第二十一話 王の責任
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ロスヴァールの王城で、レオンハルトたちは戦の後に残された責任と向き合います。
王城へ入ってから、五日が過ぎていた。
広場の石畳に残っていた血は洗い流され、負傷者を運ぶ荷車に代わって、兵糧を積んだ荷車が通るようになっていた。閉じられていた店の戸も、昼の間だけは開くものが増えている。ただし、通りの辻にはグランヴァルトの兵が立ち、王城へ近づく者は名と用件を確かめられた。
戦が終わったと聞いただけで、人々がすぐに安心できるわけではなかった。
アレクは、広場の南側に置かれた鍋の前で足を止めた。
湯気の向こうで、鉄砲兵が木椀を受け取っている。煮込まれた豆と肉の匂いが、朝の冷えた空気に混じっていた。
「次の班が来るまで、まだ間があります」
ギルベルトが言った。
「見張りの交代も済んでおります。食べ終えた者から、道具を確かめさせます」
「食事の間くらいは、座らせてください。銃の手入れは、その後で」
「そう伝えてあります」
近くにいた兵が、椀へ顔を寄せて息を吹きかけた。
一口飲み、目を細める。
「熱いか」
隣の兵が尋ねた。
「熱い」
「昨日まで、冷める前に食いたいと言っていただろう」
「熱すぎるのも困る」
二人が笑った。
アレクも口元を緩めたが、長く見てはいなかった。兵たちがこちらに気づけば、椀を置いて立ち上がろうとする。
鍋の横を抜け、馬を休ませている場所へ向かった。
王都へ入った八百九十五人の鉄砲兵に、新たな死傷者は出ていない。それでも、長い行軍と戦いで足を痛めた者や、疲れが抜けずにいる者はいた。王城の前へ並べれば、全員がすぐ同じように動けるわけではない。
「足を腫らしていた兵は」
「靴を直させ、今日は荷の見張りへ回しております。歩けないほどではないそうですが」
「無理をしているなら、本人の返事だけで決めないでください」
「承知しました」
ギルベルトの視線が、アレクの肩越しに動いた。
振り返ると、王城から来た兵がこちらへ歩いていた。
「ハルトマン子爵。マティアス伯爵閣下がお呼びです」
アレクは頷いた。
「隊をお願いします」
「はい」
ギルベルトへ任せ、王城へ向かう。
門の上では、黒を基調に金の獅子を描いた旗が風を受けていた。その下を、ロスヴァールの役人が帳簿を抱えて通っていく。護衛についたグランヴァルト兵が、荷車を避けるよう男へ声をかけた。
剣を交えずに言葉が通じることが、数日前より当たり前になりつつあった。
◇ ◇ ◇
マティアスは、政務の部屋で書状を読み終えたところだった。
卓の端には封の切られた包みが並び、書記官が差出人と到着した時刻を書き留めている。
「近隣の城からですか」
アレクが尋ねると、マティアスは一枚を脇へ置いた。
「ああ。王都に近い城から、返事が届き始めた。王命を受け入れ、引き渡しの者を待つそうだ」
「抵抗は」
「今のところ、この書状を寄越した城にはない。ただし、倉を確かめるまでは受け取ったことにはできない」
マティアスは、別の紙へ目を向けた。
「遠い城には、まだ使者が着いていないだろう。南からの返事も待っている」
地図に置かれた小さな札は、すべて同じ向きにはなっていなかった。
返事の来た城。使者が向かった城。途中の街道を確かめている城。
王都を押さえても、その旗の下で何が起きているかを知るには時間がかかる。
マティアスは書記官へ書状を渡した。
「受け入れた条件と、こちらが送る者の名を並べておけ。城主の返事だけを先に写すな」
「承知しました」
書記官が下がると、部屋が少し静かになった。
「これから、国王の処遇を決める」
マティアスが言った。
アレクは、卓の奥に置かれた包みを見た。
東部から持ってきた記録だった。その隣には、王城で集めた帳簿や、聞き取った証言が置かれている。
「調べは、ついたのですか」
「国王が何を認め、誰に金を動かさせたかはな。すべての荷を最後まで追えたわけではないが、裁定に必要なところは揃った」
マティアスは包みの紐を結び直した。
「アレクも来るように」
「私も、ですか」
「東部で何が起きたかを見た者だ。それに、これから領地と兵を増やしていくなら、勝った後の扱いも見ておいた方がよい」
アレクは返事をする前に、一度息を吸った。
「承知しました」
処遇という言葉が、何を指しているかは分かっていた。
それでも、マティアスの口から告げられると、鍋の前で聞いた兵たちの笑い声が、急に遠くなった。
◇ ◇ ◇
裁定のために使われたのは、王城の広間だった。
ロスヴァール王が座っていたという奥の椅子は、そのまま置かれている。しかし、レオンハルトはそこへ上がらず、一段低い場所に用意させた椅子へ座っていた。
左右にはグランヴァルトの諸将が並び、その向かいに、呼び出されたロスヴァールの役人たちが立っている。アーノルドも、その列の端にいた。
腰に剣はない。
アレクはマティアスの後ろへ控えた。
ユリウスが扉の兵へ目を向ける。
やがて、ロスヴァール王が連れてこられた。
衣服は整えられ、両手も縛られてはいない。ただし、左右と後ろを兵に囲まれ、歩く場所を自分で選ぶことはできなかった。
王は広間へ入ると、奥の椅子を見た。
次に、その手前へ座るレオンハルトへ視線を移す。
「私を呼びつけるとはな」
声は広間に通った。
だが、返事をする者はいなかった。
王の後ろで扉が閉じられると、レオンハルトが口を開いた。
「東部への支援について、記録と証言を確かめた」
「何度聞かれても、答えは変わらぬ」
「今日は、同じことを聞くために呼んだのではない」
レオンハルトはマティアスへ顔を向けた。
「報告しろ」
マティアスが進み出る。
書記官二人が、卓へ記録を並べた。
「イグナーツの城から得た送金の記録と、こちらの王城で管理されていた支出の記録を照合しました。金額、送り出した時期、受け渡しを取り次いだ者が一致しております」
紙へ指を置く。
「物資についても同じです。王家の倉から出した分と、国境の諸侯を通じて買い集めた分がございました。すべてが同じ道を通ったわけではありませんが、複数の記録で行き先を確かめられました」
王は紙を見なかった。
「国境を守るための出費だ」
「その名目で処理されています」
マティアスは否定せず、別の紙を示した。
「ただし、支出を管理した者は、グランヴァルト東部の諸侯を支えるためだと説明を受けております。使者を取り次いだ者の証言とも合いました」
列の中にいた役人が、唇を引き結んだ。
王がそちらを見る。
役人は目を伏せたが、証言を撤回しようとはしなかった。
「金を出すたびに、私がすべての荷を見たと思うのか」
「そのようには申し上げておりません」
マティアスの声は変わらなかった。
「個々の支出を扱った者と、その方針を認めた者の責任は分けております。陛下御自身が、東部の諸侯を支え、グランヴァルトの統一を妨げる方針を認められたこと。そのための支出を命じられたことを、確かめました」
王の顎が上がった。
「南ではカルディアが兵を動かしていた。西まで一つの旗でまとまれば、こちらは両方から攻められる」
アーノルドは動かなかった。
南の戦線を守っていた男の前で、王はその戦線を理由に挙げた。
「何もせず、相手の支度が整うのを待てと言うのか」
「備える方法を選んだのは、お前だ」
レオンハルトが答えた。
王はそちらへ向き直った。
「そちらも兵を集めていた」
「集めた」
「ならば、こちらだけが」
「我が国の諸侯を争わせたのは、お前だ。こちらが兵を集めていたからといって、その責任を逃れられると思うな」
王の言葉が止まった。
レオンハルトは、マティアスへ続きを促した。
「町の焼き討ちを、ロスヴァール王が直接命じた書状は確認されておりません」
マティアスが告げると、広間の何人かが顔を上げた。
アレクも、その横顔を見た。
「東部で領主や家族を殺した者、兵へ焼き討ちを命じた者については、別に責任を確かめております。それらを、証拠のないまま同じ命令として扱うことはいたしません」
王は、わずかに息を吐いた。
しかし、マティアスの報告は終わっていなかった。
「そのうえで、東部の諸侯へ金と物資を渡し、兵を集めて争いを続けられるよう支えたことは、国王の承認した政策でございました。イグナーツ側から届いた返書の内容は、その後の支出記録とも一致しております。単なる国境の商取引ではありません」
広間に紙をめくる音がした。
アレクは、ルーカスの町へ向かった道を思い出していた。
止められた荷。
塞がれた街道。
助けを待ちながら城へ残った兵。
目の前に並ぶ帳簿の数字は、その一つ一つから離れた場所で書かれたものだった。書いた者は、荷車の先で誰が食べ、誰が戦い、誰が死んだかを見ていなかったかもしれない。
それでも、金と荷は届き、兵は動いた。
「ほかに、申し述べることはあるか」
レオンハルトが尋ねた。
王は広間を見回した。
自分の役人がいる。自分に仕えていた将もいる。
だが、助けを求めて見回す王と、目を合わせる者はいなかった。
「私は、ロスヴァールを守ろうとした」
最後に、王はそう言った。
「そのつもりで命じた」
レオンハルトは、しばらく王を見ていた。
「聞いた」
短く答える。
それから立ち上がった。
◇ ◇ ◇
広間にいた者たちが姿勢を正した。
レオンハルトは、まずロスヴァール側の列へ目を向けた。
「降伏の条件は変えぬ。武器を置いた兵を、王に仕えていたという理由だけで斬ることはしない。民の家と財を、兵の褒美として奪わせることもない」
役人の一人が、握っていた手を緩めた。
「ただし、命じたことと、行ったことの責任は調べる。国王の名で働いたと言えば、すべて許されるわけではない」
その言葉に、緩みかけた空気が再び張った。
レオンハルトは王へ向き直る。
「ロスヴァール王。お前は我が国の内乱を支え、東部の争いを長引かせた。そのために国の金と物資を動かし、国境の向こうで人が死ぬことで、自国を守ろうとした」
王は顔を上げたまま聞いていた。
「この責任により、死を命じる」
アレクは、無意識に息を止めた。
覚悟していたはずの言葉だった。
死を告げられた王は、足を踏み直した。それまで上げていた顎が、わずかに下がった。
王は後ろへ一歩退きかけ、止まった。
護衛の兵は触れなかった。
逃げるための道がないことは、本人にも分かっていた。
「降伏を命じたのは、私だ」
王が言った。
「その命令を受け、戦を止めている」
「私が命じなければ、まだ兵は戦っていた」
「だから、従った兵と民を守る。お前自身の責任を問わぬとは、約束していない」
王は唇を開いた。
言葉は出なかった。
アーノルドのいる方へ顔を向けたが、今度は罵らなかった。長く見た後、再びレオンハルトへ目を戻した。
「妻と息子への約束は」
「変えぬ」
レオンハルトは答えた。
王は、その返事を聞いて目を閉じた。
ほんの短い間だった。
目を開くと、衣服の襟へ手をやり、曲がってもいない布を直した。
「二人に、会わせてくれ」
ユリウスがレオンハルトを見る。
レオンハルトは頷いた。
「見張りをつけろ。別れを告げる時間は与える」
王は礼を言わなかった。
それ以上の条件も求めなかった。
左右の兵が道を示すと、ゆっくり向きを変えた。
広間を出ていく背に、役人の一人が頭を下げた。
隣の者も、少し遅れて倣う。
レオンハルトは止めなかった。
扉が閉じられるまで、誰も口を開かなかった。
◇ ◇ ◇
処刑は、その日の午後に行われた。
王城の一角にある、石壁で囲まれた庭だった。
見物人を集めることはせず、グランヴァルトの諸将と、ロスヴァール側から立ち会いを命じられた者が並んだ。庭へ通じる二つの出入口にはユリウスの兵が立ち、壁の上にも見張りが置かれていた。
アレクは、マティアスの後ろにいた。
風が吹くと、庭の隅にたまった枯れ葉が石の上を滑った。
兵が一人、足でそれを押さえた。気づいた別の兵が拾い、脇へ寄せる。
その小さな動きばかりが、妙にはっきりと見えた。
ロスヴァール王が連れてこられた。
王冠はなく、剣もない。
先ほどと同じ衣服を着ていたが、歩く速さは遅くなっていた。別れの場で何を話したのか、アレクには分からなかった。
王は庭へ出ると、一度だけ空を見た。
それから、立ち会う者たちへ視線を移した。
アーノルドを見つけても、何も言わなかった。
書記官が裁定を読み上げた。
王家の資金と物資を使い、グランヴァルト東部の内乱を支えたこと。その方針と支出を、国王自身が認めていたこと。
広間で確かめた内容が、短く告げられる。
風が紙の端を揺らしたが、書記官は押さえて読み続けた。
読み終わると、庭が静かになった。
レオンハルトが頷いた。
兵が王へ近づく。
王は一度その手を避けたが、逃げようとしたのではなかった。自分で歩くというように顎を上げ、示された場所へ進んだ。
アレクは目を伏せかけた。
だが、最後まで見た。
刃が下りた後も、歓声は上がらなかった。
兵が進み、遺体を布で覆った。書記官が処刑の執行を記録し、ユリウスが庭の外へ合図を送る。
それで、ロスヴァールを治めていた王の生涯は終わった。
アレクは自分の手を見た。
指先が冷えている。
剣を握っていないのに、手のひらに汗がにじんでいた。
ルーカスが帰ってくるわけではない。
燃えた町も、今日の裁定で元へ戻るわけではなかった。フェリックスが父を待つ時間を取り戻すこともできない。
それでも、争いを起こさせた者の責任を、誰も問わずに終えることはできなかったのだろう。
アレクには、その二つが同時に胸へ残った。
庭を出る時、レオンハルトは一度も振り返らなかった。
マティアスも黙って歩いていた。
アーノルドは、布で覆われた場所へしばらく顔を向けていたが、兵に促される前に、自分で足を動かした。
◇ ◇ ◇
廊下へ入ると、外よりも空気が冷たく感じられた。
アレクはマティアスに続き、政務の部屋へ戻った。卓の上には、午前のうちに届いていた城の返書が残されている。
マティアスは椅子へ座らず、書記官を呼んだ。
「国王の処刑を伝える書状には、降伏した兵と民の扱いを変えないことも記せ。処刑の知らせだけを先に走らせるな」
「承知しました」
「すでに送った引き渡しの命令も有効だ。こちらの使者が着いている城には、同じ者から説明させる」
書記官が紙を取る。
アレクは卓の脇で立っていた。
王が死んだ直後にも、城はあり、兵がいて、食べなければならない者がいる。
その者たちへ届く知らせの書き方で、再び槍が向けられることもあるのだ。
「アレク」
呼ばれ、顔を上げる。
「水を飲んでおけ」
「……はい」
侍従が運んできた杯を受け取った。
口に含むと、喉が思っていた以上に乾いていることに気づいた。
「陛下は、ルーカス様のことを仰いませんでした」
アレクが言うと、マティアスは書状から目を上げた。
「忘れていると思うか」
「いえ」
「私もそうは思わない」
マティアスは、卓に置かれた東部の記録へ目を向けた。
「だが、陛下の友だった者だけが、あの争いで家族を失ったわけではない」
アレクは杯を持ったまま頷いた。
知らない名が、記録の中にいくつもあった。
誰かの主君であり、父であり、息子だった者たち。ルーカスの顔は思い浮かべられても、そのすべての顔を知ることはできない。
「一人のために怒ることと、王として裁くことは、同じではないのですね」
「重なることはある。だからこそ、分けて確かめる必要がある」
マティアスは言った。
「焼き討ちを命じた証拠がない以上、それを王の命令だったとは書けない。憎む理由があっても、記録にない命令を足してよいことにはならない」
「はい」
「今日の裁定も残る。こちらに従う者だけが読むわけではない」
アレクは、書記官の筆先へ目を向けた。
戦場で放った弾は、戻せない。
同じように、ここで王の名によって記したことも、後から都合よく消せるものではなかった。
マティアスは包みを閉じた。
「陛下は、次の者をお呼びになる」
アレクは杯を置いた。
休んでいる時間は、長くはなかった。
◇ ◇ ◇
アーノルドは、先ほどとは別の部屋へ通された。
広間ほど大きくはない。レオンハルトのほかに、マティアスとユリウス、書記官が控えている。アレクは壁際に立った。
部屋の中央に置かれた卓には、一本の剣があった。
アーノルドが入城の日に差し出した剣だった。
鞘に残っていた泥は拭われ、剣帯も整えられている。
アーノルドは、それを見ても手を伸ばさなかった。
レオンハルトの前で膝をつく。
「アーノルド・フォン・ケッセルハイム」
レオンハルトが名を呼んだ。
「お前の処遇を決める」
「承ります」
「伯爵の位と、本領を認める。妻子と家臣についても、お前がこちらへ従ったことを理由に害することは許さぬ」
アーノルドは頭を下げた。
安堵が顔へ出るまでに、少し間があった。
自分だけの話ではないと確かめてから、ようやく息を吐いたようだった。
「ありがとうございます」
「新たな領地は与えぬ」
「承知しております」
「不服はないか」
アーノルドは顔を上げた。
「本領をお認めいただいたうえで、さらに求めるつもりはございません」
レオンハルトは、その顔を見ていた。
「では、何を求める」
アーノルドの視線が、卓の剣へ一度だけ動いた。
「私の命令で武器を置いた兵がおります」
「聞いている」
「南から連れてきた者も、王都で加わった者もおります。その者たちが家へ戻った後、主君に背いた兵として追われることのないよう、お取り計らいいただきたく存じます」
マティアスが口を開いた。
「全員を同じ扱いにするには、誰が何をしたか確かめる必要があります」
「承知しております。略奪や私怨による殺傷まで、お許しいただきたいのではありません」
アーノルドは答えた。
「私が兵を動かし、王城へ入りました。私の命令で降伏に従ったことを理由に、兵や、その家族が罰せられることのないよう、お願い申し上げます」
レオンハルトは椅子の肘へ手を置いた。
「約束した条件は守る。兵の家を勝手に奪わせることもない」
「ありがとうございます」
「だが、書状を一枚出せば、すべての村まで同じように扱われると思うか」
アーノルドはすぐには答えなかった。
南の城を守り、国王の命令で兵を減らされた男だった。
命令が遠くへ届くまでの間に何が起きるかも、受け取った者が都合よく解釈することも、知らないはずがない。
「思いません」
「ならば、そのために働け」
レオンハルトは卓の剣へ手を伸ばした。
鞘ごと持ち上げ、アーノルドの前へ差し出す。
「兵を止めたところで、お前の仕事が終わるわけではない。残る城の引き渡しを進め、兵を帰す道を整えろ。国王が死んだと聞いて、また旗を立てようとする者がいれば、先に説け」
アーノルドは剣を見つめた。
「それでも従わぬ者は」
「こちらへ知らせろ。お前一人の判断で兵を集め、攻めることは許さん」
「はい」
「マティアスと共に進めよ。軍を動かす必要があれば、ユリウスにも確かめさせる」
二人の名を聞き、アーノルドはそれぞれへ目を向けた。
マティアスは頷いたが、ユリウスは表情を変えなかった。
「城にいる兵を、そのまま自分の配下に加えるつもりなら、認めぬ」
ユリウスが言った。
「そのつもりはございません」
「ならば、まず名簿を揃えろ。誰の兵で、誰の命令を待っているのか分からぬまま、武器を返すわけにはいかん」
「承知しました」
レオンハルトが、剣を少し前へ出した。
アーノルドは両手で受け取った。
「立て」
命じられ、立ち上がる。
剣帯を腰へ戻す時、指が一度止まった。
長年仕えてきた王は、もういない。
その王を捕らえるために抜いた剣を、新しい王から返された。
アレクは、アーノルドが剣を収めたまま、深く頭を下げるのを見ていた。
「御命に従い、務めを果たします」
レオンハルトは頷いた。
「頼むぞ」
その言葉に、アーノルドの背がわずかに動いた。
顔を上げたアーノルドは、返された剣の重みを確かめるように、剣帯へ手を添えた。
◇ ◇ ◇
アーノルドが退出した後、マティアスは書記官へ裁定の写しを用意するよう命じた。
爵位と本領を認める書状。降伏した兵の処遇を示す命令。城の引き渡しでアーノルドが担う役目。
一つの紙にまとめず、届ける相手に応じて分けていく。
ユリウスは地図を卓へ広げた。
「近い城から、こちらの者を送れます。ただし、王都の門と倉の守りは減らしません」
「よい」
レオンハルトが答えた。
「城外の兵も休ませながら使え。受け取る城が増えたからといって、同じ隊を走らせ続けるな」
「各隊の状態を見て決めます」
王都へ集まった一万五千五百三十三人のうち、城内へ入れたのは六千人。残る九千五百三十三人は、城外の陣と街道を守っている。
王都が降ったからといって、全員を城内へ移したわけではなかった。城外には大砲四門と荷駄があり、各地へ向かう兵も、戻ってくる使者も、その陣を経由する。
アレクは鉄砲隊の配置を尋ねられ、待機と休息を交代で行っていることを報告した。
「銃の手入れと、使った道具の確認を進めています。今のところ、隊を出す命令は受けておりません」
「しばらくは、まとまって置く」
レオンハルトが言った。
「城ごとに少しずつ分けるつもりはない。こちらが動かせる隊は残しておく」
「承知しました」
アレクは頭を下げた。
戦いが終わりつつある今も、鉄砲隊がそこにいることには意味がある。
撃たずに済むのであれば、その方がよい。
だが、撃てる状態でなければ、相手が従う理由も一つ減ってしまう。
マティアスは、南へ向かう街道へ指を置いた。
「次は、カルディアです」
部屋の空気が変わった。
アレクも地図へ目を落とす。
ロスヴァールの南では、同じ敵を相手にした軍が、こちらとは別の旗を掲げていた。
「王都の降伏は知らせに出しております。先方が確保した城と土地についても、書面で示すよう求めました」
「返事が来るまでに、こちらの方針を揃えておく」
レオンハルトは言った。
「約束した分は認める。だが、その先まで渡すつもりはない」
「終戦時に確保していた土地まで、ですね」
「そうだ。書状を読んだ日まで好きに進める、という約束ではない」
ユリウスが腕を組んだ。
「向こうが、別の言い分を持ってくることは考えられます」
「持ってくるだろうな」
レオンハルトは、むしろ当然だというように答えた。
「城を一つ取れば、その先の村も要ると言う。村を取れば、守るために丘まで欲しいと言う。こちらが黙っていれば、街道まで自分たちのものになる」
マティアスが頷いた。
「先方の書面だけでは決めません。城の引き渡しを受ける者にも、誰の兵が、いつ来たかを確かめさせます」
「兵を動かさずに、領地だけ増やそうとする者もいる。地図へ線を引いただけで受け取ったことにするな」
「承知しております」
アレクは、二人のやり取りを聞いていた。
同じ相手と戦ったからといって、その後に欲しがるものまで同じになるわけではない。
カルディアにとって、グランヴァルトの勝利は利用できるものだったはずだ。
しかし、ロスヴァール王都へ黒獅子の旗が上がった今、その計算は変わっているだろう。
「アーノルド伯を、最初から交渉の表へ出しますか」
マティアスが尋ねた。
レオンハルトは首を振った。
「南の事情は聞く。だが、カルディアへ条件を示すのは俺たちだ」
「向こうとは長く戦った相手ですからね」
「あの男の恨みで土地を決めたと思わせる必要はない。こちらが何を約束し、何を認めるかの話だ」
アレクは顔を上げた。
少し前、マティアスが話していたことと重なった。
個人が抱く思いと、国の名で決めること。
離れているわけではなくても、同じものとして扱ってはいけない。
レオンハルトは地図の南側を見たまま続けた。
「こちらは、ロスヴァールを討つという約束を果たした。取った城を返せとは言わぬ。だが、戦を終わらせた後まで、勝手を許すつもりもない」
声を荒らげる必要はなかった。
王都の門も、王城の倉も、今はその命令を受ける兵が守っている。
相手へ譲る理由がない時に譲らないことも、王の仕事なのだとアレクは思った。
◇ ◇ ◇
広場へ戻る頃には、日が傾いていた。
王城の門を出たところで、アレクはアーノルドを見つけた。
剣を腰へ戻した伯爵の前に、南から同行してきた隊長が立っている。左手の包帯は巻き直されていた。
隊長は、アーノルドの腰を見てから顔を上げた。
「閣下」
「待たせたな」
「御処遇は」
「伯爵の位と、本領を認められた」
隊長の肩が下がった。
後ろにいた兵も、互いに顔を見合わせた。
「それでは、お戻りになれるのですね」
「まだだ」
アーノルドは答えた。
「残る城の引き渡しを進める。兵の名簿も揃え直すことになった」
隊長は一瞬黙ったが、すぐに頷いた。
「私どもは、何をすれば」
「王都で加わった者と、南から来た者を分けて記せ。負傷して動けぬ者も、名簿から漏らすな。家へ知らせを出せていない者がいれば、それも確かめる」
「承知しました」
「お前の手は」
「少しずつ動くようになっております」
「ならば、治しながら働け。剣を握れると見せるために、傷を開くな」
隊長は苦笑した。
アーノルドも、ほんのわずかに表情を緩めた。
その時、こちらに気づく。
アレクは立ち止まり、頭を下げた。
「ハルトマン子爵」
アーノルドが呼んだ。
「鉄砲隊は、あちらに」
「はい。広場の南側です」
伯爵は、兵と馬の間に立つ林檎の花の旗へ目を向けた。
「城内では、まだ一度も撃っておられませんな」
「その必要がありませんでした」
「そうですか」
アーノルドは、少しの間旗を見ていた。
「この先も、そうあってほしいものです」
アレクはすぐに返事ができなかった。
それを決められるのは、自分一人ではない。
ただ、目の前の男も、そのために働く役目を与えられたばかりだった。
「私も、そう思います」
答えると、アーノルドは頷いた。
隊長を伴い、王城へ戻っていく。
アレクはその背を見送った後、鉄砲隊のいる場所へ歩いた。
ギルベルトが、交代する班へ声をかけている。
休んでいた兵が立ち上がり、見張りから戻った兵が荷のそばへ座った。夕食の支度をする者が鍋を運び、馬の世話をしていた兵が水桶を持ち上げる。
朝と似た光景だった。
だが、その間に、一人の王が死んだ。
別の王から剣を返された将が、新しい命令を受けて働き始めている。
「何か、御命令は」
ギルベルトが尋ねた。
「今の配置を続けます。隊を出す時は、改めて知らせが来ます」
「承知しました」
「食事は、足りていますか」
「はい。今日は、先ほどの兵も文句を言わずに食べるでしょう」
「熱すぎなければ、ですか」
ギルベルトが笑った。
アレクも小さく笑い、王城を振り返った。
門の上の王旗は、夕方の風に大きく広がっていた。
その下から、書状を収めた筒を携える使者が出てくる。護衛の騎兵と合流し、広場を抜けて南へ通じる道へ向かった。
届けるのは、国王の処刑と、降伏した兵や民の扱いを変えないという命令だった。
南の向こうには、まだカルディアの軍がいる。
アレクは使者を見送ると、兵たちのもとへ戻った。
第二十一話を読んでいただき、ありがとうございました。
失った者は戻らなくても、生き残った者たちの暮らしは続いていきます。
次は、同じ敵と戦ってきたカルディアとの交渉へ進みます。
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