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『知らない世界で、前世の知識が武器になる』 ~剣と銃で乱世を生き抜く転生領主の成り上がり~  作者: 相田 ソウ
第七篇 乱世を越える黒獅子

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第二十話 王城に掲げる旗

お読みいただき、ありがとうございます。

王都の門を前に、レオンハルトたちは新たな一歩を踏み出します。

 王都の西門から戻ったユリウスは、馬を下りると、そのままレオンハルトの天幕へ入った。

「西門と、王城前の広場までの道を確かめました。門の隊長は引き渡しに応じています。街道へ向けて弓を構えている兵もおりません」

 レオンハルトは卓へ広げた王都の図に目を落とした。

 門から伸びた大通りは、市街を抜けて王城の南へ至る。その途中には、荷車の入る横道も、兵が二人並べば塞がる細い路地もあった。

「城壁の兵は」

「交代するまでは持ち場へ残すよう命じられています。武器を置いた者から下ろし、こちらの兵と入れ替えます」

「門を空けるな。こちらが入った後で、別の兵に閉じられてはかなわん」

「先に歩兵を入れます。門の内外を押さえ、通りへ順に兵を進めます」

 ユリウスが図の西門へ指を置いた。

 アレクはマティアスの横に立ち、その指が動く先を見ていた。

 外から見ている間は、一つの城壁だった。

 しかし、兵が中へ入れば、門の上も、家々の間も、王城へ続く曲がり角も、別々に確かめなければならない場所になる。

 降伏の書状が届いたからといって、そこにいる全員が剣を収めたわけではなかった。

「入れるのは六千だ」

 レオンハルトが決めた。

「残る九千五百三十三は城外に置く。陣と街道を守り、王都の外から近づく者を見張れ。大砲も四門とも残せ」

「承知しました」

「城内へ入れる六千に、鉄砲隊を含める」

 アレクへ視線が向いた。

「八百九十五人、まとまって進めます」

「王城前の広場へ置け。家の間へ追い込むような使い方はせぬ」

「はい」

 ユリウスは、鉄砲兵を除いた五千百五人の配置を確かめた。

 千二百人で門とその周辺を引き継ぎ、二千人を大通りや主要な辻、兵糧倉などへ向かわせる。残る千九百五人は王城と、その前の広場を押さえる。

 レオンハルトたちの護衛も、その中から出すことになった。

「先に門と通りを取ります。陛下には、その報告を受けてからお進みいただきます」

「任せる」

 ユリウスが出ていくと、マティアスは控えていた書記官を呼んだ。

 武器を受け取る者。倉の中身を確かめる者。負傷者のいる場所を聞き取る者。

 すでに役目を決めていた者たちへ、入城する順番を短く伝える。

「向こうの帳簿を書き直すな。元の記録を残し、実際に受け取った数は別に記せ。違いがあれば、その場で報告するんだ」

 書記官が頷き、紙を抱えて下がった。

 レオンハルトは椅子の背に掛けていた外套を取った。

「アレク」

「はい」

「兵には、倉と家の違いを忘れさせるな」

 アレクは顔を上げた。

「勝ったからといって、何でも持ってよいことにはならん。命じられていない家へ入るな。酒を探す者も、女を追う者も許さぬ。鉄砲隊にも伝えておけ」

「承知しました」

 レオンハルトは剣帯を直した。

 それから、天幕の外へ目を向けた。

「行くぞ。待たせている」

 ◇ ◇ ◇

 西門の前で、グランヴァルトの歩兵が二列に分かれた。

 一方は門をくぐり、もう一方は外側へ残る。

 門楼へ上がる階段では、槍を預けたロスヴァール兵が一人ずつ下りてきていた。代わって上がる兵の盾には、グランヴァルト側の紋章が描かれている。

 アレクが到着した時、門の上からこちらを見下ろしていたのは、ユリウスの兵だった。

 鉄砲隊の先頭が、日陰に入る。

 厚い壁の下では、足音が重なって聞こえた。

 アレクは馬を引き、門の内側へ進んだ。後ろの兵も、銃口を上へ向けて歩いている。騎馬鉄砲隊の馬は暴れぬよう間隔を取り、その後ろから徒歩の鉄砲兵が続いた。

 市街へ出ると、思っていたよりも道は広かった。

 左右に石造りの家が並び、一階には店の入口がある。ただし、その戸はほとんど閉じられていた。

 窓の隙間に顔が見える。

 すぐに引っ込むものもあれば、こちらを見たまま動かないものもあった。

 門の脇には、武器を取り上げられた守備兵が並んでいた。

 盾を壁へ立て掛け、両手を空けて立っている。

 一人の若い兵が、通り過ぎる鉄砲隊の手元を見た。

「あれか」

 隣の男が何か答えたが、足音に紛れて聞こえなかった。

 若い兵は、銃から目を離さなかった。

 アレクも、その兵を見た。

 遠くの戦場で向かい合っていれば、狙いを定める相手だったかもしれない。

 今は、槍を預けて道の脇に立っている。

 その足元には、口の開いた小さな革袋があった。中から、硬そうなパンの端がのぞいていた。

「前との間を空けすぎるな」

 ギルベルトの声が後ろへ伝わった。

 アレクは前を向いた。

 大通りの曲がり角には、グランヴァルトの歩兵が立っている。その脇で、ロスヴァール側の兵が横道から出てこようとした住民へ声をかけていた。

 道を空けるよう告げられた老人が、杖をつきながら壁際へ寄った。

 兵はその腕を支え、列が通り過ぎるまで待たせた。

 やがて、前方の歩兵が槍を立て直した。

 レオンハルトが門をくぐったのだ。

 黒を基調に金の獅子を描いた王旗が、家々の屋根より高く揺れていた。その下を、レオンハルトが馬で進んでくる。

 マティアスが隣に続き、護衛の兵が左右を固める。

 道の脇にいた守備兵たちが、一斉に顔を上げた。

 誰かが膝を折りかけた。

 その動きを見て、隣の兵も身を屈める。

 レオンハルトは立ち止まらなかった。

「列を崩すな。そのままでよい」

 声が届いた兵は姿勢を戻したが、顔は上げられずにいた。

 アレクは鉄砲隊を道の片側へ寄せ、王旗を先へ通した。

 レオンハルトの馬がそばを通る。

 その目は左右の建物へ動いていた。窓、扉、屋根の上。人の姿が見えれば、一度はそこへ目を向ける。

 勝者として胸を張っていても、見ていない場所を作ろうとはしなかった。

 王旗に続き、林檎の花の旗が動き出した。

 歓声はなかった。

 馬の蹄が石畳を打ち、歩兵の槍が揺れ、鉄砲隊の道具が小さな音を立てる。

 その音を聞くために、町全体が口を閉じているようだった。

 ◇ ◇ ◇

 王城前の広場には、まだ朝の戦いの跡が残っていた。

 脇へ運ばれた荷車の車輪に、折れた槍の柄が引っ掛かっている。石畳を洗った水は、溝へ流れ込み、ところどころで薄赤くたまっていた。

 広場の南側に、鉄砲隊のための場所が空けられていた。

 アレクはギルベルトと共に列を整えた。

 王城の正門は北にある。西門から来た大通りは広場の南西へ通じ、東側の道にはすでに歩兵が立っていた。

 鉄砲隊は、その歩兵の背後へ押し込まれない位置に止まる。

 人を通す道と、兵を動かす場所を分けた。

「馬は南側へ。荷と一緒に置いて、世話をする者を決めてください。銃を持つ兵は、ここで待機します」

「承知しました」

「通りを歩く者へ、銃口を向けないように」

 ギルベルトがアレクを見た。

 余計な命令だという顔ではなかった。

「各班へ伝えます」

 兵の中には、顔を強張らせたまま城壁を見ている者もいた。

 つい先ほどまで敵の王都だった場所へ入り、四方を家と壁に囲まれている。何も起きていなくても、窓が開く音に振り返る者がいた。

 アレクは近くの兵へ声をかけた。

「門と通りには、ユリウス様の兵がいます。何かあれば、まず知らせが来ます。周りを見るなとは言いませんが、一人で判断して撃たないでください」

 兵は頷き、銃を持つ手の位置を直した。

 その時、広場の東側で声が上がった。

 鉄砲隊の数人が振り向く。

 歩兵の間に、白い布を持った男が立っていた。

「通してくれ。中に息子がいる」

 男は王城を指していた。

 使用人らしい服装だったが、片方の袖が裂けている。止めている兵へ、何度も同じことを言っていた。

「名前を聞け」

 そばを通りかかったマティアスが命じた。

 兵が問い直すと、男は息子の名を答えた。近衛にいるという。

 マティアスは控えていた書記官へ顔を向けた。

「負傷者の名簿と照らせ。まだ載っていなければ、向こうの係に確かめさせろ。このまま城へは入れるな」

「ですが、息子が」

「探す者をつける。ここで名前を伝えずに走り込んでも、会えるとは限らない」

 男は口を開きかけた。

 書記官がもう一度息子の名を尋ねると、今度はゆっくり答えた。

 アレクは、兵たちがそのやり取りを見ていることに気づいた。

「持ち場へ」

 静かに告げる。

 兵は前へ向き直った。

 銃を使わずに済んでいる。

 それでも、気を抜いてよい場所ではなかった。

 やがて、王城から呼びに来た兵がアレクの前で止まった。

「ハルトマン子爵。陛下がお呼びです」

 アレクはギルベルトへ隊を任せた。

「入城した歩兵の指揮官と連絡を取ってください。こちらから命令が届くまでは、隊を動かさずに」

「承知しました」

 馬を預け、王城の門へ向かう。

 門の内側では、槍を持つグランヴァルト兵の向こうに、武器を置いた近衛が並んでいた。

 その鎧に残った血が、自分のものか、誰かを斬った時のものかは、見ただけでは分からなかった。

 ◇ ◇ ◇

 アーノルドは、中庭の奥で待っていた。

 外套の肩に血が乾いている。

 姿勢は真っ直ぐだったが、レオンハルトへ歩み寄る時、片足の動きがわずかに遅れた。

 傷を負っているのか、疲れが出ているのか。

 アレクには分からなかった。

「ロスヴァール国王の身柄と、王城をお引き渡しいたします」

 アーノルドは膝をついた。

 腰の剣を鞘ごと外し、両手で差し出す。

「今朝、王城へ兵を入れたのは、私の命令です。兵の処遇と、私の責任はお分けください」

 レオンハルトは剣を見た。

 すぐには手を伸ばさず、中庭の端へ目を向けた。

 戸板に乗せられた負傷者が運ばれていた。

 支える兵の一人はロスヴァールの鎧を着ている。もう一人は、入城したばかりのグランヴァルト兵だった。

「報告にあった死傷者は、ここで出たのか」

「中庭と、居所へ続く通路です。市街にも負傷者がおります」

「数は確かめ終えたか」

「まだです。協力した近衛と、抗戦した者の名を揃えております」

 レオンハルトは、アーノルドへ視線を戻した。

「ならば、最後まで引き渡しを果たせ。まだお前の命令を待つ兵がいる」

 アーノルドの手が、わずかに動いた。

「私に、引き続き命じよと」

「お前が兵を動かしたのだろう。剣を預ければ、それで済むと思うな」

 声は厳しかった。

 しかし、後ろに控えていた兵が進み出て剣を受け取っても、縄は出されなかった。

「勝手に兵を集めることは許さん。命令を出す時は、こちらの者を立ち会わせろ。王都の外へ使者を出す場合も同じだ」

「承知しました」

「お前自身の処遇は、それらを確かめた後で決める」

 アーノルドは頭を下げた。

 立ち上がると、マティアスが近づいた。

「王城の鍵と、倉を預かる者を。近衛の各隊を呼べる者も必要です」

「すでに控えさせております」

「では、引き合わせていただきたい。兵の数だけでなく、誰の命令を待っているかも確かめます」

 アーノルドはそばの隊長へ指示を出した。

 南から同行してきた男だった。左手に巻かれた布が、少し赤くなっている。

 男が立ち去ろうとすると、アーノルドが呼び止めた。

「その手を、もう一度見せてこい」

「先に人を呼んでまいります」

「呼ぶのは別の者でもできる。指が動くうちに手当てを受けろ」

 隊長は一瞬だけ困った顔をした。

 それから、そばの兵へ用件を伝え、負傷者のいる方へ歩いていった。

 レオンハルトは、その背を見送った。

「国王は」

「奥の部屋に。侍従と共におられます」

「案内しろ」

 アーノルドが先へ立った。

 アレクも、マティアスに続いて中庭を横切る。

 階段の脇には、洗っても落ちきらなかった血が残っていた。

 そのすぐ横を、書記官が帳簿を抱えて歩いていた。

 ◇ ◇ ◇

 国王のいる部屋へ続く廊下では、ユリウスの兵が近衛から守備を引き継いでいた。

 扉の前にいた侍従は、レオンハルトの姿を見ると、深く頭を下げた。

 だが、取次ぎの言葉はすぐには出なかった。

 これから部屋へ入れる相手を、何と呼ぶべきか迷っているようだった。

「そのまま伝えろ」

 レオンハルトが言った。

「グランヴァルト王レオンハルトが来たとな」

 侍従は頷き、扉の向こうへ消えた。

 しばらくして戻り、横へ退く。

 部屋の奥では、ロスヴァール王が椅子に座っていた。

 卓の上に杯があったが、中身は減っていない。王の片手は肘掛けに置かれ、指先が木へ食い込むほど強く握られていた。

 レオンハルトが入っても、立ち上がらなかった。

 視線だけが動く。

 マティアス、ユリウス、そしてアーノルド。

 最後の一人を見た時、口元が歪んだ。

「よい案内役を得たものだ」

 アーノルドは答えなかった。

 レオンハルトは卓の手前で足を止めた。

「降伏の書状は受け取った」

「ならば、これ以上、何を求める」

「命令を行き渡らせてもらう。王都だけで戦っていたわけではあるまい」

「使者を出すよう命じた」

「出した先と、持たせた命令を確かめる。城と兵、倉の引き渡しもだ」

 王は鼻から短く息を吐いた。

「すべて持っていくつもりか」

「軍を解き、こちらへ引き渡すと記したのは、その書状だ」

 レオンハルトが目を向けると、マティアスは受け取った書状を卓へ置いた。

 封を解いた跡と、王の印が見えた。

 ロスヴァール王はそこを見た後、顔を上げた。

「私は降伏を命じた。王として果たすべきことは果たしている」

「そのことと、戦を始めさせた責任は別だ」

 王の指が止まった。

 アレクは、部屋の入口に近い場所へ立っていた。

 護衛の兵が扉の左右を守っている。外の廊下にも、グランヴァルト兵がいた。

 ここで剣を抜く者はいない。

 それなのに、先ほどまでの中庭よりも息が詰まった。

 マティアスが、書記官から別の包みを受け取った。

 中から取り出したのは、東部から持ってきた記録だった。

「イグナーツの城で確保した、貴国の国境貴族からの書状と、その返書の控えです。こちらは送金と、荷の受け渡しに関する記録になります」

 紙を一度に積み上げず、順に置いていく。

 ロスヴァール王は、最初の書状へ目を落とした。

 目を背けはしなかった。

「国境の領主が隣国と物を売り買いすることなど、珍しくもない」

「穀物を売っただけなら、私どももここまで確かめてはおりません」

 マティアスは、別の紙をその脇へ置いた。

「送られた時期と、受け取った側の記録が合います。東部で兵が集められ、帰還を求める家の兵まで留め置かれていた間に、金と荷が渡っていました」

「それを、すべて私の命令だと言うのか」

「いえ」

 答えは静かだった。

「この書状だけで、貴方が一つ一つの行為を命じたとは申しません。国境の諸侯が決めた範囲と、王城から指示された範囲を分けるため、伺っております」

 王はマティアスを見た。

 すぐに言い返すつもりだったのだろう。だが、口を開いたまま、一度言葉を飲み込んだ。

 レオンハルトが尋ねた。

「我が国の東部が割れたままであれば、都合がよかったか」

「そちらが一つになり、軍を東へ向ければ、こちらの国境が脅かされる」

「それを聞いている」

 王は肘掛けから手を離した。

「国を守るために、備えをするのは当然だ」

「城を直し、兵を置くことならな」

「それだけで防げる相手ばかりではない」

 王の声が強くなった。

「そちらは諸侯を従え、あの武器を揃えていた。南ではカルディアとの戦が続いている。西まで同時に相手にできると思うか」

「できぬから、我が国の諸侯へ金を渡した」

「国境を保つためだ」

 言い終えた後で、王は口を閉じた。

 書記官の筆が動いた。

 その音へ気づいた王が、横目で睨む。

 マティアスは構わず尋ねた。

「東部の諸侯を支え、グランヴァルト王の支配が国境まで及ばぬようにする。その方針は、王城で認められていたのですね」

 沈黙があった。

 レオンハルトは返事を急かさなかった。

 やがて、王が言った。

「国境の向こうまで、そちらの旗で埋められるのを待てと言うのか」

「そのために、我が国の町を焼く者へ力を貸したのか」

 レオンハルトの声が、部屋へ落ちた。

 大きな声ではなかった。

 王は眉を寄せた。

「町を焼けとは命じていない」

「誰が命じたかは、すでに調べた」

 レオンハルトは、卓へ片手を置いた。

「領主を殺し、家族を追い、倉から荷を運び出した者も、その荷を受け取って軍を動かし続けた者もな」

 アレクは、レオンハルトの手を見た。

 卓を叩きはしなかった。

 剣の柄にも触れなかった。

 ただ、置かれた指に力が入っていた。

 ルーカスの町へ着いた時のことが、アレクの頭に浮かんだ。

 燃えた家。

 煙の臭い。

 待っていたと告げた、あの子の声。

 視線を上げると、マティアスも王を見ていた。

「イグナーツに送った物が、どこで何に使われていたか。その報告を、貴方がいつ、どこまで受けていたかを確かめます」

 マティアスは言った。

「使者を取り次いだ者、荷の手配をした者、金を出した者を、お示しいただきたい」

「私を取り調べるのか」

「はい」

 王の顔に、はっきりと怒りが浮かんだ。

 アーノルドへ目を向ける。

「あの男が、お前に何を約束したか知らぬが」

「アーノルド伯の話をしているのではありません」

 マティアスが遮った。

 声を張らなくても、言葉は途切れなかった。

「貴国から東部へ渡った支援について、伺っております」

 王は椅子へ背を押しつけた。

 窓の外で、兵の号令がした。

 聞き慣れた近衛の声ではなかった。

 王はそちらを見たが、すぐに卓へ視線を戻した。

「私だけが、国を守ろうとしたのではない。国境の諸侯も同じ考えだった」

「ならば、その者たちの責任も確かめる」

 レオンハルトが答えた。

「お前一人が認めれば、ほかの者を調べぬという話ではない。逆も同じだ」

「王が国のためにしたことを、勝った者が裁くのか」

「国のためだと言えば、何をしてもよいのか」

 王が口を開いた。

 レオンハルトは、その目を見たまま続けた。

「お前が守ろうとした国の外にも、畑がある。家があり、そこへ帰る兵がいる。そいつらを争わせておけば安全だと考えたのなら、その争いが国境を越えて来た時だけ、国を守ったと言うな」

 誰も口を挟まなかった。

 アレクは、初めてこの部屋へ入った時よりも、王が小さく見えることに気づいた。

 椅子も、着ているものも変わっていない。

 だが、言い終えた後に命令を待つ兵はいなかった。

 マティアスは書記官へ、今のやり取りを記した箇所を読み上げさせた。

 王が認めたこと。

 答えなかったこと。

 焼き討ちの命令は否定したこと。

 それらを混ぜずに読み上げる。

「違う箇所があれば、今、お答えください」

 王はしばらく黙っていた。

 やがて、支援の実務を扱った者を呼べと、侍従へ告げた。

 侍従は頭を下げたが、扉の前で兵に止められた。

 ユリウスが護衛をつけるよう命じる。

 廊下へ出ていく背を見て、王はまた肘掛けを握った。

 レオンハルトは卓から手を離した。

「降伏した兵と民は、交わした条件に従って扱う。お前の処遇は、記録と証言を確かめた上で決める」

 王は顔を上げた。

「その間、私は」

「ここに留まってもらう。勝手に使者を出すことも、兵を呼ぶことも許さん」

 扉の向こうで、足音が遠ざかっていった。

 ◇ ◇ ◇

 話が終わったと思った時、ロスヴァール王がレオンハルトを呼び止めた。

「妻と、息子は」

 それまでとは違う声だった。

 レオンハルトが振り返る。

 王は口元を動かしたが、次の言葉がすぐには出てこなかった。

 代わりに、部屋の隅に控えていた侍従が顔を上げた。

「お二人は、別の居室におられます」

 レオンハルトは侍従を見た後、王へ向き直った。

「今朝の争いには巻き込まれていないな」

「兵を入れさせてはいない」

 アーノルドが答えた。

 王は、その返答を聞いてもアーノルドを見なかった。

「幼い子だ。何も命じていない」

「分かっている」

「妻も、兵を動かすことには関わっていない」

 さっきまで国のためだと言っていた王が、今は二人のしたことと、していないことを分けようとしていた。

 アレクは、グランヴァルトの先王を思い出した。

 衰えた身体で、娘の行く末を案じていた姿。

 王として話している時と、シャルロッテの父親として話している時では、声の聞こえ方が違った。

 目の前の王も、息子について話す時だけ、言葉を選んでいた。

 レオンハルトは答えた。

「妻子を、お前と同じ罪で処刑するつもりはない」

 王の肩が、わずかに下がった。

 だが、その次の言葉を聞くと、再び顔を強張らせた。

「二人はグランヴァルト国内へ移す。暮らす場所と世話をする者はこちらで決め、監督下に置く」

「連れていくのか」

「ここへ残せば、王子の名で兵を集めようとする者が出る」

「子に、そのつもりはない」

「子供のつもりだけで済むことではない」

 王は返せなかった。

 アレクも、その言葉の先を考えた。

 王子が何も望まなくても、旗を持たせる者はいる。

 父の国を取り戻すのだと教え、本人が分からぬうちに人を集める者もいるだろう。

 生かすことと、自由にすることは、同じではなかった。

「母親と離すな」

 王が言った。

 命令の形だった。

 しかし、先ほどのような力はなかった。

 レオンハルトは短く頷いた。

「離して暮らさせるつもりはない。移す時も、無理な旅程は組ませぬ」

 王は、その顔を見つめていた。

 何かを確かめようとしているようだったが、やがて目を伏せた。

「そうか」

 それ以上は言わなかった。

 レオンハルトも、慰める言葉はかけなかった。

 部屋を出る直前、侍従へ告げる。

「二人の居室へは、命じられた者以外を入れるな。必要な物があれば、こちらの担当へ伝えろ」

 侍従は深く頭を下げた。

 扉が閉じる。

 廊下へ出ると、レオンハルトはしばらく何も言わずに歩いた。

 マティアスも、その横で口を閉じていた。

 階段の手前へ来て、ようやくレオンハルトが足を止める。

「記録を押さえろ」

「すでに人を向かわせております」

「国王の言葉だけで済ませるな。責任を押しつけられる者も、王に押しつけて逃げる者も出る」

「一人ずつ、別に話を聞かせます」

 レオンハルトは頷いた。

 その横顔を見て、アレクは、怒りが消えたのではないと分かった。

 あの部屋で剣を抜かなかったのは、忘れたからではなかった。

 ◇ ◇ ◇

 王城の倉を預かる男は、鍵束を両手で持って立っていた。

 指が震え、鍵同士が小さな音を立てている。

 マティアスが受け取る者を呼ぶと、男はすぐに差し出そうとした。

「どの鍵が、どの扉のものですか」

 問われ、男の手が止まった。

「こちらが西の倉で、こちらが地下の……」

「順に案内してください。帳簿を持つ者も一緒に」

 鍵を渡しただけでは終わらないと分かると、男はかえって少し落ち着いたようだった。

 自分がするべきことを、ようやく見つけたのかもしれない。

 近くでは、近衛の隊長たちが名を呼ばれていた。

 剣を預け、配下の人数と持ち場を告げる。

 腕に厚く布を巻いた男が、一人だけ椅子へ座らされていた。

 アーノルドがそばへ行くと、男は顔を上げた。

「王城まで明け渡したか」

「陛下が、降伏を命じられた」

「そうさせたのだろう」

 アーノルドは、しばらく男を見た。

「ああ」

 男の顎に力が入った。

 アレクは足を止めかけたが、マティアスがわずかに手を動かした。

 そのまま待つ。

「私の隊の負傷者は」

 男が尋ねた。

「中庭の東側へ集めている。運べぬ者には、こちらから人を向かわせた」

「名が分からぬ者は、私へ知らせろ。顔を見れば分かる」

「そうする」

 男はアーノルドから顔を背けた。

 許したのではなかった。

 それでも、兵を探すための言葉は交わされた。

 マティアスは、そばの書記官へ命じた。

「その隊の名簿を、ここへ持ってこい。尋ねる時は、一度に何人も取り囲むな」

 書記官が駆けていった。

 アレクは階段を下りながら、中庭へ目を向けた。

 血の残った石畳の上を、荷と書類が行き来している。

 王を捕らえれば終わると思っていたわけではない。

 だが、城を受け取るとは、これほど多くの者へ別々の命令を出すことなのだと、目の前で見て初めて分かることもあった。

「アレク」

 マティアスが呼んだ。

「隊へ戻れ。広場の兵が動けば、通りも詰まる。入れ替える時は、先に知らせるよう伝えておく」

「承知しました」

「兵は休ませてよい。ただし、一度に全員休ませるな。水も順に取らせろ」

「はい」

 アレクは頭を下げ、王城の門へ向かった。

 ◇ ◇ ◇

 広場へ戻ると、鉄砲隊は同じ場所にいた。

 ギルベルトが歩み寄ってくる。

「変わりありません。東側へ負傷者を運ぶ道を空けています」

「こちらの兵ですか」

「ロスヴァールの兵です。王城から出てきました」

 アレクは頷いた。

「隊を順に休ませてください。水を飲ませて、馬の様子も確かめましょう。王城の引き渡しが進んでいます」

 ギルベルトが兵へ命令を伝えに行った。

 銃を支えたまま、肩の力を抜く兵がいる。

 腰を下ろした男が靴の中へ指を入れ、小石を取り出した。長い間踏んでいたらしく、それを見てから苦い顔で投げ捨てる。

 隣の兵が水袋を差し出した。

 アレクは馬のいる方へ歩いた。

 手綱を預けていた兵から様子を聞き、首筋へ手を置く。馬は一度耳を動かし、差し出された水へ鼻を寄せた。

 その向こうで、先ほど息子を探していた男が、書記官と話していた。

 王城から来た兵が何か告げると、男は両手で顔を覆った。

 アレクは足を止めた。

 書記官が男の肩へ手を置く。

 それから、負傷者を集めている方へ向かって歩き出した。

 男も、よろめくように後を追った。

 息子がどのような状態なのかまでは分からなかった。

 アレクは尋ねなかった。

 馬の首から手を離し、隊へ戻る。

 王城の正門から、グランヴァルト兵が数人出てきた。

 一人が巻いた旗を抱えている。

 それを見た兵たちが、顔を上げた。

 正門の上では、ロスヴァールの旗が風を受けていた。

 兵が綱へ手をかける。

 布がゆっくり下がり始めた。

 広場を横切っていたロスヴァールの元守備兵が、立ち止まった。

 武器は持っていない。

 そばのグランヴァルト兵に先へ進むよう言われるまで、下りてくる旗を見つめていた。

 降ろされた旗は、地面へ投げられなかった。

 二人の兵が受け取り、石の上で畳む。

 代わって、黒い布が広げられた。

 風を受けた端が持ち上がり、金の獅子が見えた。

 鉄砲隊の後ろで、小さく声が漏れた。

 綱が引かれる。

 黒獅子の旗が、王城の門の上へ上がっていく。

 アレクは首を上げた。

 初めてレオンハルトの軍を見た時も、あの獅子が兵の上で揺れていた。

 その旗に従って戦い、領地へ戻り、また兵を連れて出た。

 今は、別の国の王城に掲げられている。

「上がったぞ」

 誰かが言った。

 隣の兵が笑った。

 大声ではなかった。疲れた顔のまま、ただ口元を緩めていた。

 ギルベルトも門の上を見ていた。

「ここまで来ましたな」

「ええ」

 アレクは答えた。

 それ以上の言葉が、すぐには見つからなかった。

 歩いてきた道の途中には、戻らなかった兵がいる。

 いま隣で旗を見ているはずだった顔も、思い浮かんだ。

 それでも、目の前の兵が笑ったことを、止めたいとは思わなかった。

 アレクは銃を持って立つ兵へ目を向けた。

「交代が来たら、ちゃんと休んでください。今日は、食事を急いで飲み込む必要はなさそうです」

 兵が少し驚いた顔をした後、笑った。

「冷める前に食べられると、ありがたいです」

「それも、伝えておきます」

 そばの二人も肩を揺らした。

 広場の緊張が、ほんの少しだけ緩んだ。

 王城の門では、次の仕事を命じられた兵が外へ出てきていた。

 ◇ ◇ ◇

 日が西へ傾き始めた頃、王城の一室で、まだ引き渡しを受けていない城と、そこへ続く街道を記した図が広げられた。

 国王の居室ではなかった。

 政務に使っていた部屋の一つで、卓の上にあった物を片側へ寄せ、グランヴァルトの書記官が紙を並べていた。

 レオンハルトは、王都から延びる道を見ていた。

 マティアスとユリウス、その向かいにアーノルドが立つ。

 アレクは鉄砲隊の待機状況を報告するために呼ばれ、そのまま控えていた。

「王都の門は、すべてこちらの兵が引き継ぎました」

 ユリウスが告げた。

「城壁は交代を続けています。城内に入れた兵は六千のままです。城外の陣から、勝手に入ろうとした者もおりません」

「よし」

 レオンハルトは、図の南側へ目を向けた。

「こちらの城へ命令を届けるには、何日かかる」

 アーノルドが道を指した。

「この街道を使えば早く届きます。ただし、王都が落ちたという知らせだけでは、城主が書状を疑うかもしれません」

「国王の印だけでは足りぬか」

「足りる者もおります。ですが、敵に奪われた印だと言い張る者もいるでしょう。命令を持つ者の顔が知られていれば、確かめやすくなります」

 マティアスが尋ねた。

「各地の城主に顔を知られている使者を出せますか」

「名を挙げます」

「こちらの者を同行させます。引き渡しの条件を勝手に変えられても困りますので」

 アーノルドは頷いた。

「南の兵へは、私からも書状を添えます。国王の命令に従って戦を止め、指示が届くまでは隊を散らさぬように」

「兵糧を持って逃げる者が出ぬようにしろ」

 レオンハルトが言った。

「村へ押しつけることも許さん。武器を置く者には、そのための道を用意する。だが、倉を焼いて去る者は別だ」

 書記官の筆が動く。

 城ごとに使者が決められ、通る街道が確かめられていった。

 国王の命令書だけでなく、受け取った城主が返事を戻すための支度も整えられる。

 マティアスは別の紙を取った。

「カルディアへも、王都で降伏の命令が出たことを知らせます」

「そうだな」

「使者には、現在押さえている城と土地を、書面で示すよう求めさせます」

 レオンハルトは顔を上げた。

「王都が降った後まで、都合よく戦を続けさせるな」

「承知しております」

 アーノルドは二人のやり取りを聞いていた。

 何かを言いかけたが、口を閉じる。

 レオンハルトはそれを見逃さなかった。

「南の城が心配か」

「兵が命令を待つ間にも、相手が進む可能性はございます」

「そのために知らせる。お前の兵にも、勝手に戦を広げるなと伝えろ。降伏を命じておいて、守るべき者を置き去りにはさせぬ」

 アーノルドは、ゆっくり頭を下げた。

 窓から差す光が、卓の端まで伸びていた。

 外では、王城の守備を交代する号令が聞こえる。

 アレクは窓へ目を向けた。

 広場の南側に、鉄砲隊の列が見えた。林檎の花の旗は、兵と馬の間で揺れている。

 その上に、王城へ掲げられた黒獅子の旗があった。

 レオンハルトが、書き終えた命令へ目を通した。

 一枚ずつ確かめ、印を押させる。

 それを受け取った使者が、膝をついた。

「各地へ届けます」

「急げ」

 レオンハルトは命じた。

「まだ戦っている兵に、戦が終わったことを知らせてこい」

 使者が立ち上がり、部屋を出ていった。

 続いて別の使者が書状を受け取る。

 王城を出た馬が、広場を横切っていく音がした。

 アレクはその音を聞きながら、卓の上に残された紙へ目を戻した。

 城と兵を引き渡すための命令書は、少しずつ減っていた。

 東部から持ってきた記録は、まだマティアスの手元に残っていた。

第二十話を読んでいただき、ありがとうございました。

王城に旗を掲げた後にも、兵を守り、各地の戦を終わらせる仕事が残っています。

そして、レオンハルトたちは東部の争いを招いた責任と向き合います。


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