第三話 千挺への道
お読みいただき、ありがとうございます。
王都で支度を進めるアレクたちに、工房からの返書が届きます。
同じ便で届いた手紙には、アレクを待つ人の言葉もありました。
ロルフへ送った書状の返事を待つ間にも、王都には東部から人と荷が戻ってきていた。
軍とともに運ばれた道具が倉へ入り、負傷した兵の療養先が決まる。故郷へ帰る者には帰還の支度があり、王都へ残る者には新たな持ち場があった。
アレクも、何もせずに返事を待っていたわけではない。
ギルベルトと兵の様子を確かめ、火縄銃の点検結果を受け取り、鍛冶町へ尋ねることをまとめた。マティアスと加増された土地の書状を開いた時には、思っていたよりも長く机に向かうことになった。
その朝、宿舎へ届いた荷の中に、ロルフの封をした書状があった。
運んできた男が、アレクへ差し出す。
「工房からの返書です。クレーマー伯爵とハルトマン子爵へ、お渡しするようにと」
「ありがとう。途中はどうだった」
「大きな滞りはありませんでした。こちらは、子爵の領地からお預かりしたものです」
男は別の包みを取り出した。
最初の書状よりも厚い。
アレクは受け取って、包みに記された自分の名を見た。
「私宛ての手紙か」
「はい。お留守の間に届いた分だそうです。王都へお戻りになったと分かり、今回の便に合わせて送られました」
「そうか」
包みを持つ手に、少し力が入った。
男へ礼を伝え、休息と食事を取れるよう頼む。部屋へ戻ったアレクは、まずロルフの書状を机の上に置いた。
マティアスにも宛てられた返書だ。
私信の包みは、その横へ置いた。
紐を解くと、何通もの手紙が重なっている。領地の用件を記したものに交じり、見覚えのある筆跡が現れた。
エリーゼからだった。
一通だけではない。
日付を確かめながら並べていくと、アレクが東部へ向かった後に書かれたものが続いていた。
王都を離れてから、軍は一つの場所に留まり続けたわけではなかった。領地へ届いた私信を追わせても、行き違いになれば、どこにあるか分からなくなる。
留守を預かる者が保管し、所在の定まった王都へまとめて送ってくれたのだ。
アレクは一番古い手紙を手に取った。
封を開く前から、少し落ち着かない。
戦場では敵の動きを知らせる書状を何度も開いた。そこに書かれた数や地名を見て、すぐに兵を動かしたこともある。
今は、急ぐ理由などないのに、指先だけが先へ進みたがっていた。
手紙には、エリーゼの身の回りで起きたことが書かれていた。
新しく読んだ本のこと。侍女と交わした何げない会話。窓の外へ小鳥が来て、こちらが動くとすぐに逃げてしまったこと。
アレクは椅子へ腰を下ろした。
声を聞いているようだった。
話の途中で少し笑い、こちらの反応を待つエリーゼの顔が浮かぶ。
次の手紙には、贈った髪飾りのことがあった。
林檎の花の髪飾りをつけていると、どこで選んだものなのか尋ねられたという。
どう答えたのかまでは書かれていなかった。
アレクはそこをもう一度読んだ。
その先には、こんな一文が続いていた。
『次にお会いした時、お話しします』
紙を持つ手が止まった。
自分がその時、どこにいたのかは覚えている。
返事を書く机も、ゆっくりと読む灯りも、いつもそばにあったわけではない。それでも、彼女は次に会う時のために話を取っておいてくれた。
新しい日付の手紙へ進むにつれ、アレクを気遣う言葉が少しずつ増えていた。
仕事は忙しいのか。
食事を抜いてはいないか。
前に話したことを、まだ覚えているか。
責める言葉はなかった。
それが、かえって胸に残った。
最後の手紙には、短く書かれていた。
『お忙しいのでしたら、短いお返事でも構いません。お元気だと分かれば、安心できます』
アレクはしばらく、その一文を見ていた。
手紙を受け取れなかった理由なら説明できる。
しかし、待っている間のエリーゼには、その事情さえ分からなかった。
アレクは手紙を重ね直した。
机の向こうに置いたロルフの書状が目に入る。
先にマティアスへ知らせなければならない。
立ち上がろうとしたところで、扉が叩かれた。
「アレク、返事が来たそうだな」
マティアスの声だった。
「はい。今、お持ちしようと思っておりました」
扉を開くと、伯爵は机の上へ目を向けた。
何通もの手紙を見てから、アレクへ視線を戻す。
「領地からも届いたのか」
「留守の間に来た手紙を、まとめて送ってくれました」
「そうか。返事を待っている者がいるなら、忘れずに返しておくといい」
「はい」
アレクはエリーゼの手紙を丁寧に寄せ、ロルフの書状を取った。
マティアスが椅子につくのを待ち、封を開く。
最初に書かれていたのは、工房で完成した数だった。
アレクは一度、文字を追い直した。
「六百挺です」
マティアスが顔を上げた。
「送れる数か」
「はい。今ここにある分とは別です。」
アレクは続きへ目を通した。
「こちらにある火縄銃に損失がなければ、合わせて千挺になると」
部屋が静かになった。
六百挺。
新たに作り上げられた火縄銃だけで、今までの四百挺を上回っている。
ロルフたちは、アレクが東部を進んでいる間も手を止めていなかった。兵が戦場で使う物を、工房では次々と作り続けていたのだ。
マティアスが書状を受け取った。
「よく揃えてくれた」
その声は低かったが、確かな喜びがあった。
アレクも頷いた。
初めて一挺が形になった時には、手に取って何度も確かめた。
それが十挺になり、百挺を越え、戦場へ持ち出す数になった。
今度は、千挺だった。
「ただ、全部を一度に送る支度が済んだということではないようです」
アレクが言うと、マティアスは書状の先を読んだ。
「ああ。受け取る場所を決めて、護送の手配をする必要があるな」
「はい」
「まずはギルベルトを呼ぼう。こちらの分を確かめてから、陛下へお持ちする」
マティアスは書状を机へ置いた。
「銃が千挺になることと、千人が戦えることは別だ」
アレクは頷いた。
喜んでいるだけでは、兵は揃わない。
だが、足りない銃を待つ段階からは、一歩進める。
◇ ◇ ◇
ギルベルトは、点検をまとめた紙を持ってきた。
椅子を勧められると、軽く頭を下げて座る。
「工房から、六百挺を新たに送れると返事が来た」
アレクが伝えると、ギルベルトの目が大きくなった。
「六百挺ですか」
「ああ。まず、今までの分を確かめたい」
ギルベルトは紙を開いた。
軍とともに動かした銃だけではなく、留守へ置いた分の報告も照らし合わせてある。
「所在はすべて確認できております。直さなければならないものはありますが、修理が済めば、これまでの四百挺を揃えられます」
アレクは紙に並んだ記録を見た。
兵が倒れた場所から、ほかの兵が持ち帰った銃もある。負傷して隊を離れた者の銃を、預かっている場合もあった。
銃が残ったことを、そのまま兵の無事と喜ぶわけにはいかなかった。
「直す分は、戻せる見込みなのだな」
「はい。点検した者からも、そのように聞いております。使えるものと一緒には置いておりません」
「分かった。修理が済んだ時にも確認してくれ」
「承知しました」
マティアスが、別の紙を手元へ引いた。
「兵の方はどうだ」
「療養している者のうち、歩けるようになった者は増えております。ただ、隊へ戻れるかは別です。本人が戻ると言っていても、まだ武器を持たせられない者がおります」
「急がせなくていい。戻ってすぐに倒れたのでは、その者も困る」
「はい」
戦いの後、動ける火槍兵として数えたのは三百三十四人だった。
そこには、療養していた者も、出発の時点で留守へ残った者も入っていない。今の欠員を知るには、一人ずつ現在の様子を確かめる必要があった。
アレクは名の並んだ紙へ目を落とした。
戻る場所を待っている者がいる一方で、もう戻ってこない者もいる。
「定数の四百人へ戻すための補充と、新たに増やす分を分けましょう」
アレクが言うと、マティアスが頷いた。
「私もそう考えている。増員は六百人だ。今いる隊の欠けた分をそれで埋めて、千人揃ったことにはしない」
ギルベルトが二人を見た。
「そこまで増やすのでございますか」
「陛下へお願いする。銃を倉へ置いておくだけでは、ロルフたちの働きも無駄になるからな」
マティアスはアレクへ向き直った。
「アレクの直属は百人のままだ。まず、その百人を揃える」
「はい」
「新たな六百人は、陛下の直属と私の兵として出す。所属を曖昧にしたまま集めるつもりはない」
アレクが火縄銃の扱いを教えているからといって、全員がアレクの兵になるわけではない。
兵を出す家があり、給金を払い、家族への責任を負う者がいる。その上で、同じ武器を使う隊として動かさなければならなかった。
「教える者が必要になります」
ギルベルトが言った。
「今の兵にも、新しく入る者にも」
「ああ。アレクとギルベルトが、一人ずつそばについていては間に合わない」
アレクは兵の名簿を見た。
声が通る者。
慌てても命令を聞ける者。
自分はできても、ほかの兵へ説明するのは苦手な者もいる。
「戦場でよく働いた者が、必ずしも教えるのがうまいとは限りません。教える役を任せられる者は、改めて選びたいです」
「私も見ておきます」
ギルベルトが答えた。
「新兵をまとめて任せる前に、今いる兵を相手に教えさせてみましょう。それなら、言い忘れていることにも気づけます」
「頼む」
アレクは頷いた。
千人を前にして、自分の声だけで何もかも伝えることはできない。
近くの者が分かったからといって、遠くの者にも伝わったとは限らない。号令を受け取り、兵を動かし、状況を返す者を育てる必要がある。
マティアスが紙へ短く書き込んだ。
「銃の輸送と並べて、人集めも始める。新兵が来てから教える場所を探すことにはしない」
「はい」
「金の見積もりはこちらでまとめる。食わせる分も、服や寝る場所も要る。銃だけ買えば終わりではないからな」
ギルベルトが小さく息を吐いた。
「ずいぶん、大きな隊になります」
「そうだな」
アレクはロルフの書状を見た。
六百という文字は変わらない。
その数字の前へ立つ兵を、これから集めるのだ。
◇ ◇ ◇
レオンハルトへ伺う支度が整うまでに、アレクは一通の返事を書いた。
最初に、手紙がまとめて届いたことを伝えた。
返事が遅れたことを詫び、元気でいることを書く。王都へ戻っており、今は落ち着いて手紙を読めることも添えた。
次に何を書くかで、筆が止まった。
会いに行きたい。
それは、迷わず書ける。
いつ行くかは、書けない。
爵位を得て、さらに土地を与えられた。以前よりも胸を張って会いたいと思う一方で、その褒美に伴う仕事も増えていた。
だからといって、忙しいという説明ばかりで一通を埋めたくはなかった。
アレクは彼女の手紙を開き直した。
本の話へ返事を書く。
髪飾りを使ってくれていることが嬉しいと伝える。
尋ねられた時にどう答えたのかは、次に会う時まで待つことにした。
『まだ訪問の日はお約束できませんが、会いに行きたいと思っています』
そこまで書いて、少し考えた。
その下に、一文を足す。
『次にお会いした時に伺いたいことが、手紙を読むたびに増えました』
読み返すと、顔が少し熱くなった。
消す必要はない。
本当に、そう思ったのだから。
アレクは紙を折り、封をした。
この手紙は、王家の用件とは別に送る。届ける相手を間違えないよう宛名を確かめてから、エリーゼの手紙をしまった。
机の上には、ロルフの返書と兵の記録が残った。
アレクはその二つを持ち、マティアスの部屋へ向かった。
◇ ◇ ◇
「千挺か」
レオンハルトは、ロルフの書状へ目を落としていた。
広間での謁見ではなく、執務のための部屋だった。机の上には東部からの報告が置かれ、壁際では書記官が次の命令を待っている。
マティアスが頷いた。
「新たに六百挺が完成しております。従来の四百挺も、修理を終えれば揃います」
「工房は、よく働いたな」
「はい。輸送については、受け入れの支度とともに進めたく存じます」
「任せる」
レオンハルトは書状を置いた。
「兵は」
「既存の四百人の欠員を補うことに加え、新たに六百人の増員をお願いいたします。陛下の直属と、私の所属兵として編成する案でございます」
マティアスが用意した紙を差し出した。
募集だけではなく、集めた兵をどこへ置き、誰が教え、何を用意するかが記されている。
レオンハルトはしばらく読んでいた。
途中で指を止め、アレクへ顔を向ける。
「千人を扱えるか」
「私一人では扱えません」
アレクは答えた。
レオンハルトの目が、こちらに据わる。
「だから、任せられる者を増やします。兵へ教える者と、戦場で命令を伝えて動かす者を育てます」
「銃が届いた日に、千人が戦えるとは言わんのだな」
「はい。持たせるだけならできますが、それでは今の隊と同じ働きにはなりません」
レオンハルトは再び紙へ目を落とした。
「今の兵まで、教える仕事だけで動けなくするな」
「新兵を受け入れる時期を分け、今いる隊の訓練も続けます」
マティアスが答えた。
「所属ごとの負担と配置は、集める前に詰めます。アレクの直属百人については、今回、定数を増やすことは考えておりません」
「分かった」
レオンハルトは紙を机へ置いた。
「六百人の増員を認める。まずは千人の隊を作れ」
「ありがとうございます」
マティアスとアレクが頭を下げた。
書記官の筆が動く。
これで、手紙に記された六百挺を受け取るだけではなく、それを使う兵を集められる。
アレクは顔を上げた。
「陛下。もう一つ、お許しいただきたいことがございます」
「何だ」
「火槍隊の名を、鉄砲隊へ改めたいのです」
レオンハルトは、その言葉を確かめるように繰り返した。
「鉄砲隊」
「はい」
書記官が筆を止めていた。
アレクは続けた。
「今までの火槍とは、扱いも働きも違います。これから先、さらに改めていくことを考えれば、新型火槍という呼び方を続けるよりも、別の名でまとめた方がよいと思います」
「火縄銃ではないのか」
「火縄銃は、今、私たちが使っている武器の呼び名として残します。その上で、火薬を使い、人が手に持って弾を撃ち出す武器を、鉄砲と呼びたいのです」
レオンハルトが顎へ手をやった。
「仕組みが変わっても、隊の名まで変えずに済むということか」
「はい」
「もう、次の物を考えているのか」
「今、別の物が出来上がっているわけではありません」
アレクが答えると、隣でマティアスがわずかにこちらを見た。
考えていないとは言わなかったことに、気づいたのかもしれない。
「他国には、新型火槍の名で噂が届いていると思います」
アレクは続けた。
「そこへ鉄砲隊という別の名が伝われば、同じ部隊なのか、違う兵なのか、すぐには分からないこともあるでしょう」
「名を変えただけで、いつまでも隠せるとは思わんぞ」
「はい。そこは一時のことです。主な理由は、これから使い続ける名を定めるためです」
マティアスが口を開いた。
「兵を大きく増やす今なら、新しく入る者へも初めから同じ名で教えられます。命令や記録の呼び方も、揃えやすいかと存じます」
レオンハルトは少し考え、頷いた。
「よかろう。今後は、鉄砲隊とする」
アレクは頭を下げた。
「ありがとうございます」
「古い火槍まで、一緒の名にするなよ。何を送れと命じているのか分からなくなる」
「承知しております」
書記官が、新たな呼称を書き留めた。
鉄砲隊。
口にすれば短い言葉だが、アレクには小さな区切りに思えた。
借りていた名から離れ、自分たちの武器と部隊が、別のものとして歩き始める。
だが、今日伝えたいことは、それだけではなかった。
「もう一つございます」
レオンハルトがアレクを見た。
「今日は多いな」
「申し訳ありません」
「謝らんでよい。言え」
アレクは一度、息を整えた。
「私の直属百人を、馬で移動できる鉄砲隊にしたいのです」
レオンハルトの指が止まった。
マティアスは何も言わず、アレクへ先を譲っていた。
「騎兵を別に増やすのではありません。今の鉄砲隊を、馬で動かせるようにします」
「百人ともか」
「いずれは、そのつもりです。まずは一部の兵で試し、教えられる形を作りたいと思っています」
レオンハルトは椅子へ深く座り直した。
「マティアスは聞いていたか」
「はい。構想については、以前、聞いております」
「どう思った」
「アレクの兵を増やさずに、移動する力を持たせる考えとしては、試す値打ちがあると思いました。ただ、馬に乗せれば終わる話ではございません」
「そうだな」
レオンハルトがアレクへ向き直る。
「乗ったまま撃つのか」
「基本は、下馬して撃ちます。馬は、兵を必要な場所へ早く運ぶために使います」
アレクは、王の目を見て説明した。
「敵より先に場所を取る。離れた味方を助ける。歩いていては追いつけないところへ、鉄砲を持っていく。そのための部隊です」
百人の兵に、新しく剣や槍を持たせ、今までと別の戦い方を覚えさせたいのではない。
すでに育ててきた鉄砲隊の働きを、もっと遠くへ、もっと早く届かせたい。
「ただ、馬上でも撃てるようにはしたいと思っています」
「狙えるか」
「下馬した時と、同じようには狙えません。命中の確かさが必要な時は降ります。馬上での射撃は、使える場面を分けるつもりです」
レオンハルトはすぐに頷かなかった。
騎兵を率いてきた王の前で、馬を便利な道具のように語るつもりはなかった。
「馬が銃声を嫌がるぞ」
「兵だけでなく、馬も慣らす必要があります」
「降りた後の馬は、誰が見る」
アレクは一度、口を閉じた。
そこは、まだ答えを決められていなかった。
「馬を扱う者を置くか、隊の中で役を分けるか、試して決めたいです。百人全員が降りて撃ち、その間、馬が勝手に待っているとは考えておりません」
「ならば、撃つ者が減る場合もある」
「はい。その分も含めて、普通の鉄砲隊と比べる必要があります」
レオンハルトは机の紙を端へ寄せた。
「急いで来た馬が疲れていれば、すぐには走れん」
「替えの馬も必要になると思います」
「思うだけでは足りん。どれだけ使うのか、誰が世話をするのかで、連れて歩く者も荷も変わる」
「はい」
アレクは頷いた。
指摘されるたびに、必要なものが増えていく。
それを理由に構想を捨てるのではなく、どこまでできるのかを確かめたい。
以前、マティアスから騎馬隊を持つ話をされた時には、百人を分ける余裕がないと思った。
その考え自体は、今も変わらない。
百人しかいない直属隊から別の隊を抜き出せば、火縄銃を揃えて撃つ力が落ちる。
だから、兵を分けるのではなく、同じ兵が馬で移動する。
「普段は、ほかの鉄砲隊とともに動かします」
アレクは言った。
「馬があるからといって、いつも遠くへ離すつもりではありません。まとまって撃つべき時には、その力を使います」
「必要な時だけ、先へ出すのか」
「はい。鉄砲隊が歩いて着くのを待つしかない場面で、別の選び方ができるようにしたいのです」
レオンハルトがアレクを見つめた。
その視線から、アレクは目を逸らさなかった。
「そこまで、速さが要るか」
問いは短かった。
部屋の中で、書記官の筆が止まる。
アレクは、すぐには答えなかった。
燃えていた町を思い出した。
煙の向こうを見ながら、まだ誰かが耐えているはずだと願ったことを。
兵を急がせても、先へ進む道が突然短くなるわけではなかった。
馬で先に着いた者がいても、必要な兵と武器が揃わなければ、できることには限りがあった。
「もっと早く兵を運べていれば、と思うことがあります」
アレクは答えた。
誰の名も出さなかった。
レオンハルトも、マティアスも、尋ねなかった。
アレクは机の上へ視線を落とした。
「馬があれば必ず救えたとは、申しません。道を塞がれれば止まりますし、疲れた兵では戦えません。ですが、今と同じ歩き方しかできないままには、したくありません」
言い終えると、思っていたよりも胸が苦しかった。
考えている時には、もっと筋道立てて話せるはずだった。
百人をどう運ぶか。何頭の馬を揃えるか。下馬してから、どのように兵をまとめるか。
それだけを話しているつもりでも、行き着く先には、いつもあの町があった。
レオンハルトは長く黙っていた。
やがて、低い声で言った。
「間に合わなかったことは変えられん」
アレクは顔を上げた。
「だが、次に間に合わせるための支度はできる」
王の顔に笑みはなかった。
「試せ。まずは、できることと、できんことを見てこい」
「……ありがとうございます」
「百人とも使い物にならなくするなよ。馬から落ちて寝込む者ばかりになっては困る」
「はい」
ようやく、アレクは息を吐いた。
マティアスが口を開く。
「馬の手配については、私からも手を回します。以前の加増で得た牧草地はありますが、そこで生まれる馬を待っていては、今の支度には間に合いません」
「まずは買うか、使える馬を回すかだな」
レオンハルトが答えた。
「はい。育てる方は、その後も続けるための備えといたします」
「騎兵の馬を勝手に抜くな。こちらにも要る」
「もちろんでございます。使う当てと持ち主を確かめます」
レオンハルトはアレクを見た。
「教える者は、馬に乗れるというだけで選ぶな。兵と馬の両方を見られる者を、こちらでも探させる」
「お願いいたします」
「それで、その隊にも名をつけるのか」
アレクは頷いた。
「騎馬鉄砲隊と、呼びたいと思っています」
「そのままだな」
「何をする隊か、分かる方がよいかと」
レオンハルトの口元が少し動いた。
「ならば、その名に負けん隊にしろ」
アレクは深く頭を下げた。
千人の鉄砲隊と、馬で動く直属百人。
どちらも、まだ目の前に揃っているわけではない。
それでも、作ってよいと言われた。
あとは、言葉で示したものを、兵が動ける形へ変えていく仕事だった。
◇ ◇ ◇
兵へ知らせたのは、王宮から戻った翌朝だった。
王都近くで隊が使っている訓練場には、その日動ける兵が集まっていた。療養中の者を、名を聞かせるためだけに連れ出してはいない。
アレクはギルベルトへ目を向けた。
隊長が頷き、並んだ兵へ声をかける。
「静かに」
兵たちの顔が上がった。
アレクは前へ出た。
「陛下から、新たな兵を迎える許可をいただいた」
列の中に動きがあった。
「今までの隊を揃え直した上で、六百人を増やす。目指すのは、千人の隊だ」
小さな声が広がった。
千人、と隣へ繰り返す者がいる。後ろの列で顔を見合わせた兵を、ギルベルトが一瞥した。
すぐに静かになった。
「工房では、そのための火縄銃が作られている。これから届く。だが、銃を渡されたばかりの兵が、皆と同じように動けるわけではない」
アレクは列を見渡した。
「新しく来る者へ教える仕事も、頼むことになる」
前に立つ兵の表情が変わった。
増える兵を迎えるだけではない。
自分たちが、今度は教える側になる。
「初めから何もかもできた者は、ここにもいない。できないからと笑うな。命令が分からないまま動かさないようにしてほしい」
「はっ」
返事が上がった。
アレクは一呼吸置いた。
「それと、今日から隊の呼び名が変わる」
兵がこちらを見た。
「これから、この隊を鉄砲隊と呼ぶ」
風が旗の端を揺らした。
聞き慣れない言葉を、兵たちは黙って受け止めていた。
「陛下のお許しをいただいた。伝令も、書状も、これからはその名になる。聞き違えないように覚えてくれ」
ギルベルトが一歩前へ出た。
「鉄砲隊だ」
「はっ」
今度の返事は大きかった。
アレクは頷いた。
名が変わったからといって、昨日までできなかったことが急にできるわけではない。
目の前にいるのは、一緒に東部を進んだ兵たちだった。
ただ、これから来る六百人は、この名で隊へ加わることになる。
伝えるべきことを終え、各隊の訓練へ戻す。その後、アレクは直属の兵を残した。
ギルベルトが兵の列を見てから、こちらへ向き直る。
「こちらだけ残す理由は、昨日伺った件でしょうか」
「ああ」
アレクは兵へ顔を向けた。
「私たちの隊では、馬で移動するための訓練も始めたいと思っている」
今度は、先ほどよりも大きく兵が反応した。
喜んだ顔をした者もいれば、眉を寄せる者もいた。
「皆を、剣や槍で突っ込む騎兵に変えるという話ではない。火縄銃を持って、必要な場所へ早く着けるようにする」
アレクは続けた。
「まず、馬を扱ったことのある者を知りたい。乗った経験だけでなく、世話をしたことでもいい」
すぐには手が上がらなかった。
兵たちが隣の顔を窺う。
ギルベルトが口を開いた。
「できない者を叱るために聞いているのではない。経験のある者は申し出ろ」
列の中ほどで、一人が手を上げた。
「家で、荷を運ぶ馬の世話をしておりました」
「乗ったことは」
「少しだけです。兵として乗ったことはありません」
「それでいい。ほかには」
別の兵も手を上げた。
馬を引いて歩いたことのある者。厩の掃除をしていた者。遠くの村へ行く時、乗せてもらったことがあるという者もいた。
話を聞いていくと、同じように手を上げても、できることは違っていた。
ギルベルトが一人ずつ確かめる。
アレクは、名と経験を書き留めてもらいながら、兵たちの様子を見ていた。
馬を扱ったことのない兵が、荷馬の世話をしていた男へ声を落とす。
「近づいても、蹴られませんか」
「近づき方にもよるだろう」
「その近づき方から、分からないのです」
男が困ったように笑った。
アレクも、少しだけ笑った。
「そこから教えてもらう。知らないことを、知っているふりはしなくていい」
声をかけると、二人が慌てて前を向いた。
「申し訳ありません」
「いや。最初に分かっていた方がいいことだ」
アレクは答えた。
「ただし、馬に慣れている者も、自分だけの考えで始めないように。教える者が来たら、その指示に従ってくれ」
「はっ」
ギルベルトが名簿を受け取った。
以前よりも厚くなるはずの紙を、指で揃える。
「馬を扱える者が、思っていたよりおります」
「ああ。ただ、すぐに隊として走れるわけではない」
「分かっております」
ギルベルトは兵へ目を戻した。
「それでも、何も知らない者だけで始めるよりは助かります」
アレクも列を見た。
火縄銃を渡す前には、兵がどんな仕事をしてきたのかまで、すべてを知っていたわけではなかった。
農具を扱っていた者。荷を運んでいた者。馬の世話をしていた者。
戦場では同じ号令で動いていても、持っている経験は違う。
その中に、次の隊を作るために役立つものがあった。
列の端にいた兵が、遠慮がちに手を上げた。
「アレク様」
「何だ」
「私も、馬に乗れるようになるのでしょうか」
まだ若い兵だった。
期待しているのか、不安なのか、顔を見ただけでは分からない。
「訓練をしてみなければ、どれだけかかるかは分からない」
アレクは答えた。
「だが、乗れるようにするために始める」
兵は一度唇を結び、それから頷いた。
「お願いいたします」
アレクも頷き返した。
ギルベルトが兵へ向き直り、その日の訓練を命じた。
足音が揃い、列が動き始める。
まだ馬は来ていない。新たな六百挺も、工房から運び出されてはいなかった。
それでも、アレクの手元には、最初に馬の訓練を受ける候補の名が残った。
ただ思いついた時とは違う。
一人ずつ顔があり、できることがあり、これから教わることがある。
アレクは紙を畳み、訓練へ向かう兵を見送った。
次に急がなければならない時、この者たちと何ができるか。
その答えを作るための仕事が、今日から始まった。
第三話を読んでいただき、ありがとうございました。
火槍隊は、新たに鉄砲隊の名で歩み始めました。
千人への増強と、馬で動く部隊の構想。次に間に合わせるための支度が、少しずつ形になっていきます。
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