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『知らない世界で、前世の知識が武器になる』 ~剣と銃で乱世を生き抜く転生領主の成り上がり~  作者: 相田 ソウ
第七篇 乱世を越える黒獅子

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第四話 二つの国、二人の約束

お読みいただき、ありがとうございます。

ロルフから届いた贈り物を受け取り、アレクはマティアスとともにアルヴェインへ向かいます。

国同士の大切な用件と、待ち望んでいた再会が二人を迎えます。

 荷車から最後の箱が下ろされるまで、アレクは倉の入口に立っていた。

 箱には工房の印があり、運んできた者が読み上げる数を、受け取る側の兵が確かめている。今回届いた分を合わせれば、ロルフから報告のあった六百挺が揃う。

 だが、届いた箱を開けたその場で、新兵へ渡すわけではない。

 輸送中に傷んでいないかを調べ、記録と現物を合わせる。ギルベルトは兵に指示を出しながら、すでに検めた箱と、これから開く箱を分けさせていた。

 倉の外からは、訓練中の兵の声が聞こえている。

 新しく来た兵たちは、まだ同じようには動けない。列を揃えるところから教わる者もいれば、命令を聞くより先に隣を見てしまう者もいた。

 それでも、アレクがずっとそばにいなければ何も進まないということはなくなりつつあった。

 教える役に選んだ兵が、自分の声で列を止め、説明し直している。

 その様子へ目を向けていると、荷車のそばにいた男が近づいてきた。

「ハルトマン子爵。こちらは、別にお預かりしております」

 男の腕には、細長い木箱があった。

 ほかの箱より小さく、蓋の上にアレクの名が記されている。

「工房からか」

「はい。ロルフ殿から、ご本人へお渡しするようにと」

 アレクは箱を受け取った。

 軍へ納める分とは別だという。

 男へ礼を伝え、倉の脇へ設けた机に箱を置く。ギルベルトも気づいて、手にしていた紙を兵へ渡した。

「何か、追加の道具でしょうか」

「まだ分からない」

 蓋を開けると、最初に手紙が見えた。

 その下には、布に包まれた火縄銃が収まっている。

 アレクは手紙を取り、広げた。

『遅れたが、子爵になった祝いだ。兵に持たせる分を先に仕上げていたら、今になった。お前の分は、私の手で仕上げたかった』

 ロルフらしい、飾りのない書き出しだった。

 アレクは一度、箱の中へ視線を戻した。

 そっと布を開く。

 現れたのは、落ち着いた色の木台を持つ火縄銃だった。

 形そのものは、兵たちが使う銃と大きく変わらない。見たこともない仕組みが付け足されているわけでもなかった。

 しかし、手に取れば違いが分かった。

 握る部分の仕上がりが滑らかで、木の表面には細かな艶がある。金具にも余計な飾りはなく、端まで丁寧に整えられていた。

 木台の横に、小さな林檎の花があった。

 アレクは指先を止めた。

 遠くからでも目立つような大きさではない。手に取り、近くで見て初めて気づくほどの、控えめな細工だった。

「……綺麗なものですな」

 ギルベルトが言った。

「ああ」

 アレクは頷いた。

 光へ向けると、花びらの輪郭に浅い陰ができた。

 箱には、ほかにも品が入っていた。銃を保護する革の覆い、弾薬箱、腰箱、帯革。それぞれの革の端にも、小さな花の意匠が添えられている。

 手入れに使う道具まで揃っていた。

 ロルフ一人で革の品まで作ったわけではないだろう。手紙の続きには、革職人にも頼んで揃えたことが書かれていた。

『飾っておくために作ったのではない。使って、気になるところがあれば知らせてくれ』

 アレクはその一文を読み、少し笑った。

 祝いの品を贈っても、そこで仕事が終わるわけではないらしい。

「何と書かれていたのですか」

「使った後で、気になるところを知らせてほしいと」

「ロルフ殿らしいですな」

 ギルベルトも笑った。

 アレクはもう一度、銃を握り直した。

 子爵になったことを祝われる機会は、すでにあった。王から書状を受け取り、土地を与えられ、周囲から呼び方を変えられた。

 それでも、工房にいるロルフが、兵の銃を作る仕事の合間にこれを仕上げてくれていたと思うと、また違う嬉しさがあった。

「これを、私の銃にする」

 アレクが言うと、ギルベルトは頷いた。

「兵たちも、喜ぶと思います」

「私が持つのにか」

「同じ工房で作った銃を、アレク様も使われるのですから」

 アレクは花の細工へ目を落とした。

 特別なのは、自分のために手をかけてくれたことだ。

 兵たちの銃ではできないことが、これなら突然できるわけではない。

 そのことも、気に入った。

 箱の蓋を閉じる前に、手紙をもう一度読んだ。

 礼を書こう。

 馬で動く隊を作ろうとしていることも、ロルフには知らせなければならない。使ってみれば、携え方について相談したいことが出てくるかもしれなかった。

 倉の向こうで、兵の名を呼ぶ声が上がった。

 ギルベルトが仕事へ戻る。

 アレクは祝いの箱を抱え直し、もう一度、並んだ軍用の箱を見た。

 兵へ渡す六百挺と、自分へ贈られた一挺。

 工房から届いた荷には、どちらにもロルフたちの仕事が詰まっていた。

 ◇ ◇ ◇

 アルヴェインとの交渉は、その間も進んでいた。

 使者が持ち帰った返答へ、王都から再び書状を送る。曖昧な言葉を残せば、後になって互いに違う意味で受け取っていたということになる。

 マティアスはレオンハルトと何度も話し、アルヴェイン側から出された条件を確かめていた。

 やがて、両国が受け入れられる文面がまとまった。

 互いの領土を侵さず、国境で争いが起きた時には、まず使者を交わして解決を図ること。

 商人の往来と物資の取引を、取り決めに従って維持すること。

 外からの脅威について協議し、必要な協力を定めること。

 ただし、一方が始めた戦すべてに、もう一方が兵を出す義務を負うものではない。

 これまでの武器の売買や技術協力も、別に交わしている約束を尊重する。

 レオンハルトは完成した書状を読み、机へ置いた。

「これでよい。マティアス、行ってくれ」

「承知いたしました」

 同盟を締結する使節の代表として、マティアスがアルヴェインへ向かうことになった。

 アレクも同行を命じられた。

 火縄銃の取引と技術協力の経緯を知り、アルヴェイン側とも面識がある。その場で確かめなければならないこともあった。

「留守の隊は任せられるか」

 レオンハルトに問われ、アレクは頷いた。

「はい。鉄砲隊長と、教える役を務めている者たちに任せます。私が戻るまでに進めることも、伝えておきます」

「帰ってきたら、何も進んでいなかったなどと言うなよ」

「そうならないようにいたします」

 マティアスが横から口を開いた。

「アレクがいない間に、困ったことも分かるでしょう。戻ってから全部やり直させるのではなく、何に困ったのかを聞くように」

「はい」

 レオンハルトは二人を見た後、書状とは別の紙を手に取った。

「もう一つ、アルベルトに話してもらいたいことがある」

 マティアスが姿勢を正す。

「ベルン伯爵領だ」

 その名を聞いて、アレクは顔を上げた。

 アルヴェインへ、幾度も兵を向けてきた相手だった。

「向こうがまた攻めてくるのを待つのではなく、今度は自分から兵を出すことを考えてはどうかと伝えろ」

「反撃を勧めるのでございますね」

「ああ。何度退けても、また来るなら、退けるだけでは終わらん」

 レオンハルトは紙を机へ戻した。

「ただし、俺が命じることではない。どこまでやるかも、アルベルトが決めることだ」

「その点は、はっきりと伝えます」

「鉄砲を持ったから勝てると、軽く言うなよ」

 今度の言葉は、アレクへ向けられていた。

「分かっております」

「兵も道も、あちらの方が知っている。何ができるかを見てこい」

 アレクは頭を下げた。

 かつて、小姓としてアルベルトのそばにいた。

 今度は、別の国の使節に加わって会いに行く。

 恩人であり、旧主であることは変わらない。それでも、同じ立場で扉をくぐるのではなかった。

 王宮を出た後、マティアスが歩きながら言った。

「随分、真剣な顔になったな」

「大切な用件ですから」

「それはそうだ」

 伯爵は頷いた。

「だが、会いたかった者に会えることまで、難しく考える必要はない」

 アレクは少し遅れて、マティアスを見た。

 伯爵は前を向いたままだった。

「公の仕事は、きちんと果たしてもらう。その後の時間まで、私が全部使うつもりはない」

「……ありがとうございます」

「まだ何も礼を言われることはしていないぞ」

 アレクはそれ以上言えず、黙って隣を歩いた。

 ◇ ◇ ◇

 出発までに、アレクは留守中の仕事をギルベルトと確かめた。

 新兵の訓練。修理を終えた銃の確認。馬を扱う兵の様子。

 すべてを一度に進めようとはせず、それぞれ任せる者を決めた。

 ギルベルトは最後まで聞いてから、頷いた。

「お戻りになった時には、今より動ける隊にしておきます」

「頼む。困ったことは隠さず残しておいてくれ」

「承知しました」

 旅の荷には、ロルフから贈られた火縄銃も加えた。

 革の覆いに包み、ほかの荷とともに傷めないよう運ばせる。まだ馬上で使うための調整を終えたわけではないため、騎馬の装備として無理に身につけることはしなかった。

 幾日もの旅を経て、アレクたちはアルヴェインへ入った。

 国境で迎えた役人が使節の書状を確かめ、案内の者が一行に加わる。

 道を進むにつれ、見覚えのある景色が増えていった。

 赤を基調にした旗に、金の龍が見えた時、アレクは思わず姿勢を正した。

 城へ着くと、まず使節としての挨拶があった。

 アルベルトは、マティアスからレオンハルトの書状を受け取った。

 双方の挨拶を終えたところで、大公の目がアレクへ向く。

「今度は子爵として来たか」

「はい。お久しぶりでございます」

「顔を見せるたびに、肩書が増えるな」

「私も、これほど早く変わるとは思っておりませんでした」

 アルベルトは少し笑った。

「肩書に振り回されていなければよい」

 以前と変わらない声だった。

 アレクの肩から、わずかに力が抜けた。

 その時、アルベルトの少し後ろにいたエリーゼと目が合った。

 林檎の花の髪飾りが見えた。

 首元には、細い銀の鎖と小さな深紅の石がある。

「お久しぶりです、アレク様」

 エリーゼが静かに挨拶した。

「お久しぶりです、エリーゼ様」

 アレクも頭を下げた。

 もっと言いたいことはあった。

 手紙を読んだこと。返事を待たせたこと。会えて嬉しいこと。

 しかし、今は使節の挨拶の場だった。

 顔を上げると、エリーゼは小さく微笑んでいた。

 その表情を見ただけで、旅の疲れが少し軽くなった気がした。

 アルベルトが、マティアスへ向き直る。

「休んでもらった後で、こちらの火縄銃を見てもらおう。書状だけでは伝わりにくいところもある」

「ぜひ、拝見したく存じます」

 マティアスが答えた。

 アレクはエリーゼから視線を戻し、もう一度姿勢を正した。

 まずは、自分に任された仕事だった。

 ◇ ◇ ◇

 翌日、アレクたちはアルヴェインの兵が訓練している場所へ案内された。

 見通しのよい地面に兵が並び、その先には的が置かれている。

 アレクは、兵が手にした銃へ目を向けた。

 こちらから渡したものだけではない。

 木台の色や細かな仕上がりに違いがある。この国の職人が作った銃だった。

 アルベルトの命を受けた役人が、生産と配備を記した書状を開いた。

「こちらで完成させたものは、百二十挺です。購入した三十挺と合わせ、配備に用いているのは百五十挺になります」

 マティアスが書状を受け取る。

 最初に渡した試作銃は、製作の見本として別に保管されているという。

「そのうち、戦場へ出せる兵は」

「百二十人を一隊として動かせるよう、訓練しております。残る三十人は、まだ習い始めた者です」

 役人の説明を受け、アルベルトが言った。

「銃の数だけなら、もう少し早く増やせると思っていた。だが、作る者を増やせば、それだけ検める者も要る」

「仕上がりが揃いませんか」

 アレクが尋ねると、アルベルトは頷いた。

「初めはな。今は、同じものを作るための決まりを守らせている。職人ごとに、よかれと思って変えられても困る」

 アレクには、よく分かる話だった。

 工夫することと、勝手に違うものへ変えることは同じではない。

 兵が使う段階で困ることもあれば、修理する時になって初めて分かることもある。

 マティアスが記録の一か所へ目を留めた。

「作る数より、検めるところで待っているのですね」

「ああ。急いで兵へ渡して、後から全部戻すよりはよい」

 アルベルトが答えた。

「作った職人と、使わせる側の者を両方置いている。互いに、自分のせいではないと言うからな」

 アレクは思わず笑いかけ、堪えた。

 アルベルトはそれを見て、口元を緩めた。

「そちらでもあるだろう」

「はい」

「ならば、分かるはずだ」

 兵を率いる隊長が近づき、一礼した。

「始めてもよろしいでしょうか」

「始めろ」

 アルベルトが許可を出す。

 アレクたちは、兵の動きを妨げない位置へ下がった。

 百二十人は、四十人ずつの三班に分かれていた。

 別の場所では、新兵が教官の説明を聞いている。まだ慣れていない三十人を、同じ列へ入れてはいなかった。

 号令が上がる。

 アレクが作り、伝えたものが、この国の兵の声で動いていた。

 一班が前へ出る。

 その途中、一人が足を止めた。

 隣の兵が先へ進みかけたが、班を率いる者がすぐに止める。

 不具合を申し出た兵へ指示が出され、銃を持ったまま無理に列へ戻されることはなかった。

 動ける者で列を整え直す。

 隊長は、アルベルトの方を見なかった。

 見学者の前だからと慌てず、兵の状態を確かめてから、改めて号令を出した。

「火蓋開け!」

 風が旗を揺らす。

「構え!」

 アレクは、兵の顔ではなく、隊全体を見た。

 待つ者は待ち、命令を受けた者が動く。

「撃て!」

 銃声が重なった。

 煙が広がり、的の近くから土が跳ねる。

 隊長の声が続き、撃ち終えた班が下がった。次の班は通路を空けて待ち、指示を受けてから前へ出る。

 アレクが口を挟む必要はなかった。

 訓練が終わると、アルベルトがこちらを見た。

「どうだ」

「よく訓練されていると思います」

「気を遣った返事ではないだろうな」

「違います。途中で止まった兵を、無理に撃たせませんでした。周りも、命令を待てていました」

 隊長が一礼した。

「止まる者が一人出ただけで、隣まで勝手に動くことがありましたので、繰り返し教えております」

「教える者は、こちらの隊から選ばれたのですか」

「はい。自分だけ動けても、ほかの者を見られない者には任せておりません」

 アレクは頷いた。

 同じところで困り、同じように人を育てている。

 武器を渡せば、それで軍ができるわけではないことを、この国も学んでいた。

「ほかの部隊へ、小さく分けて渡してはいないのですね」

 マティアスが尋ねた。

 アルベルトが答える。

「試してはみた。だが、数が少ないうちに分ければ、それぞれが守りを欲しがる。今は一隊として置き、そばに歩兵をつける方がよい」

「必要な場所へ、まとめて動かすのですか」

「ああ。すべての持ち場へ、同じように置くことはできん」

 アレクは兵たちへ目を戻した。

 こちらで何もかも決め、その通りに動かしているのではない。

 アルヴェインの将が、自分たちの軍の中でどう使うかを考えていた。

 アルベルトが手を後ろへ回した。

「銃を持った者だけ増やせばよいと思うと、ほかが足りなくなる。火薬も、教える者も、直す者もだ」

「私たちも、その支度を進めております」

 アレクが答えた。

「それと、こちらでは部隊の呼び名を改めました。今後は鉄砲隊と呼びます」

「鉄砲隊か」

「はい。今使っているものは火縄銃ですが、改良を重ねても使える総称として、鉄砲と定めました」

 アルベルトは少し考え、頷いた。

「新型、新型と呼び続けるよりは分かりやすいな」

 マティアスが続ける。

「取引の書状にも、その呼称が出てまいります。従来の火槍とは分けておりますので、取り違えのないよう、改めてお伝えします」

「分かった。こちらの記録を扱う者にも知らせておこう」

 訓練場の向こうで、教官が新兵へ銃を持つ姿勢を示していた。

 そのそばで、別の兵が黙って待っている。

 アレクは、その姿をしばらく見ていた。

 自分が最初に作ろうとしたものは、もう、自分の目の届くところだけにあるのではなかった。

 ◇ ◇ ◇

 ベルン伯爵領の話をしたのは、その日の午後だった。

 部屋にはアルベルトと、会談に必要な少数の家臣だけがいた。マティアスの横にアレクが座り、扉の外には護衛が控えている。

 同盟の文面を最後に確かめた後、マティアスが別の話を切り出した。

「陛下から、もう一つお伝えするよう託されております」

「聞こう」

「ベルン伯爵領への反撃についてでございます」

 アルベルトの表情が変わった。

 驚いたのではない。

 こちらが、どこまで話すつもりなのかを測っているようだった。

「ベルン伯爵は、これまで幾度も貴国へ兵を向けております。そのたびに退けても、また兵を整えて攻めてくる。今度はこちらから攻め、次の侵攻を許さぬ形にしてはいかがでしょうか」

 マティアスの言葉が終わると、部屋は静かになった。

 ベルン伯爵領は、どこかの王に所領を与えられ、その命で動いている家ではない。

 伯爵家が自ら兵を持ち、土地を治め、独立して振る舞っている勢力だった。

 攻め込んできたことへの抗議を、さらに上の主君へ持ち込めるわけでもない。

 アルベルトは椅子の肘掛けへ手を置いた。

「それを勧めて、グランヴァルトは何を得る」

 マティアスはすぐに答えた。

「貴国との関係が、安定して続くことです」

「それだけか」

「それだけとは申しません」

 アレクは、二人の顔を交互に見た。

「貴国が繰り返し侵攻を受ければ、兵も金も、その備えへ割かれます。交易が滞ることもありましょう。同盟を結んでも、協力できる余地が狭まります」

「こちらが戦って、そちらの取引を守るという話にも聞こえるな」

「そのためだけに、貴国の兵を動かしていただくことはできません」

 マティアスは声を変えなかった。

「反撃によって得るものが、その負担に見合うかどうかは、大公閣下がお決めになることです。陛下も、同盟の条件として兵を出せと仰せなのではございません」

 アルベルトは黙って聞いていた。

「ただ、今までと同じように侵攻を退けるだけで、ベルン伯爵が諦めるとも思えません。国境に暮らす者が、また来るかもしれないと怯え続ける状況を変える余地はあるかと存じます」

 アルベルトの隣にいた家臣が、わずかに頷いた。

 被害を受けるのは、兵だけではない。

 畑から離れなければならない者がいる。荷を止められる商人がいる。敵が去った後も、元の暮らしへ戻すために働かなければならない。

 アルベルトは机へ目を落とした。

「こちらから攻めることを、考えたことがないわけではない」

「はい」

「だが、敵を追い返すための兵を、そのまま伯爵領の奥へ送ればよいというものでもない」

「その通りでございます」

「レオンハルトは、どこまでを勧めている」

「兵を出すことの検討までです。どの城を目標とし、何をもって戦を終えるかまでは、定めておりません」

 アルベルトはアレクを見た。

「アレクはどう思う」

 突然ではあったが、問いは予想していた。

 アレクは背を伸ばした。

「今日拝見した隊は、野戦で力を発揮できると思います」

「ならば、攻められるか」

「鉄砲隊だけを見て、攻められるとは申し上げられません」

 アルベルトの眉が少し動いた。

「敵が城へ籠もれば、野で兵を退けるのとは違います。どこへ兵を送り、何を運び、どれだけの間留まれるのかを確かめる必要があります」

「鉄砲があれば、門が開くわけではないか」

「はい」

「売った武器を、もっと褒めてもよいのだぞ」

 アルベルトの口元に、かすかな笑みが浮かんだ。

 アレクは首を振った。

「よく働く武器です。ですが、それだけで戦のすべてが済むとは思っておりません」

「そうだな」

 大公は笑みを消し、家臣へ向き直った。

「ベルンの兵が今どこにいるか、改めて確かめろ。こちらから兵を出す場合に、どこまで進めるかも調べる」

「承知いたしました」

「国境を空にするな。攻める支度をして、別の場所を荒らされては意味がない」

 家臣が頭を下げる。

「兵糧と運ぶ手も出せ。何日で尽きるか分からんまま、出陣の日だけ決めるつもりはない」

 アルベルトはマティアスへ顔を戻した。

「提案は受け取った。調べた上で、こちらで決める」

「陛下へ、そのようにお伝えいたします」

「戦を始めるなら、そちらにも知らせよう。ただし、今日、始めると約束したわけではないぞ」

「承知しております」

 マティアスが一礼した。

 アレクは机の上の盟約書へ目を向けた。

 同盟を結ぶことは、相手の言葉へ何でも頷くことではない。

 互いに何を求め、どこまでは引き受けないのか。

 その境を確かめた上で、同じ方向へ進めるところを選ぶのだ。

 アルベルトが、会談を終える前に口を開いた。

「アレク」

「はい」

「随分、兵を連れていく側の話をするようになったな」

 アレクは返事に迷った。

 アルベルトは、少しだけ目を細めた。

「悪いとは言っていない。よく見てきたようだ」

「……ありがとうございます」

 そう答えると、マティアスが隣で静かに頷いていた。

 ◇ ◇ ◇

 正式な盟約の取り交わしは、翌日に行われた。

 広間には、アルヴェインの赤地に金の龍と、グランヴァルトの黒地に金の獅子が掲げられていた。

 アレクはマティアスの後ろに立ち、二つの旗を見上げた。

 かつては、別々の場所で見ていた旗だった。

 その間を自分が何度も行き来して、武器や書状を運んだ。

 今日は、国同士の約束を交わす場所で、同じように並んでいる。

 定めた条項が読み上げられた。

 マティアスはレオンハルトから与えられた権限を示し、王の印を備えた書状を差し出した。アルベルト側も、確認を終えた盟約書へ印を加える。

 双方が保管する書状が取り交わされた。

 証人として列席する者たちの前で、アルベルトが言った。

「この約束が、両国の道を長く開くことを願う」

 マティアスが応じる。

「我が王も、同じ願いを持っております」

 拍手が広がった。

 兵をともに出す誓いだけではない。

 商人が道を通り、職人が作った物が届き、国境に立つ兵が、目の前の旗をただちに敵と見なさずに済む。

 書状へ記した言葉を、これから実際の暮らしの中で守っていくことになる。

 儀式の後、アレクにも挨拶する者がいた。

 子爵として呼ばれ、東部での働きを尋ねられる。火縄銃のことを聞かれれば、答えられる範囲を選んで話した。

 すべてが終わる頃には、戦場とは別の疲れを感じていた。

 マティアスのところへ戻ると、伯爵は受け取った書状を家臣へ預けていた。

「今日の仕事は、ひとまず済んだ」

「お疲れさまでした」

「アレクもな」

 マティアスは廊下の向こうへ視線を向けた。

 エリーゼに仕える侍女が、こちらを待っていた。

「後は、私よりも話したい相手がいるだろう」

 アレクは一瞬、返事に詰まった。

「そのような言い方をされますと」

「違うのか」

「……違いません」

 マティアスが笑った。

「行ってくるといい。明日の用件は、戻ってから伝える」

「ありがとうございます」

 今度は、はっきりと礼を言えた。

 アレクは侍女のところへ向かい、案内に従って庭へ出た。

 ◇ ◇ ◇

 エリーゼは、庭へ続く道のそばで待っていた。

 林檎の花の髪飾りが、陽の光を受けている。

 先ほどの広間では遠くからしか見られなかった深紅の石も、近づけば小さく揺れていた。

 アレクが足を止めると、エリーゼがこちらを見た。

「お仕事は、終わりましたか」

「はい。今日の分は」

「では、少しお時間をいただいてもよろしいでしょうか」

「そのために来ました」

 答えてから、アレクは言葉が足りなかったことに気づいた。

「いえ、こちらへ伺ったのは、同盟の用件なのですが」

 エリーゼが口元へ手を添えた。

「分かっています」

 笑っていた。

 アレクも、少しだけ笑った。

 侍女は二人から距離を取り、道の入口近くに控えた。

 エリーゼが歩き始め、アレクも隣へ並ぶ。

 しばらくは、庭の話をした。

 前に来た時とは手を入れた場所が違うという。花の咲く時期をずらして植え直したことや、世話をする者が苦労していることを、エリーゼは楽しそうに話した。

 アレクは相槌を打ちながら聞いていた。

 手紙で読むのとは違った。

 言葉の終わりに顔を向けてくる。そのたびに、こちらが聞いていると分かると、続きを話す。

 同じ場所を歩きながら、それだけのことが嬉しかった。

 やがてエリーゼが、少し声を変えた。

「アレク様」

「はい」

「私がお送りした手紙、何通届きましたか」

 アレクは足を止めかけた。

「全部、読みました」

「数は覚えていらっしゃらないのですね」

「……届いた順に、日付を確かめて読みました」

「数を聞いているのですが」

 エリーゼの目に、いたずらっぽい光があった。

 アレクは困ってから、小さく頭を下げた。

「申し訳ありません」

「責めているのではありません」

 エリーゼも足を緩めた。

「少しだけ、困らせたくなりました」

 そう言って笑った後、表情が柔らかくなった。

「お返事をいただいて、安心しました」

「遅くなってしまいました」

「領地で預かってくださっていたのでしょう。事情は、お手紙で分かりました」

 アレクは頷いた。

 分かってもらえたことに安堵しながらも、それで待たせた時間がなくなるわけではないと思った。

 エリーゼは前を向いたまま、続けた。

「……お元気だと分かっていても、お顔を見るまでは、少し心配でした」

 アレクは彼女を見た。

「今、こうしてお会いできてよかったです」

「私もです」

 今度は、すぐに答えられた。

「手紙を読んで、お聞きしたいことが増えました」

「そう書いてありましたね」

「本の続きは、もう読まれたのですか」

 エリーゼがこちらを向いた。

「読み終えました」

「どうでしたか」

「途中までは、手紙に書いた通りです。でも、最後まで読むと、少し考えが変わりました」

「では、その先を伺っても」

 エリーゼは嬉しそうに頷きかけて、止まった。

「アレク様は、まだお読みになっていませんよね」

「はい」

「では、結末は話せません」

 アレクは笑った。

「そうでした」

「先に読んでいただかないと、話したくても話せません」

「探してみます」

「こちらにあります。お貸しします」

 言い終えると、エリーゼは少しだけ顔を伏せた。

 アレクには、その理由がすぐには分からなかった。

 彼女は視線を戻して言った。

「読み終えたら、感想を聞かせてください」

「必ず」

 返事をすると、エリーゼは小さく頷いた。

 アレクは髪飾りへ目を向けた。

「それから、もう一つ」

「何でしょう」

「その髪飾りについて、どこで選んだものか尋ねられたと書かれていました」

 エリーゼの指が、花へ触れた。

「覚えていてくださったのですね」

「次に会った時に話すとありましたので」

「そんなに気になりましたか」

「はい」

 正直に答えると、エリーゼは少し困ったように笑った。

「贈っていただいたものです、と答えました」

「それだけですか」

「それだけでは、いけませんか」

「いえ」

 アレクが首を振る。

 エリーゼは髪飾りから手を離した。

「とても気に入っています、とも言いました」

 声が、少し小さくなった。

 アレクは何か返そうとして、言葉を探した。

 作戦の報告なら、必要なことを順に話せる。品物の説明なら、どこがよくて、何が足りないかも言える。

 今は、嬉しいというだけのことが、うまく口から出なかった。

「……ありがとうございます」

「お礼を言うのは、私の方です」

 エリーゼが笑う。

 アレクも笑った。

 エリーゼの視線が、アレクの手元へ落ちた。

「お贈りした手袋は……」

 アレクは少しためらってから答えた。

「戦で、傷めてしまいました」

 エリーゼの表情が変わった。

「お手は、大丈夫だったのですか」

「はい。こうして動かせます」

 アレクが手を開いてみせると、エリーゼはその指先を確かめるように見た。

「せっかく贈っていただいたのに、申し訳ありません」

「謝らないでください」

 思っていたよりも強い返事だった。

 エリーゼは一度言葉を切り、静かに続けた。

「手袋よりも、アレク様のお手が無事でよかったです」

 アレクは彼女を見た。

「……捨てずに、持っています」

「傷んでしまったのに?」

「いただいたものですから」

 エリーゼは目を伏せた。それから、少しだけ微笑んだ。

「では、直せるか、職人に見てもらいませんか」

「よろしいのですか」

「また使っていただけるなら、その方が嬉しいです」

 エリーゼが立ち止まり、少し離れた木陰へ目を向けた。

 そこには腰を下ろせる場所があった。

「少し、座りませんか」

「はい」

 二人は並んで腰を下ろした。

 離れて控える侍女の姿が、木々の間に見える。

 エリーゼは膝の上で手を重ねた。

「子爵になられたのですね」

「はい」

「おめでとうございます」

「ありがとうございます」

 何度も受けた祝いの言葉だった。

 それでも、エリーゼから聞くと、また違っていた。

「お手紙でもお伝えしましたが、直接申し上げたかったのです」

「私も、直接お話ししたいと思っていました」

 エリーゼがアレクを見た。

「少し前よりも、胸を張ってお会いできるようになりたいと」

 口にしてから、アレクは視線を落とした。

「まだ、分からないことばかりですが」

「以前は、胸を張れなかったのですか」

「そういうわけではありません。ただ……」

 自分の立場を考えずに、会いたいとだけ思っていられたわけではなかった。

 エリーゼは、大公家の人間だ。

 自分がどう見られるのか。彼女が誰と親しくしていると受け取られるのか。

 気にしないと言えば、嘘になる。

 エリーゼは少し考えてから言った。

「立場が変わることは、大切なのだと思います」

 アレクが顔を上げる。

「でも、手紙を待っていたのは、アレク様が子爵になられる前からです」

 風が木の葉を揺らした。

 アレクは、彼女の顔を見たまま言葉を失った。

 エリーゼは少し頬を赤くして、前へ視線を戻した。

「ですから、立派なお話ができる時だけ、お手紙をくださるのでなくてもよいのです」

「……はい」

「うまくいかなかったことでも、何でも」

 アレクは膝の上の手を見た。

 東部であったことを、ここですべて話すつもりはなかった。

 彼女へ預ければ軽くなるというものでもない。

 それでも、立派な自分だけを見せなければならないわけではないと、言ってもらえた気がした。

「では、今日は一つ、うまく答えられなかったことがあります」

「何でしょう」

「手紙の数を、すぐに申し上げられませんでした」

 エリーゼは一瞬きょとんとして、それから笑った。

「それは、もう知っています」

「次は答えられるようにしておきます」

「数を覚えるために読まれるのは、少し困ります」

 アレクも声を出して笑った。

 庭へ出てから、ようやく、肩に残っていた力が抜けた。

 ◇ ◇ ◇

 話しているうちに、陽の差す場所が変わっていた。

 侍女が遠くから様子を窺っている。すぐに呼びに来るわけではなかったが、いつまでもここにいられるわけではない。

 エリーゼも、それに気づいていた。

「今度は、いつ来られますか」

 静かな問いだった。

 アレクはすぐに答えられなかった。

 王都へ戻れば、鉄砲隊の訓練がある。馬を扱う兵の様子も確かめなければならない。鍛冶町からの報告も待っている。

 それだけではない。

 これから先、自分がどこで何を命じられるのか、まだ決まっていないことが多かった。

「まだ、日をお約束できません」

 アレクは答えた。

「戻ってから、進めなければならない仕事があります」

「そうですか」

 エリーゼは頷いた。

 がっかりしていないように見せようとしているのが、かえって分かった。

 アレクは続けた。

「ですが、また会いに来たいと思っています」

 エリーゼが顔を上げる。

「それは、手紙に書いた時から変わっていません」

 彼女はしばらくアレクを見ていた。

 やがて、小さく息をついた。

「では、次にいらした時に何をするかだけ、決めておきませんか」

「何をするか、ですか」

「はい。日が決められなくても、それなら決められます」

 アレクは少し考えた。

 エリーゼは庭へ目を向ける。

「今日は、まだ歩いていないところがあります」

「では、次はそちらへ」

「それと、本のお話です」

「読んできます」

「約束ですよ」

「はい」

 エリーゼが微笑んだ。

「今度は、お仕事の合間に急いでお話しするのではなく、もう少しゆっくり歩きたいです」

「その時間を取れるようにします」

 すべての予定を、自分だけで決められるわけではない。

 それでも、そのためにできることはある。

 会える日が空から与えられるのを待つのではなく、任された仕事を果たし、また来られるようにする。

 アレクはそう思いながら、頷いた。

 侍女が近づいてきた。

 エリーゼが立ち上がり、アレクもそれに続く。

 庭を戻る道で、彼女は一度だけこちらを振り返った。

「本は、出発までにお渡しします」

「大切にお借りします」

「返しに来てくださいね」

 アレクは足を止めた。

 エリーゼは言ってから、少し照れたように目を伏せた。

 ただ本を借りるだけなら、返す方法はいくつもある。

 しかし、彼女が望んでいるのは、それではなかった。

「はい。返しに来ます」

 アレクが答えると、エリーゼは顔を上げた。

 その笑顔を見て、アレクも笑った。

 広間では、王の印を備えた書状を交わした。

 庭では、印も証人の署名もない約束をした。

 宿舎へ戻るアレクの頭には、明日の用件とともに、まだ読んでいない本のことがあった。

 次にここを歩く時、どんな感想を伝えよう。

 そのことを考えながら、アレクは廊下の先へ向かった。

第四話を読んでいただき、ありがとうございました。

両国の同盟が結ばれ、ベルン伯爵領への反撃も検討されることになりました。

一方、アレクとエリーゼが交わしたのは、次に会う時の小さな約束。傷んだ手袋も、二人の思いをつなぐ品として残っています。


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