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『知らない世界で、前世の知識が武器になる』 ~剣と銃で乱世を生き抜く転生領主の成り上がり~  作者: 相田 ソウ
第七篇 乱世を越える黒獅子

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第七話 林檎の花の旗が駆ける

お読みいただき、ありがとうございます。

国境を越えたアレクたちの前に、ロスヴァール軍が姿を現します。

川と丘を巡る駆け引きの中、騎馬鉄砲隊が初めて実戦へ臨みます。

 国境を示す石は、街道の脇に立っていた。

 アレクが思っていたよりも小さく、長い年月を雨風にさらされ、刻まれた文字の端が削れている。そこを越えても、道の色が変わるわけではなかった。馬の蹄が踏む土も、道端に伸びる草も、こちら側と同じだった。

 それでも、石の先に立つ家々の戸は閉じられていた。

 人影のない畑を見た兵が、隣の者へ何かを言いかける。隊長の声が飛び、兵は顔を前へ戻した。

 アレクも、街道の先へ目を向けた。

 ジークブルクを発ってから、軍は隊ごとに間隔を取りながら東へ進んできた。国境が近づくにつれて斥候を増やし、今は三万のうち五千が先行している。

 歩兵四千、騎兵九百、そしてアレクの騎馬鉄砲隊百人だった。

 残る二万五千は、マティアスとともに後ろを進んでいる。九百人の鉄砲隊も、そちらにいた。

 レオンハルトは先行する五千に加わっていた。

 敵地の道や地形を、報告だけでなく自分の目でも確かめるつもりらしい。前へ出すぎぬよう近衛が気を配っていたが、王の視線は街道だけでなく、その左右の丘や林にも向けられていた。

「まだ、人のいる家もあります」

 ギルベルトが声を落とした。

 アレクが見ると、少し離れた家の窓で何かが動いた。板の隙間が閉じ、暗くなる。

「隊を離れさせるな。水も、決められた場所で汲ませる」

「承知しました」

 窓の向こうにいる者には、こちらの命令など聞こえない。

 今見えているのは、武器を持った大勢の兵だけだ。

 アレクは腰の剣へ触れかけ、手を離した。その家を長く見つめることもやめ、前を進む兵の背へ視線を戻した。

 やがて、街道の先から一騎が戻ってきた。

 カスパルのもとへ向かった伝令は、短く報告を済ませると、そのままレオンハルトのそばへ進む。

「敵兵を確認いたしました。川の手前に、歩兵と弓兵が合わせて千ほど。こちらの斥候が近づくと、少しずつ東へ退いております」

「川の向こうは」

「丘に旗が並んでおります。兵の列は見えますが、全体の数までは、まだ」

 レオンハルトは馬を止めた。

 後ろへ合図が送られ、先頭の歩兵も歩みを緩める。

「隊を詰めるな。前に空きがあっても、勝手に進ませるな」

 命令が伝えられる間に、カスパルが戻ってきた。

 馬の首筋に汗が浮いている。彼はレオンハルトの前で手綱を引き、進んできた方を指した。

「陛下。前の兵は、逃げているようには見えません」

「どう見える」

「こちらが止まると、向こうも止まります。追わせたいのでしょう。道の脇へ弓兵を出していますが、こちらが近づく前に引かせています」

 アレクはその先を見た。

 街道は低い丘の間を抜け、緩やかに下っていた。今いる場所からでは、川の水面はまだ見えない。

 カスパルは続けた。

「川を渡る場所へ向かうほど、道の左右に使える土地が減ります。兵を並べるなら、ここから少し先の平地までです」

「先へ見に行く」

 レオンハルトは近衛へ声をかけ、歩兵の先頭がいる場所まで馬を進めた。

 アレクも従った。

 丘の間を抜けると、視界が開けた。

 正面に川がある。南北へ流れる水は広くはないが、岸のどこからでも馬や荷車を入れられるわけではなさそうだった。街道の延長上だけが両岸へ緩く下り、そこに石と砂利の露出した浅い渡り場が見える。

 その向こう、東岸から少し離れた丘に、敵の旗が並んでいた。

 丘の斜面に兵が重なり、槍の穂先が光っている。川を渡り終えた兵が正面へ進めば、坂を上りながら相手をしなければならない。

 一方、こちら側にも丘があった。

 渡り場へ向かう街道の北側にある、小高い丘だ。対岸の丘ほど大きくはないが、上を押さえれば、街道と川の手前を見渡せる。

 その丘のさらに北には、もう一つ、長く低い稜線が続いていた。二つの丘の間はくぼみになり、街道からは奥まで見えない。

「敵の千は、あそこか」

 レオンハルトが言った。

 西岸の渡り場に近い場所で、敵の歩兵がこちらを向いていた。弓兵はその左右にいる。戦うために列を整えているようにも、退くために道を空けているようにも見える配置だった。

「はい。先ほどまで、もう少し西におりました」

 カスパルが答えた。

 敵兵の一部が動いた。

 こちらへ進むのではない。弓兵が後ろへ下がり、その空いた場所へ盾を持った兵が入る。だが、その盾の列も、少しすると川へ近づいた。

 こちらに追わせるための距離を、保っている。

 アレクにも、そう見えた。

 その時、北側を探っていた斥候が、丘の裾から姿を現した。

 馬を走らせ、カスパルへ近づく。

「北の丘の裏に騎兵がおります。五百ほどです。くぼみに集め、こちらから見えぬようにしております」

「こちらに気づいたか」

「見張りに追われました。二人を別の道から戻しております」

 カスパルは一度頷き、レオンハルトを見た。

「川へ向けて先頭が伸びたところへ、北から出すつもりかと」

 レオンハルトは、街道脇の小高い丘へ目を向けた。

 あの丘の東側を回れば、伏せた騎兵は渡り場の手前へ出られる。先頭の歩兵が川へ入り、後続が街道に詰まっているところを横から突けば、兵の多さが邪魔にもなる。

 敵が退くたびにこちらも進んでいれば、その形へ近づいていた。

「まだ、あの丘には兵を置いていないな」

「見える範囲には、おりません」

 カスパルが答えた。

 アレクは丘までの道を見た。

 街道から北へ外れ、草地を斜めに進めば西側の斜面へ回れる。そこは緩く、馬でも上れそうだった。敵の騎兵が潜むくぼみは、その反対側にある。

 徒歩で向かわせれば、登り切る前に敵が出てくるかもしれない。

 だが、今は馬がある。

「陛下」

 アレクは声を上げた。

「騎馬鉄砲隊を向かわせます。あの丘を押さえれば、敵の騎兵を渡り場へ近づけさせずに済みます」

 レオンハルトがアレクを見た。

「百人で丘を守るか」

「騎兵の援護をお願いいたします。射撃で正面を止めても、脇へ回られれば、私の隊だけでは防ぎきれません」

 レオンハルトはすぐにカスパルへ向き直った。

「騎兵五百をつける。アレクを丘へ入れ、左右を守れ。馬を預かる者も、そこから出すように」

「承知しました」

「ここには歩兵四千と騎兵四百を残す。敵の歩兵が戻ってきても、こちらで受ける。丘を押さえることに専念しろ」

「はい」

 アレクが答えると、レオンハルトは川の方へ顔を向けた。

「渡るな。まず、こちらの岸を取る」

 ◇ ◇ ◇

 カスパルから騎兵の隊長たちへ指示が伝わる間に、アレクは直属隊の前へ戻った。

 百人の兵が、馬上で待っている。

 先頭では、林檎の花と、その周りに五つの蕾を描いた旗が揺れていた。

「あの丘へ向かう」

 アレクは北東を指した。

「敵の騎兵が、その向こうにいる。こちらが先に上り、下馬して射撃する。馬は援護の騎兵へ預ける。受け渡した後、すぐに自分の班へ戻れ」

 ギルベルトが兵を見渡した。

「一班三十、二班三十、三班四十。丘へ上がっても、この組を崩すな。勝手に敵を追う者は、置いていくぞ」

 返事が重なった。

 アレクは銃の革覆いを確かめた。腰の弾薬箱も、馬の動きでずれてはいない。

 カスパルが五百の騎兵をまとめ、近づいてきた。

「五十人を、丘の西側で馬の世話に残す。残りの四百五十で、回り込む敵を押さえる」

「頼む」

「上へ着いたら、こちらの位置も見てくれ。敵と揉み合っているところへ撃たれるのは困る」

「射線へ入る時は、こちらからも止める」

 短く交わし、二人は前を向いた。

 敵の斥候らしい騎影が、北の稜線に現れていた。

 止まったまま、こちらを見ている。

 もう、伏兵を見つけられたことは伝わっているだろう。

「行くぞ」

 アレクは馬を進めた。

 旗が動き、百人が続く。カスパルの騎兵はその外側へ広がり、先に斜面の裾へ向かった。

 歩兵の列が脇を空けた。

 その間を抜ける時、何人もの兵がアレクたちを見上げた。火縄銃を持ったまま馬で進む姿を、訓練場ではなく、敵の前で初めて見る者もいる。

 街道を離れると、蹄の音が変わった。

 踏み固められた道の音から、草と柔らかい土を叩く音になる。

 アレクは前の地面を見ながら、進む速さを上げた。

 丘だけを見て駆ければ、途中の窪みに足を取られる。隣の馬が寄れば、その分だけ間を空ける。王の騎兵から繰り返し教えられたことを、身体が一つずつ思い出していた。

 背後から旗布のはためく音が聞こえた。

 アレクは振り返らなかった。

 百人がついてきていることは、蹄の重なる響きで分かった。

 西側の斜面へ入ると、前を進んだカスパルの騎兵が左右へ分かれた。坂の上だけでなく、裾を回る道にも目を配っている。

 アレクたちは、その間を上った。

 頂上へ着く少し手前で、馬を止める。

「下馬!」

 声を受けて、兵たちが次々に地面へ降りた。

 待っていた五十人の騎兵も馬を降り、アレクの隊の馬を引き受ける。預けられた百頭は彼ら自身の馬とともに、西側の斜面の下へ移された。

 銃を持った百人は、馬の列から離れ、丘の上へ駆け上がった。

 アレクも銃を手に、最後の坂を上る。

 足が土を踏んだ。

 馬の背から降りたばかりの身体には、まだ揺れが残っているようだった。それを振り払い、北側へ目を向けた。

 敵がいた。

 向かいの稜線とこの丘の間から、騎兵が姿を現し始めている。

 伏せていた場所から、今まさに出ようとしていた。

「間に合った」

 アレクは息とともに呟いた。

 ギルベルトが隣へ来た。

「敵は、こちらへ向きを変えています」

「上らせない。北側へ揃えろ」

「一班、前へ! 二班、三班は後ろへ続け!」

 兵が動く。

 丘の北斜面を見下ろす位置に一班が並び、その後ろに二班、三班が間隔を取った。射撃を終えた兵が下がる場所を空け、銃口を味方へ向けぬように列を整えていく。

 丘の西側では、カスパルが騎兵二百五十を低い位置に置いた。東側に百、さらに百を南寄りの備えに残している。

 鉄砲隊の正面には、味方の騎兵を出していなかった。

 アレクはその配置を目で確かめ、頷いた。

「弾薬箱開放許可!」

 ギルベルトの声に、革の留め具を外す音が重なった。

「一発取れ! 装填!」

 兵たちが一発筒を取り、手を動かす。

 アレクは自分の銃を支えながら、敵の動きを見た。

 北のくぼみから出た五百の騎兵は、そのまま一つの塊では進んでこなかった。三百ほどがこちらの北斜面を向き、残りが西へ動いている。

 小高い丘の裾を回り、こちらの背後へ出ようとしていた。

「西へ二百ほど回る!」

 アレクが声を上げると、近くの兵が合図を送った。

 西側のカスパルが剣を上げた。見えている、という返事だった。

 丘を押さえたからといって、戦いが終わったわけではない。

 アレクは正面へ向き直った。

 敵の旗が近づいていた。

 ◇ ◇ ◇

 丘の北側へ進む騎兵を率いていた男は、上に並んだ兵を見て手綱を引いた。

 馬で駆けてきたのは見ていた。

 だから、丘を奪い合う、騎兵同士の戦いになると思っていた。西側から回った味方が敵の横へ出れば、正面から押し上がる機会もある。

 だが、丘の上にいたのは、槍を構えた騎兵ではなかった。

 馬が消え、長い筒が並んでいる。

「火槍か」

 隣の騎士が言った。

 男は答えず、頂上の旗を見た。

 花の描かれた、見覚えのない旗だった。

 新型火槍を持つ兵がいることは知っている。東部で何が起きたかも、聞いていた。

 それでも、それを持つ兵が騎兵と同じ速さで先回りしてくるとは思っていなかった。

 男は北斜面の形を見た。

 一直線に駆け上がれば、途中で馬の速さが落ちる。上から狙われる時間が長くなる。

「間を空けろ。西の隊が回るまで、まとまって上るな」

 前へ出た騎兵に命令が送られた。

 隊を広げ、丘の上の兵が狙いを定めにくい形にする。その間に西から圧力をかけ、銃口をそちらへ向けさせればよい。

 そう判断した直後、丘の上で赤い布が上がった。

 男はその意味を知らなかった。

 ただ、並んだ筒の向きが一斉に揃ったことは分かった。

 ◇ ◇ ◇

「一班、装填完了!」

 報告が届いた。

 続いて二班と三班からも声が上がる。

 アレクは敵の広がりを見た。真正面に固まって来るわけではないが、斜面を上るには、結局こちらへ近づかなければならない。

 その先頭が、射撃できるところへ入ってきた。

「一班、火蓋開け!」

 ギルベルトが赤い布を上げた。

 アレクは兵の銃口と、敵までの間を見た。味方はいない。西へ回った敵も、まだ正面の射線へは重なっていなかった。

「構え!」

 三十挺が揃った。

 馬の首が上下する。敵兵が身体を低くし、手綱を引く。

 アレクは、先頭だけに目を奪われぬようにした。

「撃て!」

 布が振り下ろされた。

 轟音が丘を打った。

 白い煙が前へ膨らみ、その向こうで馬が崩れた。乗り手が投げ出され、すぐ後ろの騎兵が横へ避ける。

 人だけが鞍から落ちた馬もいた。手綱を失ったまま進み、隣の馬へぶつかりかける。

 敵の列が揺れた。

「一班、火縄上げ! 後退!」

 兵は手で火縄ばさみを上げ、決めていた通路を使って下がった。空いた場所へ二班が進む。

 敵は、その場で立ち止まってはいなかった。

 斜面の途中から横へ向きを変え、丘の東寄りへ流れようとしている。射撃された場所を避け、別の方向から上ろうとしていた。

「二班、右へ向けろ。東側の味方へ銃口を向けるな!」

 アレクが命じた。

 班を率いる兵が声を返し、銃口の向きを揃える。

 東の裾にいた味方騎兵百人は、敵の回り込みに備えたまま、丘の正面へは出ていなかった。

「火蓋開け! 構え!」

 赤い布が上がった。

 敵の一騎が腕を振り、何かを叫んでいる。その周囲の騎兵が向きを揃えようとした。

「撃て!」

 二度目の射撃が、その動きを崩した。

 斜面を横切っていた馬が脚を折るように沈み、後ろの馬が急に止まった。立ち上がりかけた馬の上で、兵が必死に鞍へしがみついている。

 倒れた者すべてが、弾を受けたわけではなかった。

 避けきれず転んだ馬も、急に向きを変えて乗り手を落とした馬もいる。だが、どれも列を乱すことには変わりがなかった。

 三班の四十人が前へ出た。

 正面の敵は、すでに最初の勢いを失っていた。それでも、旗の周囲には踏みとどまる者が残り、後ろから来る騎兵へ合図を送っている。

 アレクはそこを指した。

「あの旗の左右だ。遠くへ逃げる者を追って狙うな」

 ギルベルトが命令を伝え、三班が構えた。

 四十挺の射撃が重なると、旗の周りが崩れた。

 馬を返す者と、まだ前へ出ようとする者が交錯する。前を塞がれた騎兵が剣を振り、味方へ道を空けろと叫んでいた。

 百挺が一度ずつ撃ち終えた時、北斜面へ向かっていた敵の三百は、丘の下まで押し戻されていた。

 だが、西から剣のぶつかる音が届いた。

「西の敵、味方と接触!」

 見張りの声が飛んだ。

 アレクは顔を向けた。

 丘の西の裾で、回り込んできた敵騎兵二百を、カスパルの二百五十が受け止めていた。

 互いに正面から全力でぶつかったのではない。

 カスパルは敵を見ながら横へ動き、丘の西側へ入る道を塞いでいた。敵が押し込もうとすると、その先へ槍を向けた騎兵が進む。狭い場所で馬の肩が触れ、剣が振られた。

 上から撃てば、味方にも当たりかねない。

 アレクは銃を下げたまま、二つの隊が動く先を見た。

 敵は丘の背後へ回ることを諦め、今度は西斜面を斜めに上ろうとしている。そこへ出れば、頂上の鉄砲隊へ近づける。

 カスパルも気づいた。

 こちらを見上げ、剣で西斜面を示す。それから、自分の隊へ向き直って声を張った。

 味方の騎兵が、丘から離れる側へ動き始めた。

 敵を押し上げるのではなく、射線を空けようとしている。

「全班、西へ向き直る。走るな、列を保て!」

 アレクは命じた。

 百人の兵が丘の上で隊全体の向きを変え、西斜面へ銃口を揃えた。

 北側の敵が戻れば、東と南に残る騎兵が知らせる。今、こちらへ上ろうとしている敵を先に止めなければならなかった。

「一班、装填状況!」

「一班、装填完了!」

「二班!」

「装填完了!」

 三班はまだ手を動かしていた。

 アレクは急がせなかった。

 先に撃った班から準備が整う。訓練で繰り返してきた通りだった。

 西斜面では、敵騎兵が間を縫って上ってくる。

 その下で、カスパルの隊が左右へ退いた。まだ敵と剣を交えている者もいるが、頂上へ向かう敵の前からは外れ始めていた。

「中央から上る敵だ。下の味方へ銃口を向けるな!」

 アレクは一班の横へ立った。

 ギルベルトが赤い布を上げる。

 その時、一騎の敵が斜面を大きく横切った。

 後ろの兵へ剣を振り、上へ進めと促している。馬を扱い慣れているのか、傾いた地面でも身体が大きく崩れない。

 アレクは自分の銃を構えた。

 視界に、細い線が伸びた。

 馬と乗り手が動くたび、狙いの先は変わる。線だけを追えば、かえって身体が固くなる。それは王都での稽古で覚えたことだった。

 アレクは息を吐いた。

 線の先ではなく、敵の動く向きを見る。

 剣を上げた兵が、馬を少しこちらへ向けた。

「撃て!」

 ギルベルトの号令とともに、一班の三十挺が火を噴いた。

 アレクも引金を引いた。

 肩に衝撃が返る。

 白い煙が目の前を覆い、敵の姿が消えた。

 火縄ばさみを手で上げ、銃を下げる。煙が流れた時、先ほどの騎兵は馬の首へ覆いかぶさるようになっていた。剣は見えず、片腕だけで手綱へしがみついている。

 倒したのか、傷つけただけなのか。

 確かめ続ける時間はなかった。

「二班、前へ!」

 ギルベルトの声を受け、アレクは兵の通路を空けた。

 西斜面を上ろうとしていた敵は、前の馬が崩れたことで足を止めていた。後ろから来た者が横へ逃れ、その先にいた別の敵兵とぶつかる。

 二班の射撃が続いた。

 頂上へ向けられていた敵の馬首が、一斉に下を向き始める。

 退こうとしている。

 だが、全員が同じ方へ動けるわけではない。下にはまだカスパルの騎兵がいて、丘の背後へ抜ける道を塞いでいた。

 敵の一部が、北へ戻る道を作ろうと味方騎兵へ向き直った。

「三班、装填完了!」

 報告が届いた。

 アレクは西斜面の上寄りを指した。

「上に残る敵へ向けろ。下で味方と重なっている者は撃つな」

 三班の四十人が並び、銃を構えた。

 ギルベルトはすぐには布を振り下ろさなかった。斜面を横切る敵の向こうに、味方の騎影が残っていた。

 味方の騎兵が坂を下り、射線から外れた。

 アレクが頷くと、号令が飛んだ。

「撃て!」

 最後の射撃が、西斜面に残っていた敵を崩した。

 馬から落ちた兵が地面を転がり、這って斜面を下ろうとする。馬だけが頂上へ上りかけたが、銃声と煙に驚き、途中で向きを変えた。

 カスパルが剣を振った。

 味方の騎兵が前へ出る。

 退く敵の背を遠くまで追うのではなく、丘の西側から押し出すための動きだった。敵は北へ向きを揃え、最初に出てきたくぼみへ戻り始めた。

「射撃を止めろ」

 アレクは命じた。

「三班、火縄上げ!」

 ギルベルトの声が続いた。

 丘の上に、風の音が戻ってきた。

 まだ遠くで馬が嘶き、兵の叫び声も聞こえる。だが、こちらへ上ってくる敵は、もういなかった。

 アレクは銃を持ったまま、北側へ歩いた。

 最初に正面から来た敵も、西へ回った敵を待つように動いている。ばらばらになった騎兵が、北の稜線の向こうへ消えていった。

 旗が、その後を追っていた。

 ◇ ◇ ◇

 レオンハルトは街道から、丘の戦いを見ていた。

 最初の射撃が聞こえた時、前にいた歩兵が顔を上げた。

 続く銃声に肩を揺らした者もいたが、隊長たちは列を保たせた。ここで全員が丘へ目を向ければ、正面にいる敵の千人を見失う。

 渡り場の手前にいたロスヴァールの歩兵も、銃声を聞いていた。

 彼らの旗が何度か動いた。

 川へ近づきかけ、また止まる。北側を確かめるためらしい騎兵が一騎走り、途中で丘の上を見て引き返した。

 予定していた騎兵の姿が現れない。

 それだけで、前へ出していた兵の役目は危うくなっていた。

「陛下。敵が退きます」

 近衛の一人が言った。

 敵の弓兵が川へ入り始めた。

 今度は、こちらを待つような動きではなかった。歩兵が渡り場の西側に残り、弓兵が向こう岸へ上がると、次の隊が水へ入っていく。

「追撃を」

 そばにいた騎士が言いかけた。

「まだだ」

 レオンハルトは川の向こうを見た。

 敵主力の丘では、旗が動いている。こちらの歩兵が水へ入れば、弓兵を前へ出すことも、渡り終えたところへ兵を下ろすこともできる。

 退く千人を追って、相手の望む場所へ飛び込む必要はなかった。

「歩兵千を北の丘の南側へ進めよ。丘の東側と街道の間を固める。残る三千は、この平地で隊列を広げろ」

 レオンハルトが命じた。

「騎兵四百は周囲を見張れ。川へ近づく者がいても、渡らせるな」

 四千の歩兵が、二つの役目に分かれて動き始めた。

 千人が丘の裾へ向かい、三千人が街道の左右に広がる。後ろの隊が来ても、そのまま前の兵へ押しつけられぬよう、道を空けていた。

 それを見た敵の歩兵が、退く速さを上げた。

 盾をこちらへ向けたまま川へ入り、足元を確かめながら東岸を目指す。列を崩せば危険だと分かっているのか、前の者を押す兵は少なかった。

 千人すべてが逃げ散ったわけではない。

 敵は役目を失い、隊を保ちながら主力へ戻ろうとしていた。

 レオンハルトはその姿を見届け、伝令を呼んだ。

「マティアスへ伝えよ。渡り場の手前で足場を得た。兵を順に前へ出せ。鉄砲隊九百は、南側の道を空けたまま待機させるように」

 伝令が馬を走らせた。

 北の丘には、花の描かれた旗が残っていた。

 ◇ ◇ ◇

「深追いはさせていない」

 丘へ上がってきたカスパルは、馬上からそう言った。

 剣は鞘へ戻していたが、手袋には血がついていた。

「怪我をしたのか」

 アレクが尋ねると、カスパルは首を振った。

「俺のではない。落ちた兵を引き上げた」

 そう答えてから、西側を振り返る。

 味方の兵が、動かなくなった者を運んでいた。馬を失った兵も歩いて戻ってくる。敵を追い払った後の地面には、折れた槍と、持ち主のいない手綱が残っていた。

「こちらは二人を失った。ほかに六人、戦いを続けられぬ怪我をしている。まだ軽い傷の者もいるが、そちらは隊へ戻れる」

 アレクは黙って聞いた。

 五百の騎兵のうち、八人が戦列から離れた。

 勝ったという声の陰に隠してよい数ではなかった。

「鉄砲隊は」

「今、確かめている」

 アレクが答えると、ギルベルトが近づいてきた。

「百人、全員おります。戦列を離れる怪我人はおりません」

「銃は」

「使えなくなったものはありません。各兵二発ずつ、合わせて二百発を撃っております」

 アレクは自分の銃を見た。

「私が一発撃った。報告には、それも入れてくれ」

「承知しました」

 兵の弾薬箱には、未使用の一発筒が八本ずつ残っていた。すぐに次を撃てるよう装填を済ませた兵は、そこからさらに一本を使っている。

 ギルベルトは班を回り、装填済みかどうかも確かめていた。

 アレクはそれを任せ、カスパルへ向き直った。

「敵は、どのくらい残っている」

「北へ退いた。まだ相当数が馬に乗っている。向こうも、これだけで戦えなくなったわけではない」

 カスパルは丘の下を見た。

「こちらに残った死者が二十八。捕らえた者が十七、そのうち十一人は怪我をしている。今、歩兵へ引き渡しているところだ」

 五百のうち、四十五人がこの丘の周囲に残った。

 退いた者の中にも傷を負った兵はいるだろうが、今ここから正確には分からない。

 アレクは北の稜線を見た。

 敵の旗は、もう見えなかった。

「戻ってくるかもしれない」

「ああ。だから、まだ見張りは下げない」

 カスパルが答えた時、丘の南側から味方の歩兵が上ってきた。

 槍と盾を持った兵が、騎兵の間を抜けて持ち場へ入っていく。敵が再び近づいても、今度は鉄砲隊と騎兵だけで受ける必要はなかった。

 アレクは、ようやく大きく息を吐いた。

 喉が乾いていた。

 差し出された水を飲むと、冷たさより先に、飲み込めたことに気づいた。

 手が震えている。

 銃を持てないほどではないが、戦っている間は気づかなかった。

 ルーカスのもとへ向かった道でも、もっと速く進めればと思った。

 あの時には、間に合わなかった。

 今日、百人は敵より先に丘へ着いた。

 それで過去が変わるわけではない。だが、ここにいる兵を守るためにできることは、確かに増えていた。

 アレクは水を返し、丘の南側を見た。

 レオンハルトが、近衛とともに上ってきていた。

 カスパルが馬を降り、アレクと並んで迎える。

「陛下」

「よく押さえた」

 レオンハルトはまず、北の斜面を見た。

 倒れた馬を避けて兵が動き、捕虜を連れて下りている。その先の稜線には、こちらの見張りが立っていた。

「敵は北へ退きました。騎兵は二人戦死、六人が負傷して戦列を離れます」

 カスパルが報告した。

 レオンハルトは頷いた。

「名を記せ。負傷者は先に後ろへ運べ」

「はい」

「鉄砲隊は」

「全員、戦えます」

 アレクが答えると、レオンハルトは川の方へ顔を向けた。

「これで後ろの兵を出せる」

 丘の南には、先ほどまで街道に伸びていた歩兵が広がっていた。さらに西から、新しい旗が近づいてくる。

 後続の軍だった。

 道を塞がず、隊ごとに入ってくる兵を見て、アレクは自分たちが得たものを改めて理解した。

 敵の騎兵を何人倒したかだけではない。

 この丘を押さえたことで、渡り場の手前へ味方の軍を広げられる。狭い道の中で、横から襲われる形を避けられた。

 レオンハルトは、丘の上の旗へ目を向けた。

「よい場所に立ったな」

 アレクも見上げた。

 風に旗が広がり、林檎の花と、その周りの五つの蕾が見えた。

「はい」

 短く答えると、レオンハルトはもう対岸へ目を向けていた。

「だが、向こうはまだ残っている」

 川の向こうの丘には、変わらず敵の旗が並んでいた。

 ◇ ◇ ◇

「騎兵が退いた?」

 ロスヴァール軍の指揮官は、報告を聞いて西岸を見た。

 街道脇の小高い丘に、敵の旗が立っている。

 その下では歩兵が陣を広げ、後続の兵を迎え入れていた。

「丘を取られました。こちらが出るより先に、敵の騎兵が上り、その中に新型火槍を持った兵がいたと」

「騎兵の中に?」

「はい。馬を降りて、上から撃ってきたそうです」

 指揮官は口を閉ざした。

 前へ出した千人は、渡り場を戻りつつある。隠していた騎兵五百も、北へ退いた。

 当初の一万八千のうち、その千五百を外へ出し、残る一万六千五百をこちら側へ置いていた。

 前の千人に敵を引かせ、五百の騎兵で横を突く。その間にこちらからも兵を下ろし、渡り場に伸びた敵の先頭を挟むはずだった。

 だが、敵は川へ入らなかった。

 しかも、伏せていた騎兵を発見してからの動きが速かった。

 徒歩の兵が丘へ向かうなら、先に騎兵を出して止められた。敵の騎兵だけなら、五百で争いながら時間を稼ぐことも考えられた。

 そこへ火槍が加わっていた。

「馬で運んだのか」

 指揮官は呟いた。

 報告の男が頷く。

「花を描いた旗の隊です」

 指揮官は西岸の丘を見た。

 遠く、旗の細かな図柄までは見えなかった。

 それでも、その旗の下から騎兵が退かされたことは分かる。今さら同じ道へもう一度出しても、歩兵まで加わった丘を簡単には取れない。

「前の千を戻せ。騎兵も北の渡れる場所からこちらへ入れろ。ばらばらに敵を追わせるな」

「承知しました」

 男が走り去ると、指揮官はそばの将たちを呼んだ。

「西岸で挟むのはやめる。弓兵を川へ近づけ、渡り場を狙わせろ。槍兵はその後ろだ。敵が渡り切る前に押し返す」

 将たちが頷く。

「北へ回る動きにも気をつけよ。川沿いの見張りを増やせ。花の旗の隊を、見失うな」

 命令が伝えられ、丘の斜面で兵が動き始めた。

 最初の策は破られた。

 だが、川はこちらと敵を隔て、兵もまだ残っている。

 指揮官は剣の柄へ手を置いた。

 西岸では、黒地に金の獅子を描いた旗が上がっていた。

 その周囲へ、次々と新しい隊が入ってくる。

 ロスヴァールの兵たちは、対岸の軍が増えていく様子を見ながら、持ち場へ向かった。

 川を挟んだ両岸に、槍の列が伸びていった。

第七話を読んでいただき、ありがとうございました。

馬で駆けつけ、地に足をつけて撃つ。訓練を重ねてきた騎馬鉄砲隊が、仲間の進む場所を切り開きました。

しかし、川の向こうには敵の主力が残っています。両軍の戦いは、ここからさらに大きく動きます。


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