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『知らない世界で、前世の知識が武器になる』 ~剣と銃で乱世を生き抜く転生領主の成り上がり~  作者: 相田 ソウ
第七篇 乱世を越える黒獅子

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第十八話 王都へ集う旗

お読みいただき、ありがとうございます。

ロスヴァールの王都を前に、城壁の内と外で、それぞれの思惑が動き始めます。

 ロスヴァールの王城で、国王は肘掛けをつかんだまま、膝をつくアーノルドを見下ろしていた。

「降伏せよと申したか」

「はい」

 広間の両側に並ぶ重臣たちの間で、衣擦れの音がした。

 アーノルドは顔を上げたまま、言葉を続けた。

「西の軍は敗れ、多くの城が失われました。南ではカルディアが兵を引いておりません。今ここで戦を終えることができれば、残る兵と民を守れます」

「余が敵へ頭を下げれば、すべて元に戻るとでも思っているのか」

「元には戻りません。だからこそ、これ以上失う前に御決断いただきたいのです」

 王の眉が動いた。

 アーノルドの後ろで、誰かが小さく息を吸った。

「黒獅子は、余の命すら保証しておらぬ」

「承知しております」

「承知していて、降れと申すか」

 声が鋭くなった。

 アーノルドは、その怒りから目を逸らさなかった。

「陛下のお命を、軽く考えているのではございません」

「では、何を考えている」

「この先、王都を守るために使う兵と食料で、何を成し遂げられるかを考えております」

 王は、ゆっくりと背を起こした。

「敵を退ける。それ以外に何がある」

「城壁で敵を止めることと、この国から退かせることは、同じではございません」

 広間が静かになった。

 アーノルドは、床へ置いていた手を握った。

「包囲に耐える間に、外から敵を攻める軍を集められるのでしょうか。兵糧の尽きる前に、敵を退かせる見込みはございますか」

「敵とて、いつまでも軍を養えるわけではあるまい」

 王はすぐに答えた。

「城を取るたびに兵を残し、荷を守らせている。ここまで進んでくる兵が、国境を越えた時と同じ数であるはずがない」

 その言葉には、間違っていない部分があった。

 攻略した城を守る者が必要になる。街道を押さえ、捕虜を見張り、負傷者を運ぶ者もいる。進軍を続けるほど、先頭の軍から兵が減っていく。

 アーノルド自身、それを見越して敵の動きを読むことがあった。

 だが、敵が減った兵をそのままにしておくとは限らなかった。

「相手が兵を集め直す前に、条件を話すべきです」

「弱いと思われている今、何を話しても奪われるだけだ」

 王は言い切った。

「城壁で止めよ。門へ近づいた兵を倒し、ここを取るには代償が大きいと思わせるのだ。その後であれば、黒獅子も話を聞く」

「そのために失う兵を、補う当てがございません」

「失わずに戦えとは命じておらぬ」

 王の言葉に、アーノルドの口が閉じた。

 両側の重臣は、誰も顔を上げなかった。

 王は肘掛けから手を離し、膝の上へ置いた。

「城を守り、敵に諦めさせる。そのために、そなたを呼び戻したのだ」

 アーノルドは、王を見た。

 南で兵を西へ送れと命じられた時も、残った兵で守るほかなかった。今度は、失われた軍の代わりに、王都の城壁で敵を止めろという。

 その役目を任せられること自体は、将としての信頼なのだろう。

 だが、何のために耐え、どこまで耐えるのかを問うことは、許されなかった。

「城壁と市中の守備は、そなたに任せる」

 王が続けた。

「各隊の指揮官へも伝える。必要な修繕と配置替えを急げ。王城の近衛は、これまでどおり余の下に置く」

「……承知いたしました」

「降伏の話を、兵の前ですることは許さぬ」

 アーノルドは頭を下げた。

 立ち上がった時、膝に痛みが走った。思っていたより長く、同じ姿勢でいたらしかった。

 広間を下がる途中、一人の重臣と目が合った。

 男は何かを言いかけたが、王の方へ視線を動かし、結局、口を閉じた。

 扉の外へ出ると、近衛の兵が左右に立っていた。

 磨かれた鎧と、揃った槍。

 王城を守る兵の姿を見ながら、アーノルドは足を止めずに歩いた。

 ◇ ◇ ◇

 グランヴァルト軍の陣では、王都へ通じる街道の報告が地図の上へ集められていた。

 アレクが天幕へ入ると、ユリウスが地図の南側を指していた。

「この道から進めば、王都の南へ回れます。ただし、途中の橋を押さえる必要があります。西の街道だけを見て進めば、横から荷を狙われかねません」

 レオンハルトが頷いた。

 机の向こうにはマティアスがおり、横には書記が控えている。

 アレクは一礼して、その隣へ立った。

「今、前へ進められる兵を言え」

 レオンハルトが命じた。

 書記が手元の記録を開く。

「八千五百三十三人です」

 ユリウスが率いて合流した兵も含む数だった。

 大きな野戦で勝利してからも、軍は減り続けていた。討ち取られた者や負傷して離れた者だけではない。城を守るために残った隊も、街道を見張るために分かれた隊もいた。

 アレクは地図に置かれた印を見た。

 進んできた道のあちこちに、自分たちの兵がいる。

 それが、ここまで荷車を通せる理由でもあった。

「王都の門を攻める兵だけなら、揃えられます」

 マティアスが言った。

「ですが、街道を押さえ、出撃にも備えるとなれば、余裕がありません。攻める隊を厚くすれば、ほかが薄くなります」

「南に残した兵を、呼び戻すことはできます」

 ユリウスが続けた。

「ただし、そのまま抜けば、城と荷の守りが空きます」

「どれだけ戻せる」

「守備の交代ができれば、二千五百を。城へ置いた千五百は維持し、街道と荷駄を守る三千五百から戻します。そちらにも千は残せます」

 レオンハルトは、地図から顔を上げた。

「ならば、交代の兵を送らせる」

 マティアスが書記へ目を向けた。

「本国から、でしょうか」

「ああ。各地へ残した兵を集め直す。王都を落とすための軍を、ここで揃える」

 アレクは、西へ延びる街道を見た。

 本国からの道は長い。命令を届け、兵を集め、食料を積んで送り出す必要がある。

 それでも、城を空にして兵だけを呼び寄せるより、確かな方法だった。

「奪った城を失うために、王都を攻めるのではない」

 レオンハルトの指が、後方の城を示す印へ触れた。

「守りを引き継がせろ。その上で、兵をこちらへ集める」

 マティアスは、別の紙を机へ広げた。

 各地の配置が書かれている。

「後方の城と捕虜の管理などに置いた六千から、三千。ユリウス殿の南側から、二千五百」

 書記の筆が動く。

「その後に取った要衝と、東へ進む途中の城や街道には、合わせて二千二百を残しています。そこから千五百を戻すなら、交代に必要な兵は計七千です」

「七千を出させる」

 レオンハルトが答えた。

「王家の残留部隊と、諸侯が本国で用意できる兵を合わせよ。ただし、国内の守りまで空にするな」

「将校と、守備に慣れた兵も必要になります」

「付けさせろ。集めたばかりの兵だけを送り、門と倉の鍵を渡して済ませるつもりはない」

 ユリウスが地図を自分の方へ寄せた。

「南側への命令は、私から出します。どの隊を戻すかも選びます」

「任せる。本隊へ戻す者と、現地に残す者を決めておけ」

「承知しました」

 アレクは、紙に並んだ数を見た。

 七千が戻れば、一万五千を超える。

 その数であれば、攻める場所を選びながら、敵の動きに応じる兵も残せる。鉄砲隊を城壁の一か所へ向けている間に、別の門から出た敵へ陣を荒らされる危険も減らせるはずだった。

「鉄砲隊は」

 レオンハルトに尋ねられ、アレクは顔を上げた。

「八百九十五人です。集結する歩兵と一緒に動けるよう、隊長たちと確認します。城壁へ近づく隊を援護する場合も、先に射線を決めておきたいです」

「砲は四門とも使えるか」

「砲手と職人が点検しています。運ぶ道も、車輪が通れるか確かめさせています」

 レオンハルトは頷いた。

 マティアスが、机の脇へ置いていた書状を取った。

「アーノルド殿との話し合いは、その間も続けます」

「進めろ」

 レオンハルトは短く答えた。

「だが、あの男が動かなければ攻められぬ軍にはするな」

「承知しております」

「王が降れば、無駄に兵を死なせずに済む。降らぬなら、落とす。その支度は止めん」

 書記が、新しい紙を取り出した。

 その日のうちに、王の印を押した命令書を携えた騎兵が、西へ出発した。

 ◇ ◇ ◇

 ロスヴァール王都の西門では、木材を運ぶ荷車が列を作っていた。

 アーノルドは、城壁へ上がる階段の下で足を止めた。

 荷車の車輪が階段の入口へかかり、兵が横をすり抜けている。上から降りてきた者と、資材を抱えて上がろうとする者がぶつかり、怒鳴り声が上がった。

「車を寄せよ。階段の前を空けろ」

 近くの兵が振り返る。

 アーノルドが指さすと、御者が慌てて手綱を引いた。

「荷を受け取る者は下へ置け。上まで一人で運ばせるな」

 隊長が兵を呼び、階段の途中にも人を立たせた。

 木材が順に渡され始めると、上り下りする者が減った。アーノルドは、その横を通って城壁へ上がった。

 西には、畑と街道が広がっていた。

 遠くに小さく見える騎兵は、王都から出したロスヴァール軍の斥候だった。まだグランヴァルトの大軍が城下へ押し寄せたわけではない。

 だが、荷車の来なくなった道があった。

 西の城から届くはずの報告も途切れている。

 敵が見えない場所でも、王都へ届く物は減り始めていた。

 城壁の上には弓と槍が運ばれ、古い盾が並べられていた。槍を持つ若者が、隣の兵の動きを見ながら場所を変える。

 その拍子に穂先が揺れ、後ろの男が身を引いた。

「槍を立てよ。人のいる方へ倒すな」

 アーノルドが言うと、若者は顔を赤くした。

「申し訳ございません」

「ここへ来て、何日だ」

「三日です」

 アーノルドは隊長を見た。

「弓兵が前へ出る時、この者たちはどう動く」

「後ろへ下がらせます」

「どこへ」

 隊長は、城壁の内側へ目を向けた。

 そこには矢束と石を入れた籠が積まれていた。

 人がすれ違うだけの幅しか残っていない。

「先に、下がる場所を作れ。敵が来てから押し合えば、味方の槍で傷を負う」

「はっ」

 隊長は、すぐに資材の移動を命じた。

 アーノルドは若者の横にいる年長の兵へ向き直った。

「この者を一人で動かすな。初めは、そなたの隣へ置け」

 年長の兵が頷いた。

 若者は、槍を握り直した。

 その日の夕方、アーノルドは各隊長を集め、改めて人数を確認した。

 王都で配置に就ける兵は、王城の近衛を含めて五千八百。

 そのうち千二百は王直属の近衛であり、アーノルドが自由に動かせる兵ではなかった。

 城壁、城門、市中の守りに使えるのは四千六百。この中には、南から連れてきた二百も含まれている。

 さらに調べると、四千六百のうち二千二百は、今回集められた者だった。

 槍を持つことに慣れていても、隊で動いたことがない者が多い。

「同じ百人でも、できることは違う」

 アーノルドは隊長たちへ言った。

「数を多く見せるために、集めた者を端から城壁へ並べるな。慣れた兵を分けて付けろ。門の近くには、命令を受けて動ける隊を残す」

「城壁が薄くなります」

 一人が言った。

「動かせる兵をすべて城壁へ置けば、敵が別の門へ回った時に誰を向かわせる」

 男は答えられなかった。

 アーノルドは、責めずに地図へ指を置いた。

「ここからなら、二つの門へ出せる。集まる場所を決め、各門からの伝令を通せ。兵を増やせぬなら、同じ兵を無駄なく動かす」

 隊長たちは、地図へ身を寄せた。

 アーノルドは一人ずつ役目を定め、隣の隊と接する場所も確かめた。門を閉じる者と、外へ出した斥候を迎え入れる者が別々の命令を受けていた箇所は、その場で改めさせた。

 会議が終わる頃には、外が暗くなっていた。

 最後まで残った西門の隊長が、紙を畳みながら言った。

「兵が、少し落ち着きました」

「敵は、まだ来ておらぬ」

「来た時に何をすればよいか、それが分かっただけでも違います」

 アーノルドは男を見た。

 昼間、新兵を城壁へ並べていた隊長だった。

「閣下」

 男は扉の方を確かめ、声を落とした。

「陛下へ、降伏を勧められたという話を聞きました」

 アーノルドは答える前に、残っていた書記を下がらせた。

 扉が閉じてから、男へ向き直る。

「誰に聞いた」

「王城へ物資を受け取りに行った者からです」

 広間で交わした言葉は、すでに外へ漏れていた。

 アーノルドは否定しなかった。

「勧めた」

「それでも、守りを整えられるのですか」

「整えねば、敵が来た時に兵が死ぬ」

 隊長は、手元の紙を見た。

 そこには、アーノルドが定めた配置が書かれている。

「私の隊には、王都に家のある者が多くおります」

「ああ」

「逃げるつもりはないと申しております。ですが、何日守ればよいのかと聞かれると、私には答えられません」

 アーノルドも、すぐには答えられなかった。

 男は頭を下げた。

「どうか、あの者たちのこともお考えください」

 その願いを残し、隊長は退出した。

 アーノルドは一人になってから、机の引き出しを開いた。

 マティアスからの書状が、兵の名簿と共に収められていた。

 ◇ ◇ ◇

 レオンハルトの命令を届けた騎兵が本国へ着き、残留部隊と諸侯の兵を集める命令が各地へ回った。

 国境や主要な城の守備を確かめながら、送り出す隊が選ばれた。兵だけでなく、隊を率いる将校と、荷を運ぶ御者、予備の車輪や馬も揃えられた。

 七千の兵は、一つの城へ集まってから出発したのではなかった。用意のできた隊から街道へ入り、途中の集結地でまとまり、西部の占領地へ向かった。

 その間も、前線からの報告は本国へ運ばれた。

 降った城の場所。

 通れる橋と、修繕を要する道。

 次に兵を置くべき倉と、捕虜を移す先。

 マティアスの下でまとめられた記録は、援軍を迎える城にも届けられた。

 命令が出た翌日に、前線の兵が増えることはなかった。

 最初の交代報告が届くまでに日が重なり、すべての隊が持ち場へ着くには、さらに時間が必要だった。

 ある城では、本国から来た隊長が、城門の上で古参の兵に道を教わっていた。

「あの林の脇へ、夜も見張りを出している」

 古参の兵が、城の南西を指した。

「街道から外れて荷を運ぼうとする者がいる。敵兵とは限らん。村へ帰る者もいるから、見ただけで矢を射させるな」

 新しい隊長は頷き、下に立つ自分の部下へ伝えた。

 門を下りると、次は倉へ向かった。

 鍵を受け取る前に、記録と袋の数を確かめる。捕虜を収容した建物では、人数だけでなく、誰を分けているか、負傷者はどこにいるかも聞いた。

 前へ戻る隊の兵は、広場で荷をまとめながら、その様子を見ていた。

「今日、出るのではなかったのですか」

 一人が隊長へ尋ねた。

「夜の見回りまで引き継ぐ。出るのは明朝だ」

「もう兵は着いておりますが」

「着いたことと、ここを守れることは別だ」

 隊長は、門の方へ目を向けた。

 この城を取ってから、兵たちは同じ階段を何度も上り、同じ道を見張ってきた。倉の屋根が雨を通す場所も、荷車が曲がりにくい角も知っている。

 そのすべてを、新しく来た者が一目で覚えられるはずはなかった。

「残る者にも、頼んである。今夜は一緒に回れ」

 兵が返事をした。

 翌朝、交代を終えた隊が城門を出た。

 前へ向かう列を、城壁に残った兵が見送っている。

「戻ったら、話を聞かせろよ!」

 声を掛けられた兵が、肩越しに手を上げた。

「ここを取られるなよ!」

「取らせるか!」

 笑い声が上がった。

 門は、列が通り終えてから閉じられた。

 内側では、新しい守備隊が持ち場へ向かっていた。

 ◇ ◇ ◇

 レオンハルトが本国へ命令を送ってから、三週間余りが過ぎた。

 グランヴァルト軍は、確保した城と街道を使いながら集結を進め、王都の西へ陣を移していた。城壁の弓が届く場所までは近づかず、荷を受け取れる道と水場を確保している。

 王都の南へ回る道にも、ユリウスが送った騎兵が出ていた。

 橋を見張り、敵の斥候を追い払う。だが、見えなくなった敵を深追いせず、戻って道の様子を報告した。

 その日の昼前、アレクはギルベルトと共に、鉄砲隊を並べられる場所を見ていた。

 街道の脇には緩い起伏があり、低い場所へ下りると、前方の畑が見えなくなる。

「ここへ並べると、前の歩兵が下がってきた時に重なります」

 アレクが言った。

 ギルベルトは、少し高い場所へ歩いて上がった。

「こちらなら、横へ抜ける道を空けられます」

「歩兵の隊長にも見てもらいましょう。鉄砲隊だけで決めると、荷車を通す道まで塞いでしまいます」

 アレクが振り返った時、南西の街道に旗が見えた。

 初めは、見回りに出た騎兵が戻ってきたのだと思った。

 だが、旗の後ろに続く列が長かった。

 槍の穂先が、陽を受けて並んでいる。列の間には荷車が入り、歩く兵の頭が道の曲がり角の向こうまで続いていた。

 近くの見張り台から、到着を知らせる声が上がった。

 アレクが陣の入口へ戻ると、ユリウスが馬を進めていた。

 街道の先を見た途端、その口元が緩んだ。

「あの旗か」

 先頭の騎兵が速度を落とす。

 その後ろから来た隊長が馬を下り、ユリウスの前へ進み出た。

「城と街道の引き継ぎを終え、戻りました」

「遅かったな」

「夜の見回りまで、付き合わせましたので」

「それでよい」

 ユリウスは、隊長の肩へ手を置いた。

「兵は」

「本日着くのは千です。後続の千五百も、交代を終えて向かっております」

「荷は道を塞がぬよう分けろ。兵には、先に水を飲ませよ」

「承知しました」

 隊長が振り返って命令を伝えた。

 歩兵の列が、陣へ入る道と荷車の道に分かれていく。

 アレクは、その中に見覚えのある盾を見つけた。

 縁が欠け、補強の板が打たれている。

 盾を背負っていた兵もアレクに気づき、隣の男の袖を引いた。

「鉄砲の子爵様だ」

 呼ばれた男が顔を上げた。

「今度も、あの音を聞けるんですか」

 アレクは、足を止めた兵たちへ近づいた。

「必要なら撃ちます。その時は、また前を守ってください」

「任せてください。撃つ前には教えていただければ」

 男が答えると、隣の兵が笑った。

「前にも教わっていただろう」

「分かっていても、驚くものは驚く」

 アレクも笑った。

 野戦の後、別の持ち場へ分かれた者たちだった。泥の付いた靴も、日焼けした顔も変わっていないように見えたが、背負う荷には修繕の跡が増えていた。

「道は、どうでしたか」

「後ろから荷が来ております。橋も直っていました」

 兵は、自分たちが歩いてきた方を指した。

「ただ、途中の城で足を止められました。先へ行く荷車が多くて」

「こちらへ運ぶ分です。弾も、食料も」

「それなら、待った甲斐があります」

 隊長の呼ぶ声がした。

 兵たちは一礼し、仲間の列へ戻っていった。

 アレクは、その背を見送った。

 城や街道へ兵を残すたび、前へ進む軍は薄くなっていた。

 その兵が、今は戻ってくる。

 置き去りにしたのではなく、それぞれの仕事を終えて、次の戦場へ来たのだと思った。

 翌日には、西の街道から別の隊が着いた。

 捕虜の見張りを引き継いだ者たちだった。

 その次には、荷置き場と橋を守っていた隊が来た。大砲で門を破った要衝からも、城と町の守りを交代した兵が到着した。

 陣の外側へ杭が打たれ、天幕の列が伸びた。

 夕方になると、炊事の煙が以前より広い範囲から上がった。水を運ぶ者が行き交い、鍋を下ろす場所を巡って小さな言い争いも起きた。

 ロベルトは、荷車を止めようとした兵を呼び止めた。

「そこは明日の荷が通る。鍋を置くなら、もう少し奥だ」

「空いているように見えましたが」

「通すために空けてある」

 兵が慌てて仲間を呼んだ。

 アレクは、運ばれていく鍋を避けながら歩いた。

 兵が増えるということは、槍と剣が増えるだけではなかった。食事を作り、眠り、怪我を手当てする場所も増やさなければならない。

 大きくなった軍を動かすために、陣の中でも多くの者が働いていた。

 最後の交代部隊が着いた翌朝、各隊の報告が揃った。

 レオンハルトの前で、書記が人数を読み上げる。

「後方の守備から三千。ユリウス様の南側の部隊から二千五百。要衝と、その先の城、街道から千五百。合わせて七千、集結を確認しております」

 マティアスが、元の記録へ目を落とした。

「王都へ向ける兵は、一万五千五百三十三人になります」

 鉄砲隊八百九十五人も、その中に含まれていた。

 新しく本国から来た七千は、各地の守備を引き継いでいる。王都の前へ集まったのは、その交代によって持ち場を離れた兵たちだった。

 レオンハルトは天幕の外へ目を向けた。

 風を受け、いくつもの旗が揺れている。

「各隊に伝えよ」

 集まった将たちが顔を上げた。

「ここまで城を守り、道を守った働きも、俺は聞いている。剣を振るった者だけで、この軍が王都まで来たわけではない」

 ユリウスが、静かに頷いた。

「揃った兵を、無駄には使わん。持ち場と合図を確かめろ。王都の前で、味方同士の道を塞ぐことがないようにしろ」

 将たちが返事をした。

 その声が重なった時、アレクは、軍が再び大きな力を取り戻したことを感じた。

 ◇ ◇ ◇

 ロスヴァール王都の西の城壁からは、グランヴァルト軍の旗が見えた。

 弓では届かない。

 だが、目を凝らせば、天幕の間を動く兵の列まで分かった。

 西門の隊長は、城壁の上へ出てきたアーノルドに一礼した。

「南側でも、新しい隊を見たとのことです」

「昨日の斥候の報告にあった隊か」

「別の旗だと申しております」

 アーノルドは、城壁の狭間から外を見た。

 初めに陣が置かれた場所より、敵のいる範囲が広がっていた。西の街道へ続く荷車の列も途切れていない。

 兵を各地へ残しているから、王都へ来る軍は多くない。

 王は、そう言った。

 実際、先に姿を見せた軍だけであれば、すべての門と街道を押さえながら攻めることは難しかっただろう。

 だが、グランヴァルトは、その数で攻め始めなかった。

 待っている間に、軍を集め直していた。

「どこから、これほど」

 隊長が呟いた。

 アーノルドは、街道を見たまま答えた。

「後ろを守る兵が着いたのだろう」

「本国からの増援ですか」

「それで城の守りを交代すれば、前へ出せる兵が戻る。西の城を取った後も、道を保ってきたのは、そのためでもある」

 隊長は口を閉じた。

 城壁の下から、矢束を運ぶ兵の声が聞こえた。

 アーノルドは振り返り、階段を上がってきた若者を見た。

 アーノルドが王都へ戻ったばかりの頃、城壁の上で槍を倒しかけた若者だった。

 今は矢束を抱え、隣の兵と順に渡している。命じられた場所を覚え、慌てず動けるようにはなっていた。

 それでも、城壁の外にいる軍と同じ経験を持つわけではない。

 隊長も、その若者へ目を向けた。

「閣下」

 声が低くなった。

「これほどの軍を退けたとして、その後はどうなるのでしょうか」

 アーノルドは答えず、もう一度、敵陣を見た。

 その日のうちに、彼は王へ兵の増加を報告した。

 王は、机に広げられた地図へ手を置いた。

「増えたのなら、なおさら門を固めよ」

「敵は、攻める兵と街道を押さえる兵を分けられます。城門の前で一隊を退けても、それで包囲は解けません」

「まだ攻めてもおらぬうちから、負けた後の話をするな」

「負けた後では、選べなくなります」

 王の顔が険しくなった。

 アーノルドは、それ以上、声を強めなかった。

「城壁へ兵を置く準備は進めております。ですが、戦を終える御判断は、陛下にしかできません」

「余は、守れと命じた」

 王は地図から手を離した。

「命令を変えるつもりはない」

 アーノルドは頭を下げ、広間を退いた。

 今度は、途中で足を止めなかった。

 宿所へ戻ると、南から共に来た隊長を呼んだ。

 机の上には、すでに二通の書状が置かれていた。

 一通は、マティアスから届いた返書だった。話し合いには応じるが、王の考えが変わるのを無期限に待つことはできないと記されている。

 もう一通は、アーノルド自身が書きかけていたものだった。

「西へ出てもらう」

 隊長は、机の紙へ目を落とした。

「クレーマー伯爵のもとへ、でしょうか」

「ああ」

「何を、お伝えすればよろしいでしょうか」

 アーノルドは書きかけの紙を手元へ寄せた。

「条件を確かめる。その返事を持ち帰れ」

 隊長は、しばらく黙っていた。

 やがて、顔を上げる。

「陛下は」

「抗戦を続けると仰せだ」

 隊長は、それ以上尋ねなかった。

 アーノルドは筆を取り、書状の続きを記した。

 ◇ ◇ ◇

 数日後、グランヴァルト軍の見張りへ、白い布を掲げた騎兵が近づいた。

 アーノルドの配下の隊長と、護衛二人だった。

 王都から城外偵察の一隊に加わって出た後、別行動を取ってきたという。マティアスが返書に記しておいた接触先を訪ね、そこから案内の兵と共に来たのだった。

 受け入れる側にも、事前に指示が出ていた。

 見張りは書状の封と名を確かめ、三人を陣の奥へ直接通さず、待たせる場所へ案内した。

 マティアスは、レオンハルトへの報告を済ませてから、隊長と会った。

 アレクも同席を許された。

 天幕へ入ってきた男は、机の手前で立ち止まり、一礼した。腰に剣はなかった。

「アーノルド・フォン・ケッセルハイムの命により、参りました」

「遠いところを御苦労だった。掛けてほしい」

 マティアスが椅子を示した。

 隊長は腰を下ろし、外套の内側から書状を取り出した。

「閣下は、国王へ重ねて進言されました。ですが、御判断は変わっておりません」

 マティアスは封を確かめ、紙を開いた。

 読み進める間、隊長は両手を膝へ置いて待っていた。

 アレクは、その指にある古い傷を見た。剣を握ってきた者の手だった。

「兵と民を守る条件について、確かめたいとある」

「はい」

 マティアスが顔を上げた。

「まず、そちらの求めることを聞こう」

 隊長は、言葉を選びながら話し始めた。

 王都の住民へ略奪を働かないこと。

 降伏して武器を置く兵を、その場で殺さないこと。

 負傷して戦えない者を見捨てないこと。

 城内の軍と城外の軍が、互いに相手の動きを誤解して戦い始めないようにすること。

 マティアスは、途中で口を挟まずに聞いた。

 隊長が話し終えると、書記へ記録を確かめさせた。

「住民への略奪は禁止する。武器を置いて降伏した兵を、抵抗している者と同じには扱わない。負傷者への手当ても行う。これは、陛下の御意向だ」

 隊長の肩が、僅かに下がった。

「ただし、軍の武器と倉は引き渡してもらう。降伏を装って攻撃する者や、武装したまま命令に従わない者まで、見逃すことはできない」

「承知しております」

「また、降伏することで、それまでの行為がすべて不問になるわけではない。責任を調べる者と、一般の兵は分ける」

 隊長は頷いた。

 マティアスは、書状へ目を落とした。

「国王の助命を求める文は、ないのだな」

 男の指が、膝の上で動いた。

「そのお約束がないことは、閣下も御承知です」

「後で聞いていなかったということにはできない」

「はい」

 返事は小さかったが、はっきりしていた。

 アレクは、机の上の書状を見た。

 民と兵を守るための条件が、いくつも並んでいる。

 だが、王についての答えは、そこには書かれていなかった。

 マティアスは紙を机へ置いた。

「では、アーノルド殿は、何をもって戦を終わらせるつもりだ」

 隊長が顔を上げた。

「王都の門を開くことは、可能かもしれません」

「門を一つ開けば、こちらの兵は入れる」

 マティアスは答えた。

「だが、王城で抗戦が続けば、兵は町の中で戦うことになる。住民の家の前を、槍を持って進むことになる」

 隊長は黙った。

「守備の一部だけが降り、ほかが知らずに矢を射れば、その門で戦が始まる。門を開くという約束だけでは、兵も民も守れない」

 アレクには、要衝の街で起きたことが思い出された。

 開いた門の先にも、敵がいた。

 街路を進む兵は建物の陰から攻撃され、城へたどり着くまでにも負傷者が出た。門を越えたことと、戦いが終わったことは違った。

 隊長が、ゆっくりと息を吐いた。

「閣下から、口頭でお伝えするよう命じられたことがございます」

 マティアスは、先を促すように頷いた。

「王城を押さえます」

 天幕の中が静かになった。

 隊長はマティアスを見たまま続けた。

「国王御自身に降伏を表明していただき、残る軍へ戦いをやめるよう命じていただく。そのために動くお考えです」

 アレクは、思わず男の顔を見た。

 王都の門を開ける話ではなかった。

 王に仕える将が、王城を押さえようとしている。

 マティアスは驚きを表に出さなかった。

「動かせる兵は、確かめているのか」

「信用できる隊長へは、個別に話すと申しております。王都の兵が、すべて従うとは考えておりません」

「近衛は」

「国王直属です。閣下の命令だけでは動きません」

 マティアスは頷いた。

「その区別がついているならよい。こちらも、王都の兵すべてを味方とは扱わない」

 書記の筆が止まった。

 マティアスは、その記録を確認してから続けた。

「私がここで約束できる範囲を超える。陛下にお伝えする。返答まで待ってほしい」

「承知しました」

 隊長を別の天幕へ案内させると、マティアスはアレクと共にレオンハルトのもとへ向かった。

 王は報告を聞き終えても、しばらく答えなかった。

 机の上には、王都の周囲を記した地図がある。

「王を捕らえる覚悟まで決めたか」

「その意思を確かめる返書を持たせます。まだ、実行が保証されたわけではありません」

 マティアスが答えた。

「こちらの攻撃を止めるために、時間を稼いでいる可能性も残ります」

「分かっている」

 レオンハルトは地図へ目を落とした。

「だが、あの男が動けば、市街で兵を失わずに済むかもしれん」

 アレクは、黙って二人の話を聞いていた。

 レオンハルトが、顔を上げる。

「話を進めろ。こちらの兵へ、勝手に門へ近づくなと伝える。合図だけで陣を解くこともさせん」

「城内の状況は、別に確認させます」

「期限も定めよ。いつ動くか分からぬ話を、待ち続けるわけにはいかん」

 マティアスが一礼した。

 その後、隊長を再び呼び、返答に必要な日数と連絡の道を確かめた。

 王都へ戻った後、アーノルド自身が条件と期限を了承したという返書を届ける。それを受けて、双方の行動を合わせる。

 白い布を見ただけで、王都全体が降伏したとは判断しない。城門の守備と王城の状況を確かめ、命令が届いていることを確認する。

 細かな取り決めが、書記の紙へ加えられた。

 アレクは、隊長の顔が次第に厳しくなるのを見ていた。

 敵へ協力すると口にすれば、すべて簡単になるわけではなかった。味方の兵にどう伝えるか。知らない者が剣を抜いた時、どう止めるか。

 戦いを始める時とは違う難しさが、そこにあった。

 話が終わった時、隊長がマティアスへ尋ねた。

「閣下御自身については、何も求めておりません。それでも、よろしいのでしょうか」

「それを決めるのは、アーノルド殿だ」

 マティアスは答えた。

「こちらから、今ここで地位や領地を約束することはない。まず、約束したことを互いに守れるかだ」

 隊長は、深く頭を下げた。

 ◇ ◇ ◇

 隊長を送り出した後、アレクはマティアスと共に陣の間を歩いた。

 戻ってきた部隊の兵が、盾の革紐を直していた。少し離れた場所では、ギルベルトが歩兵の隊長と地面に線を引き、兵を通す場所を確かめている。

「マティアス様」

 アレクが呼ぶと、マティアスは足を緩めた。

「アーノルド殿は、本当に動くでしょうか」

「分からない」

 返事は早かった。

「だが、王が降伏するのを願うだけでは、終わらなくなった。そのことは分かっているのだろう」

 アレクは、王都の城壁へ目を向けた。

 遠くから見れば、石の壁が続いているだけだった。

 その中で何人が話し、何人が迷っているのかは見えない。

「私たちが兵を集めたことも、決断を急がせたのでしょうか」

「それはある」

 マティアスは、広がった陣を見た。

「こちらが攻められないと思われていたら、王の返事を待てと言われ続けていたかもしれない」

「では、軍を集めた意味は、戦うことだけではないのですね」

「戦わずに済ませるためにも、戦えるだけの支度はいる」

 マティアスは、そこでアレクへ顔を向けた。

「ただし、話が進んでいるからといって、兵の備えを緩めるな。城内で何かが変われば、こちらも動かなければならない」

「はい」

「鉄砲隊には、命令なしに射撃を始めないことを徹底しておけ。城壁の旗が変わっただけで、その下にいる兵が降伏したとは判断できない」

「ギルベルトと、各班の指揮者へ伝えます」

 マティアスが頷いた。

 アレクは別れて鉄砲隊の方へ向かった。

 林檎の花と、その周りに五つの蕾を描いた旗が風に揺れている。

 その下で待つ兵たちへ、アレクは歩いていった。

 ◇ ◇ ◇

 ロスヴァール王都へ戻った隊長は、夜になってからアーノルドの宿所を訪れた。

 机には灯りが置かれ、扉の外には南から来た兵が立っている。

 アーノルドは返書を受け取り、封を開いた。

 読み終えるまで、隊長は何も言わなかった。

 書状には、保護の対象となる者と、引き渡すべき物が記されていた。

 住民への略奪を禁じること。

 命令に従って武器を置く兵を保護すること。

 軍の武器と倉を引き渡し、負傷者と捕虜を確認させること。

 王と、責任を問われる者の処遇は、別に調べること。

 アーノルドは最後まで目を通し、紙を机へ置いた。

「伯爵は、何と言った」

「門を開くだけでは、兵も民も守れないと」

 アーノルドは、ゆっくりと頷いた。

「そのとおりだ」

「王城を押さえるお考えも、お伝えしました」

「反応は」

「動かせる兵を確かめているかと。近衛まで従うと考えてはいないか、尋ねられました」

 アーノルドは椅子へ深く座り直した。

 マティアスは、自分が王都の指揮を任されたと聞いても、すべての兵を動かせるとは考えなかった。

 その慎重さは、厄介でもあり、話をする上では頼れるものでもあった。

「こちらが了承の返書を届ければ、定めた期限に合わせて動きます。ただし、攻撃の支度は続けると」

「当然だ」

 アーノルドは窓を見た。

 外は暗かったが、王城の方には灯りが見えた。

 あの城へ、王命を受けて戻ってきた。

 国を守るために、南へ兵を残した。王都の城壁へ兵を配置し、門を固め、倉を確かめた。

 その仕事を続けるほど、抗戦の先に残るものが見えなくなった。

「閣下」

 隊長が呼んだ。

「国王のお命については、やはり」

「分かっている」

 アーノルドは遮ったが、声を荒らげはしなかった。

「分かった上で、返事をする」

 机の引き出しから、兵の名簿を取り出した。

 西へ送った兵の名が並んでいる。

 その横へ、王都守備の記録を置いた。

 こちらには、まだ生きて持ち場に立つ者たちの名があった。

 アーノルドは二つの記録を見比べた後、名簿を畳んだ。

「人を呼べ」

 隊長が姿勢を正した。

「どなたを」

 アーノルドは、個別に話してきた隊長の名を挙げた。

 多くはなかった。

 王都の四千六百が、自分の考えに従うわけではない。王城の千二百の近衛は、なおさらだった。

 だからこそ、誰が動き、誰が知らないまま持ち場に残るのかを、はっきりさせなければならなかった。

 しばらくして、数人の隊長が部屋へ入ってきた。

 西門の隊長もいた。

 アーノルドは扉を閉じさせ、机の上へ王城と市街の図を広げた。

 誰も、すぐには口を開かなかった。

「国王は、抗戦を続けると仰せだ」

 アーノルドが言った。

「私は、これ以上の戦を止める」

 一人が顔を上げた。

 アーノルドは、机の返書を示した。

「グランヴァルト側と、兵と民の扱いについて条件を交わした。これから、それを受け入れると返事を出す」

「敵へ、従われるのですか」

 問いかけた男の声は硬かった。

「王城を押さえ、陛下に降伏を表明していただく」

 椅子が小さく鳴った。

 男が身を起こしかけ、隣の隊長を見た。

 アーノルドは続けた。

「門を開いて敵兵を町へ流し込むつもりはない。こちらの兵を、何も知らせぬまま敵と向き合わせることもしない。そのために、今、話している」

「陛下が、お認めにならなければ」

「お認めになるまで、兵を死なせ続けることはできぬ」

 誰も答えなかった。

 西門の隊長が、広げられた図へ目を落とした。

 王城の門があり、その手前には広場が描かれていた。さらに外側へ、民家と通りが続いている。

 彼は、そこへ指を置いた。

「ここを戦場にすれば、家へ戻れぬ兵が出ます」

「ああ」

「私の隊には、家族のいる者が多くおります」

「聞いている」

 男は顔を上げた。

「その者たちへ、何と命じればよろしいでしょうか」

 アーノルドは、男を見た。

 ほかの隊長たちも、返事を待っていた。

「まず、武器を持たぬ者へ刃を向けるな。降伏する者を斬るな。従わぬ兵がいても、それだけで敵と決めるな」

 言葉を一つずつ区切った。

「だが、王城で剣を向けられれば、身を守らねばならぬ。危険がないとは言わぬ。これを始めれば、王に背いた将として、私が裁かれることもある」

 隊長の一人が、唇を結んだ。

 アーノルドは、その顔を覚えるように見た。

「今すぐ全員を従わせよとは命じぬ。誰を動かせるか、何人が残るかを確かめる。知らぬ者を巻き込み、兵同士で殺し合わせることは避けたい」

 南から来た隊長が、机の図へ身を寄せた。

 西門の隊長も、それに続いた。

 一人だけ、まだ椅子に座っていた。

 アーノルドは急かさなかった。

 やがて、その男が口を開いた。

「陛下の御命令では、ないのですね」

「違う。私が命じる」

 男は、しばらくアーノルドを見ていた。

 それから椅子を引き、机の前へ立った。

 灯りが揺れ、王城の図に重なった影が動いた。

 アーノルドは返書を脇へ寄せ、王城の門を指した。

第十八話を読んでいただき、ありがとうございました。

城や街道を守ってきた兵たちが再び集い、王都を巡る状況が変わっていきます。

一方、アーノルドが選んだのは、王命ではなく、自らの責任で動く道でした。


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