第十一話 門の向こうの願い
お読みいただき、ありがとうございます。
険しい地形に守られた城を前に、アレクは何を思うのでしょうか。
次の城が見えた時、アレクは門へ続く道を目で追った。
岩場を削った坂道が、城の手前で折れ曲がっている。
下から見えるのは門の上半分だけだった。道の両側には石壁が張り出し、坂を上がる者を横からも狙えるようになっていた。
前の城とは違う。
四門の大砲は、点検を終えて本隊に続いていた。消費した砲弾と鉄砲隊の弾薬も、補充されている。
だが、砲弾が揃っていても、門を狙える場所へ大砲を据えられなければ意味がなかった。
「あの曲がり角まで運ばねば、門へ向かんか」
レオンハルトが言った。
アレクは坂の途中を見た。
「下からでは、張り出した壁に遮られます。門へ向けられる場所まで運ぶには、城壁のすぐ下を通らなければなりません」
「運んでいる間に射られるな」
「はい。砲を据える場所も、広くありません」
レオンハルトは、門の上へ目を向けた。
弓を持った兵が見える。
こちらを指差す者がいて、その隣へ盾を持つ兵が寄った。
守備兵は、敗残兵を含めて千五百ほどと聞いていた。
対する本隊は、一万三千八百五十六人。
鉄砲隊九百三十人も、その中にいる。
兵数では大きく上回っていたが、狭い坂へ一度に並べられる人数は限られていた。
一万人を連れていても、門の前へ立てるのは、そのうちの僅かな兵だけになる。
レオンハルトは馬を返した。
「陣を置く。城から見えぬ道も調べよ」
伝令が走った。
兵の列が坂から離れ、平地へ広がり始める。
アレクも、自分の隊へ戻った。
火縄銃を持つ兵たちの顔には、行軍の疲れがあった。
城を一つ取れば、それで戦が終わるわけではない。
門を破り、負傷者を運び、残す兵を決め、また次の城へ向かう。
その繰り返しの中で、列は少しずつ短くなっていた。
アレクはギルベルトを呼んだ。
「兵を休ませてください。銃の点検を終えた者から、食事を取らせます」
「承知しました」
「城へ近づく命令は、まだ出ていません。勝手に坂へ上がらないよう伝えてください」
ギルベルトが頷いた。
アレクはもう一度、城を見上げた。
門は閉じていた。
その向こうにいる者たちも、こちらの兵を数えているのだろう。
◇ ◇ ◇
斥候が戻ったのは、陣を整えた後だった。
城の南側を回る道が、東の街道へ続いている。
荷車を何台も並べて通せる道ではないが、歩兵と騎兵なら進める。岩場の陰を通り、城の正面へ近づかずに東へ抜けられるという。
「その先に、道の分かれる場所がございます」
斥候は地図を指した。
「一方は内陸の城へ、もう一方は穀物を集める村々へ続いております」
「敵は」
マティアスが尋ねた。
「村から食料を集める兵が動いております。大きな軍ではありませんが、荷車を東へ送っているようです」
マティアスは、レオンハルトへ顔を向けた。
「先に押さえた方がよろしいかと存じます。援軍だけでなく、この城へ入る兵糧も通る道です」
「任せる」
レオンハルトが答えた。
「歩兵二千、騎兵五百を率いよ。道を押さえ、村へ出ている敵兵を追い払え。ただし、深く追って散るな」
「承知しました」
「村の食料を、敵と奪い合うことにはするな」
「はい。必要な物は、持ち主と話をつけます」
ロベルトが、荷駄を扱う者を数人付けると申し出た。
マティアスは頷き、道と村の名を確かめていく。
城の前に残る兵は、一万一千三百五十六人になる。
鉄砲隊と大砲は、レオンハルトの下へ残された。
アレクは天幕の外で、マティアスの出発を見送った。
二千五百人の列が、斥候を先頭に南の道へ入っていく。
マティアスは振り返らなかった。
城を取るために、それぞれの仕事へ向かっている。
アレクは、その背が見えなくなってから、天幕へ戻った。
すでに、城へ最初の使者が送られていた。
レオンハルトの名で開城を求め、従う者への殺害と略奪を禁じることを伝える使者だった。
返事が届いたのは、日が少し傾いてからだった。
「城主は、条件を確かめたいとのことです」
戻った使者が言った。
「降伏するとは申しておりません。ただ、城を渡した後、領民の家と畑を誰が守るのかと」
レオンハルトは椅子へ腰を下ろしたまま、使者を見た。
「ほかには」
「王の兵が戻った時、降伏した者として処罰されるのではないか。その時にも守るというのか、と尋ねられました」
「自分の領地は、そのまま残せと言ったか」
「領地を残してもらえるのかとも尋ねられました。ただ、最初の問いは村のことでした」
アレクは顔を上げた。
最初に尋ねたのは村。
自分の爵位でも、城の倉でもなかった。
使者が続ける。
「城内には、周囲の村から入った者が大勢いるようです。ですが、家畜や家を守るために、村へ残った者もいると聞きました」
レオンハルトは、机の上へ置かれた返書を開いた。
城主の名と印がある。
その下に、短い文で問いが並べられていた。
「返事を引き延ばし、援軍を待つつもりかもしれません」
近衛の一人が言った。
「その可能性はある」
レオンハルトは答えた。
アレクは返書を見た。
援軍を待っている。
それは、そうなのだろう。
だが、ただ待つだけなら、門を閉じたまま拒めばよい。
相手が何をするか、わざわざ尋ねてきた。
以前、戦わずに開城した城で、荷車の麦を調べさせた時のことを思い出した。
女が荷台へ触れ、少し離れた場所から城主がこちらを見ていた。
その城主が確かめていたのは、こちらが強いかどうかではなかった。
約束が、本当に守られるかどうかだった。
「陛下」
アレクは声を出した。
レオンハルトが顔を向ける。
「私を使者として行かせてください」
天幕の中が静かになった。
レオンハルトは、すぐには答えなかった。
「何を話す」
「城主が心配していることを、直接聞きたいと思います」
「勝てぬと教えるだけなら、もう使者が伝えた」
「はい。それだけでは、門を開けない相手なのだと思います」
アレクは返書へ目を向けた。
「降伏した後に、何を失うのか。何を守ってもらえるのか。それが分からないままでは、城主も兵へ武器を置けと命じられないのではないでしょうか」
「行けば、分かるか」
「分からないこともあると思います。ですが、話を聞かずに攻めれば、この返事の意味も分からないままになります」
レオンハルトはアレクを見ていた。
アレクも目を逸らさなかった。
門の上には弓兵がいる。
自分が使者だと名乗っても、必ず安全とは限らない。
それでも、城を攻めれば、もっと多くの兵があの坂を上がることになる。
「何を約束するつもりだ」
レオンハルトが尋ねた。
「私の判断で、領地や爵位を残すとは申しません」
アレクは答えた。
「武器を置いた兵と住民への殺害、略奪を禁じること。住民の私物を勝手に奪わないこと。そして、城を明け渡していただいた後も、こちらの守備兵を置くこと。その範囲で、お話ししたいと思います」
「向こうが、王の軍から守れと申したら」
「敵が戻れば、陛下の城と道を守る戦いになります。そのために兵を置くと伝えます。ただ、どの村も絶対に被害を受けないとは、約束できません」
レオンハルトが僅かに頷いた。
「よい」
短く言った。
「使者として行け」
アレクは頭を下げた。
「書状を持たせる。条件を変える必要があれば、持ち帰れ。その場を収めるために、できぬ約束をするな」
「承知しました」
「城を取った後も、申したことは残る。忘れるな」
「はい」
書記官が、新しい紙を広げた。
◇ ◇ ◇
アレクは、火縄銃を陣へ置いた。
ロルフから贈られた銃を覆いへ収め、ギルベルトへ預ける。
「戻るまで、隊をお願いします」
「承知しました」
ギルベルトの視線が、アレクの腰の剣へ向いた。
「護衛は」
「坂の下まで付いてもらいます。門の中へ入れる人数は、向こうと話してからになります」
「お気をつけください」
アレクは頷いた。
従者が外套の肩を整える。
王の書状は、雨や泥で傷まないよう包まれていた。
アレクはそれを確かめ、腰の剣へ一度だけ手を触れた。
剣を抜きに行くのではない。
そう思っても、持っていると分かるだけで、少し気持ちが落ち着いた。
坂の途中までは、少数の護衛が付いた。
城壁の上で、兵がこちらへ動く。
弓が持ち上がった。
アレクは護衛を止め、一人で門の前へ進んだ。
岩を削った道には、車輪の跡が残っている。
その先を、大きな木の門が塞いでいた。
見上げると、門の上に兵が並んでいた。
左右の城壁にも弓兵がいる。
矢の先が、アレクへ向けられていた。
足を止めた途端、静けさが重くなった。
衣擦れと、風が壁を抜ける音だけが聞こえる。
アレクは顔を上げた。
「グランヴァルト国王陛下の使者として参りました! アレク・ハルトマン子爵と申します!」
声を張った。
「城主殿とお話がしたい。開門をお願いします!」
城壁の上で、兵が顔を見合わせた。
一人が後ろへ走る。
弓は下ろされなかった。
アレクは両手を、兵から見える位置へ置いた。
剣の柄へは触れない。
返事を待つ間、首筋に汗が伝わった。
上の兵が指を離せば、矢が来る。
一人だけではない。
右にも、左にもいる。
剣を抜けばどうにかなる場所ではなかった。
アレクは、足を動かさなかった。
ここで落ち着きを失えば、城主へ会う前に、自分の言葉まで軽く見られる気がした。
やがて、門の上へ鎧を着た男が現れた。
「使者は、そなた一人か!」
「はい! 護衛は下で待たせます!」
「武器は、門の内で預かる!」
「承知しました!」
男はしばらくアレクを見下ろしていた。
それから、内側へ顔を向けた。
「門を開けろ!」
声が響いた。
内側で、重い物を動かす音がした。
木が擦れる。
金具が鳴る。
アレクの背丈の何倍もある扉が、ゆっくりと開き始めた。
黒い隙間が広がっていく。
その向こうに、槍の穂先が見えた。
門の内側には、敵兵が並んでいた。
槍を構え、アレクを睨んでいる。
人が通れる幅まで開いたところで、扉の動きが止まった。
アレクは襟元を整えた。
肩を引き、胸を張る。
そして、門へ向かって歩き出した。
中へ入ると、一人の兵が近づいてきた。
「剣をお預かりします」
アレクは頷いた。
ゆっくりと剣帯を外し、鞘に収めたまま渡す。
兵は受け取った剣を、別の者へ預けた。
「こちらへ」
槍を構えた兵たちが、道を開けた。
穂先は、下がらなかった。
アレクが進むにつれ、顔と槍先がこちらを追う。
靴の裏が、石畳を踏む音がした。
アレクは足を止めずに歩いた。
城外では、レオンハルトが馬上から門を見ていた。
開いた隙間へ、アレクの姿が入る。
兵に囲まれた小さな背が、奥へ進んでいく。
やがて、その姿は見えなくなった。
レオンハルトは、門から目を離さなかった。
◇ ◇ ◇
通された部屋には、長い机が一つあった。
窓は高く、外の陣は見えない。
入口には兵が二人立ち、壁際には剣を帯びた家臣が控えていた。
城主は机の向こうにいた。
アレクを見ると、目を細めた。
「使者とは、そなたか」
「アレク・ハルトマンと申します。国王陛下の書状をお持ちしました」
アレクは包みを開き、書状を差し出した。
家臣が受け取り、封印を確かめてから城主へ渡す。
「ハルトマン」
城主が名を繰り返した。
「新型火槍の兵を率いる者か」
「はい」
城主の視線が、アレクの顔から、剣のなくなった腰へ移った。
「思っていたより若い」
アレクは答えなかった。
若いと言われても、年を増やすことはできない。
城主は書状を開いた。
読み終えるまで、部屋には紙の擦れる音だけがあった。
「城を焼いた大砲を連れてきた側が、民を守ると申すのか」
城主が顔を上げた。
アレクは一度息を吸った。
「前の城では、門を砲撃しました。門を抜けた弾で、内側の建物も壊れています」
「同じことであろう」
「被害が出たことは、否定いたしません。ただ、城へ火を放ったわけではありません。降伏後の略奪も、陛下は禁じておられます」
城主の指が、机を叩いた。
「勝った側は、そう言う」
「はい。ですから、お確かめいただけるようにしたいと思います」
「何を確かめる」
「前の城へ、人を送っていただいて構いません。城主も、住民もおります。私たちが入った後、何が行われたかを聞いてください」
城主は黙った。
アレクは続けた。
「ただ、そのために何日も兵を止めると、私からお約束することはできません。必要であれば、陛下へお伝えします」
「できる、できぬと、随分慎重に申すな」
「守れないことを申し上げても、後でお困りになるのは、こちらにいる方々です」
城主は、書状へ目を戻した。
家臣の一人が、低い声で何かを告げた。
城主は手で制し、アレクへ向き直った。
「領地は」
「処遇は、陛下が裁定されます」
「家は残るのか」
「それも、私の権限ではお約束できません」
「ならば、そなたは何をしに来た」
声が強くなった。
入口の兵が、僅かに姿勢を変えた。
アレクは城主を見た。
「何を最も心配しておられるのか、伺いに参りました」
「城を奪われる者に、それを尋ねるか」
「はい」
アレクは答えた。
「陛下へ届いた返書では、最初に村のことを尋ねておられました」
城主の手が止まった。
「ご自身の家の存続や爵位より先に、領民の家と畑を誰が守るのかと。ですから、そのことを直接伺いたいと思いました」
しばらく、返事はなかった。
外で鐘が鳴った。
兵の交代を知らせるものらしく、廊下を歩く音が増えた。
城主は窓を見上げた。
「この城へ入れた者だけで、領民のすべてではない」
やがて言った。
「家畜を置いてこられぬ者もいる。年老いて坂を上がれぬ者もいる。家を空ければ、通りかかった兵に何をされるか分からぬと、村へ残った者もいる」
アレクは黙って聞いた。
「城を渡せば、そなたらは東へ進む。その後、王の兵が戻ったらどうなる」
「こちらの守備兵を置きます」
「何人だ」
「必要な人数は、道と村の位置を確かめたうえで、陛下が決められます」
「その兵も、次の戦へ連れていくのではないか」
アレクはすぐには答えなかった。
城主が求めているのは、今、殺されないという約束だけではない。
こちらが去った後も、生きていけるかどうかだった。
「陛下は、この街道を使って進軍しておられます」
アレクは言った。
「後ろの城と道を失えば、兵糧も弾薬も届かなくなります。ですから、城を受け取って旗を立てるだけでは済みません」
「そなたらの都合ではないか」
「はい」
城主が僅かに眉を動かした。
「私たちにも、この城と道を守る必要があります。そのために置く兵へ、村を守る役目も命じていただきます」
アレクは書状へ目を向けた。
「ただ、どの家も、どの畑も、絶対に傷つかないとは申しません。敵が来れば戦になります。そこまで私には保証できません」
「ならば、何が違う」
「敵が来た時に、守る兵がいるかどうかです」
アレクは答えた。
「守備兵を置くことを、書状に明記していただきます。住民から物を奪うことや、住民に危害を加えることを禁じる命令も、併せて記していただきます」
城主は、長くアレクを見ていた。
◇ ◇ ◇
廊下で足音が止まった。
兵が扉の前で何かを告げ、家臣が外へ出た。
戻ってきた家臣は、城主の耳元へ顔を寄せた。
城主の表情が変わった。
「ここで申せ」
家臣が一度、アレクを見た。
「東の分かれ道を、グランヴァルト軍が押さえました」
部屋の空気が変わった。
「兵数は」
「二千を超えるとのことです。騎兵もおります。村へ出していた兵の一部が、戻れなくなりました」
城主は机へ手を置いた。
アレクには、マティアスが着いたのだと分かった。
だが、その報告だけで、外で何が起きたかをすべて知ったつもりにはなれなかった。
「兵糧の道まで塞いでおいて、話をしに来たのか」
城主が言った。
「軍は進んでいます。私が参ったからといって、すべての隊を止める約束はしておりません」
アレクは答えた。
城主の顔が険しくなる。
アレクは言葉を続けた。
「ですが、その道を押さえた兵へ、村を荒らさぬよう命じられたのは、出発前に聞いております」
「誰が率いている」
「マティアス・クレーマー伯爵です。私の主君に当たります」
「商人上がりの伯爵か」
「はい」
城主は口を閉じた。
家臣が、援軍へ別の道から使いを出すべきだと言った。
別の者は、城内の兵糧ならまだ持つと答えた。
アレクは口を挟まなかった。
ここで、もう助けは来ないと決めつけることはできない。
東の道を一つ押さえても、ロスヴァールの軍がすべて消えるわけではなかった。
ただ、城主が頼みにしていたものが、一つ減った。
それは、部屋にいる全員が分かっていた。
「話は分かった」
城主が言った。
「一度、戻れ」
アレクは頭を下げた。
「陛下へ、何をお伝えすればよろしいでしょうか」
城主は机の上の書状を見た。
「武器を置いた兵を、その場で処刑しないこと。住民を兵の褒美として扱わないこと。家と畑を、勝手に焼かないこと」
言葉を区切りながら続ける。
「そして、城へ守備兵を置くこと。その者たちが従う命令を、王の名で示せ」
「承知しました」
「私の処遇を決めぬというなら、それは別に聞く」
城主はアレクを見た。
「だが、兵と民のことを曖昧にしたまま、門は開けられぬ」
アレクは頷いた。
「そのまま、お伝えします」
◇ ◇ ◇
門の内側で、剣が返された。
アレクは受け取り、剣帯を締めた。
入ってきた時と同じように、兵が道を開ける。
槍の穂先は、まだこちらへ向いていた。
だが、さっきより顔が見えた。
若い兵がいる。
頬に傷のある男もいる。
全員が、こちらを憎んでいるのかもしれない。
それでも、その者たちが何を恐れているかを、少しだけ考えられるようになっていた。
門の外へ出ると、風が顔へ当たった。
アレクは、知らないうちに息を吐いていた。
坂の下で待っていた護衛が近づく。
「ご無事で」
「はい。戻ります」
陣へ帰ると、レオンハルトは天幕の前にいた。
「遅かったな」
「申し訳ありません」
「詫びはよい。どうだった」
アレクは城主の言葉を伝えた。
家と爵位の安堵は約束していないこと。
守備兵と住民の扱いを、王の命令として示してほしいと求められたこと。
東の街道が押さえられた報告が、会談の途中に入ったこと。
レオンハルトは最後まで聞いた。
「その条件なら、初めから出している」
「はい。ですが、城主が確かめたいのは、門を開けるまでの約束ではなく、開けた後も続く命令なのだと思います」
レオンハルトの目が、城へ向いた。
「城へ置く兵のことか」
「それと、兵が命令に背いた時に、誰へ訴えればよいのかです。書状があっても、目の前の兵が従わなければ、住民には止められません」
それは、戻る道でアレクが考えたことだった。
荷車へ手をかけた兵を止められたのは、自分がその場にいたからだ。
自分がいない時にも、同じように扱われる仕組みが必要だった。
レオンハルトは書記官を呼んだ。
「城に残す守備隊の隊長を定める。降伏条件と、住民の扱いを書き渡せ。訴えはその隊長が受け、裁けぬものは俺の下へ送る」
「承知しました」
「城主にも同じ物を持たせる。命令に背いた兵がいれば、家臣を通じて申し出させよ」
アレクは頭を下げた。
「ありがとうございます」
「まだ門は開いておらぬ」
「はい」
「返事を持って、もう一度行け」
アレクは頷いた。
今度は、何を伝えるために行くのかが、はっきりしていた。
◇ ◇ ◇
二度目に門へ向かった時、弓兵は最初と同じ場所にいた。
ただ、アレクが名乗る前に、上の指揮官がこちらを認めた。
「待て。今、伝える」
しばらくして門が開いた。
剣を預け、同じ廊下を通る。
城主は、机の前で待っていた。
アレクは新しい書状を差し出した。
城主が読む。
その後、家臣にも渡した。
「守備兵は六百か」
「はい。城と街道を守り、必要に応じて周辺の村へ兵を出します。指揮を執る者にも、同じ命令が渡されます」
「兵が奪った物は」
「調べたうえで返させ、命令に背いた者は処罰すると、陛下が仰せです」
「私の家臣が訴えても、聞くのだな」
「そのための書状です」
城主は、王の印を見ていた。
紙の上の印だけで、すべてを信じられるわけではない。
それでも、何も書かれず、誰が責任を負うのかも分からない約束よりは、約束の内容を確かめる証しが残る。
城主は書状を机へ置いた。
「そなたは、城を開いた後も残るのか」
「私は陛下と共に進みます」
「では、約束を守らせるところまでは見ぬのか」
アレクは城主を見た。
「兵が入り、武器を預かり、住民のいる場所を確かめるところまでは、見届けます」
「その後は」
「守備隊の隊長へ引き継ぎます。私が申し上げたことも、書き残します」
城主は黙っていた。
やがて、家臣へ向き直った。
「隊長たちを呼べ」
家臣が頭を下げ、部屋を出る。
城主は腰の剣へ手を置いた。
アレクの肩が、僅かに強張った。
城主は剣を抜かなかった。
剣帯を外し、鞘に収めたまま机へ置いた。
「城を渡す」
低い声だった。
「兵と民を頼む」
アレクは、深く頭を下げた。
「陛下へお伝えします」
◇ ◇ ◇
翌朝、城門が開いた。
今度は、一人を通すための幅ではなかった。
重い扉が左右へ引かれ、坂の上に、城内へ続く道が現れた。
アレクは、先に入る歩兵の前に立っていた。
林檎の花の旗が、その後ろにある。
城内では、守備兵が武器を置く場所を分けていた。
槍を並べる者。
剣を外す者。
弓を下ろし、弦を緩める者。
全員が一度に動けば混乱するため、隊ごとに呼ばれて広場へ出てきた。
アレクは、昨日自分へ槍を向けていた兵を見つけた。
頬に傷のある男だった。
男はアレクを見た後、持っていた槍を地面へ置いた。
アレクは何も言わず、頷いた。
城主がレオンハルトを迎えた。
鍵と名簿、倉の記録を差し出す。
レオンハルトは受け取らせ、城主へ告げた。
「約束どおりに扱う。兵へも、勝手な動きをさせるな」
「承知しました」
城内へ入った兵が、門と城壁、倉を押さえていく。
六百人の守備兵には、住民の扱いを記した命令が読み上げられた。
城主の家臣も、その場で聞いていた。
城へ残す六百人は、本隊から出す。
マティアスの二千五百人が戻れば、本隊の戦闘可能な兵は一万三千八百五十六人。そのうち六百人をここへ残し、次へ進むのは一万三千二百五十六人になる。
書記官が、その数を記録した。
今回は、新たな戦死者を数える報告はなかった。
鉄砲隊の弾も、大砲の弾も使っていない。
だが、何もせずに門が開いたわけではなかった。
東の道を押さえた兵がいる。
城外へ並ぶ軍がいる。
これまでに取った城で、約束を守った者たちがいる。
アレクは、それらを自分一人の手柄だと思うことはできなかった。
◇ ◇ ◇
マティアスが戻ったのは、その日の午後だった。
東の分かれ道には、城へ残す六百人のうちから見張りを出す手配がされていた。交代を終えた兵が、マティアスの隊と共に戻ってくる。
村へ出ていたロスヴァールの兵は、こちらの接近を知って東へ退いたという。
追って戦うことはせず、集めかけていた食料と、村の者の話を確かめたと報告された。
マティアスは、城門を見上げた。
壊れていない。
その上には、黒地に金の獅子が描かれた旗がある。
「開いたか」
「はい」
アレクが答えた。
「陛下の許可をいただき、城主と話をしてきました」
「何を約束した」
アレクは、条件とやり取りを説明した。
領地と爵位は約束しなかったこと。
城主が心配していたのは、軍が去った後の村と住民だったこと。
守備隊の隊長へ命令を渡し、訴えを受ける相手を明らかにしたこと。
マティアスは書状の写しを読み、アレクへ返した。
「城主は、これで兵を説得したのだな」
「はい」
「ならば、こちらの兵にも守らせなければならん」
「守備隊の隊長へ、引き継ぎました」
「書状を渡すだけでは足りんこともある。何を求められ、どう答えたかまで伝えたか」
「はい。私が申し上げたことも、記録へ残しています」
マティアスは頷いた。
「よくやった」
アレクは、少しだけ肩の力を抜いた。
マティアスは、その顔を見て続けた。
「ただし、約束した以上、最後まで面倒を見るんだぞ」
「はい」
アレクは答えた。
褒められて終わる仕事ではなかった。
あの城主が門を開けたのは、こちらが守ると言ったからだ。
その言葉は、城を出た後にも残る。
◇ ◇ ◇
夕方、城内の広場で、住民たちが荷をまとめ始めていた。
村へ戻れる者から、道の安全を確かめて帰すことになっている。
兵が荷車を押し、狭い場所で向きを変えるのを手伝っていた。
アレクは、守備隊の隊長へ最後の確認をしていた。
城主の家臣も隣にいる。
村の名と、そこへ続く道。
負傷者のいる建物。
住民から預かった物を入れた倉。
一つずつ確かめ、分からないことはその場で尋ねた。
話を終えて振り返ると、女の後ろから小さな子供がこちらを見ていた。
視線の先は、アレクではなかった。
林檎の花と、その周りの五つの蕾を描いた旗を見上げている。
「花だ」
子供が言った。
女が慌てて、その肩へ手を置いた。
アレクは足を止めた。
「林檎の花です」
子供は旗とアレクを見比べた。
「林檎、なるの?」
「木なら、なります」
答えてから、アレクは少し笑った。
「これは旗なので、実はならないんですが」
子供はもう一度旗を見た。
女が頭を下げる。
アレクも軽く頷き、道を空けた。
二人が荷車の方へ歩いていく。
その後ろで、城門は開いたままだった。
砲声は、一度も響かなかった。
第十一話を読んでいただき、ありがとうございました。
敵の城へ一人で入り、相手の言葉に耳を傾けたアレク。マティアスから学んできたことを、自分の判断で生かす交渉となりました。
開かれた門の向こうで交わした約束も、これからのアレクの責任になります。
少しでも面白い、続きが気になると思ってくださったら、ページ下部にある【ブックマークに追加】や【★★★★★】での評価で応援していただけると、執筆の励みになります!




