵は多かった。だが、横へ広がることはできない。
先頭の盾が柵へぶつかる。
隙間から突き出された槍を受け、カルディア兵が足を止めた。後ろの兵が押し、盾同士が重なる。
北岸から矢が飛んだ。
敵兵の一人が膝をつき、その隣の男が盾を寄せる。
倒れた者を引きずり戻しながら、カルディア兵はなおも前へ出ようとしていた。
アーノルドは、その後ろを見ていた。
橋へ入る兵が続いている。
昨日も、一昨日も、同じように攻撃を仕掛けてきた。
だが、今日は南岸に控える騎兵の姿が少ない。
「上流からの報告は」
そばの兵へ尋ねた時、川沿いの道から馬が駆けてきた。
乗っている兵は、馬を止めるとすぐに口を開いた。
「上流で、敵が川を渡っております!」
「数は」
「確認できた歩兵だけで五百以上。対岸には、まだ続いております」
アーノルドは川の上流へ目を向けた。
そこから敵が北岸を下ってくれば、橋を守る兵の横へ出られる。
さらに北へ回れば、城へ戻る道を脅かされる。
「見張りの兵は」
「敵の動きを確かめながら、下がっております」
「それでよい」
アーノルドは隊長を呼んだ。
「橋の部隊を下げる。左右の兵から動かせ。正面は、合図があるまで持ち場を守れ」
隊長が、橋へ目を向けた。
「ここを明け渡すのでございますか」
「橋は取り返せる。ここで兵を失えば、城も街道も守れなくなる」
アーノルドは言い切った。
「負傷者を先に城へ運べ。歩けぬ者を置いていくな」
「承知しました」
隊長が走り出す。
橋の正面では、槍を突き出した兵が敵を押し返していた。
その後ろを、肩を借りた負傷兵が下がっていく。
アーノルドは騎兵を集め、歩兵の退路へ向かわせた。
橋を守る戦いは、ここまでだった。
兵を城へ戻すまで、指揮を緩めるつもりはなかった。
◇ ◇ ◇
カルディア軍の先遣隊を率いていた将は、北岸の兵が動き始めたことに気づいた。
柵の左右にいた部隊が、北へ下がっている。
橋の正面に残った兵も、傷ついた者を後ろへ送っていた。
「上流の兵が渡ったようです」
部下が言った。
将は頷いた。
「ああ。あの男も、ここへ留まり続けるわけにはいかぬ」
逃げ出したのではない。
旗の周りへ兵が集まり、隊ごとに退いている。
追わせれば、残った兵と騎兵に受け止められるだろう。
「橋を確保する。渡り終える前に、勝手に追うな」
命令を受けた兵が、前へ走った。
やがて、北岸の柵から槍が引かれた。
グランヴァルト兵が盾を向けたまま下がり、その後ろで騎兵が動く。
カルディア兵は柵へ取りついた。
邪魔になる木材を退け、橋の出口を広げていく。
先遣隊の将も、馬を進めた。
石橋を渡る。
ようやく踏んだ北岸には、折れた矢と、血のついた盾が残されていた。
北の丘には城が見える。
そこへ向かう街道を、アーノルドの兵が退いていた。
「橋を押さえたと、本隊へ知らせろ。荷車は兵を渡してからだ」
将は命じた。
城へ至る道が開いた。
だが、その道の先で、見慣れぬ数の旗が動いていた。
◇ ◇ ◇
アレクたちが城の北へ到着した時、南から負傷兵が運び込まれていた。
腕へ布を巻いた者が歩き、荷車には横たわった兵がいる。
門の兵が道を空けた。
その脇を抜けて、マティアスが城内へ入る。
アレクも続いた。
中庭にはアーノルドがいた。
鎧に泥がつき、左の手袋には乾いた血が残っている。
だが、自分で歩き、部下へ命令を出していた。
「マティアス殿」
こちらへ気づいたアーノルドが近づく。
マティアスは馬から下りた。
「橋の兵を下げたと聞いた」
「上流から渡られました。橋で挟まれる前に、こちらへ戻しております」
「よく兵を戻した。損害は」
「これまでの戦いで、死者十七人。負傷して戦えぬ者が三十九人です」
アレクは、運び込まれる兵へ目を向けた。
自分たちが街道を進んでいる間、この者たちは戦っていた。
アーノルドが続けた。
「城と北の街道は守っております。敵は橋を渡り始めましたが、まだ全軍ではありません」
マティアスは頷き、ギルベルトへ顔を向けた。
「鉄砲隊を休ませろ。水を飲ませ、各隊の様子を確かめよ」
「承知しました」
「歩兵と騎兵の隊長は、南の様子を見てこい。敵が近づけば、すぐに知らせろ」
命令を受けた者たちが動き出す。
アレクも馬を預け、アーノルドたちと城壁へ上がった。
南の景色が開けた。
城の建つ丘から、緩やかな斜面が下っている。
その先には、刈り取りを終えた畑と草地が広がっていた。街道はその間を通り、南の川と石橋へ続いている。
橋の北詰では、カルディア兵の列が広がり始めていた。
さらに西の川沿いにも、別の部隊が見える。
「上流を渡った兵です」
アーノルドが示した。
「橋から来る部隊と合流し、城へ向かうつもりでしょう」
マティアスは平地を見渡した。
「ここなら、鉄砲隊を並べられるか」
アレクは、畑の間を通る道と、兵を展開できる土地の広さを確かめた。
橋の出口とは違い、左右に広がる余地がある。
味方の背後には城があり、北の街道も守られている。
「はい」
アレクは答えた。
「鉄砲隊で正面を崩します」
マティアスがこちらを見る。
アレクは視線を逸らさなかった。
三千人を、ここまで連れてきた。
その力を使う場所が、目の前にあった。
「任せる」
マティアスは言った。
「両脇は歩兵と騎兵で守る。前へ出る時は、全軍で動くぞ」
「承知しました」
◇ ◇ ◇
城門から兵が出てきた。
最初に進んだ歩兵が、丘の下で左右へ分かれる。
続いて、火縄銃を携えた兵が姿を現した。
アーノルドは、その列を見ていた。
先頭の隊が持ち場へ進んでも、門から出てくる兵は途切れない。
林檎の花の旗が風に広がる。
その後ろには、王家とマティアスに属する隊の旗も続いていた。
アレクの指揮下にある兵たちが、隊ごとに間隔を取り、戦列を作っていく。
ロスヴァールとの戦で、この武器の威力は知っていた。
それでも、これほどの数が並ぶところを、アーノルドは初めて見た。
「三千すべてを、ここへ出すのですな」
「ああ」
隣でマティアスが答えた。
「アレクが教えてきた兵だ」
騎馬鉄砲隊の二百人も、馬を預けて列へ加わっていた。
今日、アレクが率いるのは、徒歩の鉄砲隊二千八百人と、その二百人を合わせた三千人だった。
城には、これまで守備についていた六百人を残す。
戦場へ出る兵は、鉄砲隊を含めて五千九百四十四人。負傷して戦えない者は、城内で手当てを受けていた。
歩兵が鉄砲隊の左右を固め、騎兵はその外側と後方へ控える。
アーノルドの兵も、援軍とともに並んだ。
橋から退いた兵たちが、今度は北を背にして敵を待っていた。
アレクは馬を下り、ギルベルトと戦列を確かめた。
千人ずつ、三列。
横へ長く伸びる隊列には、各隊の指揮官がついている。
すべての兵へ、アレク一人の声が届くわけではない。
命令を受け、隣の隊と動きを揃えるために、訓練を重ねてきた者たちだった。
「各隊、所定の位置につきました」
ギルベルトが報告した。
アレクは頷いた。
南から、敵の太鼓が聞こえていた。
◇ ◇ ◇
カルディア軍の本隊を率いる将は、馬上から城の下を見ていた。
グランヴァルトの兵が、城外へ出ている。
橋を守っていた兵だけではない。
明らかに増えていた。
「援軍か」
「北から入ったようです」
部下が答えた。
将は、正面の長い戦列へ目を凝らした。
槍とは違う武器を持っている。
兵のそばから、細い煙が上がっていた。
「火槍隊です」
橋でアーノルドと会った将が言った。
「あれが、ロスヴァール軍を破ったという……」
「数は分かるか」
「ここからでは。ただ、先頭だけではありません。後ろにも並んでおります」
本隊の将は黙った。
火槍の噂は聞いていた。
それを持つ敵が来ることも、考えていた。
だからこそ、援軍が揃う前に橋を奪いたかった。
だが、橋は取れた。
上流を渡った兵も合流している。
北岸へ進んだ兵は、歩兵がおよそ五千、騎兵が千。残る二千ほどは川の南におり、渡河を待つ部隊と、荷車を守る部隊に分かれていた。
ここで何もせずに止まれば、敵はさらに守りを固める。
「盾を前へ出せ。歩兵を揃えて進める」
本隊の将が命じた。
「騎兵は勝手に走らせるな。敵の歩兵が動いたところを突く」
命令が伝わった。
歩兵の列が動き出す。
前へ出るのは、三千五百人。
残る歩兵は後ろへ控え、前進する隊の様子を見ながら続くことになった。
先頭の兵が盾を上げた。
その後ろで、槍が揺れる。
城へ続く街道の両側を埋めながら、カルディア軍は進み始めた。
◇ ◇ ◇
アレクは、近づく敵を見ていた。
先頭には盾が並んでいる。
その後ろに槍兵が続き、隊ごとの旗が揺れていた。
駆けてくるのではない。
列を保ち、左右の隊と歩調を合わせようとしている。
敵の指揮官が声を張り、遅れた兵を前へ出していた。
アレクはギルベルトへ目を向けた。
準備が整ったことを示す合図が、各隊から届いている。
味方の歩兵は、鉄砲隊の前へ出ていない。
騎兵も持ち場にいた。
前方へ視線を戻す。
敵の盾の形が、はっきり見えるようになっていた。
「構え!」
アレクが命じた。
号令が横へ伝わる。
一列目の千人が火縄銃を構えた。
銃口が揃う。
敵の先頭で、こちらを指さす者がいた。
盾が持ち上がる。
アレクは、前へ進む敵を見据えた。
「撃て!」
戦列に沿って、火が走った。
幾重にも重なった銃声が、平地を震わせる。
白煙が広がった。
敵の先頭が崩れた。
盾を落とした兵が倒れ、その後ろの男が足を止める。
隣の隊では、旗のそばにいた兵が前へのめった。
だが、カルディア軍はすぐには退かなかった。
隊長が剣を上げ、兵へ進めと叫ぶ。
倒れた者を避け、後ろから来た兵が隙間を埋めようとしていた。
アレクは、煙の向こうを見ていた。
正面だけではない。
左右でも敵が足を止め、列を整え直そうとしている。
ギルベルトと各隊長の声が響いた。
一列目が下がり、二列目が射撃位置へ入る。
次の銃声が重なった。
ようやく前へ出た敵兵が、再び倒れた。
盾を寄せていた隊の中央に隙間ができ、後ろの兵が左右を見回す。
進もうとする者と、身を伏せる者が重なった。
それでも、敵の旗は動いていた。
旗の下へ集まろうとする兵もいる。
アレクは、銃声に負けぬよう声を張った。
「隊列を保て!」
味方の兵は前へ飛び出さなかった。
三列目が進む。
その後ろでは、撃ち終えた兵たちが、次の命令に備えていた。
◇ ◇ ◇
カルディア軍の歩兵隊長は、後ろを振り返った。
続くはずの兵が、立ち止まっている。
「進め! ここで止まるな!」
叫んだ直後、再び銃声が響いた。
そばにいた兵が、盾を抱えたまま崩れた。
隊長は身を縮め、それから顔を上げた。
前が見えにくい。
敵の戦列から流れてくる煙の向こうで、まだ兵が動いている。
自分の隊だけが撃たれているのなら、隣の隊に前進させ、その間に立て直すこともできた。
だが、右の隊も止まっていた。
左では、旗が後ろへ下がっている。
そこへ、こちらの兵が寄り始めた。
「そちらへ行くな! 持ち場へ戻れ!」
声を張っても、すぐには戻らない。
負傷した仲間を抱える兵がいる。
盾を失い、別の兵の後ろへ隠れようとする者もいた。
前へ進むための列が、保てなくなっていた。
また銃声がした。
隊長は、敵へ目を向けた。
一部の兵が撃っているのではない。
正面に広がる長い戦列が、隊を入れ替えながら射撃を続けている。
どこへ兵を寄せても、その先に銃口があった。
後ろから、味方の伝令が駆けてきた。
援軍が来る知らせだと思った。
だが、伝えられたのは、退く命令だった。
◇ ◇ ◇
「前の歩兵を下げろ!」
カルディア軍の本隊の将が命じた。
城へ向かう攻勢は、止まっていた。
先頭の部隊が前へ出られない。
後ろに控えた兵を加えようとしても、下がってくる者と重なってしまう。
騎兵を回そうとした側面には、グランヴァルトの歩兵と騎兵が待っていた。
火槍隊だけを横から襲える形ではない。
「一度、隊を立て直す。橋へ戻すのではないぞ。旗の下へ集めろ!」
伝令が走った。
退却の合図が響く。
歩兵の隊が後ろへ動き始めた。
負傷兵を支える者の間を、無傷の兵がすり抜けていく。
隊長たちが怒鳴り、走るなと命じていた。
本隊の将は、拳を握った。
まだ兵はいる。
川の南にも残っている。
だが、前へ出した兵が、敵へ十分に近づくことさえできなかった。
噂だけでは分からなかった。
あれほどの数が揃えば、こうなるのか。
城の下に広がる白煙を、将は睨み続けた。
◇ ◇ ◇
敵の旗が下がっていく。
アレクは、各隊へ射撃を止める命令を出した。
号令が伝わり、銃声が収まっていく。
煙の向こうに、退いていくカルディア兵が見えた。
追えば届くと思った者もいたのだろう。
列の端で、一人の兵が前へ足を出しかけた。
隊長の声を受け、すぐに持ち場へ戻る。
アレクは、全体を見渡した。
列は保たれていた。
三千人が、次の命令を待っている。
ギルベルトが近づいた。
「敵の先頭部隊が下がっています」
「こちらの兵を確かめてください。まだ、持ち場は変えません」
「承知しました」
ギルベルトが隊長たちへ指示を出す。
アレクは、マティアスのいる方へ目を向けた。
主君は馬上から敵を見ていた。
その隣には、アーノルドがいる。
橋を守り、兵を退かせ、この場所まで敵を引き受けてきた将だった。
アーノルドは、鉄砲隊へ一度だけ顔を向けた。
並んだ兵たちが、落ち着いて次に備えている。
橋の北岸で、敵を食い止めることに力を尽くしていた時とは違う。
今は、目の前の敵を押し返せる兵が揃っていた。
マティアスが口を開いた。
「アーノルド。橋へ戻る道は分かるな」
「ええ」
アーノルドは答えた。
正面の街道も、上流へ通じる川沿いの道も知っている。
敵がどこを通って来たかも、見ていた。
マティアスは、下がっていくカルディアの旗を見据えた。
「ならば、今度はこちらが押し返す」
アーノルドが頷いた。
その前で、三千人の鉄砲兵が隊列を保ち、次の命令を待っていた。
第十九話を読んでいただき、ありがとうございました。
兵を育て、指揮を任せ、積み重ねてきたものが戦場で形になる。その姿を楽しんでいただけたなら嬉しいです。
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