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『知らない世界で、前世の知識が武器になる』 ~剣と銃で乱世を生き抜く転生領主の成り上がり~  作者: 相田 ソウ
第七篇 乱世を越える黒獅子

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第十一話 門の向こうの願い

お読みいただき、ありがとうございます。

険しい地形に守られた城を前に、アレクは何を思うのでしょうか。

 次の城が見えた時、アレクは門へ続く道を目で追った。

 岩場を削った坂道が、城の手前で折れ曲がっている。

 下から見えるのは門の上半分だけだった。道の両側には石壁が張り出し、坂を上がる者を横からも狙えるようになっていた。

 前の城とは違う。

 四門の大砲は、点検を終えて本隊に続いていた。消費した砲弾と鉄砲隊の弾薬も、補充されている。

 だが、砲弾が揃っていても、門を狙える場所へ大砲を据えられなければ意味がなかった。

「あの曲がり角まで運ばねば、門へ向かんか」

 レオンハルトが言った。

 アレクは坂の途中を見た。

「下からでは、張り出した壁に遮られます。門へ向けられる場所まで運ぶには、城壁のすぐ下を通らなければなりません」

「運んでいる間に射られるな」

「はい。砲を据える場所も、広くありません」

 レオンハルトは、門の上へ目を向けた。

 弓を持った兵が見える。

 こちらを指差す者がいて、その隣へ盾を持つ兵が寄った。

 守備兵は、敗残兵を含めて千五百ほどと聞いていた。

 対する本隊は、一万三千八百五十六人。

 鉄砲隊九百三十人も、その中にいる。

 兵数では大きく上回っていたが、狭い坂へ一度に並べられる人数は限られていた。

 一万人を連れていても、門の前へ立てるのは、そのうちの僅かな兵だけになる。

 レオンハルトは馬を返した。

「陣を置く。城から見えぬ道も調べよ」

 伝令が走った。

 兵の列が坂から離れ、平地へ広がり始める。

 アレクも、自分の隊へ戻った。

 火縄銃を持つ兵たちの顔には、行軍の疲れがあった。

 城を一つ取れば、それで戦が終わるわけではない。

 門を破り、負傷者を運び、残す兵を決め、また次の城へ向かう。

 その繰り返しの中で、列は少しずつ短くなっていた。

 アレクはギルベルトを呼んだ。

「兵を休ませてください。銃の点検を終えた者から、食事を取らせます」

「承知しました」

「城へ近づく命令は、まだ出ていません。勝手に坂へ上がらないよう伝えてください」

 ギルベルトが頷いた。

 アレクはもう一度、城を見上げた。

 門は閉じていた。

 その向こうにいる者たちも、こちらの兵を数えているのだろう。

 ◇ ◇ ◇

 斥候が戻ったのは、陣を整えた後だった。

 城の南側を回る道が、東の街道へ続いている。

 荷車を何台も並べて通せる道ではないが、歩兵と騎兵なら進める。岩場の陰を通り、城の正面へ近づかずに東へ抜けられるという。

「その先に、道の分かれる場所がございます」

 斥候は地図を指した。

「一方は内陸の城へ、もう一方は穀物を集める村々へ続いております」

「敵は」

 マティアスが尋ねた。

「村から食料を集める兵が動いております。大きな軍ではありませんが、荷車を東へ送っているようです」

 マティアスは、レオンハルトへ顔を向けた。

「先に押さえた方がよろしいかと存じます。援軍だけでなく、この城へ入る兵糧も通る道です」

「任せる」

 レオンハルトが答えた。

「歩兵二千、騎兵五百を率いよ。道を押さえ、村へ出ている敵兵を追い払え。ただし、深く追って散るな」

「承知しました」

「村の食料を、敵と奪い合うことにはするな」

「はい。必要な物は、持ち主と話をつけます」

 ロベルトが、荷駄を扱う者を数人付けると申し出た。

 マティアスは頷き、道と村の名を確かめていく。

 城の前に残る兵は、一万一千三百五十六人になる。

 鉄砲隊と大砲は、レオンハルトの下へ残された。

 アレクは天幕の外で、マティアスの出発を見送った。

 二千五百人の列が、斥候を先頭に南の道へ入っていく。

 マティアスは振り返らなかった。

 城を取るために、それぞれの仕事へ向かっている。

 アレクは、その背が見えなくなってから、天幕へ戻った。

 すでに、城へ最初の使者が送られていた。

 レオンハルトの名で開城を求め、従う者への殺害と略奪を禁じることを伝える使者だった。

 返事が届いたのは、日が少し傾いてからだった。

「城主は、条件を確かめたいとのことです」

 戻った使者が言った。

「降伏するとは申しておりません。ただ、城を渡した後、領民の家と畑を誰が守るのかと」

 レオンハルトは椅子へ腰を下ろしたまま、使者を見た。

「ほかには」

「王の兵が戻った時、降伏した者として処罰されるのではないか。その時にも守るというのか、と尋ねられました」

「自分の領地は、そのまま残せと言ったか」

「領地を残してもらえるのかとも尋ねられました。ただ、最初の問いは村のことでした」

 アレクは顔を上げた。

 最初に尋ねたのは村。

 自分の爵位でも、城の倉でもなかった。

 使者が続ける。

「城内には、周囲の村から入った者が大勢いるようです。ですが、家畜や家を守るために、村へ残った者もいると聞きました」

 レオンハルトは、机の上へ置かれた返書を開いた。

 城主の名と印がある。

 その下に、短い文で問いが並べられていた。

「返事を引き延ばし、援軍を待つつもりかもしれません」

 近衛の一人が言った。

「その可能性はある」

 レオンハルトは答えた。

 アレクは返書を見た。

 援軍を待っている。

 それは、そうなのだろう。

 だが、ただ待つだけなら、門を閉じたまま拒めばよい。

 相手が何をするか、わざわざ尋ねてきた。

 以前、戦わずに開城した城で、荷車の麦を調べさせた時のことを思い出した。

 女が荷台へ触れ、少し離れた場所から城主がこちらを見ていた。

 その城主が確かめていたのは、こちらが強いかどうかではなかった。

 約束が、本当に守られるかどうかだった。

「陛下」

 アレクは声を出した。

 レオンハルトが顔を向ける。

「私を使者として行かせてください」

 天幕の中が静かになった。

 レオンハルトは、すぐには答えなかった。

「何を話す」

「城主が心配していることを、直接聞きたいと思います」

「勝てぬと教えるだけなら、もう使者が伝えた」

「はい。それだけでは、門を開けない相手なのだと思います」

 アレクは返書へ目を向けた。

「降伏した後に、何を失うのか。何を守ってもらえるのか。それが分からないままでは、城主も兵へ武器を置けと命じられないのではないでしょうか」

「行けば、分かるか」

「分からないこともあると思います。ですが、話を聞かずに攻めれば、この返事の意味も分からないままになります」

 レオンハルトはアレクを見ていた。

 アレクも目を逸らさなかった。

 門の上には弓兵がいる。

 自分が使者だと名乗っても、必ず安全とは限らない。

 それでも、城を攻めれば、もっと多くの兵があの坂を上がることになる。

「何を約束するつもりだ」

 レオンハルトが尋ねた。

「私の判断で、領地や爵位を残すとは申しません」

 アレクは答えた。

「武器を置いた兵と住民への殺害、略奪を禁じること。住民の私物を勝手に奪わないこと。そして、城を明け渡していただいた後も、こちらの守備兵を置くこと。その範囲で、お話ししたいと思います」

「向こうが、王の軍から守れと申したら」

「敵が戻れば、陛下の城と道を守る戦いになります。そのために兵を置くと伝えます。ただ、どの村も絶対に被害を受けないとは、約束できません」

 レオンハルトが僅かに頷いた。

「よい」

 短く言った。

「使者として行け」

 アレクは頭を下げた。

「書状を持たせる。条件を変える必要があれば、持ち帰れ。その場を収めるために、できぬ約束をするな」

「承知しました」

「城を取った後も、申したことは残る。忘れるな」

「はい」

 書記官が、新しい紙を広げた。

 ◇ ◇ ◇

 アレクは、火縄銃を陣へ置いた。

 ロルフから贈られた銃を覆いへ収め、ギルベルトへ預ける。

「戻るまで、隊をお願いします」

「承知しました」

 ギルベルトの視線が、アレクの腰の剣へ向いた。

「護衛は」

「坂の下まで付いてもらいます。門の中へ入れる人数は、向こうと話してからになります」

「お気をつけください」

 アレクは頷いた。

 従者が外套の肩を整える。

 王の書状は、雨や泥で傷まないよう包まれていた。

 アレクはそれを確かめ、腰の剣へ一度だけ手を触れた。

 剣を抜きに行くのではない。

 そう思っても、持っていると分かるだけで、少し気持ちが落ち着いた。

 坂の途中までは、少数の護衛が付いた。

 城壁の上で、兵がこちらへ動く。

 弓が持ち上がった。

 アレクは護衛を止め、一人で門の前へ進んだ。

 岩を削った道には、車輪の跡が残っている。

 その先を、大きな木の門が塞いでいた。

 見上げると、門の上に兵が並んでいた。

 左右の城壁にも弓兵がいる。

 矢の先が、アレクへ向けられていた。

 足を止めた途端、静けさが重くなった。

 衣擦れと、風が壁を抜ける音だけが聞こえる。

 アレクは顔を上げた。

「グランヴァルト国王陛下の使者として参りました! アレク・ハルトマン子爵と申します!」

 声を張った。

「城主殿とお話がしたい。開門をお願いします!」

 城壁の上で、兵が顔を見合わせた。

 一人が後ろへ走る。

 弓は下ろされなかった。

 アレクは両手を、兵から見える位置へ置いた。

 剣の柄へは触れない。

 返事を待つ間、首筋に汗が伝わった。

 上の兵が指を離せば、矢が来る。

 一人だけではない。

 右にも、左にもいる。

 剣を抜けばどうにかなる場所ではなかった。

 アレクは、足を動かさなかった。

 ここで落ち着きを失えば、城主へ会う前に、自分の言葉まで軽く見られる気がした。

 やがて、門の上へ鎧を着た男が現れた。

「使者は、そなた一人か!」

「はい! 護衛は下で待たせます!」

「武器は、門の内で預かる!」

「承知しました!」

 男はしばらくアレクを見下ろしていた。

 それから、内側へ顔を向けた。

「門を開けろ!」

 声が響いた。

 内側で、重い物を動かす音がした。

 木が擦れる。

 金具が鳴る。

 アレクの背丈の何倍もある扉が、ゆっくりと開き始めた。

 黒い隙間が広がっていく。

 その向こうに、槍の穂先が見えた。

 門の内側には、敵兵が並んでいた。

 槍を構え、アレクを睨んでいる。

 人が通れる幅まで開いたところで、扉の動きが止まった。

 アレクは襟元を整えた。

 肩を引き、胸を張る。

 そして、門へ向かって歩き出した。

 中へ入ると、一人の兵が近づいてきた。

「剣をお預かりします」

 アレクは頷いた。

 ゆっくりと剣帯を外し、鞘に収めたまま渡す。

 兵は受け取った剣を、別の者へ預けた。

「こちらへ」

 槍を構えた兵たちが、道を開けた。

 穂先は、下がらなかった。

 アレクが進むにつれ、顔と槍先がこちらを追う。

 靴の裏が、石畳を踏む音がした。

 アレクは足を止めずに歩いた。

 城外では、レオンハルトが馬上から門を見ていた。

 開いた隙間へ、アレクの姿が入る。

 兵に囲まれた小さな背が、奥へ進んでいく。

 やがて、その姿は見えなくなった。

 レオンハルトは、門から目を離さなかった。

 ◇ ◇ ◇

 通された部屋には、長い机が一つあった。

 窓は高く、外の陣は見えない。

 入口には兵が二人立ち、壁際には剣を帯びた家臣が控えていた。

 城主は机の向こうにいた。

 アレクを見ると、目を細めた。

「使者とは、そなたか」

「アレク・ハルトマンと申します。国王陛下の書状をお持ちしました」

 アレクは包みを開き、書状を差し出した。

 家臣が受け取り、封印を確かめてから城主へ渡す。

「ハルトマン」

 城主が名を繰り返した。

「新型火槍の兵を率いる者か」

「はい」

 城主の視線が、アレクの顔から、剣のなくなった腰へ移った。

「思っていたより若い」

 アレクは答えなかった。

 若いと言われても、年を増やすことはできない。

 城主は書状を開いた。

 読み終えるまで、部屋には紙の擦れる音だけがあった。

「城を焼いた大砲を連れてきた側が、民を守ると申すのか」

 城主が顔を上げた。

 アレクは一度息を吸った。

「前の城では、門を砲撃しました。門を抜けた弾で、内側の建物も壊れています」

「同じことであろう」

「被害が出たことは、否定いたしません。ただ、城へ火を放ったわけではありません。降伏後の略奪も、陛下は禁じておられます」

 城主の指が、机を叩いた。

「勝った側は、そう言う」

「はい。ですから、お確かめいただけるようにしたいと思います」

「何を確かめる」

「前の城へ、人を送っていただいて構いません。城主も、住民もおります。私たちが入った後、何が行われたかを聞いてください」

 城主は黙った。

 アレクは続けた。

「ただ、そのために何日も兵を止めると、私からお約束することはできません。必要であれば、陛下へお伝えします」

「できる、できぬと、随分慎重に申すな」

「守れないことを申し上げても、後でお困りになるのは、こちらにいる方々です」

 城主は、書状へ目を戻した。

 家臣の一人が、低い声で何かを告げた。

 城主は手で制し、アレクへ向き直った。

「領地は」

「処遇は、陛下が裁定されます」

「家は残るのか」

「それも、私の権限ではお約束できません」

「ならば、そなたは何をしに来た」

 声が強くなった。

 入口の兵が、僅かに姿勢を変えた。

 アレクは城主を見た。

「何を最も心配しておられるのか、伺いに参りました」

「城を奪われる者に、それを尋ねるか」

「はい」

 アレクは答えた。

「陛下へ届いた返書では、最初に村のことを尋ねておられました」

 城主の手が止まった。

「ご自身の家の存続や爵位より先に、領民の家と畑を誰が守るのかと。ですから、そのことを直接伺いたいと思いました」

 しばらく、返事はなかった。

 外で鐘が鳴った。

 兵の交代を知らせるものらしく、廊下を歩く音が増えた。

 城主は窓を見上げた。

「この城へ入れた者だけで、領民のすべてではない」

 やがて言った。

「家畜を置いてこられぬ者もいる。年老いて坂を上がれぬ者もいる。家を空ければ、通りかかった兵に何をされるか分からぬと、村へ残った者もいる」

 アレクは黙って聞いた。

「城を渡せば、そなたらは東へ進む。その後、王の兵が戻ったらどうなる」

「こちらの守備兵を置きます」

「何人だ」

「必要な人数は、道と村の位置を確かめたうえで、陛下が決められます」

「その兵も、次の戦へ連れていくのではないか」

 アレクはすぐには答えなかった。

 城主が求めているのは、今、殺されないという約束だけではない。

 こちらが去った後も、生きていけるかどうかだった。

「陛下は、この街道を使って進軍しておられます」

 アレクは言った。

「後ろの城と道を失えば、兵糧も弾薬も届かなくなります。ですから、城を受け取って旗を立てるだけでは済みません」

「そなたらの都合ではないか」

「はい」

 城主が僅かに眉を動かした。

「私たちにも、この城と道を守る必要があります。そのために置く兵へ、村を守る役目も命じていただきます」

 アレクは書状へ目を向けた。

「ただ、どの家も、どの畑も、絶対に傷つかないとは申しません。敵が来れば戦になります。そこまで私には保証できません」

「ならば、何が違う」

「敵が来た時に、守る兵がいるかどうかです」

 アレクは答えた。

「守備兵を置くことを、書状に明記していただきます。住民から物を奪うことや、住民に危害を加えることを禁じる命令も、併せて記していただきます」

 城主は、長くアレクを見ていた。

 ◇ ◇ ◇

 廊下で足音が止まった。

 兵が扉の前で何かを告げ、家臣が外へ出た。

 戻ってきた家臣は、城主の耳元へ顔を寄せた。

 城主の表情が変わった。

「ここで申せ」

 家臣が一度、アレクを見た。

「東の分かれ道を、グランヴァルト軍が押さえました」

 部屋の空気が変わった。

「兵数は」

「二千を超えるとのことです。騎兵もおります。村へ出していた兵の一部が、戻れなくなりました」

 城主は机へ手を置いた。

 アレクには、マティアスが着いたのだと分かった。

 だが、その報告だけで、外で何が起きたかをすべて知ったつもりにはなれなかった。

「兵糧の道まで塞いでおいて、話をしに来たのか」

 城主が言った。

「軍は進んでいます。私が参ったからといって、すべての隊を止める約束はしておりません」

 アレクは答えた。

 城主の顔が険しくなる。

 アレクは言葉を続けた。

「ですが、その道を押さえた兵へ、村を荒らさぬよう命じられたのは、出発前に聞いております」

「誰が率いている」

「マティアス・クレーマー伯爵です。私の主君に当たります」

「商人上がりの伯爵か」

「はい」

 城主は口を閉じた。

 家臣が、援軍へ別の道から使いを出すべきだと言った。

 別の者は、城内の兵糧ならまだ持つと答えた。

 アレクは口を挟まなかった。

 ここで、もう助けは来ないと決めつけることはできない。

 東の道を一つ押さえても、ロスヴァールの軍がすべて消えるわけではなかった。

 ただ、城主が頼みにしていたものが、一つ減った。

 それは、部屋にいる全員が分かっていた。

「話は分かった」

 城主が言った。

「一度、戻れ」

 アレクは頭を下げた。

「陛下へ、何をお伝えすればよろしいでしょうか」

 城主は机の上の書状を見た。

「武器を置いた兵を、その場で処刑しないこと。住民を兵の褒美として扱わないこと。家と畑を、勝手に焼かないこと」

 言葉を区切りながら続ける。

「そして、城へ守備兵を置くこと。その者たちが従う命令を、王の名で示せ」

「承知しました」

「私の処遇を決めぬというなら、それは別に聞く」

 城主はアレクを見た。

「だが、兵と民のことを曖昧にしたまま、門は開けられぬ」

 アレクは頷いた。

「そのまま、お伝えします」

 ◇ ◇ ◇

 門の内側で、剣が返された。

 アレクは受け取り、剣帯を締めた。

 入ってきた時と同じように、兵が道を開ける。

 槍の穂先は、まだこちらへ向いていた。

 だが、さっきより顔が見えた。

 若い兵がいる。

 頬に傷のある男もいる。

 全員が、こちらを憎んでいるのかもしれない。

 それでも、その者たちが何を恐れているかを、少しだけ考えられるようになっていた。

 門の外へ出ると、風が顔へ当たった。

 アレクは、知らないうちに息を吐いていた。

 坂の下で待っていた護衛が近づく。

「ご無事で」

「はい。戻ります」

 陣へ帰ると、レオンハルトは天幕の前にいた。

「遅かったな」

「申し訳ありません」

「詫びはよい。どうだった」

 アレクは城主の言葉を伝えた。

 家と爵位の安堵は約束していないこと。

 守備兵と住民の扱いを、王の命令として示してほしいと求められたこと。

 東の街道が押さえられた報告が、会談の途中に入ったこと。

 レオンハルトは最後まで聞いた。

「その条件なら、初めから出している」

「はい。ですが、城主が確かめたいのは、門を開けるまでの約束ではなく、開けた後も続く命令なのだと思います」

 レオンハルトの目が、城へ向いた。

「城へ置く兵のことか」

「それと、兵が命令に背いた時に、誰へ訴えればよいのかです。書状があっても、目の前の兵が従わなければ、住民には止められません」

 それは、戻る道でアレクが考えたことだった。

 荷車へ手をかけた兵を止められたのは、自分がその場にいたからだ。

 自分がいない時にも、同じように扱われる仕組みが必要だった。

 レオンハルトは書記官を呼んだ。

「城に残す守備隊の隊長を定める。降伏条件と、住民の扱いを書き渡せ。訴えはその隊長が受け、裁けぬものは俺の下へ送る」

「承知しました」

「城主にも同じ物を持たせる。命令に背いた兵がいれば、家臣を通じて申し出させよ」

 アレクは頭を下げた。

「ありがとうございます」

「まだ門は開いておらぬ」

「はい」

「返事を持って、もう一度行け」

 アレクは頷いた。

 今度は、何を伝えるために行くのかが、はっきりしていた。

 ◇ ◇ ◇

 二度目に門へ向かった時、弓兵は最初と同じ場所にいた。

 ただ、アレクが名乗る前に、上の指揮官がこちらを認めた。

「待て。今、伝える」

 しばらくして門が開いた。

 剣を預け、同じ廊下を通る。

 城主は、机の前で待っていた。

 アレクは新しい書状を差し出した。

 城主が読む。

 その後、家臣にも渡した。

「守備兵は六百か」

「はい。城と街道を守り、必要に応じて周辺の村へ兵を出します。指揮を執る者にも、同じ命令が渡されます」

「兵が奪った物は」

「調べたうえで返させ、命令に背いた者は処罰すると、陛下が仰せです」

「私の家臣が訴えても、聞くのだな」

「そのための書状です」

 城主は、王の印を見ていた。

 紙の上の印だけで、すべてを信じられるわけではない。

 それでも、何も書かれず、誰が責任を負うのかも分からない約束よりは、約束の内容を確かめる証しが残る。

 城主は書状を机へ置いた。

「そなたは、城を開いた後も残るのか」

「私は陛下と共に進みます」

「では、約束を守らせるところまでは見ぬのか」

 アレクは城主を見た。

「兵が入り、武器を預かり、住民のいる場所を確かめるところまでは、見届けます」

「その後は」

「守備隊の隊長へ引き継ぎます。私が申し上げたことも、書き残します」

 城主は黙っていた。

 やがて、家臣へ向き直った。

「隊長たちを呼べ」

 家臣が頭を下げ、部屋を出る。

 城主は腰の剣へ手を置いた。

 アレクの肩が、僅かに強張った。

 城主は剣を抜かなかった。

 剣帯を外し、鞘に収めたまま机へ置いた。

「城を渡す」

 低い声だった。

「兵と民を頼む」

 アレクは、深く頭を下げた。

「陛下へお伝えします」

 ◇ ◇ ◇

 翌朝、城門が開いた。

 今度は、一人を通すための幅ではなかった。

 重い扉が左右へ引かれ、坂の上に、城内へ続く道が現れた。

 アレクは、先に入る歩兵の前に立っていた。

 林檎の花の旗が、その後ろにある。

 城内では、守備兵が武器を置く場所を分けていた。

 槍を並べる者。

 剣を外す者。

 弓を下ろし、弦を緩める者。

 全員が一度に動けば混乱するため、隊ごとに呼ばれて広場へ出てきた。

 アレクは、昨日自分へ槍を向けていた兵を見つけた。

 頬に傷のある男だった。

 男はアレクを見た後、持っていた槍を地面へ置いた。

 アレクは何も言わず、頷いた。

 城主がレオンハルトを迎えた。

 鍵と名簿、倉の記録を差し出す。

 レオンハルトは受け取らせ、城主へ告げた。

「約束どおりに扱う。兵へも、勝手な動きをさせるな」

「承知しました」

 城内へ入った兵が、門と城壁、倉を押さえていく。

 六百人の守備兵には、住民の扱いを記した命令が読み上げられた。

 城主の家臣も、その場で聞いていた。

 城へ残す六百人は、本隊から出す。

 マティアスの二千五百人が戻れば、本隊の戦闘可能な兵は一万三千八百五十六人。そのうち六百人をここへ残し、次へ進むのは一万三千二百五十六人になる。

 書記官が、その数を記録した。

 今回は、新たな戦死者を数える報告はなかった。

 鉄砲隊の弾も、大砲の弾も使っていない。

 だが、何もせずに門が開いたわけではなかった。

 東の道を押さえた兵がいる。

 城外へ並ぶ軍がいる。

 これまでに取った城で、約束を守った者たちがいる。

 アレクは、それらを自分一人の手柄だと思うことはできなかった。

 ◇ ◇ ◇

 マティアスが戻ったのは、その日の午後だった。

 東の分かれ道には、城へ残す六百人のうちから見張りを出す手配がされていた。交代を終えた兵が、マティアスの隊と共に戻ってくる。

 村へ出ていたロスヴァールの兵は、こちらの接近を知って東へ退いたという。

 追って戦うことはせず、集めかけていた食料と、村の者の話を確かめたと報告された。

 マティアスは、城門を見上げた。

 壊れていない。

 その上には、黒地に金の獅子が描かれた旗がある。

「開いたか」

「はい」

 アレクが答えた。

「陛下の許可をいただき、城主と話をしてきました」

「何を約束した」

 アレクは、条件とやり取りを説明した。

 領地と爵位は約束しなかったこと。

 城主が心配していたのは、軍が去った後の村と住民だったこと。

 守備隊の隊長へ命令を渡し、訴えを受ける相手を明らかにしたこと。

 マティアスは書状の写しを読み、アレクへ返した。

「城主は、これで兵を説得したのだな」

「はい」

「ならば、こちらの兵にも守らせなければならん」

「守備隊の隊長へ、引き継ぎました」

「書状を渡すだけでは足りんこともある。何を求められ、どう答えたかまで伝えたか」

「はい。私が申し上げたことも、記録へ残しています」

 マティアスは頷いた。

「よくやった」

 アレクは、少しだけ肩の力を抜いた。

 マティアスは、その顔を見て続けた。

「ただし、約束した以上、最後まで面倒を見るんだぞ」

「はい」

 アレクは答えた。

 褒められて終わる仕事ではなかった。

 あの城主が門を開けたのは、こちらが守ると言ったからだ。

 その言葉は、城を出た後にも残る。

 ◇ ◇ ◇

 夕方、城内の広場で、住民たちが荷をまとめ始めていた。

 村へ戻れる者から、道の安全を確かめて帰すことになっている。

 兵が荷車を押し、狭い場所で向きを変えるのを手伝っていた。

 アレクは、守備隊の隊長へ最後の確認をしていた。

 城主の家臣も隣にいる。

 村の名と、そこへ続く道。

 負傷者のいる建物。

 住民から預かった物を入れた倉。

 一つずつ確かめ、分からないことはその場で尋ねた。

 話を終えて振り返ると、女の後ろから小さな子供がこちらを見ていた。

 視線の先は、アレクではなかった。

 林檎の花と、その周りの五つの蕾を描いた旗を見上げている。

「花だ」

 子供が言った。

 女が慌てて、その肩へ手を置いた。

 アレクは足を止めた。

「林檎の花です」

 子供は旗とアレクを見比べた。

「林檎、なるの?」

「木なら、なります」

 答えてから、アレクは少し笑った。

「これは旗なので、実はならないんですが」

 子供はもう一度旗を見た。

 女が頭を下げる。

 アレクも軽く頷き、道を空けた。

 二人が荷車の方へ歩いていく。

 その後ろで、城門は開いたままだった。

 砲声は、一度も響かなかった。

第十一話を読んでいただき、ありがとうございました。

敵の城へ一人で入り、相手の言葉に耳を傾けたアレク。マティアスから学んできたことを、自分の判断で生かす交渉となりました。

開かれた門の向こうで交わした約束も、これからのアレクの責任になります。


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