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『知らない世界で、前世の知識が武器になる』 ~剣と銃で乱世を生き抜く転生領主の成り上がり~  作者: 相田 ソウ
第六篇 乱世を動かす火

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第十話 道を開く者

西からの荷を止められたルーカスは、自ら交渉へ向かう。

一方、王都を離れたアレクにも、帰還を待っていた一通の手紙が届いていた。

 馬を用意させた後、ルーカスは領主館へ戻った。

 家宰が広間で待っている。その手には、西隣の領地から届いた通行許可の書状があった。

「護衛の人数まで、確かに認められております」

 家宰は机へ書状を広げた。

「荷車の数、塩と鉄の量、同行する護衛。それぞれを記して届け、返答を受けています」

 ルーカスは印を確かめた。

 先ほど関所から届いた報告にも、同じことが書かれていた。

 相手は書状の存在を否定していない。

 命令が変わったと答えている。

「こちらから、使者を出す」

 ルーカスが言った。

「私が交渉に行く。武装した護衛は領境へ残し、従者と書記だけを連れて入ると伝えろ」

「剣も置いていかれるのですか」

「他家の武装した兵を入れないというなら、こちらから口実を与える必要はない」

「ですが、領主様ご自身まで」

「剣を一本持っていれば、安全になる場所ではない」

 家宰が口を閉じた。

 西隣の領地へ入れば、周囲にいるのは相手の兵だ。

 少人数の護衛を連れていったところで、領主が本気で捕らえると決めれば防げない。

 だからといって、軍勢を率いて押しかければ、今度はこちらが領境を脅かしたことになる。

「まず、入ることを認めるか聞く。許しもなく越えるつもりはない」

「相手が拒めば」

「拒んだ理由を持ち帰らせろ。荷を止めていないと言いながら、話を聞くことまで断るのか確かめる」

 ルーカスは通行許可の書状を畳んだ。

「商会の者にも、同じことを知らせてくれ。先に関所へ入ろうとするな。荷も護衛も、そのまま待たせる」

「承知しました」

 家宰が書記へ指示を出す。

 ルーカスは窓の外を見た。

 中庭では、用意された馬が地面を掻いていた。

 馬があっても、道を進めるとは限らない。

 橋を直す話をするために王都へ行き、ようやく西から荷を運ぶ手配ができた。

 今度は、その西の道が閉じられている。

 机の上には、まだ封をしていないマティアスへの書状があった。

 ルーカスは筆を取り、関所で荷を止められたことを書き加えた。

 自分が交渉へ向かうこと。

 相手の許可を得てから入領すること。

 武装した護衛は連れていかないこと。

 そこまで記したところで、筆が止まった。

 助けを求めれば、何らかの返事は来るだろう。

 しかし、その返事を待っている間も、荷車は街道脇に置かれたままだ。

 ルーカスは最後に、交渉の結果を改めて知らせると書いた。

 封をする。

 家宰へ渡すと、妻が広間へ入ってきた。

「剣を置いていくと聞きました」

「まだ、入領の返事は来ていない」

「返事が来れば、行くのでしょう」

「ああ」

 妻はルーカスの腰へ目を向けた。

「捕らえられたら、どうするのです」

「私を捕らえても、橋は手に入らない」

「あなたが戻らなければ、こちらが何かを差し出すと思うかもしれません」

 ルーカスは返せなかった。

 妻は、家宰の手にある書状を見る。

「そのことを、マティアス伯爵へ知らせたのですね」

「ああ。どこへ行くかも書いた」

「では、こちらへも戻る時刻を残してください。遅れたら、何をするのかも」

「必ず日暮れまでに戻れるとは限らない」

「だから、決めてくださいと申しています」

 ルーカスは頷いた。

 家宰と、領境に置く兵の数、連絡を入れる時刻、返事が来なかった場合に誰へ知らせるかを決める。

 妻は口を挟まず、最後まで聞いていた。

 決め終えると、ルーカスは椅子の背へ掛けていた外套を取った。

「無事に戻る」

「荷もです」

 妻が言った。

 ルーカスが振り返る。

「あなたがそこまでして行くのです。ご自分だけ戻ればよいとは、思っていないのでしょう」

 ルーカスは少しだけ笑った。

「厳しいな」

「橋が忙しいと仰って、いつも出ていく方には必要です」

 妻は外套の留め具を直した。

「あの子には、隣の領主と話をしに行くと伝えます」

「ああ」

「ですから、そうして戻ってきてください」

◇ ◇ ◇

 ルーカスの一行は、その日のうちに西の領境へ向かった。

 同行した兵は、自領側の見張り場で止めた。

 境を示す石の先には、西隣の領主の兵が立っている。

 向こうからルーカスへ近づく者はいなかった。

 こちらも越えない。

 先行した使者が戻ったのは、日が傾き始めた頃だった。

「ご入領は認めるとのことです」

 使者は馬を下り、書状を差し出した。

「ただし、従者と書記は一人ずつ。三人とも武器を持たず、先方の兵が案内します。関所には、通行の扱いを任された代官が出向くそうです」

「領主本人は来ないのか」

「代官へ任せたと」

 ルーカスは書状を読んだ。

 交渉のための入領と、帰路の通行を認めると記されている。

 日時と人数もある。

 家宰が横から確かめた。

「関所までは、今から向かえば暗くなります」

「今日はここで泊まる。明朝に入ると伝えてくれ」

「承知しました」

 ルーカスは、相手の兵が立つ場所を見た。

 道は続いている。

 歩けば越えられる距離なのに、一通の書状を待つために半日が過ぎた。

 護衛の指揮官が近づく。

「領主様。明日は、我々はここで待ちます」

「ああ」

「異変があれば、すぐに知らせてください」

「勝手に領境を越えるな。知らせが遅れた時は、決めたとおりに動け」

 指揮官の顔が硬くなる。

「ですが」

「私を助けるために、お前たちが先に攻め込んだ形にされては困る」

 ルーカスは相手の肩へ手を置いた。

「戻る道まで塞がせるな」

「……承知しました」

 翌朝、ルーカスは剣帯を外した。

 短剣も抜き、家宰へ渡す。

 従者と書記も武器を預けた。

 持っていくのは、通行許可の書状と、入領を認めた返書。荷の記録と、交渉に必要な紙だった。

 境の向こうで、案内役の騎士が待っている。

 ルーカスは馬を進めた。

 兵たちの間を通る。

 案内役が書状と人数を確かめ、短く頭を下げた。

「関所までご案内いたします」

「頼む」

 ルーカスは後ろを振り返らなかった。

 自分の兵は、境の石の手前へ残っている。

 そこから先を囲むのは、隣の領主の兵だった。

◇ ◇ ◇

 荷車が止められた関所へ着いたのは、昼前だった。

 ルーカスは領内側から近づいた。

 道を塞ぐ丸太の向こうに、荷車の幌が見える。

 塩俵を積んだ荷車は街道の外側へ寄せられ、その周囲でグレンツベルクの護衛が待っていた。

 こちらへ気づいた兵が、思わず一歩前へ出る。

 ルーカスは片手を上げ、動かないよう示した。

 自分は関所の内側にいる。

 荷車と護衛は外側だ。

 間には、槍を持つ相手の兵が並んでいた。

「お待ちしておりました」

 建物から、毛織りの上着を着た男が出てきた。

 腰へ剣を下げ、後ろには書記と二人の兵を従えている。

「この関所の通行を預かる代官です」

「ルーカス・フォン・グレンツベルクだ」

 ルーカスは馬を下りた。

「荷を運ぶ商会の者も呼んでほしい。武器は持っていない」

「先に、お話を伺います」

「荷の数と経緯を知っている。後から同じことを聞き直すより早い」

 代官は少し考えた後、兵へ命じた。

 商会の差配役だけが、丸太を避けて内側へ通される。

 グレンツベルクの護衛は動かなかった。

 差配役はルーカスの前へ来ると、深く頭を下げた。

「お越しいただくことになり、申し訳ありません」

「荷に傷みは」

「ありません。馬の水と飼料は、こちらで買えました。ただ、二晩止められています」

「兵は」

「誰も剣を抜いていません」

「それでよい」

 ルーカスは代官へ向き直った。

「どこで話す」

 案内されたのは、関所に併設された小さな詰所だった。

 窓から、止まった荷車が見える。

 その後ろにも別の荷車が二台並び、御者たちが関所の兵と話していた。

「あれも、通れないのか」

「荷を確かめているところです」

 代官が答える。

「普段から、これほど兵を置いているのか」

「警備を厚くするよう命じられました」

「盗賊が出た?」

「出てからでは遅いでしょう」

 ルーカスは椅子へ座った。

「その考えには賛成する」

 代官がわずかに眉を動かした。

「だから、こちらも護衛を付けた」

 差配役が通行許可の書状を広げる。

 ルーカスの書記も、同じ内容を控えた紙を並べた。

「護衛の人数まで届けている。認めた印もある」

「その後、命令が変わりました」

「なぜだ」

「武装した他家の兵が領内を行き来することは、好ましくないとのご判断です」

「王国の中で、商人の護衛が一人も領境を越えずに済むと思うか」

「すべての者を禁じたわけではありません」

「では、誰を禁じた」

 代官は答えず、書状の印へ目を落とした。

 ルーカスは追及を重ねなかった。

「今日は、その命令を変えろとは言わない」

「では、護衛を戻していただけますか」

「条件がある」

 ルーカスは窓の外を指した。

「私の兵は、そちらの領内へ入れない。その代わり、荷はあなた方の兵で守って通してほしい」

 代官の顔が止まった。

「我々が、グレンツベルクの荷を?」

「この領内の治安は、自分たちが守ると答えたそうだな」

 ルーカスは差配役を見た。

「はい。ですが、領境まで護衛を出せるか尋ねた時は、お返事をいただけませんでした」

「関所を守る兵と、荷を運ぶ護衛は別です」

 代官が言った。

「だから、判断できる者に来てもらった」

 ルーカスは地図を開いた。

 今日、自分が通ってきた道を指で辿る。

「ここからグレンツベルクとの領境まで、あなた方の兵が同行する。境のこちら側へ、私の兵を待たせる。双方が荷を確かめ、引き渡しを終えてから護衛を替える」

「そのために、こちらの兵を割けと?」

「他家の兵を入れずに荷を通す方法だ」

「通行税だけで、護衛まで引き受ける決まりはありません」

「必要な手当は相談する。ただし、何人を何日出すかを先に示してほしい」

 代官はルーカスを見た。

「随分と急なお話です」

「急に変わった命令へ、合わせている」

 詰所の外から、御者の声が聞こえた。

 いつまで待てばよいのかと、兵へ尋ねている。

 返事は聞こえなかった。

 ルーカスは机の上へ両手を置いた。

「武装した他家の兵を入れないという条件は守る。税も払う。荷の中身も見せる。領内の警備は、そちらへ任せる」

「それで、何かあった場合の責任まで、こちらへ負わせるのですか」

「荷を受け取った数と、引き渡した数を確かめる。事故が起きれば、何があったかを双方で記録する。何もかも無条件で償えと言っているのではない」

 差配役が、荷の一覧を前へ出した。

「塩俵の口には封があります。鉄も束ごとに数を残しています。受け渡しの確認はできます」

 代官は書面を見なかった。

「前例がありません」

「護衛の通行を認めた後、荷が来た日に断る前例はあるのか」

 ルーカスの声が低くなった。

 代官の後ろにいた書記が顔を上げる。

 短い沈黙が落ちた。

 ルーカスは息を吐き、声を戻した。

「兵に無理をさせたいのではない。あなた方にも、ここを守る仕事があることは分かっている」

「でしたら」

「だから、今日この荷に限って、必要な人数を決めたい。次の荷は、また別に条件を定める」

「一度認めれば、ほかの商人も求めます」

「求めるだろうな」

 ルーカスは窓の向こうを見た。

「この道を使う者は、私だけではない」

 外では、待っている荷車がさらに増えていた。

 グレンツベルクの荷が道を塞いでいるわけではない。

 それでも、警備を増やし、護衛の身元を一人ずつ確かめれば、普段より時間が掛かる。

 宿へ泊まる金が増え、馬の飼料も減っていく。

「荷が通らなければ、次は別の道を使う。通行税を払う者も減る」

「脅しですか」

「私の橋が落ちた時にも、同じことが起きる」

 ルーカスは代官を見た。

「だから直そうとしている。こちらの領民だけでなく、この道で暮らす者も困らないようにだ」

 代官は椅子の背へ身体を預けた。

 しばらく考えた後、立ち上がる。

「少し、お待ちください」

「どこへ行く」

「関所の指揮官と、出せる兵を確かめます」

 ルーカスは頷いた。

 代官が出ていくと、差配役が小さく息を吐いた。

「応じるでしょうか」

「断るなら、何を理由にするか聞く」

「ここまで条件を出しても、まだ断れます」

「ああ」

 ルーカスは認めた。

「だが、その時は、武装した兵が理由ではなかったと分かる」

 書記は黙って筆を動かしていた。

◇ ◇ ◇

 代官が戻ったのは、しばらく経ってからだった。

「今回の荷に限り、領境まで護衛を付けます」

 ルーカスはすぐには礼を言わなかった。

「人数と道は」

 代官が示した条件を、差配役とともに確かめる。

 途中で別の宿へ入れることはしない。

 荷を関所で数え、道中は商会の者が離れずに付く。

 日暮れまでに領境へ着けなかった場合の宿営場所も決めた。

 相手の兵へ出す手当と飼料の負担を詰め、書記が紙へ残す。

「グレンツベルクの兵は、こちらへ入れません」

 代官が重ねて言った。

「約束する」

「関所の外にいる護衛は、来た道を戻していただきます」

「商会の者とともに戻す。こちら側へ抜ける道を、勝手に使わせることはない」

 西側に残る護衛には、差配役から説明させた。

 次の荷を受け取る場所へ戻り、新たな命令を待つ。

 領境の向こうでは、ルーカスが残してきた兵が荷を迎える。

 使者が先に走った。

 荷車の覆いが外される。

 塩俵と鉄の束を一つずつ確かめ、双方の書記が同じ数を書き留めた。

 関所の兵が、俵の口へ付けられた封を覗き込む。

「開けるか」

 差配役が尋ねた。

 兵は指揮官を見た。

 指揮官は一俵だけ示した。

「これを」

 差配役が封を切り、口を開く。

 中にあるのは塩だった。

 確かめ終えると、再び口を縛り、双方の前で封を付け直した。

 やがて、道を塞いでいた丸太が動かされた。

「通せ」

 関所の指揮官が命じる。

 最初の荷車が進んだ。

 車輪が、丸太を置いていた土の跡を越える。

 次の荷車が続く。

 グレンツベルクの護衛は、剣を収めたまま外側へ残っていた。

 ルーカスは、その指揮官へ目を向けた。

「待たせたな」

「荷が通れば、それでよいのです」

「ここからは、決めたとおりに動いてくれ」

「はい」

 ルーカスも馬へ乗った。

 腰に剣はない。

 前後に付くのは、西隣の領主の兵だった。

 誰かを打ち倒したわけではない。

 関所を奪ったわけでもない。

 それでも、止まっていた荷車が動いている。

 道の脇で待っていた御者が、帽子を取った。

「こちらの荷も、通してもらえるのでしょうか」

 問いはルーカスではなく、代官へ向けられていた。

 代官は渋い顔をした。

「順に確かめる。騒ぐな」

 ルーカスは口を挟まなかった。

 次に何を答えるかは、この領地を預かる者の仕事だった。

◇ ◇ ◇

 荷の引き渡しが終わった時には、空が赤くなり始めていた。

 グレンツベルク側の兵が、境の石の手前で待っていた。

 荷車が止まり、双方の書記が記録を比べる。

 俵の数。

 鉄の束。

 途中で封を開けた一俵。

 すべてが記されたとおりだった。

「確かに受け取った」

 家宰が言い、書面へ印を押した。

 西隣の領地の指揮官も、自分の控えを受け取る。

 そこで初めて、ルーカスの兵が荷車の横へ付いた。

「ご苦労だった」

 ルーカスは相手の指揮官へ言った。

「命令ですので」

「それでも、荷を守ってくれた」

 指揮官は返事に迷ったようだった。

 やがて短く頭を下げ、兵を連れて引き返した。

 ルーカスは家宰から剣を受け取った。

 剣帯を腰へ戻す。

 その重さを確かめた時、肩へ入っていた力がようやく抜けた。

「お疲れでしょう」

 家宰が言う。

「馬より、椅子へ座っていた時間の方が長い」

「交渉は、楽ではなかったようですな」

「楽なら、最初から通っている」

 ルーカスは荷車へ目を向けた。

「館ではなく、先に市場へ知らせろ。届いたことを隠す必要はない」

「すべて配るのですか」

「違う。買い付けた商人へ渡す。値と売る量は、決めたとおりに確かめる」

「承知しました」

「鉄は鍛冶屋へ。必要な分を渡した後、残りを記録して倉へ入れる」

 家宰が兵へ指示を出す。

 荷車は再び動き始めた。

 領内の町へ入る頃には、到着を聞いた者が道の脇へ集まっていた。

「塩が来たぞ」

「西からか」

「本当に通れたのか」

 声が重なる。

 ルーカスは大きく手を上げなかった。

 荷車が市場の脇へ入るのを見届け、商人とともに荷を下ろさせる。

 塩を扱う男が一俵へ触れ、深く息を吐いた。

「これで、次を待てます」

「ああ。使い切るまで待たずに、次の手配をする」

「同じ道を通せますか」

「今回だけだ」

 ルーカスは隠さなかった。

「だから、船着き場の仕事も止めない」

 鍛冶屋は鉄の束を確かめると、荷車の御者へ尋ねた。

「車輪の留め具が緩んでいる。帰る前に見せろ」

「まだ使えます」

「荷を下ろした今のうちに直せば、道で外れずに済む」

 御者が苦笑し、頷いた。

 届いた鉄の一部は、すぐに次の荷を運ぶ荷車へ使われることになった。

 ルーカスはそのやり取りを眺めた。

 兵を増やしたわけではない。

 領地を広げたわけでもない。

 ただ、一度、荷が届いた。

 それだけで、止まりかけていた仕事が動き始めていた。

◇ ◇ ◇

 西へ帰るレオンハルトの軍列は、来た時と同じ街道を進んでいた。

 王都で与えられた爵位があっても、雨で柔らかくなった道が固くなるわけではない。

 荷車が止まれば後ろも止まる。

 熱を出した兵は荷車へ乗せ、歩けるようになっても、すぐには列へ戻さなかった。

 アレクはギルベルトとヴォルフラムの報告を受けながら、列の前後を行き来した。

 ベルグハーフェンが近づくと、街道の分かれ道でレオンハルトの本隊と別れた。

 レオンハルトは自らの拠点へ戻り、各隊長を集める。

 マティアスとアレクは、商会と工場の仕事を確かめるため、ベルグハーフェンへ向かう。

「戻ったら、四百挺を調べろ」

 レオンハルトが言った。

「その予定です」

「使えないものがあれば、隠すな」

「隠しません」

「兵も休ませろ」

「殿下も、お休みください」

「俺の仕事を減らしてから言え」

 アレクがマティアスを見る。

 マティアスは首を横へ振った。

「それは、私の仕事ではない」

「ならば、誰の仕事だ」

 レオンハルトが尋ねる。

「殿下ご自身でお決めください」

 ユリウスが答えた。

 レオンハルトは不満そうに鼻を鳴らしたが、それ以上は言わなかった。

 別れ際、マティアスへ顔を向ける。

「グレンツベルクから報告が来たら、こちらにも送れ」

「承知しております」

「荷が届いたかだけではない。誰が邪魔をしたかもだ」

「同じ報告に書かれるでしょう」

「ああ」

 レオンハルトは東へ続く道を一度見た。

「橋を見に行く約束も、残っている」

 それだけ言い、馬を進めた。

 黒獅子の旗が本隊とともに遠ざかる。

 アレクたちは、火槍隊と荷車を連れてベルグハーフェンへ向かった。

 城門の前には、帰還を聞いた人々が集まっていた。

 マティアスが伯爵になったという話は、先触れとともに届いていたらしい。

「マティアス伯爵!」

「お帰りなさいませ!」

 声を受け、マティアスが片手を上げる。

 アレクへ向けても、子爵という呼び名が飛んだ。

 自分のことだと気づくまで、少し間があった。

「返事をしろ」

 マティアスが小声で言う。

「聞こえています」

「聞こえている顔ではない」

 アレクも手を上げた。

 沿道の子供が、革に包まれた火縄銃を指す。

「王都でも撃ったのか」

「城壁が壊れたと聞いたぞ」

「壊していません」

 アレクは思わず答えた。

 マティアスが横で笑う。

「その話は、帰る途中の宿場でも聞いた」

「殿下に訂正していただきたいです」

「自分でしろ」

 門をくぐっても、仕事は待っていた。

 火縄銃を工場へ運ぶ列と、兵舎へ戻る列を分ける。

 持ち帰った火薬と弾薬は、定められた場所へ収める。

 ロルフは工場の前で、腕を組んで待っていた。

「戻したか」

「四百挺すべてあります」

「王へ見せたものは」

「こちらです」

 アレクが木箱を示すと、ロルフは先に封を確かめた。

 蓋を開け、布を外す。

 王宮へ持ち込んだ一挺を取り出すと、木台の傷へ目を向けた。

「新しい傷は、なさそうだ」

「気をつけました」

「王は分解しなかったか」

「させていません」

「ならよい」

 ロルフは火縄銃を台へ置いた。

「残りも、番号と記録を合わせて受け取る。今夜中に全部終わると思うな」

「急がせるつもりはありません」

「それなら、兵を休ませろ。眠い顔で数えられても困る」

 アレクは頷いた。

 職人たちが木箱を運び始める。

 ロルフはアレクの方を見ずに言った。

「子爵になったそうだな」

「はい」

「なら、割れた筒を使ってよい理由が増えたわけではないな」

「増えていません」

「分かっていればよい」

 王都では、爵位を得た瞬間に向けられる目が変わった。

 ここでは、ロルフの態度はほとんど変わらない。

 アレクは少しだけ安心した。

◇ ◇ ◇

 エリーゼからの手紙は、ベルグハーフェンの館で受け取った。

 留守中に届いた書状が、宛名ごとに分けられている。

 領内の報告、商会からの確認、工場の記録。

 その中に、見慣れた封があった。

 アレクの手が止まる。

「それは、お前が読め」

 マティアスが言った。

「最初から、そのつもりです」

「今ここで開けるのか」

「……後で読みます」

「誰も止めていない」

「見ているではありませんか」

 マティアスは何も言わず、別の書状を開いた。

 アレクは手紙を革袋へ収めた。

 その日は帰還の報告と、工場や兵舎への指示で終わった。

 翌朝、必要な引き継ぎを済ませ、アイヒェンタールへ向かう。

 谷の入口では、新たに所領となった村の者たちが待っていた。

 国王の書状を示し、村長と顔を合わせる。

 古い関所には、見張りに使っていた台と、傷んだ門が残っていた。

 牧草地の方へも目を向けたが、その日は歩き回らなかった。

 人を集め、話を聞く日を決める。

 帰還したその場で、すべてを変えるつもりはないと伝えた。

 アイヒェン村へ着いたのは、日が傾いてからだった。

 領主館の前へ出ていた村長が頭を下げる。

「お帰りなさいませ、子爵様」

「留守の間、変わりはありませんでしたか」

「報告に書いたことのほかには、大きなものはございません」

「なら、詳しい話は明朝に聞きます」

「今夜ではなくてよろしいのですか」

「皆さんも仕事を終えたところでしょう。私も、今日は休みます」

 村長が、少し驚いた顔をした。

 アレク自身も、以前なら今すぐ帳簿を広げていたかもしれないと思った。

 人へ任せると言って出ていった。

 戻った途端、任せた仕事をすべて自分の手へ戻す必要はない。

 自室へ入ると、机も寝台も、出発した時とほとんど変わっていなかった。

 窓の外から、家畜を小屋へ入れる声が聞こえる。

 王宮の鐘とは違う、よく知った夕方の音だった。

 アレクは荷を下ろし、手を洗った。

 それから、エリーゼの手紙を机へ置いた。

 封を開く。

 最初に書かれていたのは、王都へ向かうという知らせを受け取ったことへの返事だった。

『国王陛下にお会いすることを、私まで緊張しながら読みました。ですが、アルベルト様に初めてお会いした頃のアレクも、今よりずっと緊張していたのではありませんか』

 アレクは、初めてアルベルトの前へ出た時を思い出した。

 何を答えるべきか分からず、自分がどこから来たのかさえ、うまく説明できなかった。

 あの頃の自分へ、いずれ国王から爵位を受けると話しても、信じなかっただろう。

『マティアス様から贈られた鎧は、よく似合っていました。王宮の慣習は私には分かりませんが、あの鎧を着たアレクが、胸を張ってお話しできることを願っています』

 そこで、アレクの口元が緩んだ。

 王宮では何度も、誰の前で何を話すかを考えた。

 自分の働きを小さくしすぎず、大きくも見せない。

 そう言われ続けた時、エリーゼの言葉を先に読めていたら、少し違う心持ちで立てただろうか。

 続きを読む。

『首飾りは、今も大切にしております。次にお会いした時も身につけていたら嬉しいと書かれていましたので、その日は忘れずに着けます』

 アレクは一度、手紙から目を離した。

 出発前、素直すぎたと思いながら消せなかった一文だった。

 相手は、きちんと読んでいた。

 当然のことなのに、顔が熱くなった。

『戻った時に直接お話ししたいことがあると伺い、何だろうと考えています。ですが、先に答えを決めて待つことはしません。アレクがご自分の言葉で話してくださるのを楽しみにしています』

 最後には、王都までの旅の無事と、帰還を願う言葉があった。

 東部の盟約も、王都の舞踏会も、子爵位も書かれていない。

 エリーゼが返事を書いた時には、まだ起きていなかったことだ。

 アレクは手紙を最初から読み直した。

 王都で、自分が何を得たか。

 どれほどの責任が増えたか。

 誰から、どのように見られるようになったか。

 帰るまでは、そればかり考えていた。

 しかし、この手紙を書いたエリーゼが待っているのは、国王の裁定だけではない。

 アレク自身が、何を見て、何を感じて戻ったかを聞こうとしている。

 机の脇から紙を出す。

 筆を取り、しばらく考えてから書き始めた。

『無事に王都から戻り、今日、アイヒェンタールへ帰りました。ベルグハーフェンでお手紙を受け取り、今、領主館で読んでいます』

 まず、それを伝えたかった。

 帰ったこと。

 手紙が届いたこと。

 返事を書ける場所へ戻ったこと。

『国王陛下への謁見では、何を聞かれるか分からず、最後まで緊張していました。それでも、マティアス様やレオンハルト殿下とともに、戦場でのことをお話しできました』

 筆先を整える。

『論功行賞で、正式に子爵位をいただきました。アイヒェンタールに加えて、谷の入口の二つの村と、古い宿駅、関所、森林、牧草地を治めることになりました』

 書き終えた言葉を眺める。

 子爵になった。

 王都では、何度もそう呼ばれた。

 しかし、エリーゼへ伝える一文にすると、また違う重みがあった。

『知らせを受けた時は、嬉しいと思うより先に、新しく治める村のことを考えました。ですが、今こうしてエリーゼへ書いていると、ようやく嬉しいと素直に思えます』

 アレクは筆を止めた。

 大公家の娘であるエリーゼとの隔たりが、なくなったわけではない。

 子爵になったから、もう何も案ずることはないと言えるほど、世の中は簡単ではなかった。

 それでも、何も持たずにアルベルトの城へ来た頃よりは、自分の足で立てる場所が増えた。

 彼女へ話せることも増えた。

『次にお会いする時には、以前より少し胸を張ってお話しできそうです。ただ、戻ったばかりで、領地で確かめなければならないことが多く、まだ会いに行けそうにありません』

 そこまで書き、窓の外を見た。

 中庭の灯りが一つずつ消えていく。

 明日は、新しい村の者と話す。

 その次には、関所と宿駅へ向かう。

 手を付けるべき仕事は、すでに並んでいた。

『直接お話ししたかったことを、先に手紙へ書くことになりました。ですが、王都で見たものや、そこで考えたことは、まだ書ききれません。お会いした時に聞いていただければ嬉しいです』

 最後に、首飾りのことを書くか迷った。

 すでに返事をもらっている。

 同じことを何度も書けば、催促しているように見えるかもしれない。

 それでも、何も触れずに終えるのは違う気がした。

『首飾りのお返事も、嬉しく読みました。次にお会いする楽しみが、一つ増えました』

 アレクは、自分の名を書いた。

 乾くのを待つ間、エリーゼの手紙をもう一度開く。

 伯爵と呼ばれるようになったマティアスも、子爵と呼ばれる自分も、帰れば仕事が待っていた。

 だが、それだけではない。

 会いたいと思う人がいる。

 その人へ、自分が戻ったと知らせることができる。

 アレクは乾いた紙を畳み、丁寧に封をした。

◇ ◇ ◇

 グレンツベルクからの報告がベルグハーフェンへ届いたのは、アレクが帰領して数日後だった。

 マティアスは商会の差配役の記録と、ルーカスの書状を並べて読んだ。

 関所で告げられた条件。

 交渉のための入領許可。

 荷を守る兵を領境で交代させる取り決め。

 支払った手当と、引き渡された荷の数。

 同じ出来事が、別々の筆跡で残っている。

「一人で行ったわけではないのだな」

 マティアスが尋ねる。

 書状を運んだ者が答えた。

「従者と書記を伴われました。武器は領境へ置かれています」

「思い切ったことをする」

「危険だったでしょうか」

「危険でなければ、何をしてもよいわけではない。だが、今回は相手が入領と帰路を認めた書状も取っている」

 マティアスはその写しを確かめた。

「守り方は考えていたようだ」

「次の荷も、同じ条件で送れますか」

「まだ送るな。今回限りと書いてある」

「塩がなくなる前に、次を出す必要があります」

「分かっている。船着き場の報告を先に見せろ。それから、今回の領主へ継続して引き受ける条件を尋ねる」

 マティアスは別の紙を引き寄せた。

 レオンハルトへ送る報告を、自分の言葉で短くまとめる。

 数日を経て、それを読んだレオンハルトは、最後の一行で声を上げて笑った。

『ルーカスは関所を奪わず、関所の兵を働かせました』

「マティアスらしい褒め方だな」

 ユリウスが書状を受け取る。

「荷は無事に届いたようです」

「ああ」

「ただし、次の通行は保証されておりません」

「一度で全部片づくとは思っていない」

 レオンハルトは地図を見た。

 グレンツベルクへ続く道の途中へ、新しい印を付ける。

「ここの領主は、最後には荷を通した」

「フェルゼン伯爵の意向に、最後まで従ったわけではないということですか」

「何を望んで通したかは分からん。だが、話す余地はある」

 レオンハルトは椅子から立ち上がった。

 窓の外では、集められた隊長たちが馬を下りていた。

 軍を動かせるようにするため、兵数と装備を確かめる日だった。

「ルーカスへ返事を出す」

「何と」

「荷が届いたことは喜ばしい。次は、自分が無事に戻ったことも最初に書けと」

 ユリウスが書状の冒頭へ目を落とす。

 確かに、最初にあるのは塩俵と鉄の束の数だった。

 ルーカス自身の帰還は、その後に短く記されている。

「殿下がお気になさっていたと、伝えてよろしいでしょうか」

「余計なことを書くな」

「承知しました」

 ユリウスは紙を取り出した。

 レオンハルトは窓から目を離し、隊長たちの待つ部屋へ向かった。

◇ ◇ ◇

 イグナーツの机へ、三通の書状が届いていた。

 一通は、グレンツベルクへ荷を通した西隣の領主からだった。

 他家の武装した兵は入れていない。

 自領の兵が警備を行い、通行税も受け取った。

 そう書かれている。

 間違いはなかった。

 イグナーツが求めた、街道の警備を厚くするという方針にも、表向きは従っていた。

 残る二通は、東部の小領主からだった。

 どちらも、盟約への返答をまだ寄越していない家だ。

「何と申しております」

 代官が尋ねた。

 イグナーツは一通を机へ置いた。

「塩と鉄の値を確かめたいそうだ」

「これまでの条件を伝えますか」

「その前に、グレンツベルクへ西から荷が届いたという話を知っている」

 代官が黙った。

「こちらも、同じ商会と取引できるのかと書いている」

「我々へ尋ねることではありません」

「ああ。だから、答えを求めているのではない」

 イグナーツはもう一通を開いた。

 盟約については、領内の収穫と支出を確かめてから返答したいとある。

 以前より、言葉に余裕があった。

 急いで加わらなければ、塩と鉄が得られない。

 そう思わせていたはずだった。

「ルーカスへ荷が一度届いただけです」

 代官が言う。

「その一度を、見られた」

 イグナーツは書状を閉じた。

 橋はまだ直っていない。

 西から来た荷も、領地を長く支えるほどの量ではない。

 それでも、ルーカスは盟約へ加わらず、塩を手に入れた。

 同じことが自分にもできるのではないか。

 そう考える者が現れた。

「この二家には、まだ何も止めるな」

「よろしいのですか」

「今止めれば、本当に西へ向く」

 代官が頭を下げた。

 イグナーツは、グレンツベルクの名が記された地図を見た。

 小さな領地だった。

 兵も少ない。

 一つの橋と、丘陵の間を通る道を持つだけの若い領主だ。

 その男を従わせるために始めた圧力が、今は周囲の諸侯へ、従わずに済む道を見せている。

 イグナーツは二通の書状を、盟約書の上へ置いた。

 署名のない場所が、先ほどより広く見えた。

お読みいただきありがとうございます。

剣を抜かずに荷を通したルーカス。その一歩は、周囲の諸侯にも新たな選択肢を示しました。

帰領したアレクも、得た爵位と変わらぬ想いを手紙に託します。

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