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『知らない世界で、前世の知識が武器になる』 ~剣と銃で乱世を生き抜く転生領主の成り上がり~  作者: 相田 ソウ
第八篇 乱世に結ぶ絆

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第十四話 林檎の花に響く祝砲

アレクの城に、両国から客人が集まります。

 城の上で、三つの旗が風を受けていた。

 黒地に金の獅子を配したグランヴァルト王国の旗。その隣には、林檎の花と、その周りに五つの蕾を配したアレク伯爵家の旗がある。客人を迎えるために掲げられたアルヴェインの旗も、朝の光の中で大きく広がっていた。

 婚礼の日を迎えた城には、早くから人が集まっていた。

 城下の宿を出た馬車が坂を上り、門へ続く道を進んでくる。道端には、仕事の手を休めて見送りに出た者や、親に手を引かれた子どもたちの姿があった。いつもは荷車の通る道に、今日は諸侯の紋章をつけた馬車が続いている。

 門の前で、先頭の馬車が速度を落とした。

 警備の兵が進み出て、従者の差し出す書状を確かめる。すでに到着の知らせが届いている一行だったが、馬車に従う者の数まで確認してから、道が開かれた。

 アルヴェインから来た重臣の一人は、窓からその様子を見ていた。

 槍を持つ兵が、来訪者と短く言葉を交わしている。その少し奥には、別の兵が立っていた。

 肩に掛けた武器を見て、重臣は目を留めた。

 火縄銃だった。

 アルヴェインにもある。大公が戦場へ持ち出し、その働きを報告させた武器だ。見慣れぬ物だから驚いたのではなかった。

 それを持つ兵が、城門の警備に就いている。

 重臣は隣に座る男へ、低い声で言った。

「門にも置いているのだな」

「国王陛下と大公殿下をお迎えする日ですから」

 返事をした男は、窓の外へ目を向けた。

 グランヴァルトの国王とアルヴェインの大公が、一人の伯爵の婚礼へ参列する。普段より警備が厳しくても、不思議ではない。

 重臣も一度は頷いた。

 だが、門を抜けると、城内の通路にも鉄砲兵がいた。

 馬車が進む道を空け、その先の扉へ近づく者を見ている。庭へ通じる道の脇にも、同じ武器を持った兵が控えていた。

 槍兵と鉄砲兵が、同じ場所へ固まっているのではない。それぞれの持ち場に立ち、来訪者を案内する者と、警戒を続ける者に分かれている。

「門にいた者だけではなかったか」

 重臣が呟いた。

 隣の男は、今度はすぐに答えなかった。

 通り過ぎる馬車へ礼をした鉄砲兵が、視線を持ち場へ戻す。その動きには、珍しい武器を持たされて戸惑う様子がなかった。

 重臣は、城壁の上へ目を移した。

 こちらにも兵がいる。

 今日のために集めた者たちなのだとしても、それだけの銃と、扱い慣れた兵を用意できるということだった。

 自国では、どこへ何挺を回すかが軍議に上がる。その武器が、この城では、門を守る兵の手にも渡っている。

 数を聞いただけでは分からなかった。その武器を持つ兵が各所に立つ光景を、重臣は重く受け止めた。

「我々が聞いている以上に、配備が進んでいるのかもしれんな」

 重臣が言うと、隣の男も静かに頷いた。

 馬車は城の玄関前で止まった。

 扉が開かれる。

 外へ降りた重臣は、もう一度、頭上の旗を見上げた。

 林檎の花を配した旗が、王と大公の旗の間で揺れていた。

 ◇ ◇ ◇

 アレクは、玄関へ続く廊下を歩いていた。

 いつもの服ではなかった。仕立て直された上着は肩に合っていたが、袖口を傷めないようにと考えるだけで、動きが少し慎重になる。

 後ろを歩くオスカーが、声をかけた。

「アレク様、もう少しゆっくりで結構です」

「早すぎましたか」

「まだ、馬車は坂を上っているところでございます」

 アレクは足を緩めた。

 玄関へ着いてから待てばよい。そう思っていたのだが、オスカーに言われると、廊下を急いでいた自分に気づいた。

 ひと月前には、まだ先のことのようにも思えた。

 それからの日々は、あっという間に過ぎた。

 三千挺の火縄銃を配備した鉄砲隊は、残る教育と合同訓練を終えた。ギルベルトと各隊の指揮官から報告を受け、アレクはマティアスを通じてレオンハルトへ完了を伝えている。

 王家から貸与された三門の大砲も、城へ届いた。

 大砲隊として選んだ兵たちは、派遣された指導役のもとで仕事を覚え始めていた。まだ彼らだけに任せられる段階ではなく、今日も経験者がそばについている。

 それらを進める間にも、城には婚礼の荷が届き、参列者の到着予定が変わり、確認を求められることが増えた。

 今朝まで準備に追われていた城も、ようやく客人を迎える支度が整っていた。

「オスカー」

「はい」

「ここまで、ありがとうございました」

 オスカーは少し目を上げた。

「まだ、式はこれからでございます」

「それは、そうですが」

 アレクが答えると、家宰は穏やかに続けた。

「お礼は、エリーゼ様を無事にお迎えしてから、マルタたちにもお伝えください。皆、喜ぶと思います」

「はい。そうします」

 玄関の外へ出ると、風が頬に触れた。

 庭を横切る使用人たちが足を止め、礼をする。アレクも頷いて返し、門へ続く道を見た。

 やがて、アルヴェインの紋章をつけた馬車が姿を現した。

 胸が、急に落ち着かなくなった。

 門の警備兵が道を開ける。馬車がゆっくりと近づき、玄関前へ止まった。

 従者が降り、扉へ手をかけた。

 その向こうに、エリーゼがいた。

 ◇ ◇ ◇

 城へ入る少し前から、エリーゼは窓の外を見ていた。

 坂を上るにつれて、旗がよく見えるようになった。

 グランヴァルトの旗と、自国の旗。その間に、手紙で聞き、アレクとも話した紋章がある。

 林檎の花と、五つの蕾。

 風が旗を広げるたびに、図柄がはっきり見えた。

 今度は、その旗を目印に伺うのですね。

 そう言った時、アレクは、お待ちしていますと答えてくれた。

 その城へ来たのだ。

 エリーゼは膝の上で手を重ねた。

 旅の途中には、忘れ物がないか、城で迷惑をかけないかと考えていた。持ってきた小箱のことも、本を増やしすぎたのではないかということも気になった。

 だが、旗を見ていると、それらの心配より先に、アレクに会いたいと思った。

 馬車が止まる。

 開かれた扉の先で、アレクが待っていた。

 こちらを見て微笑んだ顔に、エリーゼも笑みを返した。

「お待ちしておりました」

 差し出された手へ、自分の手を重ねる。

「はい。旗が、遠くからでも見えました」

 馬車から降りたエリーゼが城を見上げると、アレクも旗へ目を向けた。

「お約束していましたから」

「覚えていてくださったのですね」

「もちろんです」

 アレクの返事を聞き、エリーゼは彼へ向き直った。

 いつもより改まった服を着ている。

 それなのに、こちらの顔を見て少し安心したように笑うところは、手紙を交わしてきたアレクと変わらなかった。

「よいお城ですね」

「ありがとうございます。落ち着かれましたら、ご案内します」

「庭も、ですか」

「はい。そちらも、お約束していますので」

 二人が笑い合うと、少し後ろでオスカーが一礼した。

「ようこそお越しくださいました、エリーゼ様。家宰を務めております、オスカーでございます」

「お手紙で伺っております。これから、お世話になります」

 エリーゼが丁寧に礼を返す。

 その隣で、マルタも名乗った。

「お支度のお手伝いをさせていただきます。道中、お疲れではございませんか」

「大丈夫です。ありがとうございます」

 マルタは頷き、城内を示した。

「お部屋へご案内いたします」

 エリーゼはアレクを見た。

 アレクも手を離すのを少しためらったが、すぐに姿勢を直した。

「では、また後ほど」

「はい」

 エリーゼは微笑み、マルタたちとともに城へ入っていった。

 アレクは、その姿が廊下の先へ消えるまで見送っていた。

 横から、オスカーが静かに声をかける。

「アレク様も、最後のお支度を」

「……はい」

 返事が少し遅れた。

 オスカーは何も言わず、部屋へ戻る道を示した。

 ◇ ◇ ◇

 鏡の前で、アレクは上着の襟へ手を伸ばした。

「そのままで結構です」

 オスカーが言った。

 アレクは手を止める。

「少し、曲がっているような気がして」

「先ほど、整えました」

「そうでしたね」

 手を下ろすと、部屋の入口から笑い声がした。

 振り向けば、カスパルが立っていた。後ろにはヴィクトル、ロベルト、エイドリアンの姿もある。

「戦の前より落ち着かない顔をしているな」

 カスパルが言った。

「そう見えますか」

「分かりやすいくらいに」

 アレクは何か言おうとして、やめた。

 落ち着いているとは、自分でも思えなかった。

 ヴィクトルが近づき、肩から袖へ目を向けた。

「よく似合っている。もう触らない方がいいぞ」

「オスカーにも、同じことを言われました」

「なら、従っておけ」

 ロベルトは、部屋の隅に置かれた書付へ目を留めた。

「今日まで仕事を持ち込んでいるのか」

「確認を頼まれたものです。もう終わっています」

「だったら、しまっておいた方がいい。式へ持っていくなよ」

 アレクが紙を片づけると、エイドリアンが扉の外を確かめてから言った。

「客の案内も進んでいる。こちらの支度さえ済めば大丈夫だ」

 四人はそれぞれ話しながらも、アレクを急がせようとはしなかった。

 戦場で集まる時とは違う。

 鎧の具合を確かめる者も、馬の様子を気にする者もいない。今日は、アレクとエリーゼの結婚を祝うために来てくれている。

「皆さん、ありがとうございます」

 アレクが言うと、カスパルが口元を緩めた。

「礼を言うなら、式が終わってからでもいい。今は、ちゃんと顔を上げて歩いてこい」

「はい」

 返事をしたところで、廊下から別の声がした。

「揃って何をしている」

 マティアスだった。

 四人が場所を空ける。

 部屋へ入ったマティアスは、アレクを見ると一度頷いた。

「支度は済んだようだな」

「はい」

「ならば、行くぞ」

 アレクは背筋を伸ばした。

 オスカーが最後に袖口を確かめ、わずかに下がる。

「よろしゅうございます」

 その言葉を聞いてから、アレクは歩き出した。

 マティアスが隣へ並ぶ。

「今日は、エリーゼ様を待たせるなよ」

「そのつもりです」

「さっきから、襟ばかり直していたと聞いたが」

 アレクは後ろを見た。

 カスパルたちが、何も言わずについてきていた。

 誰が話したのかは、分からなかった。

 だが、廊下を進むうちに、肩の力は少し抜けていた。

 ◇ ◇ ◇

 式を行う広間には、すでに参列者が集まっていた。

 高い窓から光が入り、整えられた床へ長く差している。壁際には花が飾られ、中央には二人が並んで立つための場所が設けられていた。

 前方にはレオンハルトがいる。

 国王として席に着いた姿を見て、アレクは改めて、今日ここに集まった者たちの顔ぶれを意識した。

 両国の諸侯や重臣が、こちらを見ている。

 戦場で兵の前へ立つ時とは違う視線だった。

 アレクが礼をすると、レオンハルトは軽く頷いた。

「よく整えたな」

「城の者たちが、力を尽くしてくれました」

「ああ。入った時から、よく動いていた」

 アレクは、その言葉をオスカーたちへ伝えようと思った。

 レオンハルトは、アレクの顔を見て少し笑った。

「今日は、兵の報告をしなくてよいぞ」

「承知しております」

「ならば、その顔を少し緩めろ」

 アレクが戸惑うと、近くにいたマティアスが目を伏せた。

 笑われたのだと分かったが、何も言い返せなかった。

 ほどなく、広間の入口にいた者が姿勢を正した。

 人々の会話が静まる。

 扉が開かれ、アルベルトが姿を現した。

 その隣に、エリーゼがいた。

 アレクは息を止めた。

 先ほど馬車から降りた時とは、装いが変わっている。

 明るい色の衣には細かな飾りが施され、歩くたびに裾が柔らかく揺れた。整えられた髪には、林檎の花の髪飾りがある。

 見覚えのある小さな花を見つけたことで、かえって胸がいっぱいになった。

 エリーゼも、こちらを見ていた。

 微笑もうとして、少し緊張した顔になる。その様子を見て、アレクは、自分だけではないのだと思った。

 アルベルトが近づく。

 アレクは一歩前へ出て、二人を迎えた。

「待たせたな」

「いいえ」

 答えた後も、アレクの視線はエリーゼへ戻った。

 アルベルトはそれを見て、わずかに笑った。

「何か言うことはないのか」

 アレクは、慌てて顔を上げた。

「とても、よくお似合いです」

 エリーゼの頬が染まった。

「ありがとうございます」

 小さな声だったが、アレクにははっきり聞こえた。

 アルベルトは二人を見た後、エリーゼへ向き直った。

「困っていることはないか」

「はい。皆様によくしていただいております」

「そうか」

 それだけ答え、大公は少し黙った。

 普段なら、続けて何かを尋ねるか、周囲へ指示を出すところだった。

 今は、姪の顔を見ている。

 エリーゼは、その視線を受け止めた。

「叔父様」

「何だ」

「これまで、ありがとうございました」

 アルベルトの表情が、わずかに変わった。

 エリーゼは言葉を続けた。

「私の願いを聞いてくださったことも、今日、こちらへ一緒に来てくださったことも……嬉しく思っております」

 アルベルトは一度目を伏せた。

 それから、いつもより少し穏やかな声で言った。

「礼を言われて、縁が切れるわけではないぞ」

「はい」

「何かあれば、知らせよ。便りまで遠慮することはない」

 エリーゼは頷いた。

 笑顔を保とうとしているのが、アレクにも分かった。

 アルベルトはその肩へ短く手を添え、アレクへ向き直った。

「これからは、お前が隣に立て」

 アレクは深く頭を下げた。

「はい」

 顔を上げ、エリーゼへ手を差し出す。

 彼女の手が重なった。

 アルベルトが半歩下がる。

 その場所へ、アレクが進んだ。

 エリーゼが自分の隣にいる。

 アレクは重ねた手を確かめるように、そっと握った。

 ◇ ◇ ◇

 式を進める者が、二人の名を告げた。

 広間の奥まで、声が通る。

 アレクとエリーゼは、参列者の前で向かい合った。

 あらかじめ聞いていたはずの言葉が、今は普段と違って聞こえた。今日ここで夫婦となり、ともに暮らしを築いていく。その意思を、両家と参列者の前で示す。

 アレクは、エリーゼを見た。

 彼女も、まっすぐにこちらを見ている。

 言葉を間違えないことばかり考えなくてよかった。

 伝えたい相手は、目の前にいた。

「エリーゼ様」

 呼びかけると、彼女が小さく頷いた。

「私は、あなたを妻として迎え、ともに生きることを誓います。喜びも困難も分かち合い、あなたを大切にします」

 途中で、声が震えそうになった。

 それでも、最後まで彼女を見て言えた。

 エリーゼは少し息を整えた。

「私も、アレク様を夫とし、ともに生きることを誓います。嬉しい時も、苦しい時も、あなたの隣におります」

 言い終えると、緊張していた目元が和らいだ。

 アレクは頷いた。

 重ねていた手を、今度は二人で握り直す。

 前方で、レオンハルトが立った。

「二人の結婚を、ここに祝福する」

 広間へ声が響いた。

「アレク。よき伴侶を得たな」

「はい」

 返事をすると、レオンハルトはエリーゼへ目を向けた。

「慣れぬ国での暮らしになる。アレクばかりでなく、周りの者も頼るとよい。今日ここにいる者たちは、二人を祝うために来たのだからな」

 エリーゼは礼をした。

「ありがとうございます」

 続いて、アルベルトも言葉を述べた。

「二人が互いを選び、今日を迎えたことを、嬉しく思う」

 大公の声は落ち着いていた。

 だが、エリーゼを見る目は、先ほどと同じだった。

「アレク、エリーゼ。よく話し、よく助け合って暮らせ」

 二人は揃って頷いた。

 祝福の声が上がった。

 拍手が広間へ広がり、後方に控えていた城の者たちも笑顔を見せている。

 アレクはエリーゼへ顔を向けた。

 彼女も同じように、こちらを見た。

 何かを言おうとして、二人とも少し笑ってしまった。

 今、夫婦になった。

 その実感は、一度に押し寄せたのではなかった。

 重ねた手が離れないこと。祝いの言葉を、二人で受けていること。これから城へ帰る時、彼女もここへ帰ってくること。

 その一つずつが、胸の中へ収まっていくようだった。

 ◇ ◇ ◇

 式を終えた二人のもとへ、参列者たちが順に祝いを伝えに来た。

 アレクはエリーゼと並び、礼を返した。

 顔を知っている者もいれば、今日初めて言葉を交わす者もいる。エリーゼの幼い頃を知るアルヴェインの者から話しかけられると、アレクは自然に耳を傾けた。

「昔から、本を読んでおられる時は静かでいらっしゃいました。ただ、お庭へ出られるとなると、随分と嬉しそうにしておられました」

 年配の重臣が言うと、エリーゼは少し困ったように笑った。

「そのような昔のことまで、覚えておいでなのですね」

「もちろんでございます」

 アレクは、庭を一緒に歩きたいと言っていた彼女を思い出した。

「こちらの庭も、気に入っていただけるとよいのですが」

「きっと、お喜びになります」

 重臣は答え、アレクへ丁寧に礼をした。

 別の者が近づくと、エリーゼがアレクへ紹介した。アレクも、領地で世話になっている者や、戦場を共にした者を彼女へ紹介する。

 いつもなら、自分が挨拶を終えれば済むところだった。

 今日は、隣にいる人へも知ってほしいと思った。

 五傑の仲間たちが来ると、少し空気が和らいだ。

 ヴィクトルが二人へ祝いを述べ、エイドリアンも穏やかに続く。ロベルトは城の者たちの働きを褒め、カスパルはアレクの顔を見て笑った。

「ようやく、落ち着いた顔になったな」

「そんなに違いますか」

「先ほどよりは」

 エリーゼがアレクへ顔を向けた。

「そんなに、緊張しておられたのですか」

「少しだけです」

 四人が黙った。

 アレクは、その沈黙を見て言い直した。

「……かなり、緊張していました」

 エリーゼが笑った。

「私もです」

 その返事に、アレクも笑みを返した。

 しばらくして、オスカーが近づいた。

「お庭へのご案内を始めてもよろしいでしょうか」

 アレクは頷き、エリーゼを見た。

「お話ししていた祝砲です」

「はい」

「音が大きくなります。何かあれば、すぐに仰ってください」

「分かりました」

 エリーゼは少し背筋を伸ばした。

「皆様が、私たちのために用意してくださったのですね」

「はい」

 アレクは、庭へ続く扉を見た。

 その先で、兵たちが待っていた。

 ◇ ◇ ◇

 庭へ出たアルヴェインの重臣は、最初、城外の広場を埋める列が何なのか、すぐにはのみ込めなかった。

 人が並んでいる。

 その一人一人が、同じように鉄砲を持っていた。

 前列だけではない。後ろにも、さらにその後ろにも列がある。端へ目を向けても、兵の姿が続いていた。

 広場には、所属を示す旗が立っている。

 アレクの旗だけではなかった。王家の兵と、マティアスに属する兵も、祝砲を務める隊へ加わっていた。

 その脇に、大砲が三門据えられている。

 重臣は足を止めた。

 入城する時、門にも城内にも鉄砲兵がいた。

 あの兵たちを、こちらへ集めたのだろうか。

 そう思い、振り返る。

 庭へ続く通路には、先ほどと同じように警備兵が立っていた。参列者の案内を終えても、その場を離れようとはしていない。

「警備とは、別なのだな」

 思わず口にすると、近くにいたグランヴァルトの者が答えた。

「はい。あちらは、祝砲を務める千五百人です」

「千五百……」

 重臣は広場へ目を戻した。

 噂で数を聞くことと、目の前へ並べられることは違った。

 鉄砲を買えば、この列ができるわけではない。

 持ち方の揃った兵が、静かに指示を待っている。勝手に武器を振り回す者も、こちらを見て隣と笑い合う者もいなかった。

 隊の間を歩く指揮官が、短く声をかける。兵がわずかに間隔を直し、また動かなくなる。

 これだけの者を、同じように動かせるまで教えている。

 重臣の隣でも、別の男が息を吐いた。

「城門で驚くのは、早かったようだ」

 返事をする者はいなかった。

 大砲の周りでは、経験のある者が若い兵の仕事を確かめていた。若い兵は指示を受けると頷き、持ち場へ戻る。

 三門を預かるアレクの大砲隊は、まだ育ち始めたところだった。だが、祝いの場で無理をさせることはなく、王家から派遣された者が責任を持って監督している。

 広場の兵とは別に、周辺を見張る者もいた。

 城へ集まる人々を守る兵まで、祝砲の列へ加えてはいなかった。

 その区別まで行き届いていることに、重臣は気づいた。

 ただ派手な音を聞かせるためだけの催しではない。

 この城の主が、どのような力を預かっているかを示す場でもあった。

 ◇ ◇ ◇

 庭の前方には、レオンハルトとアルベルトが並んでいた。

 その少し後ろにマティアスが立ち、諸侯や重臣たちが続く。

 アレクとエリーゼが姿を見せると、近くの者たちが道を空けた。

 アレクは彼女の歩幅に合わせて進んだ。

 庭の端から広場を見渡すと、兵の列が目に入った。

 朝から何度も確認したはずの景色だった。

 それでも、エリーゼと並んで見ると違っていた。

「皆さん、待っていてくださるのですね」

 エリーゼが言った。

「はい」

 アレクは頷いた。

 城の者だけでなく、兵たちも迎える日を楽しみにしている。

 手紙に書いたことを、今は目の前で見てもらえている。

 ギルベルトが庭へ上がってきた。

 参列者へ礼をした後、アレクの前で止まる。

「鉄砲隊、大砲隊ともに、準備が整いました」

「警備の方は」

「持ち場を維持しております。城下への知らせも済んでいます」

 アレクは頷いた。

 ギルベルトはエリーゼへ向き直った。

「本日は、誠におめでとうございます」

「ありがとうございます。皆様にも、お礼をお伝えください」

「承知いたしました」

 ギルベルトは深く礼をした。

 アレクが小さく頷くと、持ち場へ戻っていく。

 レオンハルトが、広場の列を見ながら言った。

「よく揃っている」

「各隊長と教官たちが、仕上げてくれました」

 アレクが答える。

 レオンハルトは顔を向けた。

「任せた者の働きを、そうして答えられるならよい」

 アレクは一礼した。

 隣のアルベルトは、まだ広場を見ていた。

 補給街道で会った時にも、アレクの兵はよく動いていた。

 あの時は、戦いを終えてきた隊だった。疲れを抱えながらも列を崩さず、命令を受けて持ち場へ進んでいた。

 今、目の前にいる兵は、その時よりはるかに多い。

 しかも、アレクの直属兵だけではない。国王や主君に属する兵まで、彼の指揮を受けるために並んでいる。

 アルベルトはアレクへ目を移した。

 かつて、自分のそばで働いていた若者がいた。

 今は伯爵となり、姪の夫として、この庭に立っている。

 変わったことは多い。

 それでも、エリーゼへ顔を向ける時の表情には、昔から見てきた素直さが残っていた。

「アレク」

「はい」

「見せてもらおう」

 アルベルトが言うと、アレクは姿勢を正した。

「はい」

 エリーゼへ向き直る。

「少しだけ、前へ出ます」

「はい。ここで拝見しております」

 彼女は微笑んだ。

 アレクは一歩進み、広場へ向き直った。

 ◇ ◇ ◇

 風が吹き、旗が大きく広がった。

 アレクは兵の列を見渡した。

 千五百人。

 その一人一人へ、自分の声が届くわけではない。

 こちらを見る指揮官がいる。さらに、その先の隊へ合図を伝える者がいる。

 彼らが待っていることを確かめ、アレクは胸を張った。

「鉄砲隊、大砲隊、発砲準備!」

 広場へ声が響いた。

 近くの指揮官が命令を受け、離れた隊へも合図が伝わる。

 兵が一斉に動いた。

 庭で誰かが小さく息をのんだ。

 先ほどまで静かに並んでいた列が、同じ目的のために動き出す。各隊で支度が整うと、指揮官を通じてギルベルトへ報告が伝えられていった。

 大砲のそばでも、兵がそれぞれの役目へ就いた。

 今日は、敵へ弾を放つのではない。

 広場の先に定められた安全な方向へ、空砲で祝いを告げる。兵たちはそのための確認を重ね、周囲へ人が入り込まないよう、警備の者が持ち場を守っていた。

 やがて、動きが収まった。

 各隊から準備完了の報告が戻る。

 ギルベルトが最後の確認を終え、アレクへ合図を送った。

 庭の会話は、いつの間にか止まっていた。

 エリーゼは、アレクの横顔を見ていた。

 式の前に声をかけられて照れていた人と、同じ人だった。

 だが、今は、広場の兵が何を待っているのかを知っている顔をしていた。

 アレクが息を吸った。

「構え!」

 鉄砲隊の一列目、五百人が銃を構えた。

 合図を受けた大砲隊も、命令を待つ。

 鉄砲の列が揃う。

 アルヴェインの重臣は、その瞬間、隣にいる者へ何かを言おうとして、やめた。

 アレクの視線は、広場へ向いたままだった。

「撃て!」

 声と合図を受け、最初の列が火を放った。

 五百挺の音が重なり、三門の大砲の轟音が響いた。

 庭の空気まで震えたように感じられた。

 広場に白い煙が広がる。

 何人かの参列者が、思わず肩を強張らせた。音が大きいと聞いていても、これほどの数が一度に鳴る光景を知っている者は少なかった。

 だが、兵の列は乱れなかった。

 ギルベルトと各隊の隊長が、続く命令を出す。

 一列目に代わり、二列目が射撃位置へ進む。

 アレクは、もう号令を重ねなかった。

 任せた者たちの声が、広場を動かしていた。

 次の合図が下る。

 二度目の一斉射撃が響いた。

 煙が押し広げられ、その向こうで三列目が動く。

 庭の参列者たちは、誰も立ち去ろうとしなかった。目の前で続く動きを、黙って見ている。

 アレクが大声で急かすことも、走って指示を直すこともない。

 それでも、隊は止まらない。

 三度目の音が、城壁に響いた。

 千五百人の祝砲が、二人の婚礼を城下へ告げた。

 ◇ ◇ ◇

 最後の音が遠のいても、庭にはしばらく静けさが残っていた。

 広場では、隊長たちが兵の状態を確かめている。

 煙が風に流され、旗が再びよく見えるようになった。

 林檎の花の旗の向こうにも、別の所属を示す旗がある。それぞれの旗の下で、兵は同じ指揮に従っていた。

 入城時に警備を見ていたアルヴェインの重臣は、ゆっくりと息を吐いた。

「これほどとはな」

 隣の男が、声を落として答えた。

「伯爵の兵だけではないと聞きました」

「ああ。だからこそだ」

 重臣はアレクへ目を向けた。

 自分の兵を並べ、自分の婚礼を祝わせる。それだけなら、財力のある領主にもできる。

 だが、国王と主君の兵を預かり、これだけの隊を一つの命令で動かすとなれば、話が違う。

 銃を作る知識があるというだけでは、任されない。

 レオンハルトもマティアスも、その働きを認めているのだ。

 大公の姪を迎えた若い伯爵。

 その名だけを聞いて思い浮かべていた姿は、目の前のアレクとは違っていた。

 アルベルトは、重臣たちの様子に気づいていた。

 だが、こちらを見ろとも、何か言ってみよとも命じなかった。

 見れば分かることだった。

 隣にいるレオンハルトが、静かに口を開いた。

「よい祝いになった」

 アルベルトは広場へ目を戻した。

「エリーゼも、忘れぬだろう」

「アレクもな」

 レオンハルトが言った。

 アルベルトが顔を向けると、国王は、兵ではなくアレクを見ていた。

 先ほどまで胸を張って立っていた若者が、エリーゼへ向き直ろうとしている。

 アルベルトの口元が緩んだ。

「そうであろうな」

 その言葉には、大公としてだけではない思いが含まれていた。

 ◇ ◇ ◇

 アレクは、最後の報告が戻ったことを確かめてから、エリーゼの隣へ戻った。

「驚かれませんでしたか」

 尋ねると、エリーゼは少し笑った。

「驚きました」

「やはり、音が」

「はい。でも、それだけではありません」

 アレクは彼女を見た。

 エリーゼは、広場へ一度目を向けた。

「皆様が、一緒に動かれるのですね。あれほど大勢いらっしゃるのに」

「隊長たちが、命令を伝えてくれています」

「はい。それでも、最初にアレク様がお声をかけられた時、皆様がすぐに動かれて……」

 言葉を探すように、少し間があった。

 アレクは黙って待った。

 エリーゼは顔を上げ、まっすぐに言った。

「とても、立派でした」

 アレクは、返事を忘れた。

 先ほどまで何を確かめ、誰へ何を伝えればよいか、迷わず考えられていた。

 今は、彼女の一言へ何と答えればよいか分からない。

「ありがとうございます」

 ようやく答えると、エリーゼが目元を和らげた。

「今は、いつものアレク様ですね」

「いつもの、ですか」

「はい」

 彼女はそれ以上説明せず、嬉しそうに笑った。

 アレクも、つられて笑った。

 横で咳払いが聞こえた。

 マティアスだった。

「兵たちへ、言葉をかけてやれ。二人が喜んだと分かれば、それで十分だろう」

「はい」

 アレクは頷いた。

 ギルベルトが庭へ戻り、祝砲を終えたことを報告する。

 アレクはその顔を見て言った。

「ありがとうございました。見事でした」

「恐れ入ります」

「皆さんにも、私から礼を伝えてください」

 その隣で、エリーゼも一歩進んだ。

「私からも、お願いいたします。今日のことは、ずっと覚えております」

 ギルベルトは、一瞬だけ表情を緩めた。

「必ず、伝えます」

 深く礼をして、兵のもとへ戻っていく。

 アレクとエリーゼは、並んでその後ろ姿を見送った。

 広場では、報告を受けた指揮官が各隊へ声をかけていた。

 遠くの兵の顔までは見えなかった。

 それでも、張り詰めていた列の空気が少し和らいだように、アレクには思えた。

 ◇ ◇ ◇

 参列者たちは、祝宴の席へ案内され始めた。

 庭から広間へ向かう人々の間で、先ほどの祝砲について話す声が聞こえる。

 アルヴェインの重臣たちは、今度は警備に立つ鉄砲兵を、入城した時とは違う目で見ていた。

 アレクはエリーゼへ手を差し出した。

 彼女が自然に手を重ねる。

「お疲れではありませんか」

「少し、緊張しておりました。でも、大丈夫です」

「私もです」

 エリーゼは笑った。

「先ほどは、そう見えませんでした」

「兵の前では、何をすればよいか分かっていましたので」

「私の前では、分かりませんか」

 アレクは彼女を見た。

 エリーゼの目には、少しだけ悪戯をするような色があった。

「……分からなくなることがあります」

 正直に答えると、彼女が声を立てずに笑った。

「では、これから一緒に覚えてください」

「はい」

 アレクも笑みを返した。

 二人は、すぐには歩き出さなかった。

 庭の向こうに、煙の薄くなった広場が見える。兵たちは隊ごとに引き揚げる支度を進め、警備の兵は持ち場を守っていた。

 その上で、三つの旗が揺れている。

 王国の旗。

 アルヴェインの旗。

 そして、林檎の花と五つの蕾を配した旗。

 エリーゼが、そちらを見上げた。

「今朝は、あの旗を見つけて安心しました」

「安心、ですか」

「はい。本当に、アレク様のいらっしゃる城へ来たのだと思えました」

 アレクは旗を見た。

 戦場では、自分の隊がどこにいるかを示していた。

 今日は、彼女を迎えるために掲げた。

 これからは、二人の帰る場所に立つ旗になる。

「これからは、エリーゼ様のお城でもあります」

 アレクが言うと、彼女は顔を向けた。

 少し驚いたような表情の後、ゆっくりと笑みが広がった。

「はい」

 返事は、小さくてもはっきりしていた。

 アレクは、重ねた手をそっと握った。

 広間から、二人を待つ人々の声が聞こえてくる。

 オスカーが扉のそばで一礼し、マルタも、その向こうで微笑んでいた。

「行きましょうか」

「はい」

 二人は並んで歩き出した。

 頭上では、グランヴァルト、アレク伯爵家、アルヴェインの旗が、同じ風を受けてはためいていた。

 国境を越えて想いを育んだ二人は、この日、夫婦となった。

 その婚姻の知らせは、城に響いた祝砲のように、グランヴァルトとアルヴェインの両国に、そして遠く他国にまで轟いていった。

第十四話を読んでいただき、ありがとうございました。

想いを育んできたアレクとエリーゼが、ようやく夫婦となりました。二人の新たな日々を、これからも見守っていただければ嬉しいです。


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