第十二話 迎える日を、二人で
講和を経て、アルベルトが帰国しました。
その招待を受け、アレクはマティアスとともにアルヴェインへ向かいます。
アルベルトが前線の引き継ぎを終えて帰国したという知らせは、婚礼の日取りを相談する書状とともに届いた。
アレクの城では、オスカーが用意した部屋の一覧に、何度か書き直しが加えられていた。泊まる客の人数だけでなく、それぞれに従う者の部屋も必要になる。城内ですべてを賄うのか、城下の宿にも頼むのか。人数が定まらなければ決められないことは、まだ多かった。
それでも、使える部屋を確かめ、傷んだ窓や扉を直す仕事は進んでいた。
アレクは、卓に広げられた書付を見ていた。
「こちらの部屋は、直りましたか」
「はい。扉の閉まりが悪かった箇所は、昨日、手を入れております」
オスカーが答えた。
「廊下の奥の二部屋も、お使いいただけます。ただ、寝具は揃え直した方がよいかと存じます」
「では、先に調べてください。足りないと分かってからでは、間に合わないかもしれません」
「承知いたしました」
アレクは頷き、次の紙へ目を移した。
領主として城に入った時には、これほど多くの部屋を何に使うのかと思った。今は、どの部屋に誰を迎えるか、一つずつ考えている。
レオンハルトとアルベルトが来る。
マティアスも、戦場を共にした者たちも来てくれるだろう。
それだけ考えると、王や諸侯を迎えるための大きな仕事に思えた。
だが、紙の端にエリーゼの名があるのを見ると、急に別の気持ちになった。
彼女は、客として帰っていくのではない。
ここで、一緒に暮らすのだ。
「アレク様」
呼ばれて顔を上げると、オスカーが新しい封書を差し出していた。
「マティアス様からでございます」
アレクは受け取り、封を開いた。
短い書状に目を通す。
婚礼の日取りについて話があること。
それと、アルヴェインから招待が届いていること。
「招待……」
思わず声に出すと、オスカーが静かに待った。
アレクは続きを読む。
帰国したアルベルトが、婚礼について直接話す機会を設けたいと考えている。マティアスも、同盟の協議のため同行する。
用意する物と、出発までに済ませるべき仕事については、会った時に伝えるとあった。
アレクは紙を畳んだ。
「また、城を留守にすることになります」
「お出かけまでに、決めていただくことをまとめておきます」
「お願いします」
そう答えると、オスカーはわずかに微笑んだ。
「エリーゼ様にも、お会いになれるのでしょうか」
「そのことは、まだ……」
アレクは書状へ目を落とした。
婚礼について話すための招待なのだから、会えるのではないだろうか。
そう思ったが、勝手に決めてはいけない。
オスカーは、それ以上尋ねなかった。
「では、マルタにも、出発の支度が必要になると伝えておきます」
「はい。まだ日程は分かりませんので、慌てなくても大丈夫です」
「承知しております」
落ち着いた返事だった。
アレクは自分の方が先に立ち上がっていたことに気づき、椅子へ座り直した。
オスカーが目を伏せる。
笑ったのかどうかは、分からなかった。
◇ ◇ ◇
マティアスのもとを訪れたアレクは、持参した部屋の一覧を卓へ広げた。
城内で用意できる客室と、客を受け入れてもらえる城下の宿。食事を出す場所と、馬を預かる場所も書き添えてある。
マティアスは一通り見た後、紙を脇へ置いた。
「よく調べてある。先方から来る者の数が分かれば、これで話を進められる」
「足りないところがあれば、戻ってから確かめます」
「ああ。だが、今は先にこちらだ」
マティアスが一枚の書状を差し出した。
「式は、三か月後に行うことで話がまとまった」
アレクは顔を上げた。
「陛下も、その日にお越しいただけるのでしょうか」
「ご予定を確かめたうえで決めている。アルベルト様も、帰国後の仕事を整えてから来られる」
「そうですか」
アレクは書状を受け取った。
紙には、式を行う日が記されていた。
その前後に、両国から来る者を迎え、帰国を見送るための期間も取られている。
手紙で結婚を認めてもらった時とは違った。
婚約を知らせる日が決まった時とも違う。
その日を過ぎれば、エリーゼと暮らすことになる。
「城の支度は間に合うか」
マティアスの問いに、アレクはすぐに顔を上げた。
「はい。大きく建て直す必要のある場所はございません。客をお迎えする部屋と、エリーゼ様のお部屋を中心に整えます」
「領内の仕事まで止めるなよ。街道も鉱山も、祝いが終わるのを待ってはくれん」
「オスカーとも、そのように話しております」
「ならばよい」
マティアスは頷いた。
アレクは書状を卓へ置き、姿勢を正した。
「マティアス様」
「何だ」
「エリーゼ様に、直接お伝えしてもよろしいでしょうか」
マティアスはアレクを見た。
少し間を置いて、口元が緩む。
「そのつもりで、招待の話をしたのだが」
「婚礼のご相談と伺いましたので、アルベルト様とのお話が先かと思いまして」
「それは先だ。だが、エリーゼ様と会う時間も設けていただく」
「ありがとうございます」
アレクの声が少し明るくなった。
マティアスは書状を揃えながら続けた。
「先方にも、式の日は伝わっている。エリーゼ様が初めて聞くとは限らんぞ」
「はい。それでも、私からお話ししたいです」
「そうか」
マティアスは、それ以上からかわなかった。
代わりに、もう一通の書状を広げる。
「こちらは同盟の協議だ。滞在中、私はこちらの話にも出る」
「私も同席した方がよろしいでしょうか」
「必要になれば呼ぶ。補給街道を取り戻した時のことを、確かめられるかもしれん」
「承知しました」
「ただし、今回の訪問で新しい武器の話まで広げる必要はない。聞かれたことへ、決まっている範囲で答えればよい」
アレクは頷いた。
ロルフたちは、今も製造を続けている。兵の教育も止まっていない。
婚礼の支度が始まっても、そちらの仕事を忘れるわけにはいかなかった。
「出発までに、留守中の領地の仕事と兵の訓練は、それぞれ担当する者に任せておきます」
「そうしろ。留守の間、何でもアレクの返事待ちにならぬようにな」
「はい」
アレクは、式の日を記した書状を丁寧に畳んだ。
今度は、眺め続けるためではなかった。
その日を彼女へ伝えるために、持っていきたかった。
◇ ◇ ◇
数日後、アレクはマティアスとともにアルヴェインへ向かった。
国境には、先方へ送った連絡に従って案内の者が待っていた。同行する護衛の人数と名を確かめた後、一行は街道を進んだ。
以前、エリーゼに会うため国境を越えた時には、胸の内にある願いを、まだ本人へ伝えていなかった。
今は、彼女も同じ願いを持っていると知っている。
それでも、緊張はなくならなかった。
むしろ、アルベルトに会った時、何をどこまで話せばよいのかと考える時間が増えていた。
馬車の向かいで書状を読んでいたマティアスが、顔を上げた。
「何か聞きたいことがあるなら、今のうちに聞け」
「顔に出ておりますか」
「さっきから、こちらを見ては黙っている」
アレクは少し姿勢を直した。
「アルベルト様には、最初に何と申し上げればよいでしょうか」
「挨拶をすればよい」
「それは、そうなのですが」
マティアスが笑った。
「戦場で会った時と、別の人間になったわけではない。まずは無事に帰国されたことを喜び、招待への礼を伝えろ」
「はい」
「結婚を認めていただいた礼も、まだ直接は言っておらんな」
「申し上げるつもりです」
「ならば、それでよい」
アレクは頷いた。
頭の中で言葉を整えようとすると、かえって堅い挨拶ばかり浮かんでくる。
マティアスは書状を閉じた。
「長く話そうとするな。向こうにも聞きたいことがあるだろう」
「そうですね」
「私が隣にいても、アレクに聞かれたことはアレクが答えろよ」
「もちろんです」
答えてから、アレクは窓の外へ目を向けた。
街道脇の畑では、人々が手を動かしていた。荷を積んだ車とすれ違い、こちらの紋章を見た御者が道を譲る。
あの人々の暮らす国から、エリーゼは来る。
自分にとっては、すでに見慣れた城でも、彼女にとっては初めて暮らす場所になる。
会えたら、式の話だけではなく、心配していることも聞きたかった。
アレクは、用意していた挨拶を頭の中で繰り返すのをやめた。
◇ ◇ ◇
アルヴェイン大公家の屋敷へ着くと、一行は客室へ案内された。
旅の埃を落とし、着替えを済ませる。ほどなく迎えの者が来て、アレクとマティアスはアルベルトの待つ部屋へ向かった。
扉が開かれると、窓際に立っていたアルベルトが振り返った。
「よく来た」
二人は礼をした。
マティアスが挨拶を述べた後、アレクも顔を上げた。
「ご無事のご帰国と、戦の終結をお慶び申し上げます。このたびは、お招きいただきありがとうございます」
「ああ。ようやく戻れた」
アルベルトが椅子を示した。
アレクは勧められた席へ腰を下ろしたが、すぐに続けた。
「それと、エリーゼ様との結婚をお認めいただき、ありがとうございました」
深く頭を下げる。
アルベルトは、しばらくその姿を見ていた。
「顔を上げよ」
アレクが従うと、大公は穏やかな表情をしていた。
「二人の気持ちは、もう聞いている。今日は、その先の話をするために呼んだ」
「はい」
「そう堅くならずともよい」
そう言われても、肩の力は簡単には抜けなかった。
アルベルトはマティアスへ目を向け、わずかに笑った。
「戦場では、もう少し落ち着いておったと思うが」
「今日は、勝手が違うようです」
マティアスが答えた。
アレクは二人を見たが、言い返す言葉がなかった。
使用人が飲み物を置き、静かに下がる。
アルベルトは卓へ手を置いた。
「先に、救援の礼を改めて伝えておく。あの街道が戻らねば、我が軍は進めなかった」
「皆で果たした役目でございます」
「承知している。ほかの者たちの働きも聞いておる」
アルベルトは頷いた。
「だから、お前一人の功として礼を言っているのではない。率いていた兵にも、伝えてほしい」
「すでに、講和の成立と合わせて知らせました。兵たちも喜んでおりました」
「そうか」
大公の表情が少し和らいだ。
「戻った者が、働いた甲斐はあったと思えるならよい」
アレクは、負傷した腕を膝へ置いていた兵の顔を思い出した。
荷は役に立ったのかと尋ねた声も、覚えている。
「はい」
アレクの答えを聞き、アルベルトは話を変えた。
「さて。式の日取りは聞いたな」
「はい。マティアス様から伺いました」
「こちらから行く者については、人数をまとめて知らせる。大勢を連れていけばよいというものでもない。城で困ることがあれば、早めに言え」
「承知しました」
「エリーゼに従う者は、婚礼の客とは別に相談する。式が終わって帰る者と、そのまま残る者を混ぜて考えぬようにな」
マティアスが頷いた。
「その点は、こちらでも分けて準備を進めます。城で用意できる部屋については、控えを持参しております」
「後で見せてもらおう」
アルベルトは答え、アレクへ視線を戻した。
「エリーゼの部屋は、決めたのか」
「庭に面した部屋を考えております。日当たりがよく、静かに過ごせる場所です」
「本人には話したか」
「はい。どのような部屋なら落ち着いて過ごせるか、ご希望を伺っております」
アルベルトは、少しだけ目を細めた。
「それはよい」
アレクは続けた。
「家具なども、私だけで決めずに整えたいと思っております。まだ、日々の暮らしについて知らないことも多いので」
「知ったふりをするよりはよいな」
アルベルトが言った。
叱られたのかと思い、アレクは背筋を伸ばした。
だが、大公の声に厳しさはなかった。
「部屋のことは、本人によく聞け。だが、立派な部屋を用意しただけで満足するなよ」
「はい」
「何もかも変わるのだ。住む場所も、周りにいる者もな」
アルベルトは手元の杯へ目を落とした。
「不満を言わぬから、困っていないとは限らん。こちらで暮らしている間にも、遠慮して後から分かったことはある」
アレクは黙って聞いた。
マティアスも口を挟まなかった。
「大公家の者として振る舞うことは教えてきた。だが、そのために、何でも我慢せよと送り出すつもりはない」
アルベルトが顔を上げた。
「困った時、遠慮せずお前に話せるようにしてやってくれ」
アレクは、すぐには答えなかった。
何一つ困らせませんと、言い切ることはできなかった。
自分の領地であっても、思い通りにならないことはある。仕事でそばを離れる日もあるだろう。
けれど、彼女が何を困っているのか、聞かずに済ませるようなことはしたくなかった。
「私も、エリーゼ様に話していただきたいと思っております」
アレクは答えた。
「大丈夫だと言われても、それだけで安心せず、私からも尋ねます。知らないままにしておきたくありません」
アルベルトはその顔を見ていた。
「そうか」
短く答え、杯を置いた。
「ならば、頼む」
アレクは深く頭を下げた。
「はい」
今度の返事は、先ほどよりも落ち着いていた。
アルベルトはマティアスへ向き直った。
「国同士の話は、この後にしよう。アレクには、別に待っている者がおる」
アレクが顔を上げると、大公は口元を緩めた。
「こちらの話だけで、今日を終わらせるつもりはない。行ってやれ」
◇ ◇ ◇
案内されたのは、庭に面した小さな客間だった。
扉の前で足を止めると、内側から衣擦れの音がした。
使用人が名を告げ、扉を開ける。
窓のそばに立っていたエリーゼが、こちらを向いた。
「アレク様」
その声を聞いた途端、用意していた言葉が少し遠のいた。
エリーゼは淡い色の服を着ていた。髪には、林檎の花の髪飾りがある。
手紙で何度も名を書いていた相手が、今は目の前にいた。
「お久しぶりです、エリーゼ様」
「はい。お待ちしておりました」
二人は向かい合って礼をした。
エリーゼが椅子を示す。
アレクが腰を下ろすと、彼女も向かいへ座った。侍女は飲み物を置いた後、入口に近い場所へ下がった。
窓から入る光が、卓の上を照らしていた。
「道中、お変わりはありませんでしたか」
「はい。案内の方にも、よくしていただきました」
「それは、よかったです」
エリーゼが微笑む。
アレクも笑みを返した。
以前なら、まず近況を尋ね、手紙に書いたことを話していたかもしれない。
今日は、先に伝えたいことがあった。
「式の日が、決まりました」
エリーゼの指が、膝の上で少し動いた。
「はい。私も伺いました」
「三か月後です」
「はい」
知っている話なのに、彼女は静かに頷いてくれた。
アレクは少し息を整えた。
「もうお聞きになっているとは思っておりました。でも、私からも直接お伝えしたくて」
「嬉しいです」
返事は、迷いのないものだった。
アレクが顔を上げると、エリーゼはまっすぐにこちらを見ていた。
「叔父様から伺った時にも、嬉しかったのです。でも、アレク様から聞くと……」
そこで少し言葉を探した。
「本当に、その日が来るのだと思えます」
アレクの頬が緩んだ。
「私も、同じです」
エリーゼが小さく笑った。
「その日から、アレク様と暮らすのですね」
「はい。……私も、それを考えていました」
答えてから、アレクは卓の杯へ目を落とした。
戦場で命令を出す時には、これほど一言ずつに迷わない。
だが、今は、何を言っても自分の気持ちがそのまま出てしまいそうだった。
エリーゼも、少しだけ視線を下げている。
短い沈黙があった。
庭で鳥が鳴き、二人は同時に窓へ顔を向けた。
それがおかしくて、エリーゼが先に笑った。
アレクもつられて笑い、ようやく肩の力を抜いた。
「城の話を、してもよろしいですか」
「ぜひ、聞かせてください」
アレクは、部屋の位置を説明するために持ってきた紙を取り出した。
城全体の詳しい図ではない。エリーゼが使う予定の部屋と、その周囲を簡単に描いたものだった。
卓へ広げると、エリーゼが少し身を寄せた。
「こちらが、庭ですか」
「はい。この窓から見えます。お手紙でお話しした部屋は、ここです」
指で示すと、エリーゼが図を覗き込んだ。
「お休みになる部屋とは、こちらでつながっているのですね」
「はい。ほかの方が行き来する廊下を通らずに移れます」
「アレク様のお部屋は」
尋ねられ、アレクの指が止まった。
「私の執務室は、この先です」
紙に描かれていない方向を示す。
エリーゼは頷いた後、少し口元を緩めた。
「そうではなくて……」
アレクは、ようやく聞かれた意味に気づいた。
「ああ。はい。近くに用意しております」
「それなら、よかったです」
エリーゼは図へ目を戻した。
アレクも、何事もなかったように紙を押さえ直した。
入口の方は見ないようにした。
「机は、まだ動かせます。窓の近くがよいか、少し離れた場所がよいかも、お越しになってから決めていただけます」
「窓辺は、明るそうですね」
「晴れていれば、よく光が入ります」
「では、一度そちらに座ってみたいです」
「もちろんです」
エリーゼは、庭の描かれた場所へ指を添えた。
「ここへは、下りられるのでしょうか」
「はい。天気がよければ、歩けます。今の庭がどのようになっているかも、もっと詳しくお知らせすればよかったですね」
「来てから見る楽しみも、残しておいてください」
アレクは顔を上げた。
エリーゼは微笑んでいた。
「何もかも知ってから伺うより、アレク様に案内していただきたいです」
「では、その時は私が」
「お忙しくありませんか」
「その時間は、空けておきます」
アレクが答えると、エリーゼは嬉しそうに頷いた。
図の上に並んだ線が、ようやく二人の暮らす場所に見えてきた。
◇ ◇ ◇
部屋の話が一段落すると、アレクは婚礼について尋ねた。
「式のことで、何かご希望はありますか」
エリーゼは少し考えた。
「叔父様が来てくださることが、嬉しいです」
「先ほど、お越しになる方の人数をまとめてくださると伺いました」
「はい。私も、叔父様とお話ししました」
エリーゼは杯へ手を添えた。
「戦が終わったと聞いた時には、まず安心しました。お帰りになった姿を見て、ようやく、いつものように話せた気がします」
「お怪我もなくて、よかったです」
「本当に」
エリーゼは頷いた。
それから、アレクへ目を戻した。
「アレク様も、戦からご無事に戻ってくださって」
「私たちは、補給の道を取り戻すために向かっただけです。その後の城攻めは、アルヴェインの皆様が」
「それでも、戦われたのでしょう」
アレクは言葉を止めた。
エリーゼの声は、責めるものではなかった。
「叔父様を助けてくださったと伺って、誇らしかったです。でも、怪我をされていないと分かるまでは、やはり心配でした」
「……はい」
アレクは頷いた。
彼女へ心配を掛けたくないと思うあまり、自分のしたことを小さく話そうとしていた。
エリーゼはそれを知りたくて尋ねているわけではない。
「ご心配をお掛けしました」
「謝っていただきたいのではありません」
エリーゼが首を振った。
「こうして、お顔を見られて嬉しいのです」
アレクは、彼女を見た。
「私もです」
そう答えると、エリーゼの表情が和らいだ。
アレクは少し考え、話を続けた。
「式については、こちらでも相談を始めています。ただ、陛下や大公殿下をお迎えするための話が多くて」
「叔父様も、大勢が動くことになると仰っていました」
「はい。ですから、私たちの希望を聞く前に、何もかも決まってしまわないようにしたいと思っています」
エリーゼは、驚いたようにアレクを見た。
「決まりに従うことも、大切ではありませんか」
「もちろんです。必要な礼を省きたいわけではありません。ただ、エリーゼ様がこうしたいと思われることまで、言えなくなるのは違うと思うのです」
アルベルトに言われたから、そのまま伝えたのではなかった。
客室の数や護衛の配置を考えるたび、自分たちの結婚が大勢の人に関わるものだと感じる。
だからといって、当人が何も望んではいけないとは思わなかった。
エリーゼはしばらく考えた後、小さく尋ねた。
「式の日ではなく、その後のことでもよろしいですか」
「はい」
「では……」
エリーゼの指が、杯から離れた。
「お忙しい日でも、少しだけでよいので、お話しする時間が欲しいです」
アレクは黙って聞いた。
「大切なお仕事があることは分かっております。ですから、いつでも私を優先していただきたいということではありません」
「はい」
「でも、同じ城にいるのに、今日は何をなさっていたのかも分からないままでは、寂しいと思います」
言い終えると、エリーゼは少し目を伏せた。
「わがままでしょうか」
「いいえ」
アレクは、すぐに答えた。
彼女が顔を上げる。
「私も、エリーゼ様と話したいです。帰ってきた時に、まず顔を見に行ってもよろしいですか」
エリーゼは目を丸くした。
それから、嬉しそうに頷いた。
「はい。ぜひ」
「ただ、遅くなって、お休みになっている時には」
「その時は、起こさなくても大丈夫です」
少しだけ笑いを含んだ声だった。
アレクも笑った。
「では、翌朝に」
「はい」
簡単な約束だった。
いつも一緒にいることも、二度と戦へ行かないことも、今の自分には約束できなかった。
だが、帰った時に顔を見に行くこと。彼女が何をしていたか尋ね、自分の一日を話すこと。
それを、忙しいからと後回しにし続けないようにはできる。
「私ばかり話してしまうかもしれません」
エリーゼが言った。
「知らないことが多くて、お尋ねすることも増えると思います」
「私も、まだ城のことをすべて知っているわけではありません」
「それでは、一緒に覚えられますね」
アレクは頷いた。
迎えるのだから、何もかも知り、何を聞かれても答えられるようにしなければと思っていた。
そうでないところを見せてもよいのだと、彼女の言葉で少し楽になった。
「オスカーやマルタにも、よく聞いています。二人にも、早くお会いになっていただきたいです」
「お手紙で伺った方々ですね」
「はい。エリーゼ様をお迎えする支度を、手伝ってくれています」
「私からも、お礼を申し上げたいです」
アレクは、二人がどのように応じるか思い浮かべた。
オスカーはきっと、いつものように一礼するだろう。マルタは、部屋を見てもらう前に、何か困ったことがないか尋ねるかもしれない。
そこにエリーゼがいる様子が、以前よりもはっきりと想像できた。
◇ ◇ ◇
窓の外で風が吹き、庭の枝が揺れた。
エリーゼがそちらへ目を向けると、アレクも庭を見た。
「少し、歩きませんか」
彼女が尋ねた。
「お疲れでしたら、このままでも」
「大丈夫です。私も、歩きたいです」
アレクが立つと、エリーゼも椅子を離れた。
侍女が扉を開け、二人は廊下から庭へ出た。
歩く道は整えられていた。建物の陰を抜けると、風が頬へ当たる。
少し後ろを侍女がついてきたが、会話を聞き取ろうと近づくことはなかった。
エリーゼは歩きながら、髪飾りへそっと触れた。
アレクがそれを見ていることに気づき、手を下ろす。
「今日は、こちらをつけたいと思いました」
「よくお似合いです」
「ありがとうございます」
エリーゼは少し頬を染めた。
アレクも視線を前へ戻した。
庭へ出れば話しやすくなるかと思ったが、そうでもなかった。
彼女が隣を歩いていることが、客間で向かい合っていた時より近く感じられる。
「叔父様が、アレク様の旗のことを仰っていました」
エリーゼが言った。
アレクの足が少し緩んだ。
「旗、ですか」
「はい。林檎の花を入れた、よい紋章だと」
「そう仰っていただけたなら、ありがたいです」
それ以上のことまで聞いていないだろうかと、アレクは彼女の横顔を見た。
エリーゼは前を向いていたが、口元には笑みがあった。
「私も、実際に拝見したいです」
「城へお越しになる時には、掲げてあります」
「今度は、その旗を目印に伺うのですね」
アレクは、城門の上で広がる旗を思い浮かべた。
林檎の花と、その周りの五つの蕾。
戦場で自分の隊がどこにいるかを示していた旗が、彼女に帰る場所を知らせるものにもなる。
「はい。お待ちしています」
エリーゼは頷いた。
道が少し狭くなり、二人は歩く間隔を変えた。
アレクが足元を確かめて手を差し出すと、エリーゼは一瞬だけ彼の顔を見た。それから、そっと手を重ねた。
握るというほど強くはなかった。
それでも、アレクは自分の手に力を入れすぎないよう気をつけた。
道が広くなっても、すぐには離さなかった。
「アレク様」
「はい」
「こちらへ来てくださって、ありがとうございます」
「私も、お会いしたかったので」
「叔父様とのお話だけで終わってしまったら、残念だと思っていました」
「私も、同じことを考えていました」
二人は顔を見合わせ、笑った。
アレクは、先ほどのアルベルトの言葉を思い出した。
何でも我慢せよと送り出すつもりはない。
その願いを、難しい約束として構える必要はないのかもしれない。
今のように、会いたかったと言ってもらえることを、これからも大切にしたかった。
◇ ◇ ◇
その頃、屋敷の一室では、アルベルトとマティアスが、同盟の取り決めについて話していた。
卓には両国の担当者が交わした書状と、街道を記した地図が並んでいる。
婚礼の客を迎えるための相談とは、席を分けてあった。
「今回の救援では、グランヴァルトから援軍が来ると分かっていても、前線へ到着するまでに時間がかかった」
アルベルトが言った。
「どの道を使い、どこで案内をつけるかまで、初めから決まっておればよかった」
「こちらも、国境を越えた後に誰の報告を受ければよいか、確かめる必要がございました」
マティアスが答えた。
「援軍を求める書状だけで、兵が滞りなく進めるわけではありません。その点は、陛下も整えるべきとお考えです」
アルベルトが頷く。
担当する家臣が、協議中の文面を読み上げた。
援軍を求める時の連絡先。受け入れを認める返答の届け方。国境での案内と、兵糧を受け渡す場所。
その一つずつを、両国の者が確かめていく。
「ただし、今回のように他領へ攻め入る戦まで、何も聞かず兵を出すという約束にはできぬな」
アルベルトが言った。
「はい。領内へ攻め込まれた場合の助け合いと、侵攻への参加は分ける必要がございます」
「そこは、こちらも同じ考えだ」
マティアスは、該当する箇所へ印をつけた。
「兵を出すことが決まった後の受け入れで、現地の者が迷わないようにいたします。出兵を決める前から、相手の軍が自由に入れるという意味にはしません」
「そのように書け」
アルベルトが命じ、書記官が筆を動かした。
話は、物資の往来へ移った。
軍が使う時だけ街道を直せばよいわけではない。商人の荷が通れば、城や町へ必要な物が届く。どちらの領主が、どこまで道と渡し場を守るのかも確かめなければならなかった。
長い協議だったが、すべてをその場で決め直したわけではない。
すでに書状で一致していた部分は確かめ、残る箇所へ絞って話を進めた。
やがて、アルベルトが椅子へ背を預けた。
「ここまで整えば、婚礼の際にレオンハルトと最後の確認ができよう」
「陛下へ、持ち帰ってお伝えいたします」
「二人の結婚だけに、両国の関係を背負わせるつもりはない」
アルベルトは、卓の書状を見た。
「姪を嫁がせたから、困れば何でも頼めるという話にもしたくない。互いにするべきことは、先に決めておく」
「その方が、二人も安心して暮らせます」
マティアスが答えた。
アルベルトは頷き、窓の外へ目を向けた。
庭の道を、二人が歩いていた。
話しながら足を止め、エリーゼが何かを指している。アレクがそちらを見て、笑った。
大公はしばらく眺めてから、卓へ向き直った。
「アレクは、領地ではどうだ」
「仕事はしております」
マティアスの答えに、アルベルトが眉を上げた。
「随分と簡潔だな」
「婚約の知らせを受けてから、少し落ち着かない時はございますが」
「そうであろうな」
「ただ、分からないことを分からないままにせず、人へ聞くようにはなりました。城の支度も、家宰たちと相談して進めております」
アルベルトは窓へ目を戻した。
「エリーゼも、そうして頼れればよい」
「はい」
マティアスは、それ以上言葉を重ねなかった。
庭の二人は、こちらを見上げていなかった。
◇ ◇ ◇
滞在中、アレクは婚礼に関わる打ち合わせにも出た。
エリーゼに従ってグランヴァルトへ向かう者と、式へ参列して帰る者を分け、城で用意する部屋を確かめる。
本人の荷をいつ送り出すかについては、エリーゼ側の支度を聞いてから決めることになった。
アレクは、答えられることには答えた。城へ戻って確かめなければならないことは、無理にその場で決めなかった。
聞き取ったことを紙へ残していると、マティアスが横から目を向けた。
「オスカーへ渡す分か」
「はい。私が覚えているつもりでも、抜けるかもしれませんので」
「それでよい」
マティアスは頷いた。
「帰ったら、すべて自分で抱え込まずに任せろ」
「承知しました」
その後には、エリーゼと話す時間もあった。
式の話ばかりではなく、城であったことや、手紙には書き切れなかったことを話した。
エリーゼは、アレクが伯爵の城へ着いた時、使用人たちが並んで待っていたという話を聞いて笑った。
「そんなに、驚かれたのですか」
「はい。皆さんが頭を下げるので、私も下げそうになりました」
「下げなかったのですね」
「どうにか」
アレクが答えると、エリーゼは口元へ手を添えた。
「私でしたら、下げてしまうかもしれません」
「その時は、私も一緒に」
「それでは、皆さんが困ってしまいます」
二人で笑った。
領地の仕事をする時のアレクも、軍を率いる時のアレクも、彼女はすべてを見たわけではない。
アレクもまた、手紙を書いていない時のエリーゼを、まだ少しずつ知っているところだった。
結婚が決まったからといって、急に何もかも分かるわけではない。
けれど、知らないことを尋ねる時間は、これから増やしていける。
そう思うと、話したいことも増えた。
◇ ◇ ◇
出発の朝、屋敷の前には馬車が用意されていた。
荷を積み終えた従者が、護衛へ声をかける。先方の案内役も馬を寄せ、一行が揃うのを待っていた。
アレクとマティアスは、見送りに出たアルベルトへ礼をした。
「お世話になりました」
「気をつけて戻れ。レオンハルトには、書状と合わせて、こちらの意向を伝えてくれ」
「承知いたしました」
マティアスが答えた。
アルベルトはアレクへ目を向けた。
「城の支度で確かめたいことが出たら、こちらへ聞け。祝いの席で困ってから言われても、助けられぬぞ」
「はい。早めにご相談いたします」
「うむ」
大公が頷いた。
その隣にいたエリーゼが、一歩前へ出た。
アレクは彼女へ向き直った。
会っている間に話せたことは、たくさんあった。それでも、別れ際になると、もう少し時間が欲しくなる。
エリーゼも、すぐには口を開かなかった。
馬が足を踏み替え、馬具が小さく鳴った。
「道中、お気をつけて」
彼女が言った。
「はい。着きましたら、手紙を出します」
「お待ちしております」
いつもなら、そこで次に会える日を考えた。
戦になるかもしれない。仕事が長引くかもしれない。会いに行きたいと伝えても、いつとは言えないことが多かった。
今日は、違った。
「お迎えする日を、楽しみにしています」
アレクが言うと、エリーゼの顔に笑みが広がった。
「はい。私も、楽しみにしております」
「城の庭も、ご案内します」
「約束ですよ」
「はい」
アレクは頷いた。
エリーゼは、先ほどより落ち着いた顔をしていた。
寂しくないわけではないのだろう。アレクも同じだった。
それでも、次はいつ会えるか分からないまま別れるのではなかった。
アレクが馬車へ乗り込むと、マティアスも続いた。
扉が閉められ、御者が声を上げる。
ゆっくりと車輪が動き始めた。
窓から振り返ると、エリーゼが見送っていた。隣ではアルベルトが立ち、少し後ろに使用人たちが並んでいる。
アレクが手を上げると、エリーゼも小さく手を振った。
門を抜けるまで、アレクはそちらを見ていた。
屋敷が見えなくなってから、ようやく前へ向き直る。
マティアスは、何も言わずに待っていた。
「お待たせしました」
「座っていただけだ」
返されて、アレクは少し笑った。
マティアスは、持ち帰る書状を確かめた。
「同盟の話も、残る点をかなり詰められた。陛下へ報告し、先方と最後の確認を進める」
「まとまりそうでしょうか」
「ああ。互いに何を引き受けるか、はっきりしてきた」
マティアスが書状を収める。
「アレクも、聞きたいことは聞けたか」
「はい。城で何を準備すればよいかも、分かりました」
「それだけか」
アレクは、膝に置いた紙へ目を落とした。
客室や荷の話とは別に、エリーゼの希望を忘れないよう、短く書き留めてある。
庭を案内する。
窓辺の机は、座ってもらってから決める。
そして、帰った時には、顔を見に行く。
「一緒に暮らしてからのことも、話せました」
マティアスは頷いた。
「ならば、よい訪問だったな」
「はい」
アレクは紙を丁寧に畳んだ。
城へ戻れば、仕事が待っている。
領内の報告を聞き、ロルフとギルベルトから届く知らせも確かめなければならない。婚礼の支度も、今日聞いたことをオスカーたちへ伝えるところから始まる。
するべきことは、出発前より増えていた。
それでも、気持ちは軽かった。
整えた部屋へ、一人で立って想像するだけではなくなった。
彼女は窓辺に座ってみたいと言った。庭を一緒に歩きたいとも言ってくれた。
アレクは窓の外へ目を向けた。
街道は、グランヴァルトへ続いていた。
三か月後には、エリーゼもこの道を通って来る。
その時、城門の上には林檎の花の旗を掲げておこう。
そして、自分で迎えに出よう。
アレクは、見送りの時に返してくれた笑顔を思い出しながら、帰りの街道を眺めていた。
第十二話を読んでいただき、ありがとうございました。
婚礼の日だけでなく、その先の暮らしについても言葉を交わした二人。次に会う日を約束できる別れとなりました。
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