第十六話 北から来る兵
六十人の護送を終えたアレクたちを、新たな敵の動きが待っていた。
リートベルクの正面と、グレンツベルクの北。離れた二つの場所で、事態が動き始める。
リートベルクの陣へ戻ると、火槍隊の隊長たちが待っていた。
アレクは馬を下り、カスパルとともにマティアスの天幕へ向かった。
六十人が全員、ライモントの領地へ入ったこと。
帰還路を塞いでいた兵を退かせたこと。
火槍は構えたが、撃たずに済んだこと。
順に報告すると、マティアスは頷いた。
「ライモント殿からも、使者が来ている」
「では、帰還の件は」
「聞いている。ただ、道で何があったかは、そちらからも確かめたかった」
カスパルが口を開いた。
「向こうは、命じても動かぬ兵を連れていました。全員が同じつもりで来ているわけではありません」
「その家は分かるか」
「盾の印は控えてあります」
「ユリウス殿へ渡しておいてくれ」
マティアスは机の脇へ置いた紙を取った。
「二人とも、休ませたいところだが、先に次の話をする」
アレクは姿勢を正した。
「敵が出てきた」
地図の北東へ、指が置かれる。
リートベルクから先へ続く道だった。
「前哨へ矢を射かけ、兵が出ると退く。昨日から、場所を変えて繰り返している」
「北東の宿営地には、合わせて三千ほどいると斥候が見ている。今出ている兵を退かせても、後ろの兵が消えるわけではない」
「こちらを誘っているのでしょうか」
「それもあるだろう。だが、放っておけば村へ入る」
マティアスはアレクへ紙を渡した。
火槍隊の配置が記されていた。
「本隊に残していた三百人も動かす。各隊長から、詳しい報告を受けろ」
「承知しました」
「兵を出す命令は、殿下と私から出す。そちらは隊長たちと、射撃の順と配置を合わせてくれ」
「一か所へ集めるのでしょうか」
「まだ決めていない。道を空ける隊と、前へ出す隊が要る。全部を一列へ並べればよいとは思うなよ」
「はい」
マティアスは頷いた。
「カスパルは、先発が戻り次第、話を聞いてくれ。帰還路で見た兵と同じ家がいるか、確かめたい」
「分かりました」
天幕を出ると、アレクは待っていた隊長たちを呼んだ。
ギルベルトも隣へ立つ。
それぞれの隊が持つ火槍と、弾薬の残り。
兵の疲れと、休ませている者。
報告は、隊ごとに受けた。
集まった数が増えても、アレク一人の声が全員へ届くわけではない。
隊長が聞き、自分の兵へ伝える。
伝わったことを確かめてから、動かす。
「私から合図が見えなくても、勝手に隣の隊へ合わせて撃たないでください」
アレクは言った。
「前に味方が入る場合があります。射撃を止める命令は、各隊でも徹底してください」
隊長の一人が頷いた。
「位置を変える際は」
「動く前に知らせてください。ギルベルトにも伝えていただければ、こちらへ回ります」
「承知しました」
アレクは地面へ棒で線を引いた。
道と、前方にある畑。
伝令が走る場所を、射撃する場所とは分ける。
隊長たちが、その線を囲んだ。
◇ ◇ ◇
翌朝、前哨から兵が戻ってきた。
肩へ矢を受け、別の兵に支えられている。
レオンハルトは手当てをする者へ場所を空け、同行していた兵を呼んだ。
「どこでやられた」
「北東の道です。林の手前から、弓兵が出てきました」
「追ったか」
「追っておりません。下がる途中で、槍兵も見えました」
「数は」
「木の間にもおりましたので、すべては」
「見えた分でよい」
「弓兵は左右で八十ほど。林に見えた槍兵は、百二十ほどです」
ユリウスが地図へ書き込んだ。
昨日、敵が出た場所とは違う。
少し南へ寄っている。
そこから進めば、リートベルクの村へ通じる。
「前を押さえる」
レオンハルトが言った。
「村へ入らせるな。だが、林の奥まで追うな」
隊長たちが動いた。
アレクも火槍隊へ戻った。
今日は、自分の隊だけを先頭へ置くのではない。
本隊に残っていた三百人のうち、百人を正面へ、百人を左の畑へ向けた。残る百人は城へ戻る道を守り、護送から戻った直属の九十五人は後ろへ控えさせる。
それぞれが、決められた位置へ向かった。
◇ ◇ ◇
敵の弓兵は、林の外へ出ていた。
こちらが近づくと矢を放ち、歩兵の列が進む前に下がる。
味方の盾へ矢が当たった。
地面に落ちた矢を、後ろの兵が踏み越える。
アレクは、少し高い場所から前を見た。
火槍隊の前列は、まだ止まっている。
盾兵が敵の矢を受け、道の脇を空けるのを待っていた。
「前の隊へ。右の端から見える場所を使ってください」
伝令が走る。
隊長が赤い布を掲げた。
兵が横へ広がり、銃口が並んだ。
敵の弓兵が、こちらへ弓を引いた。
『火蓋開け、構え』の声に続き、『撃て』の号令とともに赤い布が振り下ろされた。
白煙が吹き出す。
弓兵の一人が倒れ、隣の者が身を屈めた。
敵が林の方へ退く。
味方の槍兵が進もうとしたが、隊長の声で止まった。
「追うな!」
アレクは左を見た。
別の敵兵が、畑の低い所から出てきていた。
最初の弓兵へ目を向けている間に、横へ寄ろうとしている。
「左の隊へ知らせてください」
隣の伝令へ命じる。
すでに、そちらの隊長も気づいていた。
こちらの合図を確かめ、兵を向け直す。
そちらでも赤い布が上がり、号令とともに下りた。
発射音が重なった。
畑へ出た敵が止まる。
前へ伏せた者を、後ろの兵が引いて戻った。
その間に、最初の隊が装填を進める。
すべての隊が同じ相手へ撃っているわけではない。
片方が敵を止め、その間に別の隊が次へ備える。
アレクは、煙の向こうを見続けた。
敵の槍兵は、出てこなかった。
林の縁で穂先が動く。
やがて、その列も後ろへ下がり始めた。
追えば届きそうな距離だった。
だが、そこから先は木が重なり、人の姿が見えなくなる。
レオンハルトが馬を進めた。
「止めておけ」
近くの隊長へ言う。
「林へ入るな」
アレクは、前へ出ている隊へ射撃を止めるよう伝えた。
白煙が薄くなる。
敵がいた場所には、倒れた者と、捨てられた弓が残っていた。
勝ったと言うには、敵の退き方が整いすぎていた。
発射したのは二百挺が一度ずつ、計二百発だった。火槍隊に新たな負傷者はいなかったが、前哨の兵も含め、歩兵四人が戦列を離れる傷を負っていた。
◇ ◇ ◇
昼を過ぎると、別の道で敵が見つかった。
今度は騎馬が混じっている。
村の手前まで来たが、こちらの見張りが増えたと知ると、離れた丘へ戻った。
レオンハルトは二つの報告を並べた。
「こちらを崩すつもりなら、もう少し兵を合わせてくる」
マティアスが頷いた。
「出る場所は変えていますが、一度に押してはきません」
「負けたくはない。だが、勝つために出ているとも思えん」
レオンハルトは地図を見た。
リートベルクから兵を抜けば、敵は村へ入れる。
全軍で押せば、林や丘へ退く。
こちらが動くたびに、向こうも場所を変えていた。
「俺たちを、ここへ置いておきたいのか」
ユリウスが顔を上げた。
「ほかで兵を動かしていると」
「分からん。だから確かめる」
レオンハルトは西へ続く道を指した。
「荷の道へも人を出せ。グレンツベルクだけではない。北から回る道も見る」
「承知しました」
「知らせが来ていないから、何もないとは思うな」
ユリウスが伝令を呼んだ。
マティアスはアレクへ向いた。
「火槍隊を、すべて前へ貼りつけることはしない。交代で休ませろ」
「はい」
「移動を命じることもある」
アレクは頷いた。
遠くで、また見張りの角笛が鳴った。
全員が、そちらへ顔を向けた。
◇ ◇ ◇
王宮の窓は、閉じられていた。
外は明るい。
それでも、国王は膝へ薄い布を掛けていた。
ライゼンが書状を読み上げる。
東部の混乱は、レオンハルトの軍が進出したことで広がっている。
まず救援軍を引かせ、その上で諸侯の間の話し合いを行わせてほしい。
国王は途中で手を上げた。
「城を攻めたのは、どちらが先だ」
ライゼンが書状から目を上げる。
「リートベルクの領主から届いた訴えでは、殿下の到着より前です」
「では、順序を変えて書いている」
国王は机へ手を伸ばした。
別の報告を取ろうとして、咳き込んだ。
一度では止まらなかった。
布を口へ当て、身体を折る。
ライゼンが近づいた。
「陛下」
国王は片手を上げた。
咳が収まるまで待ち、椅子へ身体を戻す。
呼吸が、少し荒かった。
「続きを」
「その前に、お休みください」
室内に控えていた侍医が言った。
「熱が続いております。昨夜も、十分にはお休みになれていません」
「今、寝れば、返事が遅れる」
「お返事は、ライゼン殿にお伝えいただけます」
国王は不満そうに侍医を見た。
だが、机の紙へ伸ばしかけた手を戻した。
「救援軍は引かせぬ」
ライゼンへ言う。
「退去を命じた兵を、先に退かせよ。釈明は、その後でもできる」
「そのように」
「レオンハルトにも伝えろ。救った領地を、戻った兵に荒らさせるな」
ライゼンが頷いた。
国王は目を閉じた。
少し休めば、また読める。
そう言うつもりだったが、息を整える方が先になった。
侍医が、寝所の支度をするよう側仕えへ合図した。
◇ ◇ ◇
グレンツベルクの北の見張りが異変を知ったのは、朝の交代が終わった後だった。
道の向こうに、騎馬が見えた。
一騎ではない。
その後ろから、槍兵が続いている。
見張りの兵は、すぐには近づかなかった。
丘の脇から数え、旗を確かめる。
以前、六十人を追ってきた者たちより多かった。
しかも、道の途中で止まらない。
先頭の騎馬が分かれ、一方は集落へ続く道へ向かった。
「知らせろ」
見張りの指揮官が言った。
「領主様へ。兵が入ってくる」
伝令が馬へ乗った。
残る兵は、道を少し下がった。
通行を求める使者は来なかった。
◇ ◇ ◇
ルーカスは、報告を聞くと地図を広げた。
指で示された道を見て、顔を上げる。
「北の村へ、人を出せ。城へ避難させる」
家宰が振り返った。
「荷も運ばせますか」
「持てるものだけだ。家の中を片づけてから出るなと伝えろ」
別の者を呼ぶ。
「殿下とマティアス伯爵へ知らせる。兵が領内へ入った。数は確認中。北の道を押さえようとしていると」
「同じ道で参りますか」
「分けろ。一人はリートベルクへ続く道を使う。もう一人は川沿いから出ろ」
ルーカスは剣帯を取った。
家宰が近づく。
「どちらへ」
「北の坂だ」
「兵を向かわせます」
「向かわせろ。私も行く」
ルーカスは窓の外を見た。
北の集落から城へ来る道は、坂の下で街道と交わる。
そこを先に押さえられれば、領民は道を外れて逃げなければならなくなる。
畑を歩ける者ばかりではない。
「城の兵は残せ。門を空にするな」
「動かせる百五十人のうち、六十人を坂へ。九十人は城へ残す」
「承知しました」
妻が広間へ入ってきた。
報告の声を聞いていたのだろう。
ルーカスの剣を見ても、尋ねなかった。
「こちらは、何をすればよいですか」
「避難してくる者を受け入れてくれ。水と、休ませる場所を」
「分かりました」
「フェリックスは、家宰のそばへ」
妻が頷いた。
ルーカスは一度、言葉を切った。
「西の道を確かめさせる。通れるなら、二人も先へ出てくれ」
妻の表情が動いた。
「あなたは」
「兵と領民を入れてからだ」
妻は何か言いかけた。
だが、外で馬を呼ぶ声がした。
「必ず、知らせてください」
「ああ」
ルーカスは外套を留め、広間を出た。
◇ ◇ ◇
坂の上へ着いた時、最初の領民が下りてきていた。
荷車を引く者がいる。
籠を背負った者もいる。
子供の手を引く女が、ルーカスを見て足を止めた。
「領主様」
「そのまま行け。城で受け入れる」
「家に、まだ」
「人は残っているか」
「いいえ。荷が」
「後だ」
ルーカスは道を示した。
「今は、城へ」
女が頷き、歩き出す。
兵の一人を付けた。
坂の下では、別の兵が街道を見ていた。
敵の騎馬が近づいている。
後ろには歩兵もいた。
見えるだけで二百人ほどいた。ルーカスは狭い坂へ六十人を詰め、敵が数を並べられない場所で受けるつもりだった。
「ここで止める」
ルーカスが言った。
坂道は広くない。
片側は石の出た斜面で、もう片側は浅い溝になっている。
横へ大きく広がることはできなかった。
「盾を前へ。槍は、その後ろだ」
兵が並ぶ。
「追うな。人が抜けるまで持たせる」
ルーカスは後方を見た。
まだ、荷車が来ている。
その後ろにも、人影があった。
敵の騎馬が坂の手前で止まった。
「道を開けろ!」
声が届いた。
ルーカスは剣を抜かなかった。
「ここは私の領地だ! 何の許しで入った!」
「抵抗しなければ、危害は加えぬ!」
「なら、そこで止まれ!」
敵は止まったままではいなかった。
騎馬が脇へ寄り、歩兵が前へ出る。
盾を持つ者が並んだ。
ルーカスは剣を抜いた。
「来るぞ」
坂の上から、車輪の軋む音がした。
◇ ◇ ◇
荷車が傾いていた。
片方の車輪が、道の端へ落ちかけている。
御者が手綱を引いたが、馬は進まなかった。
荷台には袋と箱が積まれ、その脇に老人が座っている。
「押せ!」
村の男が後ろへ回った。
別の者も手を掛ける。
だが、荷車は少し揺れただけだった。
坂の下から、盾のぶつかる音がした。
ルーカスの兵が、敵を受けていた。
槍が突き出される。
相手の盾へ当たり、穂先が滑った。
ルーカスは荷車を見た。
「荷は置け。人を先へ出せ!」
御者が顔を上げる。
「ですが、これを捨てれば」
「車をここへ置いたまま、人も残すつもりか!」
ルーカスは近くの兵を指した。
「老人を下ろせ。後ろの者も通せ」
兵が荷台へ手を伸ばす。
老人がしがみついていた箱を、御者が受け取った。
「それも置け」
ルーカスが言った。
御者の手が止まる。
やがて箱を地面へ下ろし、老人の身体を支えた。
袋を二つ、道の脇へ落とす。
軽くなった荷車を男たちが押した。
車輪が土を削り、道へ戻った。
「進め!」
御者が馬を引く。
荷車が動いた。
後ろに詰まっていた人々が、ようやく坂を下り始める。
ルーカスは兵の列へ戻った。
味方の盾が押されていた。
一人が後ろへ下がり、空いた場所へ敵の槍が入る。
ルーカスは盾の縁へ肩を当てた。
「詰めろ!」
隣の兵が寄る。
敵の槍が、二枚の盾の間で止まった。
味方の槍兵が突く。
相手が身を引き、列が少し離れた。
ルーカスの腕へ衝撃が残った。
剣を握った指を動かす。
坂の上から、見張りが叫んだ。
「最後の者が下ります!」
ルーカスは振り返った。
兵が一人、子供を背負っていた。
その後ろを、村の男が走ってくる。
「残っている者は!」
「見えた者は、全員です! 村の中も声を掛けました!」
ルーカスは頷いた。
「後ろから退け! 二つ目の曲がりまで行け!」
盾兵を一度に動かさなかった。
前を向いている者を残し、後ろの兵から下げる。
敵が押してくる。
盾で受ける。
槍を向けたまま、一歩ずつ下がった。
追おうとした敵兵の足が、溝へ落ちた。
隣の者が避け、列が乱れる。
ルーカスはその間に、前の盾兵も退かせた。
「今だ。下がれ!」
自分も後ろへ歩く。
最後に、坂の上へ目を向けた。
道の脇に捨てた袋が破れ、中身がこぼれていた。
敵の兵が、そこまで上がってきている。
だが、その向こうに領民の姿はなかった。
◇ ◇ ◇
城へ続く道には、避難してきた者が並んでいた。
ルーカスの妻は、門の内側で家宰と話していた。
水を配る場所と、怪我をした者を寝かせる場所を分ける。
家族を探している者には、名前を聞いて同じ所で待たせる。
誰も彼もが門前へ集まれば、後から来る荷車が入れなくなる。
「こちらを空けてください。荷車が通ります」
声を掛けると、人が脇へ寄った。
フェリックスは家宰のそばで、受け取った名を書いていた。
聞き取れず、顔を上げる。
「もう一度、お願いします」
女が名を繰り返した。
少年は一文字ずつ書いた。
「お子さんは、お二人ですね」
「そうです」
フェリックスが頷いた。
いつもより、筆が遅かった。
荷の数なら、間違えても隣の帳簿を確かめられる。
だが、目の前の女は、離れた家族が来たかどうかを知りたがっていた。
少年は家宰へ紙を見せた。
「この方は、まだです」
「では、こちらで待っていただこう」
家宰が女を案内した。
フェリックスは門の外へ目を向けた。
父は、まだ戻っていなかった。
◇ ◇ ◇
ルーカスが城へ着いたのは、北の集落から来た最後の荷車より後だった。
外套に土が付き、盾を持っていた腕が重い。
門へ入る前に、兵を振り返った。
「怪我をした者は、先に手当てを受けろ」
「領主様も」
「後で診せる」
言うと、指揮官が黙らなかった。
「後で、必ず」
ルーカスは頷いた。
中庭へ入る。
フェリックスが顔を上げた。
駆け寄ろうとして、家宰の隣で足を止める。
ルーカスは自分から近づいた。
「よく働いているな」
「父上は、怪我を」
「大きなものではない」
少年は外套の袖を見た。
裂けていた。
ルーカスはその視線に気づいた。
「あとで診てもらう」
妻が近づいてきた。
「西の道を見に行った者が、戻りました」
ルーカスの顔が変わった。
兵が一人、後ろに控えていた。
「どこまで行った」
「西の分かれ道までです。先に兵がおりました」
「どこの兵だ」
「旗は、北から来た者と違います。ただ、道へ人を置き、通る者を止めていました」
「こちらを見られたか」
「近づく前に戻りました」
ルーカスは黙った。
北の兵だけではない。
橋へ向かう道とは別に、西の道にも出ている。
自分たちを追ってきた先発隊が、そこまで回ったとは思えなかった。
妻子を乗せるための馬車は、中庭に用意されていた。
ルーカスはそれを見た。
「今は出せない」
妻が頷いた。
「別の道は」
「調べさせる。だが、確かめずに馬車を出すわけにはいかない」
「分かりました」
ルーカスは家宰へ向いた。
「二人は城の奥へ。必要なものは、運べるようにしておいてくれ」
「承知しました」
フェリックスが父を見た。
「皆さんも、ここにいるのですか」
「ああ。入れる者は入れる」
ルーカスは少年の肩へ手を置いた。
「お前も、今は中へ」
フェリックスは頷いた。
妻に手を添えられ、城内へ向かう。
ルーカスは、その背中が扉の向こうへ消えるまで見ていた。
◇ ◇ ◇
夕方までに、報告が続いた。
北から来た歩兵と、別の道へ回った騎兵を合わせ、敵は千五百ほどと見られていた。ルーカスの兵は坂で三人が死に、七人が戦列を離れた。城壁へ立たせられるのは、百四十人だった。
北の坂へ、敵の歩兵が増えている。
西の道では、荷を運んでいた者が戻されてきた。
橋の下流でも、騎馬を見た者がいる。
ただし、どこまで道が塞がれたかは、まだ分からない。
ルーカスは地図へ印を置いた。
橋へ兵を集めれば、北と西から町へ入られる。
道へ分ければ、どこも薄くなる。
手元の兵で、すべてを守ることはできなかった。
「橋の見張りは、合図を見たら戻せ」
ルーカスが言った。
指揮官が顔を上げる。
「橋を離れるのですか」
「そこで囲まれれば、城へ戻れなくなる」
ルーカスは町の北端を指した。
「外の見張りも、夜まで残すな。避難を知らせる役目を終えた者から、中へ入れる」
「敵が進みます」
「進ませぬために、兵を外へ置いたまま失うわけにはいかない」
指揮官は地図を見た。
やがて、頷いた。
「城の守りへ戻します」
「町に残る者へ、もう一度知らせろ。今なら入れる。荷のために残るなと」
家宰が走った。
ルーカスは、使者の記録を取った。
朝、二人を出した。
一人は街道。
もう一人は川沿い。
戻ってはいない。
抜けたのか。
止められたのか。
ここからは、分からなかった。
「もう一人、出す」
ルーカスが言った。
「今の配置も知らせたい。道は、案内できる者と相談して選べ」
兵が頭を下げた。
ルーカスは紙を引き寄せた。
北から兵が入り、西の道にも現れたこと。
領民を城へ入れていること。
橋と街道の守りを縮め、籠城に備えること。
書き終え、封をした。
◇ ◇ ◇
川沿いへ出た最初の使者は、その頃、グレンツベルクの外にいた。
馬を引き、細い道を登っている。
川岸の道をそのまま進めば早かった。
だが、前方で馬の声を聞き、林へ入った。
引き返したわけではない。
土地を知る案内役が、上へ抜ける道を示した。
日が傾いた時、ようやく別の街道へ出た。
使者は懐へ手を入れた。
書状はある。
馬へ乗り、リートベルクの方角へ進む。
後ろを振り返ると、遠くの丘に小さな人影が見えた。
追ってきているのかは分からない。
確かめるために、止まることはしなかった。
◇ ◇ ◇
城門の内側で、閂を確かめる音がした。
まだ、完全には閉めていない。
最後の見張りが戻るのを待っていた。
中庭には、人が増えていた。
泣く子供をあやす声。
水を求める声。
家族の名を呼ぶ声。
ルーカスは城壁へ上がった。
北の方に、火が見えた。
家が燃えているのではない。
敵の宿営の火だった。
一つだけではなかった。
町を見下ろす丘へ、少しずつ増えている。
指揮官が隣へ来た。
「北の見張りが戻りました」
「人は」
「連れてこられる者は、入れました」
ルーカスは頷いた。
「門を閉めろ」
命令が下へ伝わる。
重い扉が動いた。
その音を聞きながら、ルーカスはリートベルクへ続く道を見た。
暗くなれば、ここから道は見えない。
それでも、使者はその先へ向かっているはずだった。
「知らせは出した」
ルーカスは言った。
隣の指揮官が、こちらを向く。
「あとは、ここを持たせる」
城門の閂が、深く落とされた。
第十六話を読んでいただき、ありがとうございました。
領民を城へ迎え入れ、救援を求める使者を送り出したルーカス。東部の戦いは、新たな局面を迎えます。
続きもお読みいただけましたら幸いです。
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