第十五話 六十人の帰る道
ルーカスに保護された六十人を、主君のもとへ。
アレクとカスパルは護送を引き受けるが、帰還路には再び反対派の兵が立ちはだかる。
ルーカスからの書状が届いた時、レオンハルトはリートベルク周辺の道を確かめていた。
敵が退いたからといって、荷が自由に通れるようになったわけではない。
見張りを置き直し、近隣の領主と連絡を取り、逃げた兵が集まっている場所を調べる必要があった。
ユリウスが広げた地図の上へ、マティアスが書状を置いた。
「グレンツベルクへ、六十人が逃れてきたそうです」
レオンハルトが顔を上げた。
「先日、使者が来た家の兵か」
「はい。隊長のブルーノが、帰還命令を持っています。ルーカス殿はご当主へ確認の使者を出し、兵を領内で休ませています」
「追手は」
「引き渡しを求めましたが、断ったと」
レオンハルトは書状を読んだ。
負傷者の状態まで記されていた。
歩ける者。
肩を借りれば動ける者。
今は馬から下ろして寝かせている者。
最後に、帰路を確かめるまでは送り出せないとあった。
「受け入れた後まで、一人に背負わせるな」
レオンハルトが言った。
マティアスは頷いた。
「護送の兵を出します」
「本隊は、ここへ残す」
「そのつもりです。こちらが引けば、エドガー殿の周囲へまた兵を入れられます」
レオンハルトは地図へ手を置いた。
グレンツベルクから六十人の故郷へ向かうには、敵の集結地へ近い道を避ける必要がある。
遠回りでも、通行を認める領主の土地をつないで進む。
「アレクとカスパルを出せ」
「アレクには、動ける火槍隊を率いさせます。負傷者は、こちらに残します」
「ああ。数を揃えるために、寝ている者を起こすな」
マティアスは書状を畳んだ。
「途中の道と、迎えの兵を確かめてから出発させます」
「ご当主にも伝えろ」
レオンハルトが言った。
「兵を帰せと命じたなら、帰ってくる場所を用意して待てと」
◇ ◇ ◇
ブルーノは、使者が戻ったと聞いて立ち上がった。
脚の傷は浅かったが、歩き始める時に痛んだ。
それでも、寝ている兵よりは動ける。
休息に使っている建物を出ると、見慣れた家臣が馬から下りていた。
「ご領主様は」
「待っておられる」
家臣が答えた。
「よく兵を連れてきた」
ブルーノは、そこで初めて息を吐いた。
家臣の後ろには荷車が二台あった。
寝かせて運ぶための藁と布が積まれている。
「動けぬ者がいると聞いた」
「はい」
「乗せる順番を決めてくれ。道は、こちらだけでは決められぬそうだ」
「グレンツベルクの領主様が、確かめてくださっています」
ブルーノは答えた。
ルーカスの館では、すでに返書が開かれていた。
差出人はライモントだった。
六十人へ帰還を命じたことに間違いはない。
隊長ブルーノが持つ書状も、自分の命令で出したものである。
その二つを、印とともに認めている。
ルーカスは続きを読んだ。
「盟約から、離れるそうだ」
家宰が顔を上げた。
「兵だけを戻すのではなく、ですか」
「ああ」
ライモントは、同じ内容の書状を国王とフェルゼン伯爵へも送ると記していた。
自家の兵を、主の許しなく他領への攻撃に使わせない。
国王の退去命令に従い、領内の守りへ戻す。
共同防衛の名で兵の帰還を禁じる盟約には、これ以上従えない。
ルーカスは書状を机へ置いた。
「こちらも、送り出す支度を進める」
「追手は、まだおります」
「だから、道を選ぶ」
ルーカスは地図を開いた。
迎えの家臣が知る道と、商人が使っている道を重ねる。
短い方の街道には、反対派の兵がいた。
そこを通せば、同じことになる。
「南へ回し、こちらの領地を抜ける。通行を頼んだ返事は」
「届いております。領主の兵が、案内に付きます」
「ライモント殿の領境までは」
「その先の道も、先方の家臣が確かめてきたそうです」
ルーカスは頷いた。
その時、門の方から到着を知らせる声がした。
アレクとカスパルが、護送の兵を率いて来ていた。
火槍隊は九十五人。カスパルは騎兵八十騎と歩兵四十人を連れてきていた。帰還する六十人とは別に、二百十五人で道を守ることになる。
◇ ◇ ◇
「お世話になります」
アレクが言うと、ルーカスは首を横へ振った。
「こちらこそ、助かります」
中庭では、到着した兵が水を受け取っていた。
火槍隊はすぐに荷を下ろさず、ギルベルトの指示を待っている。
カスパルは先に迎えの家臣と話し、道の曲がり方を確かめていた。
「殿下は、こちらへ兵を寄せすぎることを案じておられました」
ルーカスが言った。
「橋を守る兵まで抜かれたのでは、私も困ります」
「本隊はリートベルクに残っています。私たちは、帰る兵を送るために来ました」
「では、引き継いでいただきたいことがあります」
ルーカスは紙を渡した。
六十人の名と、その状態が書かれていた。
ブルーノが作った名簿へ、こちらで診た者の記録を加えている。
「この者は、昨日より熱があります。荷車へ乗せるなら、日中も様子を見てください」
「分かりました」
「こちらは歩けますが、長くは続きません。本人は歩くと言っています」
アレクは名を確かめた。
「隊長にも伝えておきます」
「伝えてあります。それでも言うでしょうから」
ルーカスの口元が少し緩んだ。
アレクも、小さく笑った。
廊下の先に、フェリックスがいた。
アレクが顔を向けると、少年は近づいてきた。
「お帰りなさいませ」
「ただいま、と言ってよいのでしょうか」
アレクが答えると、フェリックスは父を見た。
ルーカスが笑う。
「何度来ていただいても構いませんよ。今度は、もう少し少ない荷で」
「私の荷ではないものが、多いのですが」
「それは存じています」
フェリックスも笑った。
だが、手に持っていた紙へ目を落とすと、表情を戻した。
「アレク様」
「何でしょう」
「自分の領主様の命令なのに、なぜ帰れなかったのでしょう」
アレクは少年を見た。
すぐには答えなかった。
フェリックスは、兵たちが休む建物へ目を向けている。
「帰ると、困る人がいたからだと思います」
「兵が少なくなるからですか」
「はい。それで、帰ってよいと命じる人より、帰さないと言う人の方が、その場所では強かった」
フェリックスは黙っていた。
「正しい書状があっても、読んだ人が必ず従うとは限りません」
「では、書状があっても」
「必要です」
アレクは続けた。
「それがあったから、お父上は誰へ確かめればよいか分かりました。私たちも、誰のところへ送るのか分かります」
少年は、少し考えてから頷いた。
「帰る場所を、確かめるためですね」
「そうですね」
アレクはルーカスから預かった名簿を見た。
「途中で守る者も必要です。今回は、その役目を引き受けに来ました」
フェリックスは中庭を見た。
兵たちの肩に、革で覆われた火槍が並んでいる。
それから、負傷者を乗せる荷車へ視線を移した。
「皆さん、帰れますか」
「帰れるように、準備します」
アレクは答えた。
少年は、もう一度頷いた。
◇ ◇ ◇
出発は、翌朝になった。
急いで夕方に歩き始めるより、休ませてから明るい間に進む。
最初に泊まる場所も、案内役と決めていた。
ブルーノは、自分の兵を荷車の前へ集めた。
六十人。
寝ている者も、座っている者も含めて数えた。
宿営地から持ってきた荷は少ない。
失った天幕や道具は戻らなかった。
それでも、全員がここにいた。
「ここからは、護送の指示に従う」
ブルーノが言った。
「勝手に先へ行くな。家が近づいても、列を離れるな」
兵たちが頷いた。
アレクはギルベルトと、火槍隊の位置を確かめた。
火槍隊は四十八人を荷車の前へ、四十七人を後ろへ分ける。
カスパルは先行する兵を出し、自分も案内役のそばへ付いた。
ライモントの家臣は、一足先に出ることになった。
帰還先の領兵を迎えに動かすためだった。
「知らせる場所は、こちらですね」
カスパルが地図を指す。
「ああ。こちらの見張り場へ伝えれば、待っている隊へ届く」
「道が変われば、そこへ使いを出す」
「承知した」
家臣が馬を進めた。
ルーカスは、最後の荷車まで見送った。
「兵を渡した数だけではなく、無事に着いたことも知らせてください」
「必ず」
アレクが答えた。
フェリックスが、少し後ろから頭を下げる。
ブルーノも振り返り、深く一礼した。
列が動き始めた。
車輪が地面を踏み、馬具が鳴る。
ルーカスは列が道の向こうへ消えるまで、門の前に立っていた。
◇ ◇ ◇
最初の日は、戦わずに終わった。
案内役の兵が先に宿営地へ入り、井戸と荷車を置く場所を示した。
六十人は火を囲んだが、遅くまで話す者は少なかった。
横になれば、すぐに眠る者もいた。
ブルーノは寝る前に荷車を回り、負傷者へ声を掛けた。
アレクは、その後ろから様子を見た。
「ご自分も、休んでください」
「一巡したら」
ブルーノが答えた。
「途中で置いてきたものは、数えれば切りがありません」
荷車の脇で足を止める。
「ですが、人だけは、足りぬと報告したくありません」
アレクは何も言わなかった。
それが、いつも叶うとは限らない。
だが、この隊長は六十人を連れてここまで来た。
今は、その続きを引き受けている。
「見張りはこちらで置きます」
アレクが言った。
「今夜は、兵と一緒に休んでください」
ブルーノは少し迷い、それから頷いた。
◇ ◇ ◇
封鎖の報告が来たのは、翌日の昼前だった。
ライモントの領地までは、あと少しだった。
道は浅い谷を抜け、その先で小川を渡る。
渡った向こうが、帰還先の領地だった。
反対派の兵は、小川の手前にいた。
道へ丸太を置き、その脇に槍兵を並べている。
「朝には、いなかったそうです」
先行していた兵が言った。
「近くの見張りが戻った時には、道を塞がれていたと」
「兵は百二十人ほどです。大半が槍兵で、盾の印が幾つかに分かれています」
案内役の騎士の顔が険しくなった。
「我が主は、この者たちの入領を認めていない」
カスパルは前方を見た。
低い地面の先に、槍の穂先が見える。
「こちらが通るのを知って、入ってきたか」
「そのようです」
アレクは荷車を止めさせた。
道の脇に、少し高くなった草地がある。
その後ろなら、正面から荷車へ近づきにくい。
「負傷者を、あちらへ」
ギルベルトへ指示を出す。
「火槍隊は、道と荷車の間に置きます」
「承知しました」
ブルーノが近づいた。
「我々も前へ出ます」
「荷車を守ってください」
アレクが答えた。
「帰る方たちを、先頭へ並べるために来たのではありません」
ブルーノは口を閉じた。
カスパルが、自分の兵を呼んだ。
「ライモント殿の見張り場へ行け。封鎖された場所を伝える。道を外れるなら、この者と」
案内役の騎士が、一人を付けた。
「小川の上流から渡れる。馬は下りろ」
二人が出た。
カスパルはアレクへ向いた。
「話をしてくる。その間に、置く場所を決めておいてくれ」
「近づきすぎないでください」
「話が聞こえる所までだ」
カスパルは馬を進めた。
案内役の騎士と、数人の護衛が続いた。
◇ ◇ ◇
「この道の通行は、領主から認められている」
案内役の騎士が言った。
「何の許しを得て、兵を入れた」
丸太の向こうから、指揮官が出てきた。
「逃げた兵を連れ戻すためだ」
「ここは、そなたの主の領地ではない」
「必要があって通った」
「通ってはおらぬ。塞いでいる」
カスパルが口を挟んだ。
指揮官がこちらを見る。
「兵を渡せば、道は開ける」
「誰の兵だ」
「共同防衛の軍から、勝手に抜けた者たちだ」
「主君から帰還を命じられた兵だ」
カスパルは書状を取り出した。
ルーカスが確認した帰還命令の写しと、ライモントからの返書だった。
「ご当主は、盟約から離れると決めた。国王陛下の退去命令にも従うと記している」
「そのようなものは、認められていない」
「誰が認めぬ」
「フェルゼン伯爵が」
カスパルは、相手の後ろへ視線を向けた。
槍兵たちが聞いている。
同じ紋章の兵ばかりではなかった。
盾へ描かれた印が、いくつかに分かれている。
「そなたたちも、主君から帰れと命じられたら、帰れぬのか」
カスパルが声を張った。
指揮官の顔が変わった。
「兵へ話すな」
「先ほどから、聞こえる場所に立っている」
「書状を寄越せ」
「確かめるなら、使者へ渡す。だが、取り上げて話を終わらせることはできんぞ」
カスパルは書状を畳んだ。
相手を見たまま、後ろへは振り返らなかった。
アレクの隊が、まだ動いている。
荷車を守る盾と槍。
その手前へ並ぶ火槍。
自分が話をしている間にも、こちらの支度は進んでいた。
「こちらは、戦をしに来たのではない」
カスパルが言った。
「六十人を帰す。負傷者もいる。道を開ければ、ここで誰も傷つかずに済む」
「その兵は、武器を持って出た」
「主の武器だろう」
「宿営地の兵を傷つけた」
「こちらにも傷を負った者がいる。その話は、双方の主を通して確かめればよい」
指揮官が唇を歪めた。
「黒獅子の後ろに隠れれば、何でも許されると思うな」
カスパルは答えなかった。
代わりに、小川の向こうへ目を向けた。
木立の間で、何かが動いた。
旗だった。
◇ ◇ ◇
ライモントの領兵は、小川の向こうへ並んだ。
大軍ではない。
ライモントが迎えに出したのは二十人だった。
それでも、橋を渡る道を押さえるには足りた。
先に出た家臣が、その前へ進む。
「我が主の兵を迎えに来た!」
声が届いた。
封鎖部隊の後ろで、兵が振り返る。
前には護送隊。
後ろには、帰還先の兵。
ここは、自分たちの領地ではない。
指揮官が剣を抜いた。
「前へ出ろ! 荷車を押さえろ!」
兵たちの足が動いた。
だが、全員ではなかった。
盾の印が違う一隊が、その場へ残った。
四十人ほどが動かず、指揮官に従った兵は八十人ほどへ減っていた。
「何をしている!」
指揮官が叫ぶ。
残った兵の前へ、一人の男が出た。
「道の見張りと聞いております」
「命令だ!」
「他家の領内で、王弟殿下の兵を攻めるとは聞いておりません」
指揮官は剣を向けた。
その横を、従って動いた兵が抜ける。
数人が、荷車へ向かって走り始めた。
アレクはその動きを見ていた。
火槍隊は交渉の間に装填を終えていた。ギルベルトが火蓋を開くよう命じ、赤い布を掲げる。
「構え!」
火槍が上がった。
だが、撃つ命令は出さなかった。
赤い布も、高く掲げられたままだった。
手前には、戻ってくるカスパルと護衛がいる。
敵兵の一人が、護衛の馬へ槍を向けた。
カスパルが馬を寄せ、剣で穂先を逸らす。
案内役の騎士が横から盾を当てた。
敵兵がよろけた。
その後ろの男は止まらず、道を外れて荷車へ走った。
「そこへ入れるな!」
ブルーノが叫んだ。
荷車の前で、帰還する兵たちが槍を下ろした。
盾が並ぶ。
敵兵は足を止めた。
一人が槍を突き出す。
盾へ当たり、穂先が横へ滑った。
ブルーノが槍の柄を押さえ、隣の兵が相手の腕を打った。
槍が落ちた。
男が後ろへ下がる。
追おうとした兵を、ブルーノが止めた。
「ここを動くな!」
火槍隊の前が空いた。
アレクは、銃口の向こうを見た。
敵は十歩ほどで止まり、後ろを振り返っている。
続くはずの兵が来ていなかった。
「武器を下ろせ!」
アレクが声を張った。
火槍は構えたままだ。
敵兵の一人が、落ちた槍を拾おうとして手を止めた。
小川の向こうで、ライモントの家臣が命じる。
領兵が橋の入口まで進んだ。
封鎖部隊の指揮官は、前後を見た。
進めば、後ろを押さえられる。
ただし、畑沿いには来た方角へ退く余地が残っていた。道を争って前後の敵と戦うか、封鎖を解いて引くか。選べる道はまだあった。
退こうとしても、味方の一部は命令を聞いていない。
案内役の騎士が、改めて声を上げた。
「我が主の名で命じる! この領地から退け!」
カスパルは馬を止めた。
剣は下げなかった。
「今なら、道を開けて帰れる」
指揮官を見て言った。
「そなたまで、帰れぬ兵になる必要はない」
指揮官は歯を食いしばった。
しばらくして、剣を下げた。
「丸太を動かせ」
誰も、すぐには動かなかった。
「動かせと言っている!」
兵が槍を置き、丸太へ手を掛けた。
◇ ◇ ◇
封鎖部隊は、案内役の領兵に見張られながら道を離れた。
カスパルは追わなかった。
攻めかかってきた者たちも、落とした武器を勝手に拾わせず、隊ごとに下がらせる。
指揮官へ従わなかった兵の一人が、去り際にこちらを見た。
「その者たちは、本当に帰るのか」
カスパルが振り返る。
「向こうに、迎えが来ている」
小川の先を示した。
兵は旗を見た。
それから、自分の隊へ戻っていった。
道を確かめた後、最初の荷車が動いた。
アレクは、その横を歩いた。
車輪が小さな石へ乗り、荷台が揺れる。
横たわっていた兵が顔をしかめた。
「ゆっくり」
御者へ伝える。
馬の歩みが落ちた。
橋の向こうで、ライモントの家臣が待っていた。
ブルーノが近づく。
「戻りました」
声が掠れていた。
家臣は頷いた。
「ここからは、我が領地だ」
ブルーノの後ろで、兵が顔を上げた。
見慣れた道だった。
畑の向こうにある小屋も、川沿いの柳も知っている。
それを確かめるように、何度も周囲を見る。
アレクはギルベルトへ向いた。
「下ろしてください」
構えていた火槍が下がった。
一発も撃たなかった。
兵たちは、ゆっくり息を吐いた。
◇ ◇ ◇
ライモントは、城の外で待っていた。
家臣が知らせるより先に、荷車が見えたのだろう。
門から歩いてきて、列の前で足を止めた。
ブルーノが進み出る。
片膝をつこうとすると、ライモントが腕を取った。
「よい。そのまま報告しろ」
「六十人、戻りました」
ブルーノが言った。
「負傷者がおります。荷と兵装の一部は、宿営地へ残しました」
「人は」
「全員です」
ライモントは列を見た。
立っている兵。
荷車から顔を上げた兵。
額や腕に布を巻いた者。
見送った時とは、違う姿だった。
「帰せと命じるだけでは、帰してやれなかった」
ライモントが言った。
ブルーノは黙っていた。
「そなたたちを出したのは、私だ。守るためだと言われ、その先を確かめ切らずに預けた」
「ご領主様」
「荷のことは、後で聞く」
ライモントは、ブルーノの腕を離した。
「今は、兵を休ませろ」
城の方から、人が出てきた。
家族だった。
勝手に列へ入らないよう止められていたが、顔を見つけると声が上がった。
一人の兵が振り返る。
幼い子供が走ろうとして、母親に腕を掴まれた。
兵は主を見た。
ライモントが頷いた。
「行け」
その男が列を離れた。
子供を抱き上げようとして、腕の傷で顔を歪める。
妻が慌てて止めた。
代わりに膝をつき、子供を抱き寄せる。
荷車へ駆け寄った女は、乗っている兵の顔を見て口を押さえた。
「脚だけだ」
兵が先に言った。
「帰ってきた」
女は何度も頷いた。
アレクは、その横を空けた。
手当てをする者が荷車へ来る。
兵が一人ずつ下ろされ、用意された場所へ運ばれていった。
ライモントがアレクとカスパルの前へ来た。
「兵を送り届けていただいた」
深く頭を下げる。
「殿下とマティアス伯爵へも、私から礼を申し上げたい」
「お伝えします」
アレクが答えた。
「グレンツベルクでも、ルーカス殿が受け入れてくださいました」
「そちらへも、使者を出す」
ライモントは言った。
「兵たちから、話を聞かせてもらう」
カスパルが、封鎖の経緯を短く伝えた。
ライモントは黙って聞いた。
「盟約から離れるというお考えは、変わりませんか」
最後に尋ねる。
ライモントは城の方を見た。
家族と話す兵の姿があった。
「変わらぬ」
それから、二人へ向き直った。
「次に兵を出す時は、どこで、誰と、何のために戦うのか、私が決める」
カスパルは頷いた。
「そのお言葉も、お伝えします」
◇ ◇ ◇
グレンツベルクへ帰還の知らせが届くまでには、さらに日が掛かった。
ルーカスは書状を開き、最初の一文を読んだ。
六十人、全員がライモントの領地へ入った。
そこで一度、読むのを止めた。
「着いたのですね」
家宰が言った。
「ああ」
ルーカスは頷いた。
「途中で道を塞がれたそうだ。だが、通れた」
机の向こうで、フェリックスが顔を上げた。
「怪我をしていた方もですか」
「全員だ」
少年の表情が明るくなった。
ルーカスは続きを読んだ。
ライモントの返書も添えられている。
兵を預かってくれたことへの礼。
水と食料、手当てに使ったものについて、費用を知らせてほしいという申し出。
ルーカスは家宰へ渡した。
「こちらは、確かめて返してくれ」
「すべてでしょうか」
「かかったものを隠す必要はない。払うと言っているのだから」
フェリックスが父を見た。
ルーカスは気づき、口元を緩めた。
「殿下にも、遠慮して損をするなと言われただろう」
少年が笑った。
ルーカスはもう一度、最初の一文を見た。
六十人が帰った。
その知らせを、今夜は妻にも話せると思った。
◇ ◇ ◇
イグナーツのもとへ届いた報告は、同じ出来事を別の言葉で記していた。
逃れた兵の回収に失敗。
護送隊には火槍があり、帰還先の領兵も出てきた。
同行させた一部の隊は、攻撃命令に従わなかった。
イグナーツは、その箇所へ指を置いた。
「誰の兵だ」
代官が家名を答えた。
「隊長は」
「主から、そのような戦を命じられていないと」
イグナーツは書状を机へ置いた。
六十人が減った。
それだけなら、まだ補える。
だが、命じても動かない兵が増えれば、集めた数に意味がなくなる。
ライモントは盟約から離れた。
兵も戻った。
城を奪われたわけでも、領地を焼かれたわけでもない。
ほかの家は、それを見る。
「グレンツベルクを通ったのだな」
「はい」
「そこへ入れば、黒獅子が迎えを出す」
代官は答えなかった。
イグナーツは地図を広げた。
リートベルクに、レオンハルトの本隊がいる。
西からの荷は、グレンツベルクを通る。
盟約から離れる者も、そこを頼る。
一つの橋だけではない。
そこへ集まる道と、荷を置く場所と、ルーカスが取り次ぐ相手が、東部の諸侯を西へつないでいた。
「正面へ兵を集める」
イグナーツが言った。
「リートベルクから、目を離せぬようにしろ」
「攻めるのですか」
「攻められると思わせる。だが、一度に全部をぶつけるな」
代官が地図へ近づいた。
イグナーツの指が、北側の道へ動く。
「別に、こちらを通す隊を用意する」
「グレンツベルクへ」
「ああ」
指が止まった。
「橋へ正面から突っ込ませるな。先に、周囲の道を切る」
代官は地図を見た。
荷が入らなくなる。
使者も、通る場所を選ばなければならなくなる。
助けを求められても、軍がそのまま戻れるとは限らない。
「ルーカスへ、もう一度要求を出しますか」
「準備が整うまで、知らせるな」
イグナーツは答えた。
「今度は、断られてから兵を動かすのでは遅い」
代官が頭を下げ、部屋を出た。
イグナーツは地図を見続けた。
リートベルクへ向けた印は、大きく置いた。
グレンツベルクへ回す印は、その陰へ置いた。
第十五話を読んでいただき、ありがとうございました。
六十人が故郷へ戻り、ライモントは自らの意思で盟約を離れました。
帰還を支えたグレンツベルクへ、今度はイグナーツの狙いが向けられます。
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