第十三話 王都を守る軍
お読みいただき、ありがとうございます。
王都へ通じる城塞都市に、ロスヴァールの旗が集まっています。
城塞都市の西門から、また一つ旗が入ってきた。
その後ろを、槍を担いだ兵が歩いている。
靴に泥を付けた者もいれば、足へ布を巻きつけた者もいた。門を通り過ぎると、隊長が兵を広場へ集め、人数を確かめ始めた。
城壁の上から、その様子を見下ろしている男がいた。
川沿いの野戦で、レオンハルトの軍に敗れた将だった。
あの時、街道を東へ逃れた兵は、同じ場所へ戻ったわけではなかった。
途中の城へ入った者がいる。
傷を負い、村で動けなくなった者もいる。
領主の旗を見失い、そのまま自領へ帰った者もいた。
使いを走らせ、名簿を集め、戦える兵を再び隊へ戻す。
そうして、この都市へ集め直せたのは四千だった。
男は、広場の反対側へ目を向けた。
そこには、揃った列で槍を立てる兵がいた。
南の係争地帯から、アーノルド・フォン・ケッセルハイムが送り出した千五百。
長い道を歩いてきた兵だったが、隊長の声が掛かれば、一斉に顔が動いた。
敗残兵とは、立ち方から違っていた。
「これで、揃いました」
書記が名簿を差し出した。
「諸侯からの兵は、一万五百。合わせて一万六千です」
王命を受けた諸侯が兵を集め、街道を歩かせるまでには日が掛かった。
その間にも、西の城は失われていた。
昨日まで使えた道を避け、遠回りして到着した隊もある。
ようやく集まった一万六千だった。
都市には、それとは別に二千の守備兵がいた。
門と城壁、倉を守るための兵であり、城主は全員を外へ出すことには同意していなかった。
「この兵で、壁を守ればよい」
城主が言った。
男の隣へ来て、広場を見下ろす。
「倉には兵糧もある。井戸も使える。王都から、さらに兵を集める時間を稼げる」
「西の城も、そう考えていた」
男は答えた。
城主が顔を向ける。
「門を破った大砲の話か」
「ああ」
「ここの門は、一枚ではない」
「道を塞がれれば、門が何枚あっても同じだ」
男は城壁の外を指した。
西へ続く街道の向こうには、畑が広がっていた。
その南側から、別の道が都市へ近づいている。
レオンハルトの本隊は、西から来る。
もう一つのグランヴァルト軍は、南の街道を進んでいた。
二つの軍が揃えば、都市へ入る道を広く押さえられる。
王都へ向かう東の街道だけを開けておける保証もなかった。
「黒獅子の軍は、一万三千を切ったと聞く」
男が言った。
「城へ兵を残しながら来ている。こちらは一万六千だ。南の軍が来る前なら、数はこちらが上だ」
「それで、もう一度野へ出ると」
「ここで勝てば、西へ戻る道も開く」
城主は黙った。
男には、その沈黙が疑いに見えた。
また負けるのではないか。
そう思われていることは分かっていた。
王都から届いた命令にも、退いた兵を再編し、敵の進軍を止めよとあった。
敗戦の理由を説明するための紙は、何枚も送った。
だが、次に必要なのは説明ではなかった。
勝ったという報告だった。
「新型火槍の前へ、兵を重ねるつもりはない」
男は言った。
「奴らも、火槍を持つ兵をどこへでも同時に置けるわけではない」
広場では、南部戦線から来た千五百が、食事を受け取るために列を作っていた。
男は、その兵を見た。
今度こそ、使える兵がいる。
その兵を城壁の上へ並べ、敵が囲むのを待つつもりはなかった。
◇ ◇ ◇
使者を送ってきた小城は、約束した朝に門を開いた。
アレクたちが着いた時、広場には、すでに槍と弓が並べられていた。
城主がレオンハルトを迎え、鍵と倉の記録を渡す。
武装解除と引き継ぎは、その日のうちに進められた。
三百の兵を新たな守備として残し、本隊は東へ向かった。
進む兵は、一万二千九百五十六人。
鉄砲隊九百三十人と、四門の大砲も、その列に続いた。
城塞都市へ敵兵が集まっていることは、斥候から聞いていた。
レオンハルトは、数日前からユリウスへ使いを出していた。
南側で確保した城と街道には、合わせて千五百を残している。
残る八千五百のうち、五千を北東へ進めさせる。
三千五百は南の街道を押さえ、後ろの城と荷駄を守る。
ユリウス自身が率いるのは、歩兵四千と騎兵千だった。
その軍は、南から都市へ通じる街道を目指していた。
アレクは、天幕に広げられた地図を見た。
「ユリウス殿の兵を待たずに、進むのですか」
マティアスへ尋ねる。
「近くまで来ている」
マティアスは地図の南側を指した。
「だが、こちらと並んで進めば、敵も門を閉じるだろう」
レオンハルトが、斥候の報告を机へ置いた。
「敵は外へ出るつもりだ」
アレクは顔を上げた。
「出撃の用意をしているのですか」
「西門の外へ兵が出始めている。城壁へ上げるための矢ではなく、兵へ持たせる矢を配っているそうだ」
マティアスが頷いた。
「こちらだけを見れば、敵の方が多い。二つの軍が揃う前に叩くつもりでしょう」
「ならば、出てきたところを受ける」
レオンハルトは答えた。
外へ出ていたカスパルが戻ってきた。
靴には、乾いた土が付いていた。
「北の畑は使えません。水路が多く、馬の脚が沈みます」
「南は」
「乾いています。広さもあります。敵が大きく動くなら、そちらです」
レオンハルトは地図の南へ目を落とした。
アレクも、その場所を見た。
都市は東。
自分たちは西から向かっている。
向かい合った時、南はグランヴァルト軍の右翼になる。
「鉄砲隊の動ける場所を、先に見ておきます」
アレクが言った。
「畑の畝と水路を避けて、中央から右翼へ通れる場所が必要です」
レオンハルトが頷いた。
「マティアス。歩兵の隊長にも見させよ」
「承知しました」
「大砲は、無理に前へ出すな。敵が退いた後にも使う」
アレクは頭を下げた。
城壁の上から見下ろすだけの敵ではない。
今度は、大きな軍がこちらへ向かってくる。
九百三十人を、必要な場所へ動かさなければならなかった。
◇ ◇ ◇
翌朝、城塞都市の西に旗が並んだ。
ロスヴァール軍は、都市から少し離れた農地へ出ていた。
背後には、門へ戻る街道がある。
北の畑には細い水路が走り、低い場所に水が残っていた。南側には刈り取られた畑が広がり、その先に南の街道が見えた。
グランヴァルト軍は、その西へ布陣した。
中央の歩兵は三千八百。
北側の左翼に千五百。
南側の右翼に四千。
騎兵二千は後ろへ置かれ、レオンハルトが率いる。
鉄砲隊九百三十人は中央の歩兵の前。
残る七百二十六人が予備と荷駄、大砲の守りに割り当てられていた。
右翼では、ヴィクトルとエイドリアンが兵を並べていた。
二人とも、自分の直属兵だけを率いているのではない。
レオンハルトから預けられた歩兵の隊長たちへ、持ち場と動く順を確かめていた。
マティアスは中央の後ろにいた。
旗を持つ兵と伝令が、その近くへ集まっている。
アレクは馬から下りた。
直属の兵も下馬し、ほかの鉄砲兵と共に列へ入っていた。
馬は後ろの安全な場所へ集め、世話をする者へ預ける。
ギルベルトが、隊の前を歩いていた。
弾薬箱を確かめ、火縄を見て、兵の顔へ目を向ける。
「一班、三百十。二班、三百十。三班、三百十。揃っています」
アレクは頷いた。
城壁の上には、こちらを見ている者がいた。
だが、アレクが見ていたのは、その手前の軍だった。
中央に盾が並んでいる。
後ろには弓兵がいた。
その南側で、旗が増えていく。
兵の列が長くなり、さらに後ろから別の隊が入っていた。
「中央は、四千ほどです」
斥候の報告を伝える兵が言った。
「南には、八千ほど。後ろに、まだ四千ほどおります」
アレクは南へ顔を向けた。
こちらの右翼四千へ、敵は八千を向けようとしていた。
正面の敵は、鉄砲隊を見ていた。
近づいてくる。
だが、速くはない。
盾を揃え、弓兵を前へ出しながら、一定の距離を保っていた。
その動きに合わせ、こちらの中央の歩兵も槍を構える。
アレクは、銃を上げさせなかった。
まだ、敵の主力は動き終えていない。
中央の敵が声を上げた。
盾を叩く音が響いた。
その間にも、南へ向かう兵は増えていた。
◇ ◇ ◇
「火槍の兵は、中央におります」
ロスヴァールの将へ報告が届いた。
男は頷いた。
見えていた。
長い筒を持つ兵が、三つの列を作っている。
あの兵の前へ進めば、次々と撃たれる。
川沿いでは、前へ出す兵を増やすほど、倒れる者も増えた。
だが、筒を持つ兵が千ほどなら、その全員で軍の端から端まで守れるはずがなかった。
「中央は、そのまま前へ出せ。突っ込ませるな」
「承知しました」
「弓兵に射かけさせろ。向こうの目を離すな」
男は南側へ向き直った。
八千が揃っていた。
前には盾と槍。
後ろには弓兵。
騎兵は、さらに外側を回れる場所で待っている。
相手の右翼を押し込めば、中央の歩兵も向きを変えなければならない。
火槍を持つ兵が動けば、中央へ出した四千が前へ進む。
動かなければ、右翼を崩して横から襲う。
「始めろ」
角笛が鳴った。
南側の八千が、前へ動いた。
乾いた畑から、土煙が上がった。
◇ ◇ ◇
右翼から声が届いた。
盾を合わせる音が続く。
敵の歩兵が、広い幅で近づいていた。
その後ろにも兵がいる。
先頭だけを止めても、次が続く厚さだった。
中央の敵は、まだ距離を取っていた。
弓兵が出てくる。
矢が飛び、鉄砲隊の少し前へ落ちた。
「盾を前へ!」
中央の歩兵の隊長が命じた。
盾を持った兵が進み、鉄砲隊の前へ入る。
アレクは敵の旗を見た。
中央の旗は、大きく動いていない。
南の旗だけが、こちらへ近づいていた。
アレクは、レオンハルトのいる場所へ走った。
ギルベルトには、その場で隊を保つよう伝えていた。
「陛下」
馬上のレオンハルトが顔を向ける。
「鉄砲隊を移します。敵の主力は、こちらで崩します」
レオンハルトは右翼を見た。
「中央は」
「敵は、こちらを留めようとしています。鉄砲隊が動けば出てくるでしょうが、今、押し切ろうとしているのは右翼です」
マティアスが近づいた。
「中央の歩兵は崩さずに残します。鉄砲隊の通る道は空けてあります」
レオンハルトが頷いた。
「行け」
「承知しました」
「右翼は持たせる。射つ場所を失うな」
アレクは隊へ戻った。
「右翼へ移ります」
ギルベルトが、すぐに顔を向けた。
「九百三十人、全員です。歩兵の後ろを通ります」
「承知しました」
伝令が走る。
中央の盾兵が前へ寄り、鉄砲隊の姿を覆った。
アレクは南へ手を向けた。
「各班、列を保って移動してください。走り過ぎないように」
兵が動いた。
銃を持つ者。
弾薬箱を腰に付け、隣の兵との間を確かめる者。
後ろの列が、前の列についていく。
右翼では、すでに槍がぶつかっていた。
声が大きくなった。
押される兵の足元から、乾いた土が崩れる。
アレクは、その後ろを通った。
傷を負った歩兵が運ばれてくる。
片方の腕が、だらりと下がっていた。
道を空けた鉄砲兵が、顔をしかめる。
「前を見てください」
アレクは言った。
「ここで止まれば、後ろも止まります」
兵は顔を戻した。
銃の列が、さらに南へ伸びていった。
◇ ◇ ◇
ヴィクトルは、盾の後ろから敵を見ていた。
押してくる槍の数が多い。
前の兵が退いても、すぐに別の者が出てくる。
こちらは、一度崩れれば立て直す場所がなくなる。
「足を止めろ! 隣を離すな!」
隊長が叫んだ。
敵の槍が盾の間へ入り、兵の太腿を突いた。
兵が倒れた。
後ろの者が腕を引き、代わりの盾が前へ出た。
ヴィクトルは、少し後ろへ目を向けた。
林檎の花の旗が見えた。
その下を、火縄銃の列が通っている。
「来たか」
すぐ近くの隊長へ声を掛けた。
「合図が来たら、左へ寄せる。勝手に下がるな。隣の隊にも伝えろ」
隊長が頷く。
エイドリアンの隊にも、伝令が走った。
右翼の後ろには、乾いた農道があった。
昨日のうちに、荷車が通れるだけの幅があることを確かめていた。
鉄砲隊は、その道を使って移動している。
南端には、刈り取られた畑が広がっていた。
そこへ銃を並べれば、味方の歩兵の外側から、攻め寄せる敵の列を狙える。
ただし、味方がばらばらに退けば、その場所まで敵が入り込む。
ヴィクトルは盾を持ち直した。
敵の槍が、縁を叩いた。
「もう少しだ!」
声を張る。
自分が踏み止まらなければ、兵も踏み止まれなかった。
◇ ◇ ◇
アレクは、畑の南端へ出た。
前は開けていた。
北側には、ヴィクトルたちの歩兵がいる。
その東へ、敵の兵が厚く重なっていた。
こちらへ向きを変えようとする敵もいる。
だが、前へ押している隊の後ろから、すぐには抜けられない。
アレクは地面を見た。
畝は低い。
水はない。
兵を横へ並べられる。
「ここで展開します」
ギルベルトへ告げた。
「狙うのは、あの旗の下です。味方の歩兵より南へ出てくる敵を狙ってください」
「承知しました」
兵が列を広げた。
一班、二班、三班。
それぞれ三百十人。
移動してきた列が、射つための列へ変わっていく。
アレクは、旗を持つ兵を見た。
「合図を」
赤い布が上がった。
ギルベルトが声を張った。
「弾薬箱開放許可!」
兵が弾薬箱を開いた。
「一発取れ!」
手が動く。
「装填!」
アレクは敵から目を離さなかった。
南側へ出てくる敵の盾が増えていた。
鉄砲隊に気づいたのだ。
こちらへ向かって走ろうとする者を、隊長らしい男が止めている。
後ろの兵を待ち、盾を揃え直していた。
アレクは頷いた。
敵も、何も考えていないわけではない。
それでも、こちらへ向き直るためには、今の攻撃を緩めなければならなかった。
「装填状況!」
「一班、装填完了!」
続いて二班、三班から声が届く。
アレクは前へ手を向けた。
「一班、前へ!」
三百十人が進んだ。
「火蓋開け!」
兵の手が動いた。
「構え!」
銃口が上がった。
敵の盾が見える。
その後ろに顔がある。
さらに奥では、まだこちらの歩兵を押している者たちがいた。
赤い布が下がった。
「撃て!」
轟音が重なった。
白い煙が、畑の上へ広がる。
敵の先頭が崩れた。
盾を落とす者。
後ろへ倒れ、隣の兵を巻き込む者。
走り出しかけた足を止め、身を縮める者。
「一班、火縄上げ! 後退!」
ギルベルトの命令が響いた。
兵が火縄ばさみを上げ、後ろへ下がる。
二班が前へ出た。
アレクは、煙の薄い側へ少し寄った。
敵の隊長が、剣を上げている。
逃げるなと叫んでいた。
その後ろから、別の盾の列が来る。
中央の将が、兵を送り込んでいるのだろう。
「二班、前へ!」
銃口が、同じ敵の列へ向いた。
二度目の射撃が響いた。
敵の旗が傾いた。
旗を持つ者が倒れたのか、その下へ兵が集まった。
そこへ、三班が出る。
アレクは、狙う場所を右へずらさせた。
味方の歩兵と接している前列ではない。
後ろから加わろうとする敵だった。
その隊が止まれば、前で戦う敵へ次の兵が届かなくなる。
再び、赤い布が下がった。
◇ ◇ ◇
「火槍が南へ移りました!」
ロスヴァールの将は、すでに聞こえている轟音へ顔を向けた。
煙が上がっていた。
攻めていた八千の外側からだった。
「中央を進めろ!」
命令が飛ぶ。
だが、中央の四千は、すぐには突破できなかった。
火槍の兵がいなくなった場所には、槍と盾を持つ歩兵が残っている。
その後ろで、黒獅子の旗が動いていた。
男は歯を食いしばった。
「南へ、二千を出せ」
予備の隊長へ命じた。
「押し切る。火槍の兵が向きを変える前に、前の歩兵を崩せ」
隊長が走った。
残していた四千のうち、二千が南へ進む。
南部戦線から来た千五百も、その中にいた。
隊は揃っていた。
前の兵が退いてきても、道を空けさせ、旗を保って進む。
男は、その動きを見た。
まだ押せる。
前の歩兵が崩れれば、火槍を持つ兵も逃げなければならない。
そう思った時、また轟音が響いた。
南へ向かった増援の先頭から、土煙が上がった。
列の一部が止まる。
後ろの兵が、その背へぶつかった。
先頭の隊長が、旗を横へ動かした。
射撃を避けて、進む場所を変えようとしていた。
だが、その先には、別の隊がいた。
すでに攻めていた兵と、退いてくる負傷者が道を塞いでいた。
兵を送れば、前へ届くはずだった。
その当たり前のことが、できなくなっていた。
◇ ◇ ◇
アレクは、敵の旗が横へ動くのを見た。
増援の隊が、進路を変えようとしている。
兵は多い。
だが、広がる場所がない。
「正面の旗へ」
ギルベルトへ伝えた。
「味方と戦っている列ではありません。後ろから来る隊です」
「承知しました」
命令が各班へ届く。
装填を終えた一班が、再び前へ出た。
兵の顔には汗が流れていた。
移動した後の射撃だった。
息を整える間もなく、手を動かしている。
アレクは、自分の火縄銃を構えた。
ロルフが飾りを施した銃床が、頬へ触れる。
薄い弾道が見えた。
煙が流れ、敵の盾の間に男の上半身が現れた。
アレクは、その姿を確かめた。
味方はいない。
引き金を引いた。
肩へ衝撃が来た。
男の姿が、盾の下へ消える。
命中を確かめ続ける暇はなかった。
アレクは火縄ばさみを上げ、銃を下ろした。
「撃ち過ぎないでください。敵が見えなければ、待ってください」
近くの班長へ言った。
兵は頷いた。
轟音の間に、右翼から別の声が聞こえ始めた。
敵の声ではなかった。
ヴィクトルたちの歩兵が、押し返している。
後ろから兵が届かなくなった敵の前列が、少しずつ下がっていた。
アレクは、手を上げた。
「左側は射撃を止めてください。味方が前へ出ています」
合図が送られた。
射つ班の中でも、味方に近い側の銃口が下がる。
残る兵は、さらに南へ出ている敵を狙った。
鉄砲隊全体が、歩兵の前進に合わせて射つ場所を変えていく。
ただ弾を撃ち込むだけではない。
味方が進むための場所を、開けなければならなかった。
◇ ◇ ◇
レオンハルトは、敵の旗を見ていた。
南へ重なっていた旗のうち、二つが後ろへ動いている。
前へ出るためではない。
押し返され、場所を失っていた。
騎兵の先頭へ、カスパルが来た。
「南の外側へ出られます」
「敵の騎兵は」
「火槍を避けて広がろうとしていますが、歩兵と重なっています」
レオンハルトは剣を抜いた。
伝令がアレクの方へ走った。
騎兵が通る場所を伝えるためだった。
赤い布が上がる。
鉄砲隊の南側の射撃が止まった。
レオンハルトは馬を進めた。
二千の騎兵が、後ろに続く。
鉄砲隊のさらに外側を回り、乾いた畑へ出た。
前には、向きを変えきれない敵の騎兵と、乱れた歩兵がいた。
槍を揃えて待っている軍ではなかった。
「続け!」
レオンハルトが馬を駆った。
黒獅子の旗が前へ出た。
蹄が地面を叩く。
敵の騎兵が慌てて馬を向ける。
その後ろで、歩兵が道を空けようとしていた。
間に合わなかった。
先頭がぶつかった。
馬が崩れ、兵が落ちる。
レオンハルトは、横から伸びた槍を剣で払った。
すれ違いざまに振り下ろす。
後ろから来た騎兵が、開いた場所へ続いた。
敵の外側が崩れた。
その内側では、ヴィクトルとエイドリアンの歩兵が前へ進んでいる。
前と横から押され、敵は退き始めた。
レオンハルトは、都市の方へ目を向けた。
まだ、後ろに旗があった。
敵将が残した予備だった。
それを前へ出させれば、退く兵とぶつかる。
出さなければ、こちらが追いつく。
レオンハルトは剣を上げた。
「散るな! 旗に続け!」
騎兵たちは黒獅子の旗の下へ寄り、隊列を整えながら進んだ。
◇ ◇ ◇
南の街道に、別の土煙が上がった。
最初に気づいたのは、都市の見張り塔にいた兵だった。
西の戦いを見ていた者が振り返り、声を上げる。
旗が見えた。
一つではない。
南から北へ向かって、兵の列が近づいていた。
ユリウスの五千だった。
先頭の騎兵千が、道の脇へ広がる。
歩兵四千は列を保ち、都市へ戻る街道の側方へ進んでいた。
何日も前から、斥候が確かめ、使いが行き来していた道だった。
ユリウスは、進む先を見た。
西では、敵の軍が崩れ始めている。
その兵が戻ろうとする街道は、こちらから見える場所にあった。
「門へ近づき過ぎるな」
ユリウスが命じた。
「城壁の弓兵に射られる場所まで進む必要はない。街道へ向かう敵の横へ出る」
隊長たちが応じた。
旗が動く。
それを見たロスヴァールの兵が、声を上げた。
「南にもいるぞ!」
「道を切られる!」
敵将は、振り返った。
南の軍が着くのは、まだ先だと思っていた。
こちらが勝ってから、向き直ればよいはずだった。
だが、その旗は、もう見えている。
前では黒獅子の騎兵が進み、南では新たな軍が街道へ近づいていた。
「予備を南へ向けろ!」
敵将が叫んだ。
「街道を守れ!」
残っていた二千が動いた。
だが、そこへ敗走する兵が流れ込んできた。
旗の違う隊だった。
前へ出ようとする者と、都市へ戻ろうとする者がぶつかる。
「止まれ! まだ戦える!」
隊長が叫ぶ。
兵は、その横を走り抜けた。
命令を聞いていないのではなかった。
自分の主君の旗が、すでに東へ動いていた。
それを追わなければ、置いていかれると思ったのだった。
◇ ◇ ◇
アレクは、銃口を下げさせた。
正面の敵が、背を向けていた。
その間へ、味方の歩兵が進んでいる。
ここから撃てば、追う味方を傷つける恐れがあった。
「射撃を止めてください」
ギルベルトが命令を繰り返した。
班長たちが走り、銃口を確かめる。
まだ装填を終えたばかりの兵もいた。
アレクは、追って前へ出ようとした者を止めた。
「隊を保ってください。勝手に追ってはいけません」
兵が足を止めた。
右翼の前には、盾が落ちていた。
槍も、弓もある。
その間で、傷を押さえた敵兵がうずくまっていた。
少し遠い場所では、まとまった敵の一隊が取り残されていた。
南のユリウス軍へ向かうことも、黒獅子の騎兵を横切って都市へ戻ることもできない。
隊長らしい男が、剣を持って周りを見ていた。
マティアスの伝令が、その近くへ向かった。
「武器を置け! 従う者は殺さぬ!」
声が響いた。
敵の隊長は、しばらく立っていた。
後ろでは、負傷した兵が仲間に支えられている。
男は剣を下ろした。
地面へ置く。
それを見た兵が、槍を落とした。
一人が置くと、その隣も置いた。
盾が、次々と地面へ並んでいった。
アレクは、それを見ていた。
鉄砲隊の兵の一人が、深く息を吐いた。
その顔から、急に力が抜けた。
隣の兵が肩をつかむ。
「おい」
「大丈夫だ」
そう答えた兵の腕から、血が落ちていた。
アレクは近づいた。
「後ろへ下がって、手当てを受けてください」
「まだ立てます」
「立てるうちに行ってください」
兵は口を閉じた。
仲間に支えられ、後ろへ向かう。
アレクは、その背を見送った。
敵が退いても、こちらの傷が消えるわけではなかった。
◇ ◇ ◇
ロスヴァール軍は、一つの方向へ逃げたのではなかった。
都市へ向かう者がいる。
城門の前が詰まっているのを見て、東の街道へ迂回する者もいる。
畑へ散り、武器を捨てて走る者もいた。
レオンハルトは、追撃を無制限には続けさせなかった。
門から矢が飛び始めたところで、前の騎兵へ戻るよう命じる。
ユリウスにも、都市の壁へ近づき過ぎず、外の街道を押さえるよう伝えた。
敵将は、最後まで戦場に残ってはいなかった。
側近に馬を引かれ、都市へ戻っていた。
門の前では、兵が押し合っていた。
槍を持ったまま入ろうとする者。
倒れた馬から鞍を外そうとする者。
荷車を押し、負傷者を先へ通そうとする者。
門兵が怒鳴った。
「車を寄せろ! 道を空けろ!」
誰も、思うようには動けなかった。
城主は、門の内側でその様子を見ていた。
出ていく時には、隊ごとに旗を立て、名を呼び合っていた兵だった。
今は、違う家の兵が肩をぶつけ、同じ門へ押し寄せている。
敵将が馬に乗ったまま入ってきた。
城主は、その前へ立った。
「軍は」
男は答えなかった。
「後ろの兵は、どこにいる」
「まだ戻ってくる」
「何人だ」
男は顔を背けた。
門の外から、また叫び声が上がった。
城主は振り返り、兵へ命じた。
「負傷者を広場へ運べ。門の前へ寝かせるな」
兵が動いた。
抗戦か開城かを話す前に、運び込まれる者の場所を作らなければならなかった。
◇ ◇ ◇
グランヴァルト軍が戦場の数をまとめ始めた頃、日は西へ傾いていた。
捕虜は、一か所へ押し込まなかった。
武器を置いた隊ごとに分け、将と一般の兵を離す。
負傷者は別へ運び、傷の重い者から手当てを受けさせた。
マティアスは、各隊の報告を受け取っていた。
レオンハルトも、その場にいた。
「本隊の死者は、今のところ百二十四です」
書記が告げた。
「傷のため戦えぬ者が三百八十六。右翼の歩兵に多く出ております」
アレクは、机の前に立っていた。
数字を聞きながら、右翼で運ばれていた兵の姿を思い出した。
自分たちが動く間、あの兵が前へ立っていた。
「ユリウス殿の隊は、死者十六。戦闘不能の負傷者が五十四です」
書記が続けた。
街道へ出た兵は、逃げる敵を見ていただけではない。
道を抜けようとする敵の予備兵と戦い、降伏しない隊を押し返していた。
両軍を合わせ、死者百四十。
当面戦えなくなった負傷者は四百四十。
戦闘に加わった一万七千九百五十六人のうち、引き続き動かせる兵は一万七千三百七十六人となった。
本隊は一万二千四百四十六人。
ユリウスの隊は四千九百三十人。
その数が、紙へ記された。
「鉄砲隊は」
レオンハルトが尋ねた。
アレクは答えた。
「六人が亡くなりました。十八人が、今は戦えません。動ける者は九百六人です」
「弾は」
「隊全体で、四千四百八十六発です。残りを確認し、各兵の弾薬箱へ補充を進めています」
レオンハルトは頷いた。
「右翼へ移した判断はよかった」
アレクは頭を下げた。
「歩兵が持たせてくれました」
「ああ」
レオンハルトは、外へ目を向けた。
「その者たちの働きも、記録へ残せ」
書記が返事をした。
天幕の外には、ヴィクトルとエイドリアンがいた。
二人とも、鎧を脱いではいなかった。
ヴィクトルの盾には、深い傷が増えていた。
アレクが外へ出ると、ヴィクトルが顔を上げた。
「間に合ったな」
アレクは頷いた。
「待たせました」
「待った甲斐はあった」
ヴィクトルは、傷の付いた盾を見下ろした。
「次は、もう少し早く頼む」
笑っていた。
だが、その顔にも疲れがあった。
アレクは笑い返さず、頷いた。
「はい」
エイドリアンが、手当てを受ける兵の方を見た。
アレクも、そちらへ顔を向けた。
勝った軍の陣にも、うめき声はあった。
◇ ◇ ◇
翌朝までに、捕虜となったロスヴァール兵は六千九百八十人と数えられた。
その中には、傷を負って運ばれてきた者も含まれていた。
戦場で確認された死者は、千七百八十六。
合わせて、八千七百六十六人。
一万六千の野戦軍は、半分を超える兵を、死者と捕虜だけで失っていた。
逃れた者の中にも、傷のため戦えない者がいるはずだった。
だが、その数までは分からなかった。
残った兵が、そっくり一つの軍として都市へ戻ったわけでもない。
東へ逃げた隊があり、旗を失って散った者もいる。
斥候は街道を調べ、逃げた兵が集まり直していないかを確かめていた。
城塞都市の門は、閉じられていた。
壁の上には弓兵が並んでいる。
その後ろに、高い塔が見えた。
石造りの下部の上へ木組みの楼が載り、屋根の下から、こちらを見ている者がいた。
アレクは、そこへ目を向けた。
城外で負けても、まだ壁がある。
敵は、その内側で次を決めようとしている。
レオンハルトは、四門の大砲が置かれた場所を通った。
砲手と職人が、車輪や砲の状態を確かめていた。
野戦の間は後ろに置かれ、まだ一発も撃っていない。
ロベルトが、運び込まれた砲弾の数を報告していた。
レオンハルトはそれを聞き、都市へ向き直った。
「まず、開城を求める」
マティアスが頷いた。
「条件は、これまでと同じでよろしいでしょうか」
「ああ。武器を置く者は保護する。城と軍の倉は渡させよ」
使者を出す用意が始まった。
アレクは、閉ざされた門を見た。
あの向こうへ戻った兵も、昨日の戦いを見ている。
それでも、門を開くかどうかは、まだ分からなかった。
◇ ◇ ◇
城内の広場には、戻った旗が立てられていた。
戻った旗の数は、出撃した時の半分にも満たなかった。
旗だけが戻り、その下へ集まる兵が僅かな隊もあった。
負傷者を収める建物は足りず、倉の一つが空けられた。
水を運ぶ住民の間を、家族の名を呼ぶ声が通っていく。
城主は、その広場を横切った。
奥の部屋では、野戦から戻った将たちが待っていた。
中央に、軍を率いた男がいる。
鎧の泥は落としていたが、顔色は悪かった。
「門は補強させている」
城主が言った。
「負傷者の場所も作った。だが、倉を空ければ、そこにあった荷を別へ移さねばならん。住民も兵も、同じ広場へ集め続けるわけにはいかない」
「城壁へ出せる兵を数えている」
男は答えた。
「まだ、守れる」
城主は、机の上へ名簿を置いた。
昨日の朝、一万六千を数えた紙だった。
戻った隊には、別の筆で数が書き加えられていた。
空白のままの場所が、いくつもある。
「これで、まだ城を守り抜けると申すのか」
男は、名簿を見た。
答えは出なかった。
その時、扉の外で兵が声を上げた。
「城外から使者です。グランヴァルト国王の名で、開城を求めております」
誰も、すぐには口を開かなかった。
窓の向こうでは、城壁の上の鐘が鳴っていた。
第十三話を読んでいただき、ありがとうございました。
歩兵が持ちこたえ、鉄砲隊が敵の攻勢を崩し、騎兵が反撃する。それぞれの働きが重なって得た勝利でした。
一方、敗れた将たちには、閉ざした門の内側でも決断が待っています。
少しでも面白い、続きが気になると思ってくださったら、ページ下部にある【ブックマークに追加】や【★★★★★】での評価で応援していただけると、執筆の励みになります!




