第十一話 仕える理由
ヴァイスブルクの戦いは終わった。
だが、戦が終わっても、死者や負傷者、壊れた城、残された仕事まで消えるわけではない。
戦後処理の中で、自らの戦功と向き合うアレク。
そして彼は、これまで避けてきた一つの選択をする。
ヴァイスブルクの戦いから三日が経った。
城から戦の音は消えていた。
ドォン、という砲声も。
剣と剣がぶつかる音も。
兵士たちの怒号も。
もう聞こえない。
代わりに朝から響いているのは。
カンッ。
カンッ、カンッ。
金槌の音だった。
「そっち持ち上げろ!」
「せーの!」
ギギギ……。
「もう少し右だ!」
「違う! そっちは左だ!」
「お前から見てだろ!」
「どっちでもいいから早くしろ!」
西門では、大工と兵士たちが壊れた門を修復している。
崩れた城壁にも足場が組まれた。
荷車が瓦礫を運び。
石工が割れた石を取り除く。
戦は終わった。
でも。
戦が終わったからといって、すべてが元に戻るわけではない。
「アレク」
「はい」
「そっちだ」
俺は木箱を持ち上げた。
「重っ……」
「若いんだから働け」
トーマス。
「肩を怪我してるんですけど」
「俺も足を怪我してる」
「歩いてるじゃないですか」
「痛い」
「俺だって痛いです」
「なら同じだ」
「どういう理屈ですか」
二人で木箱を運ぶ。
中身は包帯。
薬草。
酒。
治療所へ運ぶ物だ。
城内の広場。
そこにはまだ多くの負傷兵がいる。
「そこに置いてくれ」
「はい」
ドン。
「ふぅ……」
腰を伸ばす。
「十五歳の腰じゃないな」
「何言ってる?」
「何でもないです」
三十歳だった頃の癖だ。
いや。
この身体になってから、まだそんなに経っていない。
頭は三十歳。
身体は十五歳。
たまに自分でも分からなくなる。
「次行くぞ」
「まだあるんですか?」
「山ほどな」
「戦より大変じゃないですか?」
「馬鹿言え」
トーマスが笑う。
俺も笑った。
その時。
「……」
笑い声が止まった。
広場の端。
木の板。
その上に。
布をかけられた人間が並んでいる。
今日、城外へ運び出される戦死者だった。
「……」
俺は黙る。
トーマスも何も言わない。
三日前。
俺たちは勝った。
ヴァイスブルクを守った。
ベルン軍を退けた。
アルベルト軍の勝利。
そう記録される。
でも。
勝った側にも死者はいる。
百三十七人。
その数字が。
今は。
目の前に並んでいる。
「行くぞ」
トーマスが言った。
「はい」
俺たちは歩いた。
◇ ◇ ◇
昼。
ヴァイスブルク城館。
「アルヴェイン軍戦死者百三十七」
オットー男爵が報告書を読む。
「重傷者八十二。軽傷者二百四十一」
アルベルトは黙って聞いていた。
「ヴァイスブルク守備兵の損害は」
「戦死七十一。負傷百六十四」
「民は」
「死者十三。負傷二十七」
アルベルトの指が止まる。
「十三か」
「はい」
「名前は」
オットーが顔を上げる。
「は?」
「死んだ民の名前だ」
「……記録しております」
「後で持ってこい」
「承知しました」
「遺族には補償を」
「どの程度でしょう」
「兵士の遺族と同じだ」
部屋にいた騎士の一人が口を開いた。
「殿下」
「何だ」
「民まで同額では、かなりの出費になります」
「ああ」
「城壁の修復費も必要です。さらに軍への恩賞も――」
「分かっている」
「でしたら」
「十三人だ」
「……」
「十三人分の金を惜しんで、次にこの城の民が命を懸けて我々に協力すると思うか?」
騎士が黙る。
「戦は兵だけでするものではない」
アルベルトは報告書を見る。
「食料を運ぶ者がいる」
「道を直す者がいる」
「負傷者を治療する者がいる」
「城壁を直す者がいる」
「その者たちが我々を信用しなくなれば、軍など動かん」
「……はっ」
「払え」
「承知しました」
オットーが次の書類を取る。
「捕虜についてですが」
「何人だ」
「百十二」
「負傷者は」
「四十三」
「治療は」
「味方と同じように行っております」
「よし」
「その後は?」
「ベルンへ返す」
部屋がざわついた。
「返すのですか?」
「ああ」
「身代金は」
「取る」
「では」
「ただし下級兵は安くしろ」
「なぜでしょう」
「農民兵から金を取っても仕方ない」
アルベルトが椅子にもたれる。
「騎士と指揮官から取れ」
「承知しました」
「それと」
「はい」
「フリードリヒに書状を出せ」
オットーが少し笑う。
「何と?」
「捕虜を返してほしければ金を持ってこい」
「そのまま書きますか?」
「任せる」
「では少し上品にしておきます」
「頼む」
会議は続く。
勝った。
それで終わりじゃない。
死者。
負傷者。
捕虜。
城壁。
食料。
金。
そして恩賞。
戦の後にも。
戦と同じくらい多くの仕事が残る。
◇ ◇ ◇
「アレク・ハルトマン!」
「はい!」
突然呼ばれた。
俺は木箱を置く。
目の前。
見覚えのある騎士。
「大公殿下がお呼びだ」
「俺を?」
「ああ」
「何かしました?」
「知らん」
「怒ってました?」
「知らん」
「機嫌は?」
「知らん」
「もう少し情報ありません?」
「早く来い」
「はい……」
嫌だ。
ものすごく嫌だ。
上司から。
「ちょっと会議室来て」
と言われた会社員時代を思い出す。
理由を教えてくれない呼び出しほど怖いものはない。
「アレク」
トーマス。
「何です?」
「何かやったのか?」
「やってませんよ!」
「本当に?」
「たぶん」
「たぶん?」
「戦場では色々ありすぎて……」
「まあ頑張れ」
「他人事ですね」
「他人だからな」
「薄情者」
俺は騎士についていった。
◇ ◇ ◇
城館。
扉。
コンコン。
「アレク・ハルトマンを連れて参りました」
「入れ」
アルベルトの声。
扉が開く。
「失礼します」
中へ。
「……」
思っていたより人が多い。
アルベルト。
オットー男爵。
ゲオルク。
それ以外にも騎士や文官。
十人以上。
「何これ」
「聞こえているぞ」
アルベルト。
「すみません」
「前へ来い」
「はい」
歩く。
視線。
全員。
俺を見る。
嫌だ。
会社のプレゼンより嫌だ。
「アレク」
「はい」
「ヴァイスブルクの戦いにおけるお前の働きについて話す」
「……はい」
やっぱり。
何かした?
「まず」
アルベルトが紙を見る。
「敵夜襲部隊への対処」
「はい」
「敵が城壁を奪取した場合に備え、内側へ第二防衛線を作ることを提案」
「はい」
「さらに北方別働隊への対処において、敵援軍接近を偽装する策を提案」
「……はい」
「敵陣形を崩すための騎兵迂回を提案」
「はい」
「そして」
紙から目を上げる。
「本人も戦闘に参加」
「それは参加させられたというか……」
「何か?」
「何でもありません」
「以上」
アルベルトが紙を置く。
「間違いは?」
「ありません」
「では」
少し間。
「アレク・ハルトマン」
「はい」
「今回の戦功により、お前に銀貨百枚を与える」
「……」
「それと馬一頭」
「……」
「さらに剣一振り」
「……」
「以上だ」
「……」
「何だ」
「終わりですか?」
「終わりだ」
「いや」
思わず。
「爵位とかは?」
部屋が静かになった。
しまった。
何言ってるんだ俺。
アルベルトが俺を見る。
「欲しいのか?」
「いや、その」
「男爵にでもするか?」
「そんな簡単になれるんですか?」
「なれるわけないだろう」
「ですよね!」
笑い声。
オットーまで笑っている。
「十五歳」
アルベルト。
「素性不明」
「はい」
「家柄なし」
「はい」
「仕官すらしていない」
「……はい」
「それで爵位が欲しいか?」
「すみませんでした」
「分かればいい」
恥ずかしい。
穴があったら入りたい。
「だが」
アルベルト。
「功績は功績だ」
俺を見る。
「だから報いた」
「ありがとうございます」
「銀貨百枚はかなりの額だぞ」
ゲオルク。
「そうなんですか?」
「知らないのか?」
「金銭感覚がまだ……」
「一年は食える」
「本当に?」
「ああ」
「……」
銀貨百枚。
馬。
剣。
俺。
「金持ち?」
「そこまではいかん」
「ですよね」
でも。
嬉しい。
この世界へ来た時。
俺は何も持っていなかった。
名前すら。
今は。
自分の金がある。
馬がある。
剣がある。
そして。
少しだけ。
居場所がある。
「下がってよい」
アルベルト。
「はい」
頭を下げる。
出口へ。
歩く。
扉。
手をかける。
そこで。
「……」
止まった。
なぜだろう。
何か。
引っかかる。
「アレク?」
アルベルト。
「どうした」
「……殿下」
「何だ」
俺は振り返った。
「前に」
「うん」
「俺に、殿下の下で働かないかって言いましたよね」
部屋が静かになる。
「言ったな」
「俺」
「断ったな」
「はい」
覚えている。
最初。
この人と会った時。
俺は断った。
当然だ。
知らない世界。
知らない人間。
いきなり仕えろと言われても。
無理だった。
それに。
俺は思っていた。
できるだけ安全に。
目立たず。
静かに。
生きよう。
それが一番だと。
でも。
実際は。
戦に巻き込まれた。
人を斬った。
殺されかけた。
それでも。
この人の近くにいた。
アルベルト・ヴァレンシュタイン。
最初は。
変な男だと思った。
今も思っている。
無茶をする。
人使いが荒い。
俺を危険なところへ連れていく。
人の話を聞いているようで聞いていない。
でも。
兵士の名前を覚えている。
民の死者十三人を数字で終わらせない。
敵の負傷兵も治療する。
勝っても追いすぎない。
負けそうなら退く。
そして。
自分が危険な場所へ行く。
この人の下なら。
俺は。
「……」
何だ?
俺。
この人に。
仕えたいのか?
「アレク」
「はい」
「何が言いたい」
「……」
言え。
俺。
「殿下」
「ああ」
「俺を」
喉。
乾く。
「俺を、殿下の家臣にしてください」
言った。
部屋。
静か。
アルベルトは。
何も言わない。
「……」
長い。
何で黙ってる?
聞こえなかった?
「殿下?」
「嫌だ」
「……はい?」
「断る」
「え?」
頭が止まった。
「何で!?」
「お前が一度断ったからだ」
「それ根に持ってたんですか!?」
「少しな」
「大公ですよね!?」
「大公でも根には持つ」
「器小さくないですか!?」
部屋。
笑い。
「殿下!」
「冗談だ」
「今の状況でやめてください!」
「では聞く」
アルベルトの顔から笑みが消える。
「なぜ私に仕えたい」
「……」
真面目な質問。
「出世したいからか?」
「それもあります」
正直に答える。
何人かが笑った。
「金か?」
「欲しいです」
「安全が欲しい?」
「ものすごく欲しいです」
「なら私の下はやめておけ」
「それは最近分かりました」
「ではなぜだ」
俺は考える。
格好いい言葉。
忠誠。
理想。
天下。
そんなものは。
俺にはない。
「……面白いからです」
「何?」
「殿下の近くにいると」
俺は言う。
「怖いし」
「うん」
「危ないし」
「ああ」
「何回も死にそうになるし」
「そうだな」
「正直、嫌なことも多いです」
「褒めているのか?」
「最後まで聞いてください」
「続けろ」
「でも」
アルベルトを見る。
「殿下が次に何をするのか」
「それを見てみたい」
「……」
「この人についていったら」
「どこまで行くんだろうって」
自分でも。
不思議だった。
「だから」
「俺を」
頭を下げる。
「殿下の下で働かせてください」
沈黙。
今度は。
さっきより長い。
やがて。
「顔を上げろ」
「はい」
アルベルト。
笑っていた。
「いいだろう」
「……本当ですか?」
「ああ」
「ありがとうございます!」
「ただし」
嫌な予感。
「何です?」
「お前を騎士にはしない」
「……」
「兵士?」
「違う」
「じゃあ何です?」
「小姓」
「……」
「小姓だ」
「……」
俺の頭に。
戦国時代。
小姓。
主君の身辺で仕える若者。
身の回りの世話。
使者。
雑務。
場合によっては戦場にも同行。
そして。
主君の近くで仕事を学ぶ。
「小姓……」
「不満か?」
「いえ」
むしろ。
十五歳。
家柄なし。
素性不明。
そんな俺を。
いきなり騎士にする方がおかしい。
「分かりました」
「明日から私の身の回りを手伝え」
「はい」
「朝は早いぞ」
「何時です?」
「日の出前」
「辞退していいですか?」
「駄目だ」
「早速後悔してきました」
「遅い」
また笑い声。
アルベルトが手を差し出す。
「よろしく頼む」
俺は。
その手を見る。
最初に会った時。
この手を。
俺は取らなかった。
でも。
今は。
「はい」
握る。
「よろしくお願いします」
こうして。
俺は。
アルベルト・ヴァレンシュタインの家臣になった。
◇ ◇ ◇
その夜。
俺は宿舎のベッドに寝転がっていた。
「……小姓か」
天井を見る。
俺は。
何をしているんだろう。
この世界へ来た時。
ただ。
生きたいと思った。
できれば。
安全に。
静かに。
それなのに。
大公の家臣になった。
「絶対安全じゃないよな……」
むしろ。
一番危険な場所に近づいている気がする。
でも。
不思議と。
嫌ではなかった。
「アルベルト・ヴァレンシュタイン……」
名前を呟く。
俺の知っている歴史。
まだ。
誰とも一致しない。
アルベルト。
大公。
小国。
周囲を敵に囲まれている。
本人は。
大胆。
無茶。
人を惹きつける。
兵士との距離が近い。
身分を気にしないところがある。
そして。
異様に人を見る。
「……誰だ?」
織田信長?
違う。
豊臣秀吉?
身分が違いすぎる。
徳川家康?
性格が違う。
そもそも。
この世界を日本史に当てはめること自体。
間違っているのかもしれない。
「考えすぎだ」
目を閉じる。
明日。
日の出前。
「……最悪」
眠ろう。
そう思った。
その時。
コンコン。
扉。
「アレク」
「はい?」
トーマス。
「起きてるか?」
「起きてます」
扉を開ける。
「どうしました?」
「聞いたぞ」
「何を?」
「大公殿下の小姓になったんだって?」
「早いですね」
「城中で噂だ」
「何で?」
「十五歳の流れ者が、戦で手柄を立てて大公殿下の小姓になった」
「……」
「噂にならない方がおかしい」
トーマスが笑う。
「出世したな」
「小姓ですよ」
「大公の小姓だ」
「違うんですか?」
「全然違う」
トーマスの顔が少し真面目になる。
「殿下のすぐ近くで働くんだぞ」
「はい」
「顔を覚えられる」
「誰に?」
「騎士」
「貴族」
「役人」
「他国の使者」
「……」
「お前が思ってるより大きいぞ」
俺は黙る。
「まあ」
トーマスが笑う。
「頑張れ」
「他人事ですね」
「俺には関係ない」
「またそれですか」
「ただ」
「?」
「偉くなっても忘れるなよ」
「何を?」
「俺のこと」
「……」
俺は笑った。
「忘れませんよ」
「本当か?」
「たぶん」
「たぶんかよ」
「偉くなったら考えます」
「この野郎」
笑う。
久しぶりに。
戦のことを考えず。
笑った。
◇ ◇ ◇
翌朝。
「遅い」
「……」
日の出前。
俺はアルベルトの部屋の前に立っていた。
「殿下」
「何だ」
「まだ日の出前です」
「ああ」
「遅くないですよね?」
「私より遅い」
「それ基準なんですか?」
「当然だ」
「聞いてない……」
「今日から仕事だ」
「何をするんです?」
アルベルトが書類の束を渡してくる。
ドサッ。
「……」
重い。
「これ」
「ああ」
「何です?」
「戦後報告」
「全部?」
「全部」
「これを?」
「読む」
「誰が?」
「お前が」
「俺が!?」
「そして要点をまとめろ」
「……」
「昼までに」
「無理ですよ!」
「やれ」
「小姓って身の回りの世話じゃないんですか!?」
「それもやる」
「それも!?」
「嫌か?」
俺は書類を見る。
兵数。
食料。
武器。
損害。
修復費。
捕虜。
領地。
税。
全部。
戦国時代なら。
軍役。
兵站。
検地。
知行。
内政。
そういうものに繋がる。
「……やります」
俺は答えた。
アルベルトが少し笑う。
「そう言うと思った」
「最初からこれをやらせるつもりだったんですか?」
「ああ」
「小姓って言いましたよね?」
「小姓だ」
「絶対違う気がする」
「アレク」
「はい」
「剣だけ振れる奴なら、私の周りにはいくらでもいる」
アルベルトが俺を見る。
「私はお前の頭を買った」
「……」
「だから使え」
俺は。
書類を見る。
そして。
少しだけ。
笑った。
「分かりました」
俺は書類を抱える。
「やってみます」
こうして。
俺の。
アルベルト・ヴァレンシュタインの家臣としての日々が始まった。
剣を振るだけではない。
戦うだけでもない。
兵。
金。
食料。
領地。
人。
そして。
政治。
俺はまだ知らなかった。
この男のすぐ傍で働くということが。
この世界の中心へ近づくことを意味していることを。
そして。
アルベルトの名を歴史の中の「ある人物」と重ね始める日は。
もう。
それほど遠くなかった。
戦が終わり、アレクは初めて自分の戦功に報いられる。
そして、かつて一度は断ったアルベルトへの仕官。
今度は誰かに求められたからではなく、アレク自身の意思でその道を選んだ。
こうして、ただの徴集兵だった少年は大公付きの小姓となる。
剣だけではなく、軍略、内政、外交、そして人を動かす力を学ぶ日々が、ここから始まっていく。




