第九話 王宮の外で
王都の外、同数の護衛を伴って向き合う国王とレオンハルト。約束されていた会談で、東部への関与と兵を動かす条件が話し合われます。
ルーカスがグレンツベルクへ戻る数日前、王宮の客室では、持ち帰る荷の確認が始まっていた。
論功行賞で与えられた書状、諸侯との会談で交わした覚え書き、王都で買い付けた品の目録。その横へ、まだ返答を終えていない面会依頼が積まれている。
王都へ来た時より、明らかに紙が増えていた。
アレクは長机の前へ座り、加増された土地の図面を見ていた。
谷の入口にある二つの村。
旧宿駅と古い関所。
森林と牧草地。
王都へ来る前には、自分の領地の外だった場所だ。
「いつまで見ている」
マティアスに声を掛けられ、アレクは顔を上げた。
「帰った後、どこから確かめるか考えていました」
「村を先に見ろ。土地の広さより、何人が暮らし、誰が仕事をまとめているかを知る方が先だ」
「関所の修繕も必要です」
「壊れている場所は、留守の者に調べさせている。お前が戻ってから始める必要はない」
マティアスは机の反対側へ座った。
アレクの図面を引き寄せ、谷の入口から奥へ続く道を指で辿る。
「見回りに、どれだけ掛かる」
「まだ歩いていません」
「今の領地なら分かるだろう」
「一番遠い集落までは、歩けば半日ほどです。荷を積めば、もっと掛かります」
「入口の村まで加われば、さらに広くなる」
「はい」
「子爵になったのなら、騎馬隊を持たなければな」
アレクは図面から顔を上げた。
「騎馬隊ですか」
「領境の見回りも、使者を守る役目も増える。何かあってから徒歩の兵を出していては、着く頃には終わっていることもある」
「私の直属兵は百人で、全員を火槍兵として使っています。そこから騎馬隊へ回す余裕はありません」
「十人でも二十人でも、いないよりはよい」
「その二十人を抜けば、火槍兵は八十人になります」
アレクは机の上へ指を置いた。
「今は百人で組んだ訓練と役割があります。射撃する者だけを減らせばよいわけではありません。班の人数を変えれば、同じ動きを続けるために、もう一度編成を考え直す必要があります」
「四百人の火槍隊がいるではないか」
「あの四百人すべてが、私の直属兵ではありません」
「分かっている」
「私の判断で、マティアス様と殿下の兵を騎馬兵へ変えることもできません。新しく兵を雇うなら、その者たちを養う金と、馬と、教える者が必要です」
マティアスは口元をわずかに上げた。
「ようやく、馬だけ買えば済む話ではないと分かったな」
「最初から分かっています」
「ならば、その続きも考えろ」
「今すぐには難しいと申し上げています」
「今すぐ百人を集めろとは言っていない」
マティアスは、図面の牧草地を指した。
「馬を置ける土地は得た。水場と囲いを確かめ、どれだけ飼えるか調べさせろ。領内の馬も数え直す。荷車を引く馬を取り上げて兵へ渡すようなことはするな」
「農作業にも使っています」
「だからだ。騎馬兵を増やして、荷車が動かなくなっては意味がない」
アレクは図面の端へ、馬と水場と書き加えた。
「調べるところからなら始められます」
「それでよい」
「ただ、火槍兵を減らすことには賛成できません」
「お前が何を残したいかは分かった。では、何を増やせば両方を持てるか考えろ」
「結局、仕事が増えました」
「領地が増えたのだから当然だ」
マティアスは立ち上がり、別の書状を手に取った。
アレクは図面へ目を戻した。
騎馬隊が必要だという話は理解できる。
遠い集落で火事が起きた時も、領境に見慣れない兵が現れた時も、早く人を送れた方がよい。
しかし、馬を買っただけでは騎馬隊にはならない。
乗れる兵を集め、訓練し、飼料を用意しなければならない。馬が病気になった時に診る者も、蹄を扱う者も必要になる。
火縄銃を増やすためにも、すでに多くの金と人を使っていた。
今の百人は減らせない。
別の部隊を持つには、まだ足りないものが多すぎた。
アレクは、書き加えた文字の下へ短い線を引いた。
帰ったら調べる。
今、決められるのはそこまでだった。
◇ ◇ ◇
ライゼンが訪れたのは、その日の昼過ぎだった。
王宮の侍従に案内されて入ってきた将軍は、レオンハルトへ一礼し、畳んだ地図を差し出した。
「会談の場所と警備について、国王陛下のご承認をいただきました」
「見せろ」
長机へ地図が広げられる。
示されたのは、王都の西にある修道院だった。
王家の館でも、レオンハルトに属する諸侯の城でもない。以前から領主同士の争いを話し合う場所として使われ、今回は修道院側が双方へ同じ条件で建物を貸すことになっていた。
「街道から、どれだけ離れている」
「馬で半刻ほどです。途中に村が一つありますが、双方の兵を泊めることはいたしません」
「周囲は」
「南側は畑です。北側に林があります。会談に先立ち、双方の者で確認できます」
「王都軍だけで調べた後、安全だと言うのではないな」
「そのようにはいたしません」
ライゼンは淡々と答えた。
ユリウスが地図を覗き込む。
「護衛は二十人ずつで相違ありませんか」
「はい。側近は護衛と別に三人まで。会談する部屋へ入る者は、事前に互いへ知らせます」
「建物の中へ、兵は置くのか」
レオンハルトが尋ねた。
「内側の扉前に二人ずつ。残りは外です。修道院の使用人以外は、勝手に出入りさせません」
「剣は」
「陛下も殿下も、会談の部屋へ入る前に預けます。側近も同様です」
「兄上はよく認めたな」
「殿下もお預けになると申し上げました」
「俺が嫌だと言ったらどうする」
「もう一度、条件を決め直すことになります」
ライゼンは表情を変えなかった。
レオンハルトはしばらく将軍を見た後、短く笑った。
「冗談だ。預ける」
「承知しました」
「日時は」
「明後日の午前です」
「よい。こちらはマティアス、ユリウス、アレクを連れていく」
名を呼ばれ、アレクは顔を上げた。
「私もですか」
「お前が定める火槍兵の基準と、東へ送る荷の話にもなる。後から聞いていないと言われては困る」
「承知しました」
ライゼンがアレクを見る。
「新型火槍は持ち込まない」
「持っていきません」
「護衛にもだ」
「はい」
レオンハルトが地図へ手を置いた。
「こちらの軍は、会談の後に帰途へつく準備をさせる」
「国王陛下も、ご帰還を妨げるおつもりはありません」
「妨げられても困る」
「王都に残る面会相手は、多いと伺っています」
「全員の話を聞いていたら、領地へ帰れん」
ライゼンは一礼した。
「では、そのように手配いたします」
将軍が出ていくと、レオンハルトは地図を畳まずに椅子へ座った。
しばらく誰も口を開かなかった。
王都では、国王と何度も顔を合わせている。
戦勝を報告し、火縄銃を見せ、論功行賞を受けた。ルーカスの橋について話し、晩餐会では同じ卓へ座った。
それでも、今回の会談は別だった。
「護衛の数まで揃える必要が、まだあるのですね」
アレクが言う。
「必要がなくなったと思うか」
レオンハルトが尋ねた。
「少なくとも、宴では仲が悪いようには見えませんでした」
「兄弟の仲と、互いに兵を持つ者同士の約束は別だ」
レオンハルトは修道院の位置を指した。
「約束した条件を、今は仲がよいから要らんと変える。次に仲が悪くなった時は、何を信じればよい」
アレクは答えられなかった。
「同じ人数を連れて、同じ場所へ来る。それだけのことを守れない者と、東部の話などできん」
マティアスが頷いた。
「陛下も、王宮で済ませたことにはなさいませんでした」
「ああ」
レオンハルトは短く答えた。
「だから、俺も行く」
◇ ◇ ◇
会談当日の朝、王都の空には薄い雲が広がっていた。
レオンハルトの一行は、城外の宿営地から西へ向かった。
護衛は二十人。
アレクとマティアス、ユリウスが続く。
火槍隊四百人は宿営地へ残り、帰還の準備を進めていた。火縄銃を包む覆いを確かめ、荷車を整え、王都で使った物の支払いを終える。
レオンハルトたちが戻れば、軍は西へ動き出せる。
街道を外れ、畑の間の道を進むと、低い石壁に囲まれた修道院が見えた。
大きな城ではなかった。
鐘楼と礼拝堂、その横に宿泊用の建物が並んでいる。門の前には、修道院の者が二人立っていた。
王家の旗も、レオンハルトの旗も掲げられていない。
門へ着く前に、ユリウスと護衛の指揮官が先へ出た。
国王側からもライゼンと数人が来る。
双方で建物と周囲を確かめ、護衛の人数を数えた。
見張りの立つ位置も、井戸と馬繋ぎ場までの道も確認する。
アレクは馬上でその様子を見ていた。
兵が同じ数いるからといって、完全に同じ条件になるわけではない。
建物へ先に入った者、地形を知っている者、出入口へ近い者。それだけでも違いは生まれる。
だからこそ、誰が何を確かめたかを互いに見せていた。
「確認が終わりました」
ユリウスが戻ってくる。
「国王陛下も到着しておられます」
「行くぞ」
レオンハルトが馬を下りた。
門の内側で、国王も馬から下りていた。
金の飾りを多く付けた礼装ではなく、濃い色の上着を着ている。頭に王冠はない。
それでも、周囲の者が国王へ道を空ける動きは、王宮と変わらなかった。
「待たせたか」
レオンハルトが尋ねる。
「先ほど着いた」
「珍しく早いな」
「お前を待つために早く来たのではない」
「分かっている」
短い会話の後、二人は並んで建物へ入った。
案内された部屋の前で、剣を預ける。
国王が先に剣帯を外し、側近へ渡した。
レオンハルトも続く。
アレクたちも武器を預け、扉をくぐった。
部屋には長机が一つあった。
玉座はない。
国王とレオンハルトの椅子も、同じ高さだった。
国王側にはライゼンと政務官、書記官。
レオンハルト側にはマティアス、ユリウス、アレクが座る。
修道院の者が水を置き、部屋を出た。
扉が閉じられる。
国王は、机の上へ両手を置いた。
「シュヴァルツ討伐後に会うという約定を、今日、ここで果たす」
「異存はない」
レオンハルトが答えた。
書記官の筆が動く。
「王都での戦勝報告と論功行賞を、この会談の代わりにはしない。その点も、双方で確認したと残せ」
「承知しました」
書記官が答える。
アレクは、同じ高さの椅子へ座った兄弟を見た。
王と王弟であることは変わらない。
それでも、どちらかが相手の家へ呼びつけた形ではなかった。
決めた条件を守って、二人ともここへ来た。
国王がレオンハルトへ尋ねる。
「今日は、褒美の話をするつもりはない」
「俺もだ」
「では聞く。東部へ、どこまで関わるつもりだ」
レオンハルトはすぐに答えなかった。
机へ広げられた王国の地図を見る。
グレンツベルクの橋。
東部の採石場。
王都から延びる街道と、国境へ続く道。
「橋を直して終わりにするつもりはない」
「ルーカスの領地を、お前の勢力へ加えるか」
「本人が望むなら、力を貸す」
「その周囲の諸侯にも?」
「ああ」
「俺の許しを得たというだけで、東部へ手を伸ばせると思うな」
「だから、何を認めるかを今日決める」
国王の表情が引き締まった。
レオンハルトも笑っていなかった。
「東部には、フェルゼン伯爵らへ逆らえず、盟約へ加わろうとしている者がいる」
レオンハルトが続けた。
「塩を止められる。鉄を売ってもらえない。道を通れなくなる。それだけで、小さな領主は兵を出す約束をさせられる」
「すべての家が、脅されて加わるわけではない」
「分かっている。自分から王都を遠ざけたい者もいるだろう。だが、選べる道が一つしかなければ、迷っている者まで同じ側へ行く」
「お前が、別の道になるつもりか」
「マティアスの荷車を通す。必要なものを買えるようにする。それで従わずに済む家があるなら、やる」
国王はマティアスへ目を向けた。
「商会の取引だけでは済まなくなるぞ」
「すでに、倉を貸すだけで東部諸侯に睨まれると心配する者がおります」
「それでも借りるのか」
「相手が危険を理解し、条件に同意するなら」
「商人に、王国の争いを選ばせるつもりか」
「何も選ばずに済む状況ではありません。東の諸侯へ従わなければ荷を止められる。それも、商人へ選ばせていることになります」
国王は返事をせず、地図の橋を見た。
「お前が助けた領主は、俺よりお前を頼るようになる」
レオンハルトへ向けた言葉だった。
「ならば、兄上も助ければよい」
「王には、一つの橋だけを見て決められぬことがある」
「その間に橋が落ちれば、領民には誰が正しかったかなど関係ない」
アレクは息を止めた。
国王の隣で、政務官が身体を動かした。
しかし、国王は片手で制した。
「俺が何もしていないように言うな」
低い声だった。
「橋と採石場へ調査役を出すよう命じた。期限も縮めた。ルーカスの訴えを退けた覚えはない」
「知っている」
「ならば、調べる者を出すことと、軍を送ることを同じにするな」
国王は机の地図を指した。
「ここへお前の軍が入れば、隣の家は何を考える。王命へ背いていない者まで、自分の城が次に囲まれると思うだろう」
「俺の兵が来なければ、安心してフェルゼンへ従う者もいる」
「だからといって、恐れている者をすべて敵へ変えるのか」
「変えないために、先に助けると言っている」
「助けるという名で兵を置くこともできる」
レオンハルトが黙った。
国王は弟から目を逸らさない。
「お前が、そのつもりでなくともだ。ルーカスが受け入れた兵を見て、周囲がどう考えるかは、お前が決められん」
窓の外から、馬のいななきが聞こえた。
部屋の中では、書記官の筆も止まっていた。
レオンハルトは椅子の背へ身体を預けた。
「では、兵を送らず、荷だけ通せと言うのか」
「必要な護衛まで禁じるつもりはない」
「何人までだ」
「人数だけでは決められん。十人でも城門を奪えば攻撃だ。百人でも、自領で荷を守るだけなら話は違う」
「境を決めろ」
レオンハルトが言った。
「何をすれば王命に背くのか。どこまでなら、報告を待たずに守ってよいのか。それが曖昧なままでは、現場の者が剣を抜けん」
国王はしばらく考えた。
やがて、ライゼンへ尋ねる。
「将軍。お前ならどうする」
「まず、荷を通す領主と、護衛がどこまで同行するかを決めます」
ライゼンが答えた。
「その土地を治める者の了承なしに、武装した一隊を通せば、相手も兵を出します。通行の条件は先に書面へ残すべきです」
「その約束を、相手が途中で変えたら」
レオンハルトが尋ねる。
「荷を止められただけで、関所を攻めることは認められません」
「襲われれば」
「人と荷を守るために戦う。それは当然です」
「逃げた相手を追い、城まで入るのか」
国王が問う。
「いいえ。追撃しなければ再び襲われる状況はありますが、守るための戦いを、そのまま領地を奪う戦へ変えるべきではありません」
ライゼンの答えを聞き、国王は頷いた。
「その線で始める」
書記官が筆を取る。
「盟約へ名を連ねたことや、王都への不満を述べたことだけでは罰しない。今後も、何を行ったかで判断する」
国王は一つずつ言葉を区切った。
「交易と輸送の契約は認める。協力を望む領主と、倉、船着き場、街道の使用条件を決めてよい。ただし、その契約を理由に、勝手に徴税の権限や領地を取り上げてはならん」
「異存はない」
マティアスが答えた。
「護衛の通行と滞在は、各領主の了承を得る。荷を守るために来た兵を、別の領地へ向けて動かすな」
今度はレオンハルトが頷く。
「襲撃を受けた場合は、その場で人命と荷を守るために対処してよい。俺の返答を待つために、兵へ剣を捨てさせる必要はない。ただし、何が起き、誰が何を命じたかを報告せよ」
「相手が盗賊を名乗った場合もか」
ユリウスが尋ねた。
「名乗りではなく、行動を記せ。捕らえた者がいれば、所持品と証言を残せ。後から都合のよい主君の名を言わせるな」
「承知しました」
「関所や城を攻め、領地を押さえる場合は、改めて王命を出す」
レオンハルトの指が机を一度叩いた。
「その命令を求める間に、味方の城が落ちることもある」
「救援と討伐を一つにするな」
国王が返した。
「助けを求める領主が、自領へ軍を入れることを認めたなら、その領地へ向かうことまで禁じてはいない。だが、その道中にある城を、邪魔だからとすべて落としてよいとは言わん」
「分かった」
「本当に分かったか」
「気に入らんところはある。だが、分かった」
国王は短く息を吐いた。
「俺も、お前がすべて気に入る裁定をするつもりはない」
レオンハルトは地図を見た。
道は、一本の線で描かれている。
しかし実際には、その線の途中に別々の領主がいた。
一人が認めても、隣の一人が拒めば兵は止まる。
ルーカスを助けるという約束だけでは、そこまで辿り着けるとは限らなかった。
「マティアス」
「はい」
「橋までの道を、一本だけで考えるな」
「そのつもりです」
「船着き場もだ。使える場所が一つしかなければ、そこを止められる」
「すべてを同時に整える金はありません。まず、荷を通せる道を作ります。その後で増やします」
「急げ」
「急がせる相手と、急がせてはいけない仕事を分けます」
レオンハルトが顔を上げた。
マティアスは続けた。
「契約を急いでも、川の深さは変わりません。重い荷を載せれば舟が沈む場所なら、待てと申し上げます」
「分かっている」
国王が、わずかに口元を緩めた。
「止める者はいるようだな」
「兄上より話が早い」
「お前が聞かなければ、同じことだ」
笑い声は出なかった。
それでも、先ほどまでの張り詰めた空気が少しだけ緩んだ。
◇ ◇ ◇
水が替えられた後、国王は別の話へ移った。
「新型火槍の基準についても、確認しておく」
アレクが姿勢を正す。
「はい」
「王国の兵へ広げるための基準を命じたが、今すぐ各家へ武器を渡せとは言っていない。その理解で相違ないな」
「はい」
「王都でも、訓練へ人を出したいと申し入れる家が増えている。お前へ直接頼んだ者もいるだろう」
「いました。ですが、私だけでは決められないと答えています」
「それでよい」
国王はレオンハルトを見た。
「お前の下へしか渡さぬと、今ここで決めるつもりもない」
「条件を満たす者なら、話は聞く」
「その条件を、気に入らない者を除くためだけに作るな」
「好き嫌いで火薬庫の造り方を変えるつもりはない」
国王はアレクへ向き直った。
「まず何をする」
「帰還した四百挺を点検します。王都へ来る前から、職人たちと約束しています」
「昨日まで撃てたものもか」
「はい。行軍中に傷んだ部分があるかもしれません。祝砲で撃った記録も残しています」
「その後は」
「教える者を増やします。私や火槍隊長が一人ずつ見なければ動けないままでは、兵だけ増えても扱えません」
「王都軍からも、いずれ人を出す」
ライゼンが言った。
「その時は、訓練を終えるまで帰せないこともあります」
「日数を先に決めればよいのではないか」
「決めた日数が過ぎたからといって、覚えられるとは限りません」
ライゼンはアレクを見た。
やがて、小さく頷く。
「それも条件へ入れろ」
「承知しました」
アレクは手元へ書き留めた。
王都軍へ渡す時期も、数も、今日すべて決まったわけではない。
それでも、何を満たせば話を進められるかは決められる。
武器を欲しがる者へ、その都度違う返事をするよりはよかった。
国王は机の上を見渡した。
書状と地図が並んでいる。
橋、交易、護衛、新型火槍。
別々の問題に見えて、同じ場所へつながっていた。
「レオンハルト」
「ああ」
「帰領せよ」
国王の声が変わった。
兄弟の会話ではなく、命令を告げる声だった。
「兵を休ませ、武具と馬を整えろ。東部へ出動できるよう、兵糧と輸送の準備を進めよ」
レオンハルトは背筋を伸ばした。
「討伐の命令か」
「まだだ」
国王ははっきり答えた。
「調査は続ける。話を聞く相手も残っている。だが、何も起きぬと決めつけ、備えを怠るつもりはない」
「どこまで集める」
「領地の仕事を止めて、全員を城へ呼ぶ必要はない。誰が何日で動けるか、必要な馬と荷車がどれだけあるかを確かめろ。兵糧は、集めてから腐らせるな」
「マティアスに言え」
「お前へ命じている」
レオンハルトが頷いた。
「承知した」
「ライゼンも、王都軍の準備を進める。お前たちの報告が別々に届き、互いに何をしているか分からぬことがないようにする」
ユリウスとライゼンが目を合わせた。
国王は続けた。
「兵を動かす時、前の戦と同じ行き違いを繰り返すな」
「こちらの命令系統は変えん」
レオンハルトが言った。
「分かっている。お前の軍を、ライゼンの下へ置く話ではない」
「ならばよい」
「連絡を絶やさぬことと、同じ命令を受けることを混同するな」
ライゼンが一礼した。
「こちらから連絡役を定めます」
「こちらもだ」
ユリウスが答えた。
書記官が最後の項目を書き終えた。
決まった内容が読み上げられる。
国王もレオンハルトも、途中で何度か言葉を直させた。
曖昧な表現を残せば、実際に兵を動かす時に、違う意味へ変わる。
アレクはそのやり取りを聞きながら、ルーカスの領地へ続く道を見ていた。
同じ人数の護衛を連れて会う。
決めた土地へ軍を入れる。
誰に何を知らせるかを揃える。
どれも、地図の線ほど簡単ではなかった。
最後に、双方が書状を確認した。
国王が印を押す。
レオンハルトも続いた。
会談が終わり、扉が開かれる。
外では、護衛の兵たちが決められた場所へ立っていた。
国王もレオンハルトも、預けた剣を受け取る。
どちらか一方の兵が、相手を囲むことはなかった。
門の前で、国王が弟を呼び止めた。
「レオンハルト」
「何だ」
「ルーカスを助けると言ったな」
「ああ」
「気に入った一人だけを守れば、それで王国が治まると思うな」
レオンハルトは国王を見た。
「一人も守れずに、王国を守ったとは言えん」
国王はすぐには返さなかった。
やがて、短く頷いた。
「ならば、その一人へ続く道も守れ」
レオンハルトの視線が、門の外へ向いた。
王都へ戻る道と、西の宿営地へ続く道が分かれている。
「そのために帰る」
国王はそれ以上何も言わなかった。
兄弟は別々の馬へ乗った。
護衛が動き、それぞれの列ができる。
同じ場所へ来た二人は、今度は違う道を進んだ。
◇ ◇ ◇
レオンハルトたちが宿営地へ戻った時、火槍隊の荷はすでに積み終えられていた。
ギルベルトがアレクへ近づく。
「覆いと木箱の確認は終わっています。破れたものは交換しました」
「兵の体調は」
「熱を出した者が二人。歩かせず、荷車へ乗せます」
「無理はさせないでください」
「はい」
ヴォルフラムは、百人隊ごとの列を確かめていた。
王都へ入る時には、四百挺の音を一つに揃えた。
帰る時に必要なのは、同じ音ではない。
落伍する者を出さず、武器と兵を領地へ戻すことだった。
レオンハルトがユリウスへ命じる。
「先触れを出せ。帰還後、各隊長を集める」
「兵糧の手配についても伝えます」
「マティアス」
「商会へは、先に知らせます。東へ出した者を呼び戻す必要はありませんな」
「ない。橋の仕事は続けろ」
「承知しました」
アレクは、自分が持ち帰る書状を革袋へ収めた。
ロルフへの点検の依頼。
教官を育てるための覚え書き。
加増された土地の確認。
そして、牧草地と馬を調べるという、朝に増えた仕事。
今はまだ、それぞれ別の用件だった。
ただ、どれも次に兵を動かす時までには、何らかの答えを出さなければならない。
王都の城壁を振り返る。
来た時には、国王が何を考えているのか分からなかった。
帰る今も、すべて分かったとは思わない。
それでも、何を認め、何を認めないかは、書状に残った。
レオンハルトが馬へ乗る。
角笛が鳴った。
「出発する」
軍列が動き始める。
王都へ入る時のような歓声はなかった。
兵の足音と、荷車の車輪が軋む音が続いている。
その列は、東ではなく西へ向かった。
次に東へ進むため、まず帰る。
アレクは革に包まれた火縄銃の列とともに、王都を後にした。
◇ ◇ ◇
それから数日後、グレンツベルクの西では、塩を積んだ荷車が街道を進んでいた。
ルーカスが出した荷車と護衛が、西の倉で受け取った最初の荷だった。
数は多くない。
だが、荷を待つ者にとっては、東から来るはずだった大きな商隊より、実際に動いている数台の荷車の方が大切だった。
商会の差配役は、先頭の荷車の横を歩いていた。
船着き場の整備は続いている。
今回はそこを待たず、陸路で先に通す。
途中の領地には荷の内容と護衛の人数を伝え、通行の条件も確かめていた。
昼を過ぎ、道が緩やかに下ると、先に小さな関所が見えた。
普段なら、荷車が一台ずつ止まり、通行税を払って進む場所だった。
今日は違った。
道を横切るように丸太が置かれ、その後ろへ槍を持つ兵が並んでいる。
差配役が片手を上げた。
荷車が止まる。
グレンツベルクの護衛を率いる男が前へ出た。
「荷を通したい。先に届けたとおり、塩と鉄だ」
関所から、上着の上へ鎖帷子を着た男が歩いてきた。
「聞いている」
「では、記録を確かめてくれ」
差配役が書面を差し出す。
男は受け取り、印を見た。
「これは、荷の通行を認めたものだ」
「護衛の人数も書いてある」
「命令が変わった」
護衛の指揮官が眉を寄せた。
「いつだ」
「今朝」
「誰の命令で」
「領主様の命令だ」
男は書面を返した。
「武装した他家の兵は通せない。荷車と御者は通してよい」
「ここへ護衛を残せというのか」
「武器を預けるなら、通行を認める」
差配役は、丸太の向こうを見た。
兵は十人ほど見えた。
だが、関所の建物の陰にも人がいる。弓を持つ者が、窓の近くへ動いた。
護衛の指揮官も気づいていた。
腰の剣には手を掛けない。
「帰りに返すという保証は」
「受取を書いてやる」
「荷が襲われた場合は」
「この領内の治安は、我々が守っている」
「では、領境まで護衛を出せるか」
関所の男は答えなかった。
差配役が口を開いた。
「こちらは通行税を払う。届けた数より護衛を増やしてもいない。今日から条件が変わったというなら、その命令を書面で見せてほしい」
「見せる義務はない」
「では、通せない理由を、こちらの記録へ残す。名前を聞かせてくれ」
男の顔が険しくなった。
「脅しているのか」
「荷を待つ者へ、なぜ遅れたか伝えるためだ」
「商人が、領主の命令へ口を出すな」
「命令を変えろとは言っていない。何を命じられたか、確かめている」
後ろの荷車で、馬が脚を動かした。
御者が手綱を引き、宥める。
塩俵を覆った布が、風でわずかに持ち上がった。
そこにある荷は、武具ではない。
それでも槍が道を塞いでいる。
グレンツベルクの護衛の一人が、指揮官へ小声で尋ねた。
「横の畑を抜けますか」
「動くな」
指揮官は即座に止めた。
丸太をどければ、先へ進めるかもしれない。
目の前の兵だけなら、押し退けられるかもしれない。
だが、その瞬間に、塩を運ぶ一行ではなく、関所を破った兵になる。
「領主様へ確認を取る」
指揮官が言った。
「ここで待たせてもらう」
「街道を塞ぐな」
「脇へ寄せる。荷を改めるなら、こちらも立ち会う」
関所の男はしばらく睨んでいたが、やがて手を振った。
「好きにしろ。ただし、武装したまま先へ進むことは認めん」
荷車は街道脇に寄せた。
馬を外し、水を飲ませる。
護衛は剣を抜かず、荷車の周囲へ立った。
差配役は紙を出し、時刻と関所で告げられた言葉を書き始めた。
一人の使者が、来た道を少し戻って脇道へ入る。
馬なら通れるが、荷車を並べて運べる道ではなかった。
グレンツベルクまでは、まだ距離がある。
関所の兵は追わなかった。
ただ、塩俵を積んだ荷車が動けないことを確かめ、丸太の後ろへ戻った。
◇ ◇ ◇
報告がルーカスへ届いた時、彼は古い船着き場で、荷を置く場所を確かめていた。
領主館から追ってきた家臣が、息を切らして馬を下りる。
「西からの荷が止められました」
ルーカスは手にしていた木杭を置いた。
「塩か」
「はい。荷車は通すが、護衛は入れないと」
「通行の条件は、先に確かめたはずだ」
「今朝、命令が変わったそうです」
家臣が書面を差し出した。
ルーカスは最初から読み、もう一度、拒まれた理由を見た。
荷そのものを止めているわけではない。
そう言える形で、荷を動けなくしている。
王都で、マティアスが言っていた。
形の上では従う。
そのうえで、荷車を遅らせ、道が使えないと言う。
ルーカスは紙を畳んだ。
「どこの関所だ」
家臣が場所を告げる。
グレンツベルクの西隣、その領地へ入る道だった。
ルーカスは街道の方を見た。
橋を直す石は、まだ来ていない。
最初の塩さえ、届いていない。
だが、荷はすでに近くまで来ている。
ここで止まれば、領内の者は、西からも何も来ないと思うだろう。
「馬を用意しろ」
ルーカスが言った。
「私が行く」
「兵を集めますか」
「まず、通行を認めた書状を持ってこい。商会の者にも知らせる」
家臣が頷いて走り出す。
ルーカスは、作業を止めてこちらを見ている者たちへ向き直った。
「続けてくれ」
「荷は来るのでしょうか」
船頭の一人が尋ねた。
ルーカスは、手元の書面を外套の内側へ入れた。
「来ている。止められているだけだ」
それから、家臣が引いてきた馬の方へ歩き出した。
第九話を読んでいただき、ありがとうございました。
国王との会談を終え、レオンハルトたちは次の動きに備えて帰途につきました。一方、グレンツベルクへ向かう最初の荷は、関所で足止めされます。
自ら交渉へ向かうルーカスは、この道を開けるのでしょうか。引き続き、お楽しみいただければ幸いです。
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