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『知らない世界で、前世の知識が武器になる』 ~剣と銃で乱世を生き抜く転生領主の成り上がり~  作者: 相田 ソウ
第八篇 乱世に結ぶ絆

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第十六話 二人で迎える朝

賑やかな婚礼を終え、城に朝の光が差し込みます。

 窓を覆う布の隙間から、細い光が差していた。

 アレクは目を開け、しばらく天井を見ていた。

 いつもの朝とは違う。

 起きて確かめなければならない書状も、訓練場へ向かう支度も、すぐには頭に浮かばなかった。

 隣で、衣擦れの音がした。

 顔を向けると、エリーゼがいた。

 同じように目を覚まし、こちらを見ている。

 目が合った途端、彼女の頬が赤くなった。

 アレクも、何と声をかければよいか分からなくなった。

 昨夜、二人で交わした言葉が思い出された。

 手を伸ばせば、今朝も彼女がいる。

「……おはようございます」

 アレクが言った。

 エリーゼは、少し間を置いて微笑んだ。

「おはようございます」

 それだけの挨拶に、二人とも照れていた。

 アレクは彼女の顔を見つめすぎていることに気づき、窓へ目を向けた。

 光はまだ柔らかい。

 廊下からも、急ぐ足音は聞こえてこなかった。

「よく眠れましたか、エリーゼ様」

「はい」

 返事をした後、エリーゼは何かを言いかけた。

 アレクが顔を戻すと、彼女は少し迷ってから口を開いた。

「……『エリーゼ様』というのは、もうやめませんか」

 アレクは瞬きをした。

 エリーゼは赤くなったまま、言葉を続けた。

「私たちは夫婦になったのですから、エリーゼとお呼びください」

 アレクは彼女を見た。

 名前を知らないわけではない。

 何度も手紙へ書き、心の中でも呼んできた。

 それなのに、今、声にしようとすると、うまく口が動かなかった。

「エリーゼ……」

 小さく呼ぶ。

 彼女の表情が、ふっと和らいだ。

「はい」

 その返事が嬉しくて、アレクも笑みを浮かべた。

「では、私のことも、アレクと呼んでください」

 今度は、エリーゼが黙った。

 唇を少し開き、閉じる。

 アレクは急かさずに待った。

「分かりました……アレク」

「はい」

「これからも、よろしくお願いします」

 言い終えると、エリーゼは恥ずかしそうに目を伏せた。

 アレクは、寝具の上に置かれていた彼女の手へ、自分の手を重ねた。

「こちらこそ。エリーゼ」

 彼女が顔を上げる。

 呼ぶたびに、こちらを見てくれる。

 それが当たり前のことになる日が来るのだろうかと、アレクは思った。

「……もう一度、呼んでいただけますか」

 エリーゼが言った。

 アレクは少し驚き、それから頷いた。

「エリーゼ」

 彼女は嬉しそうに笑った。

「はい、アレク」

 アレクは返事をしようとして、笑ってしまった。

 エリーゼも、つられて笑う。

 何か特別な話をしたわけではなかった。

 ただ名前を呼び合っただけで、胸が温かくなった。

 エリーゼは、重ねられたアレクの手にそっと指を絡めた。

 二人はそのまま、もう少しだけ朝の静けさの中にいた。

 ◇ ◇ ◇

 それからしばらくして、扉の外から控えめな声がかかった。

「アレク様、エリーゼ様。お目覚めでいらっしゃいますか」

 マルタの声だった。

 エリーゼがアレクを見る。

 アレクは頷き、扉へ顔を向けた。

「はい。起きています」

「朝のお支度をお手伝いしてもよろしいでしょうか」

「お願いします」

 返事をすると、二人は握っていた手を見た。

 どちらからともなく、少し名残惜しそうに離す。

 アレクが起き上がると、エリーゼもゆっくりと身を起こした。

 髪が肩へ流れる。

 その様子を見ていたアレクに気づき、彼女が頬を染めた。

「……何でしょうか」

「いえ」

 アレクは慌てて顔を逸らした。

 エリーゼが小さく笑う。

 扉が開き、マルタと侍女たちが入ってきた。

「おはようございます」

 マルタが礼をすると、エリーゼも挨拶を返した。

 アレクは別室で支度を整えるため、扉へ向かった。

 その手前で振り返る。

「後ほど、エリーゼ」

 名前を呼ぶと、彼女は一瞬だけ目を見開いた。

 すぐに微笑む。

「はい、アレク」

 マルタは、何も言わなかった。

 ただ穏やかに一礼し、エリーゼの支度へ取りかかった。

 廊下へ出たアレクは、扉が閉まってから小さく息を吐いた。

 待っていたオスカーが、隣へ並ぶ。

「おはようございます、アレク様」

「おはようございます」

「よくお休みになれましたか」

「はい」

 返事をすると、オスカーは頷いた。

「朝食は、お二人で召し上がれるよう、小広間へご用意しております」

「客人の皆様は」

「ご出立の時刻に合わせ、それぞれご用意しております。陛下と大公殿下にも、すでにお伺いしております」

 アレクは頷いた。

 何も確かめずに任せきりにしていたことが、少し気になった。

 その顔を見て、オスカーが続けた。

「昨夜、マティアス様とも確認しております。何かございましたら、すぐにお知らせいたします」

「分かりました。ありがとうございます」

 アレクは答えた。

 昨日まで、何度も人を呼び、予定を確かめていた。

 今朝は、オスカーたちが先に整えてくれている。

 任せてよいのだと思うと、足取りが軽くなった。

 ◇ ◇ ◇

 小広間の窓からは、朝の庭が見えた。

 昨日、参列者たちが並んでいた場所には、もう人影がない。

 卓には二人分の食器が置かれ、温かな汁物とパンが運ばれてきた。

 アレクが入ると、エリーゼもほどなく姿を見せた。

 髪を整え、明るい色の服へ着替えている。

 髪には、林檎の花の飾りがあった。

 アレクは立ち上がり、椅子を引いた。

「こちらへ」

「ありがとうございます」

 エリーゼが座る。

 アレクも向かいの席へ着いた。

 昨日の長い卓とは違い、声を張らなくても話せる。

 彼女がパンへ手を伸ばした。

「昨夜は、途中からあまりお料理のお味が分からなくなってしまって」

「私もです」

 アレクが答えると、エリーゼが笑った。

「美味しかったのは、覚えているのですけれど」

「皆様とお話ししているうちに、次の皿が来ていましたね」

「はい」

 エリーゼは汁物を口に運び、目元を和らげた。

「こちらも、美味しいです」

 そばに控えていたマルタが一礼する。

「厨房の者へ伝えます」

「お願いします。昨夜のお料理も、皆様に喜んでいただけました。私からも、お礼を伝えてください」

「かしこまりました」

 マルタの声が、少し明るくなった。

 アレクは、それを聞きながらパンを取った。

 昨夜の広間には、料理を運ぶ者の姿はあっても、作っている者たちの姿はなかった。

 エリーゼは、その者たちにも言葉を届けようとしてくれている。

「今度、時間のある時に厨房へご案内しましょうか」

 アレクが尋ねた。

「よろしいのですか」

「はい。ただ、忙しい時は避けましょう。私が顔を出すと、皆、手を止めようとしてしまうので」

「では、ご迷惑にならない時に」

 エリーゼは嬉しそうに頷いた。

 オスカーが、水差しを手に近づいた。

 アレクの杯へ水を注いでから、エリーゼにも尋ねる。

「もう少しいかがでしょうか」

「ありがとうございます。お願いします」

 エリーゼが杯を寄せる。

 アレクは、卓の端にある皿を彼女の方へ動かした。

「エリーゼ様、こちらも」

 言いかけて、止まった。

 エリーゼがこちらを見ている。

 怒ってはいなかった。

 少しだけ首を傾げ、待っていた。

「……エリーゼ」

「はい、アレク」

 答える彼女の口元が緩む。

 アレクも笑った。

「まだ、慣れませんね」

「私も、気をつけていないと戻ってしまいそうです」

「少しずつ、ですね」

「はい」

 オスカーは水差しを置き、静かに下がった。

 マルタも、何も言わずに次の皿を整えている。

 からかわれないことが、かえって少し恥ずかしかった。

 アレクは照れ隠しに食事へ戻った。

 エリーゼは、その様子を楽しそうに見ていた。

 ◇ ◇ ◇

 朝食を終える頃、オスカーが出立の予定を伝えに来た。

「大公殿下の馬車は、まだお支度の途中でございます。整い次第、こちらへ知らせるようにしております」

「叔父様には、ご挨拶に伺った方がよいでしょうか」

 エリーゼが尋ねる。

「先ほど、お二人はゆっくり食事をするようにとのお言葉をいただきました」

 エリーゼは少し笑った。

「叔父様らしいです」

 アレクは窓の外を見た。

 庭には朝の光が差していた。

 馬車の支度が整うまで、まだ少し時間がある。

「庭を歩きませんか」

 エリーゼが顔を上げた。

「今から、ですか」

「はい。約束していましたから」

 彼女はすぐに頷いた。

「ぜひ」

 マルタが薄手の上着を持ってきた。

 エリーゼが袖を通し、アレクも立ち上がる。

「出立の支度が整いましたら、知らせてください」

「かしこまりました」

 オスカーへ頼んでから、アレクはエリーゼへ手を差し出した。

 彼女は自然に、その手を取った。

 ◇ ◇ ◇

 庭へ出ると、朝の空気が頬に触れた。

 石の道の脇では、草の先に残った露が光っている。

 昨日は客人を案内するため、何度も人が通った場所だった。今は、遠くで働く者の声がするだけで、静かだった。

 アレクはエリーゼの歩幅に合わせて進んだ。

 侍女と護衛は、少し距離を取ってついてくる。

「昨日とは、違うお庭のようですね」

 エリーゼが言った。

「皆様がいらした時は、向こうまで人が並んでいましたから」

 アレクは、広場を見渡せる場所へ目を向けた。

 祝砲を務めた兵たちは、もう並んでいない。

 城の警備に就く兵の姿だけが、持ち場に見えた。

 エリーゼも同じ方を見ていたが、やがて足元の花壇へ目を戻した。

「こちらは、これから何か植えるのですか」

「庭を世話している者に、相談するつもりです」

 アレクは答えた。

「私だけでは、どこに何を植えればよいか、よく分からなくて」

「では、一緒にお話を伺ってもよいですか」

「もちろんです」

 エリーゼが花壇の縁へ近づいた。

 土は整えられていたが、何も植わっていない場所が残っている。

 彼女はそこを眺め、少し考えた。

「季節ごとに、何か咲いていたら素敵ですね」

「そうできるか、聞いてみましょう」

 アレクが答えると、彼女は嬉しそうに頷いた。

 二人はまた歩き出した。

 庭の奥には、壁が風を遮る場所があった。

 日が差し、足元も乾いている。

 エリーゼが立ち止まった。

「ここは、暖かいですね」

「風の強い日でも、少しは過ごしやすいと思います」

 彼女は、そこから見える庭を眺めた。

 木々の間に道が伸び、その向こうに城の窓がある。

「ここで、本を読んでみたいです」

「椅子を置きましょうか」

 アレクが尋ねると、エリーゼはこちらを見た。

「二人で座れるものがよいです」

 アレクは少し黙り、それから笑った。

「では、そうしましょう」

「お仕事の合間に、少しだけでも」

「はい」

 アレクは、まだ何も置かれていない場所を見た。

 そこへ二人で座る椅子が置かれる。

 エリーゼが本を読み、自分も隣へ座る。

 それは、特別な日にしかできないことではなくなる。

「何を読まれるのですか」

「持ってきた本を、少しずつ。それから、こちらにある本も拝見したいです」

「オスカーに頼んでおきます」

「アレクは、どのような本を読むのですか」

 名前を呼ばれたことが、まだ嬉しかった。

 アレクは答えるまでに少し間を置いた。

「最近は、仕事に関わるものが多いです」

「では、ここでは違う本を読みましょう」

「おすすめはありますか」

 エリーゼが、少し得意そうに笑った。

「あります」

「楽しみにしています」

「途中で、別のことを考え始めないでくださいね」

 アレクは彼女を見た。

 昨夜、ヴィクトルたちが話したことを思い出す。

「気をつけます」

 エリーゼが笑った。

 アレクも笑いながら、握った手へ少し力を込めた。

 ◇ ◇ ◇

 庭の道を戻り始めたところで、マルタが近づいてきた。

「大公殿下のご出立の支度が整ったそうでございます」

 エリーゼが顔を上げた。

「分かりました」

 返事は落ち着いていた。

 だが、握っている手がわずかに動いたことに、アレクは気づいた。

「行きましょう」

 声をかけると、彼女は頷いた。

 二人は玄関へ向かった。

 庭から廊下へ入ると、人の行き来が増えていた。

 帰る客人の荷が運ばれ、従者たちが忘れ物を確かめている。昨日は飾りを整えていた使用人たちが、今朝は旅の支度を手伝っていた。

 玄関の扉の向こうに、馬車が見えた。

 アルヴェインの紋章がついている。

 エリーゼは、それを見て少し歩みを緩めた。

 アレクも足を合わせた。

 何か言おうとしたが、すぐには言葉が見つからなかった。

 彼女の見慣れた人々が、帰ろうとしている。

 昨夜、夫婦となった喜びとは別に、今朝は故郷の人々を見送らなければならない。

 エリーゼは一度息を整え、また歩き出した。

 アレクは、その隣を離れなかった。

 ◇ ◇ ◇

 玄関前では、アルベルトが家臣から報告を受けていた。

 馬車に積んだ荷と、従う者の確認だった。

 少し離れた場所に、レオンハルトとマティアスもいる。

 アレクたちが姿を見せると、アルベルトは話を切り上げた。

「来たか」

「お待たせいたしました」

 アレクが礼をする。

 アルベルトは手を振った。

「こちらの支度が、今済んだところだ」

 その目がエリーゼへ向く。

「よく休めたか」

「はい」

「食事は」

「いただきました。先ほどまで、お庭を案内していただいていたのです」

 エリーゼが答えると、アルベルトはアレクを見た。

「そうか」

 それだけ言って、もう一度エリーゼへ顔を戻した。

 いつもなら、この後は彼女も馬車へ乗る。

 出立の前に何かを尋ね、返事を聞き、忘れ物がないかを確かめる。

 だが、今日は違った。

 エリーゼの荷は、この城に残る。

 彼女自身も、アレクの隣に残る。

 アルベルトは少し黙った。

 エリーゼも、叔父を見ていた。

「慣れぬことがあれば、一人で抱え込むな」

 大公が言った。

「はい」

「分からぬことを聞くのは、恥ではない。こちらには、城をよく知る者たちがおる」

 オスカーとマルタが、静かに頭を下げた。

「無理をして、平気な顔ばかりすることもない」

 エリーゼの指が、アレクの手を握り直した。

「はい、叔父様」

 彼女は微笑んだ。

「こちらでの暮らしも、お手紙に書きます」

「そうせよ」

「お庭に、二人で座れる椅子を置くことにしたのです。次にいらした時には、ご覧いただけると思います」

 アルベルトは、少し目を細めた。

 今朝、初めて聞く約束だった。

 この城で過ごす先の日々を、エリーゼが自分の言葉で話している。

「楽しみにしておこう」

 大公は答えた。

 エリーゼは頷いたが、目元がわずかに潤んでいた。

 それを見ても、アルベルトは涙について何も言わなかった。

「帰ったら、皆にも無事を伝える」

「お願いします」

「お前の話を待っている者も、多いからな」

 エリーゼは、もう一度頷いた。

 アルベルトがアレクへ向き直る。

「アレク。エリーゼを頼む」

 アレクは姿勢を正した。

「はい。二人で、よい暮らしを築いてまいります」

 アルベルトは、その返事を聞いて頷いた。

「よい」

 短い言葉だった。

 それ以上、何かを誓わせようとはしなかった。

 アレクは深く頭を下げた。

 エリーゼも、隣で礼をする。

 顔を上げると、アルベルトはまだ二人を見ていた。

 その表情は、昨夜、皆の前で言葉を述べた時よりも、少し寂しそうに見えた。

 ◇ ◇ ◇

 馬車へ乗る前に、アルベルトはレオンハルトへ挨拶をした。

「世話になった」

「よい機会であった。また顔を合わせよう」

「今度は、こちらへ来てもらいたいものだ」

 アルベルトが言うと、レオンハルトは笑った。

「都合がつけばな」

 二人は手を握った。

 昨夜、文書の前で交わした握手とは違い、周囲に読み上げる声も、拍手もなかった。

 マティアスが、大公へ礼をする。

「道中、どうぞお気をつけて」

「そちらもな」

 アルベルトは答えた後、少し離れた場所にいる重臣たちへ目を向けた。

 出立の支度は整っていた。

 だが、馬車へ向かいかけた重臣の一人が、アレクの前で足を止めた。

「伯爵。昨夜は、よいお話を伺いました」

 鉄砲隊の教育について尋ねた男だった。

「こちらこそ、ありがとうございました」

「帰国後、改めてお尋ねすることもあろうかと思います。その際は、正式にお取り次ぎを願います」

「はい。マティアス様にも、ご相談いたします」

 重臣は頷いた。

 それから、エリーゼへ丁寧に頭を下げた。

「どうぞ、お健やかに」

「ありがとうございます。皆様も、お気をつけて」

 彼は礼を返し、馬車へ向かった。

 ほかの者たちも、順に二人へ別れを告げる。

 エリーゼは一人一人へ言葉を返した。

 幼い頃から知る顔も、その中にはあった。

 アレクは彼女の隣で、同じように見送った。

 アルベルトが馬車へ乗り込む。

 従者が扉へ手をかける前に、大公はもう一度顔を向けた。

「エリーゼ」

「はい」

「元気でな」

 エリーゼは、少しだけ唇を結んだ。

 それから、笑顔で頷いた。

「叔父様も」

 扉が閉じられる。

 御者へ合図が送られ、先頭の馬車が動き始めた。

 車輪が石の上を進む音がした。

 エリーゼは手を上げた。

 窓の向こうで、アルベルトも小さく手を上げる。

 アレクは、彼女の隣に立っていた。

 馬車は門へ向かい、その後ろを重臣たちの馬車と護衛が続く。

 門の兵が道を開けた。

 アルヴェインの一行が、ゆっくりと城を出ていく。

 エリーゼは、最後の馬車が門を抜けるまで見送っていた。

 ◇ ◇ ◇

 車輪の音が遠ざかった。

 玄関前に残る者たちも、静かに持ち場へ戻り始めた。

 レオンハルトはマティアスへ短く声をかけ、城内へ向かう。

 二人を急がせる者はいなかった。

 エリーゼは、まだ門を見ていた。

 アレクは何も言わず、隣に立っていた。

 握った手を離さずにいることしか、今は思いつかなかった。

 やがて、彼女が小さく息を吐いた。

「……行ってしまわれましたね」

「はい」

 アレクは答えた。

 エリーゼは目元へ指を添えた。

 すぐに拭ってから、こちらを見る。

「すみません」

「謝らないでください」

 アレクは言った。

 彼女が何かを言おうとして、やめる。

 アレクは少し考えてから続けた。

「手紙を出しましょう。今日でなくても、書きたい時に」

 エリーゼは頷いた。

「はい」

「私からも、一筆添えてよいですか」

 彼女がアレクを見た。

 少し驚いた顔の後、微笑みが戻った。

「叔父様も、お喜びになると思います」

「では、一緒に」

 アレクが言うと、エリーゼは握った手へ力を込めた。

 しばらく二人で門を眺めた。

 風が吹き、頭上で旗が鳴った。

 エリーゼが顔を上げる。

 林檎の花と五つの蕾を配した旗が、朝の光を受けていた。

 昨日は、あの旗を見つけて城へ来た。

 今日は、その下から叔父を見送った。

 エリーゼはアレクへ向き直った。

「戻りましょうか」

「はい」

 二人は並んで玄関へ向かった。

 扉のそばで、オスカーが待っていた。

 その隣にはマルタもいる。

 二人が近づくと、揃って一礼した。

「お茶をご用意いたしましょうか」

 オスカーが尋ねた。

 アレクはエリーゼを見た。

 彼女は少し考え、頷いた。

「お願いします。アレクも、一緒にいかがですか」

「はい」

 返事をすると、エリーゼが微笑んだ。

 マルタが扉を開ける。

 昨日、初めて迎えられた時には、部屋の場所も、廊下の先も分からなかった。

 今も、知らないことは多い。

 それでも、エリーゼはアレクの手を取り、自分から一歩を踏み出した。

 扉の向こうへ、二人で入る。

 客人として訪れた城ではなく、これからともに暮らしていく城へ。

 アレクとエリーゼの、夫婦としての暮らしが始まっていた。

第十六話を読んでいただき、ありがとうございました。

互いの名前を呼ぶことにも、まだ照れてしまう二人。少しずつ夫婦になっていくアレクとエリーゼを、これからも見守っていただければ嬉しいです。


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