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『知らない世界で、前世の知識が武器になる』 ~剣と銃で乱世を生き抜く転生領主の成り上がり~  作者: 相田 ソウ
第八篇 乱世に結ぶ絆

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第十三話 三千挺を率いる者

アルヴェインから戻り、アレクは領地と兵の仕事に向き合います。

婚礼の日が近づく中、待ち続けていた荷が届きました。

 アルヴェインから戻って、二か月ほどが過ぎていた。

 婚礼まで、あとひと月。

 アレクの城では、客室へ運び込む寝具を確かめる者と、廊下の壁を拭く者が、朝から忙しく働いていた。庭に面した部屋にも机が運び込まれたが、窓からどれほど離して置くかは、まだ決めていない。

 エリーゼが来てから、一緒に決めることにしていた。

 執務室の卓には、そのエリーゼから届いた手紙が広げられていた。

 持っていく本を選んでいたら、思っていたよりも多くなってしまったこと。長く使ってきた小箱は、ほかの荷へ混ぜず、自分のそばへ置いて運びたいこと。そして、アレクの城で働く者たちに会うのを楽しみにしていること。

 アレクは手紙を読み返し、返事の続きを書いた。

 本を置く場所は用意できる。荷が増えることは気にしなくてよい。ただ、大切な物を無理に置いてこないでほしい。

 そこまで書いたところで、扉が叩かれた。

「どうぞ」

 入ってきたオスカーは、アレクの手元へ目を向けると、足を止めた。

「お手紙の途中でしたか」

「もう少しで終わります。何かありましたか」

「ギルベルト様から、荷車が到着したとの知らせがございます」

 アレクは筆を止めた。

「最後の分ですか」

「はい。数を確かめるため、倉へ運び入れているそうです」

 椅子を引きかけて、アレクは手元の紙を見た。

 最後の一文が、途中のままだった。

 筆を取り直し、城で会える日を楽しみにしていると書き添える。インクが乾くのを待つ間に、オスカーへ顔を向けた。

「これを封じてから出ます。馬の支度をお願いします」

「承知いたしました」

「それと、エリーゼ様の本を置く棚ですが」

「先日お話しされたものを、用意しております」

「持ってこられる本が、少し増えるかもしれません」

 オスカーは、卓の手紙へ一度だけ目を向けた。

「では、隣へもう一つ置けるようにしておきます」

「お願いします」

 アレクは笑みを浮かべた後、届いた知らせへ意識を戻した。

 最後の荷が来た。

 製造を始めた頃には、遠すぎると思えた数だった。

 十挺を揃えるために何度も職人のもとへ足を運び、百挺、三百挺と増えるたび、使う兵と教える者を集めてきた。

 その先に置いていた三千挺が、ようやく揃おうとしていた。

 ◇ ◇ ◇

 倉の前には、荷を下ろし終えた車が並んでいた。

 御者たちが馬の具合を見ている。その脇を通り、アレクは開かれた扉へ向かった。

 中には木箱が並び、ギルベルトが書付を手に報告を受けていた。箱から取り出した火縄銃を確かめる者と、確認を終えた分を別の場所へ移す者が、それぞれ仕事を進めている。

「アレク様」

 ギルベルトが気づき、姿勢を正した。

「到着したと聞きました」

「はい。積み荷の数は書付と合っています。今は、運ぶ間に傷んだものがないか確かめております」

「急がせなくて構いません。いつもどおりにお願いします」

「承知しました」

 アレクは箱の前へ立った。

 木台の色には、わずかな違いがあった。だが、並べて置かれた火縄銃の形は揃っている。最初の頃のように、一挺ごとに作った者の癖が大きく出ることはなくなっていた。

 銃を手に取っていた兵が、確認を終えると隣の者へ渡した。

 受け取った兵が番号を読み上げ、書付へ印がつく。

 アレクが来ても、その仕事は止まらなかった。

 ギルベルトは一通の手紙を差し出した。

「ロルフ殿からです。荷と一緒に届きました」

 アレクは受け取り、その場で封を開いた。

 最初に、今回送った数が記されていた。続いて、残っている修理の仕事と、交換用の部品についての報告がある。

 三千挺が揃ったからといって、職人たちの仕事がなくなるわけではない。すでに使われている銃を直し、傷んだ物を取り替え、製造を続けるための道具にも手を入れなければならなかった。

 手紙の後半で、ようやくロルフらしい言葉が出てきた。

 初めは、同じ物を作れと言うだけでも苦労した。

 今では、こちらが言う前に、少し違うと気づく者がいる。

 数が揃ったことより、そちらの方を見てもらいたい。

 アレクは、その箇所をもう一度読んだ。

「何とございましたか」

 ギルベルトが尋ねた。

「職人たちが育ったそうです」

 アレクは顔を上げた。

「自分が見ていなくても、任せられる仕事が増えたと」

「それは、何よりです」

「はい」

 倉の奥で、兵が一挺を別の布の上へ置いた。

 アレクとギルベルトが目を向ける。

「こちらは、木台に傷がございます」

 兵が報告した。

 ギルベルトは近づき、示された箇所を見た。

「記録して、職人に確かめてもらえ。ほかへ混ぜるな」

「はい」

 兵は頷き、書付へ何かを書き込んだ。

 アレクは、その銃を見ながら言った。

「三千挺に届くからといって、見逃しては意味がありませんね」

「使う兵にとっては、自分の持つ一挺ですから」

 ギルベルトが答えた。

 アレクは頷いた。

 ロルフの手紙を畳み、懐へ収める。

「確認が終わったら、教えてください。私も、揃ったところを見たいです」

「承知しました」

 ◇ ◇ ◇

 数日後、最後の確認を終えたという報告が届いた。

 運搬中についた傷はいずれも軽く、手入れを終えた。これで、今回届いた分もすべて受領できた。

 アレクは、ギルベルトから渡された書付を卓へ置いた。

 すでに各隊へ配備している分。訓練のために渡していた分。そして、今回の納入分。

 同じ銃を二度数えないようにまとめられた総数は、三千挺となっていた。

「揃いましたね」

「はい」

 ギルベルトが答えた。

 しばらく、二人とも書付を見ていた。

 大きな声を上げる者はいなかった。

 それでも、ギルベルトの口元が普段より少し緩んでいることに、アレクは気づいた。

「ロルフ殿へ、受領したと返事を書きます。職人の皆さんにも、礼を伝えてもらわなければ」

「兵たちも感謝していると、お伝えください」

「はい」

 アレクは隣に置いていた名簿を開いた。

 銃の数の次は、兵だった。

 領地を得てから進めてきた増員によって、アレクの直轄兵は千人となっていた。

 そのうち、鉄砲を持つ兵が六百人。

 騎馬鉄砲隊二百人と、徒歩で動く鉄砲隊四百人である。

 残る四百人は、城や倉を守る兵、輸送を担う兵などに分かれ、大砲隊へ加える者も、その中から選ぶことにしていた。

 千人すべてを演習地へ連れてくることはできない。今日も城門には兵が立ち、荷を運ぶ車には別の兵がついていた。

 ギルベルトが名簿の一箇所を示した。

「騎馬鉄砲隊の増員分も、各隊へ入れております。馬の世話と乗馬を先に覚えさせた者たちです」

「以前からの兵と、一緒に動かせていますか」

「はい。ただ、遠くまで続けて走らせた後の動きは、まだ差がございます」

「そこは無理をさせず、確かめながら進めてください」

「承知しました」

 牧草地があるだけで、すぐに百頭の軍馬が増えるわけではなかった。今回の増員には、領内で育ててきた馬だけでなく、買い入れた馬も使っている。

 馬を扱える者を集め、その指導を受けながら、兵も少しずつ乗ることを覚えてきた。

 アレクは、徒歩の鉄砲隊の名簿へ目を移した。

 こちらにも、すでに訓練を重ねた者と、銃を渡されてから日が浅い者がいる。

 全員を同じように扱うことはできなかった。

「最後に銃を受け取った兵の様子は、どうですか」

「それまで教わったことは覚えております。ですが、自分の銃を持って続けて動くことには、まだ慣れていません」

「各隊での訓練を続けてください。全体を合わせる時にも、そこを見たいです」

 ギルベルトは頷いた。

 アレクは、さらに別の名簿を開いた。

 レオンハルトとマティアスに属する鉄砲兵は、合わせて二千四百人。その兵たちが、アレク直轄の六百人とともに訓練を受けている。

 合わせて三千人。

 指揮を任されていても、所属まで同じになるわけではない。各隊の名簿にも、誰の兵なのかは分けて記されていた。

「マティアス様が、合同訓練をご覧になります」

 アレクが言うと、ギルベルトは顔を上げた。

「全隊を動かす日に、ですか」

「はい。陛下へご報告される前に、ご自分でも確かめたいとのことです」

「では、そのつもりで各隊長へ伝えます」

「見ていただくために、できないことを隠す必要はありません。まだ揃わないところも、そのまま確かめます」

 ギルベルトの表情が引き締まった。

「承知しました」

 アレクは名簿を閉じた。

 三千挺を揃える仕事は終わった。

 それを持つ三千人を、戦場で動かせるようにする仕事は、まだ続いていた。

 ◇ ◇ ◇

 合同訓練の日、アレクは朝から演習地へ出ていた。

 城下から離れた広い土地に、鉄砲兵の隊が次々と入ってくる。馬を引く兵の列は、徒歩の兵とは別の道から進んでいた。

 待機する場所には、それぞれの所属を示す旗が立っている。

 アレクの兵が集まる場所では、林檎の花と、その周りに五つの蕾を配した旗が風を受けていた。

 その向こうにも、さらに向こうにも兵がいる。

 一つの隊が止まっても、遠い列はまだ動いていた。最後尾が演習地へ入り終えるまで、アレクはしばらく待たなければならなかった。

 百人を前に立たせていた頃とは、見える景色が違う。

 顔を見れば誰か分かった兵たちも、今は大勢の中へ混じっている。自分の声が届かない場所にも、命令を待つ兵がいた。

「三千というのは、こういう眺めか」

 隣で、マティアスが言った。

 アレクは振り向いた。

「お待たせしております」

「まだ揃えているところだろう。構わん」

 マティアスは馬を下り、手綱を従者へ預けた。

 ギルベルトが近づいて一礼する。

「まもなく、全隊の確認が終わります」

「予定どおりに進めろ。私がいるからと、余計なことを加えるな」

「はっ」

 ギルベルトが離れると、マティアスは兵の列へ目を戻した。

「銃は、すべて受け取ったと聞いた」

「はい。検査も終わりました」

「ロルフも、肩の荷が一つ下りただろう」

「次の仕事についても、手紙に書いてありました」

「休むつもりはないらしいな」

 アレクは少し笑った。

 ただ、笑いながらも、目は兵の列を追っていた。

 最後の隊が持ち場へ入り、指揮官が人数を確かめている。しばらくして、報告を受けたギルベルトが戻ってきた。

「全隊、揃いました」

 アレクは頷いた。

「始めましょう」

 ◇ ◇ ◇

 その日の訓練では、三千人を一つの長い列へ並べなかった。

 各隊に持ち場と進む先を与え、それぞれの指揮官が兵を動かす。アレクは全体を見渡せる場所に立ち、ギルベルトから各隊の報告を受けた。

 最初の命令が伝わる。

 近くの隊が動き、少し遅れて、離れた場所でも列が進み始めた。

 兵が一斉に踏み出した音が、地面を伝わってくる。

 旗が進み、その後ろを鉄砲兵が続いた。別の隊はその場に留まり、前を横切る列が通り終えるのを待っている。

 アレクは、遠い隊の先頭へ目を向けた。

 予定していた目印へ、まだ届いていない。

 後ろの隊は、前の動きに合わせて進んでいた。

 このままでは、間が狭くなる。

 アレクは口を開きかけた。

 その時、後続の指揮官が手を上げた。

 列が止まる。

 先頭にいる数人だけではない。途中にいる指揮役も停止を伝え、後ろの兵まで足を止めた。

 遅れていた隊では、隊長が脇へ出て兵へ声をかけていた。兵が互いの位置を確かめ、乱れていた列を整える。

 ギルベルトが、報告に来た者から話を聞いた。

「進む先を取り違えかけたようです。隊長が気づいて直しております」

 アレクは、隊の先にある目印を見た。

 隣の隊が使う目印も、そこから見える位置にあった。

「後ろは止まっていますね」

「はい」

「では、今の隊長に任せてください。ほかの隊も、先へ進ませずに待たせます」

「承知しました」

 伝令が走った。

 アレクは、その場を動かなかった。

 自分が行って、あちらだと示せば済む。

 そう考える気持ちはあった。

 だが、隊長はすでに間違いへ気づき、兵へ命令を出していた。そこへ別の声を重ねれば、兵がどちらを見ればよいのか迷う。

 アレクは、隊の立て直しを待った。

 後ろの列に立つ兵が、前へ顔を向けている。隣の兵へ何かを尋ねかけた者もいたが、指揮役の声を受けて姿勢を戻した。

 やがて、遅れていた旗が正しい場所へ進み出た。

 隊長から合図が上がる。

 ギルベルトが確かめ、アレクへ向き直った。

「整いました」

「予定どおりに続けます」

 命令が伝えられた。

 止まっていた隊が再び動く。

 今度は、後続との間に必要な距離が保たれていた。

 アレクは、兵の列が目印へ届くまで見届けた後、ほかの隊へ視線を移した。

 マティアスは、隣で何も言わずに見ていた。

 ◇ ◇ ◇

 一度目の動きを終えた後、アレクは各隊の指揮官を集めた。

 兵は持ち場で待機し、下の指揮役が様子を見ている。全員をこちらへ向かせることはしなかった。

 遅れた隊の隊長が、一歩前へ出た。

「申し訳ございません。私が進む先を確かめるのが遅れました」

「どこで迷いましたか」

 アレクが尋ねた。

 隊長は演習地へ顔を向け、二つの目印を示した。

「最初の場所から見た時には、区別できておりました。移動してから、隣の隊の目印と重なって見えました」

 アレクは、示された場所を確かめた。

 自分が立つ場所からは、二つが離れて見える。だが、兵が進んでいた位置では、見え方が違っていた。

「分かりました。こちらでも確かめます」

 隊長が顔を上げた。

 アレクは続けた。

「途中で止めて確かめたことは、そのまま続けてください。分からないまま進まれては、後ろも困ります」

「はい」

「後続を止めたのは、誰ですか」

 別の指揮官が名乗り出た。

「私です」

「前が遅れているのを見て、止めたのですね」

「はい。詰めれば、前の隊が直す場所もなくなると思いました」

「その判断でよいです」

 男の肩から、わずかに力が抜けた。

 アレクは、集まった者たちを見た。

「ここからは、皆さんの兵の顔までは見えません。何が起きたかも、すぐには分からないことがあります。自分の隊で直せることは直し、ほかの隊に関わることは知らせてください」

 指揮官たちが頷く。

「私の返事を待つために、兵がぶつかるまで動かし続ける必要はありません」

「承知しました」

 答えが重なった。

 アレクはギルベルトへ向き直った。

「先ほどの場所を、一緒に見てもらえますか」

「はい」

 二人は、隊が遅れた場所へ歩いた。

 その位置へ立ってみると、隊長の言っていたことが分かった。遠い目印の一部が、手前を通る旗に隠れる時もある。

 アレクは、先ほどまで自分がいた場所を振り返った。

 全体が見える場所からでも、分からないことがある。

 それを確かめるためにも、各隊を預かる者の目が必要だった。

 目印の位置を直し、指揮官たちへ変更を伝える。

 二度目の訓練では、同じ場所で列が詰まることはなかった。

 最後の隊が持ち場へ入り、旗が止まった。

 アレクの前に、整え直された兵の列が広がっていた。

 数だけが増えた集まりではない。

 それぞれに任された者が、自分の兵を動かしていた。

 ◇ ◇ ◇

 続いて、騎馬鉄砲隊が動いた。

 アレクは馬へ乗り、二百騎の前へ出た。

 以前からの兵に加わった者たちは、古参の兵と同じ隊の中に配置している。新しい者だけをまとめ、分からないことを尋ねられる相手がいないままにすることは避けていた。

 ギルベルトは徒歩の隊に残り、そちらの訓練を続ける。

 アレクが騎馬隊へ移ったからといって、残る二千八百人が何もできなくなるわけではない。

「各隊、準備はよいですか」

 問いかけに、指揮役から返事が戻った。

 アレクは進む先を見た。

 演習地の端から延びる道は、低い丘の麓を回り、別の広場へ続いている。そこが騎馬鉄砲隊に与えられた持ち場だった。

 馬を使って移動し、着いた場所で隊を整える。

 急いで着くだけでは足りない。隊がばらばらになり、後から来る兵を待ち続けるなら、馬を持たせた意味が薄くなる。

 アレクは手を上げた。

「進みます」

 馬を前へ出す。

 背後で、蹄の音が重なった。

 二百騎の列が演習地を離れ、道へ入っていく。遠くで徒歩の隊が向きを変えているのが見えた。

 アレクは前だけを見ず、時折、後ろの列を確かめた。

 以前からの兵には、走りながら周りを見る余裕がある。新しく加わった兵には、手綱へ意識が寄りすぎている者もいた。

 そのそばへ指揮役が寄り、短く声をかける。

 兵は顔を上げ、前との距離を直した。

 丘の麓を回ると、目的の広場が見えた。

 アレクは速度を落とし、隊を入れる場所を示した。

 先頭から順に馬が止まる。

 各隊長の声が上がり、兵が下馬を始めた。馬を扱う役を引き受けた者が手綱をまとめ、ほかの兵は鉄砲を持って指定された場所へ進む。

 アレクも馬を下りた。

 目の前で、一人の兵が動きを止めた。

 自分の入る位置を探している。

 隣を通った古参の兵が、先へ顎を向けた。

「隊長を見ろ」

「はい」

 若い兵が顔を上げ、指示された場所へ走った。

 列へ入ると、今度は自分で左右の間隔を確かめた。

 アレクは口を挟まず、最後の兵が持ち場へ入るのを待った。

 報告が順に届く。

 すべてが揃ったところで、アレクは隊の前を見渡した。

 二百人全員が、百人だった頃の兵と同じ動きをできるわけではない。

 それでも、馬で来て終わりではなく、降りた後に自分の役目へ移るところまで、形になっていた。

「いったん、ここまでです」

 アレクが告げた。

 兵の肩が少し下がる。

 指揮役を集め、途中で遅れた箇所と、到着してから迷った者がいたことを確かめる。できなかった者の名だけを並べて終わらせず、何が分からなかったのかを聞かせた。

 先ほど立ち止まった兵は、緊張した顔で答えた。

「前にいた者を追っておりました。下馬してから離れてしまい、自分の入る場所が分からなくなりました」

「前の兵がいなければ、動けなくなってしまいますね」

「はい。申し訳ございません」

「次は、隊長から持ち場を聞いた時に、自分でも場所を確かめてください」

「承知しました」

 アレクは頷いた。

「もう一度、戻ってから行います」

 兵たちが馬の方へ向き直った。

 隊の後ろで、古参の兵が新しい兵へ何かを尋ねている。先ほど迷った男も、今度は自分から隊長へ歩み寄っていた。

 アレクはそれを見てから、馬へ戻った。

 ◇ ◇ ◇

 午後の訓練を終える頃には、演習地のあちこちに兵の足跡が残っていた。

 各隊は順に引き揚げ、指揮官が戻る先と人数を確かめている。

 アレクはギルベルトから最後の報告を受け、明日以降に直す点を伝えた。

 すべてを一度にやり直すのではない。各隊で繰り返すことと、全隊を集めて確かめることを分ける。

 最後に銃を受け取った兵については、担当する教官から改めて様子を聞くことにした。

 ギルベルトが離れると、マティアスが近づいた。

「途中で、自分で命じ直すかと思ったぞ」

 アレクは、朝に列が詰まりかけた場所を見た。

「隊長たちが動いておりましたので、任せました」

「以前なら、先に駆け寄っていただろうな」

「……その方が早いと思っていました」

「百人なら、それでも間に合っただろう。今は違う」

 マティアスは、引き揚げる兵を見送った。

「端まで走っている間、ほかの隊はどうする」

「私の命令を待つことになります」

「そうだ。自分が行けば済むからと、それを続けていては、預けた者も育たん」

 アレクは頷いた。

 ロルフの手紙を思い出した。

 自分が見ていなくても、任せられる仕事が増えた。

 職人の仕事も、兵を率いる仕事も、すべてを一人で見続けることはできない。

「ただ、任せたから見なくてよいわけでもない」

 マティアスが続けた。

「今日は、直ったところまで確かめていたな」

「はい」

「ならば、それを続けろ」

 アレクは顔を上げた。

 マティアスは、いつものような表情だった。

 大げさに褒められたわけではない。それでも、今日見てほしかったところを、見てもらえたと思った。

「三千挺が揃ったことは、陛下へお伝えする」

「ありがとうございます。ただ、教育の完了をご報告するまでには、もう少し時間を頂きたいです」

「分かっている」

 マティアスは頷いた。

「今日だけで、戦へ出せるかどうか決めるつもりはない。残る訓練を終えてから、改めて報告しろ」

「承知しました」

 ◇ ◇ ◇

 演習地の脇に設けた休憩用の天幕で、マティアスは従者から書状を受け取った。

 アレクは向かいへ腰を下ろし、差し出された水を飲んだ。

 声を出し続けていた喉が、ようやく落ち着いた。

「もう一つ、話がある」

 マティアスが言った。

 卓へ置かれた書状を見て、アレクは杯を下ろした。

「大砲の件だ」

「見積もりについてでしょうか」

「ああ。見たのだろう」

「はい」

 王家の鍛冶町へ問い合わせていた返事は、すでに届いていた。

 アレクは最初、自分で代金を払い、大砲を揃えるつもりでいた。

 だが、見積もりには、砲そのものの代金に加え、運搬にかかる費用も記されていた。さらに、受け取った後も、砲の維持と兵の給金に金がかかる。

 鉄砲兵を増やし、馬を買い入れ、領内の仕事も進めている。

 鉱山からの荷が増え始めたからといって、その先の収入まで今すぐ使えるわけではなかった。

「一度に揃えるのは、難しいと思いました」

 アレクは答えた。

「できる分から始めるつもりでしたが、それでも、兵の増員と重なりますので」

「そこで、陛下へ相談した」

 マティアスが書状を差し出した。

「陛下から、まずは三門を預けるとのお話だ」

 アレクは、書状を受け取る手を止めた。

「三門を、貸していただけるのですか」

「ああ。王家の砲として貸し出す。アレクへ与えるという話ではない」

「はい」

 アレクは書状を開いた。

 貸与する数と、管理を任せる旨が記されている。

 王家の所有であること。ほかの家へ勝手に渡さないこと。状態と使用について報告すること。

 読み進めてから、アレクは顔を上げた。

「兵は、こちらで用意するのですね」

「そうだ。アレクの兵を育てるために預ける。最初の指導には、王家から経験のある者を出していただける」

「その方も、私の配下になるのでしょうか」

「いや。王家に仕えるまま、指導のために来る。こちらの兵の名簿へ加えるなよ」

「承知しました」

 マティアスは、別の紙も卓へ置いた。

「兵の給金と、通常の維持にかかる費用はアレクが持つ。砲を買う代金が要らぬからと、何もかも王家へ頼むな」

「はい。それは、こちらで負担します」

「改良を試すために特別な費用が必要なら、先に申し出ろ。王家の仕事として認められた分は、別に扱う」

 アレクは頷いた。

 自分の兵に大砲を扱わせたい。

 その願いだけを聞き入れてもらったのではない。

 王家は、砲を預けることで、扱える兵が増えることを求めている。アレクが運用の中で気づいたことや、職人と試した結果も、王家へ戻さなければならなかった。

「陛下は、何と仰っていたのでしょうか」

 アレクが尋ねると、マティアスは少し口元を緩めた。

「『砲だけ欲しがるなら貸さん。扱う兵まで育てるなら、三門預けろ』と」

 アレクは、レオンハルトの顔を思い浮かべた。

 物を受け取って喜んで終わることは、許されないらしい。

「大切にお預かりします」

「使わずにしまっておけばよい、という意味ではないぞ」

「分かっております」

 アレクは書状へ目を戻した。

「兵を育て、任された役目を果たせるようにします」

「その返事を伝えておく」

 マティアスは頷いた。

 アレクは、直轄兵の名簿を思い出した。

 鉄砲兵六百人とは別に置いた四百人。その中から、大砲隊へ入れる者を選ぶ。

 城や倉の守りを薄くして、砲の周りだけ兵を増やすわけにはいかない。指導役が来るまでに、誰を大砲隊へ回し、それぞれに何を任せるか、整理しておく必要があった。

「三門が届く日は、決まっているのでしょうか」

「受け渡しと輸送の手配を進めている。決まり次第、知らせるとのことだ」

「では、先に置く場所と、兵の受け入れを整えます」

「ギルベルトにも相談しろ。ただし、鉄砲隊の訓練まで一人で抱えさせるな」

「はい。大砲隊を任せる者についても、相談させてください」

「そのために、指導役を頼んでいる。実際に働かせ、任せられる者を見ろ」

 アレクは、受け取った紙を揃えた。

 千人の直轄兵を持つというのは、命令を聞く者が千人になるというだけではない。

 自分の代わりに命令を出し、その場で判断する者も、増やしていかなければならなかった。

 ◇ ◇ ◇

 話が終わりかけたところで、マティアスが天幕の外へ目を向けた。

 兵の列は、ほとんど演習地を離れていた。残った者たちが、使った目印や道具を片づけている。

「婚礼まで、あとひと月だったな」

 アレクは顔を上げた。

「はい」

「城の支度はどうだ」

「オスカーとマルタが進めてくれています。先方から知らせていただいた人数に合わせて、部屋も用意できそうです」

「エリーゼ様の支度は」

「少しずつ進めておられるそうです。今朝も、手紙をいただきました」

 答えると、マティアスがこちらを見た。

 アレクは、何か言われる前に続けた。

「返事は、出る前に書き終えました」

「そこまでは聞いておらん」

 マティアスが笑った。

 アレクは杯へ手を伸ばし、もう中身がほとんどないことに気づいて戻した。

「婚礼のことで、一つ案がある」

「何でしょうか」

「鉄砲隊と大砲隊に、祝いへ加わってもらってはどうだ」

 アレクは、一瞬、意味を考えた。

「兵も、招くということでしょうか」

「それもあるが、祝砲だ。王と大公を迎える席になる。アレクが率いてきた兵に、祝いの役を務めさせる」

 天幕の外から、片づけを終えた兵の声が聞こえた。

 アレクは、その方へ顔を向けた。

 戦場では何度も聞いた音だった。

 自分の命令を受けて鉄砲が鳴り、大砲の音が重なる。そのたびに、向こう側には敵がいた。

 それを、婚礼の祝いとして響かせる。

「私の婚礼のために、そこまでしていただいてよいのでしょうか」

「アレクだけの客ではない。陛下もアルベルト様も来られる」

 マティアスは、アレクの手元にある書状を示した。

「もっとも、王家の兵も砲も、こちらだけで決めて動かすわけにはいかん。陛下のお許しを得てからだ」

「はい」

「警護と、祝いに加わる兵も分ける。三千人をそのまま城の庭へ入れるような話ではない」

 アレクは頷いた。

 参列者が見渡せる場所と、兵が並ぶ場所を考えなければならない。音に驚く馬や、城下の人々への知らせも必要になるだろう。

 だが、先に浮かんだのは、そうした支度ではなかった。

 エリーゼが隣に立っている。

 二人の前には、自分が率いてきた兵たちが並んでいる。

 その光景を、まだうまく想像できなかった。

「アルヴェインから来る者にも、よく分かるだろう」

 マティアスが言った。

「アレクが、何を任されているかがな」

 アレクは顔を向けた。

「兵の数を見せるため、ということでしょうか」

「数だけではない。今日のように、命令を受けて動く姿だ」

 マティアスは静かに続けた。

「伯爵という名を聞いても、どれほどの役目を果たしているかまでは分からん者もいる。祝いの席で、それを知ってもらうのも悪くない」

 アレクは少し考えた。

 アルベルトには、すでに戦場で兵を見てもらっている。

 だが、参列するすべての者が、あの補給街道へ来たわけではない。アレクの名と、エリーゼの嫁ぐ相手であることだけを知っている者もいるだろう。

「エリーゼ様が、驚かれないようにしておかなければ」

 アレクが言うと、マティアスは笑った。

「先に話しておけ。当日まで黙っていて喜ばれることばかりではない」

「はい」

「細かなことは、許しを得てから詰める。それまでは、訓練を終えることを先に考えろ」

「承知しました」

 ◇ ◇ ◇

 マティアスが帰る支度をしている間に、ギルベルトが最後の報告へ来た。

 演習地からの引き揚げは終わり、残っているのは片づけをする兵だけだという。

 アレクは礼を言い、明日の予定を確かめた。

 その後、婚礼で祝砲を行う案が出たことを伝える。

 ギルベルトは、驚くより先に笑みを浮かべた。

「それは、兵たちも喜びます」

「まだ、決まったわけではありません」

「はい」

「陛下のお許しを頂いてからです。準備も必要になります」

「承知しております」

 それでも、ギルベルトの表情は変わらなかった。

 アレクは少し不思議に思った。

「何か、兵から聞いているのですか」

「祝いの日に、自分たちにも役目はないかと」

 アレクは黙った。

 ギルベルトは続けた。

「警護に就くのか、道を守るのかと尋ねる者がおります。エリーゼ様がお越しになる時、旗を掲げる役を願い出た者もいました」

「そうだったのですか」

「はい。まだ何も決まっておらぬと答えておりましたが」

 アレクは、演習地の端へ目を向けた。

 片づけを終えた数人が、こちらへ礼をしてから歩き出した。

 幾度もの戦を、ともにくぐり抜けてきた兵がいた。

 新しく加わり、まだ自分と話したこともない兵もいる。

 彼らにとって、自分は給金を払い、戦場で命令を出す者なのだと思っていた。

 それだけではなかった。

「では、決まったら、皆さんにも伝えてください」

「はい」

 ギルベルトは頷いた後、少し姿勢を正した。

「最初の号令は、アレク様にお願いいたします」

「私が、ですか」

「はい。アレク様の号令で祝砲を撃てるなら、兵たちも喜ぶでしょう」

 アレクは、すぐには答えなかった。

 城の庭に参列者が並び、その先に鉄砲隊と大砲隊がいる。

 レオンハルトも、アルベルトも、マティアスも見ている。

 そして、エリーゼが自分の隣に立つ。

 胸を張って命令を出せるだろうか。

 戦場では何度も出してきた号令なのに、その日のことを考えると、別の緊張があった。

 天幕の外で、マティアスが馬へ乗った。

「何を迷っている」

 声をかけられ、アレクは顔を上げた。

「自分の兵だろう。預かった兵も、アレクの命令で動いてきた。祝いの日だけ、ほかの者へ任せるのか」

「いえ」

 アレクは答えた。

 ギルベルトへ向き直る。

「私が、号令を出します」

「承知しました」

 返ってきた声は、戦場で命令を受けた時と同じように、はっきりしていた。

 アレクは演習地を振り返った。

 朝には三千人が並んでいた場所を、風が吹き抜けている。

 残る訓練を終え、兵を整える。

 借り受ける三門を迎え、大砲隊を育てる。

 その仕事の先に、エリーゼを迎える日がある。

 次の手紙には、今日のことを書こうと思った。

 詳しい兵の数や、訓練の内容ではない。

 自分だけでなく、城の者も、兵たちも、彼女を迎える日を楽しみにしている。

 それを、伝えたかった。

第十三話を読んでいただき、ありがとうございました。

三千挺を揃え、その兵を率いる立場になったアレク。仲間へ任せることも覚えながら、エリーゼを迎える支度を進めていきます。


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