第五話 主君に打ち明ける願い
補給路を取り戻し、帰還へ向けて動き始めるアレクたち。
戦場を離れても、胸に抱いた思いは続いています。
翌朝、アレクたちはアルヴェインの指揮官とともに、城へ続く街道を確かめた。
荷車の通った跡には、新しい蹄の跡が重なっていた。道の先では、グランヴァルトの歩兵が交代の兵を待っている。
ヴィクトルが、隣を進む指揮官へ顔を向けた。
「渡河点と街道には、合わせて六百人を残しています。交代の兵が着いた場所から、順に引き継ぎます」
「承知しております。こちらの兵も、すでに城を出ました」
「宿場の守備は別です。負傷者を運び出す間は、そちらにも兵を残します」
指揮官は頷き、持参した地図へ印をつけた。
街道を取り戻しても、ベルン伯爵軍がいなくなったわけではない。退いた騎兵が使える脇道や、見張りを置く丘については、カスパルが実際に見た場所を示していった。
アレクは、渡河点へ向かう荷車を道の端で見送った。
今度は前線へ兵糧を届けるだけではない。戻る荷車には、宿場で休ませている負傷者を乗せることになっていた。
「アレク様」
ギルベルトが馬を寄せてきた。
「宿場へ送る護衛の支度が整いました。徒歩の鉄砲隊も、いつでも動けます」
「出発はヴィクトル様の指示を待ってください。負傷者を乗せる荷車は、急がせないように」
「承知しました」
ギルベルトが離れると、アルヴェインの指揮官がアレクへ頭を下げた。
「負傷された方々には、こちらの者も付き添わせます。道の悪い場所は、御者へ伝えておきます」
「ありがとうございます。お願いいたします」
少し先で、交代に来たアルヴェイン兵の列が見えた。
見張りに立っていたグランヴァルト兵が、その隊長へ道を示している。二人は丘を指さして何かを確かめ、それから持ち場へ向かった。
アレクたちが帰った後も、この道には荷車が通る。
そのための引き継ぎだった。
◇ ◇ ◇
城へ戻ると、広間には周辺の地図が広げられていた。
ヴィクトルが警備の引き継ぎについて報告し、アルベルトが頷く。
「残る場所にも兵を向かわせる。帰還の許可が届くまでには、こちらで守れるようにしておこう」
「ありがとうございます。陛下への報告は、すでに使者に持たせております」
「分かった」
ロベルトが荷車の手配を確かめに出ていき、ほかの者もそれぞれの仕事へ戻った。
アレクは卓上の地図に目を落とした。
アルヴェインから西へ進む街道。その先にある、まだベルン伯爵軍が守る城。さらに西にも、国境を表す線が引かれている。
戦う場所の道や川は確かめてきた。だが、その向こうにどのような国があるのかを、アレクは詳しく知らなかった。
「殿下。一つ、お尋ねしてもよろしいでしょうか」
「何だ」
「ベルン伯爵領は、どこかの国に属しているわけではないのですよね」
「ああ。今は、ほかの王に仕えているわけではない」
「それでも、王国ではなく伯爵領と呼ばれるのは、なぜでしょうか」
アルベルトはアレクを見てから、地図へ視線を戻した。
「その話は、していなかったか」
「はい。私も、ずっとそういうものだと思っていました」
「そうか」
アルベルトが、ベルン伯爵領の西へ指を置いた。
「ベルン伯爵領の西に、ドラウゼン王国という国がある。今のドラウゼンの東部とベルン伯爵領は、元々クローネン王国という一つの国だった。ベルン伯爵は、その国に仕えていた伯爵だ」
アレクは、アルベルトの指が示す範囲を目で追った。
今の国境線をまたいで、一つの国があったという。
「クローネン王国が、二つに分かれたのですか」
「王位を巡って争いが起きた。そこへ、王家と血のつながりを持つドラウゼンが兵を入れたのだ」
「王位を継ぐ権利がある、と」
「そういう名分だ。だが、争いが収まった後も、クローネンという国は元には戻らなかった。西の領地はドラウゼンに組み込まれ、ベルン家はその支配を受け入れなかった」
アルベルトは、今のベルン伯爵領を指した。
「もともと治めていた土地を手放さず、自分の兵で守った。それが今の伯爵領だ」
「では、独立した国ではあるのですね」
「自分で税を取り、兵を持ち、よその国と話をする。その意味では、そう考えてよい」
アレクは地図を見つめた。
伯爵領という呼び方から、どこかに仕える領主の土地なのだと思っていた時期もあった。だが、ベルン伯爵は自らの判断でアルヴェインへ兵を向けてきた。
今の説明で、その違いがようやく分かった。
「王を名乗ることは、できなかったのでしょうか」
「名乗るだけなら、できる」
アルベルトは、あっさりと答えた。
「だが、自分で王だと言えば、周りが王として扱うわけではない。誰からその地位を継いだのか。どの土地を治める王なのか。ほかの国が、それを認めるかどうかもある」
「城や町を多く持っていればよい、ということではないのですね」
「それだけで王になれるなら、大きな領地を持つ諸侯は、皆そう名乗るだろう」
アレクは頷いた。
グランヴァルトにも、大きな領地と多くの兵を持つ諸侯がいる。それでも、領地の広さだけで王位が決まるわけではなかった。
「ベルン家が伯爵だったことには、もともとの根拠がある。クローネンの王に認められ、その土地を治めてきた家だからな。だが、王を名乗れば、話は変わる」
「クローネン王国を継ぐのか、別の国を作るのか、ということでしょうか」
「そうだ。ドラウゼンも黙って聞いてはおらんだろう。古い爵位を使い続ける方が、余計な争いを増やさずに済むこともある」
アルベルトは地図から手を離した。
「伯爵と呼ばれているから、弱い相手だと思うな。自分の兵と土地を持つ相手だ。そのことは、もうよく知っているだろう」
「はい」
アレクは、渡河点に並んでいた火槍のことを思い出した。
あの兵たちは、こちらの撃ち方を調べ、隊を組んで待ち構えていた。武器の違いを知らなかったからといって、何も考えずに戦っていたわけではない。
アルベルトが、地図の東側へ目を向けた。
「今では北にグランヴァルト、西にドラウゼン、南にヴァルデン大公国。そして東に我らがいる」
アレクは、その位置を確かめた。
「一つ、気になることがあります」
「言ってみろ」
「クローネン王国の土地を取り戻したいのであれば、西へ兵を向けることも考えられたのではありませんか。なぜ、アルヴェインへ何度も攻め込んだのでしょう」
アルベルトの口元から、わずかな笑みが消えた。
「西の相手が大きいからだ」
指が、ドラウゼンの領土をなぞった。
「ドラウゼンには、旧クローネンの土地以外にも領地がある。ベルン家との境界には取り決めもある。そこを破って戦を始めれば、向こうに大軍を出す口実を与える」
「西の国境を保ったまま、東へ広げようとしたのですか」
「そこから先は、伯爵本人に聞かなければ分からん」
アルベルトはそう断ってから、続けた。
「だが、西から取り戻すより、我らから奪う方が容易だと考えたのだろう。土地を増やせば税が入り、兵を養える。力をつけてから先を考えるつもりだったのかもしれん」
アレクは、アルヴェインの城を示す印を見た。
地図の上では、わずかな距離だった。
その間に村があり、畑があり、暮らしている人々がいる。ベルン伯爵軍が国境を越えるたびに、その人々は兵が通り過ぎるのを待たねばならなかった。
「こちらから見れば、たまったものではありませんね」
「そうだ」
アルベルトは即座に答えた。
「向こうにどのような事情があろうと、我らの村を焼いてよい理由にはならん」
声を荒らげたわけではなかった。
それでも、アレクは顔を上げた。
小姓だった頃から、アルベルトはベルン伯爵軍の動きを気にしていた。国境から届く報告を読み、兵を集め、城へ指示を出していた。
今回の侵攻だけで始まった争いではない。
「伯爵は、そのための兵に大金を使ったのでしょうね」
アレクが言うと、アルベルトは頷いた。
「火槍の値が上がっている。まとまった数を揃えるのは、以前より難しい」
「こちらの戦の噂が、広まったためですか」
「それもあるだろう。グランヴァルトが火槍で勝ち続けていると聞けば、自分も欲しいという者が出る。欲しがる者が増えれば、売る側も安くは渡さん」
アレクは唇を結んだ。
自分たちが使う火縄銃と、ベルン伯爵軍の火槍は違う。
だが、遠くで戦の噂を聞いた者に、その違いが分かるとは限らない。
「買った武器を失えば、同じ物をもう一度揃えなければなりません」
「ああ。兵を教える時間も要る。城を二つ失った後に、それをするのは容易ではない」
アルベルトは、街道へ視線を移した。
「それでも、残った兵まで消えたわけではない。追い詰められたからこそ、何をするか分からん」
「街道の見張りは、引き継ぎが終わるまで続けます」
「頼む」
アレクは頭を下げた。
知らなかった国の名前が、地図の上で今の戦とつながっていた。
目の前の敵を退ければ、それですべてが片づくわけではない。だが、この先の戦を進めるのはアルヴェインの軍だ。
アレクたちが命じられた役目は、兵糧の通る道を取り戻すことだった。
◇ ◇ ◇
それから数日、街道の警備は順にアルヴェイン兵へ引き継がれた。
宿場には薬と布が届き、運べる負傷者から後方へ移された。帰還の許可を伝える使者が着いた頃には、渡河点の見張りもアルヴェインの旗の下に立っていた。
ヴィクトルは命令書を読み、五人を見渡した。
「帰還する。各隊の所属を確かめ、預かっている兵を、それぞれの指揮官へ引き渡せるようにしておけ」
アレクは頷いた。
鉄砲隊の名簿は、ギルベルトとともに確認していた。自分の兵と、マティアスから預かった兵、王直属の兵を混ぜて報告することはできない。
負傷して荷車で戻る者についても、名前と所属を添えた。
出発の朝、アルベルトが五人を見送った。
「陛下とマティアス殿にも、改めて礼を伝えてくれ。正式な書状は使者に持たせる」
「承知しました」
ヴィクトルが答えた。
「街道の警備は、すべて引き継いでおります。宿場の兵も、帰還する隊へ合流させます」
「分かった。道中も気をつけろ」
アルベルトは、一人ずつ顔を見た。
最後にアレクへ目を向ける。
「アレク」
「はい」
「帰ったら、少しは休め」
「殿下も、どうか御無理をなさらないでください」
「俺はこれからだ」
アルベルトはそう答えた後、アレクの表情を見て小さく息を吐いた。
「分かっている。せっかく届けてもらった兵糧だ。無駄にはせん」
アレクは頷いた。
会えたことも、助けに来られたことも嬉しかった。
だが、ここに残って戦うことが、その礼になるわけではない。
「御無事を、お祈りしております」
「ああ。また顔を見せろ」
「はい」
アレクは深く頭を下げ、馬へ向かった。
門の外では、すでに兵の列が整っていた。荷車が動き出し、その両側を護衛が進む。
振り返ると、アルベルトはまだ中庭に立っていた。
アレクが一礼すると、片手を上げて応じた。
城門を抜け、街道へ出る。
エリーゼの暮らす場所へ向かう道ではなかった。
それでも、帰ったら話すべきことがある。
アレクは前を向き、隊の進む速さに馬を合わせた。
◇ ◇ ◇
国境を越え、さらに道を進んだ後、五人は出陣前に集まったマティアスの城へ戻った。
兵と荷車を休ませ、預かっていた部隊の引き渡しを済ませると、報告のために呼ばれた。
軍議に使った部屋には、同じ地図が広げられていた。
だが、今度は敵の位置を探すために囲むのではない。
「戻ったか」
マティアスが五人を見た。
「ただいま戻りました」
ヴィクトルが進み出る。
「アルヴェイン軍への補給路の引き継ぎを終え、陛下の御命令に従って帰還いたしました」
マティアスは頷き、報告を聞いた。
使者の書状では伝え切れなかった敵の動きや、街道を取り戻すまでの判断について、必要なところで問いを挟む。
カスパルが脇道の位置を示し、エイドリアンが敵騎兵の退いた方向を伝えた。
「まとまって退いた兵は、その後も姿を見せたのか」
「斥候が遠くに見つけたことはあります。ただ、引き継ぎまでに街道へ攻めてくることはありませんでした」
「アルヴェイン側には」
「伝えております」
「ならばよい」
マティアスは次の報告を促した。
ロベルトが兵糧と荷車の受け渡しを伝え、アレクは鉄砲隊の損害と使った物資について書いた紙を差し出した。
「所属ごとに分けてあります。負傷して戻った者については、こちらです」
マティアスは紙を受け取り、目を通した。
人数の書かれた箇所で手が止まる。
「負傷者の手当ては続けろ。補充の話と、今いる兵をいつ任務へ戻すかは、分けて考える」
「承知しました」
「陛下の兵についても、同じ内容を届ける。こちらで受け取った記録と違いがないか、最後に確かめておけ」
「はい」
アレクは答えた。
報告が終わると、マティアスは五人へ視線を戻した。
「アルベルト殿からも書状が届いている。兵糧が届き、撤退せずに済んだとある」
ヴィクトルの肩が、わずかに下がった。
ロベルトも、持っていた紙を揃え直した。
「五人とも、役目を果たしたな」
その言葉を聞き、アレクはようやく息を吐いた。
城へ兵糧を届けた時とは違う安堵があった。
命じられた場所へ向かい、預かった兵を動かし、主君の前へ戻ってきた。
「後の細かな報告は、書面で出せ。今日は兵のことを済ませたら休め」
五人が頭を下げた。
椅子が引かれ、扉へ向かう足音が続く。
アレクも書類をまとめたが、立ち去らなかった。
ヴィクトルが一度こちらを見た。アレクが小さく頷くと、それ以上は尋ねずに部屋を出ていった。
扉が閉まる。
マティアスは、手元に残った報告書を卓へ置いた。
「出立前の相談か」
アレクは顔を上げた。
「覚えていてくださったのですか」
「帰ったら聞くと言っただろう」
「はい。ありがとうございます」
マティアスは、部屋に残っていた書記官へ顔を向けた。
「少し席を外してくれ。残りは後で見る」
書記官が一礼して出ていくと、部屋は静かになった。
廊下の足音が遠ざかる。
マティアスはアレクの正面の椅子を示した。
「座れ」
「はい」
アレクは腰を下ろした。
さっきまで、敵の動きも、兵の損害も、用意した紙を見ながら説明できた。
今は、その紙が役に立たなかった。
帰り道でも言葉を考えていた。だが、説明を重ねるほど、肝心の気持ちを切り出せなくなった。
アレクは膝の上で手を握り、マティアスを見た。
「私は、エリーゼ様との結婚を望んでいます」
言い終えると、胸の鼓動が急にはっきりした。
マティアスは笑わなかった。
驚いたように聞き返すこともなく、アレクの顔を見ていた。
「その気持ちは、エリーゼ様には伝えたのか」
「まだです。お伝えする前に、マティアス様と陛下にご相談すべきだと思いました」
「アルベルト殿には」
「結婚を望んでいるとは、申し上げておりません」
「ほかの話はしたのだな」
アレクは、一瞬だけ言葉に詰まった。
「旗のことを、尋ねられました」
「林檎の花か」
「はい」
マティアスが、わずかに口元を緩めた。
「隠すには、ずいぶん目立つ場所へ掲げたな」
「そういうつもりで決めたわけでは……」
言いかけて、アレクは口を閉じた。
まったく関係がないと言えば、嘘になる。
「……いえ。エリーゼ様のことも、考えていました」
「そうか」
マティアスは、それ以上からかわなかった。
そのことが、かえってアレクを落ち着かなくさせた。
「伯爵になったから、許されると思っているわけではありません」
アレクは続けた。
「エリーゼ様は大公家の方です。私との縁談を、よく思わない方もいらっしゃると思います。それでも、曖昧にしたまま、またお会いするのは……」
言葉を探し、視線を落としかけた。
マティアスは急かさずに待っていた。
アレクは顔を上げ直した。
「私は、エリーゼ様と一緒に暮らしたいのです。会いに行ける日を待つだけではなく、同じ場所へ帰れるようになりたいと思っています」
口にすると、望んでいた暮らしが、それまでよりはっきりした。
手紙を開く時の嬉しさも、別れる時の寂しさも知っている。
そのたびに、次に会える日を考えてきた。
だが、これからもずっと、別れ際の約束だけを重ねたいわけではなかった。
「そのために、まず何をすべきか、ご相談したいです」
マティアスは背もたれへ寄りかからず、アレクの話を聞いていた。
「爵位を上げれば、すべて済むという話ではない」
「はい」
「だが、今までの働きまで、小さく考える必要はない。領地を治め、兵を率い、陛下から任務を託されている。それは事実だ」
アレクは黙って頷いた。
「アルベルト殿も、今回の働きを見ている。今も昔の小姓のままだとは思っておらんだろう」
「そうであれば、嬉しいです」
「問題は、その先だ」
マティアスは卓に置いた手を組んだ。
「エリーゼ様に、今の国を離れて暮らしてほしいと願うことになる。大公家の方として、果たしている役目もあるだろう。会っている間だけ、楽しく過ごせればよいという話ではなくなる」
「承知しています」
「本当に分かっているか」
アレクは、すぐには答えなかった。
エリーゼを迎えたいとは思っていた。
だが、エリーゼが離れることになる場所について、どこまで考えていただろう。
城に部屋を用意すれば、それでよいわけではない。慣れ親しんだ人々も、日々の暮らしも変わる。
「分かったつもりでいたところは、あると思います」
アレクは認めた。
「私は、お迎えすることばかり考えていました。エリーゼ様が何を離れることになるのか、御本人に聞かなければ分からないこともあります」
「ああ」
「こちらへ来てくださるのが当然だとは、思わないようにします」
マティアスは頷いた。
「まず、御本人がどうしたいかだ。周りが話を進めてから、断れなくなるような形にはするな」
「はい。それは、私も望んでいません」
その返事に、迷いはなかった。
アレクは、エリーゼが困った顔で頷く姿を想像したくなかった。
嬉しいと言ってほしかった。
だが、それを求めるあまり、言わせるようなことにはしたくなかった。
「もし、私との結婚を望んでくださらなければ、受け止めます」
言うだけでも、胸の奥が痛んだ。
マティアスは、その顔を見ていた。
「怖いか」
「……はい」
「戦場で敵を前にした時より、言葉が慎重だな」
「相手を退かせたいわけではありませんので」
答えてから、アレクは少しだけ目を伏せた。
マティアスが短く笑った。
「それは、そうだ」
張りつめていた空気が、少し緩んだ。
アレクも息を吐いた。
マティアスは表情を戻し、話を続けた。
「もう一つある。アレクは俺に仕えるグランヴァルトの領主だ。エリーゼ様はアルヴェインの大公家に属している。この縁談を、両国の関係に関わるものと考える者もいる」
「両国の関係にも、関わるということですね」
「ああ。だから、陛下への相談が要る。こちらの意向を大公家へどう伝えるかも、勝手には決められん」
アレクは頷いた。
「エリーゼ様にお伝えする前に、ご相談してよかったです」
「順序を確かめに来たのはよい。だが、何もかも周りで決めてから、本人へ知らせるという意味ではないぞ」
「はい」
「陛下に願いを聞いていただく。そのうえで、どう話を進めるかを考える。エリーゼ様の気持ちを聞く機会まで、俺たちが奪うことはない」
アレクは、膝の上で握っていた手を緩めた。
家柄の差について、難しいと言われることは覚悟していた。
王や大公家の意向が関わることも、分かっていたつもりだった。
それでも、自分たちの気持ちを後回しにしないと言ってもらえるとは思っていなかった。
「今回、アルヴェインを助けたことは、縁談にも関わってくるのでしょうか」
アレクが尋ねると、マティアスは少し考えてから答えた。
「アルヴェインの諸侯が、アレクをどう見るかは変わるだろう。自分たちの兵糧を届けた者を、何の働きもない若者とは呼べん」
「はい」
「だが、助けたのだから姪を嫁がせろと迫る話にはするな」
「そのようなつもりはありません」
アレクは、思わず身を起こした。
マティアスは片手をわずかに上げた。
「分かっている。アレクがそう思っていなくても、そう受け取られる進め方は避けねばならんということだ」
アレクはゆっくりと座り直した。
アルベルトが礼を言ってくれたことと、エリーゼとの結婚を望むこと。
自分の中では別の話でも、周りが同じように見てくれるとは限らない。
「言葉だけでなく、いつ、誰に、どう伝えるかも大事なのですね」
「そうだ。だからこそ、一人で進めずに相談に来たのだろう」
「はい」
マティアスは頷き、卓の端に寄せていた書状を手元へ戻した。
アレクはその動きを見て、胸が詰まるのを感じた。
ここまで話を聞いてもらった。
だが、まだ、マティアス自身がどう考えているのかを聞いていなかった。
「あの、マティアス様」
「何だ」
「この結婚を望むことに、反対ではありませんか」
声が、少し小さくなった。
マティアスは書状から目を上げた。
「願うことを、やめさせるつもりはない」
アレクは息を止めた。
「簡単な縁談ではない。陛下も、大公家も、それぞれの立場で考える。それでも話を進めたいのだな」
「はい」
今度は、はっきりと答えた。
「エリーゼ様に、自分の気持ちをお伝えしたいです。エリーゼ様も私との結婚を望んでくださるなら、実現できるように努めたいと思っています」
マティアスはアレクを見つめた後、ゆっくり頷いた。
「分かった。陛下にお話しする機会をいただけるよう、俺からお願いしよう」
アレクの肩から、力が抜けた。
「ありがとうございます」
「ただし、アレクの願いは、アレク自身の口で伝えろ」
「はい」
「俺が先に話し終えて、頷くだけで済むようにはしておかんぞ」
「……その方が、緊張せずに済みそうではあります」
「陛下の前で、今の言葉を言ってみるか」
「いえ。自分で申し上げます」
マティアスが笑った。
アレクも、ようやく笑うことができた。
結婚が決まったわけではない。
エリーゼの返事も、アルベルトの考えも、まだ聞いていない。レオンハルトに何を尋ねられるのかも分からなかった。
それでも、帰り道に考えていた言葉を、主君の前で口にできた。
「今日は休め」
マティアスが言った。
「陛下にお会いする日が決まったら、知らせる」
「お願いいたします」
アレクは立ち上がり、深く頭を下げた。
扉へ向かい、取っ手に手をかけたところで呼び止められた。
「アレク」
「はい」
「無事に帰ってきて、相談ができてよかったな」
出陣前に交わした言葉を思い出した。
戻ったら聞くと、マティアスは言ってくれた。
アレクは振り返り、もう一度頭を下げた。
「はい。ありがとうございます」
廊下へ出ると、窓から夕方の光が差していた。
中庭には、帰ってきた兵の姿がある。馬を厩へ引く者と、空になった荷車を押す者が、声をかけ合っていた。
アレクは足を止めずに歩いた。
次にレオンハルトの前へ立った時も、家柄の違いや縁談の難しさから話し始めるのはやめようと思った。
今日、マティアスへ伝えた言葉を、今度は王へ伝える。
その先でエリーゼに会えたなら、誰かへの報告ではなく、彼女自身へ話したかった。
一緒に暮らしたいと。
帰る城で、これからの日々をともに過ごしてほしいと。
アレクは、まだ少し熱い頬に手を当てた。
廊下の先で人の声がして、慌てて手を下ろす。
それでも、口元に浮かんだ笑みは、すぐには消えなかった。
第五話を読んでいただき、ありがとうございました。
戦の報告とは違う緊張の中、マティアスへ自分の願いを伝えたアレク。主君とのやり取りを、温かく見守っていただけたら嬉しいです。
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