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『知らない世界で、前世の知識が武器になる』 ~剣と銃で乱世を生き抜く転生領主の成り上がり~  作者: 相田 ソウ
第六篇 乱世を動かす火

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第七話 笑顔の戦場

 国王主催の歓迎晩餐会と舞踏会が始まります。

 兄弟が並ぶ席の下で、「マティアス伯爵の五旗衆」へ諸侯と令嬢たちが近づきます。差し出された手の向こうにあるのは、良縁か、それとも家々の思惑でしょうか。

 晩餐会場へ続く扉の前で、アレクは三度目になる上着の襟を直した。

「先ほどから触りすぎです」

 隣にいたエイドリアンが小声で言う。

「苦しいのです」

「直しても緩くはなりません」

「分かっています」

「ならば、触らない方がよいのでは」

「何もせずに待つ方が落ち着きません」

 アレクが答えると、エイドリアンも自分の袖口を直した。

「エイドリアンも同じではありませんか」

「私は折り目を揃えています」

「三度目ですよ」

「見ていたのですか」

「隣にいますから」

 二人が話している間にも、王宮の廊下には諸侯とその家族が集まっていた。

 男たちは家の紋章を胸や肩へ付け、女たちは色鮮やかな衣装をまとっている。宝石を付けた首飾り、金糸の刺繍、香油の匂い。甲冑も剣もないのに、戦場へ並ぶ軍勢より多くの色があった。

 アレクたちが近づくと、会話を止める者がいる。

 反対に、聞こえるよう声を大きくする者もいた。

「マティアス伯爵の五旗衆だ」

「中央にいるのがアレク子爵か」

「若いとは聞いていたが、本当に子供ではないか」

「シュヴァルツ伯を討った男だぞ」

「それにしても五人とも若い」

 背中へ向けられる言葉を聞き、アレクは前を歩くマティアスを見た。

 マティアスは何も聞こえていないように歩いている。

 その隣では、レオンハルトも振り返らなかった。

「気にするな」

 ヴィクトルが言った。

「気にしていません」

「襟を触る回数が増えている」

 アレクは上げかけた手を下ろした。

「ヴィクトルは平気なのですか」

「平気に見えるか」

 ヴィクトルは正面を向いたまま答えた。

 暗い赤の上着は似合っていたが、その左手は何度も腰の辺りへ動いている。

 普段なら剣がある場所だった。

「剣を探していますね」

「お前も先ほどから探している」

「私は二度だけです」

「数えている時点で同じだ」

「武器を取り上げられた兵が、二人」

 カスパルが後ろから言った。

「こちらには、言葉だけで戦える者が三人いる。今夜は私たちの勝ちだな」

「その三人とは誰だ」

 ロベルトが尋ねる。

「私とマティアス様と、レオンハルト殿下」

「私を入れないのか」

「ロベルトは言葉より、相手の財布を見ているだろう」

「財布を見れば、何を望んでいるか分かることもある」

「否定しないのか」

「役に立つものを、なぜ否定する」

 扉の前にいた王宮の侍従が杖で床を二度叩いた。

 五人の会話が止まる。

「レオンハルト殿下。マティアス・クレーマー伯爵。アレク・ハルトマン子爵。ヴィクトル・フォン・ドルンハイム。カスパル・フォン・ファルケナウ。ロベルト・フォン・リンデンフェルス。エイドリアン・フォン・モルゲンフェルト」

 一人ずつ名が読み上げられた。

 扉が左右へ開く。

 広間の奥まで、幾つもの卓が並んでいた。

 壁際には楽師が控え、弦楽器の静かな音を響かせている。天井から下がる灯りだけでは足りず、柱と窓の間にも燭台が置かれていた。

 その光を受けて、杯、食器、飾りの銀が輝いている。

 正面の一段高い卓には、すでに国王が座っていた。

 国王の右隣だけが空いている。

 レオンハルトが席へ向かうと、広間にいる者たちの視線も一緒に動いた。

「本当に右隣か」

 席へ着く前に、レオンハルトが言った。

「先ほど、侍従から伝えさせたであろう」

 国王が答える。

「聞いた。だが、実際に見ると余計に気に入らん」

「それでも来たではないか」

「兄上の宴を、こちらも利用すると決めたからな」

「ならば、諸侯に聞こえる声で文句を言うな」

「今さら俺が大人しく座れば、かえって怪しまれる」

「それもそうだな」

 近くに座る諸侯から、抑えた笑いが漏れた。

 レオンハルトは不満そうな顔をしながら、国王の右隣へ座った。

 アレクたちは一段下の卓へ案内された。

 マティアスが中央に座り、その左右へ五人の席が置かれている。ユリウスはレオンハルトの後ろに立ち、王宮の侍従と短く言葉を交わしていた。

「本当に一緒にされましたね」

 アレクが言う。

「王都の者が見たがっているものを、見せるつもりなのだろう」

 マティアスは席札を確かめながら答えた。

「私たちが、どのように見られているかをですか」

「それもある」

 マティアスは周囲の席へ目を向けた。

 アレクの右隣には、クラウディア・フォン・ヴァルデックの名がある。

 反対側には、王都北部に領地を持つ侯爵家の次男が座ることになっていた。

 ヴィクトルの向かいには、ヘレーネ・フォン・アルトブルク。

 カスパルとロベルトの近くにも、昼間の名簿で見た令嬢たちの名が並んでいる。

「座る場所まで、よく考えられていますね」

 ロベルトが言った。

「偶然だと思うか」

 マティアスが尋ねる。

「思いません」

「相手も分かって座っている。そのつもりで話せ」

 招待客が次々と席へ着く。

 諸侯本人だけでなく、後継者となる嫡男や、婚約相手の決まっていない娘も多い。

 父親に促されてレオンハルトへ挨拶する若者。

 マティアスへ礼をしながら、その近くにいる五人を確かめる娘。

 自分の席へ向かう途中、わざわざアレクの前で足を止める者もいた。

「アレク・ハルトマン子爵ですね」

 最初に声を掛けたのは、十五歳ほどに見える娘だった。

「はい」

「後ほど、お話しできることを楽しみにしております」

 娘は微笑み、父親らしい男とともに去っていった。

 入れ替わるように、別の娘が一礼する。

「シュヴァルツ伯との戦でのお働き、父から伺いました」

「ありがとうございます」

「舞踏の際には、ぜひ」

 アレクが返事を考えている間に、娘は自分の席へ向かった。

「今ので二人です」

 エイドリアンが言う。

「数えないでください」

「六通ありましたから、あと四人ですね」

「全員が来るとは限りません」

「後ろに三人待っています」

 エイドリアンに言われ、アレクは振り返りかけた。

「見るな」

 レオンハルトが上の卓から言った。

 距離があるのに、聞こえていたらしい。

「逃げると思われるぞ」

「殿下が六人全員と踊れと仰ったのではありませんか」

「命令を守る気になったか」

「今は、守らない理由を考えています」

「見つかったら教えろ」

 レオンハルトが杯へ口を付ける。

 国王が横から弟を見た。

「何の話だ」

「部下の教育だ」

「晩餐会が始まる前から、娘たちに囲まれているようだが」

「だから教育している」

「お前が人へ教えられることか」

「兄上よりはましだ」

「俺はお前と違い、招待客から逃げたことはない」

「逃げられない席へ座っているだけだろう」

 兄弟のやり取りを聞いた諸侯たちは、今度は先ほどより自然に笑った。

 国王も止めようとはしない。

 アレクには、それ自体が今夜の宴で見せるものなのだと分かった。

 王と王弟が同じ卓へ座る。

 互いに遠慮なく言葉を返す。

 その場で剣を抜く心配がないからこそ、周囲も笑うことができる。

 やがて、最後の招待客が広間へ入った。

 侍従が扉を閉める。

 国王が立ち上がると、広間の全員が一斉に席を立った。

「今夜は、シュヴァルツ伯討伐の勝利と、王都へ戻った我が弟、その下で戦った者たちを迎えるために集まってもらった」

 国王の声が広間へ響く。

「この戦で、王国は多くの兵と民を失った。ゆえに、ただ勝利を喜ぶだけの宴とはせぬ。戦を終わらせた者を知り、次の戦を起こさぬために何が必要かを、それぞれが考える場としたい」

 国王は隣に立つレオンハルトを見た。

「シュヴァルツ伯は、王都とレオンハルトの間にある違いを利用できると考えた。王命へ背いても、我が弟が自分へ味方するか、少なくとも王都を助けないと思ったのであろう」

 広間から笑いが消えた。

「その答えが、今日ここにいる」

 国王は杯を掲げる。

「レオンハルトは王命を受け、シュヴァルツ伯を討った。俺はその働きを認め、昨日、功ある者へ爵位と領地を与えた。意見の違いがあろうとも、王国を割ろうとする者のために争うつもりはない」

 諸侯の視線がレオンハルトへ集まる。

 レオンハルトは面倒そうな顔を隠さず、自分の杯を上げた。

「兄上の話は長い」

「まだ終わっていない」

「料理が冷める」

「お前は黙って杯を持っていろ」

「持っている」

 僅かに笑いが戻る。

 国王は広間を見渡した。

「今夜、俺の隣に弟がいる意味を、見誤るな」

 声を荒らげたわけではない。

 それでも、その言葉が誰へ向けられているのかは明らかだった。

「王国と、この戦で失われた者たちへ」

「王国と、失われた者たちへ」

 全員が杯を掲げた。

 晩餐が始まった。

 最初に運ばれたのは、香草を添えた魚と、薄く切られた白いパンだった。

 次に鳥の肉と煮込んだ野菜が続く。

 皿が替わるたびに人も動いた。

 諸侯たちは席を立たないまでも、近くの卓へ声を掛け、息子や娘を紹介している。

 アレクの左に座った侯爵家の次男は、火槍兵の訓練を見学したいと申し出た。

「父は、我が領地からも百人を出したいと考えています」

「百人を何へ出すのですか」

 アレクが尋ねる。

「新型火槍を扱う兵としてです」

「まだ、どの家から何人出すかは決まっていません」

「しかし、国王陛下から基準を作る役目を与えられたのでしょう」

「基準を作ることと、誰へ武器を渡すか決めることは別です」

「アレク子爵から推薦していただければ、話は早いのでは」

「私は、まだあなたの領地の兵を知りません」

「ならば、見ていただきたい」

「その必要が決まった時に伺います」

 男はもう一度食い下がろうとしたが、給仕が皿を置いたため口を閉じた。

「随分と固いお答えですのね」

 右隣から声がした。

 クラウディア・フォン・ヴァルデックだった。

 淡い金色の髪を後ろでまとめ、白い花を一輪だけ飾っている。衣装は明るい青で、胸元と袖に小さな銀糸の刺繍があった。

 昼に届いた紙へ書かれていた名と、その顔がようやく一つにつながる。

「間違った約束をするよりはよいと思います」

 アレクが答えた。

「相手を見てから決めるのではなく?」

「相手を知らないので、決められないのです」

「同じことに聞こえます」

「違います。先ほどの方が優れた兵を持っているかもしれません。それでも、私だけで武器を渡すとは決められません」

「ご自分で作られた武器なのに?」

「私一人で作ったものではありません」

 クラウディアは僅かに首を傾けた。

「論功行賞でも、同じことを仰ったそうですね」

「聞いていたのですか」

「父から聞きました」

 アレクはクラウディアの向こうに座る男を見た。

 ヴァルデック伯爵は国王に近い席にいる。こちらを見てはいなかったが、娘がアレクと話すよう席が決められていることは当然知っているだろう。

「お父上から、私に何を聞くよう言われたのですか」

 アレクは小声で尋ねた。

 クラウディアの手が一瞬止まる。

「随分と直接お尋ねになるのですね」

「遠回しな聞き方を知りません」

「新型火槍のことです」

「やはり」

「と答えれば、私を警戒なさいますか」

「内容によります」

「本当は、子爵様が何を好まれるのか、どのようなお考えをお持ちなのか、誰か特別な方がいるのか。そうしたことを確かめるよう申されました」

 予想していた答えと違い、今度はアレクが黙った。

「縁談のためですか」

「その可能性を探るため、と申しておりました」

「正直に話してよいのですか」

「隠しても、子爵様には分かるでしょう」

「分からなかったかもしれません」

「では、正直に話した私は損をしましたね」

「そうかもしれません」

 クラウディアが笑う。

 作られた微笑みにも見えたが、その直前より少しだけ自然だった。

「父は国王陛下をお支えしております。私は父の娘です。今夜、子爵様と話すことにも、家の目的があります」

「はい」

「ですが、私自身が何も考えていないわけではありません」

「それも、はい」

「何を聞かれても、はいと答えるのですね」

「違うとは言えませんから」

「では、私から一つだけ」

 クラウディアは声を落とした。

「戦場のお話ではなく、アレク子爵ご自身のお話を伺いたいと書きました。その気持ちは、今も変わりません」

「私自身の話といっても、何を話せばよいのか」

「どこで生まれたか、誰の子かを聞きたいのではありません」

 アレクはクラウディアを見た。

「では、何を」

「戦から戻った時、最初に帰りたいと思う場所はどこですか」

 すぐには答えられなかった。

 戦場を離れた時に浮かぶ場所。

 ラーデン村。

 アルヴェイン大公の城。

 ベルグハーフェン。

 アイヒェンタール。

 一つだけではない。

「決められません」

「帰る場所がないのですか」

「いくつかあるからです」

「それは、よいことなのでは?」

「今、そう思いました」

 クラウディアはそれ以上、アレクの過去を尋ねなかった。

 代わりに、アイヒェンタールの冬と、領地で採れる蜂蜜の話を聞いた。

 蜂蜜をどのように保存するのか。

 冬の谷では、雪がどれほど積もるのか。

 アレクが答えられることばかりだった。

 それでも、アレクは警戒を解かなかった。

 答えやすい質問から始め、少しずつ深いところへ入ることもできる。

 レオンハルトが昼間に言ったことを思い出す。

 敵意を持つ者より、答えたいと思う相手の方が深く入ってくる。

 食事が半ばを過ぎた頃、ヴァルデック伯爵が席を立った。

 国王とレオンハルトの卓へ向かい、息子を伴って一礼する。

「国王陛下。レオンハルト殿下。嫡男のハインリヒにございます」

 二十歳を少し過ぎた若者が、深く頭を下げた。

「王都の騎兵隊で、二年ほど務めております」

 ヴァルデック伯爵が続ける。

「いずれ領地を継ぐ前に、より広く王国を知る機会をいただければと考えております」

「俺の軍へ入れたいのか」

 レオンハルトが尋ねた。

「殿下の下で学ばせていただければ、これに勝ることはございません」

「兄上の騎兵隊では足りないと?」

「そのような意味では」

「レオンハルト」

 国王が弟を止める。

「意地の悪い聞き方をするな」

「兄上の前で、俺の軍へ息子を入れたいと言ったのだ。理由を聞いただけだ」

 ヴァルデック伯爵は僅かに姿勢を正した。

「国王陛下の軍も、レオンハルト殿下の軍も、ともに王国を守る軍と考えております」

「正しい答えだ」

 国王が言う。

「今、考えたようにも聞こえたが」

 レオンハルトが加える。

「殿下」

「冗談だ」

「半分ほど本気に聞こえました」

 マティアスが下の卓から言った。

「お前まで聞いていたのか」

「広間中に聞こえております」

 また笑いが起きた。

 だが、ヴァルデック伯爵が息子を紹介したことで、ほかの諸侯も次々と動き始めた。

 レオンハルトの軍へ嫡男を加えてほしい。

 マティアスが管理する街道へ、家臣を派遣したい。

 新型火槍の訓練役を自領へ呼びたい。

 言葉は違っても、目的は似ていた。

 自分の家を、新しく生まれた力の近くへ置く。

 その中で、一人の伯爵が笑顔で国王へ尋ねた。

「陛下。昨日までは四人の若い領主と、一人の新しい子爵でございました。それが一夜にして、マティアス伯爵の五旗衆などと呼ばれております」

 広間の視線が、アレクたちへ向く。

「噂とは早いものだな」

 国王が答えた。

「五人が旗を掲げた時、我々はどちらの旗を見ればよいのでしょう。マティアス伯爵の旗か、レオンハルト殿下の黒獅子か。それとも、王家の旗でございましょうか」

 問いかける口調は穏やかだった。

 しかし、広間の空気が静かに張り詰める。

 マティアスは何も答えず、国王を見た。

「妙なことを聞く」

 国王が言った。

「五人が王国の土地を守るために掲げる旗なら、すべて王国の旗だ」

「しかし、命令が異なることもございましょう」

「俺とレオンハルトが、異なる命令を出した時か」

 伯爵は笑みを消した。

「仮の話にございます」

「ならば、俺から弟へ聞こう」

 国王がレオンハルトを見る。

「お前の命令と王命が食い違った場合、あの五人はどちらへ従うべきだ」

「王命だ」

 レオンハルトは迷わなかった。

 何人かの諸侯が僅かに身じろぎする。

「俺が王命に背くよう命じたなら、従わずに兄上へ知らせればよい」

「殿下を裏切ることになりませんか」

 伯爵が尋ねる。

「俺が王国へ背いた時まで従うことを、忠義とは呼ばん」

 レオンハルトは杯を卓へ置いた。

「ただし、兄上の命令が間違っていると思った時は、俺が直接文句を言う。こいつらへ責任を押しつけるつもりはない」

「文句ではなく、意見と言え」

 国王が言う。

「同じだ」

「同じではない」

「兄上が聞くなら同じことだ」

 国王は一度、弟を睨んだ。

 その後、問いを投げた伯爵へ向き直る。

「答えは聞いたな」

「はい」

「俺の弟へ力を貸すことと、王国へ忠誠を尽くすことを、別のものだと考えるな」

「承知いたしました」

 伯爵は深く頭を下げ、自分の席へ戻った。

 楽師たちは演奏を止めていなかった。

 給仕も皿を運び続けている。

 それでも、先ほどのやり取りが広間にいる全員へ届いたことは、アレクにも分かった。

 レオンハルトへ近づく者が、そのまま国王の敵になるわけではない。

 反対に、国王の側にいることを理由に、レオンハルトの力を削いでよいわけでもない。

 二人は同じではない。

 だが、互いを争わせようとする者には、その違いを使わせない。

 食後の皿が下げられると、広間の中央から卓が運び出された。

 楽師の数が増え、先ほどまでより明るい曲が始まる。

 磨かれた床が現れた。

 舞踏の時間だった。

「逃げ道がなくなりましたね」

 エイドリアンが言う。

「扉はあそこにあります」

 アレクは広間の入口を示した。

「近衛兵が立っています」

「窓もあります」

「ここは二階です」

「アレク」

 マティアスが呼んだ。

「はい」

「冗談を言っている間に、相手が来たぞ」

 振り返ると、クラウディアが立っていた。

「一曲、お相手いただけますか」

 アレクはレオンハルトを見る。

 上の卓から、行けというように片手を振られた。

「断る理由が見つかりませんでした」

 アレクが言う。

「それは、私へでしょうか」

「違います。殿下へです」

「よく分かりませんが、お受けいただけるのですね」

「はい」

 アレクは立ち上がり、クラウディアの手を取った。

 薄い手袋越しでも、指先へ力が入っているのが分かる。

「緊張なさっているのですか」

 アレクが尋ねる。

「子爵様よりは、踊れます」

「答えになっていません」

「私も、今夜初めてお話しする方と踊るのです。緊張くらいします」

「少し安心しました」

「私が失敗することを期待なさっています?」

「私だけではないと分かっただけです」

 曲に合わせ、周囲の男女が動き始める。

 アレクは昼間に短く教えられた足の順番を思い出した。

 右。

 左。

 一歩下がる。

 向きを変える。

「足元を見すぎです」

「踏まないためです」

「足元を見ている方が、遅れます」

「では、どこを見れば」

「私を」

 アレクが顔を上げる。

 クラウディアとの距離が、思っていたより近い。

 香油の匂いが僅かにした。

 アレクは反射的に半歩離れようとし、曲の流れから遅れた。

「今、踏みかけました」

「すみません」

「私を見ろと言っただけです」

「見ています」

「では、そのまま」

 クラウディアはアレクの動きへ合わせ、進む方向を小さな力で知らせた。

 踊っているというより、動かされている。

 それでも、何度か繰り返すうちに足元を見ずに進めるようになった。

「覚えるのがお早いのですね」

「号令に合わせて動くことには慣れています」

「では、こちらの合図にも気づいてください」

「合図をなさいましたか」

「手で伝えております」

「分かりにくいです」

「戦場であれば、旗を使いますか」

「使います」

「では、次から扇を上げましょう」

 クラウディアが笑った。

 アレクも少しだけ笑う。

 曲が終わる。

 離れようとした時、クラウディアが手を放さなかった。

「子爵様」

「はい」

「心に決めた方はいらっしゃいますか」

 周囲の音が、僅かに遠くなったように感じた。

 答えを待つクラウディアの後ろには、ヴァルデック伯爵がいる。

 さらにその先には国王がいる。

 アレクが何と答えても、クラウディア一人の胸へ収まる話ではない。

「今夜、答えることではないと思います」

「いないとは、仰らないのですね」

「いるとも言っていません」

「分かりました」

 クラウディアは微笑んだ。

 落胆したのか、何かを確かめられたのか、アレクには読み取れない。

「父へは、そのように伝えます」

「そのまま伝えるのですか」

「ご自分のことを、何も考えずにお話しになる方ではなかった、と」

「それは、よい意味ですか」

「今夜は答えません」

 クラウディアはようやく手を放し、一礼して離れた。

 アレクが席へ戻ろうとすると、別の令嬢が待っていた。

 二人目。

 三人目。

 四人目。

 レオンハルトの命令どおり六人全員と踊ることになった。

 同じように笑っていても、話す内容は違った。

 領地の冬について聞く者。

 シュヴァルツ伯を討った時、怖くなかったのかと尋ねる者。

 アイヒェンタールへ持参できる金と家具の話を、遠回しに伝える者。

 その中の一人が、曲の途中で声を落とした。

「新型火槍は、冬でも同じ数を作れるのでしょうか」

「なぜ、それを私へ」

「父が、新しい武器へ興味を持っております」

「詳しいことは話せません」

「作る数ではなく、寒さに耐えられるのかを伺いたいだけです」

「それも同じです」

「では、火薬はどこへ保管を?」

「答えられません」

 娘はすぐに話題を変えたが、アレクは家名を忘れないよう何度も頭の中で繰り返した。

 席へ戻る頃には、足より頭が疲れていた。

「六人全員と踊りましたね」

 エイドリアンが言った。

「見ていたのですか」

「私も三人と踊りました」

「二通ではなかったのですか」

「その場で申し込まれました」

「足は」

「踏んでいません」

「本当に?」

「一度もです」

 エイドリアンは少し誇らしそうだった。

 だが、その袖口には小さな白い花が挿してあった。

「それは何ですか」

 アレクが指す。

「先ほどの方から」

「受け取ったのですか」

「別れ際に、袖へ挿されました」

「どこでです」

「庭へ続く回廊の入口です」

「庭へ行ったのですか」

「行っていません」

 詳しく聞こうとしたところで、広間の端から笑い声が聞こえた。

 ヴィクトルだった。

 大きな声ではない。

 それでも、アレクはヴィクトルが舞踏会で笑うとは思っていなかったため、すぐに気づいた。

 向かいにいるのはヘレーネ・フォン・アルトブルクだった。

 濃い栗色の髪を肩の後ろへ流し、緑の衣装をまとっている。華やかな宝石はなく、胸元に小さな銀の鳥を付けていた。

 二人は踊らず、広間の端で話している。

「何を話しているのでしょう」

 アレクが言う。

「近づいて聞いてきますか」

 カスパルが尋ねる。

「ヴィクトルに斬られます」

「今夜は剣を持っていない」

「素手で殴られます」

「それは避けたいな」

 ヴィクトルは周囲を気にしていないようだった。

「笑うこともあるのですね」

 ヘレーネが言う。

「私を何だと思っていた」

「昼間のお返事には、『承知した』としか書かれていませんでした」

「舞踏へ誘われる手紙へ、何と返せばよいか分からなかった」

「踊っていただけるとは思っておりませんでした」

「まだ踊っていない」

「先ほどから、領地の話ばかりですものね」

「あなたが聞いたのだろう」

「父を亡くして家督を継いだ方が、最初に何をなさったのか知りたかったのです」

「なぜ、そのようなことを」

「私にも兄がおります。いずれ父の後を継ぎます」

「あなたが継ぐわけではない」

「兄が継げば、私は何も考えなくてよいのですか」

 ヴィクトルが言葉を止めた。

 ヘレーネは続ける。

「兄は兵や馬のことは分かります。ですが、倉に残す種籾や、冬の薪の値段までは見ておりません。父も、兄が家督を継げば覚えると言います」

「継いだ後では遅いこともある」

「そう思います」

「私は、最初に倉を見た」

「お父上の葬儀より先に?」

「葬儀の後だ。だが、三日目には見た。戦へ持ち出された穀物が、帳簿より多かった」

「誰かが盗んだのですか」

「違う。父がシュヴァルツ伯へ渡した分を、帳簿へ残していなかった」

「なぜ」

「分からない。その時の命令書も見つからなかった」

 ヴィクトルの声が低くなる。

 ヘレーネは慰めの言葉を口にしなかった。

「では、今も本当の量は分からないのですね」

「ああ。残ったものから数え直している」

「私の家にも、数字の合わない倉があります」

「あなたの家にも?」

「三年前、川が溢れた時に穀物を配りました。倉番はすべて書いたと申しておりますが、父の帳簿と合いません。誰かが余計に持ち出したのか、書き忘れたのか、まだ分かっておりません」

「三年も放っているのか」

「父は、失った量より調べる金の方が高くなると言います」

「次も同じことが起きる」

「私もそう申しました」

「それで」

「女が倉へ口を出すなと」

 ヴィクトルの眉が寄る。

「間違っている」

「そう思ってくださいます?」

「倉に男も女もない。冬に足りなくなれば、どちらも飢える」

 ヘレーネは驚いた後、嬉しそうに笑った。

「では、今度、帳簿をお見せしても?」

「私へ見せるのか」

「嫌ですか」

「嫌ではない。だが、家の帳簿を会ったばかりの男へ見せるな」

「今夜、私の父は、あなたへ娘を見せております」

「帳簿より娘の方が軽いように言うな」

「父に聞かせたい言葉です」

 ヴィクトルがもう一度笑った。

 曲が変わる。

 ヘレーネが手を差し出した。

「一曲も踊らずに戻れば、父から何を話していたのか聞かれます」

「踊れば聞かれないのか」

「少なくとも、ずっと倉の話をしていたとは思わないでしょう」

「それも嘘ではないか」

「家のための嘘です」

「マティアス様の前で言うな」

「では、ヴィクトル様だけの秘密に」

 ヴィクトルは迷った後、その手を取った。

 二人が広間の中央へ向かう。

「随分と話が合ったようですね」

 アレクが言う。

「顔に出すな」

 カスパルが答えた。

「ヴィクトルがこちらを見ています」

 アレクが視線を逸らす。

 カスパルは一人だった。

「カスパルは、もう終わったのですか」

「一曲だけだ」

「三通来ていたでしょう」

「残りは後にする」

 普段より笑みが薄い。

「何かありましたか」

「答えられないことを、随分と聞かれた」

「新型火槍のことですか」

「ああ」

 カスパルは壁際にいる黄色い衣装の娘へ視線を向けた。

「最初は、シュヴァルツ伯との戦について聞かれた。何人で戦ったのか。どれほど火槍を使ったのか。それだけなら、誰でも知りたいだろう」

「その後は?」

「新型火槍が壊れた時は、どこへ運ぶのか。修理する職人は軍と一緒に動くのか。アレクがいなくても撃てるのか。誰が装填を教えているのか」

「答えたのですか」

「私が知らないことばかりだ」

「それなら、何も話せませんね」

「だから妙だと思った」

 カスパルが声を落とす。

「火槍の構造を知りたい者なら、アレクへ聞く。私へ聞くなら、敵軍にいた時のことや四領の関係だ。だが、あの娘は私が何を知っているかではなく、誰が何を知っているのかを確かめようとしていた」

「誰かから質問を教えられた?」

「おそらくな」

「聞いたのですか」

「直接聞いた」

「何と答えました」

「父から、興味のあることを尋ねるよう言われたと」

「その父親は」

「踊っている間、三度こちらを見た」

 黄色い衣装の娘の父親は、王都から東へ伸びる街道沿いに土地を持つ子爵だった。

 国王派でも、レオンハルトに近い家でもない。

「火槍を欲しがっているのかもしれません」

 アレクが言う。

「それだけなら、正式に申し出ればよい。誰が作り、誰が直し、誰が教えているのかまで、娘に探らせる必要はない」

「では、何が目的でしょう」

「今夜、目的まで決めつける必要はない」

 マティアスが二人の後ろから言った。

「家名と、何を聞かれたかを覚えておけ。商人の出入りと書状の流れは、こちらで調べる」

「承知しました」

「カスパル」

「はい」

「不自然だと気づいたのはよい。だが、知らないことまで答えてはいないな」

「していません」

「冗談で何か言ったか」

 カスパルが黙った。

「何と言ったのですか」

 アレクが尋ねる。

「新型火槍は、アレクが毎晩一人で磨かなければ撃てないと」

「どうしてそのような嘘を」

「相手の反応を見ようと思った」

「信じられたら困ります」

「誰も信じない」

「カスパル」

 マティアスの声が低くなる。

「申し訳ありません。次からはしません」

「今夜のうちに訂正してこい」

「もう一度踊れと?」

「話すだけでよい。自分で言ったことだろう」

 カスパルは諦めたように、黄色い衣装の娘の方へ戻っていった。

「マティアス様は、どなたとも踊らないのですか」

 アレクが尋ねる。

「三人と踊った」

「いつの間に」

「お前が足元を見ている間だ」

「見ていたのですか」

「六曲も踊っていれば、一度くらい目に入る」

「皆、私の失敗だけは見ているのですね」

「最後の曲では足元を見ていなかっただろう」

「はい」

「ならば、六曲踊った甲斐はあったな」

 マティアスの隣には、先ほどまで数人の諸侯がいた。

 そのうちの一人が、娘を連れて再び近づいてくる。

「マティアス伯爵。先ほどの話でございますが」

「街道沿いの倉についてですね」

「はい。娘の持参金として、倉の使用権を含めてもよいと考えております」

「婚姻の話より先に、倉を貸していただく話はできますか」

 マティアスが尋ねる。

 諸侯の笑顔が僅かに固まった。

「それでは、娘を嫁がせる意味が」

「婚姻と倉が分けられないのであれば、倉そのものではなく、あなたの家とのつながりが持参金なのでしょう」

「もちろん、我が家は伯爵のお力になれます」

「そのお力がどのようなものか、先に知りたいのです」

「娘をご覧いただければ」

「倉の広さは、娘を見ても分かりません」

 連れてこられた娘が俯き、笑いを堪えた。

 父親は困ったように咳払いする。

「詳しい帳簿を、後日お持ちいたします」

「お待ちしております」

 諸侯が娘とともに離れた。

「今の方は、怒っていませんでしたか」

 アレクが尋ねる。

「怒っていても、帳簿は持ってくるだろう」

「婚姻の話は」

「帳簿を見てからだ」

「本当に倉で決めるのですか」

「それだけで決めるわけがない」

「では、なぜ」

「相手が何を持ち、何を望んでいるかを知るためだ。見せると言った帳簿を、本当に持ってくるかも分かる」

 マティアスが自分の杯を取る。

「ロベルトを見ろ。似た話をしている」

 少し離れた柱の近くで、ロベルトが一組の父娘と話していた。

「東街道沿いの倉が二つ。川沿いにも一つございます」

 父親が言う。

「川沿いの倉には、どれほどの船が着けられますか」

 ロベルトが尋ねる。

「小舟ならば六艘。水が多い時期であれば、穀物船も二艘まで」

「街道から倉までの道幅は」

「荷車がすれ違えるほどです」

「冬も通れますか」

「雪は少ない土地です」

「通行料は」

「我が家との婚姻が結ばれれば、もちろん免除いたします」

「婚姻前に、荷を一度通すことはできますか」

「何の荷でしょう」

「ベルグハーフェンから東部へ送る塩と鉄です。量はまだ決まっていません」

「それは」

 父親が考え込む。

 隣にいた娘が、ロベルトを見た。

「ロベルト様は、先ほどから私ではなく、倉のお話ばかりですのね」

「お父上が、最初に倉を示されましたので」

「私より倉の方が魅力的ですか」

 周囲に聞こえる声だった。

 ロベルトが答えを誤れば、娘を侮辱したことになる。

 アレクは少し離れた場所から見ていたが、助けに入る言葉は思いつかなかった。

「倉は、誰が使っても同じ場所にあります」

 ロベルトは穏やかに答えた。

「ですが、その倉をどのように使うかは、人によって変わります。私は倉だけでなく、倉を任せられる方かどうかも見ております」

「今夜会ったばかりで、分かります?」

「分かりません。ですから、お話ししております」

 娘はロベルトを見つめた後、僅かに笑った。

「では、父ではなく私へお尋ねください」

「倉の帳簿をご覧になったことは」

「毎月見ております」

 今度はロベルトが驚いた。

「船から荷を下ろす費用は」

「荷車一台分で銅貨十二枚。ただし、冬は十四枚です」

「なぜ冬だけ高いのですか」

「川辺の板が凍るため、人手を増やします」

「屋根の修理は」

「去年、南側を直しました。雨漏りはありません」

 父親が口を挟もうとしたが、娘は止まらなかった。

 ロベルトの質問へ、一つずつ答えていく。

「娘本人より、帳簿を見ていたようですね」

 アレクが言った。

「ロベルトには、その方が効くのだろう」

 マティアスが答える。

 ロベルトと娘の会話は、婚姻の相談というより商談に変わっていた。

 それでも、二人とも先ほどより楽しそうに見える。

「よい縁になるのでしょうか」

「一度話しただけでは分からん」

「ヴィクトルも?」

「同じだ」

 マティアスは広間の中央で踊るヴィクトルとヘレーネを見た。

「ただ、もう一度話す理由はできたようだな」

 アレクが席へ目を戻すと、エイドリアンはまだ白い花を見つめていた。

「先ほどの話ですが、回廊で何があったのですか」

 アレクが尋ねる。

「何もありませんでした」

「何もなかった顔ではありません」

「レオンハルト殿下の言葉を思い出しました」

「女には気をつけろ、ですか」

「二人きりになるな、の方です」

 エイドリアンは袖の白い花を抜き、卓の上へ置いた。

「踊った方が、少し気分が悪いと仰いました。風に当たりたいので、庭まで一緒に来てほしいと」

「ついていったのですか」

「回廊の入口までは」

「一人で?」

「侍女が一緒でした。ですが、角を曲がったところでいなくなりました」

「それで戻った?」

「いいえ。令嬢が、もう歩けないと私の腕へ寄りかかりました」

「それは」

「カスパルなら喜びそうですね」

 アレクが言う。

「私も、最初は支えなければと思いました」

「何をしたのですか」

「近くにいた侍従を呼びました」

「それだけですか」

「医師と侍女を呼んでほしいと、大きな声で頼みました」

 アレクは回廊の方を見た。

「その後は」

「令嬢は、急に気分がよくなったそうです」

「治るのが早いですね」

「医師を呼ぶと言った途端でした」

「その花は、お礼ですか」

「そう仰っていました。ですが、私が返事をする前に袖へ挿されたのです」

「受け取ったと思われませんか」

「ですから、勝手に返すのも、隠すのもよくないと思いまして」

 エイドリアンは花を布へ包んだ。

「持ち帰って、殿下とマティアス様へお見せするつもりでした」

「正しい判断だ」

 マティアスが言った。

 エイドリアンが安堵する。

「ただし、回廊までついていったことも、後で殿下へ報告しろ」

「はい」

「侍女の顔は覚えているか」

「はい。令嬢の家の者ではなかったように見えました」

「なぜだ」

「令嬢から名を呼ばれた時、返事が遅れました。呼ばれた名も、先ほど別の方が呼んでいたものと違った気がします」

 マティアスの目が細くなる。

「そこまで覚えていればよい」

「私を婚姻へ追い込むためだったのでしょうか」

「まだ分からん。だから、誰がいたかを確かめる」

「はい」

「もう一度誘われても、二人きりにはなるな」

「次は、回廊へも行きません」

「それでよい」

 舞踏は夜更けまで続いた。

 アレクは自分へ近づいた娘たちだけでなく、その父親と兄弟の顔も見るよう努めた。

 娘が火槍の話をした時だけ近づいてくる父親。

 ヴィクトルとヘレーネが踊る姿を、満足そうに見るアルトブルク伯爵。

 ロベルトと娘の商談を止めるべきか迷っている父親。

 国王と話した後、マティアスへ近づく者。

 同じ広間にいても、誰も同じものを見ていない。

 自分の婚姻相手を探す者。

 娘の嫁ぎ先を探す者。

 息子の仕える場所を探す者。

 新型火槍を手に入れる道を探す者。

 国王とレオンハルトの間に、本当に亀裂がないのか確かめる者。

 その中で、国王はほとんど席を動かなかった。

 それでも、誰がレオンハルトへ挨拶し、誰がマティアスと話し、誰の娘が五人の手を取ったのかを見ていた。

 レオンハルトも踊らなかった。

 息子との婚約を求める話を持ちかけられるたび、

「妻とも相談する」

 とだけ答えていた。

 相手がどれほど自家の歴史や娘の美しさを語っても、答えを変えない。

「殿下は、奥方様のご意見を聞かれるのですね」

 戻ってきたアレクが尋ねる。

「俺だけの息子ではない」

「昼間は、ご家族の話をする必要はないと仰っていました」

「今は息子の婚姻の話をしている。必要がある」

「奥方様は、どのような方なのですか」

「今夜聞くことか」

「先ほどから、皆様が息子様との婚約を求めていますので」

 レオンハルトは杯の中を見た。

「俺が一人で決めれば、後で必ず怒る女だ」

「怖い方なのですか」

「そうではない」

「では」

「俺が間違っている時に、間違っていると言う」

 レオンハルトはそれだけ答えた。

「よい方なのですね」

「だから今夜聞くことではないと言っている」

 言葉は素っ気なかったが、声には僅かな柔らかさがあった。

 国王が横から弟を見る。

「お前が妻を褒めるとは珍しいな」

「褒めていない」

「その言い方で隠せると思っているのか」

「兄上は自分の客の相手をしていろ」

「その客がお前の家族の話を聞いている」

「アレクは俺の客だ」

「王宮にいる間は、俺の客でもある」

「ならば、兄上が答えろ」

「お前の妻だろう」

 二人の言い合いが始まり、アレクは笑いながら下の卓へ戻った。

 最後の曲が終わる。

 国王が立ち上がり、宴の終わりを告げた。

 諸侯たちはすぐには帰らなかった。

 最後の挨拶を交わし、翌日の面会を求め、娘と息子をもう一度紹介する。

 レオンハルト一行が広間を出るまで、何人もの者が後を追った。

「レオンハルト殿下、明日の午前に少しだけでも」

「マティアス伯爵、倉の帳簿を用意させます」

「アレク子爵、娘が大変楽しい時間を過ごせたと」

「ヴィクトル殿、ヘレーネがもう一度お話ししたいと申しております」

 ヴィクトルの足が僅かに止まった。

「明日、お時間をいただけますかな」

 アルトブルク伯爵が言う。

「ご予定があれば、そちらを優先していただいて構いません」

「承知しました」

 ヴィクトルは短く答えた。

「随分と簡単に会うのですね」

 廊下へ出た後、カスパルが言う。

「話の途中だった」

「倉の帳簿の?」

「そうだ」

「令嬢本人ではなく?」

「同じ話だ」

「何が同じなのですか」

「黙れ」

 ヴィクトルの耳が赤くなっている。

 カスパルは笑ったが、追及はしなかった。

 客室へ戻ると、レオンハルトは上着を脱ぎ、椅子の背へ掛けた。

 アレクたちもようやく襟元を緩める。

「鎧を脱いだ後より疲れました」

 アレクが言う。

「撃たれていないだけ、ましだ」

 レオンハルトが答える。

「何度か、撃たれたような気はしました」

「誰にだ」

「答えにくいことを聞いた方々にです」

「ならば、全員戻ってきたな」

 レオンハルトは長机の前へ座った。

 マティアスが紙と筆を用意し、ユリウスが扉を閉める。

「一人ずつ話せ」

 五人が互いの顔を見る。

「アレクからだ」

「やはり私ですか」

「一番多く踊った」

「殿下が命じたからです」

「だから、結果を聞く」

 アレクは六人の家名と、話した内容を順に報告した。

 アイヒェンタールの冬。

 蜂蜜と木炭。

 火槍の生産数。

 火薬の保管場所。

 そして、クラウディアから心に決めた者がいるか尋ねられたこと。

「何と答えた」

 レオンハルトが聞く。

「今夜答えることではないと」

「悪くない」

「いるとも、いないとも言わなかったのだな」

 マティアスが確認する。

「はい」

「ヴァルデック伯爵家は国王陛下に近い。クラウディア本人も、父親の意向を隠さなかった」

「正直すぎるようにも思いました」

「最初に本当のことを話して、信用させるやり方もある」

「やはり警戒するべきでしょうか」

「警戒は続けろ。ただ、家の目的を明かしたというだけで、娘本人まで疑うな」

 マティアスはクラウディアの名の横へ印を付けた。

「次はヴィクトル」

「特に報告することはありません」

「ヘレーネ・フォン・アルトブルクと、随分長く話していた」

 レオンハルトが言う。

「見ていたのですか」

「広間の半分が見ていた」

「そんなに大声では話していません」

「お前が笑ったからだ」

 ヴィクトルが黙る。

「何を話した」

「領地の倉と帳簿についてです」

「それだけか」

「それだけです」

「もう一度会う約束をしたそうですね」

 ユリウスが言う。

「なぜ知っている」

「アルトブルク伯爵が、明日の面会時間を確認しに来ました」

「話の続きをするだけだ」

「誰も止めていない」

 レオンハルトは笑っている。

 ヴィクトルが不満そうに報告を続けた。

 ヘレーネの兄が領地を継ぐこと。

 彼女自身も家の帳簿を見ていること。

 三年前の水害で合わなくなった倉の記録。

 父親からヴィクトルと話すよう言われたが、何を尋ねるかは自分で決めたらしいこと。

「どう思った」

 マティアスが尋ねる。

「何がです」

「ヘレーネ本人をだ」

「領地のことを何も知らずに、父親から言われたまま来た娘ではありません」

「それだけか」

「帳簿を見せると言っていました」

「家の帳簿を?」

「止めました。会ったばかりの者へ見せるものではないと」

「それは正しい判断だ」

「だから、それだけです」

 カスパルが顔を背けて笑いを堪えている。

「何がおかしい」

「何も」

「顔に出ている」

「ヴィクトルも出ている」

「出ていない」

「アルトブルク家は国王派に近い」

 マティアスが言うと、ヴィクトルの表情が変わった。

「国王陛下の命令で近づいたと?」

「そこまでは分からん。父親が陛下の意向を汲んで、お前との縁談を望んでいる可能性はある」

「では」

「家の思惑があることと、ヘレーネ本人と話が合ったことは分けて考えろ」

 マティアスはヴィクトルを見る。

「父親の望みから始まっても、良い縁になることはある」

「しかし」

「国王派の娘だから敵とは限らん」

 レオンハルトが言った。

「家の命令だけでお前へ近づいたのか、本人もお前と話したいと思っているのか。それを見誤るな」

 ヴィクトルは少し考えた後、頷いた。

「明日、確かめます」

「帳簿の話をしてこい」

 レオンハルトが言う。

「言われなくとも、そのつもりです」

「本当に帳簿だけか」

「殿下」

「次だ」

 レオンハルトは楽しそうにカスパルを見た。

 カスパルは黄色い衣装の娘から聞かれた質問を、順に報告した。

「誰が作り、誰が直し、誰が教えるか」

 マティアスが繰り返す。

「武器より、それを支える者を調べているようだな」

「私もそう思います」

「父親の領地は東街道沿いだ。出入りする商人から確かめる」

「国王陛下の側から頼まれた可能性は」

 アレクが尋ねる。

「ある。ただ、陛下がお知りになりたいなら、私か殿下へ直接お尋ねになるだろう」

「兄上が、娘を使って火槍のことを探るとは思えん」

 レオンハルトが言う。

「別の目的なら使うがな」

「婚姻によって、五人を王都へ近づけることですか」

「それだ」

「カスパル。先ほどの冗談は訂正したか」

 マティアスが尋ねる。

「はい。アレクが毎晩磨くという話は冗談だと伝えました」

「相手は」

「分かっていたと笑っていました。ですが、二度目は火槍について何も聞かれませんでした」

「警戒されたと気づいたのかもしれんな。それも記しておく」

 マティアスは紙へ新しい印を付けた。

「次はロベルト」

 ロベルトは東街道と川沿いの倉について話した。

 荷車がすれ違える道。

 冬の荷下ろしに必要な費用。

 三つの倉。

 船着き場。

 持参金として示された使用権。

「随分と詳しく聞いたな」

 マティアスが言う。

「相手から話したことです」

「それで、どう使うつもりだ」

「私が縁談へ興味を持っていると思わせれば、婚姻を検討している間、倉と船着き場を安く使わせてもらえるかもしれません」

 マティアスはすぐには答えなかった。

「縁談を断った後は、どうする」

「通常の代金を払います」

「相手が、それで済ませると思うか」

 ロベルトが口を閉じる。

「倉を安く借りるために娘を利用したと触れ回られれば、次にお前と取引する者は身構える。私の名を出していたなら、こちらにも話が来る」

「では、断るべきですか」

「倉の話を断れとは言っていない。縁談を当てにせず、借りる条件を詰めろ」

「分ければ、安くはなりません」

「荷をまとめる。長く借りる。帰りの荷も用意する。相手に得をさせて値を下げる方法はある」

 マティアスはロベルトを見た。

「娘も帳簿を見ているのだろう。ならば、お前が何を得ようとしているか、向こうも数えている。利用するつもりなら、その先まで考えろ」

 ロベルトは暫く黙った後、頭を下げた。

「承知しました」

「話していて、簡単な相手だと思ったか」

「いいえ」

「ならば、なおさら気をつけろ」

「はい」

「最後はエイドリアンだ」

 レオンハルトに呼ばれ、エイドリアンが白い花を包んだ布を長机へ置いた。

 回廊まで令嬢についていったこと。

 侍女が途中でいなくなったこと。

 令嬢が寄りかかってきたため、侍従を呼んだこと。

 医師を呼ぶと告げると、令嬢がすぐに立ち上がったこと。

 別れ際に花を袖へ付けられたこと。

 すべて話した。

「よく侍従を呼んだ」

 レオンハルトが言った。

「怒られると思いました」

「回廊までついていったことは怒る」

「やはり」

「だが、その後は悪くない。すぐに人を呼び、二人きりのまま奥へ進まなかった。花も隠さず持ってきた」

「明日、令嬢の父親から縁談を求められるでしょうか」

「その前に、今夜お前たちを見た者が噂を作る可能性がある」

 ユリウスが言った。

「エイドリアンが娘を庭へ連れ出した、と」

「連れ出したのは私ではありません」

「事実と噂は別です」

「どうすれば」

「王宮の侍従へ、私から確認しておきます」

 ユリウスが答えた。

「医師を呼ぶよう頼んだことと、居合わせた者の名を記録に残す。今のうちに事実を確かめておけば、噂だけで話を進められずに済みます」

「はい」

「侍女の名が違ったという話も調べましょう」

 五人の報告が終わった。

 マティアスは紙へ書いた家名と内容を見比べた。

「今夜、お前たちへ近づいた家には、大きく三つの狙いがある」

 紙の上へ線を引く。

「殿下との関係を強めること。新型火槍や、お前たちの領地について探ること。そして、国王陛下に近い家との婚姻で、王都へ結びつけることだ」

「兄上が、すべて命じたと思うか」

 レオンハルトが尋ねる。

「すべてではないでしょう。国王陛下は機会と席を用意した。それをどのように使うかは、各家へ任せたのだと思います」

「兄上らしいな」

「殿下を弱めることが目的とは限りません」

 マティアスが言う。

「五人を国王陛下の側へ奪いたい家もいるでしょう。しかし、婚姻によって王都と殿下の間を結ぼうとする家もいます」

「同じことではないのか」

 ヴィクトルが尋ねる。

「違う。お前が私の下を離れて王都へ仕えれば、こちらの力は減る。だが、私の下にいたまま国王派の娘と結ばれれば、その家は殿下とも縁ができる。何かあった時、どちらへも話を持っていける」

「そのために、娘を使うのですか」

 アレクが聞く。

「娘だけではない。嫡男を殿下の軍へ入れたいと申し出た家も同じだ」

 マティアスは筆を置いた。

「父親に命じられて来たからといって、娘や息子に考えがないわけではない。今夜だけで敵味方を決めるな」

 ヴィクトルは何も言わなかった。

 ロベルトも、長机の上にある倉の名を見つめている。

 カスパルは火槍について尋ねた娘の父親を思い出しているようだった。

 エイドリアンは白い花を包み直した。

 アレクはクラウディアから聞かれた言葉を考えた。

 戦から戻った時、最初に帰りたいと思う場所はどこか。

 火槍の数でも、領地の広さでもない。

 それでも、答えによっては、どの土地と誰を大切に思っているか知られる。

 今夜交わした言葉の中で、最も答えにくい質問だったかもしれない。

「戦場では、敵が旗を掲げてくれる」

 レオンハルトが言った。

 全員が主君を見る。

「誰を討てばよいか、どこへ兵を向ければよいか分かる。王都では、笑って手を差し出してくるらしい」

「その手を、すべて振り払いますか」

 マティアスが尋ねた。

「いや」

 レオンハルトは即座に答えた。

「誰の手を取るかは、こちらで選ぶ」

 マティアスが頷く。

 広間では剣も火縄銃も使われなかった。

 血を流した者もいない。

 それでも、一晩のうちに幾つもの家が動き始めた。

 剣も火縄銃も使わず、領地、婚姻、情報を奪い合う戦いだった。

 アレクは、ようやく緩めた上着の襟へ触れた。

 今度は誰にも止められなかった。

 第七話を読んでいただき、ありがとうございました。

 初めての舞踏に苦戦するアレク、ヘレーネと話が合ったヴィクトル、不自然な質問に気づいたカスパル。ロベルトとエイドリアンも、それぞれの形で王都の社交を経験しました。

 宴は終わりましたが、交わされた言葉と約束は残ります。五人が今夜の出会いをどう受け止めるのか、引き続き見守っていただければ幸いです。


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