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『知らない世界で、前世の知識が武器になる』 ~剣と銃で乱世を生き抜く転生領主の成り上がり~  作者: 相田 ソウ
第七篇 乱世を越える黒獅子

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第十二話 勝利の向こうの影

お読みいただき、ありがとうございます。

ロスヴァールを巡る戦は、遠く離れた南の地でも続いています。

 城を出てから三日目、東へ続く街道の向こうに、白い布を掲げた騎馬が現れた。

 先に気づいた斥候が戻り、カスパルの騎兵が道を塞いだ。

 騎馬は四頭だった。

 鎧を着た者は一人だけで、残る三人は剣を腰へ下げているものの、兜も盾も持っていなかった。

 先頭の男が、懐から書状を取り出した。

 兵が受け取り、封を確かめる。

 そのやり取りを、アレクは街道脇から見ていた。

 後ろでは、鉄砲隊が歩いている。

 九百三十人。

 馬で動く直属の兵も、今は隊の進みに合わせていた。四門の大砲を引く馬のため、坂へ入る前に列を詰め直しているところだった。

 レオンハルトの本隊は、一万三千二百五十六人になっていた。

 城を守る兵を残すたび、進む列は短くなる。

 それでも、街道の先からやってきた四人には、十分に大きな軍に見えたらしい。

 書状を渡した男は、列の終わりを探すように後ろへ目を向けていた。

「次の城からです」

 カスパルが戻ってきた。

「降伏条件を確かめたいと申しております」

 マティアスが手を差し出し、書状を受け取った。

 目を通し、レオンハルトへ渡す。

「城主本人ではないのか」

 レオンハルトが尋ねた。

「家臣だそうです。条件を持ち帰るよう命じられたと」

「連れてこい」

 カスパルが兵へ合図を送った。

 ほどなく、使者が街道脇へ通された。

 男は膝をつき、名乗った後、城主から託された言葉を述べた。

 武器を置いた兵は殺されないのか。

 住民の家へ兵を入れ、食料を奪わせることはないのか。

 城を渡した後、領主の家族はどう扱われるのか。

 レオンハルトは、一つずつ答えた。

 すでに降伏した城へ伝えた条件と、変わらない。

 家と領地の処遇は裁定するが、降伏したというだけで、その家族を兵の好きにさせることはない。

 使者は、何度も頷いていた。

「岩場の城へ入っていた者が、村へ戻っております」

 やがて、男が言った。

 アレクは顔を向けた。

「あの城の者に会ったか」

 レオンハルトが尋ねた。

「はい。家へ帰ることを許され、荷車も返されたと聞きました。兵が車輪を持ち上げ、道へ出すのを手伝っていたとも」

 使者の視線が、アレクの後ろで揺れる旗へ移った。

 林檎の花と、その周りの五つの蕾。

「その旗の方が、城主と話をされたのでしょうか」

「そうだ」

 レオンハルトが答えた。

 使者は、アレクへ頭を下げた。

「主から、その話が本当か確かめてくるよう申しつかっております」

 アレクは男を見た。

 自分が門を出てからも、あの城では暮らしが続いている。

 住民が家へ帰り、隣の村で誰かと話し、その言葉が次の城まで届いていた。

「住民の方々が帰るところは、私も見届けました」

 アレクは答えた。

「城には守備兵を置いています。住民からの訴えを受ける者も定めました」

「ありがとうございます」

 男は、深く頭を下げた。

 レオンハルトが書状をマティアスへ渡す。

「同じ条件を書き渡せ。門を開く日時と、兵を集める場所も決めさせよ」

「承知しました」

 使者が下がってから、アレクは再び自分の旗を見た。

 門の前では、矢の先ばかりが目に入っていた。

 あの時の自分に、こんなところまで考える余裕はなかった。

「アレク」

 マティアスに呼ばれた。

「はい」

「城で渡した書状の写しを持ってこい。今回も同じ条件だと、使者へ確かめさせる」

「承知しました」

 アレクは馬の方へ向かった。

 背後では、別の伝令がレオンハルトへ報告を始めていた。

 南を進むユリウスの軍からだった。

 確保した城へ守備を置き、さらに東へ通じる街道を押さえたという。

 戦場で分かれた二つの軍は、違う道を進みながら、同じ王都へ近づいていた。

 ◇ ◇ ◇

 ロスヴァール南方の係争地帯では、朝から弓弦の音が続いていた。

 城壁の上へ、矢が突き立つ。

 石の隙間へ身を寄せていた兵が、盾を持ち上げた。

「下へ出るな! 壁の陰に入れ!」

 アーノルド・フォン・ケッセルハイムの声に、兵が腰を落とした。

 その頭上を、矢が越えていく。

 城の南側の正面には、カルディア軍の盾が並んでいた。

 弓兵が後ろから射かけ、盾を持つ歩兵が少しずつ進む。

 門へ近づくための道には倒木を置き、その内側にも柵を組んであった。敵はそれを取り除くたび、城壁から狙われた。

 正面だけを見れば、まだ持つ。

 門は破られていない。

 城壁にも、兵が通れるほどの崩れはなかった。

 だが、アーノルドが見ていたのは、敵の正面ではなかった。

 右手に続く丘の間で、土煙が上がっていた。

 朝には見えなかった旗が、木々の向こうへ消えていく。

 隣へ来た副官が、低い声で告げた。

「戻った斥候が申すには、千二百ほどです。騎兵も混じっております」

「西の道か」

「はい。このまま進めば、城の北へ回ります」

 アーノルドは頷いた。

 カルディア軍は六千。

 そのうち三千三百が正面へ出ていた。後ろの陣と荷駄を守る兵が千五百。残る千二百が、西を回っている。

 こちらは二千五百。

 西へ送った千五百は、戻ってこない。

 二つの前哨地から引き揚げさせた兵も、今、城壁に立っている者たちの中にいた。

 外へ出して、回り込む敵を追い払う余裕はなかった。

「西の隊を止めるなら、門から打って出るほかありません」

 副官が言った。

「出れば、正面の三千に背を向ける」

「では、夜のうちに道へ兵を」

「その兵を出した分だけ、壁が空く」

 アーノルドは答えた。

 副官は黙った。

 城を守るための兵を、城から離さなければ道を守れない。

 道を守らなければ、城の兵が閉じ込められる。

 敵は、その形を作ろうとしていた。

 アーノルドは城壁から下りた。

 階段の途中で、腕を押さえた兵が運ばれてくる。

 指の間から血が流れていた。

 担いでいる仲間の一人が、アーノルドへ気づいて立ち止まりかける。

「止まるな。手当てへ連れていけ」

 兵は頭を下げ、そのまま進んだ。

 広場には、門へ運ぶための丸太が積まれていた。

 その隣では、荷車の車輪を兵が叩いて確かめている。

 アーノルドは足を止めた。

「負傷者を乗せる車は」

「用意できております」

 荷車を見ていた兵が答えた。

「村の者は」

「城を出たい者は、荷をまとめています。ただ、家へ戻れると思っている者もおります」

「北の城へ向かうと伝えよ。村へ帰れるとは言うな」

「承知しました」

 副官が、アーノルドの後を追ってきた。

「閣下」

 呼び止める声が硬かった。

「城を退くおつもりですか」

「ああ」

「王命では、ここを守れと」

「覚えている」

 アーノルドは歩き続けた。

 部屋へ入り、机に置かれた地図を広げる。

 城の北には川があり、街道は浅い谷を通って橋へ続いていた。

 橋を越えれば、道は再び広くなる。

 その先に、次の城がある。

 長年奪い合ってきた土地より、一つ内側の城だった。

 副官も地図を見た。

「今夜なら、まだ橋へ出られます」

「敵の西の隊が先に着けば、出られなくなる」

 アーノルドは言った。

「壁が破られるまで待てば、退くために敵の間を通らねばならん」

「ですが、許しなく城を捨てれば」

「城を失えば、私が責任を負う」

 アーノルドは副官を見た。

「ここで兵まで失えば、次の城は誰が守る」

 副官は答えなかった。

 外では、矢を運ぶ兵の足音が続いていた。

 アーノルドは紙を引き寄せた。

 王都へ送る報告を書き始める。

 守備兵の数。

 敵の兵数。

 西を回る敵の動き。

 城と街道の両方を保てなくなったこと。

 自分の判断で兵を退き、次の城で防戦を続けること。

 書き終えると、印を押した。

「これを先に出せ」

 副官が受け取った。

「お返事を待たずに、ですか」

「待てば、この道を使いが通れなくなる」

 アーノルドは地図の橋を指した。

「荷車を先に出す。兵は二千を順に退かせろ。住民に付き添う二百も、その中から出す」

「残りの五百は」

「私と残る」

 副官の顔が上がった。

「最後尾を、別の者へ任せては」

「道を塞がれた時、ここに残る兵だけで決めねばならん。私がいる方が早い」

 アーノルドは地図を畳んだ。

「倉を燃やすな。運べぬ軍の兵糧は残してよい。火を上げれば、退く時が敵に分かる」

「承知しました」

「住民の荷へ兵を割り込ませるな。ただし、車を捨てねば通れぬ場所があれば、人を先に出せ」

 副官が一礼した。

 アーノルドは、壁に掛けていた兜を手に取った。

 城を守れなかった。

 その事実は、何を書いても変わらない。

 ならば、せめて、ここへ連れてきた兵を城と一緒に失ってはならなかった。

 ◇ ◇ ◇

 日が落ちても、城壁の火は消えなかった。

 兵が歩き、時折、外へ声を掛ける。

 正面の敵から見れば、昼と変わらず守備兵が残っているように見えた。

 城の裏では、荷車が一台ずつ門を抜けていた。

 車輪が石へ当たるたび、兵が手を添える。

 泣き出した子供を、母親が抱き上げた。

「もう少しだ」

 兵が小声で言った。

「坂を下りたら、車へ乗せてやる」

 母親は頷き、子供を抱えたまま歩いた。

 負傷者の乗る車は、先に出していた。

 その後ろへ住民が続き、荷を運ぶ兵に続き、歩兵の列が動く。

 城壁の兵も、一度には下ろさなかった。

 一つの持ち場が空くと、隣の兵が少しずつ間を広げた。

 火は残す。

 声も絶やさない。

 敵の陣から鐘が鳴り、夜の見張りが交代する音が届いた。

 アーノルドは、裏門の内側に立っていた。

 通り過ぎる兵の顔を見る。

 煤で汚れた者。

 唇を噛みしめている者。

 何度も城壁を振り返る者。

 この城で、何年も戦ってきた兵がいる。

 仲間を埋めた場所も、ここにあった。

「急げ」

 アーノルドは言った。

「列を切るな」

 感傷に付き合っている時間はなかった。

 城壁から最後の兵が下りてきた時、東の空が僅かに白み始めていた。

 五百人が門を抜ける。

 アーノルドも、その中へ入った。

 門の扉を閉じた兵が、走って追いついてくる。

 誰も、鍵を掛けには戻らなかった。

 ◇ ◇ ◇

 カルディア軍が異変に気づいたのは、夜明けだった。

 城壁の火は残っている。

 だが、いつもの場所を歩く兵がいない。

 門へ近づいた斥候が戻り、城内の物音が聞こえないと告げた。

 正面へ出ていた指揮官は、すぐに兵を進ませた。

 門を押した兵が、隙間から中へ入る。

 広場には丸太が残され、倉の扉も閉じたままだった。

 だが、槍を持って待ち受ける兵はいなかった。

「逃げたぞ!」

 声が上がった。

 続いて入った兵が、城壁へ駆け上がる。

 ロスヴァールの旗が下ろされ、代わってカルディアの旗が掲げられた。

 城外で、それを見たカルディア兵が歓声を上げた。

 指揮官は、喜ぶ兵へ怒鳴った。

「まだ荷車は遠くへ行っておらん! 北へ追え!」

 正面の兵から八百が出された。

 西を回っていた隊にも伝令が走る。

 そちらの騎兵四百を先行させ、逃げる敵の列を横から押さえる。

 追撃に使う兵は、合わせて千二百。

 城を退いた敵は二千五百と聞いていたが、住民と負傷者を連れている。

 先頭を止めれば、後ろが詰まる。

 その間に歩兵が追いつけば、街道の上で崩せるはずだった。

 騎兵は、街道へ続く丘を越えた。

 朝の光の中に、荷車の列が見えた。

 遠い。

 だが、その後ろに歩兵がいる。

 さらに手前、道の狭まる場所に、盾が並んでいた。

 騎兵の先頭が速度を落とした。

 左には斜面。

 右には、水の流れる浅い谷。

 馬を横へ大きく広げて進める場所ではなかった。

 盾の上に、弓が見えた。

 ◇ ◇ ◇

「まだ射るな」

 アーノルドは、道の右側から言った。

 残した五百のうち、二百の槍兵を街道へ並べていた。

 弓兵二百は、道の両側に分けている。

 残る百は後ろに置き、崩れた場所を埋め、負傷者を運ぶ役目を与えた。

 敵を囲むための配置ではない。

 街道を通る者を、正面と横から狙うための配置だった。

 騎兵が、こちらを見て止まっている。

 勢いのまま突っ込んではこなかった。

 アーノルドは、その判断を悪いとは思わなかった。

 時間が経つほど、後ろの荷車は橋へ近づく。

 敵がためらうだけでも、こちらの役には立った。

 やがて、騎兵が道の端へ寄った。

 後ろから歩兵が見え始める。

 盾を前へ出し、騎兵の間を抜けて進んできた。

 追いついた歩兵の先頭、二百ほどだった。

「弓兵、右を狙え」

 アーノルドが命じた。

 盾を持つ敵兵が、中央へ寄り過ぎていた。

 谷に近い側の兵は、足元を気にして、盾を正面へ向けきれていない。

「射よ!」

 矢が飛んだ。

 敵の列が揺れた。

 盾を上げた兵が、隣の者とぶつかる。

 後ろから押され、道の端へ足を踏み外した者がいた。

 それでも、敵は止まらなかった。

 盾を揃え直し、槍を前へ出す。

 アーノルドは剣を抜いた。

「槍を下げよ! 前へ出過ぎるな!」

 二百の槍兵が、穂先を揃えた。

 敵の盾が当たる。

 木と鉄のぶつかる音が、谷へ響いた。

 先頭の兵が押された。

 アーノルドは、その後ろへ寄った。

「左から詰めろ! 道を空けるな!」

 予備の兵が動いた。

 負傷して膝をついた味方が、腕を引かれて後ろへ運ばれる。

 空いた場所へ、別の槍が出た。

 敵の歩兵は、次々と追いついてくる。

 後ろの騎兵も、斜面を上がれる場所を探していた。

 長くは持たない。

 アーノルドは、橋の方を見た。

 伝令が走ってくる。

 息を切らしながら、片手を上げていた。

「荷車は、渡り終えました!」

「兵は」

「先に退いた隊も、ほとんどが対岸へ!」

 アーノルドは頷いた。

「弓兵、半分下がれ。次の曲がり角で待て」

 百人の弓兵が動いた。

 残る百が射かけ、敵の頭を下げさせる。

 槍兵は、一斉には背を向けなかった。

 後ろの列から少しずつ離れ、道の曲がり角へ向かう。

 前に残る盾の間隔が広がり過ぎないよう、アーノルドが声を掛けた。

「まだだ。隣を見ろ」

 敵が押してくる。

 槍先が盾の縁を越え、味方の肩へ入った。

 兵が倒れた。

 アーノルドは腕をつかみ、後ろへ引いた。

 別の兵が反対側を支える。

「運べ!」

 血が手袋へ付いた。

 拭く暇はなかった。

 後方から角笛が鳴った。

 下がった弓兵が、次の持ち場へ着いた合図だった。

「退け! 曲がり角まで走れ!」

 槍兵が離れた。

 最後まで射ていた弓兵も、弓を下ろして走る。

 敵の歩兵が追った。

 だが、曲がり角を越えたところで、待っていた百人の弓兵から矢を浴びた。

 追撃の先頭が盾を上げ、足を止める。

 その間に、アーノルドたちはさらに下がった。

 倒した敵を確かめには戻らない。

 落ちた武器も拾わない。

 前の味方へ追いつき、橋を渡る。

 それだけを繰り返した。

 最後の兵が橋へ入った時、対岸には、先に退いた歩兵が盾を並べて待っていた。

 カルディアの騎兵が、橋の手前まで来た。

 だが、狭い橋を越えて、その盾へ飛び込む者はいなかった。

 アーノルドは橋を渡り終え、そこで初めて振り返った。

 敵の旗が見える。

 その後ろに、捨ててきた城があった。

 城壁の上で、カルディアの旗が揺れていた。

 ◇ ◇ ◇

 次の城へ入った時、兵たちは声を上げなかった。

 門の内側へ座り込む者がいる。

 水を受け取り、両手で器を持つ者がいる。

 荷車から下ろされた負傷者が、用意されていた建物へ運ばれていく。

 アーノルドは、報告を待った。

 城を退くまでの防戦と、その後の追撃戦を合わせ、死者二十七。

 傷のため戦えなくなった者が八十三。

 生きてこの城へ着いた兵は、二千四百七十三人。

 そのうち、引き続き持ち場へ出せる者は二千三百九十人だった。

 新しい城にも、元からいる守備兵がいる。

 だが、アーノルドは、連れてきた者と混ぜて数えさせなかった。

 誰を失い、誰が戻ったかを、先に確かめる必要があった。

「追撃してきた敵は、橋の南へ留まっております」

 副官が報告した。

「橋を渡ってくる様子は、今のところありません」

「見張りは続けよ。兵は交代で休ませる」

「承知しました」

 副官は、まだ何か言いたそうにしていた。

「何だ」

「先に王都へ送った使いから、道中で得た報せが届いております」

 アーノルドは顔を上げた。

「西の城が、また一つ落ちたと」

「どの城だ」

 副官が答えた。

 アーノルドは、地図の上へ目を落とした。

 すでに聞いていた場所より、さらに内側だった。

「大砲で門を破られた城の、その先か」

「はい。詳しいことは、まだ」

 アーノルドは地図から目を離さなかった。

 西へ兵を送った。

 そのために、南の城を捨てた。

 それでも、西の軍は止まっていない。

 手の中で、血の乾いた手袋が軋んだ。

「王都へ、到着した兵の数を送れ」

 アーノルドは言った。

「城を退いた理由も、もう一度書く。ここで守りを立て直すには、兵糧と矢が要ると」

「承知しました」

「傷を負った者の数を省くな。まだ槍を持てる者だけを数えて、足りると思われては困る」

 副官は、深く頷いた。

 アーノルドは窓へ向かった。

 下の広場で、住民の女が、兵へ何度も頭を下げていた。

 その足元には、眠った子供がいる。

 逃がせた者はいる。

 逃がせなかった兵もいる。

 自分が王へ示せるのは、その両方だった。

 ◇ ◇ ◇

 カルディア軍が城を得た日の午後、広間には酒が運ばれた。

 杯は、まだ配られなかった。

 指揮官たちが先に集められ、門と城壁の持ち場を割り振られていたからだった。

 長く奪い合ってきた城だった。

 石壁には古い補修の跡があり、倉の扉には、以前カルディアが支配していた時につけた印も残っている。

 兵の中には、その印を覚えている者がいた。

「ようやく取り戻しましたな」

 一人の将が言った。

 広間の奥に座る総指揮官は頷いた。

 だが、笑顔にはならなかった。

「敵将を取り逃がした」

「城は手に入りました」

「兵を二千以上も連れて逃がした。次の城にも、同じ者がいる」

 追撃を指揮した将は、口を閉じた。

 カルディア側も、無傷ではなかった。

 城への攻撃と街道での追撃を合わせ、死者三十九。

 傷を負い、当面戦えない者が百七。

 六千のうち、動かせる兵は五千八百五十四人になっていた。

 書記が部隊ごとの報告を揃え、机へ置いた。

 総指揮官は、それを確かめた後、ようやく杯を取った。

「それでも、城を得たことは勝利だ」

 周囲も杯を持ち上げた。

「ここを失うな」

 短い言葉に、将たちが応じた。

 酒を飲み終えたところで、扉の外から声がした。

 西方の様子を探らせていた者が戻ったという。

「通せ」

 泥の付いた外套を着た男が、広間へ入ってきた。

 総指揮官の前で膝をつき、包みを差し出す。

「街道ごとに集めた報告でございます。使いが通れぬ場所があり、遅くなりました」

「グランヴァルト軍か」

「はい」

 机の上から杯が退けられた。

 地図が広げられる。

 男は、総指揮官の許しを得て、城の位置を順に示した。

 最初に、野戦の後で門を開いた城。

 次に、大砲で門を破られた城。

 そして、岩場の上に築かれた城。

「ここもか」

 総指揮官が、指を止めた。

「はい」

「いつだ」

「城から戻った住民に、三日前に会っております。その時には、すでにグランヴァルトの守備兵が入っていました」

 広間が静かになった。

 総指揮官は、隣の将を見た。

「最後に聞いていたのは」

「大砲を運んでいるという話です」

「では、その間に門を破り、さらに先へ進んだのか」

「そのようです」

 報告を持ち帰った男は、別の書状も出した。

「南の街道では、別の軍が動いております。こちらでも、城が開いています」

 地図の上へ、もう一つ印が置かれた。

 西から東へ伸びる道が二本。

 グランヴァルトの兵は、一つの城の前へ集まり続けているのではなかった。

 野戦でロスヴァールの軍を破った後、別々の街道を押さえながら進んでいる。

「岩場の城まで、大砲で破ったのか」

 一人の将が尋ねた。

「いえ。使者が入り、城主が開城を決めたと聞いております」

「砲撃もせずに?」

「はい」

 将は、言葉を失った。

 城を落とすには、日が掛かる。

 兵を並べ、矢を集め、門や壁を崩し、あるいは兵糧が尽きるのを待つ。

 その間に、ほかの城が備える。

 援軍を集め、街道を塞ぎ、次の戦いに備える。

 だが、戦わずに門が開けば、その日数がなくなる。

 城の中にいた兵だけでなく、後ろの城が得られるはずだった時間まで失われる。

「いくつか城を取れば、兵を引くのではなかったのか」

 誰かが言った。

 返事はなかった。

 総指揮官は、地図の西側から指を動かした。

 まだロスヴァールには城がある。

 王都も遠い。

 国を失ったわけではない。

 それでも、この進み方は、国境の城を二つか三つ取り合う戦とは違っていた。

「黒獅子は、どこで止まるつもりだ」

 報告の男は頭を下げた。

「そこまでは、確かめられておりません」

「そうか」

 総指揮官は、杯を見た。

 先ほどまで、喜ぶための酒だった。

 今は、その匂いが妙に強く感じられた。

 ◇ ◇ ◇

 夜の軍議には、城の倉を調べた者も呼ばれた。

 残されていた兵糧はある。

 井戸も使える。

 だが、それだけで、この先へいくらでも進めるわけではなかった。

「ここを守りながら、次の城へ出すなら、千五百は残すべきです」

 将の一人が言った。

「門と壁だけではありません。後ろの街道と、渡し場にも兵が要ります」

 総指揮官は頷いた。

「動かせる兵は四千三百五十四か」

「はい。負傷者は、ここで手当てを続けます」

 別の将が地図を指した。

「敵将が退いた城には、元からの守備兵もおります。すぐ落とせるとは限りません」

「分かっている」

「ならば、ここを固め、しばらく様子を見る方が」

「グランヴァルトとの取り決めがある」

 総指揮官は遮った。

「こちらだけ兵を引き、ロスヴァールがまた西へ兵を送れるようにすれば、何のために手を組んだと言われる」

「ですが、我々が欲しかったのは、この土地です」

「ああ」

 総指揮官は答えた。

「だからといって、取ったから後は知らぬとは言えん」

 誰も、進んでロスヴァールの奥まで攻めたいとは言わなかった。

 長年争ってきた土地を、ようやく取り戻したばかりだった。

 兵を集めた諸侯も、まずここを確実に押さえたいはずだった。

 さらに先へ進めば、守る場所が増える。

 兵糧を運ぶ道も延びる。

 城を取るたび、その城に兵を残さなければならない。

 西の大軍と同じ速さで進む力は、今のカルディア軍にはなかった。

「次の城へは出る」

 総指揮官が決めた。

「ただし、門へ兵を重ねて失うな。外の道を押さえ、敵が兵を出せば退ける。攻める場所と時を選べ」

 将たちが頷く。

「王都へも報告する。西の戦いは、我々の見込みより早く進んでいる」

 書記が筆を取った。

 総指揮官は、少し間を置いて続けた。

「グランヴァルトがロスヴァールの王都まで進むつもりなのか、確かめる必要がある」

 その言葉を聞いて、広間の一人が地図の向こうを見た。

 今は、ロスヴァールの領地だった。

 だが、もしそこにある城が、すべて黒獅子の旗へ変わったら。

 この城の次に向かい合う相手も、変わる。

 今回の勝利を助けた軍が、そのまま新しい隣国の軍になるのだった。

 ◇ ◇ ◇

 カルディア軍が次の城へ姿を見せた時、アーノルドは城壁の上にいた。

 街道へ出た敵の先頭が止まる。

 その後ろで、兵が左右へ分かれ、陣を置く場所を確かめ始めた。

 門へすぐに押し寄せてはこなかった。

「四千を超えております」

 隣の兵が告げた。

 アーノルドは敵の動きを見た。

 前の城で向き合った六千が、そのまま来たわけではない。

 取った城と街道へ、兵を残したのだろう。

 それでも、軽く扱える相手ではなかった。

「外へ出ている者を戻せ。敵の騎兵へ、荷車を見せるな」

「承知しました」

 副官が階段を上がってきた。

 手に書状を持っている。

 アーノルドは、その封を見た。

 王都からだった。

 受け取り、開く。

 短い文だった。

 城を失ったことへの叱責。

 退いた兵を用い、次の城を必ず守れという命令。

 求めた兵糧と矢については、手配を急がせるとだけあった。

 いつ届くのかは、書かれていなかった。

 アーノルドは最後まで読み、書状を畳んだ。

「何と」

 副官が尋ねた。

「ここを守れと」

「援軍は」

「書かれておらん」

 副官の口元が歪んだ。

 アーノルドは、書状を懐へ入れた。

「兵には、持ち場を知らせよ。王都への使いは続ける」

「承知しました」

「倉の数も、毎日確かめろ。足りなくなってから申しても、間に合わん」

 副官が下がった。

 アーノルドは再び城外を見た。

 カルディア軍の陣では、杭を打つ音が始まっていた。

 すぐには帰らない。

 こちらも、ここから兵を動かせない。

 西へ送った者たちは、今、どの城にいるのだろう。

 まだ、まとまった隊として動けているのだろうか。

 アーノルドは、城壁へ手を置いた。

 答えのない問いを考えていても、目の前の兵は守れなかった。

「弓兵の矢を数え直せ」

 近くの兵へ命じた。

「昨日戻った者と、この城の者で、持ち分が違う。足りぬ隊へ回しておけ」

 兵が走った。

 アーノルドは、その背を見送った。

 ◇ ◇ ◇

 南部の戦いの報告が、グランヴァルトの本隊へ届いたのは、その数日後だった。

 カルディアからの使者は、取り戻した城の名と、さらに先へ兵を進めたことを伝えた。

 マティアスは地図を広げ、位置を確かめた。

 アレクも、その横にいた。

 南部戦線から来た使者の外套には、道の土が厚く付いている。

 こちらが一つの城の前で話をしている間にも、遠い場所では別の兵が戦い、城を出ていた。

「ロスヴァール軍は、退いたのですね」

 マティアスが尋ねた。

「はい。夜のうちに城を出ました。追撃しましたが、街道と橋で防がれたと聞いております」

「城内の兵は、どれほど残っていたのでしょう」

「二千五百ほどだったとのことです。詳しい損害までは分かりませんが、大半が次の城へ入りました」

 マティアスの指が、地図の上で止まった。

 使者は、カルディア側がさらに先の城へ圧力をかけていることを説明した。

 同じ戦場で合流する話ではない。

 南に残るロスヴァールの兵を、西へ動かさせないための戦いだった。

 報告を聞き終えたレオンハルトが、使者へ言った。

「協力に感謝する。こちらの進軍も、書状で知らせよう」

 使者は頭を下げた。

 旅の間の食事と休む場所を与えられ、天幕を出ていく。

 アレクは、地図の南側を見た。

「城を捨てても、兵を残したのですね」

 マティアスが頷いた。

「退かせた兵で、次の城を守っている」

「王命に背くことには、ならないのでしょうか」

「命令の内容までは分からん。だが、城を失えば、何も言われずには済まないだろう」

 マティアスは、使者が残した書状へ目を戻した。

「それでも退いた。追われながら、荷車まで逃がしている」

 レオンハルトが椅子へ腰を下ろした。

「退く戦は、誰にでもできるものではない」

 アレクは頷いた。

 敵へ向かって進む時とは違い、退く兵は、後ろから迫る敵にも気を配らなければならない。

 止まれば置いていかれると思い、走れば隣の者が遅れる。

 そこで列を保ち、負傷した仲間を運ぶには、命令を出す者だけでなく、その命令を信じて残る兵も必要になる。

 マティアスが、天幕の入口にいた従者を呼んだ。

「使者に、もう一つ確かめたいことがある。休もうとしているところを済まないが、もう一つだけと断って聞いてきてくれ」

「何を伺いましょう」

「城を退いた軍を率いていた者の名だ」

 従者が一礼して出ていった。

 マティアスは、地図へ小さな印を置いた。

 西から見れば、まだ遠い城だった。

 今すぐ、こちらの前へ現れる将ではない。

 それでも、その軍が南に残るか、西へ動くかで、これからの戦いは変わる。

 従者が戻ってきた。

「アーノルド・フォン・ケッセルハイムという将だそうです」

 マティアスは、その名を繰り返した。

「アーノルド・フォン・ケッセルハイム」

 アレクも、地図の印を見た。

 まだ顔も知らない。

 声を聞いたこともない。

 だが、その男が、城を失う責任を負いながら、兵を連れて退いたことは分かった。

「覚えておこう」

 マティアスが言った。

 地図の西と南に、違う旗の印が置かれていた。

 その間には、まだロスヴァールの城が並んでいた。

第十二話を読んでいただき、ありがとうございました。

城を取ったカルディアと、城を捨てて兵を救ったアーノルド。それぞれの判断が、南の戦線を動かしました。

そして、マティアスが一人の将の名を覚えました。


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