第四話 林檎の花を掲げて
お読みいただき、ありがとうございます。
第八篇「乱世に結ぶ絆」、第四話をお届けします。
アルヴェイン軍が占領した城の広間で、アルベルトは兵糧の残りを聞いていた。
卓上には、城に残されていた穀物と、兵に配った量を書いた紙が並んでいる。
「明日の配給も、同じ量でよろしいでしょうか」
問いかけた男の顔には、疲れが浮かんでいた。
アルベルトは紙から目を上げた。
「明日も同じ量を配れ。減らさねばならなくなったら、俺の分も同じように減らせ」
「ですが、殿下は」
「俺だけ食っても、兵は動かん」
男が頭を下げた時、廊下から足音が近づいてきた。
扉が開き、兵が一人入ってくる。
「グランヴァルト軍の使者が到着しました!」
「通せ」
ほどなく、泥の跳ねた外套を着た騎兵が、アルヴェインの案内役とともに現れた。
騎兵はアルベルトの前で膝をついた。
「ヴィクトル子爵より、ご報告いたします。渡河点を押さえていたベルン伯爵軍を退け、街道を確保しました」
広間にいた者たちが顔を上げた。
「荷車は」
アルベルトが尋ねる。
「十六台が渡河を始めております。護衛をつけ、こちらへ向かわせるとのことです」
「積み荷は残っているのだな」
「はい。宿場で守り抜いた兵糧です」
アルベルトは、卓上の紙へ一度目を落とした。
その隣で、先ほどまで配給の相談をしていた男が、大きく息を吐いた。
「敵はどうした」
「川沿いの道から、ベルン領の奥へ退きました。我が軍は深追いせず、渡河点と街道を守っております」
「分かった。よく知らせてくれた」
アルベルトが言うと、使者はもう一度頭を下げた。
「それと、アレク・ハルトマン伯爵も、救援軍に加わっております」
「アレクが」
「はい。ご自身から、そのようにお伝えするよう申しつかりました」
アルベルトの口元が、わずかに緩んだ。
「そうか」
それだけ答え、そばの指揮官へ向き直る。
「街道へ迎えを出せ。荷車を迷わせるな。倉の前を空けて、着いたらすぐに荷を下ろせるようにしておけ」
「承知しました」
「渡河点の守備についても話をつける。いつまでも救援に来た兵に任せきりにはできん」
指揮官が頭を下げ、広間を出ていった。
アルベルトは使者へ視線を戻した。
「馬を休ませろ。お前たちも食っていけ」
兵糧を扱う男が、すぐに扉へ向かった。
先ほどより、その足取りは速かった。
◇ ◇ ◇
翌日の午後、城壁の上から声が上がった。
「荷車だ!」
街道の先に、幌と馬の姿が見えていた。
城門のそばにいた兵が外へ顔を向ける。倉へ向かっていた者も足を止めた。
先頭を進む騎兵は、迎えに出したアルヴェインの兵だった。その後ろに荷車が続き、道の両側にはグランヴァルトの護衛がついている。
一台目が近づくと、荷台に積まれた穀物の袋が見えた。
「着いたぞ」
誰かが言った。
その声をきっかけに、門の周りから歓声が上がった。
兵たちが道のそばへ集まってくる。御者へ手を上げる者もいれば、荷台を指さして仲間へ何かを叫ぶ者もいた。
その向こうから、別の旗が近づいていた。
林檎の花と、花の周りに五つの蕾。
旗の下を、鉄砲を携えた騎兵が進んでいた。
城壁の上で、一人のアルヴェイン兵が身を乗り出した。
「あれも、鉄砲か」
隣の兵が目を細める。
「そう見えるな」
「馬に乗せているのか」
答える者はいなかった。
アルヴェインにも、火縄銃を持つ兵はいる。
だが、街道を進んでくる騎兵は、一人や二人が銃を運んでいるのではなかった。同じ武器を携えた者が列を作り、前の馬との間を保っている。
さらに後ろから、徒歩の鉄砲隊が続いた。
先頭が曲がり角を越えても、銃を持つ兵の列は途切れない。
「まだいるぞ」
城壁の兵が、小さく言った。
今回、ヴィクトルが城へ進めたのは千六百三人だった。
鉄砲隊五百八十五人、歩兵七百三十四人、騎兵二百八十四人。騎馬鉄砲隊は、鉄砲隊の人数に含まれている。
渡河点と、そこへ続く街道には歩兵六百人を残した。宿場に配した百人は、この人数には含まれていない。その一部が十六台の荷車を護衛し、残る兵は宿場の警備を続けていた。
アレクは城門の前を見た。
兵糧を迎える兵が道へ出てきている。倉へ荷を運ぶための者たちも集まり、門の内側が狭くなっていた。
先頭の御者が手綱を引く。
荷車の車輪が止まりかけた。
アレクは、後ろのギルベルトへ顔を向けた。
「鉄砲隊を道の左へ寄せます。荷車を先に通してください。騎馬鉄砲隊も、荷車が通り終えるまで門の外で待機させてください」
「承知しました」
ギルベルトが腕を上げ、指揮者へ命令を伝える。
騎馬鉄砲隊の先頭が速度を落とした。
後ろの馬も、それに合わせて進む。徒歩の兵は道の左側へ寄り、荷車の車輪が通る幅を空けた。
銃を担いだ兵が、勝手に門へ向かうことはなかった。
アレクは近くにいたアルヴェインの兵へ声をかけた。
「荷車を先に入れます。門の前を空けていただけますか」
「は、はい!」
兵が振り返り、仲間を呼び戻した。
「道を空けろ! 倉へ通すぞ!」
人垣が左右へ分かれる。
御者が馬を進ませた。
一台目が門をくぐると、待っていた者たちが荷台へ駆け寄った。
その後ろから、二台目、三台目と続く。
アレクは荷車が動き出したのを確かめ、馬を道の端へ寄せた。
城門の上にいた指揮官は、その様子を見下ろしていた。
歓声に応じて手を振る兵はいる。
それでも列を離れず、命令が伝わると、すぐに前の者へ歩調を合わせる。
数を集めただけでは、こうは動かない。
指揮官の視線が、林檎の花の旗から、その下にいる若い伯爵へ移った。
◇ ◇ ◇
アルベルトは、城の中庭で救援軍を迎えた。
ヴィクトルが馬を下りる。
エイドリアン、カスパル、ロベルト、そしてアレクも続いた。
五人が進み出ると、周囲にいたアルヴェインの諸侯や指揮官が口を閉じた。
「グランヴァルト王陛下の命により、補給路の確保に参りました」
ヴィクトルが頭を下げた。
「宿場と渡河点を押さえていたベルン伯爵軍は退き、兵糧を運ぶ街道を確保しております」
「よく来てくれた」
アルベルトが答えた。
「荷車も見た。まずは礼を言わせてくれ」
「街道の警備は続けております。ただ、敵の騎兵と歩兵の一部は、まとまったまま退いています。見張りを解くことはできません」
「こちらからも兵を出す。場所と交代の手順は、後ほど詰めよう」
「承知しました」
ヴィクトルは短く頷き、戦いの経緯を伝えた。
アレクたちが先に宿場へ入り、残されていた荷を守ったこと。
後続の兵と合流して渡河点へ進み、鉄砲隊が敵の正面を崩したこと。
エイドリアンの騎兵が側面を突き、カスパルが敵騎兵の動きを抑えたこと。
そして、ロベルトが荷車をまとめ、道が開くとすぐに出発させたこと。
アルベルトは、報告を聞きながら一人ずつ顔を見た。
「こちらが待っていた物を、五人で届けてくれたわけだな」
ロベルトが頭を下げた。
「兵糧を守り切れたのは、宿場に残った者たちの働きもあってのことです」
「その者たちにも礼を伝えてくれ」
「ありがとうございます」
続いて、ヴィクトルが損害を報告した。
渡河点の戦いで、戦死者二十一人。負傷して戦列を離れた者が六十八人。
その数を聞き、アルベルトの表情が引き締まった。
「負傷者はどこにいる」
「宿場へ運んでおります」
「こちらで出せる薬と布を回す。必要な物を知らせてくれ」
「お願いいたします」
近くにいた家臣が、すぐに書き留めた。
アルベルトは、五人の後ろに並ぶ兵へ目を向けた。
鎧や外套には、乾いた泥がついている。
腕に布を巻きながら持ち場に立っている者もいた。
その中で、鉄砲を携えた兵たちは指揮者の命令を待っていた。馬を引く騎馬鉄砲隊と徒歩の鉄砲隊は、それぞれ列を分けている。
「アレク」
「はい」
呼ばれ、アレクは一歩前へ出た。
アルベルトは、彼の顔をしばらく見た。
初めて会った頃の面影は残っていた。
問いかければ考え込み、思いついたことを隠し切れずに顔へ出していた少年だ。
今、その後ろには、彼の命令で戦場を進んできた兵がいる。
「よく来てくれた。お前たちが道を開かなければ、こちらは兵を退くことまで考えねばならなかった」
「間に合って、よかったです」
アレクが答えた。
アルベルトは頷いた。
「今度は、お前に助けられたな」
周囲にいた者たちの視線が、アレクへ集まった。
アレクは少しだけ姿勢を正した。
「以前、殿下に教えていただいたことも、役に立ちました」
「何を教えた」
「兵を動かす前に、食べる物と、通る道を確かめることです」
アルベルトが笑った。
「覚えていたか」
「何度も困りましたので」
「それなら、忘れんだろう」
アレクも笑い、もう一度頭を下げた。
そのやり取りを聞いていた諸侯の一人が、そばの指揮官へ小声で尋ねた。
「大公殿下の小姓をしていたというのは、あの伯爵か」
「はい」
指揮官は、アレクの後ろへ視線を向けた。
「鉄砲隊を率いていたのも、あの方です」
諸侯はすぐには答えなかった。
中庭の向こうでは、兵糧の袋が次々と倉へ運び込まれていた。
◇ ◇ ◇
兵の宿営地が決まり、荷車の受け渡しが済む頃には、中庭の人も少なくなっていた。
ヴィクトルはアルヴェインの指揮官と、街道の警備について話している。ロベルトは兵糧を受け取った者と積み荷の数を確かめ、エイドリアンとカスパルは騎兵の休ませ方を相談していた。
アレクはギルベルトへ、鉄砲隊の休息と見張りの交代を任せた。
「何かあれば、すぐに呼んでください」
「承知しました。アレク様も、お休みください」
「そうします」
答えたところで、背後から声がした。
「少し歩くか」
アルベルトだった。
アレクは頷き、隣へ向かった。
二人は中庭の端を進んだ。
城壁の陰に入ると、荷を運ぶ者たちの声が少し遠くなった。
「鉄砲を持つ兵を、馬に乗せて連れてきたのだな」
「はい。今回は、先に着くことができました」
「歩いていたら、宿場には間に合わなかったか」
「はい。徒歩では、着いた時に兵糧が残っていたかどうか……」
アルベルトは頷いた。
「こちらの者が、ずいぶん見ていたぞ」
「気づいていました」
「お前ではなく、兵の方をな」
「それも、分かっています」
アルベルトが笑う。
アレクは肩の力を抜いた。
正式な報告の場では、どうしても言葉を選ぶ。
こうして言葉を交わしていると、小姓だった頃のように、気負わず話せる気がした。
だが、アルベルトは足を止め、別の物へ目を向けた。
鉄砲隊が休む場所のそばに、アレクの旗が立っていた。
「林檎の花か。よい紋章を選んだな」
「ありがとうございます」
「花の周りは、蕾か」
「はい。五つ入れています」
アルベルトは旗を眺めたまま、何気ない調子で続けた。
「エリーゼの髪飾りにも、よく似た花があった」
アレクの足が止まった。
アルベルトが顔を向ける。
「どうした」
「いえ」
アレクは一度、旗を見た。
林檎の花は、風を受けて広がっている。
今さら別の花だと言うことはできなかった。
「花の意匠は、ほかにもございますから」
「私は、似ていると言っただけだぞ」
「……はい」
頬が熱くなった。
言い訳を重ねれば、余計におかしくなる。
分かっていても、黙っているのも落ち着かなかった。
アルベルトは、そんなアレクを見て口元を緩めた。
「先ほどまで、兵を動かしていた男と同じには見えんな」
「その話とは、少し違います」
「そうか。違うか」
笑いながら言われ、アレクは返す言葉を失った。
アルベルトは、もう一度旗を見た。
エリーゼが髪へ留めていた、小さな林檎の花を覚えていた。
髪飾りの話になると、何でもないことのように答えながら、指先で花へ触れていた姿も。
目の前のアレクは伯爵になり、多くの兵を率いるようになった。
そのアレクが、自分の旗にも、エリーゼへ贈った髪飾りと同じ花を選んでいた。
アルベルトは笑うのをやめた。
武功がある。
領地もある。
レオンハルトから任務を託され、兵を動かし、役目を果たしてここまで来た。
かつての小姓だからという理由だけで、若い二人の気持ちを軽く扱うことは、もうできなかった。
「エリーゼは、元気にしている」
アルベルトが言った。
アレクが顔を上げた。
「そうですか」
「ああ。お前が来たことも、知らせておこう」
「ありがとうございます」
今度の返事には、取り繕うところがなかった。
アルベルトはそれを聞き、ゆっくり頷いた。
「だが、まずは休め。話は、その後でもできる」
「はい」
アレクは頭を下げた。
アルベルトはそれ以上、髪飾りのことを尋ねなかった。
◇ ◇ ◇
夕方、兵たちの間に煮炊きの煙が上がった。
倉へ入れた穀物の一部が運び出され、城の兵へ配られている。
椀を受け取った男が、湯気へ顔を近づけた。隣の者が何かを言い、二人で笑った。
アレクは、その様子を少し離れた場所から見ていた。
届けられた。
渡河点で荷車を見送った時には、まだ確かめられなかったことだった。
今は、兵が食べている。
空いた椀を手に、次の仕事へ向かう者もいる。
「アレク」
ヴィクトルに呼ばれ、振り返った。
「明日、向こうの指揮官と街道を確かめる。渡河点の守備も、順に引き継いでもらう」
「分かりました。鉄砲隊は、必要な時に動けるようにしておきます」
「ああ。帰還については、陛下へ報告を送る。返事が来るまでは、道を守る役目を続けるぞ」
「承知しました」
ヴィクトルが離れた後、アレクは自分の旗を見上げた。
夕方の風が弱まり、花の一部が布の折り目へ隠れていた。
エリーゼは元気だという。
それを聞けただけで、胸の奥が軽くなった。
会いたかった。
手紙では伝え切れないこともある。顔を見て、声を聞いて、話したかった。
だが、今度会う時も、「また会いに来る」と約束するだけでよいのだろうか。
アレクは旗から目を離した。
エリーゼと、この先も一緒にいたい。
その気持ちは、爵位を得たから生まれたものではない。
けれど、伯爵となり、自分の帰る城と領地を持った今なら、望む暮らしを以前より具体的に考えることができた。
自分だけで決められる話ではない。
エリーゼの気持ちも、きちんと聞かなければならない。
その前に、相談したい人がいた。
マティアスだった。
いつもの報告のついでに、曖昧に口にするのではない。
時間をもらい、自分が何を望んでいるのかを話す。
そのうえで、レオンハルトにも、自分の口から伝えたい。
アレクは、頭の中で言葉を考えた。
家柄の違いから話し始めれば、言い訳ばかりになりそうだった。
難しい理由なら、幾つも挙げられる。
まず伝えるべきことは、一つだった。
――エリーゼ様との結婚を望んでいます。
声には出さなかった。
それでも、その言葉を選ぶと、頬が少し熱くなった。
今度は、アルベルトにからかわれたせいではなかった。
アレクは息を吐き、兵たちのもとへ歩き出した。
第四話を読んでいただき、ありがとうございました。
兵を率いる姿と、林檎の花を指摘された時の表情。アレクの二つの顔を楽しんでいただけましたら嬉しいです。
続きが気になりましたら、ブックマークに追加していただけると嬉しいです。
面白かったと感じていただけましたら、ページ下部から評価で応援していただけると、執筆の励みになります!




