第十二話 橋の向こうへ
主君の旗の下、東へ進むアレクたち。
グレンツベルクで待っていたのは、橋を守るルーカスと、父の跡を継ぐ少年だった。
出陣の朝、アレクは列の前から兵たちを見渡した。
革の覆いを掛けた火槍が、肩に並んでいる。
帰還した時と同じ顔が多い。それでも、全員ではなかった。
「九十六名。揃っております」
ギルベルトが報告した。
四人は残した。
熱が下がり切らない者と、足の傷がまだ塞がっていない者だ。代わりに新しい兵を入れて百人に戻すことはしなかった。
「残る者への指示は」
「伝えてあります。回復してから、弾薬の受け取りと記録の仕事へ回します」
「無理をして追いかけてこないようにしてください」
「それも言いました」
ギルベルトは列へ目を向けた。
「置いていかれる方が、落ち着かないようです」
「戻った時に、仕事が進んでいたと分かれば助かります」
「そう伝えておきます」
アレクは頷いた。
自分の隊だけではない。
マティアスとレオンハルトに属する三百人の火槍隊も、指揮官ごとに兵を並べていた。アレクの直属隊と合わせ、出陣する火槍兵は三百九十六人となる。人数と装備の報告は、すでに別々に提出されている。
整備を終えた筒だけを持たせた。
工場に残したものを、使える数へ混ぜてはいない。
広場の向こうで、馬の嘶きが上がった。
ヴィクトルが、自家の兵を連れて入ってくる。
続いて、カスパル、ロベルト、エイドリアンの隊が到着した。
「帰ったばかりだというのに、また顔を合わせたな」
カスパルが馬上から言った。
「王都へ戻るよりは近い」
ロベルトが答える。
「まだ、どこまで行くかも分からんだろう」
「だから、帰りの分まで荷を積ませている」
「その荷車で、街道を塞ぐなよ」
「そちらの馬が止まらなければよい」
二人のやり取りを聞きながら、ヴィクトルは自分の兵を広場の端へ寄せた。
後から来る隊のため、中央の道を空けている。
エイドリアンも列の間隔を確かめ、遅れていた荷車へ人を回した。
アレクは四人と顔を合わせた。
王都で着ていた服ではない。
それぞれが鎧を着け、腰へ剣を下げていた。
「火槍隊は、こちらへ付くのか」
ヴィクトルが尋ねた。
「最初はマティアス様の隊と進みます。その先は、道と敵の状況を見て決めるそうです」
「分かった」
余計なことは聞かなかった。
ヴィクトルの視線が、一度だけ火槍の列へ向いた。
アレクは、その目を追わなかった。
同じ軍にいるからといって、消えるものばかりではない。
マティアスが広場へ入ってくる。
兵たちが姿勢を正した。
「揃ったな」
五人を見てから、各隊の列へ目を向ける。
「この先で本隊と合流する。先発はすでに出ているが、こちらも急げばよいというものではない。前が止まったら、後ろへ知らせろ」
「はい」
「荷車が遅れたからといって、勝手に隊を割るな。助ける者と、進む者を決めて動け」
マティアスはアレクを見た。
「兵を疲れさせて、戦う前に数を減らすなよ」
「気をつけます」
風が吹いた。
マティアスの旗が広がり、兵たちの頭上で鳴った。
アレクはその下へ馬を進めた。
自分の紋章を描いた旗は、まだない。
今は、従う主君の旗を見失わず、自分の兵を連れていく。
門が開かれた。
先頭の隊が動き出す。
石畳を踏む足音が続き、やがて荷車の車輪が軋んだ。
◇ ◇ ◇
本隊と合流した後も、軍は一つの長い塊にはならなかった。
東へ向かう兵は、合わせて三千六百人近くになった。騎兵六百人、槍や盾、弓を持つ歩兵二千六百人に、三百九十六人の火槍隊が加わっている。荷駄を運ぶ者たちは、その人数とは別だった。
先発の騎兵が道を確かめ、宿営地へ人を送る。
歩兵が続き、荷駄は間を置いて進んだ。
狭い坂では荷車を待たせ、上り終えたことを知らせてから次を出す。
沿道の領主から通行を認められていても、畑まで自由に踏んでよいわけではない。
休ませる場所を決め、水を汲む者を出し、食料を受け取るたびに代金と数を確かめた。
それを繰り返しながら、東へ進む。
国王の返書が届いたのは、宿営地を発つ前の朝だった。
王都から来た使者の馬は、首の下まで汗で濡れていた。
レオンハルトは天幕の外で書状を受け取り、中へ入った。
マティアスとユリウスが続く。
ほどなく、アレクたちも呼ばれた。
「陛下は、占拠した兵へ退去を命じられた」
レオンハルトが言った。
机の上には、国王の印が押された書状がある。
「訴えは、向こうの領主からも届いている。こちらの救援も認められた」
「フェルゼン伯爵への命令は」
マティアスが尋ねた。
「事情を説明しろと。兵を出した経緯と、他家の倉を押さえた理由をな」
「伯爵が、配下の独断だと答えれば」
「その配下を引かせればよい」
レオンハルトは答えた。
「引かせずに言うなら、口だけだ」
ユリウスが別の紙を広げた。
命令の写しを、誰へ届けるか記している。
「救援先と、周辺の領主へ知らせます。現地の騎士にも、すでに出した撤退要求に加えて届けます」
「指揮官だけに握り潰させるな」
レオンハルトが言った。
「下の兵にも、陛下が退けと命じたことを知らせろ」
アレクは書状へ目を向けた。
槍を持って倉の前に立つ兵が、全員、同じ考えで来ているとは限らない。
主の命令で歩き、与えられた場所を守っているだけの者もいる。
その者たちへ、別の命令が届いた。
「従って退く者は、追わん」
レオンハルトは五人を見た。
「武器を捨てた者まで斬るな。だが、命令を見せる間、無防備に近づくなよ」
「承知しました」
ヴィクトルが答えた。
カスパルも、先ほどまでの軽い表情を消していた。
「軍は、このまま進める」
レオンハルトは書状を畳んだ。
「紙が先に道を開ければ、それでよい。開かなければ、俺たちが行く」
◇ ◇ ◇
リーデ川の橋が見えた時、アレクは先頭の荷車が止まるのを見た。
三つの石のアーチが、水の上へ連なっている。
橋の脇には足場が組まれ、石材を積んだ荷車が寄せてあった。
兵が渡り始めているが、中央へ広がらず、案内役の示す側を歩いている。
ルーカスは、その入口に立っていた。
緑の外套の裾に、乾いた泥が付いている。
「一度に寄せるな! 前の荷車が向こうへ下りてからだ!」
御者へ声を掛け、次に橋の上の兵へ腕を振る。
レオンハルトが近づくと、ようやくこちらを向いた。
「殿下」
「橋を見に来たぞ」
「もう少し静かな時に、お迎えしたかったのですが」
「俺も、これほど連れてくるつもりではなかった」
ルーカスが、後ろに続く軍列を見た。
「茶の用意ならできますが、全員分は少し掛かります」
「兵には水でよい。俺には座る場所を出せ」
「そちらなら、すぐに」
ルーカスは笑い、橋の脇を示した。
だが、自分はまだ動かなかった。
荷車が橋へ乗るところを見ている。
「ここは直ったのではないのか」
レオンハルトが尋ねた。
「表面を塞いだ所はあります。ただ、重い荷を同時に載せたくありません。石を替える仕事は、まだ残っています」
「渡れるのだな」
「荷を詰めず、決めた場所を通れば。調べた者も、そう言っています」
「ならば、お前の指示に従わせる」
レオンハルトはユリウスへ顔を向けた。
ユリウスが隊長を呼ぶ。
ルーカスの案内役へ従うよう、後続にも伝えられた。
一台の荷車が渡り終わる。
向こう岸の兵が腕を上げた。
それを見てから、次の御者が馬を進めた。
ルーカスはようやく肩の力を抜いた。
「こちらへどうぞ」
◇ ◇ ◇
橋の近くにある館で、短い休息が取られた。
兵はあらかじめ決められた場所へ入り、水と食料を受け取っている。
アレクがギルベルトへ指示を済ませて広間へ入ると、ルーカスの隣に少年が立っていた。
背筋を伸ばしている。
両手は身体の脇へ揃えられていたが、指先だけが服の端を握っていた。
「以前、お話しした息子です」
ルーカスが言った。
「私の跡を継ぐ者として、殿下にご挨拶をさせたく」
レオンハルトは、手にしていた杯を置いた。
少年へ身体を向ける。
ルーカスが小さく頷いた。
少年は一歩前へ出た。
「フェリックス・フォン・グレンツベルクと、申します」
そこで一度、息が止まった。
続けようとして、唇が動く。
レオンハルトは待っていた。
「父の……跡を継ぐために、学んでおります。本日は、お会いできて光栄です」
深く頭を下げた。
少し長く、そのままでいた。
「顔を上げろ」
レオンハルトが言った。
フェリックスが顔を上げる。
「ルーカスの跡継ぎだな。覚えた」
「はい」
「父親から、何を教わっている」
少年の目が、わずかに父へ向いた。
用意していた挨拶には、ない問いだったのだろう。
ルーカスは答えを助けなかった。
フェリックスは考え、レオンハルトへ向き直った。
「橋を通る荷を、数えております」
「通行税を覚えるためか」
「それもあります。でも、荷が減った時は、どこかで人が困っているからだと、父上が」
レオンハルトは黙って聞いていた。
「荷が少なければ、書くのは楽になります。ですが、それを喜んではいけないと」
マティアスがルーカスを見た。
ルーカスは杯を取ろうとして、やめた。
「まずは数を間違えないところからです」
「よいことを教えているではありませんか」
マティアスが言った。
「私も、先代から言われたことです」
「それを覚えて、次へ教えているのでしょう」
ルーカスは返事に困ったようだった。
レオンハルトが、フェリックスへ尋ねる。
「今日は多いな」
「はい」
「書くのが嫌になるほど来たか」
少年は慌てて首を振った。
「兵の方々は、いつもの荷とは分けております」
「そうか」
「それと、馬の飼葉を運んだ分も、父上が後で確かめると」
「俺たちの分も、忘れずに数えろ」
レオンハルトの口元が上がった。
「父親に、遠慮して損をするなと伝えておけ」
フェリックスが、すぐ隣の父を見た。
ルーカスは息を吐いた。
「今、聞いております」
広間に笑いが起きた。
少年の肩が、少し下がった。
アレクも口元を緩めていた。
ルーカスがこちらへ顔を向ける。
「アレク子爵だ。西から来た荷を運ぶ商会も、この方たちが手配してくださった」
フェリックスが向き直った。
「ありがとうございます」
「荷が通ったのは、お父上が交渉なさったからです」
アレクが答えると、少年は少し嬉しそうな顔をした。
その後で、遠慮がちに尋ねた。
「アレク様も、兵を率いていらっしゃるのですか」
「はい」
「門の外にいた、長いものを担いでいる方々ですか」
「私の隊も、その中にいます」
フェリックスは窓の方を見た。
「大勢の方へ、どうやって同じことを伝えるのですか」
火槍の話を聞かれると思っていたアレクは、少し意外だった。
「私だけで全員へ伝えるわけではありません。隊長がいて、その下にも人をまとめる者がいます」
「伝える方によって、違ってしまいませんか」
「違わないように、確かめます。私が分かりにくく言えば、そこで間違えますから」
フェリックスは真剣に聞いていた。
「では、命じる方も、上手に話さなければならないのですね」
「そうですね。私も、何度も聞き直されています」
少年が驚いた顔をした。
マティアスが横から口を挟んだ。
「アレクは、説明が長くなることがある」
「最近は、気をつけております」
「なら、続けるとよい」
ルーカスが笑った。
フェリックスも、ようやく笑った。
広間の扉が開いた。
伝令が入り、ユリウスへ耳打ちする。
レオンハルトは、そちらへ目を向けた。
ユリウスが近づく。
「先発からです。街道で、人の出入りを止めている兵を見つけました」
空気が変わった。
ルーカスが息子の肩へ手を置く。
「挨拶は、ここまでだ」
「はい」
フェリックスはもう一度、レオンハルトへ頭を下げた。
「失礼いたします」
扉へ向かう途中、一度だけアレクを振り返った。
アレクが頷くと、少年も小さく頷いて出ていった。
◇ ◇ ◇
伝令が示した場所は、救援を求めた領主の領内だった。
街道が低い丘の間を通り、その先で城へ続く道と村へ向かう道に分かれる。
敵兵は、その分かれ道を押さえていた。
「どれほどいる」
レオンハルトが尋ねた。
「見えた範囲では、五十ほどです。柵はありませんが、荷車を横へ置いております」
「領民は」
「村へ戻ろうとした者が止められています。荷も調べられておりました」
マティアスが地図へ指を置いた。
「城を囲む兵とは、離れていますね」
「はい。ただ、騎馬が行き来しております」
ルーカスが別の道を示した。
「こちらは畑へ通う道です。荷車では難しいですが、人は通れます」
「そなたの領内か」
レオンハルトが尋ねた。
「いえ。そこまで進めば、救援を求めた家の土地です。案内できる者を付けます」
「頼む」
「私も」
「お前は、橋を見ていろ」
レオンハルトが遮った。
ルーカスが口を閉じる。
「後ろの荷が止まれば、前の兵が困る。ここで、お前にしかできん仕事をしろ」
ルーカスは地図を見た。
やがて、頷いた。
「分かりました。荷は送ります」
「ああ」
レオンハルトは立ち上がった。
「今度はこちらの番だ」
◇ ◇ ◇
橋を渡ってからも、救援先までは道が続いていた。
先発からの報告を受けながら進み、翌日、アレクたちは問題の分かれ道へ近づいた。
丘の陰で列を止める。
前へ出ていた偵察の兵が戻ってきた。
「人数は、大きく変わっておりません」
「こちらの軍は、見えているか」
マティアスが尋ねた。
「先頭は見られたと思われます。兵が荷車の後ろへ集まっています」
アレクは丘の脇から、街道を見た。
横向きに置かれた荷車。
その手前に、槍を持つ兵が並んでいる。
道の端には、籠を背負った男と、布包みを抱えた女がいた。
帰らせてもらえないのか、兵と何かを話している。
ヴィクトルが隣へ来た。
「右の窪地なら、姿を低くして進める」
「向こうの人たちが、こちらへ来る道にもなります」
アレクが言うと、ヴィクトルは頷いた。
マティアスが二人へ指示を出す。
「ヴィクトルは、あの者たちを下げられる位置へ。勝手に斬り込むな。アレクは街道脇へ隊を広げろ」
「承知しました」
「まずは、使者を出す」
国王の命令を携えた騎士が進んだ。
護衛は少数に留め、敵の槍が届かない場所で馬を止める。
「国王陛下の命令を伝える!」
声が街道へ響いた。
敵兵が顔を上げる。
騎士は書状を掲げ、退去の命令を読み上げた。
救援を求めた領主の名も告げる。
その領主の求めに応じ、レオンハルトが兵を率いていることを伝えた。
荷車の後ろから、鎧を着た男が出てきた。
「我々は、街道を守っている!」
「この土地の領主は、そなたたちの駐留を認めていない! 道を開け、兵を退けよ!」
「上の命令がなければ、動けぬ!」
「陛下の命令だ!」
敵の指揮官は書状を受け取りに来なかった。
後ろを振り返り、兵へ何かを怒鳴る。
アレクは、ギルベルトへ合図した。
兵たちが革の覆いを外す。
火槍を下ろし、隊列を広げていく。
まだ、銃口は上げさせなかった。
直属の九十六人は、一班、二班、三班に三十二人ずつ分けていた。一列目に一班、二列目に二班を置き、三班は後ろへ控えさせる。ヴィクトルは八十人の盾兵と槍兵を窪地へ向かわせていた。
「弾薬箱開放許可! 一発取れ! 装填!」
ギルベルトの号令で兵が装填を進める。火蓋を閉じた三十二挺を前へ揃えても、アレクはまだ構えさせなかった。
「道の端に人がいます」
「見えております」
ギルベルトが答えた。
敵兵の一人が、籠を背負った男を押した。
男がよろける。
女が避けようとすると、今度はそちらへ槍の柄が向けられた。
丘の右から、ヴィクトルの声が上がった。
「こちらへ来い!」
槍兵が数人、道の脇へ出た。
籠を背負った男が顔を向ける。
敵兵が腕を掴もうとしたが、男は籠を捨てて走った。
女も続く。
「止めろ!」
敵の指揮官が叫んだ。
数人が追いかけた。
ヴィクトルの兵が槍を構える。
追ってきた兵が足を緩めた隙に、男と女はその後ろへ入った。
さらに二人、荷車の陰から飛び出してきた。
小さな子供の手を引いている。
アレクは息を詰めた。
子供の足がもつれた。
大人が抱き上げる。
ヴィクトル自身が前へ出て、道の脇を示した。
「走れ! こちらだ!」
敵の指揮官が剣を抜いた。
「押し返せ!」
槍兵が荷車の横を抜けてくる。
使者の騎士は馬を返し、味方へ下がった。
アレクの前には、まだ逃げる親子がいた。
「待て」
アレクが言った。
銃口を上げかけた兵が止まる。
敵が近づく。
槍の穂先が揺れている。
親子が街道を外れた。
ヴィクトルの兵が二人を引き入れる。
アレクは、その背中が射線から消えたのを見た。
「一班、火蓋開け! 構え!」
火槍が上がった。
ギルベルトが赤い布を掲げた。
敵の先頭にいた男が、歩みを緩めた。
後ろから来た兵と肩がぶつかる。
「撃て!」
赤い布が振り下ろされた。
轟音が重なった。
白煙が街道へ広がる。
先頭の槍が跳ね、二人が倒れた。
その後ろで、男が肩を押さえて膝をつく。
アレクには、すべては見えなかった。
煙の切れ目で、槍兵の列が止まったことだけが分かった。
「一班、火縄上げ! 後退! 二班、火蓋開け! 構え!」
ギルベルトの声が飛ぶ。
前の兵が退き、次の銃口が並んだ。
敵の指揮官が、立ち止まった兵を怒鳴りつけている。
だが、道の右側へも味方の槍兵が姿を現した。
領民を下げたヴィクトルが、窪地に沿って兵を進めていた。
荷車へ戻る道を、横から脅かす位置だった。
敵兵がそちらを見る。
前には火槍。
横には槍兵。
後ろの荷車は、自分たちが道を塞ぐために置いたものだった。
最初に逃げたのは、列の端の兵だった。
槍を持ったまま、荷車の向こうへ走る。
「戻れ!」
指揮官が叫んだ。
続いて二人が走った。
一人は槍を捨てた。
別の男が両手を上げ、その場へ膝をつく。
「撃つな!」
アレクが命じた。
二列目の火槍が、構えられたまま止まった。
ギルベルトが同じ命令を繰り返す。
敵の指揮官は周囲を見回し、荷車の陰へ下がった。
追おうとしたヴィクトルの兵を、本人が止めた。
「深追いするな! 武器を置かせろ!」
街道の向こうへ逃げる足音が遠ざかる。
アレクは火槍隊を進めず、煙の向こうを確かめた。
倒れている者がいる。
膝をついている者もいる。
荷車の下へ潜り、こちらを見ている兵がいた。
「出てこい! 剣を置け!」
味方の槍兵が近づく。
荷車の下から、短剣が投げ出された。
それから、泥の付いた両手が見えた。
アレクは、ようやく息を吐いた。
◇ ◇ ◇
道を塞いでいた荷車が動かされた。
ロベルトが荷の持ち主を確かめ、壊れた車輪を道の脇へ寄せさせる。
カスパルは、退避した者たちから話を聞いていた。
エイドリアンの兵は街道の先へ見張りを置き、逃げた敵が戻らないか確かめている。
アレクは自分の隊を回った。
兵は無事だった。
それでも、発射した筒と、撃たずに残った筒を分けて確認する必要がある。
一班だけが一度撃ち、使った弾は三十二発だった。
ギルベルトへ任せ、街道の脇へ向かった。
ヴィクトルが、腕に浅い傷を負った兵へ布を巻かせていた。
「そちらは」
アレクが尋ねる。
「一人だ。槍の先が掠った」
「人は、全員下げられましたか」
「見えていた者はな」
ヴィクトルは少し離れた場所を見た。
女が子供を抱き締めている。
子供は泣いていた。
その隣で、籠を捨てて逃げた男が、両手を何度も擦り合わせていた。
「撃つのを待ってくれて助かった」
ヴィクトルが言った。
「前にいましたから」
「見えていても、待てるとは限らん」
アレクは答えなかった。
ヴィクトルの視線が、街道に残る白煙へ向いた。
それから、アレクへ戻る。
「次も、こちらの位置を知らせる」
「お願いします。私も、撃つ前に確かめます」
ヴィクトルは頷いた。
それ以上は話さず、兵の方へ戻っていった。
アレクも、自分の隊へ向き直った。
レオンハルトが到着したのは、その後だった。
荷車を通せるようになった道を見て、馬を止める。
「敵は」
「一部は逃走。武器を捨てた者は、こちらで預かっております」
マティアスが答えた。
「追ってはいません」
「死者は五人、捕らえた者は十八人です。捕虜のうち七人が傷を負っています。逃げたのは二十数人と見ています」
「それでよい。城の方は」
カスパルが進み出た。
「昨夜、村から出てきた者の話では、まだ落ちていません。ただ、兵が増えています」
「どこの兵だ」
「紋章までは分からないと。捕らえた者にも聞いておりますが、自分の隊以外は知らぬと言っています」
レオンハルトは、捕虜の方を見た。
兵たちは武器を離れた場所へ積まれ、道の端に座らされていた。
「無理に知っていることにさせるな。分かることから聞け」
「はい」
「倉を押さえた騎士は、まだ城の前か」
「そのようです。門を開けるよう、繰り返し求めていると」
カスパルは、一度言葉を切った。
「梯子を運んでいるところも、見た者がおります」
レオンハルトの顔が動いた。
「街道を守るだけでは、なくなったな」
誰も答えなかった。
アレクは城へ続く道を見た。
丘に隠れて、まだ城そのものは見えない。
ここで止まれば、敵は門へ取りつく。
だが、急ぐだけで列を崩せば、次の場所で同じように戦えるとは限らなかった。
「道を守る兵を残す」
レオンハルトが命じた。
「捕虜と負傷者は、そちらへ引き渡せ。先へ出る者は、水を飲ませてから動かす」
マティアスが隊長を呼ぶ。
命令が各隊へ渡っていく。
アレクもギルベルトのもとへ戻った。
「撃った分は」
「補っております。もう少しで終わります」
「終えた列から、水を飲ませてください」
「承知しました」
街道の脇では、救出された男が兵へ何度も頭を下げていた。
アレクたちが動き始めると、顔を上げた。
「城へ、行かれるのですか」
「はい」
「領主様は、門を開けてくださいました」
男が言った。
声が震えている。
「倉の前で怪我をした者も、中へ入れたと聞いています。どうか」
アレクは頷いた。
「そのために来ました」
馬を進める。
背後で、兵たちの足音が続いた。
◇ ◇ ◇
丘の上へ着いた時、先行していた騎兵が手を上げた。
アレクは馬を止めた。
少し遅れて、レオンハルトとマティアスが並ぶ。
丘の向こうに、城があった。
大きな城ではない。
石の壁に囲まれた館と、門を守る塔。
その周囲へ、兵の集まりがいくつも見えた。
穀物倉の近くには荷車が置かれている。
別の一団が、長い梯子を運んでいた。
アレクは城壁の上へ目を凝らした。
人が動いている。
槍が光った。
その上で、一枚の旗が風を受けた。
「まだ、残っています」
アレクが言った。
レオンハルトは城を見たまま頷いた。
「ああ」
後ろから来た兵が、黒獅子の旗を立て直した。
風が布を広げる。
城壁の上で、誰かがこちらを指した。
やがて、塔の鐘が鳴り始めた。
レオンハルトは手綱を握った。
「待たせた分は、働くぞ」
黒獅子の旗が、丘の先へ進んだ。
第十二話を読んでいただき、ありがとうございました。
ルーカスの嫡男、フェリックスが正式に登場しました。父から学ぶ少年との出会いを経て、一行は救援先へ向かいます。
街道での戦いでは、アレクとヴィクトルが互いの動きを支えました。城には、まだ領主の旗が残っています。
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