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『知らない世界で、前世の知識が武器になる』 ~剣と銃で乱世を生き抜く転生領主の成り上がり~  作者: 相田 ソウ
第七篇 乱世を越える黒獅子

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第二十三話 託される城

お読みいただき、ありがとうございます。

戦を終えたロスヴァール王都で、諸将が広間に集います。

 マティアスが開いた帳簿には、城や町の名に交じって、街道と橋の名が記されていた。

 レオンハルトは、そのうちの一つを指した。

「ここは、降った城主に任せるのだったな」

「はい。兵と倉を引き渡し、周辺の村へも停戦を伝えております。徴税の記録と、引き渡された金穀にも、今のところ大きな食い違いはありません」

「ならば、そのまま働かせろ」

 マティアスが頷き、書記官へ目を向ける。

 アレクは、そのやり取りを卓の脇で聞いていた。

 地図には、グランヴァルトの本国から旧ロスヴァールの王都まで、長い道が描かれている。行軍の時には幾日もかかった距離が、指を動かせば届く範囲に収まっていた。

 だが、そこにある城をすべて、自分たちの兵で守り続けることはできない。

「王都と、その周辺は王家の直轄とします」

 マティアスが続けた。

「国境から王都へ至る街道については、王家の兵を置く城と、諸侯へ任せる城を分けます。途中の関所を各家が勝手に閉じれば、荷も使者も通らなくなりますので」

「橋を直す金を誰が出すかも、決めておけ」

 レオンハルトが言った。

「隣の領地へ荷を運ぶためだから、自分は払わぬなどと言わせるな」

「負担する範囲を、土地を渡す条件に含めます」

 アーノルドが地図へ手を伸ばした。

「この川沿いは、雪解けの後に道が崩れます。城だけでなく、渡し場の者にも話を聞いた方がよいでしょう。地図にある道が、いつも使えるとは限りません」

 マティアスは場所を確かめ、書記官に記録させた。

 アーノルドの指が離れた後、ユリウスが同じ道を見た。

「兵を置くなら、渡し場から城へ知らせが届くようにする必要があります」

「人を決めましょう。城主だけに命じると、村へ話が届かぬことがあります」

 地図の上に、小さな札が置かれていく。

 攻める時には、門と城壁を見ていた。

 今は、その城へ麦が届く道や、橋を直す者の話をしている。

 アレクは、帳簿に並ぶ名へ目を戻した。

「本国から、領主を移すのですか」

 尋ねると、マティアスが顔を向けた。

「ああ。こちらへ土地を得る家の中には、本国の領地と引き替えに移る家も出る」

「家の者も、兵もですか」

「一度には動かせない。先に役人を送り、城と収入を確かめさせる。家族や荷を移すのは、その後だ」

 マティアスは本国側の地図を指した。

「離れた土地を幾つも持たせれば、領主がいない間の争いが増える。できるだけ、治められる形にまとめたい」

「以前、シュヴァルツ伯や東の盟約に従った家も含まれる」

 レオンハルトが言った。

 アレクは顔を上げた。

「ただし、済んだ裁きをやり直すのではない。土地を移すなら、代わりの土地と、その理由を示す」

 王の指が、旧ロスヴァール側の城へ移った。

「反抗した家を一か所に集めるようなこともするな。それでは、また同じ旗を掲げる支度をしてやるようなものだ」

「移す家と、周囲へ置く家は分けます」

 マティアスが答える。

「移転にかかる費用と、引き継ぐ倉の中身も確かめます。城は渡したが食う物はない、では、村から無理に取り立てることになります」

「そこまで整えてから渡せ」

 アレクは、地図に置かれた札を見た。

 ただ広い土地を与えれば、褒賞になるわけではなかった。

 そこへ移る者にも、すでに暮らしている者にも、その後の生活がある。

 マティアスが帳簿を一枚めくった。

 今度の頁には、よく知る家の名があった。

 ハルトマン。

 アレクが自分の名を見つけた時、マティアスはその頁を閉じた。

「細かな引き渡しは、まだ詰める。今日は、ここまでにしよう」

 アレクは、思わずその手元を見た。

 マティアスの口元がわずかに緩む。

「アレクの分もある。忘れてはいない」

「そのような心配をしていたわけではありません」

「ならば、よい」

 レオンハルトが椅子から立った。

「働いた者を、いつまでも待たせるつもりはない。諸将を集めろ。告げられるものから告げる」

 ◇ ◇ ◇

 論功行賞が行われたのは、それから数日後だった。

 王城の広間には、グランヴァルトの諸将が並んでいた。

 城外の陣や街道の守備を空にしないよう、出席する者はあらかじめ決められている。持ち場を離れられない者には、後で正式な書状を届けることになっていた。

 アレクは、礼装の襟へ指を入れかけ、やめた。

 戦場で身につける服とは、首の周りの感触が違う。

 隣のカスパルが、それを見て小さく笑った。

「苦しいのか」

「慣れないだけです」

「俺もだ。剣を振るわけでもないのに、肩が凝る」

「二人とも、始まるぞ」

 エイドリアンの声に、アレクは前を向いた。

 ヴィクトルはすでに姿勢を正していた。ロベルトも広間の奥へ目を向けている。

 書記官が名簿を開く。

 諸将の話し声が収まった。

 レオンハルトは、用意された椅子の前に立っていた。

「ロスヴァールとの戦は終わった」

 広間に、王の声が通った。

「だが、ここへ来られたのは、最後に王城へ入った者だけの働きではない」

 アレクは、自然と背を伸ばした。

「野で敵を破った者がいる。城門へ進んだ者がいる。落とした城を守り、街道を開き、食料を届けた者がいる。その働きがあったから、軍は止まらずに進めた」

 列の向こうで、片腕を布で吊った騎士が顔を上げた。

「帰らぬ者の働きも、その家へ伝える。負傷してここへ立てぬ者を、名簿から落とすことも許さぬ」

 レオンハルトは書記官へ頷いた。

「その上で、これからの国を支える役目を与える」

 最初に呼ばれたのは、マティアスだった。

 アレクの前から、一人分の背が離れる。

 いつも地図や帳簿の向こう側にいる主君が、広間の中央へ進み、王の前で膝をついた。

 書記官が戦功を読み上げた。

 カルディアとの協力を取りつけたこと。

 降伏した城の引き継ぎを進め、街道と補給を維持したこと。

 敵将へ働きかけ、王都での大きな戦いを避けて王城を開かせたこと。

 城を一つ取った、敵を何人倒したという話だけではなかった。

 アレクが見てきた仕事もあれば、知らない間に済んでいた仕事もあった。

「マティアス」

 レオンハルトが呼んだ。

「お前を侯爵に叙する。領地を加増し、宰相として国の政務を任せる」

 広間の端で、衣擦れの音がした。

 アレクは息を止めた。

 侯爵。

 そして、宰相。

 隣でカスパルが、わずかに顎を引いた。

 マティアスは顔を上げたが、すぐには答えなかった。

「王家と諸侯の間に立ち、各地から上がる政務を取りまとめろ。西部についても、諸侯と街道の守りを調整する役を任せる」

「承知いたしました」

 マティアスの声は、普段と変わらなかった。

「ただし、各家へ命じる範囲は、書面で明らかにしていただきたく存じます。私の領地として扱うものと、陛下から預かる役目は分けなければなりません」

 レオンハルトの口元が動いた。

「褒賞を受ける場でも、その話か」

「後で争いになるよりは、今のうちに明らかにしていただく方がよろしいかと存じます」

「よい。曖昧なまま働けとは言わぬ」

 王は、書記官が差し出した証書へ手を置いた。

「だが、仕事は増えるぞ」

「その分、人をお貸しください。私一人の手は増えませんので」

 広間に、小さな笑いが広がった。

 レオンハルトも短く笑った。

「必要な者を選べ。選んだ理由も持ってこい」

「かしこまりました」

 証書が渡された。

 マティアスが受け取り、深く頭を下げる。

 立ち上がった主君を見ながら、アレクは手を握っていた。

 以前、マティアスの下で働き始めた時には、この姿を想像できなかった。

 帳簿を見て、相手の言葉を聞き、道を調べる。

 戦場では兵を動かし、必要なら自分で交渉へ赴く。

 そうした一つ一つが、今、この広間で認められていた。

 次に呼ばれたのはユリウスだった。

 軍靴の音が、石の床に響いた。

 ユリウスは王の前へ進み、迷いなく膝をついた。

「長く、俺の軍を支えてきた」

 レオンハルトが言った。

「今回も、別働軍を率いて城を落とし、本隊が進む道を開いた。離れていても、任せた軍のことを案じずに済んだ」

 ユリウスは、王を見上げた。

「お前も侯爵に叙し、領地を加増する。今後は王国軍を統率し、各地の軍を動かす際の指揮と備えを取りまとめよ」

「謹んで、お受けいたします」

 短い答えだった。

 だが、その声には力があった。

「これからは、俺と共に戦った者だけではない。兄に仕えていた者も、新たに従った者も率いることになる」

「はい」

「どの家の兵かは確かめろ。だが、それだけで働きの良し悪しを決めるな」

「戦場で果たした役目を見ます」

 レオンハルトが頷いた。

 ユリウスへも証書が渡される。

 マティアスとユリウスが列へ戻る時、二人の目が合った。

「兵を動かす時は、早めに知らせていただきたい」

 マティアスが低く言った。

「荷を揃えるのに、時間が要ります」

「金がないと言って、必要な荷まで減らさぬように」

「何に使うか分かれば、用意のしようもあります」

「では、よく話すことになりそうですな」

 ユリウスの口元が緩んだ。

 アレクは、その二人の後ろで息を吐いた。

 役目が変わっても、明日からの仕事は続く。

 ただ、二人が責任を負う範囲は、これまでよりはるかに広くなっていた。

 ◇ ◇ ◇

 続いて、各隊を率いた者たちの名が呼ばれた。

 ヴィクトルには、兵を率いて城門から進み、後続が入る場所を確保した働きが告げられた。

 エイドリアンには、続く兵をまとめ、崩れかけた隊列を立て直したこと。

 カスパルには、斥候と伝令を使い、敵の動きを早く知らせたこと。

 ロベルトには、街道と荷の流れを押さえ、前へ出た軍を支えたこと。

 四人の戦功が読み上げられると、レオンハルトが口を開いた。

「ヴィクトル、エイドリアン、カスパル、ロベルト。お前たち四人を、それぞれ子爵に叙する」

 アレクは、前へ並んだ四人の背を見た。

「各家の領地を加増し、働いた兵への褒賞も与える。これからもマティアスの下で、その役目を果たせ」

 四人が揃って頭を下げた。

「謹んで、お受けいたします」

 証書が一人ずつ渡されていく。

 ヴィクトルは両手で受け取ると、そこに記された自分の家の名を見つめた。やがて顔を上げ、もう一度、王へ深く頭を下げる。

 カスパルも、この時ばかりは笑みを収めていた。

 列へ戻ってきた四人へ、マティアスが頷いた。

「よく働いたな」

 その言葉に、四人の表情がようやく和らいだ。

 ロベルトは証書を受け取った後、そこに記された土地へ一瞬目を落とした。

 もう収入を考えているのかもしれない。

 アレクがそう思ったところで、自分の名が呼ばれた。

「アレク・ハルトマン子爵」

 考えが止まった。

 前へ出る。

 王の前まで、そう長い距離ではなかった。

 それでも、左右に並ぶ者たちの視線を感じた。

 膝をつくと、床の冷たさが布を通して伝わってきた。

 書記官が記録を読んだ。

 鉄砲隊を率いて敵軍を崩したこと。

 新型大砲の運用に携わり、攻城に貢献したこと。

 使者として城へ入り、降伏開城を実現したこと。

 街道で敵の援軍を阻み、城を攻める味方の背後を守ったこと。

 アレクは、下げた目の先にある床を見つめた。

 読み上げられる言葉の間に、違う音が重なった。

 鉄砲の轟音。

 門の向こうで鳴った足音。

 負傷した兵を呼ぶ声。

 自分一人の働きではない。

 それは分かっていたが、今ここで口を挟むことではなかった。

「顔を上げろ」

 レオンハルトが言った。

 アレクは従った。

「お前を伯爵に叙する」

 一度聞いただけでは、その言葉が自分へ向けられたものだと、うまく受け止められなかった。

 伯爵。

 つい先ほどまで、マティアスに対して使っていた爵位だった。

 レオンハルトは、書記官が広げた地図へ手を置いた。

「今の領地に隣接する土地を加増する。村と農地だけではない。街道沿いの町と、そこを治める城も含む」

 アレクの目が、王の手元へ動いた。

 見覚えのある道があった。

 自分の領地から伸びる道の先に、町と城の印が記されている。

「城も、ですか」

 口にしてから、アレクは言葉を整えようとした。

 しかし、レオンハルトは咎めなかった。

「そうだ。お前の居城とする」

 広間の後ろで、誰かが小さく息を吐いた。

 アレクには、それが誰なのか分からなかった。

「現在の領主は、代わりに与える土地へ移る。城と倉、収入の引き継ぎを済ませてから、お前へ渡す」

 レオンハルトは地図から手を離した。

「増えた土地を、今までと同じ人数で治められるとは思うな。役人を置け。兵を養う支度も整えろ」

「はい」

「城は、そのために使え」

 アレクは、ようやく喉を動かした。

「謹んで、お受けいたします」

 頭を下げる。

 証書を差し出され、両手で受け取った。

 紙は、それほど重くなかった。

 だが、そこに記された城や町を思うと、持ち上げた腕を簡単には下ろせなかった。

「鉄砲隊の働きについては、各家の兵にも褒賞を与える」

 レオンハルトが続けた。

「お前の下で戦ったからといって、お前だけで受け取るものではない」

「承知しております」

 今度は、すぐに答えられた。

「兵たちへも、必ず伝えます」

「そうしろ」

 レオンハルトは、アレクを見た。

「これからは、兵を率いて勝つだけでは足りぬ。お前が留守の間も、領地が立ち行くようにしておけ」

「はい」

 アレクは立ち上がった。

 列へ戻る途中、マティアスと目が合った。

 侯爵となった主君は、大きく笑うこともなく、小さく頷いた。

 それを見た時、ようやく自分が何を与えられたのか、少しだけ実感が湧いた。

 隣へ戻ると、カスパルが囁いた。

「城持ちの伯爵か」

「まだ、何も確かめていません」

「今から倉の中身を心配するなよ」

「倉は大事だぞ」

 反対側からロベルトが言った。

 エイドリアンが二人を見た。

 それで口は閉じられたが、ヴィクトルは前を向いたまま、わずかに笑っていた。

 アレクは証書を持ち直した。

 その紙の向こうに、まだ見たことのない城があった。

 ◇ ◇ ◇

 式を終え、広間を出ると、待っていた者たちが次々に挨拶へ来た。

 侯爵となったマティアスとユリウスの周りには、人の輪ができている。

 アレクも、すぐには廊下を抜けられなかった。

「ハルトマン伯爵。此度の御昇爵、お祝い申し上げます」

 そう言われるたび、一拍遅れて頭を下げた。

 自分の後ろに別の誰かがいるような気がする。

 何度か挨拶を返すうちに、ようやく『伯爵』と呼ばれても戸惑わずに応じられるようになった。

 廊下の角まで来ると、ギルベルトが待っていた。

 広間には入らず、鉄砲隊の報告を持ってきていたらしい。

 アレクの手にある証書へ目を向け、姿勢を正した。

「御昇爵、おめでとうございます」

「ありがとうございます」

「兵にも、よい知らせになります」

「兵たちにも褒賞が出ます。詳細は書面が整ってからですが、戦死した者や、負傷して後方へ残った者も含まれます」

 ギルベルトの表情が変わった。

「それは、ありがたいことです」

「所属する家ごとに、渡し漏れがないか確かめてください。私からも話します」

「承知しました」

 ギルベルトは報告を差し出した。

 交代の状況と、銃や道具の点検結果だった。

 アレクは受け取り、目を通した。

 爵位が変わった日にも、火縄の残りを調べ、傷んだ道具を直す仕事がある。

 そのことに、少し気が楽になった。

「いつ、領地へ戻られますか」

「まだ決まっていません。引き継ぎが残っていますから」

「兵も待っております。帰ると決まれば、荷をまとめられるようにしておきます」

「お願いします」

 ギルベルトが一礼して去ろうとした。

 アレクは、その背へ声をかけかけた。

 だが、言葉にはしなかった。

 渡したいものがあった。

 金だけではない。

 今まで、自分が受け取ってきたものの一部を、この人へ渡したい。

 ギルベルトが廊下を曲がるまで見送り、アレクは証書を抱え直した。

 ◇ ◇ ◇

 マティアスの周りから人が減った頃を見計らい、アレクは声をかけた。

「少し、御相談してもよろしいでしょうか」

「領地のことか」

「はい」

「こちらへ」

 案内された部屋には、式で使われたものとは別に、領地の記録が運び込まれていた。

 マティアスは外套を従者へ渡すと、椅子へ座った。

「何か気になることがあったか」

「ギルベルトに、領地を与えたいのです」

 マティアスの手が止まった。

 アレクは続けた。

「私が最初に頂いた土地を、任せたいと思っています」

「最初の土地をか」

「はい」

 マティアスは、すぐに賛成も反対もしなかった。

「理由を聞こう」

 アレクは、両手を膝の上へ置いた。

「これまでの働きに、報いたいからです。兵を教える時も、戦場でも、私一人では隊を動かせませんでした。私が別の仕事へ向かう時も、ギルベルトになら隊を任せられました」

「それは、俺も見ている」

「それに、あの土地なら、安心して任せられます」

 言い終えてから、アレクは少し考えた。

「大切な土地です。誰でもよいとは思えません」

 マティアスは頷いた。

「では、施設はどうする」

「火縄銃に関わる施設は、私の直轄として残します。ただ、管理はギルベルトに任せたいと思います」

「土地から得る収入と、施設の金は分ける必要があるな」

「はい。施設の支出を、ギルベルト個人の負担にはしません」

 マティアスは紙を引き寄せた。

「領地として与える畑や村の収入。直轄として残す土地と建物。施設を管理する者の権限。それぞれ書き分ける」

 筆を動かしながら、顔を上げる。

「鉄砲隊から外すのか」

「いいえ。今までどおり、隊長を務めてもらいたいのです」

「ならば、留守中に領地を預かる者が要る。出陣するたびに、村も施設も判断を待っていたのでは困る」

「日々の仕事は現地の者に任せ、報告を受けられるようにします。大きな変更は、私にも知らせてもらいます」

「それなら、形にできる」

 アレクは顔を上げた。

「認めていただけますか」

「働きに見合う褒賞だ。あの者が、何を任されたかを理解して受けるならな」

 マティアスは筆を置いた。

「ただし、領地を与えることと、今率いている兵をその者の兵にすることは別だ」

「承知しています。鉄砲隊の所属と指揮は変えません」

「よい。では、本人へ話す前に、渡す範囲を確かめよう。村の者にも、明日から何が変わるのか分かるようにしておけ」

 アレクは深く頭を下げた。

「ありがとうございます」

「俺に礼を言う話ではない。アレクが主君として与える褒賞だ」

 その言葉に、アレクは顔を上げた。

 マティアスは、卓の端に置かれた伯爵位の証書を見た。

「自分が受け取るだけでは済まなくなったな」

「はい」

「与える時も、後のことまで考えろ。土地を渡して終わりではない」

 アレクは頷いた。

 ギルベルトが、どんな顔で話を聞くのか。

 驚くだろうか。辞退しようとするだろうか。

 考えると、式で自分の名を呼ばれた時とは違う緊張があった。

 それでも、早く伝えたいと思った。

 ◇ ◇ ◇

 マティアスは、もう一枚の書状を取り出した。

「ギルベルトの話が出たところで、こちらからも人の話をしておこう」

「人、ですか」

「新しい城を、誰に任せるつもりだ」

 アレクは、すぐには答えられなかった。

 兵のことは考えていた。

 鉄砲と馬、訓練する場所。増えた土地から、どれだけの収入を得られるか。

 だが、城の中で誰が何をするのかまでは、まだ思い描けていなかった。

「今いる者だけでは、足りませんね」

「足りない。それに、人数を増やせばよいわけでもない」

 マティアスは書状を渡した。

「オスカー・ベルナーという者がいる。俺の領地で、会計と土地の管理に携わってきた。城の家宰として、会ってみるとよい」

 アレクは名を確かめた。

「どのような方ですか」

「任せた仕事を、分からぬまま進めない者だ」

「分からぬまま、ですか」

「よいようにやれと言えば、何を先にするのか、幾らまで使えるのかを聞いてくる」

 マティアスの口元が緩んだ。

「急いでいる時には、少々面倒に感じることもある」

「それでも、推薦なさるのですね」

「後で、そんなつもりではなかったと言う方が面倒だからな」

 アレクは、書状へ目を戻した。

 城の収支。

 働く者の配置。

 留守中に届く訴えや書状。

 そこには、自分が戦場へ持っていけない仕事が並んでいた。

「城の家宰とは、そこまで任せるものなのですか」

「任せる範囲は決める。大きな支出や処罰まで、何でも勝手に決めさせるわけではない。だが、アレクが返事をするまで一枚の戸も直せない城では困る」

「確かに、そうですね」

「軍のことは、ギルベルトたちに聞かせればよい。誰に何を確かめるべきか分かる者がいれば、留守中の仕事も回る」

 マティアスは、アレクの手にある書状を見た。

「会って、任せられると思うなら召し抱えろ。俺が勧めたからといって、断れぬと思う必要はない」

「マティアス様の領地は、困りませんか」

「後を引き継げる者はいる」

 答えは早かった。

「それに、これから俺の仕事も増える。近くの領地で何かあるたび、アレクが全部抱えて相談に来るより、ハルトマン家の政務を任せられる者を置いてもらった方が助かる」

 アレクは苦笑した。

「できるだけ、そうならないようにします」

「できるだけではなく、そうするために人を置くんだ」

「はい」

 マティアスは頷いた。

「城に残る使用人についても、引き継ぎの記録を送らせている。土地の領主が変わっても、働く者をすべて入れ替える必要はない」

「前の領主に仕えていた者でも、ですか」

「不正をした者まで残せとは言わぬ。だが、厨房で働く者や寝具を整える者が、主君の国替えを決めたわけではない」

 アレクは、王都で帳簿を運んでいたロスヴァールの役人を思い出した。

 従う相手が変わっても、仕事は残る。

 新しい領主にどう扱われるか分からず、不安に思っている者もいるのだろう。

「城へ着いたら、まず話を聞きます」

「そうしろ。何年も城で働いた者なら、雨漏りする屋根も、冬に風が入る窓も知っている」

「城にも、雨漏りはあるのですね」

「屋根があれば、ある」

 マティアスが当然のように答えたので、アレクは少し笑った。

 地図の上にある城が、ようやく人の暮らす建物に思えてきた。

 ◇ ◇ ◇

 話を終えて立ち上がると、マティアスがアレクの服へ目を向けた。

「その礼装は、戻ってからも使うことになる」

 アレクは自分の袖を見た。

「城での挨拶ですか」

「ああ。新しい城へ行く時は、伯爵にふさわしい格好をして、馬車で行け」

「馬車ですか」

「そう言った」

 アレクは、少し間を置いた。

「馬ではいけませんか」

「駄目だ」

 返事が早かった。

 アレクは、もう一度袖を見た。

 軍を率いて城へ入るのなら、馬の方が慣れている。

 自分で周りを見られ、何かあれば止まれる。馬車の中で座っているより、よほど落ち着くはずだった。

「道中も、この格好で過ごすのですか」

「長い旅の間、ずっと着ていろとは言っていない。城へ入る前に整えろ」

「でしたら、城の近くまでは馬で」

「アレク」

 名を呼ばれ、口を閉じた。

 マティアスは、怒ってはいなかった。

 むしろ、何を言い出すか初めから分かっていたような顔だった。

「迎える者たちにも支度がある。領主の方が、それを台無しにするな」

 アレクは顔を上げた。

「皆、新しい主君がどんな者か知らぬまま待っている。服も整えず、急に馬で乗りつけて、挨拶もそこそこに厩へ行かれては困るだろう」

「厩へ行くとは、まだ言っていません」

「馬の様子は確かめるつもりだったのだろう」

 アレクは答えられなかった。

 マティアスが小さく息を吐く。

「馬は任せろ。まず、迎える者たちの前へ立て」

「……承知しました」

「よし」

 それで話は終わったらしい。

 マティアスは次の書状を取り上げた。

 アレクは証書と紹介状を持ち、部屋を出た。

 廊下の窓から、城外の陣が見えた。

 並ぶ天幕の間を、兵糧の荷車が進んでいる。その先では、帰還に備えて車輪を確かめている者がいた。

 自分も、あの道を戻る。

 だが、帰り着く先には、まだ見たことのない城がある。

 その城で待つ者たちへ、何と挨拶すればよいのだろう。

 戦場で兵へ出す命令なら、迷わず声にできる。

 ところが、これから自分の家で働く者たちの前へ立つことを考えると、急に言葉が浮かばなくなった。

 アレクは腕の中の証書へ目を落とした。

 ハルトマン伯爵。

 その文字を、もう一度読む。

 城を貰ったのだ。

 自分がいなくても仕事を続ける者を置き、留守を任せ、帰ってきた時には報告を受ける。

 いつか、そこへエリーゼを迎えることもあるのだろうか。

 思い浮かべた途端、顔が熱くなった。

 アレクは誰も見ていないことを確かめ、窓から離れた。

 まずは、ギルベルトへ伝える話を整えなければならない。

 それから、家宰に勧められた者にも会う。

 やることを一つずつ思い浮かべると、ようやく足が動いた。

 廊下を進みながら、アレクは襟へ手を伸ばした。

 少し緩めようとして、先ほどのマティアスの言葉を思い出す。

 結局、襟元が乱れていないかを確かめるだけにした。

第二十三話を読んでいただき、ありがとうございました。

共に戦った仲間たちと、新たな役目を担うことになったアレク。受け取るだけでなく、支えてくれた者へ報いる立場にもなりました。

次回は、ギルベルトへ託す領地と、新しい城を支える人々の話へ進みます。


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