第十四話 林檎の花に響く祝砲
アレクの城に、両国から客人が集まります。
城の上で、三つの旗が風を受けていた。
黒地に金の獅子を配したグランヴァルト王国の旗。その隣には、林檎の花と、その周りに五つの蕾を配したアレク伯爵家の旗がある。客人を迎えるために掲げられたアルヴェインの旗も、朝の光の中で大きく広がっていた。
婚礼の日を迎えた城には、早くから人が集まっていた。
城下の宿を出た馬車が坂を上り、門へ続く道を進んでくる。道端には、仕事の手を休めて見送りに出た者や、親に手を引かれた子どもたちの姿があった。いつもは荷車の通る道に、今日は諸侯の紋章をつけた馬車が続いている。
門の前で、先頭の馬車が速度を落とした。
警備の兵が進み出て、従者の差し出す書状を確かめる。すでに到着の知らせが届いている一行だったが、馬車に従う者の数まで確認してから、道が開かれた。
アルヴェインから来た重臣の一人は、窓からその様子を見ていた。
槍を持つ兵が、来訪者と短く言葉を交わしている。その少し奥には、別の兵が立っていた。
肩に掛けた武器を見て、重臣は目を留めた。
火縄銃だった。
アルヴェインにもある。大公が戦場へ持ち出し、その働きを報告させた武器だ。見慣れぬ物だから驚いたのではなかった。
それを持つ兵が、城門の警備に就いている。
重臣は隣に座る男へ、低い声で言った。
「門にも置いているのだな」
「国王陛下と大公殿下をお迎えする日ですから」
返事をした男は、窓の外へ目を向けた。
グランヴァルトの国王とアルヴェインの大公が、一人の伯爵の婚礼へ参列する。普段より警備が厳しくても、不思議ではない。
重臣も一度は頷いた。
だが、門を抜けると、城内の通路にも鉄砲兵がいた。
馬車が進む道を空け、その先の扉へ近づく者を見ている。庭へ通じる道の脇にも、同じ武器を持った兵が控えていた。
槍兵と鉄砲兵が、同じ場所へ固まっているのではない。それぞれの持ち場に立ち、来訪者を案内する者と、警戒を続ける者に分かれている。
「門にいた者だけではなかったか」
重臣が呟いた。
隣の男は、今度はすぐに答えなかった。
通り過ぎる馬車へ礼をした鉄砲兵が、視線を持ち場へ戻す。その動きには、珍しい武器を持たされて戸惑う様子がなかった。
重臣は、城壁の上へ目を移した。
こちらにも兵がいる。
今日のために集めた者たちなのだとしても、それだけの銃と、扱い慣れた兵を用意できるということだった。
自国では、どこへ何挺を回すかが軍議に上がる。その武器が、この城では、門を守る兵の手にも渡っている。
数を聞いただけでは分からなかった。その武器を持つ兵が各所に立つ光景を、重臣は重く受け止めた。
「我々が聞いている以上に、配備が進んでいるのかもしれんな」
重臣が言うと、隣の男も静かに頷いた。
馬車は城の玄関前で止まった。
扉が開かれる。
外へ降りた重臣は、もう一度、頭上の旗を見上げた。
林檎の花を配した旗が、王と大公の旗の間で揺れていた。
◇ ◇ ◇
アレクは、玄関へ続く廊下を歩いていた。
いつもの服ではなかった。仕立て直された上着は肩に合っていたが、袖口を傷めないようにと考えるだけで、動きが少し慎重になる。
後ろを歩くオスカーが、声をかけた。
「アレク様、もう少しゆっくりで結構です」
「早すぎましたか」
「まだ、馬車は坂を上っているところでございます」
アレクは足を緩めた。
玄関へ着いてから待てばよい。そう思っていたのだが、オスカーに言われると、廊下を急いでいた自分に気づいた。
ひと月前には、まだ先のことのようにも思えた。
それからの日々は、あっという間に過ぎた。
三千挺の火縄銃を配備した鉄砲隊は、残る教育と合同訓練を終えた。ギルベルトと各隊の指揮官から報告を受け、アレクはマティアスを通じてレオンハルトへ完了を伝えている。
王家から貸与された三門の大砲も、城へ届いた。
大砲隊として選んだ兵たちは、派遣された指導役のもとで仕事を覚え始めていた。まだ彼らだけに任せられる段階ではなく、今日も経験者がそばについている。
それらを進める間にも、城には婚礼の荷が届き、参列者の到着予定が変わり、確認を求められることが増えた。
今朝まで準備に追われていた城も、ようやく客人を迎える支度が整っていた。
「オスカー」
「はい」
「ここまで、ありがとうございました」
オスカーは少し目を上げた。
「まだ、式はこれからでございます」
「それは、そうですが」
アレクが答えると、家宰は穏やかに続けた。
「お礼は、エリーゼ様を無事にお迎えしてから、マルタたちにもお伝えください。皆、喜ぶと思います」
「はい。そうします」
玄関の外へ出ると、風が頬に触れた。
庭を横切る使用人たちが足を止め、礼をする。アレクも頷いて返し、門へ続く道を見た。
やがて、アルヴェインの紋章をつけた馬車が姿を現した。
胸が、急に落ち着かなくなった。
門の警備兵が道を開ける。馬車がゆっくりと近づき、玄関前へ止まった。
従者が降り、扉へ手をかけた。
その向こうに、エリーゼがいた。
◇ ◇ ◇
城へ入る少し前から、エリーゼは窓の外を見ていた。
坂を上るにつれて、旗がよく見えるようになった。
グランヴァルトの旗と、自国の旗。その間に、手紙で聞き、アレクとも話した紋章がある。
林檎の花と、五つの蕾。
風が旗を広げるたびに、図柄がはっきり見えた。
今度は、その旗を目印に伺うのですね。
そう言った時、アレクは、お待ちしていますと答えてくれた。
その城へ来たのだ。
エリーゼは膝の上で手を重ねた。
旅の途中には、忘れ物がないか、城で迷惑をかけないかと考えていた。持ってきた小箱のことも、本を増やしすぎたのではないかということも気になった。
だが、旗を見ていると、それらの心配より先に、アレクに会いたいと思った。
馬車が止まる。
開かれた扉の先で、アレクが待っていた。
こちらを見て微笑んだ顔に、エリーゼも笑みを返した。
「お待ちしておりました」
差し出された手へ、自分の手を重ねる。
「はい。旗が、遠くからでも見えました」
馬車から降りたエリーゼが城を見上げると、アレクも旗へ目を向けた。
「お約束していましたから」
「覚えていてくださったのですね」
「もちろんです」
アレクの返事を聞き、エリーゼは彼へ向き直った。
いつもより改まった服を着ている。
それなのに、こちらの顔を見て少し安心したように笑うところは、手紙を交わしてきたアレクと変わらなかった。
「よいお城ですね」
「ありがとうございます。落ち着かれましたら、ご案内します」
「庭も、ですか」
「はい。そちらも、お約束していますので」
二人が笑い合うと、少し後ろでオスカーが一礼した。
「ようこそお越しくださいました、エリーゼ様。家宰を務めております、オスカーでございます」
「お手紙で伺っております。これから、お世話になります」
エリーゼが丁寧に礼を返す。
その隣で、マルタも名乗った。
「お支度のお手伝いをさせていただきます。道中、お疲れではございませんか」
「大丈夫です。ありがとうございます」
マルタは頷き、城内を示した。
「お部屋へご案内いたします」
エリーゼはアレクを見た。
アレクも手を離すのを少しためらったが、すぐに姿勢を直した。
「では、また後ほど」
「はい」
エリーゼは微笑み、マルタたちとともに城へ入っていった。
アレクは、その姿が廊下の先へ消えるまで見送っていた。
横から、オスカーが静かに声をかける。
「アレク様も、最後のお支度を」
「……はい」
返事が少し遅れた。
オスカーは何も言わず、部屋へ戻る道を示した。
◇ ◇ ◇
鏡の前で、アレクは上着の襟へ手を伸ばした。
「そのままで結構です」
オスカーが言った。
アレクは手を止める。
「少し、曲がっているような気がして」
「先ほど、整えました」
「そうでしたね」
手を下ろすと、部屋の入口から笑い声がした。
振り向けば、カスパルが立っていた。後ろにはヴィクトル、ロベルト、エイドリアンの姿もある。
「戦の前より落ち着かない顔をしているな」
カスパルが言った。
「そう見えますか」
「分かりやすいくらいに」
アレクは何か言おうとして、やめた。
落ち着いているとは、自分でも思えなかった。
ヴィクトルが近づき、肩から袖へ目を向けた。
「よく似合っている。もう触らない方がいいぞ」
「オスカーにも、同じことを言われました」
「なら、従っておけ」
ロベルトは、部屋の隅に置かれた書付へ目を留めた。
「今日まで仕事を持ち込んでいるのか」
「確認を頼まれたものです。もう終わっています」
「だったら、しまっておいた方がいい。式へ持っていくなよ」
アレクが紙を片づけると、エイドリアンが扉の外を確かめてから言った。
「客の案内も進んでいる。こちらの支度さえ済めば大丈夫だ」
四人はそれぞれ話しながらも、アレクを急がせようとはしなかった。
戦場で集まる時とは違う。
鎧の具合を確かめる者も、馬の様子を気にする者もいない。今日は、アレクとエリーゼの結婚を祝うために来てくれている。
「皆さん、ありがとうございます」
アレクが言うと、カスパルが口元を緩めた。
「礼を言うなら、式が終わってからでもいい。今は、ちゃんと顔を上げて歩いてこい」
「はい」
返事をしたところで、廊下から別の声がした。
「揃って何をしている」
マティアスだった。
四人が場所を空ける。
部屋へ入ったマティアスは、アレクを見ると一度頷いた。
「支度は済んだようだな」
「はい」
「ならば、行くぞ」
アレクは背筋を伸ばした。
オスカーが最後に袖口を確かめ、わずかに下がる。
「よろしゅうございます」
その言葉を聞いてから、アレクは歩き出した。
マティアスが隣へ並ぶ。
「今日は、エリーゼ様を待たせるなよ」
「そのつもりです」
「さっきから、襟ばかり直していたと聞いたが」
アレクは後ろを見た。
カスパルたちが、何も言わずについてきていた。
誰が話したのかは、分からなかった。
だが、廊下を進むうちに、肩の力は少し抜けていた。
◇ ◇ ◇
式を行う広間には、すでに参列者が集まっていた。
高い窓から光が入り、整えられた床へ長く差している。壁際には花が飾られ、中央には二人が並んで立つための場所が設けられていた。
前方にはレオンハルトがいる。
国王として席に着いた姿を見て、アレクは改めて、今日ここに集まった者たちの顔ぶれを意識した。
両国の諸侯や重臣が、こちらを見ている。
戦場で兵の前へ立つ時とは違う視線だった。
アレクが礼をすると、レオンハルトは軽く頷いた。
「よく整えたな」
「城の者たちが、力を尽くしてくれました」
「ああ。入った時から、よく動いていた」
アレクは、その言葉をオスカーたちへ伝えようと思った。
レオンハルトは、アレクの顔を見て少し笑った。
「今日は、兵の報告をしなくてよいぞ」
「承知しております」
「ならば、その顔を少し緩めろ」
アレクが戸惑うと、近くにいたマティアスが目を伏せた。
笑われたのだと分かったが、何も言い返せなかった。
ほどなく、広間の入口にいた者が姿勢を正した。
人々の会話が静まる。
扉が開かれ、アルベルトが姿を現した。
その隣に、エリーゼがいた。
アレクは息を止めた。
先ほど馬車から降りた時とは、装いが変わっている。
明るい色の衣には細かな飾りが施され、歩くたびに裾が柔らかく揺れた。整えられた髪には、林檎の花の髪飾りがある。
見覚えのある小さな花を見つけたことで、かえって胸がいっぱいになった。
エリーゼも、こちらを見ていた。
微笑もうとして、少し緊張した顔になる。その様子を見て、アレクは、自分だけではないのだと思った。
アルベルトが近づく。
アレクは一歩前へ出て、二人を迎えた。
「待たせたな」
「いいえ」
答えた後も、アレクの視線はエリーゼへ戻った。
アルベルトはそれを見て、わずかに笑った。
「何か言うことはないのか」
アレクは、慌てて顔を上げた。
「とても、よくお似合いです」
エリーゼの頬が染まった。
「ありがとうございます」
小さな声だったが、アレクにははっきり聞こえた。
アルベルトは二人を見た後、エリーゼへ向き直った。
「困っていることはないか」
「はい。皆様によくしていただいております」
「そうか」
それだけ答え、大公は少し黙った。
普段なら、続けて何かを尋ねるか、周囲へ指示を出すところだった。
今は、姪の顔を見ている。
エリーゼは、その視線を受け止めた。
「叔父様」
「何だ」
「これまで、ありがとうございました」
アルベルトの表情が、わずかに変わった。
エリーゼは言葉を続けた。
「私の願いを聞いてくださったことも、今日、こちらへ一緒に来てくださったことも……嬉しく思っております」
アルベルトは一度目を伏せた。
それから、いつもより少し穏やかな声で言った。
「礼を言われて、縁が切れるわけではないぞ」
「はい」
「何かあれば、知らせよ。便りまで遠慮することはない」
エリーゼは頷いた。
笑顔を保とうとしているのが、アレクにも分かった。
アルベルトはその肩へ短く手を添え、アレクへ向き直った。
「これからは、お前が隣に立て」
アレクは深く頭を下げた。
「はい」
顔を上げ、エリーゼへ手を差し出す。
彼女の手が重なった。
アルベルトが半歩下がる。
その場所へ、アレクが進んだ。
エリーゼが自分の隣にいる。
アレクは重ねた手を確かめるように、そっと握った。
◇ ◇ ◇
式を進める者が、二人の名を告げた。
広間の奥まで、声が通る。
アレクとエリーゼは、参列者の前で向かい合った。
あらかじめ聞いていたはずの言葉が、今は普段と違って聞こえた。今日ここで夫婦となり、ともに暮らしを築いていく。その意思を、両家と参列者の前で示す。
アレクは、エリーゼを見た。
彼女も、まっすぐにこちらを見ている。
言葉を間違えないことばかり考えなくてよかった。
伝えたい相手は、目の前にいた。
「エリーゼ様」
呼びかけると、彼女が小さく頷いた。
「私は、あなたを妻として迎え、ともに生きることを誓います。喜びも困難も分かち合い、あなたを大切にします」
途中で、声が震えそうになった。
それでも、最後まで彼女を見て言えた。
エリーゼは少し息を整えた。
「私も、アレク様を夫とし、ともに生きることを誓います。嬉しい時も、苦しい時も、あなたの隣におります」
言い終えると、緊張していた目元が和らいだ。
アレクは頷いた。
重ねていた手を、今度は二人で握り直す。
前方で、レオンハルトが立った。
「二人の結婚を、ここに祝福する」
広間へ声が響いた。
「アレク。よき伴侶を得たな」
「はい」
返事をすると、レオンハルトはエリーゼへ目を向けた。
「慣れぬ国での暮らしになる。アレクばかりでなく、周りの者も頼るとよい。今日ここにいる者たちは、二人を祝うために来たのだからな」
エリーゼは礼をした。
「ありがとうございます」
続いて、アルベルトも言葉を述べた。
「二人が互いを選び、今日を迎えたことを、嬉しく思う」
大公の声は落ち着いていた。
だが、エリーゼを見る目は、先ほどと同じだった。
「アレク、エリーゼ。よく話し、よく助け合って暮らせ」
二人は揃って頷いた。
祝福の声が上がった。
拍手が広間へ広がり、後方に控えていた城の者たちも笑顔を見せている。
アレクはエリーゼへ顔を向けた。
彼女も同じように、こちらを見た。
何かを言おうとして、二人とも少し笑ってしまった。
今、夫婦になった。
その実感は、一度に押し寄せたのではなかった。
重ねた手が離れないこと。祝いの言葉を、二人で受けていること。これから城へ帰る時、彼女もここへ帰ってくること。
その一つずつが、胸の中へ収まっていくようだった。
◇ ◇ ◇
式を終えた二人のもとへ、参列者たちが順に祝いを伝えに来た。
アレクはエリーゼと並び、礼を返した。
顔を知っている者もいれば、今日初めて言葉を交わす者もいる。エリーゼの幼い頃を知るアルヴェインの者から話しかけられると、アレクは自然に耳を傾けた。
「昔から、本を読んでおられる時は静かでいらっしゃいました。ただ、お庭へ出られるとなると、随分と嬉しそうにしておられました」
年配の重臣が言うと、エリーゼは少し困ったように笑った。
「そのような昔のことまで、覚えておいでなのですね」
「もちろんでございます」
アレクは、庭を一緒に歩きたいと言っていた彼女を思い出した。
「こちらの庭も、気に入っていただけるとよいのですが」
「きっと、お喜びになります」
重臣は答え、アレクへ丁寧に礼をした。
別の者が近づくと、エリーゼがアレクへ紹介した。アレクも、領地で世話になっている者や、戦場を共にした者を彼女へ紹介する。
いつもなら、自分が挨拶を終えれば済むところだった。
今日は、隣にいる人へも知ってほしいと思った。
五傑の仲間たちが来ると、少し空気が和らいだ。
ヴィクトルが二人へ祝いを述べ、エイドリアンも穏やかに続く。ロベルトは城の者たちの働きを褒め、カスパルはアレクの顔を見て笑った。
「ようやく、落ち着いた顔になったな」
「そんなに違いますか」
「先ほどよりは」
エリーゼがアレクへ顔を向けた。
「そんなに、緊張しておられたのですか」
「少しだけです」
四人が黙った。
アレクは、その沈黙を見て言い直した。
「……かなり、緊張していました」
エリーゼが笑った。
「私もです」
その返事に、アレクも笑みを返した。
しばらくして、オスカーが近づいた。
「お庭へのご案内を始めてもよろしいでしょうか」
アレクは頷き、エリーゼを見た。
「お話ししていた祝砲です」
「はい」
「音が大きくなります。何かあれば、すぐに仰ってください」
「分かりました」
エリーゼは少し背筋を伸ばした。
「皆様が、私たちのために用意してくださったのですね」
「はい」
アレクは、庭へ続く扉を見た。
その先で、兵たちが待っていた。
◇ ◇ ◇
庭へ出たアルヴェインの重臣は、最初、城外の広場を埋める列が何なのか、すぐにはのみ込めなかった。
人が並んでいる。
その一人一人が、同じように鉄砲を持っていた。
前列だけではない。後ろにも、さらにその後ろにも列がある。端へ目を向けても、兵の姿が続いていた。
広場には、所属を示す旗が立っている。
アレクの旗だけではなかった。王家の兵と、マティアスに属する兵も、祝砲を務める隊へ加わっていた。
その脇に、大砲が三門据えられている。
重臣は足を止めた。
入城する時、門にも城内にも鉄砲兵がいた。
あの兵たちを、こちらへ集めたのだろうか。
そう思い、振り返る。
庭へ続く通路には、先ほどと同じように警備兵が立っていた。参列者の案内を終えても、その場を離れようとはしていない。
「警備とは、別なのだな」
思わず口にすると、近くにいたグランヴァルトの者が答えた。
「はい。あちらは、祝砲を務める千五百人です」
「千五百……」
重臣は広場へ目を戻した。
噂で数を聞くことと、目の前へ並べられることは違った。
鉄砲を買えば、この列ができるわけではない。
持ち方の揃った兵が、静かに指示を待っている。勝手に武器を振り回す者も、こちらを見て隣と笑い合う者もいなかった。
隊の間を歩く指揮官が、短く声をかける。兵がわずかに間隔を直し、また動かなくなる。
これだけの者を、同じように動かせるまで教えている。
重臣の隣でも、別の男が息を吐いた。
「城門で驚くのは、早かったようだ」
返事をする者はいなかった。
大砲の周りでは、経験のある者が若い兵の仕事を確かめていた。若い兵は指示を受けると頷き、持ち場へ戻る。
三門を預かるアレクの大砲隊は、まだ育ち始めたところだった。だが、祝いの場で無理をさせることはなく、王家から派遣された者が責任を持って監督している。
広場の兵とは別に、周辺を見張る者もいた。
城へ集まる人々を守る兵まで、祝砲の列へ加えてはいなかった。
その区別まで行き届いていることに、重臣は気づいた。
ただ派手な音を聞かせるためだけの催しではない。
この城の主が、どのような力を預かっているかを示す場でもあった。
◇ ◇ ◇
庭の前方には、レオンハルトとアルベルトが並んでいた。
その少し後ろにマティアスが立ち、諸侯や重臣たちが続く。
アレクとエリーゼが姿を見せると、近くの者たちが道を空けた。
アレクは彼女の歩幅に合わせて進んだ。
庭の端から広場を見渡すと、兵の列が目に入った。
朝から何度も確認したはずの景色だった。
それでも、エリーゼと並んで見ると違っていた。
「皆さん、待っていてくださるのですね」
エリーゼが言った。
「はい」
アレクは頷いた。
城の者だけでなく、兵たちも迎える日を楽しみにしている。
手紙に書いたことを、今は目の前で見てもらえている。
ギルベルトが庭へ上がってきた。
参列者へ礼をした後、アレクの前で止まる。
「鉄砲隊、大砲隊ともに、準備が整いました」
「警備の方は」
「持ち場を維持しております。城下への知らせも済んでいます」
アレクは頷いた。
ギルベルトはエリーゼへ向き直った。
「本日は、誠におめでとうございます」
「ありがとうございます。皆様にも、お礼をお伝えください」
「承知いたしました」
ギルベルトは深く礼をした。
アレクが小さく頷くと、持ち場へ戻っていく。
レオンハルトが、広場の列を見ながら言った。
「よく揃っている」
「各隊長と教官たちが、仕上げてくれました」
アレクが答える。
レオンハルトは顔を向けた。
「任せた者の働きを、そうして答えられるならよい」
アレクは一礼した。
隣のアルベルトは、まだ広場を見ていた。
補給街道で会った時にも、アレクの兵はよく動いていた。
あの時は、戦いを終えてきた隊だった。疲れを抱えながらも列を崩さず、命令を受けて持ち場へ進んでいた。
今、目の前にいる兵は、その時よりはるかに多い。
しかも、アレクの直属兵だけではない。国王や主君に属する兵まで、彼の指揮を受けるために並んでいる。
アルベルトはアレクへ目を移した。
かつて、自分のそばで働いていた若者がいた。
今は伯爵となり、姪の夫として、この庭に立っている。
変わったことは多い。
それでも、エリーゼへ顔を向ける時の表情には、昔から見てきた素直さが残っていた。
「アレク」
「はい」
「見せてもらおう」
アルベルトが言うと、アレクは姿勢を正した。
「はい」
エリーゼへ向き直る。
「少しだけ、前へ出ます」
「はい。ここで拝見しております」
彼女は微笑んだ。
アレクは一歩進み、広場へ向き直った。
◇ ◇ ◇
風が吹き、旗が大きく広がった。
アレクは兵の列を見渡した。
千五百人。
その一人一人へ、自分の声が届くわけではない。
こちらを見る指揮官がいる。さらに、その先の隊へ合図を伝える者がいる。
彼らが待っていることを確かめ、アレクは胸を張った。
「鉄砲隊、大砲隊、発砲準備!」
広場へ声が響いた。
近くの指揮官が命令を受け、離れた隊へも合図が伝わる。
兵が一斉に動いた。
庭で誰かが小さく息をのんだ。
先ほどまで静かに並んでいた列が、同じ目的のために動き出す。各隊で支度が整うと、指揮官を通じてギルベルトへ報告が伝えられていった。
大砲のそばでも、兵がそれぞれの役目へ就いた。
今日は、敵へ弾を放つのではない。
広場の先に定められた安全な方向へ、空砲で祝いを告げる。兵たちはそのための確認を重ね、周囲へ人が入り込まないよう、警備の者が持ち場を守っていた。
やがて、動きが収まった。
各隊から準備完了の報告が戻る。
ギルベルトが最後の確認を終え、アレクへ合図を送った。
庭の会話は、いつの間にか止まっていた。
エリーゼは、アレクの横顔を見ていた。
式の前に声をかけられて照れていた人と、同じ人だった。
だが、今は、広場の兵が何を待っているのかを知っている顔をしていた。
アレクが息を吸った。
「構え!」
鉄砲隊の一列目、五百人が銃を構えた。
合図を受けた大砲隊も、命令を待つ。
鉄砲の列が揃う。
アルヴェインの重臣は、その瞬間、隣にいる者へ何かを言おうとして、やめた。
アレクの視線は、広場へ向いたままだった。
「撃て!」
声と合図を受け、最初の列が火を放った。
五百挺の音が重なり、三門の大砲の轟音が響いた。
庭の空気まで震えたように感じられた。
広場に白い煙が広がる。
何人かの参列者が、思わず肩を強張らせた。音が大きいと聞いていても、これほどの数が一度に鳴る光景を知っている者は少なかった。
だが、兵の列は乱れなかった。
ギルベルトと各隊の隊長が、続く命令を出す。
一列目に代わり、二列目が射撃位置へ進む。
アレクは、もう号令を重ねなかった。
任せた者たちの声が、広場を動かしていた。
次の合図が下る。
二度目の一斉射撃が響いた。
煙が押し広げられ、その向こうで三列目が動く。
庭の参列者たちは、誰も立ち去ろうとしなかった。目の前で続く動きを、黙って見ている。
アレクが大声で急かすことも、走って指示を直すこともない。
それでも、隊は止まらない。
三度目の音が、城壁に響いた。
千五百人の祝砲が、二人の婚礼を城下へ告げた。
◇ ◇ ◇
最後の音が遠のいても、庭にはしばらく静けさが残っていた。
広場では、隊長たちが兵の状態を確かめている。
煙が風に流され、旗が再びよく見えるようになった。
林檎の花の旗の向こうにも、別の所属を示す旗がある。それぞれの旗の下で、兵は同じ指揮に従っていた。
入城時に警備を見ていたアルヴェインの重臣は、ゆっくりと息を吐いた。
「これほどとはな」
隣の男が、声を落として答えた。
「伯爵の兵だけではないと聞きました」
「ああ。だからこそだ」
重臣はアレクへ目を向けた。
自分の兵を並べ、自分の婚礼を祝わせる。それだけなら、財力のある領主にもできる。
だが、国王と主君の兵を預かり、これだけの隊を一つの命令で動かすとなれば、話が違う。
銃を作る知識があるというだけでは、任されない。
レオンハルトもマティアスも、その働きを認めているのだ。
大公の姪を迎えた若い伯爵。
その名だけを聞いて思い浮かべていた姿は、目の前のアレクとは違っていた。
アルベルトは、重臣たちの様子に気づいていた。
だが、こちらを見ろとも、何か言ってみよとも命じなかった。
見れば分かることだった。
隣にいるレオンハルトが、静かに口を開いた。
「よい祝いになった」
アルベルトは広場へ目を戻した。
「エリーゼも、忘れぬだろう」
「アレクもな」
レオンハルトが言った。
アルベルトが顔を向けると、国王は、兵ではなくアレクを見ていた。
先ほどまで胸を張って立っていた若者が、エリーゼへ向き直ろうとしている。
アルベルトの口元が緩んだ。
「そうであろうな」
その言葉には、大公としてだけではない思いが含まれていた。
◇ ◇ ◇
アレクは、最後の報告が戻ったことを確かめてから、エリーゼの隣へ戻った。
「驚かれませんでしたか」
尋ねると、エリーゼは少し笑った。
「驚きました」
「やはり、音が」
「はい。でも、それだけではありません」
アレクは彼女を見た。
エリーゼは、広場へ一度目を向けた。
「皆様が、一緒に動かれるのですね。あれほど大勢いらっしゃるのに」
「隊長たちが、命令を伝えてくれています」
「はい。それでも、最初にアレク様がお声をかけられた時、皆様がすぐに動かれて……」
言葉を探すように、少し間があった。
アレクは黙って待った。
エリーゼは顔を上げ、まっすぐに言った。
「とても、立派でした」
アレクは、返事を忘れた。
先ほどまで何を確かめ、誰へ何を伝えればよいか、迷わず考えられていた。
今は、彼女の一言へ何と答えればよいか分からない。
「ありがとうございます」
ようやく答えると、エリーゼが目元を和らげた。
「今は、いつものアレク様ですね」
「いつもの、ですか」
「はい」
彼女はそれ以上説明せず、嬉しそうに笑った。
アレクも、つられて笑った。
横で咳払いが聞こえた。
マティアスだった。
「兵たちへ、言葉をかけてやれ。二人が喜んだと分かれば、それで十分だろう」
「はい」
アレクは頷いた。
ギルベルトが庭へ戻り、祝砲を終えたことを報告する。
アレクはその顔を見て言った。
「ありがとうございました。見事でした」
「恐れ入ります」
「皆さんにも、私から礼を伝えてください」
その隣で、エリーゼも一歩進んだ。
「私からも、お願いいたします。今日のことは、ずっと覚えております」
ギルベルトは、一瞬だけ表情を緩めた。
「必ず、伝えます」
深く礼をして、兵のもとへ戻っていく。
アレクとエリーゼは、並んでその後ろ姿を見送った。
広場では、報告を受けた指揮官が各隊へ声をかけていた。
遠くの兵の顔までは見えなかった。
それでも、張り詰めていた列の空気が少し和らいだように、アレクには思えた。
◇ ◇ ◇
参列者たちは、祝宴の席へ案内され始めた。
庭から広間へ向かう人々の間で、先ほどの祝砲について話す声が聞こえる。
アルヴェインの重臣たちは、今度は警備に立つ鉄砲兵を、入城した時とは違う目で見ていた。
アレクはエリーゼへ手を差し出した。
彼女が自然に手を重ねる。
「お疲れではありませんか」
「少し、緊張しておりました。でも、大丈夫です」
「私もです」
エリーゼは笑った。
「先ほどは、そう見えませんでした」
「兵の前では、何をすればよいか分かっていましたので」
「私の前では、分かりませんか」
アレクは彼女を見た。
エリーゼの目には、少しだけ悪戯をするような色があった。
「……分からなくなることがあります」
正直に答えると、彼女が声を立てずに笑った。
「では、これから一緒に覚えてください」
「はい」
アレクも笑みを返した。
二人は、すぐには歩き出さなかった。
庭の向こうに、煙の薄くなった広場が見える。兵たちは隊ごとに引き揚げる支度を進め、警備の兵は持ち場を守っていた。
その上で、三つの旗が揺れている。
王国の旗。
アルヴェインの旗。
そして、林檎の花と五つの蕾を配した旗。
エリーゼが、そちらを見上げた。
「今朝は、あの旗を見つけて安心しました」
「安心、ですか」
「はい。本当に、アレク様のいらっしゃる城へ来たのだと思えました」
アレクは旗を見た。
戦場では、自分の隊がどこにいるかを示していた。
今日は、彼女を迎えるために掲げた。
これからは、二人の帰る場所に立つ旗になる。
「これからは、エリーゼ様のお城でもあります」
アレクが言うと、彼女は顔を向けた。
少し驚いたような表情の後、ゆっくりと笑みが広がった。
「はい」
返事は、小さくてもはっきりしていた。
アレクは、重ねた手をそっと握った。
広間から、二人を待つ人々の声が聞こえてくる。
オスカーが扉のそばで一礼し、マルタも、その向こうで微笑んでいた。
「行きましょうか」
「はい」
二人は並んで歩き出した。
頭上では、グランヴァルト、アレク伯爵家、アルヴェインの旗が、同じ風を受けてはためいていた。
国境を越えて想いを育んだ二人は、この日、夫婦となった。
その婚姻の知らせは、城に響いた祝砲のように、グランヴァルトとアルヴェインの両国に、そして遠く他国にまで轟いていった。
第十四話を読んでいただき、ありがとうございました。
想いを育んできたアレクとエリーゼが、ようやく夫婦となりました。二人の新たな日々を、これからも見守っていただければ嬉しいです。
少しでも面白い、続きが気になると思ってくださったら、ページ下部にある【ブックマークに追加】や【★★★★★】での評価で応援していただけると、執筆の励みになります!




