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『知らない世界で、前世の知識が武器になる』 ~剣と銃で乱世を生き抜く転生領主の成り上がり~  作者: 相田 ソウ
第七篇 乱世を越える黒獅子

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第十六話 王都へ届く敗報

お読みいただき、ありがとうございます。

戦いを終えた街で、兵たちは次の進軍に備えています。

 翌朝、街の西門では、折れた板を運び出す兵と、荷車を通そうとする御者の声が重なっていた。

 砲弾で破られた門は、すぐに直せる状態ではなかった。両脇へ柵を置き、車一台が通れる幅だけを空けている。その内側では、町の大工が兵に呼ばれ、残った柱を確かめていた。

 アレクが広場へ出ると、昨夜まで負傷者を運んでいた荷車に、今は空の水桶が積まれていた。御者が手綱を引き、井戸の方へ向かっていく。

 広場の端には、まだ担架が並んでいた。

 足を厚く巻かれた兵が、仲間に支えられて体を起こしている。立とうとしたところを、手当てをしていた男に止められた。

「便所へ行くだけだ」

「それなら肩を借りろ。一人で歩いて傷を開いたら、また縫うことになる」

 兵は不服そうに口を結んだが、差し出された腕につかまった。

 そのやり取りを見ていたアレクに、ギルベルトが近づいてきた。

「隊の確認が終わりました。動ける者は、八百九十五人です」

「眠れましたか」

「少しは」

 ギルベルトの目の下には、疲れが残っていた。

 アレク自身も、夜中に何度か目を覚ましていた。眠る直前まで聞こえていた負傷者の声が、静かになってからも耳に残っている。

「今日は、班長たちに任せられるところは任せてください。私も見ます」

「承知しました」

 ギルベルトは紙を差し出した。傷を負って隊を離れる者と、亡くなった者の名が記されていた。

 アレクは一人ずつ目を通した。

 人数の報告は、昨夜すでに済ませている。それでも、名前になって並ぶと、昨日まで見ていた顔が浮かんだ。

 紙を返す時、アレクは広場の奥を見た。

「残る者たちの荷物も、確かめておいてください。次に戻るまで、困らないように」

「はい」

 ギルベルトが兵のところへ戻っていく。

 アレクは城へ向かった。

 城門の脇には、槍を持った味方の兵が立っていた。昨日、敵兵と住民が押し合っていた場所は片づけられ、道の端に砂が撒かれている。

 門を通ると、エイドリアンが階段を下りてきた。

 鎧は着けていなかった。片腕に巻かれた布の端が、袖から見えている。

「腕は」

 アレクが尋ねると、エイドリアンは自分の袖へ目を落とした。

「浅い傷だ。剣は持てる」

「昨日も、そう言っていましたね」

「昨日よりは、よくなった」

 そう答えた後、エイドリアンは広場の方を見た。

「戻ってこなかった者の荷を、まとめさせている。家へ送る物を間違えるわけにはいかないからな」

 アレクは頷いた。

 城を落とした者も、援軍を止めた者も、その朝は失った仲間のために働いていた。

 ◇ ◇ ◇

 広間では、マティアスが隊長たちの報告を受けていた。

 机には街道の図が広げられ、その隣に、城から引き渡された倉の記録が置かれている。レオンハルトは窓の近くに立ち、外を通る荷車を見ていた。

「この街と周辺へ、千二百を残します」

 マティアスが告げた。

「城と街の守備に六百。捕虜と負傷者の保護に三百。残る三百を、街道の見張りと近くの輸送に当てます」

 街へ集まる道は、一つではない。

 西へ戻る道、王都へ続く東の道、北と南から入る道。そのどこかを空ければ、逃れた敵兵が荷車を襲うこともできる。

 レオンハルトは机へ戻った。

「ここで荷を受け、前へ送れるようにしろ。倉へ入れた数と、出した数を残せ。領民の物と軍の物を混ぜるな」

「承知しました」

 ロベルトが記録を引き寄せた。

「城の倉にある分だけでなく、西から来る荷もここで分けます。前へ送る車と、負傷者を運び戻す車を同じ場所へ集めなければ、門も詰まらずに済みます」

「任せる」

 レオンハルトの返事を受け、ロベルトは街の役人を呼ぶよう兵へ伝えた。

 マティアスが、別の紙を机へ置いた。

「引き続き動ける一万七百三十三人から、ここへ残す千二百を引きます。次に進むのは、九千五百三十三人です」

「鉄砲隊は、全員連れていきます」

 アレクが言った。

「八百九十五人です。弾と火薬の補充、銃の確認を進めています」

 レオンハルトが頷いた。

「大砲も四門とも運ぶ。ただし、今日は兵を休ませる。荷と砲車の用意が整ってからだ」

 窓の外で、荷車の車輪が石畳を鳴らした。

 勝ったからといって、そのまま全員を東へ向かわせるわけにはいかない。兵を休ませ、傷を負った者を残し、使った物を補わなければならなかった。

 そこへ、カスパルが入ってきた。

「東へ逃げた援軍ですが、一つの城へ入ったわけではありません。街道を離れた隊もあります。今のところ、こちらへ戻る動きは見えておりません」

「次の城は」

「門は閉じています。ただ、城壁の外にいた兵が、こちらの斥候を追ってきませんでした。旗を見せると、城へ引き返しています」

 マティアスが地図へ目を落とす。

「様子を見ているのか」

「そのように見えました」

「こちらも、急いで答えを決めてやる必要はない」

 レオンハルトが言った。

「斥候は出しておけ。使者が来れば通す。兵を出してくるなら、その前に知らせよ」

 カスパルが頭を下げた。

 軍議が終わると、隊長たちが持ち場へ戻っていった。アレクも続こうとしたところで、マティアスに呼び止められた。

「アレク。出発前に、鉄砲隊の馬を見ておくように。昨日は砲のところから街道まで、何度も動かしている」

「はい。兵と一緒に休ませます」

「次も同じように動けるとは限らない。足を傷めた馬まで連れていくな」

 アレクは頷いた。

 速く動けたことが、昨日は役に立った。その速さを当たり前にしてしまえば、必要な時に動けなくなる。

 城を出ると、日が広場へ差し込んでいた。

 兵たちは、久しぶりに腰を落ち着けて食事を取っている。椀を抱えたまま眠りかけている者を、隣の者が肘で小突いた。

 アレクは、その間を抜けて馬のところへ向かった。

 ◇ ◇ ◇

 グランヴァルト軍が要衝の街で兵を休ませている頃、その東にあるロスヴァールの城へ、王都から使者が到着した。

 使者の馬は泡を吹き、門を入ったところで歩みを緩めた。馬丁が手綱を受け取ると、使者は泥の付いた外套を払う間もなく、城主のいる広間へ通された。

 城主は広間で、差し出された王命の書状を受け取った。

 封を解いた城主は、書状を最後まで読んだ。

 もう一度、途中へ目を戻す。

「兵と、穀物を王都へ送れと」

「陛下の御命令です」

 使者が答えた。

「各地の兵を集め、王都の守りを固めます。この城でも、早急に御用意いただきたい」

「西の街が落ちたことは、御存じか」

「報せは届いております」

「門を破られた。その後、城へ入られ、領主も討ち取られた。救いに来た兵も、街へは届かなかった」

 使者は黙っていた。

 城主の隣には、家臣が二人立っていた。一人はすでに荷の記録を用意していたが、もう一人は腰の剣へ手を置いたまま、動かなかった。

「ここから兵を出せば、この城は誰が守る」

「必要な守備は残していただいて構いません」

「どれだけ残せば、黒獅子を止められる」

 返事はなかった。

 広間の外で、誰かが走る音がした。扉が開き、見張りの兵が膝をつく。

「西の街道に、グランヴァルトの斥候が現れました。こちらから兵は出しておりません」

 城主は目を閉じた。

 数日前なら、まだ遠い場所の敗報だった。

 今は、窓を開ければ見える街道を、敵の馬が進んでいる。

 城主は使者へ向き直った。

「援軍は、いつ来る」

「王都へ兵を集めております」

「その兵を、こちらへ送る予定はあるのか」

 使者の口が僅かに動いた。

 言えることがないのだと、城主には分かった。

 王都へ送る兵の数を尋ねれば、命令を示せる。穀物の量を尋ねれば、書状の続きを読める。だが、この城をどう守るかという問いには、答えが用意されていなかった。

 家臣の一人が、低い声で言った。

「城門を閉じ、持ちこたえるべきです。陛下の御命令に背けば、家が残りません」

「門を破られれば、家だけでは済まぬ」

「降れば助かると、誰が保証するのです」

 城主は、机の隅へ置いてあった別の紙を取った。

 先に開城した城から、商人を通じて届いたものだった。兵の武器を引き渡し、軍の倉を明け渡したこと。城へ敵の守備兵が入ったこと。住民の家へ勝手に押し入る兵は取り締まられていることが、短く記されていた。

 家臣は、その紙を見た。

「向こうに書かされた物かもしれません」

「届けた商人は、城の中へ入っている。自分の目で確かめたと申した」

「それでも」

「先に開城した城では、兵も住民も生きている。商人が、その目で確かめてきた」

 城主は王命の書状へ目を移した。

「だが、この城を守るために何をしてくださるのか、その答えはない」

 使者の顔がこわばった。

 城主は、その反応を見てから、書状を丁寧に畳んだ。

「そなたに罪はない。陛下の御命令を届けたのだからな」

 家臣が顔を上げる。

「御使者を帰すのですか」

「帰す」

「黒獅子へ渡せば、こちらが従う証に」

「使者を捕らえて差し出さねば信じてもらえぬような降伏を、私は望まぬ」

 城主は立ち上がった。

 窓の向こうには、城壁が見える。その上を歩く兵の中には、父の代から仕えている者もいた。

 あの兵を王都へ送り、残った者へ門を守れと命じる。王命に従ったという形だけを整えるなら、それでよいのかもしれなかった。

 だが、命じられた兵には、その後がある。

 王都へ行く者にも、ここへ残る者にも、帰る家があった。

「西へ使者を出す」

 城主は言った。

「グランヴァルト国王へ、開城の条件を確かめたいと伝えよ」

 家臣の一人が、深く頭を下げた。

 もう一人は動かなかったが、やがて剣から手を離した。

 王都の使者は、その場を見ていた。

 兵も穀物も受け取らず、代わりに持ち帰ることになった報せを、どう告げるべきか考えていた。

 ◇ ◇ ◇

 休養と補給を終えた軍が東へ進むと、街道の途中で白い布を掲げた騎馬が待っていた。

 カスパルの兵が先に話を聞き、武器を確かめた上で、本隊へ通す。

 城主からの使者だった。

 マティアスは、差し出された書状を読み、レオンハルトへ渡した。

「城と軍の倉を引き渡すとあります。兵の武装解除にも応じるそうです」

「求めているものは」

「領民と、武器を置く兵の保護です。それと、王都から兵が戻った場合、この城を見捨てないでほしいと」

 レオンハルトは使者を見た。

「城を渡してから、王の報復だけ受けろとは言わぬ。こちらの守備を置く。だが、当主自身の処遇は、これまで何をしてきたかを調べた上で決める」

 使者は、緊張した顔で聞いていた。

「その条件でよければ、明朝、門を開けよ。武器は兵から離して集めておけ。こちらの兵が入る前に、住民を門の近くへ集めるな」

「承りました」

「返答は、日が暮れる前に寄越せ」

 使者が帰っていく。

 アレクは、その背を見送った。

 城を渡せという言葉だけなら、短い。だが、渡した後にも城は残り、そこに暮らす者も残る。約束をした以上、その者たちを守る兵が必要になる。

 マティアスが、地図を畳みながら言った。

「門が開いても、最初から大勢を入れるな。武器を受け取る者と、倉を確かめる者を分ける」

「鉄砲隊は外で待たせます」

 アレクが答えた。

「城の中で必要になれば、呼んでください」

「そうしてくれ」

 返答は、その日のうちに届いた。

 翌朝、城門は約束どおりに開かれた。

 城主は門の内側に立ち、剣を鞘ごと両手で差し出した。後ろの兵は武器を持たず、道の両脇へ分かれている。

 レオンハルトが馬を下りた。

「城と、兵をお渡しします」

 城主の声は、門の下で響いた。

 剣を受け取った兵が下がると、城主はもう一度頭を下げた。

「昨夜、王都の使者を帰しました」

「何を持たせた」

「ここから兵も穀物も送れぬと、私の返書を」

「使者自身には」

「馬と食事を与えました。道中を妨げぬよう、東の見張りにも伝えております」

 レオンハルトは、城主の顔を見た。

「それでよい」

 短い返事だった。

 だが、城主の肩から僅かに力が抜けたのを、アレクは見た。

 門の脇で、ロスヴァールの兵がこちらへ目を向けていた。

 視線の先には、外で待つ鉄砲隊がいる。長い銃を持つ列の後ろで、四門の大砲を引く馬が足を踏み替えていた。

 敵兵の一人が、その砲車を見て何かを呟いた。隣の兵が頷き、ゆっくりと息を吐く。

 砲手は、馬を休ませていた。

 砲を据える場所を探す者も、弾を運び出す者もいない。

 アレクは、自分の銃を持ち直した。

 今日は、撃たずに済む。

 そう思った時、門の内側から、住民の子どもが顔を出した。すぐに大人に腕を引かれ、建物の陰へ戻っていく。

 アレクは追って見なかった。

 隊へ向き直り、ギルベルトへ告げた。

「交代で水を飲ませてください。門の前を塞がないように」

 兵たちが動き始める。

 城壁の上では、旗を下ろす支度が進んでいた。

 ◇ ◇ ◇

 その城へ守備二百を置いた後も、使者は来た。

 自ら城を出てきた領主もいれば、家宰に鍵と倉の記録を持たせた家もあった。初めのうちは、隣の家がどうしたかを探るような言葉が多かったが、幾日か過ぎると、尋ねる内容が変わった。

 どの道を通れば、荷を安全に運べるのか。

 兵の武器は、どこへ集めればよいのか。

 グランヴァルトの守備兵は、いつ来るのか。

 レオンハルトは、書状だけで城を得たことにはしなかった。実際に兵を送り、門を受け取り、倉と街道を確かめさせる。

 一つの城では、引き渡すとされた橋に、王都へ向かう兵の一隊が残っていた。

 家宰は、すでに自分の家は降っていると繰り返した。だが、橋の兵は別の領主に仕える者で、その命令を受けていなかった。

 マティアスは荷車を止め、家宰に兵を説得させた。その間、護衛を橋の手前へ置き、別の渡り場を斥候に調べさせる。

 橋の兵が武器を置いたのは、夕方になってからだった。

 その報告を聞くまで、地図の印は動かされなかった。

 初めの開城から七日が過ぎた頃、受け取った城と橋、街道へ置いた兵は、最初の二百を含めて千人になっていた。

 本隊に残るのは八千五百三十三人。

 八百九十五人の鉄砲隊と四門の大砲は、そのままレオンハルトのもとにあった。

 軍は歩みを止めてはいなかったが、ただ東へ伸びるだけでもなかった。通った道へ見張りが立ち、後ろから来る荷車が休む場所が決められた。新たに従った領主たちは、自領の道と倉について問われ、案内を出すよう命じられた。

 ある夕方、アレクが軍議の天幕へ入ると、ロベルトが地図の端を押さえていた。

 以前より、紙が増えていた。

 城から受け取った領内図と、街道を調べた斥候の報告が重ねられている。書記が領主の名を読み、マティアスが引き渡しを確認した場所へ印を置いていた。

「ここまでが、実際に受け取った分です」

 ロベルトが言った。

「西部の城に加え、北寄りの諸侯も従っています。広い領地を持つ家が続いたため、城の数で見るより、押さえた土地は広くなりました」

 アレクは地図を見た。

 西から進んだ道の周囲だけではない。そこから北へ延びる道にも、黒獅子の軍を通す印が付いていた。

「どれほどになる」

 レオンハルトが尋ねた。

「各家の領地を合わせると、ロスヴァールのおよそ三分の二です。南でカルディアが奪った土地は、こちらには入れていません」

 天幕の中が静かになった。

 三分の二。

 アレクは、残った場所へ目を移した。

 王都と、その周囲。そこから南部の守りへつながる道。まだ従っていない諸侯の城が、固まって残っている。

 だが、国の大半を塗り分けていた境が、今は王都を囲むように狭まっていた。

「王の命令が届く場所は、残っております」

 マティアスが言った。

「ただ、命令を受けても従わない家が増えています。これ以上兵を集めようとすれば、残る城の守りも薄くなるでしょう」

「南の軍は」

「アーノルド・フォン・ケッセルハイムが、引き続きカルディアに備えています。こちらへ大きく兵を動かしたとの報告は、まだありません」

 レオンハルトは、その名を聞いて地図の南を見た。

 アレクも覚えていた。

 城を失っても兵を崩さず、川と橋を使って退いた将。その将が西へ送り出した兵は、こちらとの戦いにも加わっていた。

 敵に、指揮のできる者がいなくなったわけではない。

 レオンハルトは地図から手を離した。

「王へ使者を送る」

 誰も驚かなかった。

 ただ、書記が新しい紙を取り出す音だけがした。

「城を一つ渡せという話ではない。国として兵を解き、降伏せよと伝える」

 マティアスが頷いた。

「残る諸侯と、各地の守備隊へも命令を出させます」

「そうだ。王都だけが門を開いても、別の城で戦いが続いては意味がない」

 アレクは地図の南を見たまま聞いていた。

 王が命じれば、まだ剣を置ける兵がいる。

 敵国の王へ届ける書状が、兵を生かすことも、さらなる戦いへ向かわせることもある。その重さは、銃を向ける時とは違っていた。

 ◇ ◇ ◇

 降伏を求める書状は、翌朝までに整えられた。

 レオンハルトは、一度読んだ後、マティアスへ戻した。

「武器を置く兵と、民の保護は明確にしておけ。王が答えを渋る間に、兵へ違う話を広められても困る」

「承知しました」

「ただし、王自身の責任まで消すとは書くな」

 マティアスが頷いた。

 ロスヴァールの王が、グランヴァルト東部の諸侯へ何を命じ、何を与えたのか。そのために始まった争いで、何が失われたのか。

 城を渡したというだけで、すべてを無かったことにはできなかった。

 使者に選ばれた騎士が、天幕の入口で頭を下げた。

 王家の使者であることを示す旗と、書状を収める筒が用意されている。護衛は付けるが、敵の城門へ軍勢を伴って押しかけるわけではない。

 マティアスは騎士へ、伝える内容を確かめさせた。

「条件の説明はしてよい。だが、書かれていない約束はするな。追加の要求があれば、そのまま持ち帰れ」

「承知しました」

「帰りを引き延ばされるようなら、返答が出るまで王都に留まる必要はない。こちらがいつまでも待つとは伝えるな」

 騎士がもう一度頭を下げた。

 アレクは、その横に置かれた書状の筒を見た。

「陛下」

 レオンハルトが顔を向ける。

「王が降伏した場合、南で戦っている兵も戻れるのですか」

「少なくとも、我らと戦わせるために呼び寄せる必要はなくなる」

 レオンハルトは答えた。

「カルディアとの戦を終える話は、それだけでは済まぬ。だが、王が国として戦をやめるなら、その話もできる」

 敵国の王が一言答えれば、何もかも片づくわけではない。

 それでも、答えなければ始められないことがあった。

 レオンハルトは使者へ書状を渡した。

「無事に戻れ。返事を持つ者まで失うつもりはない」

「必ず」

 使者が立ち上がる。

 天幕の外へ出ると、朝の光の中で馬が待っていた。鞍へ上がった騎士が一礼し、護衛と共に東の道へ向かう。

 アレクは、その姿を見送った。

 道の脇では、鉄砲隊の兵が銃の点検をしていた。火皿を確かめる者、銃床の傷を見る者、隊へ配られた補充の品を数える者がいる。

 使者が戻るまで、兵を遊ばせておくわけではない。

 だが、次に銃を使わずに済むかもしれないと思いながらする支度は、攻める城が決まっている時とは少し違った。

 ◇ ◇ ◇

 ロスヴァールの王都では、城壁の補修と兵の招集が続いていた。

 王城の広間で、ロスヴァール国王は西から届いた敗報を読んでいた。そこへ、グランヴァルトの使者が到着したとの知らせが入った。

 グランヴァルトの使者がロスヴァールの王都へ入った時、門の前には、荷を積んだ車が並んでいた。

 穀物を運ぶ車もあれば、家財を載せた車もある。門兵が一台ずつ止め、どこから来たかを確かめていた。

 城壁の上には新たな木材が運ばれ、広場では兵が槍を受け取っていた。

 王都は、まだ戦う支度をしていた。

 王城へ通された使者は、広間で書状を差し出した。

 ロスヴァールの王は、封を見てから側近へ渡した。書状が開かれ、降伏を求める言葉が読み上げられる。

 残存する軍への停戦命令。

 王都と各地の城、軍の倉の引き渡し。

 武器を置く兵と住民の保護。

 そして、王と、戦争を始めるに至った者たちの責任を問うこと。

 読み終わるまで、王は動かなかった。

「我が国の城を奪い、その上で、私を裁くというのか」

 使者は顔を上げた。

「陛下より、お返事を承るよう命じられております」

「レオンハルトは、自らを何と思っている」

 広間の脇にいた重臣が、僅かに身じろぎした。

 使者は答えなかった。

 王に言い返すために来たのではない。条件を伝え、返答を持ち帰る。それが使者の役目だった。

 王は肘掛けをつかんだ。

「向こうの軍も、減っているはずだ」

 今度は重臣たちへ向けた言葉だった。

「奪った城をすべて空にはできぬ。西から荷を運ぶ道も長くなっている。ここまで来れば、同じ勢いでは進めまい」

「王都の備えは進めております」

 一人が答えた。

「諸侯からの兵も、まだ集められます」

「来る家が、どれだけ残っている」

 別の重臣が言った。

 広間の空気が張り詰めた。

 男は、王の方へ頭を下げる。

「届いているのは、兵を送れぬという返書が多くございます。すでに門を開いた家からのものも……」

「分かっている」

 王が遮った。

「だからといって、こちらから国を渡せというのか」

 誰も答えなかった。

 降伏すれば戦いは止まるかもしれない。だが、この書状は、王自身の安全を約束していなかった。

 王は、その部分をもう一度読ませた。

 読み終わると、口元が固くなった。

「返書を作れ」

 書記が進み出る。

「王都は渡さぬ。ロスヴァールは降伏しない」

 使者は、王の言葉を聞いた。

 それから一礼し、正式な返書を受け取るまで控えると告げた。

 衛兵に伴われて広間を出ると、扉の向こうで椅子を引く音がした。

 王の声が、再び響いた。

「アーノルドを呼び戻せ」

 広間に残った者たちが顔を上げる。

「南の守りは、城の者へ引き継がせよ。兵を選び、王都へ戻れと伝えるのだ」

「カルディア軍が、まだ近くにおります」

「だから、引き継げと言っている。城を空にしろとは申しておらぬ」

 王は机の書状を押しやった。

「兵をまとめて退ける男なのだろう。その腕を、今こそ王都で使わせる」

 命令を書き取る筆が動いた。

 西の戦いを支えるために兵を差し出した将へ、今度は王都を守るために戻れという命令が送られる。

 南の城へ、それが届くまでにも日が必要だった。

 ◇ ◇ ◇

 使者が戻る前に、マティアスは捕虜の一人を呼び出していた。

 城塞都市の前で戦い、武器を置いた隊長だった。アーノルドが南から送り出した兵の一部を率いていたことが、名簿とほかの捕虜の証言から確かめられている。

 男は、剣を持っていなかった。

 天幕へ入る前に見張りが所持品を確かめ、二人の兵が入口に立ったまま残った。

 マティアスは、座るよう椅子を示した。

「南の城について聞きたい」

 隊長の目が細くなった。

「城の弱い場所を、お話しするつもりはありません」

「それを聞くために呼んだのではない」

 マティアスは、机の上へ紙を置いた。

「アーノルド殿のもとへ書状を届ける道が、まだ使えるかを知りたい」

 隊長は紙を見たが、手を伸ばさなかった。

「何を、お伝えになるのです」

「まずは、話をする意思があるか確かめる」

「閣下が、こちらへ降るとお考えですか」

「まだ分からない」

 返事は穏やかだった。

 隊長は、わずかに戸惑った顔をした。

 降れと迫られるか、主君への忠義を笑われるか、そのどちらかを予想していたのかもしれない。

 マティアスは続けた。

「だから、書状を送る。返事を聞かぬうちに、あの方が何を選ぶか決めるつもりはない」

「我々は、王命で西へ参りました」

「聞いている」

「閣下は、こちらにも余裕はないと仰いました。それでも兵を出されました。我々が勝手に離れたのではありません」

「それも承知している」

 隊長の手が、膝の上で握られた。

「ならば、何を知りたいのです」

 マティアスは、男の顔を見た。

「送り出された兵が、どうなったか。あの方は、正しく知らされているだろうか」

 隊長が黙った。

 南の城へ、自分たちの敗北がどのように届いたのかは分からない。勇敢に戦ったと記されたかもしれないし、役に立たなかったと片づけられたかもしれなかった。

 少なくとも、捕らえられた者の名を、自分たちから送ることはできていなかった。

「生きている者の名簿は渡せる」

 マティアスが言った。

「亡くなったと確認できた者も、分けて記す。分からぬ者を、勝手に死者にはしない」

「それと引き換えに、道を教えろと」

「引き換えにする必要はない。名簿は届ける。そなたに聞くのは、届けた物が、あの方の手へ渡るかどうかだ」

 隊長は、椅子に深く座り直した。

 しばらく考えてから、紙へ目を戻す。

「今、閣下がおられる城の城代なら、私の筆跡を知っております」

「そなた自身が書くか」

「兵の名だけを確かめます。書状に従えと勧めることは、いたしません」

「それでよい」

 マティアスは書記を呼んだ。

 兵の名を照合するための紙が運ばれてくる。

 天幕の外でそのやり取りの終わりを待っていたアレクは、出てきた隊長の顔を見た。連れてこられた時より、険しさが薄れていた。

 それでも、味方になった顔ではなかった。

 隊長が見張りと共に去ると、マティアスがアレクを呼んだ。

「南へ通じる道は、斥候と、従った領主の案内に確かめさせている。捕虜一人の話だけで使者を出すわけではない」

「はい」

「アーノルド殿のもとへ届かず、別の者に取られる可能性もある。書く内容は、陛下にも見ていただく」

 アレクは、机の上の名簿を見た。

 そこに記されているのは、こちらへ槍を向けていた兵の名前だった。

「相手が返事をしなくても、名簿は渡すのですね」

「ああ」

 マティアスは答えた。

「返事を欲しがるたびに、言ったことを変えていては、その先の話はできない」

 アレクは頷いた。

 城の前で条件を伝えた時にも、それは同じだった。

 相手に選ばせるには、こちらが何を守るのかを、先に示さなければならなかった。

 ◇ ◇ ◇

 王都へ送った使者が戻ったのは、その二日後だった。

 護衛も揃っていた。

 アレクは、馬を下りる騎士を見て、まずそのことに安堵した。

 返書は、レオンハルトのいる天幕へ運ばれた。

 封が切られ、紙が広げられる。

 レオンハルトは最後まで読み、マティアスへ渡した。

「拒んだ」

 天幕の中にいた隊長たちの表情が変わった。

 怒る者もいれば、覚悟していたように頷く者もいた。アレクは何も言わず、使者の外套に付いた道の土を見た。

 あの道を、今度は軍が進むことになる。

「王都の様子は」

 レオンハルトが尋ねた。

「城壁の補修と、兵の招集を進めておりました。門には荷車が集まり、入る者を厳しく調べております」

「使者への扱いは」

「危害は加えられておりません。返書を受け取った後は、門まで護衛が付きました」

「分かった。休め」

 騎士が下がった。

 レオンハルトは机に手を置き、地図を見た。

 国の三分の二を失っても、王はまだ戦うと答えた。

 だが、それが、残ったすべての者の答えとは限らない。

「攻める支度は続ける」

 レオンハルトが言った。

「ただし、今から全員を王都の壁へ走らせるつもりはない。先に道と、残る敵の動きを確かめる。後ろの荷が届く前に、前だけへ出るな」

 隊長たちが応じた。

 マティアスは、返書の隣へ別の紙を置いた。

「陛下。アーノルド・フォン・ケッセルハイムへ、使者を送りたく存じます」

 レオンハルトは、その紙を取った。

「話はできそうか」

「まだ分かりません。ただ、送り出した兵の生還を願う将ではあるようです。兵の名簿と共に、こちらの考えを伝えます」

「何を求める」

「これ以上、国を焼かずに戦を終える道を話し合いたいと」

 アレクはマティアスを見た。

 降れという命令ではない。

 だからといって、何も求めない手紙でもなかった。

 レオンハルトは書状を読み進めた。途中で一度、捕虜の名簿へ目を移し、それから最後まで目を通した。

「王の助命は、約束しておらぬな」

「はい。武器を置く兵と民の保護、それから、話し合いに応じる使者の安全を記しています」

「この将自身も、来れば何をしてきたかを確かめる」

「承知しております」

 レオンハルトは紙を机へ戻した。

「送れ」

 マティアスが頭を下げる。

「返事を待つ間も、軍は止めぬ。あの男だけに、戦の終わりを預けるつもりはない」

「はい」

 アレクは、南へ延びる街道を見た。

 その先には、まだ会ったことのない将がいる。

 西へ兵を送り、南で城を失い、それでも兵をまとめて戦い続けている男だった。

 あの男が、どの旗を守ろうとしているのか。

 王の旗なのか。送り出した兵なのか。それとも、その後ろにある国なのか。

 アレクには、まだ分からなかった。

 マティアスは新しい紙を取り、確かめた道順を使者へ伝え始めた。

 王都へ向かった書状とは、別の道を通る手紙だった。

 天幕の外では、四門の大砲を引く馬へ水が与えられていた。

 兵たちは、次の出発に備えている。

 その支度の間を、一人の使者が馬で通り抜け、南へ続く街道へ出ていった。

第十六話を読んでいただき、ありがとうございました。

城を開く領主と、抗戦を選ぶ国王。それぞれの決断が、ロスヴァールの行く末を変えていきます。

マティアスが南へ送る書状は、アーノルドに何をもたらすのでしょうか。


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