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『知らない世界で、前世の知識が武器になる』 ~剣と銃で乱世を生き抜く転生領主の成り上がり~  作者: 相田 ソウ
第七篇 乱世を越える黒獅子

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第九話 揺らぐ二つの戦線

お読みいただき、ありがとうございます。

川を越えたグランヴァルト軍は、二軍に分かれて城の攻略へ進みます。

一方、西部の敗報は、カルディアとの係争地帯にも届こうとしていました。

 川を渡った軍が動き出したのは、戦いを終えた翌日の午後だった。

 先に出た騎兵が街道の両側を調べ、逃げた敵兵が潜んでいないか確かめている。その後ろで、歩兵の列が二つに分かれ始めていた。

 レオンハルトの前には、斥候の報告を加えた地図が広げられていた。

 川から東へ続く街道は、半日ほど進んだ先で枝分かれする。中央の道は内陸の大きな城へ、北と南の道は、それぞれ村や小城を結びながら東へ延びていた。

「逃げた兵は、どこへ入った」

「近くの城へ逃げ込んだ者もおりますが、そのまま東へ向かった者も多く見られます。隊を離れ、村で食料を求めている兵もいるようです」

 斥候の報告に、マティアスが地図へ目を落とした。

「城主が受け入れて集めれば、守備兵にはなります。ただ、武器も食料も足りない者まで入れば、城の備蓄を食うことにもなります」

「まとめる時間を与えれば、兵になる」

 レオンハルトが言った。

「その前に城を押さえる」

 書記官が、各隊から集めた兵数を記した紙を置いた。

 戦闘を続けられる兵は、二万九千二百人。

 そのすべてを、城へ向かわせるわけにはいかなかった。

 川の両岸には負傷者がいる。武器を取り上げた捕虜はおよそ六千人に上り、西へ送り返すにも、行き先と護衛を用意しなければならない。ジークブルクへ続く道も、守りを失えば後ろから断たれる。

「四千二百を後ろへ置く」

 レオンハルトが命じた。

「渡り場、荷置き場、捕虜の護送だ。負傷者を運ぶ荷車にも兵を付けよ」

「承知しました」

「残る二万五千を二つに分ける。俺が一万五千で中央を進む。ユリウスは一万で南だ」

 ユリウスが一礼した。

「南の街道を押さえ、中央への道を確保いたします」

「城だけを見るな。敵がまとまって向かってきたら、すぐに知らせよ。互いの居場所が分からぬまま進むことは許さん」

 レオンハルトは、中央と南の街道をつなぐ細い線へ指を置いた。

 村を通る横道だった。荷車が通れる場所と、騎馬しか通れない場所が、斥候の報告によって書き分けられている。

「朝と夕に報せを送れ。途中で敵に道を塞がれたら、別の道を探すより先に、そのことを知らせよ」

「承知しました」

 ユリウスが答えると、レオンハルトはマティアスへ顔を向けた。

「マティアスは俺と中央だ。アレクの鉄砲隊も、まとめて連れていく」

「はい。中央の城を押さえながら、北から敵が回り込まぬよう、そちらの道も調べさせます」

 アレクは地図の脇で、その指示を聞いていた。

 二軍で進めば、一つの城へ全軍を止めずに済む。しかも、本隊は一万五千、別働軍も一万を数える。城へ逃げ込んだ敵が、簡単に外へ打って出られる兵力ではなかった。

 ただし、離れて進む以上、敵が一方へ兵を集める可能性はある。川を渡る時のように、隣で戦う味方の旗が見えるとは限らない。二つの街道を結ぶ道と、そこを走る伝令が重要になる。

「アレク」

 レオンハルトがアレクを見た。

「九百四十六人だな」

「はい」

「一万五千のうちに含める。城ごとに小分けにして置いていくつもりはない」

「承知しました」

 アレクは答えた。

 兵が減った分、各班の人数は組み直している。負傷した者の銃や道具も、持ち主と状態を確かめ、修理する物と運ぶ物を分けさせていた。

 昨日の射撃で使った弾薬は多い。

 後ろから届く分を待つだけでなく、手元の残りで何度戦えるかを知っておかなければならなかった。

「弾薬は」

「今ある分を数え直しました。補給の荷車も本隊に続きます。受け取った分と使った分は、隊ごとに記録させます」

「城壁が見えたからといって、届かぬ場所へ撃つな」

「はい。撃つ必要のある相手を確かめます」

 レオンハルトは頷き、次にロベルトを呼んだ。

「中央の荷駄を見よ。城を取った後、その倉から使える物も調べさせる」

「承知しました。鍵と帳簿を持つ者は、先に逃がさぬようお願いいたします」

「人より倉の心配か」

「倉を開けても、中に何があるか分からなければ、運ぶ者が困ります」

 ロベルトは真顔で答えた。

「麦と思って積んだ袋が馬の飼料では、兵が怒りますので」

 張り詰めていた天幕の中で、誰かが短く笑った。

 レオンハルトも口元を緩めたが、すぐに地図へ視線を戻した。

「取った城へ残す兵は、その都度数えよ。守備を置いた分だけ、先へ進む兵は減る。足りぬなら足りぬと申せ」

「はい」

 命令が書き留められていく。

 アレクが天幕を出ると、マティアスが後ろから声をかけた。

「アレク」

「はい」

「城へ入る時は、城壁の上だけでなく、門を開けた者の顔も見ておけ」

 アレクは振り返った。

「降伏した者を、ですか」

「何を心配しているか、分かることがある。兵を失うことか、家を失うことか。それとも、こちらが約束を守らないことか」

 マティアスは、街道へ向けて整列する本隊の兵を一度見た。

「門を開けさせても、その後で揉めれば兵を残すことになる。従わせ方を誤れば、次の城も余計に戦う」

「覚えておきます」

「何でも一人で引き受けるな。許されていない約束もするな」

「はい」

 マティアスは頷き、従者から馬の手綱を受け取った。レオンハルトの近くへ戻るその背を見送り、アレクも自分の隊へ向かった。

 林檎の花と、その周りに五つの蕾を描いた旗が、街道の風に揺れていた。

 ◇ ◇ ◇

 中央の街道にある最初の城は、石造りの塔と、それを囲む低い城壁を備えていた。

 街道を見下ろす小さな丘にあり、門へ続く道は途中で一度折れている。周囲の畑からは作物を刈り取った跡が見えたが、働く者の姿はなかった。

 先行したカスパルの騎兵五百人が、城から東へ出る道を見張った。

 残る本隊が西側の平地へ到着すると、城壁の上に並んだ兵が動き始めた。

 弓を持つ者が増える。

 門の上へ旗が掲げられ、内側から木を打ち付ける音が響いた。

 アレクは鉄砲隊を、城壁から十分に離れた場所で止めた。

「ギルベルト。隊長たちへ伝えてください。指示が出るまで射撃の準備はさせません」

「承知しました」

 城壁の上から見れば、こちらの銃も新型火槍に見えるのだろう。

 兵が指を差し、隣の者へ何かを伝えている。

 アレクは馬を下りた。

 あの城壁を越えて兵を入れるには、門を破るか、壁へ取り付くかしなければならない。野戦と同じように射撃を重ねても、それだけで城が取れるわけではなかった。

 レオンハルトの使者が、城へ向かって進んだ。

 護衛は少数にとどめ、攻め込む動きは見せない。

 城壁から返事があり、使者は門の手前で止められた。

 しばらくして、小さな通用門が開いた。

 城の中へ入った使者を見届けると、レオンハルトは馬から下り、折り畳みの椅子へ腰を下ろした。

「陛下。城内は、元の守備兵が三百ほど。川から逃げてきた兵が二百ほどと聞いております」

 報告したのは、城下の住民から話を聞いてきた斥候だった。

「五百か」

「ただし、逃げ込んだ者の中には負傷者もおり、すべてが戦えるとは限りません」

「東へ逃げる道は」

「カスパル殿が見張っております。大勢で出れば分かります」

 レオンハルトは城へ目を向けた。

「返事を待つ」

 兵を壁へ走らせる命令は出なかった。

 ◇ ◇ ◇

「門を開ければ、王への反逆になる」

 城主は、使者が置いていった書状を机へ押しつけた。

 近くの窓から、黒地に金の獅子を描いた旗が見える。

 その後ろには、街道を埋めるほどの兵が続いていた。

「ここは王国の城だ。敵が来たからといって、すぐに渡せるものか」

 部屋には家臣と守備隊長、それに川から逃れてきた隊長がいた。

 敗残兵の隊長は、左腕を布で吊っている。肩の辺りには血が滲み、椅子に座ることを許されても、傷が痛むのか、背もたれに体を預けられずにいた。

「東へ使いは出した。援軍が来るまで持ちこたえればよい」

 城主の言葉に、誰もすぐには答えなかった。

 守備隊長が口を開きかけ、また閉じた。

「どうした」

「……城内へ入った者を合わせても、五百ほどです。壁へ並べられる者は、それより少なくなります」

「城へ籠もれば、それ以上を相手にできる」

「それは、援軍が来るまで守るのであれば、でございます」

「だから、その援軍を待つと言っている」

 城主の声が大きくなった。

 腕を吊った隊長が、ゆっくりと顔を上げた。

「恐れながら」

「何だ」

「援軍を待つと仰せですが、その援軍になるはずだったのが、我々です」

 部屋が静まった。

 窓の外から、角笛が聞こえる。

 城主は隊長を見た。

「本隊は退いたのだろう。まだ兵はいる」

「おります。ただ、私には、誰がどこへ集まるのか分かりません」

 隊長は、机の上へ右手を置いた。

「丘へ戻れと命じられました。しかし、丘の下には敵の騎兵が入り、戻る道を塞がれておりました。次に東へ退けと聞いた時には、隣にいた隊の旗も見えませんでした」

「それでも、指揮官は生きている」

「はい。ですが、兵を集め、武器と食料を与え、ここへ戻るには時間が要ります」

 隊長の目が、窓へ向いた。

「黒獅子は、その前に来ました」

 城主は書状を見下ろした。

 門を開き、兵の武器を収めること。

 城内の兵数と、兵糧、武器の保管場所を申告すること。

 従う者に対する殺害と略奪は禁じる。

 城と軍需の品は接収するが、兵や住民の私物を勝手に奪わせない。

 領地や身分の処遇は、別に裁定する。

 城主の地位をそのまま認めるとは書かれていなかった。

 だからこそ、何も失わずに済むような甘い話ではないと分かった。

「断れば」

 城主の声は、先ほどより低くなっていた。

 守備隊長が答えた。

「戦います」

 その返答に、城主は顔を上げた。

「兵は命令に従います。ただ、城へ入れた村の者を、先に逃がす許しをいただきたく存じます」

 城主は窓へ歩いた。

 城壁の内側には、荷車が寄せられている。村から来た者たちが、その周りに座っていた。

 男だけではない。

 子供を抱いた女と、杖をつく老人もいた。

 畑から戻れと呼び集め、敵が来るから城へ入れたのは自分だった。

 城主は、しばらくそこを見ていた。

 やがて、机へ戻った。

「使者を呼べ」

 ◇ ◇ ◇

 門が開いた時、アレクは先頭の歩兵の後ろにいた。

 守備兵は城内の広場へ集められ、槍と剣を地面へ置いていく。

 先に入った歩兵三百人が、門、塔、倉、通用門を押さえた。

 その三百人は城の守備として残り、本隊の先へ進む兵は一万四千七百人になる。

 アレクは、その数を伝令が書き留めるのを見た。

 城主は剣を外し、レオンハルトの前へ差し出した。

「城をお渡しいたします」

 レオンハルトは近衛へ剣を受け取らせた。

「兵へ出した命令は」

「武器を置き、陛下の兵に従うよう伝えております」

「隠している兵は」

「おりません」

「後から見つかれば、話が変わる。今、申せ」

 城主の喉が動いた。

「塔の中に、足を負傷した兵が二人おります。下りられず、運ぶ者を待たせております」

「武器を預かり、運び出せ」

 レオンハルトは近衛へ命じた。

 城主が深く頭を下げた。

 その脇を、ロベルトが倉の管理をしていた男と共に歩いていく。

「鍵はこれで全部か」

「はい。大きな倉が二つと、塔の下に一つです」

「開ける前に、帳簿と照らす。城の分と、村から預かった分は分かるか」

「札を付けております」

「ならば、その札は外すな」

 アレクは、広場の隅で歩兵の一人が荷車へ近づくのを見た。

 兵は荷台の布をめくろうとしていた。その前へ、女が立つ。

「それは、うちの物です」

「中を見せろと言っているだけだ」

 女は荷車へ手をかけたまま動かなかった。

 兵も、下がらない。

 アレクは二人の間へ歩いた。

「何が入っていますか」

 女はアレクの腰の剣と、その後ろの兵を見比べた。

「麦です。家から持ってきた分です」

「武器がないか確かめます。麦は持っていきません」

 そう告げてから、アレクは兵へ顔を向けた。

「持ち主の前で調べてください。終わったら、元へ戻すように」

「はっ」

 女がゆっくりと手を離した。

 荷車には麦の袋と、鍋、毛布が積まれていた。小さな農具はあったが、隠れている兵や、隠された武器は見つからなかった。

 兵が布を戻す。

 女は何も言わず、荷台へ触れた。

 少し離れた場所で、城主がこちらを見ていた。

 アレクと目が合うと、城主は僅かに頭を下げた。

 門を開けた者の顔を見ておけ。

 マティアスの言葉が、アレクの中へ戻ってきた。

 城主が見ていたのは、兵の強さではなかった。

 書状に書かれたことが、本当に守られるかどうかだった。

 ◇ ◇ ◇

 西部軍の敗報が、カルディアとの係争地帯へ届いたのは、それから数日の後だった。

 長い道を走ってきた使者の外套は、裾まで泥に汚れていた。

 城の執務室へ通された使者は、水を一杯飲んだ後、王の封印がある書状を差し出した。

 アーノルド・フォン・ケッセルハイムは、封を切る前に使者の顔を見た。

「西の軍は」

「大きな損害を受けました。現在、兵を集め直しております」

「どれほどだ」

「死者と捕虜、戦えぬ負傷者を合わせれば、半数近くに及ぶとのことです」

 アーノルドの手が止まった。

 四十を幾つか過ぎたアーノルドの顔には、長年、城と陣地を行き来してきた疲れが刻まれていた。剣帯を外してはいたが、机の横にはいつでも持ち出せるよう剣が立てかけられている。

 カルディアとの係争地帯で、城を守り、奪われた砦を取り戻し、また別の城へ兵を送る。

 そうした戦いを任されてきた将だった。

「川と丘を使って受けると聞いていた」

「その川を越えられました」

「指揮官は生きているのか」

「はい。東へ退き、残った兵の収容を進めております」

 アーノルドは書状を開いた。

 目が文面を追う。

 最後まで読み終えると、もう一度、兵数が書かれた箇所へ戻った。

「千五百」

「西部の守りを立て直すため、速やかに送り出すようにとのご命令です」

 この城と周辺の陣地を合わせ、アーノルドが動かせる兵は四千人だった。

 そこから千五百人を抜く。

 残る二千五百人で、同じ城と陣地を守れという命令だった。

「返書を用意する。今日は休め」

 使者が下がると、アーノルドは書状を机へ置いた。

 指を離しても、紙の端が少し曲がっていた。

「西の失態を、こちらにも背負わせるのか」

 側近は答えなかった。

 窓の外では、城壁の修理が続いている。崩れた石を運ぶ音が、一定の間隔で響いていた。

 その壁は、先月の戦いで傷んだものだった。

 修理に使う石を集めるため、近くの村から荷車を借りている。兵を休ませる余裕がないため、夜の見張りを終えた者まで作業へ回していた。

「こちらにも余裕はない。千五百を送れば、今の陣地は保てん」

「兵を減らしても、カルディアに気づかれなければ」

「気づく」

 アーノルドは即座に言った。

「向こうも、こちらの旗と荷車を見ている。千五百人が何日も道を歩くのだ。見落としてくれると思うな」

 側近が口を閉じた。

 アーノルドは地図を引き寄せた。

 城の前方に、小さな陣地が二つある。道を見張るためのものと、渡り場を守るためのものだった。

 さらに後方には、谷の入口を押さえる別の城がある。

 今いる城を失えば、敵はこの一帯の耕地と街道を使えるようになる。しかし、兵を後方へまとめれば、少なくとも谷へ入る道は守りやすくなる。

「前の陣地を畳み、必要ならこの城からも退く。その許可を求める」

「城を渡せば、陛下はお怒りになるかと」

「兵を送って城を失うのと、兵ごと城を失うのとでは、後に残るものが違う」

 アーノルドは、後方の城を指した。

「西へ兵を出す必要があることは分かる。だからこそ、こちらの守り方も変えねばならん」

 側近が書記を呼んだ。

 アーノルドは兵数、城壁の損傷、前方の陣地を維持するための人数を、一つずつ述べた。

 怒りをそのまま書かせることはしなかった。

 千五百人を送れば、何ができなくなるか。

 兵をまとめれば、どこまで守れるか。

 その違いを、王が読める形へ直していった。

 返書を持つ使者が出た後も、アーノルドは西へ送る兵の選定を止めなかった。

 王命を受けた以上、出発の支度は進めなければならない。

 各隊の名簿を集め、隊長と兵をばらばらにしないよう、まとまった隊を選んだ。

 西で知らない者同士を並べても、すぐには軍にならない。

 かといって、よく戦う隊ばかりを送れば、残る守備が持たなくなる。

 机に並べた名簿を、アーノルドは何度も動かした。

 ◇ ◇ ◇

 王の返答が届いたのは、数日後だった。

 千五百人を西へ送ること。

 城と係争地帯の守備を維持すること。

 許可なく城を放棄した場合は、その責任を問うこと。

 アーノルドは、最後の一文を黙って読んだ。

 側近が傍らで待っている。

「陛下は、何と」

 アーノルドは書状を渡した。

 側近の顔が強張る。

「これでは」

「兵は送れ。城も守れ、ということだ」

 アーノルドは椅子から立った。

 窓へ歩き、城内の広場を見下ろす。

 西へ向かう兵は、すでに荷をまとめていた。隊長が人数を数え、馬の鞍を確かめる者がいる。

 荷車の周りでは、干し肉と麦の袋を積んでいた。

 この城へ戻ってくるつもりで、寝床へ残す物を仲間へ預けた兵もいるだろう。

 しかし、西の軍が半数近くを失ったという場所へ送るのだ。

 次に同じ顔を見られる保証はなかった。

「……王命だ。千五百を西へ送れ」

 側近が一礼した。

 アーノルドは続けた。

「前方の陣地の荷を減らす。使わぬ道具と余分な穀物は、こちらへ運べ。負傷者のうち、今すぐ守備へ戻れぬ者は後方の城へ移す」

「城を退く支度と見られませんか」

「負傷者を治せる場所へ送る。今は、それができる」

 アーノルドは地図の谷道を示した。

「この道の橋を調べさせろ。荷車が続けて渡れるよう、傷んだ板を直させろ。途中の村には、馬と水を用意させる」

「承知しました」

「村人を城へ集めるのは、必要になってからだ。先に家財をまとめさせておけ。兵を動かす時に村人まで一斉に道へ出れば、どちらも進めなくなる」

 命令を受けた側近が出ていく。

 アーノルドは剣帯を取り、腰へ締めた。

 広場へ下りると、西へ向かう隊長が駆け寄ってきた。

「出発の支度が整いました」

「人数は」

「千五百、揃っております」

「道中の食料は」

「指示された分を積みました。途中で補給を受ける場所も、確認しております」

 アーノルドは荷車の列を見た。

 急げと命じるのは容易い。

 だが、空腹の兵を歩かせ、足を傷めさせて西へ着かせても、失った軍の代わりにはならない。

「急げ。ただし、無理な行軍で兵を潰すな。西へ着いた時に戦えねば意味がない」

「はっ」

「遅れた者を、道に置き去りにするな。隊ごとに人数を確かめろ」

「承知しました」

 隊長が敬礼し、自分の兵の前へ戻った。

 角笛が鳴る。

 先頭の旗が動き、兵の列が城門へ向かった。

 アーノルドは門の脇で、その列を見送った。

 歩きながら顔を向ける兵がいる。

 アーノルドが頷くと、兵は前へ向き直った。

 千五百人の列が、少しずつ城の外へ消えていく。

 最後の荷車が門を抜けた後、広場は広くなったように見えた。

 何も増えてはいない。

 そこにいた兵が、いなくなっただけだった。

 アーノルドは城壁の階段を上った。

 城の南には、カルディアの陣地がある。

 遠くの見張り台には、今日も旗が上がっていた。

 ◇ ◇ ◇

 カルディアの斥候は、その兵の列を見逃さなかった。

 城から離れた林の縁で、二人の男が道を見下ろしている。

 一人が兵のまとまりを数え、もう一人が旗と荷車を書き留めていた。

 千を超える兵が西へ進んでいる。

 城の外へ出て陣地を移しただけではない。昼を過ぎても列は戻らず、夕方になっても西の道を進んでいた。

 翌日、別の斥候が前方の陣地を調べた。

 柵の内側に残る天幕は減っている。見張りの人数も、以前と同じではなかった。

 報告を受けたカルディアの指揮官は、地図の上へ指を置いた。

「西へ行ったのだな」

「はい。少なくとも千を超えます。旗の数と列の長さから、千五百ほどかと」

「城へ戻った様子は」

「ありません。前の陣地からも、荷車が引き上げております」

 指揮官は傍らの参謀と目を合わせた。

 グランヴァルトが西からロスヴァールを攻める。

 その申し出を受けた時から、期待していた動きだった。

 ロスヴァールは二つの戦線へ同じ兵を置けない。

 西で戦えば、こちらの城から兵を抜く。抜かなければ、西の守りが薄くなる。

 どちらにしても、カルディアには得になる。

「黒獅子が西で引きつけてくれた」

 指揮官の口元が緩んだ。

「今度はこちらが取り戻す番だ」

 地図に描かれた城は、何度も旗を変えていた。

 カルディアが取れば、ロスヴァールが次の年に取り戻す。ロスヴァールが兵を増やせば、カルディアは別の砦へ攻め込み、守備を動かさせる。

 そうした戦いを繰り返してきた場所だった。

 城の壁だけでなく、どの村から麦が入り、どの坂で荷車が遅れ、雨が降ればどの道が使えなくなるかまで、互いによく知っている。

 それでも決着がつかなかったのは、城を囲めば、後ろから援軍が来るためだった。

 今、その兵が西へ向かっている。

「六千を出す。まず前の陣地を押さえ、城へ続く道を断つ」

 参謀が地図の後方へ目を向けた。

「こちらの城の守りは、予定の兵を残します」

「そうしろ。取る前から、後ろを空ける必要はない」

「グランヴァルトへは」

「攻勢に出ると知らせよ。約束は果たす」

 指揮官は椅子へ背を預けた。

 西で幾つか城を奪えば、グランヴァルトも王へ条件を突きつけるだろう。

 賠償か、土地か。東部の諸侯へ手を出さないという誓約か。

 その間に係争地帯の城を取り戻し、こちらに有利な形で戦を終えられればよい。

 ロスヴァールの奥深くまで兵を送り、知らない土地を治める余裕は、カルディアにはなかった。

「向こうが西で手を止める前に、この城を取る」

 指揮官は立ち上がった。

「兵を集めよ」

 その日の午後、カルディアの陣地で旗が動いた。

 槍兵の列が道へ出る。

 弓兵と、城を囲むための道具を積んだ荷車が続いた。車輪が軋み、乾いた地面に轍を刻んでいく。

 六千の兵が、係争地帯の城へ向かって進み始めた。

 ◇ ◇ ◇

 城壁の上からその旗を見つけた兵が、鐘を鳴らした。

 アーノルドが上る頃には、見張りが指差す先に、長い列が見えていた。

「カルディア軍です」

「数は」

「まだ後ろが見えません。斥候の報告では、六千ほどとのことです」

 アーノルドは城壁へ手を置いた。

 千五百人を送り出した後、残る兵は二千五百人。

 前方の陣地も、まだ完全には引き払っていない。

 そこへ六千が来る。

 懸念したとおりだった。

 だが、そう言っても兵は増えない。

「前の陣地へ使いを出せ。囲まれる前に城へ戻す」

「陣地を渡すのでございますか」

「外で五百ずつ失うより、城で千を使う」

 アーノルドは城の外へ目を向けたまま答えた。

「持ち出せる食料は運べ。運べぬ物に兵を付けて残すな。荷のために戻れなくなるなと伝えろ」

「はっ」

「弓兵を上へ。修理をしている者は道具を片づけ、石を通路から退けよ」

 兵が走り始めた。

 階段を下りようとした側近を、アーノルドが呼び止めた。

「王都へ報せを出す」

 側近が振り返る。

「カルディア軍六千が進出。こちらは兵力を西へ送ったため、守備を城へ集中する。前方の陣地を維持することはできない」

「そのまま、お伝えしてよろしいので」

「事実だ」

 アーノルドは言った。

「書き換えても、城の前の兵は減らん」

 側近が一礼して去った。

 遠くで、前方の陣地にいた味方の旗が動き始めた。

 城へ戻る道には、すでに荷車が出ている。先に荷を減らしておいたため、兵の歩く場所は残っていた。

 アーノルドはその列を見届けてから、敵へ視線を戻した。

 カルディアの旗は止まらない。

 この城が弱くなったと、向こうは知っている。

 アーノルドは、城壁の上へ上がってきた兵たちを見た。

「持ち場へ着け」

 声を張った。

「門は、外の兵が戻るまで閉じるな。最後の隊を、ここへ入れる」

 ◇ ◇ ◇

 西部では、グランヴァルトの二つの軍が、別々の街道を進んでいた。

 南のユリウスから、街道を押さえる砦が降伏したとの報告が届いた。

 マティアスは、使者が持参した書状を地図の横へ置いた。

「砦へ残した守備兵と、先へ進む兵の数も記されています。中央へ通じる横道には、見張りを置いたとのことです」

 レオンハルトは書状へ目を通し、南の街道を指した。

「その道を使って、こちらの居場所も知らせよ。次の城へ向かう前に、互いの進路を確かめる」

「承知しました」

 旗を立てただけでは、道は守れない。

 城を得るたびに、荷車の休む場所と、伝令が馬を替える場所を増やしていった。

 中央の本隊が次の城へ近づいた時、アレクは先頭の騎兵の後ろにいた。

 今度の城は、先に開いた小城とは違っていた。

 石壁が高い。

 門の両側には塔があり、近づく道を左右から見下ろしている。城の背後には斜面が続き、正面の平地には、城壁の上からよく見える場所が広がっていた。

 そこを歩兵に走らせれば、門へ着く前に矢を受ける。

 兵が伏せられる窪みはあるが、全隊を隠せるほどではなかった。

 アレクは馬を止め、城壁へ目を向けた。

 弓兵がいる。

 盾を並べた場所もある。

 門の上には、太い木を組んだ張り出しが設けられていた。

 カスパルが横へ馬を寄せた。

「前の城のようには開きそうにないな」

「兵の動きが揃っています」

「逃げてきた者も入ったらしい。門へ行った使者には、王の援軍が来ると答えたそうだ」

 アレクは城の向こうを見た。

 援軍が、どの道から来るのか。

 いつ着くのか。

 城内の者が、それを本当に知っているのか。

 外から見ただけでは分からなかった。

「東の道は調べていますか」

「ああ。大きな隊が近づけば分かるようにしてある。ただ、山の小道までは全部塞げん」

「少人数で動く使者まで止めようとすれば、こちらも兵が散りますね」

「そういうことだ」

 二人は馬を返した。

 本隊は城壁から離れた平地へ入り、兵を休ませながら陣を整えていた。

 川からここまでに使った道は、後ろへつながっている。降伏した小城の倉も使えるようになり、荷車は途中で馬を休ませられる。

 それでも、大軍が止まれば、それだけ食料が要る。

 城を前にして、何日も無為に待つことはできなかった。

 天幕へ戻ると、ジークブルクから来た伝令が、レオンハルトへ書状を差し出していた。

「新しい大砲の輸送隊が、城を出ました」

 アレクは足を止めた。

 レオンハルトが書状を開く。

「検査は」

「城まで運んだ後、職人が改めて調べ、試射を終えております。異常のなかった物を、砲手と共に送り出しました」

 アレクは伝令へ顔を向けた。

 王家の鍛冶町からジークブルクまで運ぶだけでも、大砲を載せた荷車には大きな負担がかかる。

 作った場所で撃てたからといって、そのまま戦場で使えるとは限らない。車輪、台、取り付けた箇所に緩みがないかも確かめる必要があった。

「今は、どこに」

「渡り場へ向かっております。重い荷車を通すため、先に道を調べる者を出しております」

 ロベルトが地図へ近づいた。

「川を越えた先に、荷車が片側へ寄りやすい場所がありました。そこへ人を出します。砲が来てから直していては遅れます」

「頼みます」

 アレクが答えると、ロベルトはすぐに従者を呼んだ。

 レオンハルトは書状を畳んだ。

「アレク。城を見てきたな」

「はい」

「鉄砲隊で、どうする」

 アレクは地図の横へ置かれた板を引き寄せた。

 城門と二つの塔、それに道の曲がる場所を、簡単に描いていく。

「正面から兵を近づければ、この二つの塔と門の上から狙われます。鉄砲隊で射撃を抑えられる場所はありますが、銃だけでは門を開けられません」

 レオンハルトは黙って聞いていた。

「大砲を使うなら、どこを狙うか決めてから、鉄砲隊の位置を合わせたいと思います。砲を据える者と、門へ向かう兵を守れる場所です」

「壁を端から崩すつもりはない」

「はい。兵が入れる場所を作る必要があります」

 アレクは門の周囲へ指を置いた。

 これまで、銃で狙ってきたのは、盾を持つ兵や槍の列だった。

 今、目の前にあるのは、人を守るために積まれた石と、閉ざされた門である。

 火縄銃を大きくすれば、それだけで何もかも解決するわけではない。

 運ぶ者が要る。

 据える場所が要る。

 その場所を守る兵も要る。

 そして、開いた先へ進む兵がいなければ、穴を開けても城は取れない。

「砲手が着いたら、共に見よ」

 レオンハルトが言った。

「どこまでできるかは、扱う者にも聞け」

「承知しました」

 天幕の外で、城へ送った使者の帰還が告げられた。

 レオンハルトが入るよう命じる。

 使者は膝をつき、返答を述べた。

「開城には応じぬとのことです。王の兵が来るまで守り抜くと」

「そうか」

 レオンハルトは立ち上がった。

 天幕を出ると、アレクも続いた。

 夕方の光を受け、城壁の上の旗がはっきりと見える。

 その下には兵が並んでいた。

 援軍が来る。

 それを支えに、門を閉じている者たちだった。

 レオンハルトは、城から西へ続く街道を振り返った。

 歩兵の列の向こうで、補給の荷車が陣へ入ってくる。

 そのさらに後ろから、新しい大砲が運ばれてくる。

「援軍が来るまで守り抜くつもりか」

 レオンハルトは城へ向き直った。

「ならば、着く前にこの城を落とす」

 アレクは、閉ざされた門を見た。

 あの門の前へ、何人の兵を進ませることになるのか。

 そのうち、何人を戻せるのか。

 目の前の城壁を見ながら、使える道と、兵を隠せる窪みを、もう一度頭の中で確かめた。

 街道の西から、車輪の軋む音が続いていた。

第九話を読んでいただき、ありがとうございました。

城を開いた者との約束を守るアレクと、厳しい王命の中で兵を守ろうとするアーノルド。それぞれの立場での判断を描いた一話でした。

西の戦いが別の戦線を動かす中、グランヴァルト軍には新たな攻城の手段が近づいています。


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