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『知らない世界で、前世の知識が武器になる』 ~剣と銃で乱世を生き抜く転生領主の成り上がり~  作者: 相田 ソウ
第七篇 乱世を越える黒獅子

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第二十二話 勝利の境界

お読みいただき、ありがとうございます。

今回は、カルディアの使節団を迎えたロスヴァール王都からお届けします。

 ロスヴァールの南では、城壁の上に掲げられる旗が変わっていた。

 カルディア軍が占領した城の門前を、兵糧を積んだ荷車が通っていく。車輪の片方が溝へ落ち、御者が馬を止めると、近くにいた兵が槍を壁へ立て掛け、荷台を押した。

 城壁の下には、崩れ落ちた石がまだ片づけられずに残っていた。

 奪った城を使うには、兵を入れるだけでは足りない。壊れた門を直し、倉へ食料を運び、井戸と厩を確かめなければならなかった。長年争ってきた土地を取り戻した喜びがあっても、その仕事が軽くなるわけではない。

 城内の一室で、カルディアの将は、王都から届いた書状を読み返していた。

 ロスヴァール王の降伏。

 王城の引き渡し。

 国王の処刑と、各地の兵へ出された停戦の命令。

 知らせが届くたび、最初に考えていた戦の形から遠ざかっていった。

「西の城をいくつか取れば、引き揚げるものと思っていた」

 将が言った。

 卓の向かいにいた使者は、答える前に地図へ目を落とした。

 これからグランヴァルトとの会談へ赴く男だった。カルディア王から、領土と停戦の条件を取り決める権限を与えられている。その書状は、腰の革筒へ収めてあった。

「我が国でも、そのように見ていた者は多くおります」

「西の城をいくつか奪い、賠償金を払わせれば済む話だ。国王を殺し、国そのものを奪うとは」

「グランヴァルト東部の争いに、深く関わっていたのでしょう」

「それは聞いている」

 将は書状を卓へ置いた。

「だが、腹を立てたからといって、ここまでできるものか」

 窓の外で、石を下ろす音がした。

 将はそちらへ目を向けた後、地図の西側を指した。

「こちらが奪った城の守りを固めている間に、向こうは次の城へ進んだ。野戦で軍を破り、門を砲で壊し、今度は王都が内側から降ったという」

「アーノルド伯が兵を動かしたと」

「あの男か」

 将の口元が歪んだ。

 南で何度も向かい合ってきた相手だった。追えば退路を断たれ、引けば城を直される。兵が少なくても、簡単には守りを崩させなかった。

「こちらへ兵を残せぬほど追い詰められて、それでも王命に従っていた男だ。その男に王を見限らせた」

「グランヴァルトに仕えるとの知らせもあります」

 将は、しばらく何も言わなかった。

 ロスヴァールが弱れば、南の争いは有利になる。

 その読み自体は間違っていなかった。実際、カルディアは長年奪い合ってきた城を押さえ、その先の城へも兵を向けることができた。

 しかし、弱った隣国が、そのまま残るわけではなかった。

 次に国境の向こうへ立つのは、ロスヴァールを短期間で降した軍だった。

「北へ出した兵は」

 使者が尋ねた。

「戻した。先の城を囲み続けるだけの荷が届かん。城を取れたとしても、そこへ守備兵を置けば、こちらが薄くなる」

「その城は、グランヴァルトへの引き渡しに応じたようです」

 将の指が止まった。

「我々が退いた後か」

「届いた知らせでは」

「都合のよい城主だ」

「城を残すために、従う相手を選んだのでしょう」

 使者は地図の上へ別の紙を置いた。

 占領した城の北側にある村々と、二つの街道を含む範囲が示されていた。

「この土地まで、会談で求めます」

 将は線を目で追った。

「そこまで取れれば、荷は運びやすくなる」

「城だけを受け取り、周囲の道をすべてグランヴァルトに押さえられては、守るにも商うにも相手の顔色を見ることになります」

「分かっている。だが、こちらの兵はそこへ入っていない」

「軍を出さずに得られるなら、その方がよいでしょう」

 使者は紙を畳んだ。

 将は、その手元を見ていた。

「相手が、紙に書いたとおり渡してくれると思うか」

「初めから求めなければ、渡されることもありません」

 答えは冷静だった。

 使者も、簡単な会談になるとは考えていない。

 ただ、すでに奪った城を守るためにも、少しでも広い土地と、使える道を得て帰らなければならなかった。

 将は立ち上がり、窓から門前を見た。

 先ほど溝へ落ちた荷車が、ようやく動き出している。押した兵の一人は、その場で腰へ手を当てていた。

「向こうとの新たな戦だけは、招くな」

 使者が顔を上げた。

「そのために、私が参ります」

 ◇ ◇ ◇

 カルディアの使節団が王都へ着いたのは、グランヴァルト軍の入城から半月余りが過ぎた頃だった。

 その間に、近隣の城では武器と倉の引き渡しが進み、南へ出した使者からも報告が届いていた。遠い土地のすべてを確かめ終えたわけではないが、少なくとも、王都へ向けて新たな軍が集まっているという知らせはなかった。

 アレクは、広場の南側で鉄砲隊の報告を受けていた。

 兵は交代で休みながら、銃と道具の手入れを続けている。王都へ入った時の八百九十五人を、各地の城へ少しずつ分ける命令は出ていなかった。

 ギルベルトが、点検を終えた班の名を読み上げる。

 その途中で、大通りの歩兵が槍を立て直した。

「使節団ですな」

 ギルベルトが言った。

 アレクは顔を向けた。

 騎馬の一行が、案内の兵に続いて広場へ入ってくる。先頭の旗は、グランヴァルトのものでも、見慣れたロスヴァールのものでもなかった。

 カルディアの使者たちだった。

 護衛の騎兵は、王城の正門へ近づく前に止められた。案内役の指示を受け、馬を下りて手綱を預ける。

 使者の一人が、鉄砲隊へ目を向けた。

 兵は整列して威嚇していたわけではない。銃を拭く者、点検を受ける者、荷を運ぶ者が、それぞれの仕事をしている。

 それでも、同じ形の武器がまとまった数で並んでいる光景は、気になるらしかった。

 男の視線が銃から兵へ移り、最後に林檎の花の旗へ止まった。

 アレクは一礼した。

 相手も短く頭を下げ、王城へ向かって歩き出す。

「こちらを見ていましたね」

「何を見に来たのかは、分かりませんが」

 ギルベルトは、点検の紙へ目を戻した。

「兵には、普段どおりにするよう伝えます」

「お願いします」

 ほどなく、アレクにも王城へ来るよう知らせが届いた。

 マティアスからだった。

 会談へ出る前に、鉄砲隊の状態をレオンハルトへ報告する。その後は、席の後ろへ控えるよう命じられていた。

 アレクは外套を整え、広場を横切った。

 門の脇には、使節団の護衛が並んでいた。

 武器を持つ手に力が入っている者もいたが、グランヴァルト兵へ口を挟む者はいない。自分たちの使者が戻るまで、ここで待つのだろう。

 戦っている相手ではない。

 だが、味方の兵と同じように接することもできなかった。

 ◇ ◇ ◇

 会談に使う部屋では、マティアスが最後の報告を聞いていた。

 卓の上には、カルディア側から先に送られてきた書面と、南部の城から届いた返書が並んでいる。

 アーノルドは地図の脇に立ち、街道の分かれる場所を指していた。

「この道を押さえれば、二つの村から城へ荷を運べます。ただし、村そのものへ兵が入ったという報告は受けておりません」

「城主の返書とも合います」

 マティアスが答えた。

「カルディア兵が北の城へ向かう途中、斥候が通ったとあります。徴発を受けた家もあるようですが、城や村を引き渡したとは記されていません」

「斥候が通った場所まで領地だと言うなら、私もずいぶん南に土地を持つことになります」

 アーノルドが言った。

 ユリウスの口元が、わずかに動いた。

「それを会談で言わせるために呼んだわけではない」

 レオンハルトが告げる。

「承知しております」

 アーノルドは手を下ろした。

 レオンハルトは地図へ目を落とした。

「向こうが実際に押さえている城は」

 マティアスが、別の印を示した。

「この範囲です。城門にカルディアの兵が入り、守備と倉を引き継いでおります。こちらの使者が城へ入れたわけではありませんが、周辺の領主と街道を通った者からも、同じ報告が届いています」

「認める分は、そこまでだ」

「はい」

「昔は自分たちのものだったという話を持ち出されても、広げるな。今回の約束は、昔の境をすべて決め直すものではない」

 マティアスは頷いた。

 アーノルドが、地図から半歩離れた。

「私は、隣室に控えます」

「そうしろ。必要があれば呼ぶ」

 アーノルドは一礼し、部屋を出た。

 その背を見送った後、レオンハルトがアレクへ顔を向けた。

「鉄砲隊は」

「八百九十五人です。交代で休息を取らせ、銃と道具を点検しております。出動の命令があれば、隊をまとめて動かせます」

「今すぐ出すつもりはない。今の配置を続けよ」

「承知しました」

 アレクは頭を下げ、マティアスの後ろへ控えた。

 卓の手前には、使節団のための椅子が置かれている。

 同じ高さの椅子だった。

 だが、どちらがこの城を押さえ、どちらがここまで来たのかは、扉の内外に立つ兵を見れば分かった。

 侍従が使節団の到着を告げた。

 レオンハルトが頷く。

 扉が開き、カルディアの使者たちが入ってきた。

 ◇ ◇ ◇

 使節団の代表は、まずロスヴァールとの戦に勝利したことを祝った。

 礼を失わず、しかし必要以上に腰を低くすることもない。レオンハルトが着席を促すと、同行した者たちと共に席へついた。

「我が王より、陛下へ御挨拶を申し上げるよう仰せつかっております」

 使者は、カルディア王の印がある書状を差し出した。

 マティアスが受け取り、封を確かめる。

 使者に与えられた権限を読み終えると、レオンハルトへ頷いた。

 この場で話を聞き、何も決めずに帰るだけの使者ではなかった。

「南で兵を動かしたことは聞いている」

 レオンハルトが言った。

「そちらも、長く争ってきた城を押さえられたそうだな」

「はい。貴国が西から攻めたことで、我が軍も進むことができました」

 使者は一度言葉を切った。

「同時に、我が軍が南で敵を引き受けたことも、貴国の御勝利に寄与したものと考えております」

「そうだろう」

 レオンハルトは否定しなかった。

「こちらへ回せなかった兵はいた。その働きは認めている」

 使者の肩から、わずかに力が抜けた。

 そのまま、同行した役人へ目を向ける。

 役人が大きな紙を広げた。

「つきましては、今後の境について、我が王の意向をお伝えいたします」

 アレクは、紙の上に引かれた線を見た。

 先ほどまで卓へ置かれていた地図より、カルディア側の範囲が北へ張り出している。

 城だけではない。

 その周囲の村と、街道が分かれる場所まで含まれていた。

「我が軍が確保した城を守るには、周辺の土地も一体として治める必要がございます」

 使者は、城から北へ伸びる道を指した。

「この道を別の国が押さえれば、城へ運ぶ荷が、そのたびに止められる恐れがあります。兵を置く場所も限られ、互いに余計な警戒を続けることになります」

「それで、この範囲を求めるのか」

「はい。城と村を分けず、街道まで含めて境を定めることが、後の争いを避けるためにも必要と考えます」

 もっともらしい説明だった。

 アレクにも、城だけを受け取って周囲を別の国に囲まれれば不便になることは分かった。

 ただ、その不便を解消するために、すべてこちらが土地を渡すという話になっている。

 レオンハルトは地図を見た後、マティアスへ顔を向けた。

 マティアスが、書面を一枚手前へ引いた。

「先に送っていただいた御報告では、兵を入れられた城は、こちらまでとなっておりました」

「その後の状況も踏まえ、広くお示ししております」

「では、こちらの城には、いつ兵を入れられましたか」

 マティアスの指が、北側の城を示した。

 使者はすぐには答えなかった。

 同行した役人が紙をめくったが、マティアスは待ったまま視線を動かさない。

「我が軍が周辺へ進み、城主もこちらの動きを承知しておりました」

 使者が答えた。

「いずれ従うことは、十分に見込めたものと」

「引き渡しを受けたわけではないのですね」

「城門を開く前に、王都の降伏が伝わりました」

「それでは、今回認める占領地には含められません」

 マティアスは言った。

「従う見込みだったことと、引き渡しを受けたことは別です」

 使者の顔から、先ほどの緩みが消えた。

「我が軍が圧力をかけた結果、城主が抗戦を諦めたのです」

「その働きを否定しているのではありません。どちらが城を受け取ったかを、確かめております」

 マティアスは、城主から届いた返書を卓へ置いた。

 封蝋の跡と、城主の印が残っていた。

「こちらの城主は、ロスヴァール王の停戦命令を受け、グランヴァルトへの引き渡しに応じています。貴国の守備兵は入っておらず、倉の引き継ぎも行われていません」

「その返書を書いたのは、王都が降った後でしょう」

「はい」

「ならば、城主が身を守るために、都合のよい説明をした可能性もあります」

「そのため、街道と周辺の村からも報告を取りました」

 別の記録が並べられた。

 マティアスは、一度にすべてを読み上げようとはしなかった。

 必要な箇所だけを示す。

「貴国の兵が近くへ進んだことは、こちらでも確かめています。その兵が南へ戻ったこともです。城に守備隊を残したという報告はございません」

 使者の隣にいた役人が、顔を上げた。

 使者はその男へ何も尋ねず、マティアスを見たまま口を開いた。

「我が軍の動きを、よくお調べになっている」

「境を決める話ですので」

 マティアスは静かに答えた。

 アレクは、卓の上へ置かれた二枚の地図を見比べた。

 一方には、求める範囲が示されている。

 もう一方には、兵が入り、城と倉を受け取った場所が記されていた。

 線の形は似ていても、その線を引く理由は違っていた。

 ◇ ◇ ◇

 カルディアの使者は、椅子へ座り直した。

「城については、双方の説明を照らし合わせる必要がありましょう。ただし、街道と周辺の村については、我が国の安全に関わります」

 使者の指が、再び北側へ伸びた。

「グランヴァルトがロスヴァールの大半を治めるとなれば、今後、我が国は強大な隣国と接することになります。国境のすぐ向こうへ兵を置かれれば、城を得ても安んじることはできません」

「我が国が大きくなったから、土地を譲れと言うのか」

 レオンハルトが尋ねた。

 使者は口を閉じかけたが、すぐに答えた。

「将来の争いを避けるための備えでございます」

「こちらにも、守る土地と民がいる」

「もちろん、承知しております」

「ならば、そちらが安心するために、こちらへ従った城を渡せとは言うな」

 使者の隣で、役人の筆が止まった。

 レオンハルトは、マティアスが示した返書へ手を置いた。

「この城主は、俺へ城を引き渡すと答えた。兵を止め、門を開き、こちらの者を待っている。その返事を受け取りながら、別の国へ渡すとは言えぬ」

「領主の地位と領地を、我が王が認める形もございます」

「その者が選んだ相手は、そちらの王ではない」

 レオンハルトの声は低かった。

 使者は、すぐには言い返さなかった。

 窓の外から、広場で兵を交代させる号令が聞こえた。使者の一人がわずかに顔を動かしたが、代表はレオンハルトから目を離さなかった。

「我が軍も血を流しております」

「聞いている」

「南で敵を引きつけることがなければ、西へ向かった軍は、さらに多かったはずです」

「そうだろう」

「その働きに対して、もう少し御配慮をいただけませんか」

 レオンハルトは背もたれから身体を起こした。

「南で戦った働きは認めている。だから、約束した土地は渡す。だが、取っていない土地まで渡す約束はしていない」

 使者は唇を引き結んだ。

 ここまで来れば、相手には、占領地を超える要求に応じるつもりがないと分かったのだろう。

「我が王も、何も得ずに兵を引けとは申しておりません」

「何も得ていないのか」

 問いが返った。

 使者は答えなかった。

 レオンハルトは、カルディア軍の入った城を指した。

「この城は取った。こちらの土地も押さえた。長く争ってきた場所を得たのだろう。それを取り上げると言ったか」

「いいえ」

「ならば、約束を果たす話と、それ以上を求める話を混ぜるな」

 部屋が静かになった。

 アレクは、レオンハルトの手が地図から離れるのを見た。

 剣へ伸びることはなかった。

 立ち上がって相手を威圧することもない。

 それでも、使者が次の言葉を選ぶまでの間は、それまでより長くなった。

「北の城については、現地の将と改めて確かめることもできましょう」

 使者が言った。

「我が軍の進出が、どこまで認められていたかを」

「確かめるのは構わぬ」

 レオンハルトは答えた。

「ただし、確かめるためだと言って、新たに兵を入れることは許さん」

 使者の目が上がった。

「その城は、すでに俺へ従うと答えた。そこへ兵を入れるなら、誰と争うことになるかは分かるな」

 アレクは、思わず背を伸ばした。

 声は大きくなかった。

 だが、その言葉の先には、王都へ集まった軍がいた。

 城外の陣で休む兵がいる。四門の大砲があり、広場には八百九十五人の鉄砲兵がまとまって待機している。

 カルディアの使者も、ここへ来るまでに、その一部を見ていた。

「我が国は、貴国との争いを望んでおりません」

「俺も、そちらと戦うためにここへ来たのではない」

 レオンハルトは答えた。

「だから、交わした約束を守れと言っている」

 使者は深く息を吸った。

 その後で、席を外して協議する時間を求めた。

 レオンハルトは認めた。

 ただし、地図の北へ張り出した線について、考え直すとは言わなかった。

 ◇ ◇ ◇

 用意された別室へ入ると、カルディアの使者は扉が閉まるまで黙っていた。

 同行した役人が、地図を卓へ広げる。

 折り目を押さえた手に、汗がにじんでいた。

「北の城は、譲らぬでしょう」

 役人が言った。

「分かっている」

「街道だけでも」

「同じことだ。あの城へ通じる道を押さえれば、城を受け取る者が困る。向こうも、それを承知している」

 使者は窓へ近づいた。

 王城の中庭が見えた。

 荷を運ぶ者の間を、グランヴァルトの書記官が歩いている。ロスヴァールの役人が隣について、何かを説明していた。

 奪っただけではない。

 すでに、使い始めていた。

「南の軍へ、もう一度北へ進むよう命じることは」

 同行した男が言いかけた。

 使者は振り返った。

「進んで、どうする」

「こちらが譲らぬ姿勢を」

「その兵がグランヴァルト軍とぶつかったら、どうする。姿勢を示すだけだったでは済まんぞ」

 男は口を閉じた。

 使者は卓へ戻り、占領した城を指した。

「この城の門を直す木材も、荷車を出す馬も足りていない。兵を北へ出せば、その分だけ守りが薄くなる。あちらが動けば、取った城を守るために、また兵を集めねばならん」

「ですが、この条件だけで戻れば」

「王命で認められた範囲には収まる」

 使者は革筒から、自国の王に与えられた指示を取り出した。

 求めるべき土地と、確実に守るべき戦果は、同じではなかった。

「得られるなら求めよと命じられた。得られなければ、新たな戦を始めよとは命じられていない」

 役人が、ゆっくり頷いた。

 使者はもう一度、北の街道を見た。

 ここを押さえられれば、城を守りやすくなる。

 その考えは変わらない。

 しかし、守りやすい境を求めて、今ある城まで危うくしては意味がなかった。

「占領地は確定させる。兵が新たに進まぬことも、互いに書かせる」

 使者が決めた。

「街道の通行については、領土の要求と分ける。荷車を通す条件は、後で話せるようにしておけ」

「承知しました」

 役人が紙を取った。

 使者は、自分たちが持ってきた地図を畳んだ。

 その線を、相手の地図へ写させることはできなかった。

 ◇ ◇ ◇

 使節団が戻ると、レオンハルトは同じ席で待っていた。

 卓の上には、マティアスがまとめた条件が置かれている。

 カルディアの使者は着席する前に、口を開いた。

「我が軍が終戦時に確保していた城と土地を認めていただく。その条件で、取り決めを進めたく存じます」

「よい」

 レオンハルトは答えた。

 勝ち誇るような言葉はなかった。

 使者も、譲歩したとは口にしなかった。

 マティアスが書面を双方の間へ置いた。

「城と土地の名は、こちらへ記します。境となる川、丘、街道については、現地で双方の者が確かめることになります」

「その間に、一方が兵を進めることはないと」

「はい。現在の持ち場から、新たに相手側へ進出しないことを記します」

 使者は紙を読み、ある箇所へ指を置いた。

「境を確かめる者の護衛は」

「同数にしましょう。城を攻めるような人数を連れていく必要はありません」

「異議はございません」

 書記官が修正を書き加えた。

 アレクは、会談が終わりへ向かっているのを感じた。

 しかし、席を立つまでには、まだ決めることがあった。

 城の名前だけでは、周囲の畑がどちらへ属するかは決まらない。川が曲がる場所に村があれば、村の真ん中を境にするわけにもいかない。

 双方の記録が食い違う場所には、印をつけた。

 確かめるまで兵を動かさず、土地の取り合いを始めないことも書かれる。

「こちらの村については、徴税を済ませております」

 カルディアの役人が告げた。

 マティアスが顔を上げた。

「兵が通った際に、食料を取ったという話ではありませんか」

「軍へ納めさせたものです」

「それだけで、その村を治めていることにはなりません」

 役人の手が止まった。

 代表の使者が、低く何かを告げた。

 役人は頷き、その村を獲得地として記す要求を取り下げた。

 代わりに、すでに城へ運ばれた物資の扱いを、別に確かめることになった。

 マティアスは、それも記録させた。

 領地の線が定まれば、すべての荷や金まで自動的に片づくわけではない。それでも、一つの問題を理由に、決まった境を何度も広げ直すことはさせなかった。

「街道を通る商人については、後日、取り決めを設けたいと考えております」

 使者が言った。

「城を守るための兵糧も、すべて領内だけで揃うとは限りません」

「交易の話は受ける」

 レオンハルトが答えた。

「だが、商人を通すことと、軍を通すことは別だ。荷車の後ろへ兵をつけて、街道を押さえるようなことは許さん」

「その点も、別に定めるということで」

「そうしろ」

 使者は頷いた。

 欲しかった土地は得られない。

 それでも、荷を運ぶ道をすべて閉ざされるわけではないと分かると、顔つきが少し変わった。

 領土について合意できれば、交易について話し合う余地は残る。

 しかし、余地があることと、要求が通ることは違った。

 マティアスは、書き終えた条件を読み上げさせた。

 カルディアが終戦時に確保していた城と土地を認めること。

 双方が新たな進出を止め、境の確認に使者と役人を出すこと。

 対ロスヴァール戦に限って結んだ協力関係を、ここで終えること。

 まだ停戦の知らせが届いていない部隊にも、重ねて命令を送ること。

 使者は途中で二度、表現を確かめた。

 マティアスも、そのたびに曖昧な箇所を残さず書き直させる。

 やがて、双方が同じ内容だと認めた書面が揃った。

 レオンハルトが印を押させた。

 カルディアの使者も、王から託された権限に基づき、書面へ署名し、印を加えた。

 封蝋が冷えるまでの間、誰も話さなかった。

 アレクは、卓の上へ並んだ書面を見ていた。

 この紙が届く先では、兵が進むのを止める。

 城主が旗を選び直す必要もなくなり、村人は、どちらへ税を納めるのかを知ることになる。

 地図に引いた線は細かった。

 だが、その線の内側には、人が暮らしていた。

 ◇ ◇ ◇

 会談を終えた使節団は、休息を取った後、南へ戻る支度を始めた。

 王城の門前で、護衛の騎兵が馬を引いてくる。

 代表の使者は手綱を受け取る前に、広場の南側へ目を向けた。

 鉄砲隊は、来た時と同じ場所にいた。

 何か特別な命令が出た様子はない。銃を持つ兵の列が交代し、馬のそばでは、水を運ぶ兵が桶を下ろしていた。

 使者は、そばにいた案内役へ尋ねた。

「この隊は、王都の守備に残るのですか」

「今後の配置については、申し上げられません」

 返答は丁寧だった。

 使者はそれ以上聞かず、馬へ乗った。

 アレクは王城の階段の下で、一行を見送っていた。

 使者と一瞬、目が合う。

 相手は軽く会釈した。

 アレクも返した。

 こちらの鉄砲隊は、今回、一発も撃っていない。

 それでも、あの使者が広場を通るたびに何を見ていたかは、分かるような気がした。

 使節団が大通りへ出ると、待たされていた荷車が再び動き始めた。

 兵が住民へ道を示し、荷を担いだ男が足早に横切る。

 会談の終わりを知らせる鐘も、勝利を祝う歓声もなかった。

 アレクが階段を上がると、マティアスが廊下で待っていた。

「隊へ戻る前に、もう一度ついてこい」

「はい」

 二人で政務の部屋へ向かう。

 途中、アレクは尋ねた。

「相手が要求する範囲は、初めから分かっていたのですか」

「地図を送ってきていたからな。どこを求めるかは分かっていた」

「認められないと分かっていても、広く求めるものなのですね」

「通ると思っていた部分もあるだろう。全部は無理でも、街道や村を一つ得られれば、それだけで違う」

 マティアスは歩きながら答えた。

「こちらが調べていなければ、城の周りも押さえたと言われ、そのまま認めていたかもしれない」

「戦場へ兵を出さずに、土地を得る」

「得られるなら、そうする。だが、こちらにも従うと答えた者がいる。その土地を、話を早く終えるために渡すわけにはいかない」

 アレクは頷いた。

 補給路を守るためだという使者の説明は、理解できた。

 だからこそ、相手の言うことに一理あると感じただけで譲ってはいけないのだろう。誰の不便を、誰の土地で解決しようとしているのかまで考えなければならない。

「こちらが約束した土地まで、取り上げようとはなさらなかったのですね」

「当然だ」

 マティアスは足を緩めた。

「勝ったからといって約束を変えれば、次にこちらと組もうとする者は、そのつもりで条件を出してくる。今回だけ得をすればよい話ではない」

 アレクは、少し考えてから口を開いた。

「相手へ譲らないことと、約束を守ることは、両方必要なのですね」

「ああ」

 マティアスは短く答えた。

「それと、決めたことを現地へ届けることだ。ここで印を押しても、南の兵が知らなければ、また城の前で槍がぶつかる」

 廊下の先で、書記官が使者へ革筒を渡していた。

 同じ条件を記した書面が、別々の道を通って各地へ向かう。

 会談で押し切ることだけが、仕事ではなかった。

 ◇ ◇ ◇

 政務の部屋には、レオンハルトとユリウスが残っていた。

 アーノルドも呼び戻され、確定した境を示す地図を見ている。

 カルディア側へ渡る城を確かめた時、アーノルドの指が一度止まった。

 長く守ってきた土地だったのだろう。

 しかし、取り戻すために兵を出してほしいとは言わなかった。

「南の者へ、こちらからも知らせます」

 アーノルドが言った。

「家族が境の向こうへ残った兵もおります。勝手に部隊を動かすことのないよう、帰る者と、こちらへ残る者を確かめます」

「家族を迎えに行く話と、城を取り返す話を混ぜさせるな」

 レオンハルトが告げた。

「必要な者には使者を立てる。兵を連れて越えることは許さん」

「承知しました」

 ユリウスは、王都と南を結ぶ街道へ目を向けた。

「これで、南へ新たな軍を向けずに済みます」

「向けずに済むよう、見張りは続けろ」

「はい」

「ただし、こちらから境へむやみに兵を近づけ、相手を刺激するな。決めた位置を守らせよ」

 ユリウスが頷いた。

 戦う準備を残すことと、戦うきっかけを作ることは違う。

 アレクは、その命令を聞きながら、広場に待つ兵たちの顔を思い浮かべた。

 王都まで来た後で、さらに南へ進むことになるかもしれない。

 そう考えていた兵もいるはずだった。

 今日の取り決めで、その可能性は遠ざかった。

 まだすぐには帰れないとしても、次の戦場が増えなかったことには意味があった。

 マティアスは、卓から交渉に使った書面を下げさせた。

 代わって、別の帳簿と報告が運び込まれる。

 アレクには、見覚えのある包みが混じっていた。

 各隊が提出した戦功と、死傷者の記録だった。

 ユリウスの別働軍から届いた報告もある。落とした城へ残った兵の働き、街道を守った者、荷を届けた者の名が、それぞれ別にまとめられていた。

 レオンハルトは、最初の一冊へ手を置いた。

「城を取った者だけを先に並べるな」

「補給と守備の報告も揃えております」

 マティアスが答えた。

「戦死した者や、負傷して後方へ残った者の働きも、各家へ確認させています」

「よい。死んだ者の働きを、残った者のものにするな」

 アレクは背を伸ばした。

 自分の隊にも、ここまで来られなかった兵がいる。

 戦死した者、負傷して後方へ残った者。その兵たちが撃ち、運び、守った時間があって、今の鉄砲隊がここにいた。

 マティアスが、アレクへ目を向けた。

「鉄砲隊の報告も、所属する家を分けて確かめる。まとめて指揮していたからといって、すべて同じ家の兵にはできない」

「承知しております。鉄砲隊長と、各家の名簿を照合します」

「頼む」

 卓の上へ、もう一つの地図が広げられた。

 今度は、カルディアとの境だけを示したものではなかった。

 グランヴァルトの本国から、旧ロスヴァールの各地へ続く道が描かれている。

 城と町の名が並び、余白には、その土地を誰が治めていたかが書き添えられていた。

 アレクは、何のための地図なのかを悟った。

 戦は終わった。

 しかし、得た土地を誰に任せ、働いた者へ何を与えるかは、まだ決まっていない。

 レオンハルトは、部屋にいる者たちを見渡した。

 その目が、マティアス、ユリウス、そしてアレクへ順に向けられる。

「では、働いた者に報いる話をしよう」

 マティアスが帳簿を開いた。

 アレクはその手元を見たまま、静かに息を整えた。

第二十二話を読んでいただき、ありがとうございました。

戦場で得たものを、交渉の席でどう守るか。レオンハルトとマティアス、それぞれの姿をアレクが見つめる一話でした。

次回は、戦を支えた者たちへの褒賞の話へ進みます。


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