第十三話 似ている歴史
ヴァイスブルクを離れ、アルヴェイン大公国の中心都市へ到着したアレク。
城に集められた記録とアルベルトの過去から、この世界と前世の歴史に共通するものを探します。
ヴァイスブルクを発って三日目の午後、アレクは馬上から前方に連なる城壁を見上げた。
街道の先に見えていた灰色の線は、近づくにつれて巨大な石壁へ姿を変えていく。壁の高さは十メートルを超え、一定の間隔で設けられた塔の上には兵が立っていた。
城壁の外側には幅の広い堀があり、正門へ続く石橋の上を、何台もの荷車がゆっくりと進んでいる。
「ずいぶん大きな町ですね」
アレクが思わず口にすると、隣を進んでいたアルベルトが前を向いたまま答えた。
「アルヴェイン大公国の中心だからな」
「ヴァイスブルクとは全然違います」
「ヴァイスブルクは国境を守る城塞都市だ。役割も規模も違う」
「あの城壁の中に、全部入っているんですか?」
「アルヴェインブルクで暮らす者は、およそ四万だ。城壁の外にも農地や集落が広がっている」
「四万人……」
ラーデン村や、そこからヴァイスブルクへ至るまでに通った集落とは比べものにならない。
城壁の向こうには、屋根が幾重にも重なって見えた。そのさらに奥、なだらかな丘の上に、いくつもの塔を備えた城が建っている。
「あれがアルヴェイン城ですか?」
「ああ」
「大きいですね」
「それ以外に感想はないのか」
「掃除が大変そうです」
「お前にも手伝わせてやろうか」
「大公の小姓には、城全体を掃除する仕事もあるんですか?」
「今から加えてもいい」
「先ほどの発言は忘れてください」
アルベルトは小さく笑い、馬を進めた。
正門へ近づくにつれ、街道を行き交う者の数が増えていく。
小麦の袋を積んだ荷車、樽を荷台へ縛りつけた馬車、羊を追う農民、商品を背負った行商人。城門の前では、入城を待つ者たちが二列に分かれ、門兵の検査を受けていた。
アルベルトの一行に気づいた門兵が、慌てて背筋を伸ばす。
「大公殿下がお戻りだ!」
その声が周囲へ広がった。
門の前にいた者たちが道を空け、次々に頭を下げていく。ところが、アルベルトの姿を見た人々の反応は、アレクが予想していたものとは少し違っていた。
「アルベルト様、お帰りなさいませ!」
「ヴァイスブルクで勝ったというのは、本当ですか!」
「ベルン軍を追い返したそうだぞ!」
畏れて黙り込むのではなく、人々は安堵と喜びを隠さず声を上げている。
アルベルトも片手を上げるだけでは終わらなかった。
「パン屋の爺さん、まだ店に立っているのか!」
道端で頭を下げていた老人が顔を上げた。
「まだ若い者には負けませんぞ!」
「腰を痛めたと聞いた」
「大公殿下が戦へ出ておられるのに、寝てなどいられません!」
「無理をして寝込めば、余計に周りへ迷惑を掛ける。働くならほどほどにしろ」
「殿下こそ、少しはお休みくだされ!」
周囲から笑いが起きた。
今度は反対側にいた女性が、抱いていた幼い子供の手を振らせる。
「殿下、お怪我はありませんか!」
「見てのとおりだ。お前の亭主は戻ったか」
「はい。足に傷を負いましたが、命に別状はありません」
「後で治療費が支払われる。受け取りに行け」
「ありがとうございます」
アルベルトは以前から、その女性の夫がどの部隊にいるのか知っていたらしい。
大公は国の頂点に立つ存在だ。
アレクはもっと遠く、領民が声を掛けることさえためらう相手だと思っていた。
だが、アルベルトは自分の領民をただの人数として見ていない。少なくとも、声を掛けられた相手の何人かについては、顔だけでなく暮らしまで覚えていた。
大公だから人が従っているのではない。
このような積み重ねがあるからこそ、兵も領民もアルベルトの帰還を喜んでいるのだろう。
城門をくぐると、石造りの建物が並ぶ広い通りへ出た。
商店の軒先には布や革製品が吊るされ、鍛冶場からは鉄を打つ音が響いている。焼いた肉やパンの匂いに混じり、馬と家畜の臭いが漂ってきた。
中央の大通りには人が多いが、横へ伸びる道は荷車一台が通るだけでいっぱいになるほど狭い。店先で値段を言い合う声、走り回る子供を叱る声、荷を運ぶ人夫の怒鳴り声が途切れることなく続いている。
ヴァイスブルクもアレクにとっては十分に大きな町だったが、ここでは扱われる物と金の量が違う。
街道から運び込まれた荷が店と倉へ分かれ、別の商品となって再び町の外へ送り出される。人の流れを目で追うだけでも、この都市がアルヴェインの中心であることが分かった。
通りの先では、深紅の旗が風を受けていた。
旗の中央には、翼を広げた金色の龍が描かれている。
「あれがアルヴェインの旗ですか?」
「ああ。深紅地に金の龍。ヴァレンシュタイン家が大公となる前から使ってきた印だ」
「龍には、何か由来があるんですか?」
「ある。だが、今から話せば城へ着くまでに終わらん」
「そんなに長いんですか?」
「建国に関わる話は、語る者によって長さが変わる」
「短い人に聞くことにします」
「エルンストには聞くな。あの爺に尋ねれば、古い記録から話を始めるぞ」
「誰ですか?」
「すぐに知る」
アルベルトはそれ以上説明せず、丘へ続く道へ馬を向けた。
◇ ◇ ◇
アルヴェイン城の正門をくぐったアレクを待っていたのは、石造りの壮麗な広間と、城内にいる者たちから向けられる無数の視線だった。
アルベルトが廊下を進むたび、騎士、文官、使用人が足を止めて頭を下げる。
「お帰りなさいませ、アルベルト様」
「御無事で何よりです」
アルベルトは短く答えながら、その間を歩いていく。
少し後ろを歩くアレクにも、人々の視線が集まった。
露骨に顔を向ける者は少ない。それでも、アレクが通り過ぎた後、抑えた声で言葉を交わす気配があった。
「俺の顔に何かついていますか?」
前を歩くアルベルトへ尋ねると、振り返らずに答えが返ってきた。
「ついていない」
「かなり見られています」
「ヴァイスブルクの戦いで功績を立てた少年が、私の小姓になった。城へ先に届いた報告だけでも、その程度の噂は広がる」
「もう少し目立たない仕事から始められませんでしたか?」
「戦場で目立ったのはお前だ」
「好きで目立ったわけではありません」
「事情まで噂に含めてくれるとは限らん」
それはアルベルトの言うとおりだった。
ヴァイスブルクで何が起きたかを直接見た者は、城内にはほとんどいない。
アレクが軍の不足へ気づき、近隣の村を回って十四人を集めたことも、夜襲を受けた時に恐怖を感じていたことも知られていない。伝わるうちに細かな事情が消え、十五歳の少年が戦場で手柄を立てたという話だけが残っている。
「ここだ」
アルベルトが一つの扉の前で足を止めた。
中には寝台、机、椅子、小さな棚が置かれていた。窓は一つだけで、広い部屋ではない。それでも、一人で使うには十分だった。
「小姓が使う部屋だ」
「俺が一人で使っていいんですか?」
「ああ」
「料金は?」
「取ってほしいのか」
「できれば無料でお願いします」
「なら、余計なことを聞くな」
アレクは部屋の中へ入り、窓から外を見た。
眼下には城の中庭があり、馬を厩へ連れていく兵や、荷を運ぶ使用人の姿が見える。
ラーデン村でマルセルに保護されるまで、アレクにはこの世界で帰る場所さえなかった。
それが今では、大公の城に自分の部屋を与えられている。
突然変わった境遇に、アレク自身がまだ追いつけていなかった。
「荷を置いたら、一刻後に執務室へ来い」
「今日から仕事ですか?」
「お前はもう私の小姓だ」
「三日間ずっと馬に乗っていたんです。少しくらい休ませてください」
「一刻あれば休める」
「荷解きの時間も含まれていますよね?」
「急げば余る」
「アルベルト様の荷物も、俺が片づけるんですか?」
「それは別の者が行う」
「でしたら、その人に俺の荷物も頼めませんか?」
「頼んでみろ。引き受けるかは知らん」
アルベルトは笑いを残し、扉を閉めた。
アレクの荷物は多くない。
替えの服、紙、炭筆、銀貨、そしてヴァイスブルクで得た剣があるだけだった。
剣を腰から外し、机の脇へ立てかける。
装飾の少ない実用的な剣だが、借り物ではない。ヴァイスブルクでの戦功に対し、アルベルトから与えられたアレク自身の武器だった。
荷を棚へ収め、寝台へ腰を下ろす。
横になれば、すぐに眠れそうだった。
だが、一刻しかないと考えた途端、眠るのが惜しくなった。
アルヴェイン城には、ヴァイスブルクでは得られない情報が集まっている。出発前の軍議で見た地図や、アルベルトから聞いたヴァレンシュタイン家の歴史についても、まだ知らないことが多い。
アレクは部屋を出ると、廊下を歩いていた使用人へ声を掛けた。
「すみません。書庫がどこにあるか知っていますか?」
「どの書庫でしょうか」
「どの、と言われても……本がある場所です」
「公文書庫、軍務書庫、蔵書庫がございます」
三つもあるとは思っていなかった。
「歴史を調べたい場合は?」
「蔵書庫でしょう。東棟の二階です。ただし、記録官の許可を得てください」
「分かりました。ありがとうございます」
アレクは教えられた道を進んだ。
◇ ◇ ◇
蔵書庫の扉を開けると、紙と革、古い木材が混ざった匂いがした。
壁際には天井近くまで棚が並び、大小さまざまな本や、革紐で束ねられた記録が収められている。
前世の図書館と比べれば冊数は少ない。
しかし、一冊ずつ人の手で書き写さなければならない世界で、これだけの本を集めるには長い年月と多額の金が必要だったはずだ。
「そこで何をしている」
棚を見上げていたアレクの背後から、低い声がした。
振り返ると、部屋の奥に一人の老人が座っていた。
白髪を短く整え、薄い金属枠の眼鏡を掛けている。机には何冊もの記録が積まれ、そのうち一冊を開いたままアレクを見ていた。
「勝手に入って、すみません」
「謝る前に名を言え」
「アレク・ハルトマンです」
老人の眉がわずかに上がった。
「お前がヴァイスブルクの少年か」
「ここでも知られているんですね」
「戦後報告に名が載っている。アルベルト殿下の小姓になったとも聞いた」
「噂だけではなかったんですね」
「記録官が噂だけで人を覚えると思うか」
老人は開いていた本を閉じた。
「エルンスト・クラウゼ。この城の記録官だ」
「エルンストさん」
「記録官と呼べ」
「では、記録官。歴史について調べたいのですが」
「範囲は」
「この辺りの百年くらいを」
「帰れ」
「まだ何も聞いていません」
「百年分の歴史を一刻で調べられると思っている者へ、貸せる本はない」
「どうして一刻しかないと分かるんですか?」
「城へ着いたばかりの小姓が、いつまでも自由に歩き回れるはずがない。アルベルト殿下から執務室へ来るよう命じられているのだろう」
アレクは答えに詰まった。
「何人の小姓を見てきたと思っている」
「では、一刻で読めるものをお願いします」
「何を知りたい」
「アルヴェイン大公国ができるまでの歴史と、周辺国との戦争、それから今の国境がどうやってできたのかを……」
「まだ広い」
「これでもですか?」
「アルヴェインの歴史だけでも四十八年ある。ヴァレンシュタイン家が伯爵だった時代まで含めれば、さらに長い。周辺国のどこを含めるかによっても変わる」
エルンストはアレクを追い返すように手を振った。
ここで食い下がっても、同じ答えが返ってくるだけだろう。
アレクは、ヴァイスブルクを発つ前に見た地図を思い返した。
「では、現在のアルヴェインと周辺諸国の境界が、どのように作られたのかを知りたいです」
エルンストの手が止まった。
「なぜだ」
「地図では国境が線で描かれています。でも、最初からそこに線があったわけではありませんよね」
「当然だ」
「戦で奪った場所もあれば、婚姻や相続で加わった場所もあると聞きました。どこが、どのような理由で今の領地になったのかを知れば、周辺国との関係も少し分かると思います」
エルンストはしばらくアレクの顔を見ていた。
「アルベルト殿下から聞いたのか」
「少しだけです。詳しくは、自分で調べろと言われました」
「殿下らしい」
エルンストは席を立ち、棚の間へ入っていった。
しばらくして、大きな本と、筒状に巻かれた地図を持って戻ってくる。
「『アルヴェイン諸侯史』だ。こちらは約六十年前の地図」
「借りてもいいんですか?」
「ここで読め」
「信用されていませんね」
「今日初めて会った相手を信用する理由がない」
「正しいと思います」
アレクが素直に認めると、エルンストはわずかに目を細めた。
机へ地図が広げられる。
現在のアルヴェインより領地は狭く、国境の形も大きく異なっていた。
「アルヴェイン大公国が成立したのは四十八年前。現大公の祖父、ルドルフ一世の時代だ。それ以前のヴァレンシュタイン家は、アルヴェイン伯爵を名乗っていた」
「領地は今の半分以下だったと聞きました」
「そのとおりだ。南部の領主との戦、東部の家との婚姻、跡継ぎを失った領地の相続によって領地を広げた。借財を返せなくなった小領主から、土地を買い取った記録もある」
「戦だけで広げたわけではないんですね」
「剣で得た土地であっても、剣だけでは維持できん」
エルンストは古い地図の東側を指した。
「当時、ここにはエーレンベルク公国があった」
「今はグランヴァルト王国の領地ですよね」
「知っているのか」
「アルベルト様から、東にグランヴァルト王国があると教わりました。でも、以前の国までは知りませんでした」
「エーレンベルクは、アルヴェインよりも長い歴史と広い領地を持っていた。ヴァレンシュタイン家とも何度か戦っている」
「アルヴェインが滅ぼしたんですか?」
「違う。二十六年前、グランヴァルト王国に滅ぼされた」
エルンストは、さらに東から西へ指を動かした。
「グランヴァルト軍は国境沿いの城を次々に落とし、最後は公都を包囲した。エーレンベルク公の一族は処刑され、生き残った家臣の多くはグランヴァルトへ従った」
「アルヴェインは何をしていたんです?」
「国境を守っていた」
「助けなかった?」
「当時の両国は、互いに何度も領地を奪い合った敵同士だ。助ける理由がない」
「では、エーレンベルクが滅びたことで、アルヴェインは得をしたんですか?」
「少なくとも、目の前の敵は消えた」
「その代わりに、もっと強いグランヴァルトと隣り合うことになった」
エルンストが頷いた。
「地図を見れば、それくらいは分かるようだな」
目の前の敵が別の強国に滅ぼされれば、当初は好都合に見える。
しかし、その敵が守っていた土地を強国に奪われれば、次は自分が強国と国境を接することになる。
前世の歴史でも、同じような状況はいくつもあった。
滅びた国とエーレンベルクの事情は違う。アルヴェインとグランヴァルトを日本のどこかへ当てはめることもできない。
それでも、一つの勢力が消えたことで別の勢力が直接向き合うようになる構図には、奇妙な既視感があった。
「グランヴァルト王国は、昔から強かったんですか?」
「大国ではあった。だが、今ほどではない」
「何が変わったんです?」
「先代の国王だ」
エルンストは別の薄い本を取り出した。
「オスカー・フォン・グランヴァルト。現国王の父だ。軍制を改め、各地の街道を整え、商人を保護した。代わりに、古くから特権を持っていた貴族や宗教勢力とは激しく争った」
戦に強く、決断が早く、古い制度を嫌い、商人を重用した。
そこまで聞いた時、アレクの頭には前世のある武将が浮かんだ。
「その人は、どうやって亡くなったんですか?」
「病だ。遠征の準備中に倒れ、半年ほど寝込んだ後に亡くなった」
予想していた最期とは違った。
「今の国王は、父親と似ていますか?」
「似ている部分もある。だが、父親ほど急激な改革は好まん。戦よりも、得た土地を治めることへ力を使っている」
やはり違う。
人物の一部分だけを見れば、前世で知っている誰かと似ているように思える。ところが、生涯を追えば必ず違いが出る。
「何か気になるのか」
エルンストに尋ねられ、アレクは本から顔を上げた。
「昔読んだ物語に、少し似た人物がいました」
「最後まで似ていたか」
「いいえ」
「なら、別人だ」
「そうですね」
「物語の人物へ現実の人間を無理に重ねれば、見えるものまで見えなくなるぞ」
アレクはその言葉を頭の中で繰り返した。
この世界へ来てから、戦国時代に似たものを探そうとしていた。
知っている歴史と同じであれば、これから起きることも分かるのではないか。そんな期待が、心のどこかにあったのかもしれない。
だが、ここにいる者たちは、前世の歴史上の人物を別の名に変えただけの存在ではない。
アルベルトも、ゲオルクも、ヴァイス男爵も、それぞれの過去と考えを持って生きている。
歴史が似て見えるからといって、未来まで同じになる保証はなかった。
廊下から鐘の音が聞こえた。
エルンストが顔を上げる。
「一刻だ」
「もうですか?」
「小姓が最初の命令から遅れれば、蔵書庫へ来ることも禁じられるぞ」
「それは困ります」
アレクは本を閉じ、地図を元の形へ巻いた。
「また来てもいいですか?」
「仕事を終えてからならな」
「今度は、もっと質問を絞ってきます」
「そうしろ」
追い返されたわけではない。
アルベルトの言葉どおり、エルンストは話の通じない老人ではなさそうだった。
もっとも、気に入られたと考えるには、まだ早いだろう。
◇ ◇ ◇
翌日の評議会で、アレクはアルベルトの斜め後ろに立っていた。
中央には長い机が置かれ、財務官、軍務官、法務官、有力貴族、各領の代表者が席に着いている。
議題は、ヴァイスブルクの戦後処理だった。
「城壁修復に必要な費用の全額を、国庫から出すことはできません」
初老の財務官が、机へ置かれた帳簿を指で押さえた。
「北部の街道補修と、昨年洪水を受けた南部の村への支援が残っております。国庫にも限りがございます」
「ヴァイスブルクが再び攻められれば、補修した街道も南部の村も守れん」
アルベルトが答える。
「ですから、支出そのものへ反対しているのではありません。全額は出せないと申し上げております」
「では半分だ」
「三割です」
「四割」
「三割」
「間を取るという考えはないのか」
「殿下が最初から四割を求めてくだされば、考えました」
アルベルトと財務官は、どちらも表情を変えない。
アレクは笑いそうになるのを堪えた。
大公が命じれば、必要な金がすぐ出てくると思っていたわけではない。それでも、大公と財務官が商人同士のように割合を争う光景は意外だった。
「アルベルト様が戦費として持ち帰られた残金を、修復へ回してはいかがでしょう」
別の文官が口を挟んだ。
「あれは負傷者の治療と、戦死者の遺族へ支払う」
「全額を使う必要はございません」
「遺族への支払いを減らせば、次の戦で誰が兵になる」
「しかし、城壁がなければ、その遺族も守れません」
誰も間違ったことを言っていない。
限られた金を、どこへ先に使うかで意見が分かれている。
第十二話で見た帳簿よりも、扱われている金額も、影響を受ける人数も多い。だが、根にある問題は同じだった。
正しいと分かっていることでも、金と人が足りなければ、すべてを同時には実行できない。
「ヴァイスブルク周辺の領主にも負担を求めるべきです」
年配の貴族が言った。
「防衛によって最も利益を受けたのは、周辺の者たちです」
「兵と兵糧を出した直後だ」
軍務官が反論する。
「さらに金を出せと言えば、領地の暮らしが立ち行かなくなります」
「国庫が立ち行かなくなってもよいと?」
「そうは言っていません」
議論は簡単にはまとまらなかった。
アルベルトも、意見を押し切ろうとはしない。誰がどれだけ負担し、何を後へ回すのかを、一つずつ確かめている。
大公は国の中で最も大きな権限を持つ。
だが、一人で国を動かしているわけではない。
金を管理する者、兵を出す領主、食料を作る農民、物を運ぶ商人、実際に工事する職人がいる。その者たちが動かなければ、命令を書いた紙だけが残る。
話が一度途切れた時、先ほどの年配の貴族がアレクへ目を向けた。
「ところで、殿下」
「何だ」
「後ろにいる少年が、新しい小姓ですか」
「ああ。アレク・ハルトマンだ」
室内の視線がアレクへ集まった。
「ヴァイスブルクで働いた者だと聞いております」
「よく知っているな」
「城内で噂になっております。十五歳の少年が戦功を立て、そのまま殿下の小姓へ取り立てられたと」
貴族はアレクを見たまま問いを続けた。
「ハルトマン家とは、どこの家でしょう」
アレクは一歩前へ出た。
「申し訳ありません。故郷や家族についての記憶がありません」
「家名は覚えているのにか」
「はい」
「それを証明する者は」
「いません」
「身元を保証する者もいない。そのような者を、国の重要な話が交わされる場所へ置くのは危険ではありませんか」
もっともな疑問だった。
アレクが同じ立場でも、素性の分からない少年が突然大公のそばへ置かれれば警戒する。
「危険がないとは言わん」
アルベルトはあっさり認めた。
年配の貴族が眉を寄せる。
「でしたら、なぜ」
「私の目が届く場所へ置いた」
「監視するためですか?」
「それだけではない。こいつがヴァイスブルクで行ったことは、偶然だけでは説明できん。周囲を見て、足りないものを考え、自分にできる方法で補った。その力が何に使えるか、私が直接確かめる」
「もし、敵の間者であったなら」
「必要な情報へ触れられる範囲は、私が決める。勝手に城内を歩かせるつもりもない」
昨日、蔵書庫まで一人で歩いたことを思い出し、アレクは目を逸らしかけた。
幸い、アルベルトはアレクを見ていなかった。
「それでも問題を起こした場合は、私が責任を取る」
アルベルトの言葉に、年配の貴族はすぐには答えなかった。
「殿下がそこまでお考えであれば、これ以上は申しません。ただし、我々が警戒することまではお止めにならぬよう」
「止めん。お前たちまで無条件で信じれば、その方が不安になる」
何人かが小さく笑った。
年配の貴族も、わずかに口元を緩める。
「少年」
「はい」
「殿下に認められたことと、我々がお前を信じることは別だ」
「分かっています」
「不満ではないのか」
「俺でも、素性の分からない人間が大公のそばにいたら疑います」
「自分で言うか」
「事実ですから」
今度は、先ほどより大きな笑いが起きた。
警戒が解けたわけではない。
それでも、アレクを向けられる視線の一部から、わずかに険しさが薄れた。
信頼は、任命された日に与えられるものではない。
アルベルトの小姓という立場を得ても、それだけで長年この国へ仕えてきた者たちと同じ扱いを受けられるはずがなかった。
自分が何を考え、何をする人間なのかを、これから示していく必要がある。
「話を戻すぞ」
アルベルトが机を指で叩いた。
「城壁修復費は、国庫から三割五分を出す」
「四割ではなく?」
財務官が尋ねる。
「間を取った」
「先ほど、私が三割と申し上げた意味がありません」
「だから三割五分だ。残りは私の直轄領とヴァイスブルク周辺の領主が負担する。ただし、周辺領主には金だけでなく、木材、石材、人夫での負担も認める」
「戦死者の遺族への支払いは」
「減らさない」
「負傷者の治療費もですか」
「ああ。足りなければ、今年の城内改修を延期しろ」
財務官は帳簿へ目を落とし、しばらく数字を確かめた。
「それであれば、何とか」
ようやく議論がまとまった。
大公であっても、好きなように決められるわけではない。
それでも、決めなければ誰も動き始められない。
意見を聞き、負担を分け、最後には自分で責任を引き受ける。
戦場とは違う形で、アルベルトは国を率いていた。
◇ ◇ ◇
評議会が終わった日の午後、アレクは再び蔵書庫を訪れた。
「今度は何だ」
エルンストは、アレクの顔を見るなり尋ねた。
「昨日の続きです」
「質問は絞ったか」
「十二年前のリーデン平原の戦いについて知りたいです」
エルンストの表情がわずかに変わった。
「どこでその名を聞いた」
「昨日見せてもらった諸侯史に書かれていました。アルヴェインとグランヴァルトの間で行われた大きな戦ですよね」
「ああ」
「アルベルト様も参加していたとありました」
「そうだ」
エルンストはすぐには本を取りに行かなかった。
「なぜ、その戦を調べる」
「アルヴェインとグランヴァルトが、今の関係になった理由を知りたいからです。それと……」
「それと?」
「アルベルト様が、どんな戦を経験してきたのか知りたいです」
エルンストは眼鏡を外し、布で拭いた。
「本人に聞けばよい」
「何も知らずに聞くのは失礼かと思いました」
「知ったうえで聞けば、失礼ではないと?」
「分かりません。だから、まず何があったのかだけでも知りたいです」
エルンストは眼鏡を掛け直し、鍵の付いた棚へ向かった。
取り出したのは、革表紙の厚い記録だった。
「この場から持ち出すな」
「分かりました」
「書き写す場合も、軍の配置と損害の詳細は除け」
「秘密なんですか?」
「十二年前の戦であっても、軍がどのように動き、誰がどこを守ったかは、現在の防衛にも関わる」
歴史書に書かれていることのすべてが、誰にでも見せられるとは限らない。
アレクは頷き、エルンストと共に記録を開いた。
リーデン平原の戦いは、アルヴェイン軍七千とグランヴァルト軍五千の間で行われた。
数ではアルヴェインが上回っていた。
しかし、アルヴェイン軍は川を渡り終える前に攻撃を受けた。
先に渡った部隊と、対岸に残る部隊の間へグランヴァルト軍が割って入り、それぞれを別々に攻めた。狭い渡河地点では後続の兵が詰まり、前方で何が起きているのかも分からなかった。
命令を伝える使者も川を越えられず、先行した部隊は援軍が来ると信じて戦い続けた。
だが、援軍は来なかった。
退却命令が出た時には、橋へ向かう兵と渡ろうとする兵が衝突し、軍の統制は失われていた。
「兵の数が多くても、一度に戦えなければ意味がない……」
アレクが呟くと、エルンストが頷いた。
「グランヴァルト軍は、アルヴェイン軍七千を同時に相手にしたわけではない。川によって分かれた一部を、それぞれ五千で攻めた」
「川を渡る場所を変えることはできなかったんですか?」
「上流の浅瀬にも部隊を向かわせていた。だが、到着が遅れた」
「なぜ?」
「雨で道が崩れ、荷車が動けなくなった。食料と矢を置いて兵だけを進ませるか、道を直して荷を運ぶかで指揮官たちの意見も割れた」
戦術だけの敗北ではない。
道、荷車、雨、指揮官同士の対立。いくつもの問題が重なっていた。
「アルベルト様は、どこにいたんですか?」
「先に川を渡った部隊だ。当時十七歳で、あれが初陣だった」
「十七歳で、五千の軍に攻められたんですか」
「一人で戦ったわけではない。兄君が指揮を執っていた」
ページをめくるエルンストの指が止まった。
「本来、大公位を継ぐはずだったのは、アルベルト殿下ではない」
「兄がいたんですか?」
「ああ。長男として生まれ、幼い頃から後継者として育てられた」
「その人は……」
「リーデン平原で亡くなった」
退却するアルヴェイン軍の最後尾を守り、追撃するグランヴァルト軍を食い止めた。
その間に、多くの兵と弟であるアルベルトが川を渡った。
だが、兄は戻らなかった。
「アルベルト様は、兄が亡くなったから大公になったんですね」
「結果としては、そうなる」
「このことを話すと、嫌がりますか?」
「私は殿下ではない。答えは本人に聞け」
エルンストは記録を閉じた。
「ただし、知りたいというだけで人の傷へ触れるな。聞いた後、お前が何をするのかも考えろ」
「何をするか……」
「過去を知れば、その者を理解したつもりになれる。だが、記録に残るのは起きたことだけだ。その時に何を考えたかまでは、本人にしか分からん」
アレクは閉じられた記録を見つめた。
戦死者の数や部隊の動きは、文字として残せる。
しかし、兄を置いて退いた十七歳のアルベルトが何を感じたかは、戦後報告には書かれていない。
「ありがとうございます」
「礼は、借りたものを元の場所へ戻してから言え」
「はい」
アレクは厚い記録を両手で持ち上げた。
◇ ◇ ◇
夜になっても、アルベルトは執務室に残っていた。
アレクが書類を整理し、使い終えた蝋燭を交換しても、机の上から仕事がなくなる様子はない。
「アルベルト様」
「何だ」
「兄がいたんですね」
紙の上を走っていたアルベルトの筆が止まった。
「エルンストから聞いたのか」
「リーデン平原の記録を見せてもらいました」
「あの爺は、余計なことまで教える」
「俺が聞きました」
アルベルトは筆を置き、椅子の背へ体を預けた。
「それで、何を知りたい」
「どんな人だったんですか?」
「真面目で、責任感が強かった。学問も剣も、私よりできた」
「アルベルト様より?」
「ああ」
「今の話を聞かれていたら、仕事を増やされそうですね」
「兄は私と違って、その程度で人の仕事を増やしたりはしない」
「本当に違いますね」
アレクが言うと、アルベルトの口元にわずかな笑みが浮かんだ。
だが、その笑みはすぐに消えた。
「家臣からの人望もあった。父も、兄へ大公位を継がせるつもりだった」
「仲は良かったんですか?」
「ああ。口論することはあったが、嫌ってはいなかった」
「リーデン平原で、兄が殿に残ったと記録にありました」
「そうだ」
「本来は、アルベルト様が残る予定だったんですか?」
アルベルトはすぐには答えなかった。
窓の外には、城下の灯りが見える。
「退却を始めた時、兄は私へ一部の兵を預け、先に川を渡れと命じた」
「アルベルト様は従った?」
「最初は拒んだ。自分が残ると言った」
「兄は、何と?」
「生きろ。それだけだ」
短い言葉だった。
だからこそ、その場で兄が何を決めていたのか伝わる。
「私が川を渡った後、橋の一部が壊された。追撃を遅らせるためだ。兄と残った兵は、別の浅瀬へ向かうはずだった」
「戻らなかったんですね」
「ああ」
「遺体は?」
「見つかっていない。身につけていた剣と、家の印だけが後で届いた」
兄の死によって、アルベルトは大公家の後継者になった。
その後、父が亡くなり、現在の地位を継いだ。
もし兄が生きていれば、今この机に座っていたのは別の人物だった。
「兄が生きていれば、私は軍を率いる立場にいたかもしれん。あるいは、どこかの領地を与えられ、兄を支えていただろう」
「大公になりたいと思っていなかったんですか?」
「考えたこともなかった。私が大公になるということは、兄が死ぬということだったからな」
アレクは何と答えればよいのか分からなかった。
アルベルトを前世の歴史に登場する誰かへ重ねようとしたことがある。
身分にこだわらず人を使い、戦場では思い切った策を採り、領民との距離も近い。似た特徴を持つ武将は、いくらでも思い浮かぶ。
だが、その誰も、十七歳の時に川辺で兄から「生きろ」と命じられたアルベルトではない。
目の前にいるのは、誰かの代わりではなかった。
「すみません」
「何を謝る」
「聞かない方がよかったのかもしれないと思って」
「聞いたことを後悔するくらいなら、最初から聞くな」
「厳しいですね」
「だが、聞いた以上は覚えておけ」
「はい」
「兄が私を生かしたから、今の私がいる。私が大公として失敗すれば、兄と、あの時死んだ兵たちが命を使って残したものまで失う」
アルベルトは机の上の書類へ目を向けた。
「だから私は、簡単に負けるわけにはいかん」
ヴァイスブルクで、アルベルトが無理な追撃を避けた理由。
勝利した直後であっても、別の国境や兵糧の不足を考えた理由。
すべてが兄の死だけから生まれた判断ではない。それでも、十七歳で経験した敗戦が、今のアルベルトの一部になっていることは間違いなかった。
「分かりました」
「なら、明日の仕事を増やす」
「どうしてですか?」
「人の過去を聞いた代金だ」
「話したのはアルベルト様でしょう」
「聞いたのはお前だ」
「それで仕事が増えるのはおかしくないですか?」
「大公の決定だ」
「評議会で、大公でも何でも自由に決められるわけではないと分かったばかりなんですが」
「小姓の仕事を増やす程度なら、評議会は要らん」
「その権限だけはしっかり持っているんですね」
アルベルトが笑った。
アレクも、少し遅れて笑った。
◇ ◇ ◇
自室へ戻ったアレクは、机の上へ紙を広げた。
アルヴェイン大公国は、四十八年前に成立した。
ヴァレンシュタイン家は戦だけでなく、婚姻、相続、買収によって領地を広げた。
東にあったエーレンベルク公国はグランヴァルト王国に滅ぼされ、アルヴェインは以前より強大な国と直接国境を接することになった。その国境は東部だけでなく、アルヴェインの北側へ回り込むように長く延びている。また、グランヴァルト王国は南東でラウレンシア王国とも国境を接しており、ラウレンシアにとってエーレンベルク公国の滅亡は、グランヴァルトが自国のすぐ北まで進出したことを意味していた。
グランヴァルトを強国へ変えた先代国王は、軍制を改め、街道を整え、商人を重用した。古い貴族や宗教勢力とも争ったが、遠征中の裏切りではなく病によって亡くなっている。
その後を継いだ現国王は、父とは異なり、急激な拡大より獲得した土地の統治を優先している。
アルベルトは十七歳の初陣で大敗を経験した。
兄の死によって大公家の後継者となり、現在は兄が残した国を守っている。
アレクは書き並べた内容を見つめた。
人物も、国も、地形も、年代も違う。
日本の戦国時代にそのまま当てはまる者はいない。
それでも、完全に無関係だと片づけるには、似たものが多かった。
一つの勢力が弱れば、周囲の勢力が動く。
目の前の敵が滅びれば、その土地を得た、より強い相手と隣り合うことになる。
戦に勝った者が必ず国を豊かにするわけではなく、街道、商人、税、婚姻、相続が領地の力を変えていく。
有力な当主が死ねば、後を継いだ者の性格によって国の動きまで変わる。
弱い中央権力の下では、同じ国に属する領主同士が争う。
古い権威を持つ者と、戦や商売によって新たに力を得た者が衝突する。
似ているのは、人物ではないのかもしれない。
歴史が動く仕組み。
人が力を求め、土地と富を奪い合い、昨日の敵と手を結び、今日の味方を疑う。その流れが、前世で知っていた歴史と似ている。
だが、似ているからといって、同じ未来になるとは限らない。
リーデン平原で雨が降らず、別働隊の荷車が遅れなければ、戦の結果は変わっていたかもしれない。
アルベルトの兄が生き残っていれば、現在のアルヴェインを治めていたのはアルベルトではなかった。
わずかな違いが、その後の歴史を変える。
この世界の未来を、アレクが知っているわけではない。
「それなら……」
過去を比べるだけでは、類似が役に立つか確かめられない。
今の状況から、次に起こることを考える。
それが実際の動きと重なれば、前世の歴史は未来を決める答えではなくても、危険を見つける手掛かりにはなるかもしれない。
ヴァイスブルクでベルン伯爵が敗れた。
兵を失い、その威信にも傷がついた。
ベルン伯爵の周囲には、彼と争ってきた領主がいる。これまで従っていた者の中にも、弱った主から離れようとする者が出る可能性がある。
一方、勝ったアルヴェインへも、周辺国の目が向く。
祝いを口実に接近する者。
兵力を探ろうとする者。
味方になろうとする者。
逆に、これ以上強くなる前に抑えようとする者。
どのような相手が現れるかまでは分からない。
アレクは紙の下へ、一つの問いを書いた。
『次に何が起きる?』
炭筆を置き、その文字を見つめる。
未来を予言するつもりはなかった。
考えられる可能性を挙げ、必要な情報を集め、実際に起きたことと比べる。
会社員だった頃、計画を立てる時に行っていたことと、それほど変わらない。
違うのは、判断を誤った時に失うものが、金や仕事だけでは済まないことだった。
アレクは紙を折り、机の引き出しへ収めた。
◇ ◇ ◇
同じ頃、アルヴェインブルクから東へ離れたグランヴァルト王国の城で、一人の男が報告書を読んでいた。
書かれているのは、ヴァイスブルクで行われた戦いの結果だった。
アルベルト・ヴァレンシュタイン率いる軍が、ベルン伯爵の軍勢を退けた。
敵の夜襲を防ぎ、騎兵を混乱させ、最後はベルン軍を国境の向こうへ追い返した。
男の指が、報告書に記された一つの名で止まる。
「アレク・ハルトマン」
机の前に立つ側近が頭を下げた。
「十五歳ほどの少年とのことです」
「素性は」
「分かっておりません。ヴァイスブルクの近くで、アルベルト殿下の軍へ加わったようです」
「何をした」
「不足していた兵を近隣の村から集め、夜襲への対処と騎兵の運用について意見を出したとあります。現在はアルベルト殿下の小姓に取り立てられたようです」
「十五歳の、素性も分からぬ少年をか」
「はい」
男は報告書を閉じ、机の上に広げられた地図へ目を向けた。
西方では、アルヴェインとベルン伯爵領が国境を接している。
そのさらに西には、ベルン伯爵と争ってきた諸侯がいる。
「ベルン伯爵が負けたことで、西の均衡が崩れる」
「兵を動かしますか?」
「まだ早い」
「では、いかがなさいますか」
「使者を送る」
「アルヴェインへ?」
「ああ。ヴァイスブルクの勝利を祝わせろ」
「祝いだけでしょうか」
男の口元に、わずかな笑みが浮かんだ。
「表向きはな。アルベルトが次に何をしようとしているのか、確かめさせる」
「誰を向かわせますか」
「エドゥアルト・フォン・ライゼンを呼べ」
側近が一礼し、部屋を出ていく。
残された男は、地図の上にあるアルヴェインブルクへ指を置いた。
一つの戦が終われば、戦場から離れた者たちも動き始める。
ヴァイスブルクで生まれた波紋は、既にアルヴェインの国境を越えようとしていた。
第十三話を読んでいただき、ありがとうございました。
人物や国、出来事は違っても、勢力が争い、均衡が崩れ、新たな者が動き始める歴史の構造には似た部分があります。
アレクは未来を知ったのではなく、前世の知識を危険や変化の兆しへ気づくための手掛かりとして使い始めました。
次回、ヴァイスブルクの勝利によって動き始めた周辺勢力が、アルヴェインへ接触します。
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