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『知らない世界で、前世の知識が武器になる』 ~剣と銃で乱世を生き抜く転生領主の成り上がり~  作者: 相田 ソウ
第六篇 乱世を動かす火

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第二十二話 帰還の命

主君の旗へ帰ろうとする百人に、味方だった兵が槍を向けます。

その道を守るため、ヴィクトルたちが前へ出る。一方、敵陣では、離反を止めるための新たな攻撃が準備されていました。

 百人の列が、敵陣から離れ始めた。

 自家の旗を先頭に、兵たちは槍を立てたまま歩いていた。負傷して足を引きずる者を列の内側へ入れ、その両側を盾兵が挟んでいる。誰かが速くなれば、隣の兵が腕を伸ばして引き戻した。

 主君の旗は南寄りにあった。

 まず正面へ出てから、そちらへ向きを変える。そうすれば、黒獅子の軍が空けた道へ入れる。

「止めろ!」

 背後から、騎士の怒声が追ってきた。

 隊長は振り返った。イグナーツの兵が槍を下ろし、こちらへ進んでくる。最初は十数人だったが、その後ろからも兵が続き、両脇へ広がろうとしていた。

「列を崩すな!」

 隊長は命じた。

 旗手が南へ向きを変える。前の兵がそれに続いた時、後尾で叫び声が上がった。

 一人が背中を押されたように前へ倒れた。

 槍を引き抜いた敵兵が、次の男へ穂先を向ける。

「盾を後ろへ!」

 年嵩の兵が叫んだ。

 後尾の盾が裏返り、追ってくる槍を受けた。木を叩く音が続き、押された兵の足がもつれる。隣の者が肩を支え、そのまま一歩ずつ後ろ向きに下がった。

 隊長は剣を抜いた。

 帰るために槍を立てていた兵へ、追撃の穂先が向けられている。従わなければ脅すだけだと考えていた者も、その光景を見て顔を変えた。

「負傷者を運べ! 前は止まるな!」

 倒れた兵の腕を二人が掴む。

 若い兵も振り返りかけたが、年嵩の男に肩を押された。

「前へ行け。旗を見失うな」

「ですが」

「お前まで止まれば、後ろが詰まる!」

 若い兵は歯を食いしばり、前の背中へ続いた。

 自分たちが歩いた場所へ、すぐ敵の足が入ってくる。

 旗までの距離は、先ほど見た時よりも遠く感じられた。

 ◇ ◇ ◇

 ヴィクトルは、敵の槍が帰還兵へ届いたのを見た。

「百八十、前へ! 使者を迎える場所を空けろ!」

 隊長が命令を繰り返した。

 六百人のうち、前進する百八十人が盾を揃える。残る兵は帰還通路の北側を保ち、中央のマティアスの隊との間を空けすぎないようにした。

 使者を守っていた二十人も、こちらへ戻ってくる。

 書状を抱えた家臣が一度立ち止まり、追われている兵へ声をかけようとした。護衛の隊長が腕を取って下がらせ、そのまま味方の盾の間へ通す。

 二十人は使者を送り届けると、前へ出た百八十人の端へ加わった。

 ヴィクトルは剣を上げた。

「帰る兵は南へ通せ! こちらの列へ入れるな!」

 こちらの盾へ助けを求めて飛び込めば、追ってくる敵まで一緒に入る。家の旗を持った者が通路側から声を張り、帰還兵の進む先を示した。

「こちらだ! 殿の旗へ続け!」

 百人の先頭が向きを変えた。

 その後ろを追う敵は、二百人ほどに増えていた。全員が帰還兵の背へ取りついているわけではない。先頭を止めようと外側へ走る者もいれば、ヴィクトルの盾兵を避けて北へ寄る一団もあった。

 ヴィクトルは前へ出た。

 敵の槍が盾へ突き当たり、その衝撃で隣の兵が半歩下がる。ヴィクトルは男の背を押し戻し、自分の剣で次の槍を横へ払った。

「ここで受ける! 追って前へ出るな!」

 味方の槍が盾の間から伸びた。

 敵兵が胸元を押さえて倒れる。その横へ別の兵が入り、盾をぶつけてきた。

 ヴィクトルは押し返した。

 南側を、帰還兵が通り始めていた。走り出そうとした若者を、同じ隊の兵が捕まえて列へ戻す。肩を借りて歩く者もいて、すぐには通り終わらない。

 その間、敵をここへ留めなければならなかった。

 右手の通路を挟んだ向こうでは、エイドリアンも兵を動かしていた。

 四百人のうち百五十人を入口の外へ寄せ、南から回り込もうとする敵へ槍を向ける。残る二百五十人は通路と後方への道を守り、帰還兵を迎えていた。

「盾を揃えろ! 入口へ寄りすぎるな!」

 エイドリアンの声が聞こえた。

 敵は帰る兵の前へ立ちたい。こちらは、その横を開けておきたい。

 どちらも同じ狭い場所へ兵を寄せようとしていた。

 ヴィクトルの左で、盾が一枚落ちた。

 槍を受けた兵が膝をつき、後ろの者が襟を掴んで引きずる。空いた場所へ次の盾が入ったが、敵もそれを見逃さず押してきた。

 ヴィクトルはそちらへ身体を寄せた。

「詰めろ!」

 肩と肩が触れた。

 敵の息遣いが聞こえるほど近かった。

 ◇ ◇ ◇

 アレクは、ヴィクトルの盾列の北側を見ていた。

 追撃兵の一部が、盾に阻まれた仲間を置いて外へ回ろうとしている。七十人ほどだった。こちらの歩兵の端を抜き、帰還兵が通る道へ出るつもりなのだろう。

 そこへなら、撃てる。

 南側にはヴィクトルの盾がある。そのさらに南を帰還兵が通っているが、北へ回る敵の背後には、味方の姿がなかった。

 アレクはギルベルトへ位置を示した。

「一班を前へ。盾列の北へ出た敵を狙います」

「一班、前へ!」

 百十五人が動いた。

 二班と三班も同じ隊の後ろで準備を進めている。別の場所へ兵を割いたのではない。前の班が射撃して下がれば、同じ場所へ続ける並びだった。

「弾薬箱開放許可!」

 指揮役の声が重なる。

「一発取れ! 装填!」

 革製の弾薬箱が開かれた。

 射手たちは一発筒の木栓を抜き、一発分の火薬と弾を銃口から入れる。空いた筒を収め、装填棒で弾を押し込む間にも、前方では盾を打つ音が続いていた。

 アレクは敵の動きを見た。

 まだ帰還兵の後尾が残っている。

 ヴィクトルの隊は前へ追わず、その場で敵を受け止めていた。彼の左端を抜けようとする七十人は、こちらの射手に気づくと盾を向け始めた。

 それでも、すぐには引き返さなかった。

 帰還兵を通してしまえば、後ろの騎士に何を言われるか分からないのだろう。隊を率いる男が剣を振り、止まるなと叫んでいる。

「一班、装填完了!」

 報告が来た。

 アレクは、射手から敵までの地面をもう一度見た。

 ヴィクトルの盾列は射線の右側に外れている。敵の後ろにあるのは踏み倒された畑と、まだ離れた位置の敵陣だった。

「火蓋開け!」

 火蓋が開く。

「構え!」

 長い鉄筒が揃って持ち上がった。

 敵の先頭で、一人が足を止めた。

 筒が自分たちへ向いている。その隣の兵が肩へぶつかり、止まった男を押しのけて前へ出ようとした。

 赤い布が上がった。

 アレクは、剣を振っていた男が盾の後ろへ身を寄せるのを見た。

「撃て!」

 布が振り下ろされた。

 百十五挺の火縄銃が、畑を揺らした。

 轟音が盾を打つ音を呑み込み、白煙が一斉に広がる。敵の先頭では、立てた盾ごと身体を揺らされた兵が後ろへ倒れ、その男に押された者が膝を折った。

 剣を振っていた男の腕が下がった。

 握っていた剣が地面へ落ちる。

 その脇を抜けようとした兵も倒れ、空いた場所へ続こうとした後列が足を止めた。

 撃たれていない者まで、盾の後ろへ頭を押し込んだ。前へ出ればどこから弾が来るのか、煙の向こうを見ることさえできない。

「一班、火縄上げ! 後退!」

 射手が火縄ばさみを手で上げ、後ろへ下がる。

 アレクは煙の薄れた端から敵を見た。

 北へ回る勢いは止まっていた。

 負傷した男を抱えて下がる者がいる。その足元へ別の兵がぶつかり、盾を落として後ろを向いた。

 そこへ、ヴィクトルの左端から槍が向け直された。

 前へは抜けられない。北へ回れば筒が待っている。

 敵兵が一人、逃げ出した。

 それを追うように数人が下がる。止めようとした騎士が叫んだが、声よりも早く、後ろ向きになった身体が増えていった。

 南側でも、エイドリアンの兵が追撃兵を押し留めていた。

 北へ回る仲間が崩れたのを見て、そちらの敵も槍を引き始める。

 ヴィクトルは追わせなかった。

「戻る兵を通せ!」

 剣で南を示した。

 帰還兵の後尾が、その前を抜ける。

 隊長は剣を持ったまま歩いていた。肩を血で濡らした兵に腕を貸し、何度も後ろを見ている。

 ヴィクトルが声を張った。

「そのまま行け!」

 隊長がこちらを見た。

 一度だけ頭を下げ、負傷兵を支え直す。

 アレクは、二班を射撃位置へ出す前に手を上げた。

 敵は既に盾列から離れ、味方の槍の向こうへ下がり始めていた。今から撃てば、追撃兵とヴィクトルの兵が重なる。

「二班はその場で待機。一班は装填を進めてください」

 ギルベルトが命令を伝えた。

 百十五人は後ろへ戻り、次の一発筒を取った。

 その前を、三百四十三人の火槍隊が一つの列として保っていた。

 ◇ ◇ ◇

 領主は、旗の下から動かなかった。

 近づいてくる兵を見つけるたび、前へ出そうになる。その度に、そばの家臣がこちらへ来ますと告げた。

 先頭の兵が農道を抜けた。

 泥と血で汚れた盾を持っている。領主の顔を見ると、男は歩みを緩め、その場へ膝をつこうとした。

「止まるな。奥へ」

 領主は手を伸ばし、立ったまま肩を支えた。

「後ろが来る」

 兵は頷いた。

 次の者が来た。その次には、二人に抱えられた負傷者が続いた。

 領主は顔を見た。

 城で何度も見た者ばかりだった。荷を運んでいた男、門で槍を持っていた若者、冬の見回りで足を痛めた兵。その者たちが、敵と呼ばれた軍の中から戻ってきていた。

 旗手が、竿を高く持ち上げた。

 その向こうから、弟が来た。

 若い兵は兄の顔を見て、初めて足を止めた。口を開いたが、声が出なかった。

「奥へ行け」

 兄が言った。

 弟は頷こうとした。

 だが、何度も浅く息を吸うだけで、身体が動かない。

 兄は片手で旗竿を支えたまま、もう一方の手を弟の肩へ置いた。

「帰ってきたな」

 その言葉で、弟の顔が歪んだ。

 若い兵は兄の腕を掴んだ。強く握り、すぐ離そうとして、離せなかった。

 兄は何も言わず、肩を押して道の脇へ寄せた。

 後ろの兵が通り過ぎる。

 弟はようやく手を離し、旗を見上げた。

「兄上も、来ていたのですね」

「ああ」

 兄は短く答えた。

「殿が、迎えに行くと仰せだった」

 弟が領主を見た。

 領主は、こちらへ来る別の兵を迎えていた。その上着の袖には、肩を支えた負傷者の血がついている。

 少し遅れて、隊長が農道を抜けた。

 剣を鞘へ収める余裕もなく、負傷兵を手当ての者へ預ける。自分もその場へ座り込みかけたが、領主の前へ進んで膝をついた。

「帰還いたしました」

 領主は隊長の肩へ手を置いた。

「よく、連れて戻った」

 隊長は顔を上げなかった。

「全員では、ございません」

 声が掠れた。

「後ろで、三人を失いました」

 領主の手が止まった。

 隊長は三人の名を告げた。

 一人目を聞いた時、近くの兵が目を伏せた。二人目では、負傷者を運んでいた男が足を止めた。三人目の名を聞き終えるまで、領主は口を挟まなかった。

「分かった」

 やがて、そう答えた。

「まず、生きて戻った者を休ませる。三人のことは、その後で聞かせてくれ」

 ロベルトの書記が人数を揃えた。

 帰還は九十七人。うち十一人が傷を負っていた。歩ける者と手当てを急ぐ者を分け、各家の旗の内側へ座らせる。

 ロベルトは報告を受け取ると、主君のそばへ立つ隊長へ告げた。

「武器は家ごとにまとめておいてくれ。今すぐ、次の戦いへ出すために集めるのではない」

 隊長が顔を上げた。

「はい」

「いない者の名は残してある。戦場へ出られるようになれば、顔を知る者をつけて探す」

 領主は頷いた。

 九十七人を迎えた旗が、後方の空き地で開いていた。

 ◇ ◇ ◇

 最初の一隊が帰り着いたことは、敵陣からも見えていた。

 武器を捨てて逃げた者として斬られることも、黒獅子の兵へ囲まれて連れ去られることもない。主君の旗の下へ入り、負傷者は運ばれ、歩ける者は座らされている。

 それを見た別の隊長が、近くにいる家臣へ目を向けた。

 百二十人を預けた家の者だった。

 既に帰還命令は届いていた。自家の旗も見つけている。それでも先に動いた隊が追われるのを見て、兵を進ませられずにいた。

「行く」

 隊長が言った。

「今ですか」

「今だ。向こうに、帰った者がいる」

 命令が列へ伝わった。

 その隊が動くと、近くの別の家でも声が上がった。中央へ進めと言われても動かない兵が現れ、主君の命を確かめさせろと求める者が増えていく。

 百八十人を預けた家の隊は、正面への前進を拒んだ。

 百六十人の隊からは、主君と印を確かめるために二人が出された。北側に離して置かれていた百四十人の隊へも、旗を持った家臣が向かっている。

 五つの隊が一度に走り出したわけではなかった。

 しかし、この軍の指揮官が命令を出してから、兵が動くまでの間が、目に見えて長くなった。

「南へ追わせるな」

 指揮官は、戻ってきた騎士へ命じた。

「ですが、兵が抜けます」

「追った兵も戻ってきたではないか」

 騎士が口を閉じる。

 帰還兵を止めるために出した二百人は、目的を果たしていなかった。槍と盾に阻まれ、外へ回ろうとした者は火槍に撃たれている。

 さらに別の隊を追わせれば、黒獅子の前へ少しずつ兵を差し出すことになる。

 指揮官は中央を見た。

 そこには、まだ命令に従うイグナーツの直属兵と、深く盟約へ加わった諸侯の兵がいた。

「千二百を出す。中央を押せ」

「南の道ではなく、ですか」

「黒獅子の陣を崩せば、迎える場所そのものがなくなる」

 地図の上へ指を置いた。

「弓が二百。残る千は中央に四百、左右へ三百ずつ。筒の前へ一つの塊で寄せるな」

 騎士が頷く。

「射手へ矢を入れ、左右から歩兵を押す。撃たれても、次が来ると思え。火槍が一度鳴ったからと、勝手に走らせるな」

 命令を受けた騎士が去った。

 指揮官は北側と本陣周辺の旗へ、続けて伝令を出した。攻撃隊が中央を押す間に、次に動かす兵をまとめる。

 帰還を求める兵へ、これ以上考える時間を与えるつもりはなかった。

 ◇ ◇ ◇

 敵の中央で、旗の間隔が広がった。

 アレクは射手の前へ出た。

 盾と槍が左右へ分かれ、その間から弓を持つ兵が進んでくる。先ほど帰還兵を追った一団とは、人数も動き方も違っていた。

「敵、千二百ほど。弓が二百、歩兵が千です」

 カスパルからの伝令が告げた。

 マティアスは中央の隊長たちを呼んだ。

「盾を前へ。左右を薄くしないでくれ」

 中央を守る歩兵は千二百人だった。

 火槍隊の前へ盾兵を揃え、槍兵をその後ろへ置く。左右へ回る敵に備える兵を残し、押し返す時に使う四百人を決めた。

 南の通路では、次の帰還兵が動いていた。

 ヴィクトルとエイドリアンを中央へ呼び戻すことはできない。

 マティアスはアレクを見た。

「ここで受ける。南の兵は、そのまま道を守らせる」

「はい」

 アレクは敵の中央へ目を戻した。

 四百人の歩兵が、盾を前へ向けて進んでくる。その両側の三百人ずつは、間隔を広げながら斜めに出ていた。

 火槍隊を左右へ分ければ、それぞれの前に薄い射手の列ができる。敵は、その一方へ兵を寄せればよくなる。

 だが、中央を崩せば、両側の隊も隣を気にせず進めなくなる。

 アレクはマティアスへ向き直った。

「火槍隊で正面を崩します。」

 マティアスはアレクの顔を見た。

 許しを求める言い方ではなかった。

 長い鉄筒を持つ三百四十三人が、彼の後ろで命令を待っている。

「分かった。左右はこちらで支える。崩れたところへ、歩兵を出す」

「射撃を止める合図を送ります。それまでは、正面へ出さないでください」

「ああ」

 アレクはギルベルトを呼んだ。

「三班とも、同じ正面で交代します。左右の敵へ引かれて、班を離さないでください」

「中央へ集中させるのですね」

「はい。真ん中を抜きます」

 ギルベルトが指揮役へ命令を伝えた。

 一班の百十五人も、先ほどの射撃を終えて装填を済ませている。二班と三班も、いつでも前へ出られる状態だった。

 アレクは射撃位置へ歩いた。

 敵の弓が上がった。

「盾を!」

 マティアスの隊長が叫ぶ。

 矢が降ってきた。

 盾へ刺さる音が重なり、鉄の縁へ当たった一本が跳ねてアレクの足元へ落ちた。後ろで兵が呻く。肩へ矢を受けた盾兵が下がり、その場所へ別の兵が入った。

 アレクは身を低くしたが、敵から目を離さなかった。

 弓兵は射手を怖がらせ、前へ出るのを遅らせようとしている。

 その間にも、敵の歩兵は進んでいた。

 ◇ ◇ ◇

 敵中央の指揮官は、黒獅子の盾列を見ていた。

 筒は、その後ろにある。

 一つずつではない。長い鉄筒が幾重にも並び、煙の消えた空へ先を向けていた。

 先ほど南で鳴った音を、兵は聞いている。

 撃たれた一団が崩れたことも知っていた。だからこそ、足を止めた兵を叱るだけでは前へ進ませられなかった。

「盾を離すな! 横の隊を見ろ!」

 指揮官は叫んだ。

「中央だけで行くのではない!」

 両側へ広がった兵が進んでいる。

 弓も射続けていた。火槍の射手が顔を出せば、そこへ矢を送るよう命じてある。

 敵の筒が何度も鳴ることは分かっていた。

 だから、撃ち終えた隙に走れとは命じなかった。盾を揃え、前が倒れても後ろが詰め、左右の兵と同じ速さで近づく。

 槍が届くところまで行けばよい。

 指揮官は、前列の兵へ剣を向けた。

「歩みを揃えろ!」

 兵の足が、踏み倒された畑を進んだ。

 その先で、黒獅子の盾が左右へ開いた。

 ◇ ◇ ◇

「一班、前へ!」

 百十五人が射撃位置へ出た。

 敵の弓兵がこちらへ向き直る。

 アレクは、中央の盾列を見た。敵は広がっているが、中央の四百人は列を保って近づいている。前の盾を頼りに、その後ろへ兵が重なっていた。

「火蓋開け!」

 指揮役が号令を繰り返した。

「構え!」

 銃口が揃う。

 矢が一本、射手の脇の地面へ突き立った。

 男の肩が動いたが、隣の射手へ寄りかかりはしなかった。木台へ頬を寄せ、正面を見ている。

 赤い布が上がった。

 アレクは、前列の盾が踏み出したのを見た。

「撃て!」

 轟音が走った。

 中央の敵の盾が、何枚も同時に揺れた。

 一人が仰向けに倒れ、隣の男が盾を持ったまま片膝をつく。その後ろへ続いていた兵は、前が止まったことに気づくより先にぶつかった。

 槍が斜めに傾いた。

 盾の下から血が流れ、畑の土へ細い筋を引く。立ち上がろうとした男の腕が折れ、後ろの者がその肩を掴んで引きずった。

 指揮官が叫んでいた。

「詰めろ! 盾を上げろ!」

 生きている兵が前へ出る。

 空いた場所へ盾を立て直し、倒れた仲間を跨いだ。横の隊はまだ進んでいる。ここで自分たちだけ下がれば、左右の兵を置き去りにする。

 敵は、踏みとどまった。

 アレクはそれを見ながら、次を命じた。

「一班、火縄上げ! 後退! 二班、前へ!」

 射手が手で火縄ばさみを上げ、後ろへ下がる。

 そこへ矢が来た。

 一人が腕を押さえて銃を落としかけ、隣の兵が木台を支えた。二人で負傷者を後ろへ運ぶ間に、二班の百十四人が前へ出る。

 敵も、その交代を見ていた。

「次が来るぞ! 止まるな!」

 指揮官は叫んだ。

 止まれば、同じ場所へ撃たれる。

 だから盾を向けたまま進ませた。前の兵を追い越さず、狭くなったところを押し広げ、槍先を黒獅子へ向ける。

「火蓋開け! 構え!」

 二班の筒が持ち上がった。

 アレクは、敵中央の旗の下を見た。最初の射撃で開いた穴へ、後ろの兵が集まっている。

「撃て!」

 二度目の轟音が、組み直された列へ叩きつけられた。

 盾を持ち上げたばかりの男が、顔を背けたまま倒れる。後ろから押していた兵の胸元が弾け、その槍が前の者の肩へ落ちた。

 先ほどまで横一列に見えた盾が、途切れた。

 その隙間から、後列の顔が見えた。

 男たちは筒を見ていた。前にあるはずの盾がなくなり、自分たちが射手と向かい合っている。

 一人が盾を拾おうと屈んだ。

 後ろから押され、倒れた仲間の上へ転ぶ。

 それでも、中央の指揮官は退却を命じなかった。

「左を前へ! 中央へ寄せろ!」

 西へ向かって進む敵から見て左、南側へ広がっていた隊の内側が動いた。中央の穴を埋め、火槍隊へ向かう列を保とうとしている。

 アレクは、三班の指揮役へ声をかけた。

「中央へ寄ってくる兵を。列を分けず、正面で受けます」

「三班、前へ!」

 二班が下がった場所へ、百十四人が入った。

 背後では、一班の指揮役が装填を進めさせていた。

 空いた一発筒が収められ、次の筒が取られる。手が震えて木栓を抜き損ねた兵へ、教官が短く声をかけた。急ぐために手順を飛ばさせるのではなく、隣へぶつからない位置を保たせている。

 アレクは前だけを見た。

 敵の南寄りの兵は、中央へ向きを変えたことで肩が重なっていた。

 まだ味方の歩兵とは触れていない。

 その後ろにも、帰還兵はいなかった。南の通路は、さらに右へ離れている。

「火蓋開け! 構え!」

 赤い布が上がった。

 敵の指揮役が、こちらの筒を指して何か叫んだ。

 兵は盾を向けようとした。

 だが、進む向きと筒の向きが変わり、前の者の肩へ盾の縁が引っかかる。横へずれようとして、隣の槍の柄へぶつかった。

「撃て!」

 三度目の射撃が、その列を崩した。

 白煙が押し出される。

 中央へ加わろうとしていた兵が倒れ、その後ろが止まった。盾を失った者が左右へ逃げようとし、まだ前へ進むつもりの兵と押し合う。

 指揮役の旗が揺れた。

 支えていた男が竿へ縋るように膝をつき、別の兵が掴み直したが、旗は低くなったままだった。

 アレクは息を吐いた。

 中央の穴は、埋まらなかった。

 ◇ ◇ ◇

 マティアスは、北寄りへ迫る敵を見ていた。

 敵から見て右翼となる三百人は、中央が撃たれている間にも進んでいた。火槍隊の正面から外れ、こちらの歩兵へ槍を届かせようとしている。

 そこへ射手を分けるようには命じなかった。

 中央を崩すと、アレクは言った。

 ならば、その間の横を守るのは自分たちだった。

「左の盾を揃えてくれ。槍は、その後ろへ」

 隊長が走った。

 敵の先頭が盾へぶつかった。

 槍の穂先が木を擦り、盾の上から剣が振り下ろされる。味方の兵が頭を下げ、隣の者が敵の腕へ槍を突き出した。

 マティアスは、押された列の後ろへ兵を寄せた。

「前へ出すぎるな。隣と揃えて受けるんだ」

 敵の一人が盾の間へ入りかけた。

 味方の槍が脇腹へ向かい、男は身体を捻って退いた。その場所へ別の敵が来る。盾を持つ兵の膝が折れ、後列の男が背中を支えた。

 右側でも接触が始まっていた。

 中央へ寄った敵だけでなく、南へ広がったまま残る兵がいる。マティアスはそちらにも守りを残し、帰還通路へ抜けられないようにした。

 敵の攻撃が軽いわけではなかった。

 一人が喉元を押さえて倒れ、担ぎ出そうとした兵の盾へ次の槍が当たる。負傷者を後ろへ下げるたび、列を詰め直す声が上がった。

 マティアスは剣を握り、前の兵の肩越しに敵中央を見た。

 盾が、揃っていない。

 火槍の煙が流れるたびに、倒れた兵と空いた場所が見えた。中央へ加わろうとした隊まで止まり、左右の攻撃隊との間が開いている。

 左で戦う敵の隊長も、その異変に気づいた。

 正面を向いていた顔が、南へ振られる。

 マティアスはその一瞬を見逃さなかった。

「押し返す四百を、中央へ寄せてくれ。まだ進ませない。アレクの合図を待つ」

 伝令が走った。

 敵の左へ回るためではない。

 火槍隊が開けた正面へ歩兵を入れ、両側の敵が支えを失う位置を押さえるためだった。

 ◇ ◇ ◇

「一班、装填状況!」

 アレクが尋ねた。

「百十四人、装填完了!」

 腕を負傷して下がった一人を除き、一班が揃っていた。

 三班も射撃を終えて後退している。だが、その途中で矢を受けた兵が一人、肩を押さえて膝をついた。

 ギルベルトが近くの兵を呼び、負傷者を下げさせた。

「三班、一人離脱!」

「銃は別にしてください。動ける者で列を保ちます」

 アレクは答え、敵へ向き直った。

 中央の指揮官は、まだ旗を下げていなかった。

 崩れた前列から少し後ろへ移り、生きている兵を集め直している。盾を拾わせ、槍を向けさせ、後退する者を剣で押し戻していた。

 そこへ、弓兵の一部も近づいていた。

 歩兵が止まったため、前へ射る場所を失ったのだろう。指揮官はその兵にも、横へ出て筒を射ろと命じていた。

 アレクは、射撃位置を保たせた。

 こちらが左右へ分かれて追えば、また敵のまとまりへ薄い列を向けることになる。

 敵が立て直そうとする正面へ、同じ火力を向け続ける。

「一班、前へ!」

 百十四人が進んだ。

 盾兵が道を開ける。

 敵の指揮官がこちらを見た。

 彼は次の射撃が来ることを知っていた。それでも、旗を下げれば中央が終わる。両側で戦っている兵を残して退くわけにはいかなかった。

「盾を上げろ!」

 男が叫んだ。

 集まった兵が、低くなった盾を持ち上げる。

 アレクは赤い布を見た。

「火蓋開け!」

 射手たちの手が動く。

「構え!」

 長い鉄筒が、旗の周囲へ向いた。

 敵の盾が並び直す。その後ろで槍が持ち上がり、指揮官が剣を前へ突き出した。

「撃て!」

 四度目の轟音が、中央へ集中した。

 旗の前にいた兵が崩れた。

 盾が二枚、重なるように地面へ落ちる。後ろの男がそれを踏んで転び、槍を握った手を離した。

 指揮官の身体が揺れた。

 脚を押さえて片膝をつき、剣を杖にして立ち上がろうとする。その腕を側の兵が掴んだ。

 旗手が後ろへ下がった。

 命令を受けたからではなかった。倒れてくる兵を避け、そのまま数歩退いたのだ。

 だが、旗が動けば、兵はそれを追う。

 前へ出ようとしていた男が振り返った。隣の者が盾を抱えて後ろへ歩き、別の兵は、まだ槍を向けたまま取り残された。

 中央の列が、後ろへ流れ始めた。

 アレクはマティアスの連絡役へ手を上げた。

「射撃を止めます。中央へ出てください」

 連絡役が走った。

「一班、火縄上げ! 後退! 全班、射撃待機!」

 指揮役たちが命令を繰り返す。

 射手の前から、味方の盾が進み出た。

 ◇ ◇ ◇

「前へ!」

 マティアスの四百人が動いた。

 走らせなかった。

 盾を揃え、槍を前へ向け、火槍隊が崩した敵中央へ進む。倒れた敵を避けるために列が曲がれば、隊長が隣へ声をかけて間を詰めた。

 敵の中央には、まだ戦おうとする兵がいた。

 一人が槍を突き出し、味方の盾へ当てる。

 だが、その隣の盾は後ろへ向いていた。支えてくれるはずの兵がいない。男はもう一度槍を引こうとして、前へ出た味方の槍に押し返された。

 マティアスは列の後ろを進んだ。

「中央を押さえる。左右へ散るな」

 敵の北側の隊長が、それを見た。

 自分たちは黒獅子の歩兵と戦っている。しかし、南側の中央が後退し、その空いた場所へ敵の盾が入ってくる。

 このまま正面へ押せば、自分の隊の脇を取られる。

「下がれ! 列を保て!」

 隊長が命じた。

 兵はすぐには離れられなかった。

 槍が届く距離で背を向ければ、そのまま突かれる。盾を向けたまま下がり、負傷した仲間を引き、隣の兵の足を踏まないようにする。

 それでも、中央を失ったまま留まることはできなかった。

 南側の攻撃隊も同じだった。

 中央へ寄せた兵が火槍に崩され、残った兵は味方の後退を見ることになった。前へ進むために広げた列を、今度は退くために縮めなければならない。

 マティアスの歩兵は、その動きへ槍を向けた。

 敵が下がった分だけ進み、戻ってこられない場所を押さえていく。

 中央攻撃の千二百人は、倒れた者だけでなく、まだ武器を持つ者も後ろへ動き始めた。

 火槍隊の射手たちは、歩兵の背を見ていた。

 自分たちが撃った場所へ、味方が入っていく。

 ギルベルトは振り返った兵へ声をかけた。

「手を止めるな。次に備える」

 兵は頷き、装填棒を銃口へ戻した。

 アレクも、敵の退く方を見ていた。

 中央を破った。

 火槍隊が一つの場所に留まり、班を交代させながら撃ち続けたことで、敵は穴を埋める兵まで正面へ集めざるを得なくなった。

 その兵を、次の射撃で崩した。

 左右へ広げた攻撃も、中央の支えを失えば続けられない。

 マティアスがこちらを振り返り、一度頷いた。

 アレクは頷き返した。

 ◇ ◇ ◇

 敵が下がると、負傷者を運ぶ声が大きくなった。

 ヴィクトルの隊からは、二人の戦死と六人の負傷離脱が報告された。エイドリアンの隊でも一人が戦列を離れている。

 中央では、歩兵三人が命を落とし、十二人が負傷して下がった。

 火槍隊は二人が負傷した。腕を射られた一班の兵と、肩を射られた三班の兵だった。どちらも射撃を終えてから下がっている。

「一班、百十四。二班、百十四。三班、百十三です」

 ギルベルトが報告した。

 三百四十一人。

 アレクは人数を確かめ、負傷した二人の銃を別に運ばせた。

 帰還兵を追う敵へ撃った百十五発と、中央攻撃へ向けた四巡の計四百五十七発。合わせて五百七十二発を使っている。

 使用済みの一発筒は兵ごとに収められ、後で回収して補充するために分けられていた。まだ戦いが終わったわけではない。アレクは残る分を指揮役に確かめさせ、火縄と装填の状態も報告させた。

 二班と三班は再装填を終えていた。

 最後に撃った一班の百十四人も、まもなく揃うという。

 マティアスは中央の歩兵を立て直していた。

 千二百人だった兵は、戦える者が千百八十五人になっている。前へ出した隊も、負傷者を下げた分だけ人数を確かめ直した。

 主軍全体では、三千八百人から二十六人が戦死または負傷離脱し、三千七百七十四人となっていた。帰還兵はその数へ加えず、各家のもとへ送っている。

 レオンハルトは、報告を馬上で聞いた。

 その三百騎は、まだ突撃していなかった。歩兵の後ろで間隔を保ち、敵の退いた先を見ている。

「よく崩した」

 レオンハルトがアレクへ言った。

「敵は、左右から筒を押さえるつもりだったな」

「はい。ですが、中央が崩れれば、横の隊もそのままでは進めません」

「こちらが分かれれば、向こうの望む形になっていたか」

「火槍隊の数を、一か所で使いたかったのです」

 レオンハルトは、並び直す射手を見た。

 何人もの兵が肩で息をしていた。白煙と火薬で顔を汚し、袖で目元を拭う者もいる。それでも、長い鉄筒は再び揃いつつあった。

「その火を、次にも使う」

 レオンハルトが言った。

 アレクは顔を上げた。

 南から、カスパルの伝令が来ていた。

 騎手はレオンハルトの前で馬を止め、敵中央の南側を指した。

「敵が後ろへ兵を寄せています。ですが、帰還を求める隊が動かず、中央との間に隙間ができています」

「通れるか」

「確かめております。東へ回りすぎなければ、溝へは入りません。帰還する兵の道とも、分けられる見込みです」

 レオンハルトはその場所を見た。

 敵の中央は下がった。

 だが、本陣の旗は立っており、その北東にはまだまとまった兵がいる。立て直す時間を与えれば、再び兵を揃えてくるだろう。

 南側では、主君の旗へ向かう兵が続いていた。

 百二十人を預けた家から戻った兵は、後方で百十六人まで確認されたと報告が来ている。残る者の所在はまだ分からない。

 ほかの家でも、帰還へ向けて列が動き始めていた。

 敵陣の旗は、同じ場所に立ちながら、もう同じ方向へ兵を動かしてはいなかった。

「カスパルへ伝えろ」

 レオンハルトが命じた。

「通った後の道まで見ろ。入口だけ開いていても、先で詰まっては使えん」

「はっ」

「敵が待っている場所も確かめろ。見えた隙間へ、そのまま馬を入れるつもりはない」

 伝令が走り去った。

 レオンハルトは三百騎へ振り返った。

「百騎ずつ、三隊へ分かれろ。歩兵の後ろを空けたまま並べ」

 命令が伝わった。

 旗手が馬を進め、黒地に金の獅子の旗が揺れる。騎兵たちは槍を持ち直し、隣の馬との間を確かめながら列を変えた。

 アレクのもとへ、一班の指揮役が来た。

「百十四人、装填完了です」

「そのまま待機してください」

 アレクは答えた。

 三百四十一挺が、再び撃てる。

 その前にはマティアスの歩兵が立ち、南では五家の兵が戻る道をヴィクトルとエイドリアンが守っている。カスパルは敵の側面を探り、レオンハルトの騎兵が動く時を待っていた。

 火槍隊が開けた正面の向こうで、敵の旗が集まり直していた。

 レオンハルトは、その奥を見据えた。

「今度は、こちらから崩す」

 アレクは頷いた。

 敵の攻撃を止めるために並べた鉄筒を、次は勝ち切るために使う時が来ていた。

第二十二話を読んでいただき、ありがとうございました。

帰る場所を示す旗と、そこへ至る道を守る兵。そして、まとまった火力で敵中央を崩したアレクの火槍隊。それぞれの働きが、戦局を動かしました。

敵が立て直しを図る中、今度は黒獅子が攻める番です。


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