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『知らない世界で、前世の知識が武器になる』 ~剣と銃で乱世を生き抜く転生領主の成り上がり~  作者: 相田 ソウ
第六篇 乱世を動かす火

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第二十八話 残された家を守る者

お読みいただき、ありがとうございます。

東部の戦いを終えたレオンハルトたちは、諸侯の責任と、傷ついた領地のこれからに向き合います。

グレンツベルクでは、フェリックスが一行の帰りを待っていました。

 最後まで返事を寄越さなかった城から、鍵が届いた。

 鉄の輪へ通された三本の鍵を、使者が両手で差し出す。マティアスは受け取る前に、その隣へ立つ兵を見た。

「中まで確かめたか」

「はい。門と武器庫へ兵を入れました。城壁にいた者も下り、武器を置いております」

「倉は」

「封じてあります。出入りする者は、こちらの兵が確かめています」

 マティアスが頷くと、使者の肩がわずかに下がった。

 イグナーツの城が開いてから、数日が過ぎていた。

 その間にも、使者は東部の街道を往復していた。降伏すると答えた家には兵を入れ、なお返事を延ばした家には、近隣の城が既に開いたことを伝えた。城から兵を逃がしながら従うふりをした家もあり、書状だけで済ませるわけにはいかなかった。

 だが、今では盟約の名で軍を集め、王国軍を迎え撃とうとする城は残っていない。

 逃亡した当主や家臣の捜索は続いていた。道を外れて散った兵も、全てが家へ帰ったとは限らない。それでも、彼らが戻って兵糧を受け取り、旗を立て直せる城は、一つずつ失われていた。

 レオンハルトは机の上へ置かれた鍵を見た。

「兵をまとめて出せる場所は、これでなくなったか」

「確認した限りでは」

 マティアスが答えた。

「国境の道には見張りを残します。逃れた者が向こうで兵を集める場合も、知らせを受けられるようにします」

「そうしろ」

 レオンハルトは鍵を手に取らず、書状の束へ目を移した。

「諸侯を集める。本人が来られぬ家は、判断を任された者を出させろ」

 マティアスは頷いた。

 使者が一礼して下がると、部屋の外から別の報告が来た。西の街道を、商人の荷車が通り始めたという。

 アレクは窓へ目を向けた。

 城へ運び込まれる荷には、軍の印がついたものばかりではなくなっていた。

 ◇ ◇ ◇

 城の広間へ集まった者たちは、同じように東部の家を代表していたが、立つ場所は分けられていた。

 帰還命令を出し、レオンハルトへ兵や物資を届けた家の当主には、腰の剣があった。

 決戦までイグナーツに従い、その後に降伏した者は、剣帯を外していた。捕らえられた当主に代わって来た家臣もいる。彼らの後ろには見張りの兵が立っていた。

 アレクはマティアスの脇へ控えていた。

 ヴィクトルとエイドリアンも戻っていた。受け取った城には必要な守備を残し、諸侯への処置を聞くために呼ばれたのだった。

 カスパルは国境へ続く道の報告を携え、ロベルトは倉と荷の帳簿を持ってきていた。

 レオンハルトが広間へ入ると、話し声が止まった。

 上座へ進んでも、すぐには椅子へ座らなかった。

「盟約の名で集めた兵は解く」

 声が広間へ通った。

「独自に出した徴発と、街道を閉ざす命令も、ここで終わりだ。領地を守るために残す兵と、その数は、家ごとに確かめる。許しなく兵を集め、隣の領地へ送ることは認めぬ」

 書記が、命令を記した紙を読み上げた。

 王国軍へ引き渡す武器。守備のために残す兵。道を通る商人や荷の扱い。曖昧なまま家臣へ任せれば、元の取り決めを使って物を取り立てる者が出る。

 レオンハルトは、それを各家の名で取り消させた。

 最初に呼ばれたのは、決戦より前に兵へ帰還を命じた当主だった。

 男は進み出て、頭を下げた。

「預けた兵は、家臣とともに領地へ戻しております」

「名と数は」

「こちらに」

 マティアスが差し出された紙を受け取り、こちらで確かめた記録と見比べる。

 男は、その間も頭を上げなかった。

「盟約に名を連ねた責めは、受けるつもりで参りました」

 レオンハルトは男を見た。

「兵を呼び戻し、こちらへ旗を送ったな」

「はい」

「運ばせた兵糧も、馬も、受け取っている」

 男が顔を上げた。

「従わぬ者を討つと言いながら、従った者まで同じように扱うつもりはない。お前が何をしたかも、陛下へ伝える」

 広間の後ろで、誰かが小さく息を吐いた。

 男はもう一度、深く頭を下げた。

 次に呼ばれた家の者は、自分の手を握り込んでいた。

 最後までイグナーツへ兵を送り、決戦の後で降伏した当主だった。

 マティアスが、兵の派遣と物資の提供について確かめる。男は初めのうち、盟約の取り決めに従っただけだと繰り返していた。

 だが、他領の関所を押さえ、そこで取り上げた荷を自分の倉へ運ばせた記録を示されると、返事が短くなった。

「残っている物は、お返しいたします」

「既に使った物は」

 マティアスが尋ねた。

「相当する額を、納めます」

 男はレオンハルトへ向き直った。

「どうか、家の存続だけは」

「それを決めるために、何をしたかを聞いている」

 レオンハルトが答えた。

「返すと言った物は、まず返せ。言葉だけで済ませるな」

 男は頷いた。

 額に汗が浮いていた。

 ◇ ◇ ◇

 賠償についての話になった時、一人の当主が進み出た。

 決戦の南側に兵を置いていた家だった。本人は戦場で降伏し、城も引き渡している。

「殿下。納めるべき物を揃えるため、少し日をいただきたく存じます」

「何に使う日だ」

「領内へ割り当てを出します。各村から集めれば、御命じになる額も」

「誰から集める」

 レオンハルトが尋ねた。

 男は、答えの意味を確かめるように瞬きをした。

「領民からです。家の負担となれば、領内で」

「お前たちが始めた戦の代価を、もう一度、村へ払わせるつもりか」

 男の口が止まった。

 広間の空気が変わった。

 アレクは、ロベルトが帳簿から顔を上げるのを見た。こちらの答えを待っていた者は、進み出た男だけではなかった。

「戦へ出す兵糧を集め、馬を取り、働ける者を連れてきた。その上で、負けた分も村へ出させるのか」

「しかし、家の蓄えだけでは」

「先に、それを出せ」

 レオンハルトは言った。

「お前の倉に何が残り、蔵にどれだけ銀があるかも分からぬうちから、村へ命令を送るな」

 男は視線を落とした。

「家を維持する費えもございます」

「焼かれた家にも、屋根を掛け直す金が要る」

 返事はなかった。

 レオンハルトは広間を見渡した。

「賠償の名で新たに取り立てることは認めぬ。家の財産と収入を調べ、返す物を決める。足りぬなら、何が足りぬのかを示せ」

 マティアスが、手元の紙へ短く書きつけた。

 男の家臣が近づき、小声で何かを告げようとする。男は手で止め、頭を下げた。

「承知、いたしました」

 その返事を聞いてから、ロベルトが帳簿を開いた。

「返還する荷の印は、家ごとに確かめてあります。銀に替えてしまった分も、売った先が分かれば辿れます」

 当主の一人が、ロベルトを見た。

 ロベルトは気づいていたが、頁をめくる手を止めなかった。

「家の倉へ移した後で、自分の物になったわけではありませんので」

 マティアスが、その隣へ立った。

「一度に全てを運び出して、残る者まで飢えさせることはしない。だが、出せないという言葉だけで済ませることもない。家臣には、帳簿と現物を揃えるよう伝えてくれ」

 レオンハルトが頷いた。

 広間にいた者たちは、互いの顔を見なくなった。

 この場で頭を下げれば終わる話ではなかった。

 自分の城へ戻ってから、何を手放さなければならないのか。そのことを考え始めていた。

 ◇ ◇ ◇

 イグナーツは、諸侯が揃ったところへ連れてこられた。

 剣も外套もなく、両脇には兵がいた。かつて盟約の名で命令を受けた者たちが、今は道を空け、目を合わせずにいる。

 レオンハルトは、その顔へ視線を止めた。

「お前の身柄は、王都へ送る」

 イグナーツの顎が、わずかに動いた。

「爵位と領地の処分は、証言と書状を揃えて陛下へ上申する。それまで城と領地は、こちらで押さえる」

「陛下には、私からも」

「申し開きは記させる」

 レオンハルトが答えた。

「お前に不利なことだけを運ぶつもりはない。だが、焼いた町も、殺した者も、隠させぬ」

 イグナーツは、諸侯の方へ顔を向けた。

 何かを求めるような目だった。

 一人が目を伏せ、別の者は背筋を伸ばした。声を上げる者はいなかった。

 マティアスが、取り調べで確かめた事項を読み上げた。

 ルーカスへ兵を向けた命令。見せしめとするよう求めた文言。城の陥落後、領主の殺害と町への放火を知らされながら、指揮官を止めず、奪った荷を受け取ったこと。

 ロスヴァールから銀と物資を受け、王都の命令に従わぬ軍を東部で維持しようとしたことも、その後に続いた。

 広間の後ろで、一人の家臣が顔を上げた。

 知らされていなかったのかもしれない。

 隣国の援助について噂を聞いていても、自分たちの街道や兵が、何のために求められていたかまでは知らなかったのかもしれなかった。

「向こうも、我らを支えると」

 イグナーツが言いかけた。

「その話は、書状とともに聞いた」

 レオンハルトが答えた。

「ここで重ねても、ルーカスを殺してよかったことにはならぬ」

 アレクは、息を浅く吐いた。

 諸侯の前で、ルーカスの名が呼ばれた。

 敗れた家でも、盟約へ背いた家でもない。王命に従い、自分の領地を守ろうとして殺された領主として、その名が記されていた。

 レオンハルトは、ほかの者へ向き直った。

「兵を出したことと、捕らえた者を殺したことは、分けて調べる。命じた者も、実行した者もだ。家臣へ押しつければ当主が済むわけでも、当主の命令だと言えば何をしてもよいわけでもない」

 書記が顔を上げた。

「罪のある者を差し出せ。庇って逃がしたと分かれば、その行いも問う」

 イグナーツが連れ出されるまで、広間は静かだった。

 扉が閉じた後、帰還命令を出していた当主の一人が進み出た。

「殿下。街道の守りについて、引き続き御命令をいただきたく存じます」

 レオンハルトが男を見た。

「自領の道は守れ。隣の家と争いがあれば、兵を出す前に知らせよ」

「承知しました」

 男が頭を下げた。

 その後ろで、別の当主も頭を下げる。

 盟約の指図を待っていた者たちは、今、レオンハルトへ次の命令を求めていた。

 ◇ ◇ ◇

 東部に残す兵の配置を決めてから、レオンハルトたちは西へ向かった。

 各地の城と街道へ残すのは、合わせて歩兵二千二百と騎兵の人員三百。王都軍の指揮官にその指揮を任せ、国境の監視、捕虜の警備、物資の返還を続けさせる。

 騎兵のうち馬を失った者は、城や荷置き場の守りへ回した。遠くの道を見に行く者には、動かせる馬を優先する。

 残る三千八百一人は、順に西へ戻すことになった。

 歩兵二千八百九十、騎兵の人員五百七十七、火槍兵三百三十四だった。負傷者の移送は別に手配し、歩けるからという理由だけで戦列へ戻すことはしなかった。

 各地から合流する隊の道と日を確かめる間にも、被害を受けた町へ向かう荷車は先に出ていた。

 グレンツベルクへ入る道で、アレクはその一台に追いついた。

 車輪が石へ乗り上げ、御者が馬を止める。横の兵が後ろへ回ろうとすると、道の脇にいた男たちが先に荷台へ手を掛けた。

「そのまま引け」

 声に合わせて、車輪が石を越えた。

 荷車が動き、男たちは手を離した。袖も靴も煤で黒くなっていた。

 御者が礼を言うと、一人が荷台の袋へ目を向けた。

「町へ行くのか」

「ああ」

「それなら、先で右へ寄れ。左は、まだ梁が出ている」

 男はそう言って、道の脇へ戻った。

 アレクは町の方を見た。

 炎はなかった。

 けれど、そこにあった家並みも戻ってはいなかった。

 壁だけが立ち、屋根のない家があった。焼けた柱を倒すため、綱を掛けている者もいる。道へ崩れた石は少しずつ寄せられ、荷車が一台ずつ通れる幅ができていた。

 火槍隊が続いてくると、作業をしていた者たちが顔を上げた。

 アレクはギルベルトへ、隊を町の外で止めるよう命じた。多くの兵を狭い道へ入れれば、運ぶべき荷が止まる。

「宿営する場所を確かめてください。井戸と荷車の道を塞がないように」

「承知しました」

 ギルベルトが指揮役を呼んだ。

 アレクはレオンハルトたちに続き、町へ入った。

 以前通った時と同じ道のはずだった。

 だが、目印にしていた軒も、門の前にあった囲いもなく、どこを見ているのか分からなくなる場所があった。

 レオンハルトも、しばらく馬を進めなかった。

 焼けた家の前で、女が小さな椅子を拭いていた。

 片脚は失われていた。それでも、座面に残った煤を布で何度もこすっている。

 レオンハルトはその横を通る時、馬を歩かせた。

 町の中で、蹄の音だけが大きくならないようにしていた。

 ◇ ◇ ◇

 フェリックスは、城の中庭にいた。

 家宰の隣で、運び込まれた荷の数を聞いている。肩へ掛けた外套は、少年の体には少し大きかった。

 家宰が顔を上げる。

 フェリックスは、その二人より少し遅れて振り向いた。

 口が動いたが、すぐには声が出なかった。

 レオンハルトが馬を下りると、少年は数歩進み、頭を下げた。

「お帰りなさいませ」

 レオンハルトの手が、手綱を渡したところで止まった。

 ここは、自分が帰る城ではなかった。

 だが、その言葉を直さなかった。

「ああ」

 短く答え、フェリックスの前へ立った。

「イグナーツを捕らえた」

 少年が顔を上げた。

「父上を……」

「兵を向けたことも、町を焼いたと知っていたことも、認めた。誰が何をしたかは、なお調べている」

 フェリックスは頷こうとした。

 顎が一度動き、そのまま止まる。

 勝ったと聞いた時に何を言おうとしていたのか、アレクには分からなかった。

 少年自身も、用意していた言葉を見失ったようだった。

「もう、こちらへ兵は来ませんか」

「町の守りは残す。街道も見張らせる」

 レオンハルトは答えた。

「また来たとしても、ここだけで受けさせぬ」

 家宰が頭を下げた。

 フェリックスはレオンハルトを見たまま、外套の端を握った。

 やがて、声を絞るように尋ねた。

「グレンツベルク家は、どうなるのでしょうか」

 家宰は、少年へ手を伸ばしかけて止めた。

 誰もが聞きたかったことなのだと、アレクには分かった。

 城は傷つき、領主は死んだ。

 兵も荷も、今はほかの家から助けられている。守ってもらう代わりに何を差し出すのか。その話がまだ出ていないことを、彼らは安心とは受け取れずにいた。

 レオンハルトは、フェリックスの目の高さへ身をかがめた。

「お前の父は、国王の命令に従い、この領地を守った」

 少年の指が、外套を握り直した。

「そのために殺された者から、家まで取り上げるつもりはない」

「では」

「グレンツベルク家を継ぐのは、お前だ。陛下にも、そう申し上げる」

 フェリックスの唇が震えた。

 レオンハルトは続けた。

「だが、明日から一人で全てを決めろとは言わぬ。ここを知る家臣がいる。マティアスにも、力を貸させる」

 家宰へ顔を向ける。

「この子の名を使い、隣の家が領地を削り取ることも認めぬ。困ったことがあれば、隠さず知らせよ」

「……ありがたく、存じます」

 家宰の声がかすれた。

 フェリックスは何か言おうとして、口を閉じた。

 目から落ちた涙を、袖で拭う。

 拭っても、次の涙が頬を伝った。

「父上は、ここを守ろうと」

「分かっている」

 レオンハルトが答えた。

「俺も、忘れぬ」

 少年は頭を下げた。

 その肩へ、レオンハルトの手が置かれた。

 アレクは、町から持ち込まれた荷の方を見た。袋を下ろしていた兵が、声を掛けずに待っていた。

 その隣で、倉番の老人が目元を押さえていた。

 ◇ ◇ ◇

 城の一室には、ルーカスの剣が置かれていた。

 家宰が布を外す。

 泥と血は拭われていたが、刃には欠けた場所があった。握りに巻かれた革も、一部が切れている。

 レオンハルトは、剣の前へ立った。

 長い言葉は出なかった。

 ルーカスと話した時には、次にどうするかという話ができた。道のことも、領地のことも、互いの家臣のことも、聞けば返事があった。

 今は、家宰が剣を見つけた場所を話す声だけがしていた。

 レオンハルトは最後まで聞いた。

「これは、この家に置け」

「はい」

「俺が預かる物ではない」

 家宰が頷き、剣へ布を戻した。

 フェリックスは、その横に立っていた。

 父が使っていた机の端へ指を触れ、木の傷をなぞっている。そこに何があったか、体が覚えているような動きだった。

 マティアスが、少年へ声を掛けた。

「少し、話をしてもいいか」

 フェリックスが頷いた。

 家宰が椅子を用意しようとしたが、マティアスは手で制した。少年の隣へ立ち、机の上に置かれた紙を見た。

 届いた荷の数が、大きさの揃わない字で書かれていた。

「これは、フェリックスが書いたのか」

「はい。間違えたところは、教えてもらいました」

 フェリックスが答えた。

「私も、何かしなければと思って」

 マティアスは紙を戻した。

「助かった者もいるだろう。荷を受け取るだけでも、今は手が要る」

 少年は少しだけ顔を上げた。

 それから、レオンハルトとマティアスを順に見た。

「私も、殿下のお役に立てるようになりたいです」

 レオンハルトが黙って少年を見た。

「父上が、そうなさろうとしていたので」

 フェリックスの声が細くなった。

「父上の代わりに、私が」

「急いで父上の代わりになろうとしなくていい」

 マティアスが言った。

 少年は、言葉を止めた。

「ルーカス殿には、領地を治めてきた年月がある。今のフェリックスが、それを一度に背負う必要はない」

「ですが、私が何もできなければ」

「覚えればいい」

 マティアスは机の紙を指した。

「今日、荷の数を確かめたように、一つずつだ。分からないことを、分からないまま決める方が困る」

 フェリックスは、紙へ目を落とした。

 マティアスは少年の返事を急がせなかった。

「父上が望んでいたからだけではなく、フェリックス自身は、何をしたい」

 部屋の外で、木を打つ音がした。

 新しい板を運ぶ声も聞こえた。城の傷んだ戸を直しているのだった。

 少年はその音の方を見た。

「町の者が、戻れるようにしたいです」

 少し間を置いて続けた。

「まだ、家のない者がいます。食べ物も、どこまで足りるのか、私は分かりません」

「うん」

「それを、分かるようになりたいです」

 マティアスは頷いた。

「それなら、教えられることがある。まず、この領地の帳簿を家宰と一緒に見よう。今いる人と、必要な物を確かめるところからだ」

 家宰が深く頭を下げた。

 マティアスはアレクへ目を向けた。

「アレクも、力を貸してくれるな」

「はい」

 アレクは答えた。

「届いた物を、どこへ運ぶかも一緒に考えられます。私にも分からないことはありますから、その時は、詳しい人に聞きましょう」

 フェリックスが、アレクを見た。

 泣いた跡は残っていたが、さっきまでとは違う目だった。

「いずれ、マティアス様のおそばで、働くこともできるでしょうか」

「その時にも、そう思っているなら」

 マティアスは答えた。

「ここを任せられる者を育て、学ぶ支度を整えてから考えよう。今すぐ領地を離れる必要はない」

 フェリックスが頷いた。

 レオンハルトが、少年へ声を掛けた。

「役に立とうとして、困っていることを隠すな」

「はい」

「お前がここを守れるようになるまで、待つ者もいる」

 少年は、今度はまっすぐ頭を下げた。

 アレクには、その姿が急に大人びたとは思えなかった。

 まだ小さく、失ったものは大きすぎる。

 それでも、次に何を聞けばよいのかは、少し見えたのだと思った。

 ◇ ◇ ◇

 午後、フェリックスはアレクとともに、荷を分ける場所へ出た。

 城の倉だけに積んでしまえば、町の者が坂を上らなければならない。そのため、雨を避けられる建物を一つ借り、そこにも物資を置くことになっていた。

 ロベルトが、荷車の脇で家宰と話していた。

「こちらの袋は、今日使う分です。あちらは種として残すと聞いています。印を変えて、別に置いてください」

 家宰が倉番へ指示する。

 フェリックスは紙を開き、袋の数を確かめ始めた。

 途中で、荷を受け取りに来た女へ目を向ける。女は子を連れていた。子は袋を見ていたが、母の服を掴んだまま離さなかった。

 少年は、手元の紙へ視線を戻した。

「この家には、どのくらい渡すのですか」

 ロベルトが答えようとした時、家宰が家族の数を告げた。

 フェリックスは書きつける。

 女が、申し訳なさそうに付け加えた。

「隣の子も、うちにおります。母親が、まだ寝ておりまして」

 少年の手が止まった。

 紙には、その子の分がなかった。

 フェリックスは家宰を見た。

「その子も、食べます」

「はい。確かめて、加えます」

 家宰が答えた。

 アレクは、少年が紙の端へもう一人分を書き足すのを見た。

 ロベルトも、その字を見ていた。

「先に言ってもらえて助かりました。あとで足りなくなると、届け直すにも人と荷車が要ります」

 女が頭を下げた。

 フェリックスは、慌てて自分も頭を下げかけた。家宰が隣へ寄り、受け渡しを続ける。

 アレクは荷車の前へ回った。

 馬が首を下げ、桶から水を飲んでいる。その肩を、御者が布で拭いていた。

 車輪の下には、少し前まで道を塞いでいた石が寄せられていた。

 この道を、もっと速く来ることはできなかったのか。

 町へ入ってから、何度も同じことを考えていた。

 自分は馬に乗っていた。

 だが、火槍隊の兵は歩いていた。自分だけ先へ進んでも、銃を撃つ兵はついてこない。急がせ続ければ、着いた時に息が上がり、銃を支える腕も足も疲れきってしまう。

 城の前へ辿り着いた時には、既に火が上がっていた。

 アレクは、馬の背を見た。

 兵を別に集めて騎馬隊を作る。

 以前マティアスから言われた時には、そう考えていた。

 だが、持っている百人は、全て火槍隊として育てている。そこから騎兵を分ければ、まとまって撃つための人数が減る。

 だから、今は余裕がないと答えた。

 アレクは、荷台へ手を置いた。

 分けなければよいのではないか。

 火縄銃を持つ兵が、馬で移動する。

 戦う場所へ着いてから下り、銃を並べる。撃つための兵を減らさず、その兵を早く運ぶ。

 考えた途端に、できないことも幾つも浮かんだ。

 馬はただ並べれば乗れるわけではない。兵に教える者が要る。銃と弾薬箱を持ったまま乗り下りすることも、馬から離れて戦う間の扱いも、決めなければならない。

 何より、馬は銃声に驚く。

 自領へ得た牧草地のことを思い出した。

 馬を育てる場所はある。だが、土地があるだけで、明日から百人を乗せられるわけではなかった。

「アレク」

 呼ばれて顔を上げると、マティアスが立っていた。

「何か見つけたのか」

「馬で、火槍隊を運べないかと考えていました」

 マティアスは、御者の脇にいる馬を見た。

「荷車に乗せるのではなく、一人ずつか」

「はい。火槍隊から騎兵を分けるのではなく、射手に乗馬を覚えさせます。戦う時は下りれば、今の隊のまま撃てます」

 マティアスはすぐには返事をしなかった。

 銃を抱えて坂を上った兵を思い出しているようだった。

「移動は早くなるだろうな。ただ、全員が馬を扱えるようになるまでには、日が要る」

「分かっています。馬も、飼葉も、必要です」

「馬を誰に持たせるかも考えなければならない。全員が下りて銃を構えたら、馬だけが残る」

 アレクは頷いた。

「そこも含めて、考えてみます」

 マティアスは町の方へ目を向けた。

 荷を受け取った女が、子の手を引いて歩いている。フェリックスは次の家の名を聞いていた。

「ここへ来た時のことを、考えていたんだな」

 アレクは答えられなかった。

 荷台へ置いた手を、ゆっくり下ろした。

「馬があれば、必ず間に合ったとは言えません」

「ああ」

「それでも、次に同じように呼ばれた時、今より速く向かえるようにはしておきたいです」

 マティアスはアレクを見た。

「それなら、形にしてみよう。戻ってから、馬を育てる者にも話を聞くといい」

「はい」

「今すぐ百人分を買い集める話ではないぞ」

「まだ、そこまでは考えていません」

 マティアスが少しだけ笑った。

 アレクも、わずかに口元を緩めた。

 荷車の馬が顔を上げた。

 桶の水が鼻先から落ち、乾いた地面へ小さな跡を作った。

 ◇ ◇ ◇

 夕方には、城の外で兵が食事を取っていた。

 町の蓄えを使わぬよう、軍の荷から出した麦を煮ている。鍋の周囲へ集まる者もいれば、見張りへ渡す椀を並べる者もいた。

 カスパルは、兵の間を歩いて戻ってきた。

 アレクたちがいる荷車の脇へ来ると、少し妙な顔をした。

「呼び名が増えているらしい」

 ロベルトが顔を上げた。

「誰のだ」

「我々の」

 カスパルは、ヴィクトルとエイドリアンにも目を向けた。

「天星五士、だそうだ」

 アレクは聞き返した。

「天星五士?」

「街道の宿場で、そう呼ぶ者がいるらしい。荷を運んできた商人から聞いた」

 ロベルトが帳簿を閉じた。

「ずいぶん、大きくなったな」

「五旗衆では足りなくなったのだろう」

 カスパルは肩をすくめた。

 商人の話では、黒獅子の旗の下で五つの星が道を開いたと、宿場で語る者がいたという。

 帰還する兵の通路を守った者。

 火槍で敵の正面を崩した者。

 退路へ回り、イグナーツを逃がさなかった者。

 城を受け取り、街道を開き、奪われた荷を戻した者。

 それぞれ別の場所で見られた働きが、同じ五人の話として集まっていた。

「荷を返すところまで、話になっているのか」

 ロベルトが尋ねた。

「商人には、そこが大事だったようだ」

「それなら、悪い話ではない」

 ヴィクトルは、自分の手元にある椀を見た。

「兵の働きまで、私たち五人がしたことにならなければいいが」

「既に少し、そうなっている」

 カスパルが答えた。

「私一人で伯爵の馬へ飛びついたことになっていた」

 エイドリアンが眉を動かした。

「飛びついたのか」

「二百騎で道を押さえた。馬へ飛びつく必要はなかった」

 アレクは、小さく笑った。

 自分たちが知っている戦いと、人から人へ伝わる戦いは、少しずつ違っていくのだろう。

 火槍の一発には、銃を持つ兵がいた。北の高所を守った盾があり、射撃の後へ進んだ歩兵がいた。

 それが全て、アレク一人の働きになるわけではなかった。

「聞かれたら、そのまま話せばいい」

 近づいてきたマティアスが言った。

「誰の兵が何をしたかは、記録にも残してある。呼び名に合わせて、こちらまで話を大きくする必要はない」

 カスパルが頷いた。

「では、馬へは飛びつかなかったと」

「そこは、きちんと直しておいてくれ」

 マティアスは答えた。

 少し離れた場所で、兵が鍋の蓋を持ち上げた。湯気が上がり、椀を持つ者たちが前へ進む。

 新しい名を聞いても、五人の仕事が変わったわけではなかった。

 ロベルトは食事の配分を確かめに行き、エイドリアンは夜の見張りの交代を聞きに向かった。ヴィクトルも、北から戻した兵の様子を見るために席を離れる。

 アレクは、火槍隊の宿営地へ顔を向けた。

 夕方の光の中で、立て掛けられた銃の列が見えた。

 ◇ ◇ ◇

 王都の使者が来たのは、その夜だった。

 門の見張りから知らせを受け、ユリウスが迎えに出た。使者は外套の裾を泥で汚し、馬から下りる時に一度、鞍へ手をついた。

 レオンハルトは、食事を終える前に立ち上がった。

 アレクが部屋へ呼ばれた時には、既に書状が開かれていた。

 マティアスもいる。使者は水を飲むよう勧められていたが、椀を持ったまま、まだ口をつけていなかった。

 レオンハルトは書状を読み終えても、しばらく紙を下ろさなかった。

「いつからだ」

 使者が姿勢を正した。

「熱を出され、咳が続いております。初めはお休みになれば戻られるものとされていましたが、政務への御出席を取りやめられました」

「俺が東へ出る前に、そのような話はなかった」

「はい。殿下が御出陣された後のことです」

 アレクはマティアスを見た。

 マティアスの表情も、先ほどまでとは変わっていた。

 書状は、国王の病を知らせるものだった。

 東部の処置を整え、帰還するよう求めている。国王自身が、レオンハルトから報告を聞きたいと望んでいるという。

「医師は、何と言っている」

 レオンハルトが尋ねた。

「今は、御身を休められることが必要だと。詳しい御容体は、私から申し上げられる立場にはございません」

「歩けているのか」

「私が王都を発った時には、お部屋でお休みでした」

 レオンハルトは書状を机へ置いた。

 その手が、紙から離れなかった。

 アレクは、王都で兄弟が並んでいた姿を思い出した。

 互いの言葉を探り、譲らないところでは譲らない。それでも、レオンハルトは国王の前でしか見せない顔をしていた。

 今、その顔から、戦場での険しさとは違うものが見えていた。

「東部の主だった城は、押さえています」

 マティアスが言った。

「残す兵と担当も決めました。こちらの帰還を急がせても、守備を解く必要はありません」

 レオンハルトが顔を上げた。

「王都軍の指揮官へ知らせろ。今の配置を保ち、報告は王都へ送らせる」

「承知しました」

「イグナーツと書状の護送は、予定どおりだ。急ぐからと、見張りを減らすな」

 ユリウスが頷いた。

「御一行は、先へ向かわれますか」

「百騎を先行の護衛にする。人と馬を確かめて選べ」

 レオンハルトは答えた。

「マティアス、五人も連れてこい。残る隊は、それぞれの指揮を預けて戻す」

 アレクは背筋を伸ばした。

 火槍隊をどう戻すか、ギルベルトへ伝えなければならない。銃も弾薬も、歩く兵も、馬の速度に合わせることはできなかった。

 帰還する三千八百一人のうち、騎兵百人を先行の護衛へ回し、残る三千七百一人は歩兵と荷車の速度で西へ進ませることになった。

 マティアスは残る隊長を呼ぶよう命じ、道中で合流する隊へも伝令を出した。

 部屋の中で、次々に役目が決まっていった。

 使者は、ようやく椀へ口をつけた。

 レオンハルトは、その様子を見てから尋ねた。

「陛下から、ほかに言葉はあったか」

 使者は椀を下ろした。

「東部の始末を途中で投げ出して戻るな、と」

 マティアスがレオンハルトを見た。

 レオンハルトは一度、目を伏せた。

「……そう言うだろうな」

 声は低かった。

 書状を折り直し、机の端へ置く。病人からの言葉であっても、聞けば誰の声か分かるようだった。

 アレクは扉へ向かいかけた。

 その時、レオンハルトがもう一度、使者へ声を掛けた。

「兄上は、食べられているのか」

 使者の背が、わずかに動いた。

「少しずつですが、お食事は取っておられると聞いております」

 レオンハルトは頷いた。

 それ以上は尋ねなかった。

 ◇ ◇ ◇

 出発の支度を伝えるため、アレクは火槍隊の宿営地へ向かった。

 ギルベルトは、夜の見張りを確かめていた。

 話を聞くと、すぐに隊を戻す道と、荷の扱いを尋ねた。アレクは、マティアスから示された合流地点と、歩兵の隊長へ連絡する順序を伝える。

「負傷した者を、急がせないでください」

「はい」

「銃の不具合があれば、戻る途中でも記録を。領地へ着いてから、まとめて直せるようにします」

「承知しました。アレク様も、どうかお気をつけて」

 アレクは頷いた。

 宿営地の奥では、毛布へくるまった兵が眠っていた。まだ起きている者も、小さな声で話している。

 彼らより先へ行くことになる。

 戻る時には、少しでもよい知らせを持っていたかった。

 城へ戻る途中、修理を終えた戸の前で、フェリックスと家宰に会った。

 王都の使者が来たことは、既に聞いているようだった。

「明日、お発ちになるのですか」

「はい。殿下と、先に王都へ向かいます」

 フェリックスは唇を結び、頷いた。

 アレクは少年の手元を見た。

 昼に使っていた紙を、折って持っている。

「今日の続きは、家宰殿と進めてください。困ったことは、マティアス様へ知らせてもらえます」

「はい」

 少年は少し迷ってから、紙を開いた。

 渡した荷の数だけでなく、屋根のない家と、寝ている者のいる家にも印がつけられていた。

「これも、お知らせしてよいのですね」

「もちろんです」

 アレクは答えた。

「分からないままのところがあっても、そのまま書いてください」

 フェリックスは紙を畳んだ。

 家宰が、少年の肩へそっと手を置いた。

 アレクは二人へ頭を下げ、城の中へ入った。

 廊下の先では、まだ灯りがついていた。

 レオンハルトがマティアスと向かい合い、明朝までに出す命令を確かめている。兵を倒すための命令ではなかった。自分たちが去った後も、この領地と街道が守られるようにするための言葉だった。

 翌朝、レオンハルトは門の前でフェリックスへ向き直った。

「家のことは、陛下へ伝える」

「お願いいたします」

「よく食べ、眠れ。家宰の話を聞け」

 フェリックスが頷いた。

 レオンハルトは少年の肩へ手を置き、それから馬へ乗った。

 黒地の旗が上がる。

 先頭の騎兵が門を出ると、町の道を歩いていた者たちが脇へ寄った。荷車は止まり、御者が帽子を取った。

 アレクは一度だけ振り返った。

 フェリックスは家宰の隣に立っていた。外套の裾が風に動いても、門の内側へ戻らず、こちらを見ている。

 アレクが手を上げると、少年も手を上げた。

 その後ろで、城の戸が開いたままになっていた。

 西へ続く街道へ出ると、馬の歩みが速くなった。

 レオンハルトは前を向いていた。

 東部を平らげた報告も、処分を求める書状も、兄へ伝えなければならない。

 だが、その全てを話せる相手が、王都で待っていなければならなかった。

 レオンハルトは手綱を握り直した。

「行くぞ」

 百騎の蹄が、朝の街道へ続いた。

第二十八話を読んでいただき、ありがとうございました。

グレンツベルク家を守る約束と、フェリックス自身の願いが、これからの道につながりました。

アレクもまた、次はもっと速く兵を届けるための方法を考え始めています。

一行は今、国王の待つ王都へ向かいます。


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