第十七話 友のもとへ
グレンツベルクからの知らせを受け、レオンハルトたちは夜の陣を発つ。
救援へ急ぐ一行と、城を守るルーカス。それぞれが目の前の敵と向き合う。
夜の陣へ、馬の足音が近づいてきた。
見張りの声が上がる。
アレクは天幕の中で顔を上げた。外へ出ると、灯りを持った兵が陣の入口へ走っていた。
馬が二頭、止まっている。
一頭に乗っていた男は、自分で下りようとして膝を折った。近くの兵が腕を支える。
「グレンツベルクから……」
男は懐へ手を入れた。
「ルーカス様の使いだ。殿下へ、お取り次ぎを」
アレクは足を速めた。
見覚えのある顔だった。
六十人を迎えに行った時、城の門で言葉を交わしている。
「書状をお持ちですか」
「ここに」
差し出された封は、汗で湿っていた。
アレクは受け取らず、男を支えている兵へ向いた。
「殿下のところへ。歩けなければ、椅子を運んでください」
「歩けます」
男が言った。
だが、一歩目で足がもつれた。
アレクは反対側の腕を取った。
「急ぎましょう。私につかまってください」
◇ ◇ ◇
レオンハルトは、書状を読み終えると机へ置いた。
「いつ出た」
「今朝です。北から兵が入ったと知らせがあり、その後すぐに」
「ルーカスは」
「北の村の者を避難させると。ご自身も兵を率いて、坂へ向かわれるところでした」
マティアスが地図を広げた。
使者は、水を一口飲んでから続けた。
「私は川沿いを通りました。ですが、先で馬の声がして……案内の者に従い、上の道へ入りました」
「敵を見たのか」
レオンハルトが尋ねる。
「林の間から、槍を持った騎馬を見ました。旗までは分かりません」
「何騎だ」
「見えたのは四騎です。ほかにもいたかは」
「よい」
レオンハルトは使者の泥の付いた靴を見た。
「それで、ここまで回ってきたか」
「途中で馬を引かなければならず、遅くなりました」
「知らせは届いた。休め」
使者が顔を上げた。
「殿下、どうか」
「行く」
レオンハルトは短く答えた。
「ルーカスのもとへ行く。案内の者にも、そう伝えておけ」
使者は頭を下げようとした。
レオンハルトが手で止める。
「倒れる前に座れ」
兵が椅子を寄せた。
マティアスは、使者が通った道を地図へ記させていた。
いつもなら、アレクへも何か尋ねるところだった。
今は、紙から目を離さない。
「北から入った兵と、川沿いの騎馬が同じ隊かは分かりません」
マティアスが言った。
「だが、昼間の連中は、俺たちをここへ置いておきたかった」
レオンハルトはリートベルクの東へ指を置いた。
「こいつらを追っていれば、もっと遅れた」
ユリウスが天幕へ入った。
後ろから、隊長たちも続く。
「西へ出した斥候は」
「まだ戻っておりません」
「戻り次第、後を追わせろ。俺はグレンツベルクへ向かう」
ユリウスが頷いた。
レオンハルトは地図から顔を上げた。
「ただし、ここを空にはせん」
◇ ◇ ◇
エドガーも呼ばれた。
上着を羽織りながら入ってきた伯爵は、ルーカスの領地が攻められたと聞くと、机へ近づいた。
「救援へ向かわれるのですね」
「ああ。城と村の守りは残す」
レオンハルトが答えた。
「東の敵が動けば、城から知らせろ。追い払っても、林の中へ追うな」
「承知しました」
マティアスが隊長たちへ配置を伝える。
三百人の火槍隊のうち、百人はリートベルクへ残す。
城と村へ続く道の守りに歩兵も付け、エドガーの兵と交代で見張らせる。
残る二百人は救援へ向かう。
アレクの直属隊も同行するが、負傷して歩けない者は置いていくことになった。
直属隊の九十五人を加え、救援へ向かう火槍兵は二百九十五人。これに歩兵千五百人と騎兵四百騎を付け、二千二百人近くを動かす。リートベルクには火槍兵百人のほか、歩兵千九十人と騎兵二百騎が残り、エドガーの守備兵とともに道と村を守る。
「傷のある者を、数に入れるためだけに連れ出すな」
マティアスがアレクへ言った。
「はい。ギルベルトに確かめさせます」
「荷車も分ける。すぐに使う弾薬と手当ての道具を先へ。余分な荷は残せ」
ロベルトが頷いた。
「こちらで見ます。兵が勝手に荷を取りに戻らぬよう、先にまとめさせます」
エイドリアンには、出発する兵と残る兵を分け、道を塞がせない役目が任された。
ヴィクトルは歩兵の隊長を呼びに出る。
カスパルは先行する騎馬と、街道の状況を確かめていた。
アレクが天幕を出ようとした時、エドガーが言った。
「こちらのことは、お任せください」
レオンハルトが振り返る。
「救っていただいた城です。今度は、私が持たせます」
「救ったのは、お前の城だけではない。村もだ」
「分かっております」
エドガーは地図の二つの道へ手を置いた。
「どちらへ敵が出ても、知らせを切らしません」
レオンハルトは頷いた。
「頼む」
アレクは外へ出た。
陣のあちこちで、眠っていた兵が起こされている。
火を囲んでいた者が立ち、馬の腹帯を締め直す。
マティアスが後ろから出てきた。
すでに外套を留め、手袋を着けていた。
「アレク」
「はい」
「出られる者から、道へ並べてくれ」
「承知しました」
マティアスは一度、西へ目を向けた。
「ルーカス殿には、まだ返していない借りがある」
アレクは、その横顔を見た。
マティアスはそれ以上言わず、自分の馬へ向かった。
◇ ◇ ◇
先行する騎馬が出た後、歩兵も陣を離れた。
夜道では列が伸びやすい。
前の兵だけを急がせれば、曲がり角を二つ越えた先で後ろが見えなくなる。
隊長たちは声を掛け、列の間を確かめながら進ませていた。
アレクも馬を歩かせた。
隣では、ギルベルトが兵の足元を見ている。
「歩けると言った者でも、遅れるようなら知らせてください」
「分かっております」
「無理をして、途中で動けなくなる方が困ります」
ギルベルトは頷いた。
兵は黙って歩いていた。
火槍を担ぐ位置を変える者がいる。
肩紐を引き直す者がいる。
アレクは前を見た。
馬だけなら、もっと先へ行ける。
だが、道の先にどれだけの敵がいるかは分からない。火槍隊を置き去りにして進めば、レオンハルトたちは騎馬だけで戦うことになる。
先を急ぎたい気持ちは、誰も同じだった。
それでも、連れていく兵を置いていくわけにはいかなかった。
空が白み始めた頃、前から騎馬が戻ってきた。
兵が道を空ける。
「先の切り通しに、敵がおります」
報告を受けたレオンハルトが馬を止めた。
「どのように置いている」
「道へ木を倒し、その後ろに槍兵を。両脇の上にも、弓兵が見えました」
「道の盾兵と槍兵が百二十ほど。上の弓兵は、左右合わせて八十ほどです」
「抜ける道は」
「北側に細い道があります。ただ、馬を並べて通れる幅ではありません」
レオンハルトはカスパルを見た。
「見てこい。回れるなら回れ。だが、奥で待たれているようなら戻れ」
「承知しました」
カスパルが騎馬を連れて道を外れた。
連れたのは四十騎だった。細道へ入る前に馬を預け、人だけで回り込めるかを確かめる。
レオンハルトは、続いて到着する歩兵へ目を向けた。
「ここで止めるつもりか」
声は低かった。
「なら、早く退いてもらう」
◇ ◇ ◇
切り通しへ近づくと、倒された木が見えた。
太い幹を斜めに渡し、枝を道の手前へ向けている。
その後ろへ盾が並んでいた。
上の斜面に、弓を持った兵がいる。
道を急いできた騎馬へ矢を浴びせ、木の前で止まったところを槍で受けるつもりなのだろう。
レオンハルトは射程の外で馬を止めた。
「ヴィクトル。盾を前へ」
ヴィクトルは百二十人を前へ出し、狭い道に入れる者から盾を重ねさせた。
「はい」
「アレクは、その後ろから上を押さえろ。道の兵を撃つ時は、味方を下げさせる」
「承知しました」
アレクは、火槍隊の隊長を呼んだ。
先に着いた百人隊を、左右五十人ずつへ分ける。後続の百人隊は道の後ろへ置き、直属の九十五人はさらに後ろで待機させた。左右が上の弓兵を抑え、その間に後続が道へ出る。
走ってきたまま撃たせるのではない。
息を整え、火縄を確かめ、隊長の合図を待たせる。
弾薬箱を開く許可を受けた兵が、一発筒を取り出して装填する。左右五十人ずつの前で、赤い布が上がった。
ヴィクトルが盾兵の隣へ立った。
「前へ進む。止まれと言うまで、列を崩すな」
盾が上がる。
兵が進んだ。
敵の弓兵が立ち上がった。
矢が降ってくる。
盾へ当たる音に混じり、短い悲鳴がした。
ヴィクトルは振り返らなかった。
「負傷者は後ろへ。空いた所を詰めろ!」
盾の列が止まる。
アレクは右の斜面を見た。
敵の弓兵が次の矢を取ろうとしている。
「右上。見えている者を」
隊長が命じた。
火槍の銃口が上がる。
『火蓋開け! 構え! 撃て!』の号令に合わせ、右の赤い布が下りた。
発射音が、切り通しの間で響いた。
斜面の土が跳ねた。
弓兵の一人が膝を折り、別の兵が後ろへ倒れる。
残った者が身を伏せた。
左から、また矢が来た。
アレクはそちらへ向いた。
左でも五十人が火蓋を開き、構えていた。隊長が『撃て』と命じ、赤い布を振り下ろした。
白煙が上がる。
斜面にいた敵が木の陰へ下がった。
「盾兵を止めてください」
アレクは伝令へ言った。
「道の奥を撃ちます」
伝令がヴィクトルのもとへ走る。
ヴィクトルは前を確かめ、盾兵を道の片側へ寄せた。
その間を、まだ撃っていない後続の百人隊が進んだ。
倒木の向こうで敵の盾が重なる。
銃口が並ぶのを見て、後ろの兵が身を屈めた。
火蓋を開いた百挺が構えられ、掲げられた赤い布が『撃て』の号令とともに下りた。
盾の縁が割れた。
敵兵が倒れ、後ろの者が支えきれずに下がる。
それでも、列は残った。
倒木がある。
敵も、その後ろにいれば騎馬がすぐには来られないと分かっていた。
アレクは、再装填を終えた最初の百人隊を前へ呼んだ。
その時、北の斜面の奥で声が上がった。
敵の兵が、そちらを振り返る。
木の間から槍先が見えた。
カスパルの兵だった。
馬を下り、細い道を回ってきた者たちが、敵の弓兵へ迫っている。
敵の隊長が何か叫んだ。
倒木の後ろから、兵が数人抜ける。
そちらを支えに行こうとしていた。
レオンハルトが剣を抜いた。
「ヴィクトル、押せ!」
盾兵が進む。
倒木の手前で止まり、枝の間から槍を突き出した。
敵が押し返そうとする。
その横へ、斧を持った兵が入った。
細い枝が落ちる。
ロベルトが後ろの兵へ声を飛ばした。
「縄を掛けろ! 幹を全部動かすな、端を振れ!」
兵が縄を引いた。
倒木の端が、土を削って動く。
道の片側に隙間ができた。
敵の槍兵が、そこへ向き直ろうとした。
「下がれ!」
ヴィクトルが味方へ叫んだ。
盾兵が隙間を空ける。
黒い馬が、その間へ飛び込んだ。
レオンハルトの剣が、敵の槍を払った。
馬の肩が盾へぶつかる。
敵兵がよろめき、後ろの者を巻き込んだ。
続いた騎馬が隙間を広げる。
レオンハルトは馬を止めず、隊長らしい男へ向かった。
男が剣を抜く。
振り上げるより先に、レオンハルトの刃がその腕を打った。
剣が落ちた。
馬を寄せられた男は、盾の列へ逃げ込もうとして足を取られた。
敵の声が変わった。
前へ出ろという声より、退けという声が増える。
斜面の上でも、弓兵が奥へ逃げ始めていた。
「追うな! 道を開けろ!」
レオンハルトの声が響いた。
アレクは、銃口を下げさせた。
煙の向こうを、味方の騎馬が横切る。
後ろから到着したエイドリアンが、退く敵と街道の間へ兵を置いた。
敵は道を離れ、畑の方へ逃げていった。
レオンハルトは追わなかった。
「通せるか」
倒木の前へ戻り、尋ねる。
ロベルトが縄を引く兵を見た。
「もう少し広げます。馬も荷車も、通せます」
「急げ」
アレクは隊長たちを呼んだ。
「弾薬を確かめてください。撃った後、まだ装填を終えていない隊は、済ませてから進みます」
ギルベルトが兵へ伝える。
ヴィクトルは盾兵の列を見ていた。
腕を押さえて座っている者がいる。
動かない兵の前へ、仲間が膝をついていた。
ヴィクトルは一度、目を伏せた。
「負傷者を荷車へ。歩ける者は、道の端へ寄れ」
アレクも、その兵を見た。
道は開いた。
何も失わずに開いたわけではなかった。
盾兵二人が死に、六人が歩き続けられない傷を負っていた。火槍隊が使ったのは二百発。道を塞がれてから、すでに半時間ほどが過ぎていた。
倒木の端が、さらに動いた。
ロベルトが手を上げる。
「通れます!」
レオンハルトが馬を向けた。
「進むぞ」
◇ ◇ ◇
グレンツベルクの城へ、白い布を掲げた騎馬が近づいてきた。
朝の光が、兜へ当たっている。
ルーカスは城壁の上から見下ろした。
「そこで止まれ」
弓兵は構えたまま、弦を引かずに待っていた。
騎馬の男が手を上げる。
「フェルゼン伯爵に従う諸侯の意を伝える!」
「聞こう」
「レオンハルト殿下への援助をやめ、城と橋を明け渡せ。兵は武器を置き、門を開け。従うならば、これ以上の抵抗は問わぬ」
ルーカスは隣の指揮官を見た。
指揮官は黙っている。
「領民はどうなる」
ルーカスが尋ねた。
「命令に従う者へ、無用な危害は加えぬ」
「では、先に城から出す。女と子供、老人を西へ通せ」
「開門が先だ」
「兵は出さぬ。避難する者だけだ」
「兵が混じっていないと、どう確かめる」
「そちらの立ち会いを認める」
使者は顔を上げた。
すぐには答えなかった。
「条件を付けられる立場だと思うな」
ルーカスの指が、石の縁へ掛かった。
城の中には、昨日から逃げ込んできた者がいる。
北の坂で、荷を捨てさせた者もいる。
家を離れれば守ってもらえると思い、ここまで歩いてきた。
門を開けてから、その者たちを取り戻すことはできない。
「安全に通す約束はできぬということか」
「門を開ければ、話はできる」
「今、している」
使者の顔が険しくなった。
「返事を求めている」
ルーカスは城下を見た。
騎馬の後ろに、槍兵が待っている。
そのさらに奥では、長い梯子を運んでいた。
「武器は捨てない」
ルーカスが答えた。
「領民を守る条件も聞かず、城を渡すことはできない」
「後悔するぞ」
使者が馬を返した。
ルーカスは、その背中が味方の列へ入るまで見ていた。
隣で指揮官が息を吐いた。
「始まります」
「ああ」
ルーカスは城内へ向いた。
「門の前を空けろ。水を上へ運ばせる。矢は、近づいた者へ使え」
兵が走り出した。
◇ ◇ ◇
最初に矢が飛んできた。
城壁の石へ当たり、弾かれた矢が足元へ落ちる。
ルーカスは身を低くした。
「まだだ。盾の陰へ」
敵の歩兵が進んでくる。
城へ寄せてきたのは四百人ほどだった。後ろには、まだ攻めていない兵が残っている。
大きな盾の後ろへ兵が付き、その間を梯子が運ばれていた。
城門の方には、丸太を抱えた一団がいる。
立派な攻城具ではない。
太い木を切り、枝を払ったものだった。
それでも、何度も打ちつけられれば門は傷む。
「門の上、用意しろ!」
指揮官が叫んだ。
城の弓兵が立つ。
矢が放たれた。
敵の盾へ刺さる。
盾から腕を出していた男が倒れ、丸太の前が下がった。
後ろの兵が代わって持つ。
進みは止まらなかった。
ルーカスは右へ目を向けた。
梯子が上がってくる。
「右だ!」
近くの兵を連れて走った。
梯子の先が石へ掛かった。
下から、兜が見える。
味方の兵が長い棒を差し出した。
押そうとするが、梯子は動かない。
敵が下で支えていた。
「登ってくる者を止めろ!」
ルーカスは盾を前へ出した。
敵の剣が、その縁を叩いた。
梯子の上の男が、片手を石へ掛ける。
ルーカスは剣を突き出した。
男が身を引く。
足を踏み外し、後ろの兵へぶつかった。
梯子が大きく揺れた。
「今だ!」
棒が押し込まれる。
二人の兵が肩を並べて力を掛けた。
梯子の先が、石から離れた。
下で声が上がる。
倒れる音を聞く前に、城門へ重い衝撃が響いた。
一度。
続けて、もう一度。
ルーカスは振り返った。
門の上の兵が、石を落としている。
丸太を持つ者の盾が傾いた。
だが、敵の弓兵も城壁へ矢を送り続けていた。
味方の一人が胸を押さえ、後ろへ倒れた。
「運べ!」
指揮官が兵を呼ぶ。
倒れた者を引きずり、階段へ下げた。
空いた場所へ別の兵が入る。
ルーカスは門の上へ戻った。
「丸太の前を狙え。持つ者が減れば、下がる」
弓兵が頷いた。
身を起こし、弦を引く。
矢が飛んだ。
丸太の脇の男が倒れた。
後ろへ下がろうとした者と、前へ進もうとした者がぶつかる。
丸太が地面へ落ちた。
「続けろ!」
石が落ちる。
敵の一団が、盾を頭の上へ掲げたまま退き始めた。
左の梯子も離れた。
城壁へ近づいていた敵が、少しずつ外へ戻っていく。
味方の兵が声を上げた。
「退いたぞ!」
ルーカスは城下を見続けた。
敵は逃げているのではない。
矢の届きにくい場所まで下がり、そこで止まっていた。
「矢を止めろ」
ルーカスが言った。
「追って撃つな」
弓兵が腕を下ろした。
息を切らした兵が、石へ背を預ける。
指揮官が隣へ来た。
「門は持ちました」
「傷は」
「下の板が割れています。内側から当て木をします」
「頼む」
ルーカスは城壁を見渡した。
立っていた場所に、戻ってこない兵がいた。
石の上へ血が流れている。
拾える矢を集めていた兵が、折れたものを脇へ置いた。
その数も少なくなかった。
百四十人いた守り手のうち、十二人が死に、二十八人が城壁へ戻れない傷を負っていた。残る百人で、次も受けなければならなかった。
「次が来る前に、休ませろ。交代で水を飲ませる」
「領主様も」
指揮官が言った。
ルーカスは自分の腕を見た。
昨日から腫れていたところへ、また盾の衝撃が入っていた。
指を開こうとすると痛む。
「少しだけだ」
剣を鞘へ戻し、階段へ向かった。
◇ ◇ ◇
城内の広間には、横になった兵が並んでいた。
布を裂く音がする。
湯を運ぶ者と、水を運ぶ者が行き交っていた。
ルーカスの妻は、空いていた机を壁へ寄せさせていた。
「ここへ寝かせてください。通り道は空けて」
担がれてきた兵が下ろされる。
妻は顔を覗き込み、手当てをする者を呼んだ。
ルーカスへ気づいたのは、その後だった。
「腕を」
「打っただけだ」
「では、確かめてもらってください」
椅子が引かれた。
ルーカスは座った。
袖を緩めると、腕が赤く腫れていた。
手当てをする男が指を動かさせる。
「握れますか」
ルーカスは拳を作った。
「痛みはありますね」
「使える」
「休ませた方がよいのですが」
「今は難しい」
男は何も言わず、濡らした布を取った。
フェリックスが、畳んだ布を抱えて入ってきた。
家宰に何か言われ、棚へ置く。
父を見つけると、今度は近づいてきた。
「父上」
「どうした」
少年は、腫れた腕を見た。
昨日と同じことを尋ねかけて、口を閉じた。
ルーカスは空いている手を膝へ置いた。
「こちらへ」
フェリックスがそばへ来る。
広間の奥で、兵がうめいた。
少年の肩が小さく動いた。
「殿下は、来てくださいますか」
ルーカスは息子を見た。
答えを待っている。
来ると言えば、次にいつかと尋ねたいのだろう。
「知らせが届けば、必ず動いてくださる」
「もう、届いていますか」
「ここからでは、分からない」
フェリックスが目を伏せた。
ルーカスは続けた。
「だから、何人も出した。一人が止められても、別の者が届けられるように」
「はい」
「私たちは、それまで城を守る」
少年が頷いた。
ルーカスは、その手を見た。
布を運んでいた指が、固く握られていた。
「怖ければ、母上か家宰のそばにいなさい」
フェリックスが顔を上げた。
「でも、運ぶものが」
「一人で行かなければよい。頼まれたことも、できなければそう言いなさい」
少年は父を見つめた。
やがて、小さく頷いた。
妻がフェリックスの背へ手を添えた。
「一緒に、水を取りに行きましょう」
「はい」
二人が広間の奥へ向かう。
ルーカスは、その姿を見送った。
手当ての男が布を巻き終えた。
「強く握り続けないように」
ルーカスは立った。
言われたとおり、一度、指を開く。
それから剣帯を直した。
◇ ◇ ◇
切り通しを抜けた後も、救援軍は進み続けた。
水を飲ませる時も、道を空けて順に休ませる。
後ろの隊が追いつけば、前の隊がまた歩き始めた。
アレクは馬の上で、火槍隊の列を見た。
先ほど射撃した隊がいる。
まだ撃っていない隊が、その後ろを歩いている。
隊長が声を掛けるたびに、兵が顔を上げた。
前から騎馬が戻ってきた。
カスパルだった。
馬の首に汗が浮いている。
「丘の上から、煙が見えます」
レオンハルトが顔を上げた。
「どちらだ」
「グレンツベルクの方角です。ただ、町か村かまでは」
アレクは西を見た。
ここからは丘に遮られている。
レオンハルトはカスパルを連れ、道の脇の高い所へ馬を進めた。
マティアスとアレクも続いた。
丘を越えた先の空へ、細い煙が上がっていた。
一筋ではない。
風に流され、低く伸びている。
城は見えなかった。
あれが炊事の煙なのか。
道沿いの家なのか。
ここからでは確かめられない。
レオンハルトはしばらく黙って見ていた。
「先へ出ろ」
斥候へ命じる。
「何が燃えている。城は持っているか。見えるところまで行って戻れ」
「承知しました」
「途中の敵と戦うな。知らせを持ち帰れ」
騎馬が丘を下りた。
レオンハルトは馬首を返した。
下の街道を、兵が歩いている。
火槍を担いだ者も、盾を背負った者も、同じ道を進んでいた。
マティアスが隣へ来た。
「隊は続いております」
「ああ」
レオンハルトは、もう一度だけ煙を見た。
「ルーカス。持たせろ」
小さな声だった。
アレクには聞こえたが、返す言葉はなかった。
レオンハルトが丘を下りる。
マティアスも続いた。
アレクは火槍隊の隊長へ近づいた。
「前との間を空けないでください。ただし、走らせずに」
「承知しました」
兵が肩へ担いだ火槍を直した。
列が進む。
アレクも馬を進めた。
煙は、丘の陰へ見えなくなった。
第十七話を読んでいただき、ありがとうございました。
救援へ急ぐレオンハルトたちと、城を守るルーカス。それぞれの戦いの続きを、見届けていただけましたら幸いです。
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