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『知らない世界で、前世の知識が武器になる』 ~剣と銃で乱世を生き抜く転生領主の成り上がり~  作者: 相田 ソウ
第七篇 乱世を越える黒獅子

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第五話 剣の届く、その先へ

お読みいただき、ありがとうございます。

アルヴェインから戻ったアレクは、騎馬鉄砲隊の訓練に加わります。

久しぶりに剣を手にした彼が向き合うのは、自分が勝つことと、仲間を守ることの違いでした。

 出発を控えた朝、アレクは旅の荷から小さな包みを取り出した。

 中には、エリーゼから贈られた手袋があった。

 戦で傷めてからも、捨てる気にはなれなかった。使える道具と同じようには扱えなくなっても、ほかの荷に紛れて失わないよう、自分でしまう場所を決めていた。

 布を開き、傷んだ革へ目を落とす。

 これを贈られた時のことは、まだよく覚えている。手に馴染む柔らかさも、こちらの様子を窺っていたエリーゼの顔も。

 アレクは布を畳み直した。

 扉が叩かれ、迎えに来た侍女の声がした。

 包みを持って部屋を出る。

 案内された部屋では、エリーゼが本を手にして待っていた。

「お支度の途中に、申し訳ありません」

「もう、ほとんど済んでいます」

 アレクが答えると、エリーゼは少し安心したように微笑んだ。

「こちらが、お話ししていた本です」

 差し出された本を、両手で受け取る。

 旅の荷に入れられるよう、薄い布で包まれていた。端から見える表紙には、使い込まれた跡がある。

「ありがとうございます」

「急いで読み終えなくても構いません。途中で、あまり好きではないと思われるかもしれませんし」

「その時も、お伝えしてよいのですか」

「もちろんです。同じところを好きにならなければ、お話しできないというわけではありません」

 エリーゼは少し考えてから、付け加えた。

「でも、最後まで読んでからにしてください」

 アレクは笑った。

「分かりました」

 本を持ち直し、空いた手で自分の包みを差し出す。

「こちらを、お願いしてもよろしいでしょうか」

 エリーゼは包みへ視線を落とした。

 何が入っているか、すぐに分かったようだった。

「はい」

 受け取った後、彼女は勝手に布を開かず、アレクを見た。

「職人に見てもらいます。直せるか分かったら、お手紙でお知らせします」

「お願いいたします」

「もし、元と同じにはできなかったら」

 言いかけて、エリーゼが口を閉じた。

 アレクは首を振った。

「無理に、新しく見えるようにしていただかなくても構いません」

「傷が残っても、ですか」

「はい。使ってきたものですから」

 エリーゼは包みを見下ろした。

 その手つきが丁寧だった。

「本は、アレク様がお返しに来てください」

「はい」

「手袋は、私がお返しできるようにしておきます」

 アレクは彼女の顔を見た。

 直ると決まったわけではない。

 それでも、預けたものをまた受け取る機会ができたことが、嬉しかった。

「お待ちしております」

「それは、私の言葉です」

 エリーゼが笑った。

 廊下の向こうから、人の動く気配が聞こえる。使節の出発に合わせ、荷を運ぶ者たちが行き来していた。

 アレクは本を胸元へ寄せた。

「では、行ってまいります」

「お気をつけて」

 エリーゼは小さく頭を下げた。

 顔を上げた時には、いつもの穏やかな表情に戻っていた。

 アレクも一礼し、部屋を出た。

 庭で約束した時よりも、借りた本の重さがはっきりしていた。

 ◇ ◇ ◇

 帰りの荷には、両国で取り交わした盟約書が加わっていた。

 マティアスが預かる盟約書は、ほかの荷とは分けて運ばれた。立ち寄る場所でも、誰が持っているかを曖昧にはしなかった。

 アレクは夜、休む前に借りた本を少しずつ読んだ。

 エリーゼが手紙に書いていた箇所へ来ると、頁をめくる手が止まる。彼女がどこで考えを変えたのか、先が気になった。

 けれど、翌朝の出発がある。

 読み続けたくなるところで閉じ、包みへ戻すことを繰り返した。

 王都へ着くと、マティアスはレオンハルトへ同盟締結を報告した。

 アルヴェイン側の火縄銃の生産と訓練の状況、ベルン伯爵領への反撃を検討することになった経緯も伝える。

 レオンハルトは、受け取った盟約書を確かめてから頷いた。

「よくまとめてくれた」

「ベルン伯爵領については、兵を出すと決まったわけではございません。敵情と、動かせる兵や兵糧を調べた上で判断するとのことです」

「それでよい。こちらの言葉だけで出陣されても困る」

 王はアレクへ目を向けた。

「アルベルトの兵はどうだった」

「命令を聞いて動ける隊になっていました。教える者も育てています」

「銃だけ揃えて、こちらへ助けを求めてくるわけではなさそうだな」

「はい」

 レオンハルトは満足したように頷いた。

「では、こちらも遅れてはおれん。留守の間に、馬を教える者を回しておいた」

「ありがとうございます」

「まず、兵がどうなっているか見てこい。話はその後だ」

 アレクは頭を下げた。

 王宮を出ると、マティアスは待っていた家臣から別の書状を受け取った。王都を離れている間に届いた報告が、まだ幾つもある。

「アレクは隊へ行くといい」

「お手伝いすることはありませんか」

「そちらを確かめるのが、今の仕事だ。明日、様子を聞かせてくれ」

「承知しました」

 マティアスは書状から顔を上げた。

「帰ってきたばかりだからと、兵ができることを全部今日見せてもらおうとするなよ」

 アレクは返事をする前に、少し考えた。

 伯爵が笑った。

「今、心当たりがあったな」

「……少し」

「では、気をつけて行ってこい」

 アレクはもう一度礼をして、訓練場へ向かった。

 ◇ ◇ ◇

 最初に聞こえたのは、銃声ではなかった。

「手を離すな!」

 鋭い声が飛び、兵が慌てて立ち止まった。

 その前で、馬が首を振っている。

 アレクは道の端へ寄り、馬と兵の動きを見た。

 兵が引こうとする方へ、馬が素直についていかない。焦った兵が余計に力を入れかけたところで、教えていた男がそばへ行き、落ち着いた声で指示をした。

 しばらくすると、馬が歩き出した。

 兵もようやく息を吐く。

「馬が相手では、兵に教えるのと同じようにはいきませんな」

 横から声がした。

 ギルベルトだった。

「戻った」

「お帰りなさいませ」

 隊長が頭を下げる。

 アレクは馬へ目を戻した。

「もう始めていたのだな」

「はい。最初に教わる者として、十二人を選びました。馬も十二頭、お預かりしております」

 全員分の馬が揃ったわけではない。

 王から回された指導役のもとで、まず限られた人数が学んでいるところだった。

「乗る前に、教わることが多いようです」

「そうだろうな」

 アレクが近づくと、指導役がこちらへ向き直った。

 レオンハルトの騎兵の中で、兵と馬を長く見てきた者だと、ギルベルトから紹介された。

「陛下より、まずは馬を扱えるようにせよと命じられております」

「頼む。鉄砲を持たせたまま、急いで乗せるつもりはない」

「その方が助かります。兵は、乗るところまで進むと、それでできたと思いがちですので」

 指導役は訓練している兵へ目を向けた。

「馬を疲れさせたまま放っておいては、次の日に困ります。自分の足で歩いていた時と同じには参りません」

 アレクは頷いた。

 鉄砲隊の訓練も、別の場所で続いていた。

 新兵の声に混じり、教官役の兵が指示を出している。以前より人数が増え、ギルベルト一人が全員を見回っているわけではなかった。

 アレクはその日の訓練を一通り見た後、ギルベルトから留守中の様子を聞いた。

 うまく進んだことだけではなく、時間がかかったこともあった。

 説明する者によって、同じ動作の言い方が違っていたこと。

 新兵が分かったと返事をしても、実際には意味を取り違えていたこと。

 教える役の兵同士で確かめ、直したことが記されていた。

「私がいない間も、進めてくれたのだな」

「全部をお待ちしていては、戻られてからの仕事が増えるだけですので」

 ギルベルトが答えた。

「ただ、これから確かめたいこともございます」

「何だ」

「馬から降りた後です。鉄砲を使う支度が整う前に、敵が近づいてきた場合を考えております」

 アレクは指導役を見た。

 男も頷いた。

「乗っている間に退ければよいのですが、いつでもそうできるとは限りません」

「剣を使うこともあるな」

「はい」

 ギルベルトが訓練場の脇を指した。

 木の模擬剣が立てかけられている。

 鉄砲を扱う訓練が増えてからも、近くまで来た敵への備えを捨てたわけではない。ただ、その時間をどの程度取り、どこまで教えるかには限りがあった。

「明日、私も入る」

 アレクが言うと、ギルベルトが顔を向けた。

「お相手をさせますか」

「ああ。まず、私自身が動いてみたい」

 隊長は一度、アレクの腰の剣へ目を落とした。

「承知しました」

 ◇ ◇ ◇

 翌朝、アレクは木の剣を手に取った。

 重さは、普段腰へ下げている剣とは違う。それでも、握り、腕を動かせば、どこで重みを感じるかが分かった。

 訓練場の一角は、馬から十分に離してあった。

 ここでは銃を使わない。相手を傷つけないよう、模擬剣と防具で稽古をする。

 最初に前へ出てきたのは、隊で剣の扱いに慣れている兵だった。

 アレクよりも肩幅があり、木の剣を持つ手にも迷いがない。

「お願いいたします」

「こちらこそ」

 アレクは相手の足元を見てから、剣へ視線を戻した。

 周囲には、その日の稽古に加わる兵がいた。ギルベルトは二人の動きが見える場所へ立ち、無理があればすぐに止められるようにしている。

「始め」

 相手が動いた。

 踏み込みに合わせて、剣が上がる。

 アレクは半歩ずれた。

 木と木がぶつかる音は、思っていたよりも小さかった。

 正面から受け止めたのではない。相手の剣が通る場所を外し、その動きが戻る前に距離を詰める。

 相手の目が開いた。

 アレクの剣先は、胸へ届く直前で止まっていた。

「そこまで」

 ギルベルトが言った。

 相手の兵が、自分の胸元とアレクの剣を交互に見た。

「もう一度、お願いいたします」

「ああ」

 離れて、構え直す。

 今度の相手は、すぐには踏み込んでこなかった。

 先ほどより慎重に剣を動かし、アレクの反応を探っている。

 アレクも動かなかった。

 手だけを見ると、何をしようとしているか迷う。けれど、肩と足の動きは同じではない。

 相手がこちらを動かそうとした瞬間、アレクは逆に前へ出た。

 短く二度、木の剣が鳴った。

 相手の腕が外へ流れ、その間にアレクの剣が止まる。

 今度も、振り切る必要はなかった。

 周囲から、小さな声が漏れた。

 相手の兵は息を吐き、剣を下げた。

「参りました」

「ありがとう」

 アレクも剣を下げる。

 握った手が、少し温かくなっていた。

 体は動いた。

 剣を使わなくなったわけではない。それでも、兵の射撃を見ることや、命令を伝えることに追われ、自分の剣だけへ集中する時間は減っていた。

 こうして動くと、忘れていなかったことが分かる。

「次は、私が」

 別の兵が進み出た。

 今度の相手は、先ほどの二度を見ていた。

 大きく踏み込まず、アレクが近づくのを待とうとしている。

 アレクは剣先を少し動かした。

 相手の目が、そこへ引かれる。

 すぐに打ち込まず、一歩だけ距離を詰めた。相手が下がりかけて止まり、その足が揃いきらないうちに、アレクの剣が入った。

 防具へ触れる手前で、動きを止める。

 兵が苦笑した。

「近づかせなければよいと思ったのですが」

「近づかせなかったら、私も困った」

 アレクが答えると、周囲から笑いが起きた。

 ギルベルトが咳払いをする。

「見ていた者も、構えろ。眺めるために集めたのではない」

 兵たちが姿勢を正した。

 組に分かれて稽古が始まる。

 アレクは少し離れたところで、剣を握り直した。

 ギルベルトがそばへ来た。

「初めてアレク様の剣を見た者は、驚いておりました」

「普段、私が細かなことばかり言っているからか」

「それだけではないと思いますが」

 隊長の口元が少し緩んだ。

「鉄砲を持たせる側の方という見方は、あったでしょうな」

 アレクは、並んだ兵へ目を向けた。

 自分が何をできるかを、兵に知ってもらうことにも意味はある。

 ただ、勝って見せるだけで終わりにはしたくなかった。

「次をやろう」

 ギルベルトは頷いた。

 ◇ ◇ ◇

 地面には、二本の線を引いた。

 一方からもう一方まで、足を痛めた味方役を退かせる。

 味方役は一人で歩けないことにし、別の兵が支える。アレクはその二人を守る役だった。

 相手役は二人。

 追い払うだけでなく、守る側の後ろにいる者へ触れれば、攻撃が届いたことにする。

 剣を振り回して勝つだけの稽古ではなかった。

 ギルベルトが双方を見て、始めるよう命じた。

 味方役の二人が動き出す。

 相手役の一人が、アレクの前へ来た。

 もう一人は少し離れている。

 アレクは正面の相手の剣を払い、踏み込みを止めた。追えば、そのまま退かせられる。

 だが、追わなかった。

 もう一人が横へ動いていた。

 アレクは後ろの二人との距離を確かめながら、相手の進路へ体を向ける。

 正面にいた兵が、もう一度近づいてきた。

 打ち合えば勝てる。

 しかし、その間に別の一人が回る。

 アレクは剣を受け流し、横へ出ようとした相手を止めた。少しずつ後ろへ下がり、味方役が線へ届くまでの間を稼ぐ。

「そこまで」

 ギルベルトの声が上がった。

 二人は線を越えていた。

 アレクは剣を下げた。

 勝って追い払ったわけではない。それでも、守る役目は果たせた。

「次は、相手を一人増やします」

 ギルベルトが言った。

 アレクは頷いた。

 三人が並ぶ。

 真ん中の兵が、アレクへ向かってきた。

 今度は左右にも一人ずついる。

 アレクは前へ出すぎないようにしながら、中央の剣を外した。右から来た相手へ向き直り、その踏み込みを止める。

 その時、左の兵が走った。

 目には入った。

 何をしようとしているかも分かった。

 だが、今いる場所からでは届かなかった。

「下がって」

 アレクが声をかける。

 味方役を支えていた兵が慌てて向きを変えた。足を痛めた役の兵を抱え直すため、歩みが止まる。

 左の相手が、その肩へ手を触れた。

「そこまで」

 ギルベルトが止めた。

 木の剣を持ったまま、アレクは動かなかった。

 自分は一度も打たれていない。

 目の前の相手にも、負けてはいなかった。

 しかし、守るはずの者には手が届いていた。

 相手役の兵が、気まずそうにこちらを見る。

「よく動いた」

 アレクは言った。

「今のでいい」

 兵が少し安心したように頭を下げた。

 アレクは味方役へ近づいた。

「最後に向きを変えさせたのは、私の声だ。動きにくくなったな」

「いえ。こちらも、どちらへ下がればよいのか迷いました」

「急に言われても困るな」

 アレクは地面の線を見た。

 もう少しで届いていた。

 けれど、その少しが残った。

 ギルベルトが横へ来る。

「相手を増やせば、いずれはこうなります」

「ああ」

「アレク様がお一人で全部を見る必要はありません」

「分かっている」

 答えてから、アレクは剣へ目を落とした。

 分かっているつもりだった。

 それでも、見えていたのに止められなかったことが、胸に残る。

 ギルベルトは兵を一人呼んだ。

「次は、守る役をもう一人加えます。役を決めてから始めましょう」

 守る側に加わる兵が、アレクへ頭を下げた。

 アレクは顔を上げる。

「私が前を見る。左へ回る者は頼む。無理に追わず、二人から離れないでくれ」

「承知しました」

 もう一度、同じ位置へ戻った。

 結果は、先ほどと違った。

 アレクが正面を止めている間、別の兵が横へ入る相手を防いだ。味方役は向きを変えず、決めた方へ下がれた。

 剣の強さだけでなく、役を分けたことで間に合った。

 アレクは訓練を終え、兵へ礼を言った。

 自分の力を広げることと、ほかの者へ任せること。

 どちらか一つを選べばよいのではなかった。

 ◇ ◇ ◇

 その夜、アレクは借りた本を開いたまま、昼の稽古を思い返していた。

 物語の文字を追っていたはずが、いつの間にか、左へ走った兵の姿が浮かんでいる。

 読んだはずの行を、もう一度読み直した。

 集中できていない。

 アレクは本を閉じた。

 机のそばには、ロルフから贈られた銃が、革の覆いに収められていた。壁際には剣がある。

 剣なら、手の届く範囲で何ができるかを体で知っている。

 相手が動く前のわずかな変化を捉え、踏み込むか、待つかを決める。初めからできたことではなく、戦いと稽古の中で覚えたものだった。

 鉄砲には、剣より遠くへ届く力がある。

 しかし、自分が剣を持った時と同じように、届く場所を感じ取れるわけではなかった。

 兵へ命令する時には、距離を見て、地形を見て、隊の状態を確かめる。

 それとは別に、自分が一挺を構えた時にも、もっと確かに分かることがあれば。

 アレクは銃の覆いへ手を置いた。

 欲張っているのかもしれない。

 剣を扱う才能も、強い体も、前の世界の記憶もある。それでも、足りないと思うことがある。

 窓の外から、夜の見張りが交代する声が聞こえた。

 アレクは手を離し、寝台へ向かった。

 明日も訓練がある。

 ◇ ◇ ◇

 足の裏に、硬い感触があった。

 アレクは目を開いた。

 寝台ではない。

 立っていた。

 どこまで見ても、白い光が広がっている。壁も天井もなく、遠くを見ても距離が分からない。

 息が止まった。

 覚えていた。

 この場所を、忘れることはなかった。

 アレクは胸へ手を当てた。

 鼓動がある。

 前にここへ来た時とは違った。

「……また、死んだのですか」

「いや」

 声がした。

 アレクが顔を上げると、少し離れた場所に男が立っていた。

 白い衣。後ろで束ねた長い髪。

 老人にも、もっと若い男にも見える顔は、記憶の中と変わらなかった。

「お前の体は、眠っている」

 アレクは胸から手を離した。

「では、今回は手違いではないのですね」

 男の顔に、気まずそうな表情が浮かんだ。

「違う。そう思わせたことは、謝る」

 その返事を聞いて、アレクはようやく息を吐いた。

 あの時と同じだった。

 神と呼ぶほかない存在なのに、威厳を示すより先に謝ろうとする。

「久しぶりですね」

「ああ」

「もう会うことはないと思っていました」

「お前が望んだ時に、いつでも会えるわけではない」

「今日は、なぜ」

 男はアレクを見た。

「お前が生きるために与えた力と、今のお前が引き受けている役目を、確かめる時になった」

 アレクは黙った。

 白い光の中には、剣も銃もない。

 着ているものは、この世界で使っている服だった。前に立っていた時の背広ではなかった。

「剣の力では足りなくなったか」

 男が尋ねた。

 アレクはすぐには答えなかった。

 昼に勝った稽古を思い出した。

 剣を払い、相手より先へ踏み込み、危険な場所で止められる体。

 与えられたものは、確かに自分を助けていた。

「自分が勝つだけなら、十分です」

 アレクは言った。

「でも、今はそれだけでは守れません」

 男は頷いた。

「最初は、自分が明日まで生きることを考えていました。食べる物も、寝る場所もありませんでしたから」

「ああ」

「今は、私の命令で動く兵がいます。私の領地で暮らす人もいます。私が間違えれば、その人たちが困ります」

 言葉にすると、重さが増した気がした。

 子爵になったから突然生まれたものではない。

 もっと前から、一人ずつ増えていた。

「お前は、すべてを自分で守りたいのか」

「できるなら、そうしたいと思うことはあります」

 アレクは答えた。

「ですが、一人ではできません。今日も、それは分かりました」

 男は何も言わず、続きを待っていた。

「兵に任せればよいこともあります。任せなければ、かえって間に合わなくなることも。だから、私だけを強くして、全部済ませてほしいとは言いません」

「では、何を望む」

 アレクは自分の手を見た。

「私自身ができることも、もう少し広げたいです」

 剣を握っていた手だった。

 今は、銃も持つ。

「兵を遠くへ向かわせるなら、私もそこへ行くことがあります。その時、指示を出すだけではなく、自分の手で助けられることがあるなら、助けたい」

 男はゆっくりと近づいた。

 足音はしなかった。

「お前に与えたのは、剣を覚える才能だった」

「はい」

「今、お前が読んでいる間合いや、相手の動きのすべてを、初めから知っていたわけではない」

「それは、覚えています」

 初めて剣を持った日から、誰にも負けなかったわけではない。

 怖くて動けなくなることも、判断が遅れることもあった。

 与えられた体で、覚え、試し、失敗した。

「剣を扱う中で身につけた感覚を、鉄砲にも生かせるようにすることはできる」

 アレクは顔を上げた。

「鉄砲にも、ですか」

「ああ」

 男が右手を上げた。

 白い光の中へ、細い筋のようなものが現れた。

 まっすぐな棒ではない。

 遠くへ伸びるにつれ、輪郭が淡くなり、やがて白い空間へ溶けていた。

「自分が構えた銃から、弾がどこへ進もうとするか。それを、お前が捉えられるようにする」

 アレクは光の先を見た。

「弾が飛ぶ道筋が、見えるのですか」

「今の構えから予測されるものだ。これから起きることが、決まった形で見えるわけではない」

「必ず当たるわけではない」

「そうだ」

 男は指を下ろした。

 光が消える。

「見えている相手でも、お前が撃つ前に動く。お前自身の構えも変わる。銃の出来や状態まで、この力で直ることはない」

「遠くも、同じように見えますか」

「遠くなるほど曖昧になる。煙や物陰の向こうに、何があるかを見通す力でもない」

 アレクは頷いた。

 銃口の先にあるものを、何もかも知るわけではない。

 自分が今、どこへ向けているのかを、以前より確かに感じ取れるようになるのだ。

「ほかの兵の銃は」

「お前自身が構えているものに限られる」

「分かりました」

 男がアレクの前へ手を伸ばした。

 触れたわけではなかった。

 それでも、額の奥に小さな熱を感じた。

 視界が白くなり、一瞬だけ、距離のない場所に奥行きが生まれたように思えた。

 アレクは目を閉じた。

 痛みはない。

 再び開くと、男は手を下ろしていた。

「これで、使えるようになったのですか」

「目覚めてから確かめるといい。剣の時と同じだ。与えられた感覚と、使いこなせることは別になる」

 アレクは頭を下げかけて、止まった。

 聞きたいことがあった。

 ずっと、誰にも聞けなかったことだった。

「助けられなかった人がいます」

 男は、黙ってアレクを見た。

「待っていてくれたのに、着いた時には、もう」

 そこで言葉が途切れた。

 燃えた町。

 泣いていた子供。

 レオンハルトの顔。

 男は、よくやったとも、仕方がなかったとも言わなかった。

 アレクは唇を結び、もう一度開いた。

「この力が、あの時あればと考えてしまいます」

「それで結果が変わったと、私から言うことはできない」

 静かな返事だった。

「間に合わなかった距離が、見えるようになっただけで縮むわけではない」

 アレクは目を伏せた。

 求めていた答えではなかった。

 だが、別の答えをもらえば納得できたのかも分からない。

「……そうですね」

「お前が馬を揃え、人を育てようとしていることまで、この力が代わりに果たすわけではない」

「はい」

 アレクは顔を上げた。

 神の前へ来たからといって、あの町へ戻れるわけではなかった。

 戻る先は、兵が訓練している王都だった。

「この力に、代わりに差し出すものはありますか」

 男は首を振った。

「ない。誰かの命を引き換えに取ることも、お前に果たすべき戦を命じることもない」

「では、使うかどうかも、私が決めるのですね」

「ああ」

 男は頷いた。

「見えるようになっても、必ず届くわけではない。いつ撃つか、撃たないかは、お前が決めることだ」

 白い光が、少しずつ強くなっていた。

 アレクは周囲を見た。

 前にも、こうして話が終わった。

「また、ここへ来ることはあるのですか」

「お前の立場が変わり、今の力と役目が合わなくなる時があれば、その節目に会うこともあるだろう」

「困るたびに呼べるわけではない」

「そうだ」

 アレクは小さく頷いた。

 もう一つだけ、男が尋ねた。

「今、お前には帰る場所があるか」

 アレクは、すぐに答えた。

「あります」

 待っている兵がいる。

 主君がいる。

 借りた本を、返しに行く約束もある。

 男は初めて、少し表情を和らげた。

「そうか」

 光の中へ、その姿が薄れていく。

 アレクは目を閉じた。

 今度は、知らない場所へ送られることを恐れてはいなかった。

 ◇ ◇ ◇

 目を開けると、天井があった。

 窓の隙間から、朝の光が差している。

 アレクは寝台の上で体を起こした。

 胸へ手を当てる。

 鼓動は、先ほどと同じように感じられた。

 机の上には、閉じた本がある。壁際には剣があり、そのそばに革の覆いへ収めた銃があった。

 アレクはしばらく、動かなかった。

 夢を見た。

 そう考えることはできた。

 けれど、あの男の声も、白い空間の感触も、普通の夢よりはるかにはっきり残っていた。

 アレクは立ち上がり、銃へ近づいた。

 覆いを外すと、木台の林檎の花が現れた。

 ロルフから贈られた時と変わらない。

 銃そのものに、何かが起きたわけではなかった。

 手に取りかけて、止める。

 部屋の中で、銃をあちこちへ向けて確かめるわけにはいかない。

 アレクは覆いを戻し、身支度を始めた。

 訓練場へ向かう頃には、兵たちも動き始めていた。

 ギルベルトがこちらを見つけ、近づいてくる。

「おはようございます」

「今日は、私も撃つ」

「ロルフ殿からの銃を、お使いになるのですか」

「ああ」

 ギルベルトは頷いた。

「では、こちらへ」

 射撃を行う場所へ案内される。

 的の後ろには人が入らないよう、すでに兵が見張りについていた。ほかの訓練とは場所を分け、指示を出す者が全体を見ている。

 アレクは銃を手に取った。

 初めて箱から取り出した時と同じように、握った木台が手に収まる。

 銃を構え、的へ目を向けた。

 最初は、何も変わらなかった。

 いつもの的があり、その向こうに土の斜面がある。

 アレクは目を凝らした。

 その時、視界の中へ薄い筋が浮かんだ。

 息が止まりかけた。

 銃の先から、淡い線が伸びていた。

 色と呼べるほどはっきりしていない。それでも、目を向けた先に、昨日まではなかったものがある。

 アレクの腕がわずかに動く。

 線も動いた。

 的の端を横切り、地面の方へずれる。

 慌てて追いかけると、さらに揺れた。

「アレク様」

 ギルベルトの声がした。

 アレクは銃を下げた。

 線が薄れ、消えた。

「どうかなさいましたか」

「少し、構えを確かめていた」

「お疲れでしたら、後でも構いません」

「いや。大丈夫だ」

 アレクは答え、ギルベルトの顔を見た。

 隊長は、こちらの様子を気にしていた。

 線を見た者の顔ではない。

 アレクはそれ以上、何も言わなかった。

 神のことも、白い場所のことも、話せなかった。

「一発、撃ってみる」

「承知しました」

 支度を終え、アレクは射撃位置へ立った。

 周囲の確認が済み、合図を待つ。

 改めて銃を構えると、薄い線が現れた。

 見ようとして腕まで動かせば、線も逃げる。

 アレクは、剣の稽古で相手の刃ばかり追った時を思い出した。

 目に見えるものへ引かれ、体が先に動いてしまう。

 今も、それに似ていた。

 線を追い回すのをやめ、的を見る。

 銃を支える感覚へ意識を戻した。

 揺れていた筋が、少し落ち着く。

 的の上を通っていた。

 それでも、細い線の先はぼやけている。

 一点へ必ず届くと告げる印ではなかった。

 合図が出た。

 アレクは引金を引いた。

 銃声が響き、肩へ衝撃が伝わる。

 白い煙が視界を覆った。

 線は、もう見えなかった。

 遠くの的を確かめようとしても、煙の向こうが透けることはない。

 アレクは火縄ばさみを手で上げ、銃を下げた。

 煙が流れるのを待つ。

 的には、新しい跡があった。

 狙った中央そのものではない。

 それでも、思い描いた場所に近かった。

 ギルベルトが的を見てから、アレクへ向き直った。

「よいところへ入りました」

「ああ」

 声が、少し遅れた。

 アレクは銃へ目を落とした。

 自分の手の中にあるのは、ロルフが仕上げた一挺だった。

 初めて使う魔法の道具ではない。

 そこから弾が進もうとする先を、自分が以前より明確に感じ取れた。

「もう一発、よろしいですか」

 ギルベルトが尋ねた。

「頼む」

 次の支度をしながら、アレクは先ほどの感覚を思い返した。

 見えた。

 それは間違いなかった。

 しかし、見えてから撃つまで、自分の体が止まっているわけではない。

 二度目は、線を確かめることへ気を取られた。

 撃つ直前に、先がずれたのが分かった。

 銃声の後、煙が流れる。

 弾は的を捉えたが、最初よりも外側だった。

 アレクは小さく息を吐いた。

「今の方が、外れたな」

「構えてから、少し長く迷われているように見えました」

 ギルベルトが答えた。

 その通りだった。

 線がよいところへ来るのを待とうとして、かえって体を固くしていた。

「狙いを定めようとして、考えすぎたのかもしれない」

 ギルベルトは頷いた。

「兵にもおります。よく狙おうとして、いつまでも撃てなくなる者が」

 アレクは少し笑った。

「私も同じだな」

「慣れた銃とは、感触も違いますから」

 ギルベルトには、それ以上の理由は見えていなかった。

 アレクも説明しなかった。

 もう一度、撃った。

 今度は薄い線だけに気を取られず、自分の構えと的を確かめた。

 今度は、最初よりも落ち着いて撃てた。

 だが、三発とも同じ場所へ入ったわけではない。

 アレクは銃を下げた。

 これから、覚えなければならないことが増えた。

 それでも、増えたのは迷いだけではなかった。

 昨日まで分からなかった先が、今は少し見えている。

 ◇ ◇ ◇

 射撃を終え、アレクは道具を整えた。

 ギルベルトが、使った分の記録を確かめている。

 その向こうでは、馬を教わる兵たちが集まっていた。

 昨日、手綱を持って困っていた兵が、今日は指導役の声を聞きながら落ち着いて歩いている。

 たった一日で騎兵になったわけではない。

 それでも、昨日とは違うことが一つあった。

 アレクは銃の木台を見た。

 自分も同じだった。

「今日は、ここまでになさいますか」

 ギルベルトが尋ねた。

「射撃は、ここまで」

 アレクは答えた。

 それから、訓練場の脇に置かれた木の剣へ目を向ける。

「次は、剣を使いたい」

 ギルベルトが少し意外そうな顔をした。

「昨日の続きを」

「ああ。守る役の兵と、もう一度合わせたい」

「承知しました」

 隊長が兵を呼びに行く。

 アレクは銃を預け、模擬剣を取った。

 握った感覚は、昨日と変わらない。

 神に会ったからといって、剣が遠くまで伸びるわけでも、体が二つになるわけでもなかった。

 昨日一緒に守る役を務めた兵が、こちらへ走ってくる。

「お願いいたします」

「今日も、左を頼む」

「はっ」

 兵がアレクの横へ立った。

 少し離れたところでは、味方役の二人が位置につく。相手役も、それぞれ木の剣を持った。

 アレクは隣の兵を見た。

「私が前へ出すぎたら、声をかけてくれ」

 兵が驚いたように顔を向ける。

「私から、申し上げてもよろしいのでしょうか」

「ああ。そのために、隣にいてもらう」

 兵は姿勢を正し、強く頷いた。

 アレクは正面へ向き直った。

 剣の届くところには、自分が立つ。

 届かないところには、ほかの者がいる。

 その先へ銃を持って行けるように、兵と馬を育てる。

 昨夜与えられた力があっても、その積み重ねが不要になるわけではなかった。

「始め」

 ギルベルトの声が響いた。

 アレクは隣の足音を聞きながら、木の剣を上げた。

第五話を読んでいただき、ありがとうございました。

神との再会によって、アレクの力が新たな広がりを得ました。

それでも、剣も鉄砲も、一人ですべてを守れるものではありません。仲間とともに、その力を生かす道を探っていきます。


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