第八話 二人の願い、二人の君主
アルヴェインから帰国したアレクは、マティアスとともに王宮へ向かいます。
帰国したアレクがマティアスのもとを訪れたのは、領地へ戻った翌日だった。
大公家で受けた歓待と、国境まで無事に帰り着いたことを報告する。マティアスは途中で二度ほど問いを挟んだが、最後まで聞くと頷いた。
「先方にも、礼の書状を送っておけ」
「はい。オスカーに相談し、用意しております」
「それでよい」
報告を終えても、アレクは席を立たなかった。
膝の上で手を揃え、言葉を探している。
マティアスは机へ置きかけた書状から手を離した。
「それで、もう一つの話はどうなった」
アレクは顔を上げた。
「エリーゼ様に、結婚を申し込みました」
「ああ」
「了承をいただきました」
言い終えると、胸の奥が熱くなった。
庭で聞いた返事を思い出す。帰りの道でも幾度となく思い返したが、誰かに報告すると、また違う重みがあった。
マティアスはアレクの顔を見ていた。
やがて、口元を緩めた。
「そうか」
「はい」
「出発前とは、随分と顔が違うな」
アレクは思わず頬へ手をやりかけた。
その動きを見て、マティアスが笑った。
「悪いとは言っていない」
「……ありがとうございます」
「礼を言う相手は、まずエリーゼ様だろう」
「それは、お伝えしました」
「なら、次は陛下への報告だな」
マティアスは、机の脇に置かれた日程の書付へ目を落とした。
「私から取り次ぐ。ただし、返事をもらったことは、自分の口で申し上げろ」
「はい」
アレクは頷いた。
立ち上がろうとしたところで、マティアスがもう一度顔を向けた。
「アルベルト様のことは、何か話したのか」
アレクの動きが止まった。
「エリーゼ様も、気にしておられました。きちんとお許しをいただきたいと」
「そうだろうな」
「大公妃様にもお話しし、アルベルト様にはご自身で手紙を書くと仰っていました」
マティアスはゆっくり頷いた。
「そのことも、陛下へ伝えておけ」
◇ ◇ ◇
王都へ入ったアレクは、マティアスとともに王宮へ向かった。
案内されたのは、諸侯が並ぶ謁見の間ではなかった。
レオンハルトが日々の報告を受ける部屋には、机と数脚の椅子が置かれている。窓際には地図が広げられ、机の上には開封された書状が積まれていた。
レオンハルトは手にしていた一枚を置き、二人へ顔を向けた。
「戻ったか」
「はい。ただいま戻りました」
アレクが頭を下げる。
レオンハルトは椅子の背へ体を預けた。
「向こうでは、失礼なく過ごせたか」
「大公妃様をはじめ、皆様に温かく迎えていただきました。国境での受け入れにも、何の支障もありませんでした」
「そうか」
短く答えた後、レオンハルトはアレクを見た。
そのまま、何も言わずに待っている。
アレクは背筋を伸ばした。
「陛下。本日は、もう一つご報告がございます」
「ああ」
「エリーゼ様に、私との結婚を申し込みました」
言葉を区切る。
隣に立つマティアスは口を挟まなかった。
「エリーゼ様から、了承をいただきました」
レオンハルトの口元が緩んだ。
「そうか。ようやく伝えたか」
「はい」
「何と答えた」
アレクは一瞬、言葉に詰まった。
返事は、はっきり覚えている。
けれど、あの庭で二人が交わした言葉を、そのまま口にするのは気恥ずかしかった。
「……私と、ともに生きたいと仰ってくださいました」
声が少し小さくなる。
レオンハルトは笑った。
「それだけ聞ければ十分だな」
アレクも笑おうとした。
だが、伝えなければならないことが、まだ残っていた。
「ただ、エリーゼ様は、アルベルト様のことを気にしておられました」
レオンハルトの表情が落ち着いた。
「反対されると?」
「そう決めつけておられたわけではありません。これまで大切に育てていただいたからこそ、きちんとお許しをいただきたいと」
「当然だな」
「大公妃様にもお話しし、アルベルト様へは、ご自身でも手紙を書くと仰っていました」
レオンハルトは頷いた。
指先で机の端を一度叩き、アレクへ目を戻す。
「だが、アルベルトが了承しても、あちらの臣下まで納得するとは限らん。大公家の姪を他国へ嫁がせる話だ」
アレクの胸が、わずかに沈んだ。
考えていなかったわけではない。
エリーゼが承諾してくれたからといって、すべてが決まるとは思っていなかった。
それでも、国王の口から告げられると、二人の前にある隔たりが改めて大きく感じられた。
「……やはり、私では」
「早まるな」
レオンハルトが遮った。
「お前が足りぬと言っているのではない」
アレクは口を閉じた。
「お前は自分の気持ちを伝え、エリーゼは自分で答えた。二人の願いは分かった」
レオンハルトは、真っすぐにアレクを見た。
「ここからは俺とアルベルトの仕事だ」
アレクは顔を上げた。
レオンハルトは、もう笑っていなかった。
戦場で兵を前へ出す時と同じように、引き受けるものを決めた顔だった。
「向こうの臣下を納得させるために、お前一人を歩き回らせるつもりはない。アルベルトの考えを聞き、両国で話を進める」
「よろしいのですか」
「そのために、俺へ相談に来たのだろう」
アレクは、深く頭を下げた。
「ありがとうございます」
すぐには、顔を上げられなかった。
隣から、マティアスの声がした。
「アレク。先方から尋ねられれば、領地のことも、エリーゼ様を迎える支度のことも答えられるようにしておけ」
「はい」
「大きく見せる必要はない。今あるものと、これから整えるものを分けておけばよい」
アレクは顔を上げ、頷いた。
城へ戻れば、オスカーやマルタに相談できる。
何を用意し、何を確かめるべきか。ようやく、自分が次にすることへ目を向けられた。
レオンハルトが言った。
「返事が届くまで、仕事を放り出すなよ」
「もちろんです」
「手紙を待つたびに窓を見ていては、領地が回らん」
アレクは返事に詰まった。
マティアスが横を向く。
笑いを隠したのだと分かり、アレクの頬が熱くなった。
「……気をつけます」
「そこは否定せんのか」
レオンハルトが笑った。
その笑い声を聞きながら、アレクもようやく肩の力を抜いた。
◇ ◇ ◇
アレクが退出すると、レオンハルトは机に残された書状を脇へ寄せた。
「アルベルトへ送る」
マティアスが頷く。
「本人の願いとして、正式にお伝えする形で」
「ああ。俺が縁談を押しつけたようには書くな。エリーゼが望んでいることは、あちらからの手紙でも分かるだろう」
呼ばれた書記官が席に着き、紙を広げた。
レオンハルトは、書き始めるのを待ってから口を開いた。
アレクとエリーゼが、互いに結婚を望んでいること。
グランヴァルト国王として、アレクの申し出を支持すること。
アルベルトの意向を確かめ、正式な婚約に向けて話し合いたいこと。
書記官の筆が進む。
レオンハルトは言葉を止め、マティアスへ顔を向けた。
「同盟の話は、どう添える」
「先にご相談した取り決めは、縁談とは分けて協議を申し入れるのがよいかと。婚姻と引き換えに条件を求めていると受け取られては、話がこじれます」
「そうだな」
レオンハルトは書記官へ向き直った。
「二人の結婚を、取引の条件にするつもりはない。その点は明らかにしておけ」
書記官が頷く。
「承知いたしました」
書き上げられた文面を、レオンハルトは最後まで読んだ。
一箇所を指で示し、言葉を短く改めさせる。
清書が終わると、自ら署名を入れた。
「前線へ届けろ。返書をいただくまで、向こうで待て」
封を施された書状が、使者へ渡される。
マティアスは、その手元を見届けた。
「アルベルト様も、驚かれるでしょうか」
「今さら、二人の気持ちには驚かんだろう」
レオンハルトは椅子へ腰を下ろした。
「あの旗を見ているなら、なおさらだ」
マティアスの口元が緩んだ。
林檎の花と、その周りを囲む五つの蕾。
出来上がった旗を見せに来た時、アレクは紋章の説明をしようとして、かえって顔を赤くしていた。
レオンハルトも、それを思い出したらしかった。
「だが、分かっていても、実際に嫁に欲しいと言われれば別かもしれんな」
笑みが、少しだけ薄くなる。
マティアスは何も言わなかった。
レオンハルトは封じられた書状へ、もう一度目を向けた。
「まずは、あの男の返事を聞こう」
◇ ◇ ◇
ベルン伯爵領内に置かれたアルヴェイン軍の本営では、その日も前線からの報告が続いていた。
街道を通過した荷車の数。次に送る兵糧。敵兵を見たという村からの知らせ。
アルベルトは地図の上へ指を置き、報告に来た将へ尋ねた。
「この村から街道までは、どれほど離れている」
「徒歩で半日ほどです。ただし、荷車を通せる道は、こちらへ回らねばなりません」
将が別の道を示す。
アルベルトは頷いた。
「斥候を出せ。村人には、敵を追わせるな。見た場所と人数を聞けばよい」
「承知しました」
将が退出すると、控えていた従者が進み出た。
「本国より、書状が届いております」
差し出された中に、見慣れた筆跡のものがあった。
アルベルトはそれを手に取り、封を開いた。
エリーゼからだった。
五人を無事に迎えたこと。
祝宴で交わした話。
そして、その翌日に庭でアレクと会ったこと。
読み進めていたアルベルトの目が、ある一文で止まった。
しばらくして、口元が緩む。
「やっと言えたか」
従者が顔を上げた。
「何か、よいお知らせでございますか」
「ああ」
アルベルトは、もう一度手紙へ目を落とした。
アレクから結婚を申し込まれ、承諾した。
その後に続く言葉は、丁寧すぎるほど丁寧だった。
相談する前に返事をしたことを、どうか許してほしい。
けれど、自分の気持ちを偽りたくはなかった。
叔父にも祝福してほしい。
アルベルトは、短く息を吐いた。
謝る必要などないと言ってやりたかった。
だが、今ここで口にしても、遠く離れたエリーゼには届かない。
髪に林檎の花を飾り、アレクの話をする時だけ声を弾ませていた姿が思い浮かぶ。
そして、補給街道を開いて自軍へ姿を見せた、あの若い伯爵。
その旗にも、林檎の花が咲いていた。
旗のことを尋ねた時の顔を思い出し、アルベルトは小さく笑った。
手紙を丁寧に畳み、ほかの軍務の書状とは分けて置いた。
「返事を書く。後で、紙を用意しておけ」
◇ ◇ ◇
それから数日後、グランヴァルトからの使者が本営へ到着した。
国王の書状だと聞き、アルベルトはすぐに通すよう命じた。
使者は旅装を整えて進み出ると、一礼して書状を差し出した。
「レオンハルト陛下より、お預かりしております」
アルベルトは受け取り、封を確かめた。
文面を読み始めた時には、まだ穏やかな顔をしていた。
読み終える頃には、大公としての表情に戻っていた。
「返書を用意する。それまで休んでおれ」
「ありがとうございます」
使者が退出すると、アルベルトは同席していた重臣へ書状を渡した。
重臣は一読し、顔を上げる。
「ハルトマン伯爵と、エリーゼ様の縁談でございますか」
「ああ。本人からも、同じ話が届いている」
「では、エリーゼ様も」
「望んでいる」
アルベルトは、はっきり答えた。
重臣はもう一度、書状へ目を落とした。
「伯爵の働きは、皆が認めております。ただ、大公家の姪御様を他国へ嫁がせるとなれば、諸侯への説明は必要かと存じます」
「分かっている」
「家格だけを取り上げる者もおりましょう。伯爵が今後もグランヴァルトに仕える以上、エリーゼ様がお暮らしになるのも、あちらです」
アルベルトは頷いた。
相手は反対したいのではない。
話を進めれば、必ず出てくる意見を先に述べている。
「だからといって、家格だけを並べて、あの男の働きを忘れさせるつもりはない」
アルベルトは地図へ目を向けた。
地図には、本国から前線へ続く補給路が示されていた。
一度は、敵に断たれた道だった。
「あの街道が塞がれた時、我々が何を待っていたか、ここにいる者は知っている」
「はい」
「兵糧を届けたのは誰だ。敵の火槍隊を破り、荷車を通せるようにしたのは」
「ハルトマン伯爵をはじめとする、グランヴァルトの援軍です」
「その働きを、伯爵という一語で小さく扱わせるわけにはいかん」
重臣は姿勢を正した。
アルベルトは続けた。
「あの男たちは、頼まれてもいない城へ勝手に兵を向けなかった。救援の役目を果たし、こちらの軍へ補給を届けた。手柄を欲しがって、我々の戦を乱すこともしなかった」
それは、強い武器を持っているだけでは出来ないことだった。
命令を理解し、他国の軍との間で、守るべきところを守る。
アルベルトは、整然と並んでいた騎馬鉄砲隊を思い出した。
兵の数にも驚いた。
だが、それ以上に目を引いたのは、一人の命令で列全体が動く姿だった。
かつて自分の前で用事を待っていた若者は、今や大勢の兵を率い、その命を預かっている。
「エリーゼが慕っているから、何も見ずに許すのではない。私も、あの男が何をしてきたかを見ている」
「承知しております」
重臣は書状を机へ戻した。
「では、諸侯へは、その実績と、グランヴァルト国王も支持していることをお示しになるのですね」
「ああ。ただし、国王が望んだからエリーゼを嫁がせるという話にはするな」
アルベルトの声が低くなった。
「二人が望んだ縁だ。その順番を変えるな」
重臣は深く頭を下げた。
アルベルトは、レオンハルトの書状を引き寄せた。
縁談を支持するとの文言を、もう一度読む。
あの男も、アレクから直接話を聞いたのだろう。
どんな顔で報告したのか、容易に想像できた。
「正式な取り決めには、まだ詰めることがある。だが、私が何を考えているかも分からぬまま、二人を待たせる必要はないな」
紙と筆が用意された。
アルベルトは椅子に座り直した。
「エリーゼが自分で選び、あの男が王に願い出るところまで進めたのだ。私も、返事を書かねばなるまい」
筆を取り、まずレオンハルトへ宛てた。
二人の結婚を、自分も認める意向であること。
正式な婚約に向け、双方で必要な話し合いを進めたいこと。
条件を並べる前に、その二つを記した。
書き終えると、別の紙を手元へ寄せた。
こちらは、エリーゼへ送るものだった。
アルベルトは少し考え、最初の一文を書いた。
謝ることはない。
そこまで書いて、筆を止めた。
これだけでは、あの子はまだ気にするかもしれない。
すぐ下へ、もう一文を添えた。
お前が自分で選んだ相手を、私も祝福したいと思っている。
第八話を読んでいただき、ありがとうございました。
戦場とは違う場面で見せる、レオンハルトとアルベルトの頼もしさ。そして、エリーゼへの返事に込めた叔父としての思いを感じていただけたら嬉しいです。
少しでも面白い、続きが気になると思ってくださったら、ページ下部にある【ブックマークに追加】や【★★★★★】での評価で応援していただけると、執筆の励みになります!




